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Title
商業から見た土浦市の研究(卒業論文要旨)(53年3月卒業生
)
Author(s)
田中, 佐和子
Citation
お茶の水地理
Issue Date
URL
1978-03
http://hdl.handle.net/10083/11253
Rights
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Type
Departmental Bulletin Paper
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This document is downloaded at: 2014-10-27T10:03:50Z
桑園 -の還 元 などの点 で蕃義 と共存 的 で あるのに対 し, 果樹は土 地利 岡上 ・労力配 分上 お よび農 薬散
布の 面で も貴 重 とは競 合 する。養 豚 ・果 樹の分布 も異 を D,養 蚕 ・養豚 の複 合経 営の行 をわれ る西部
・南部では養蚕 に対 して 積極的で果樹 化が進 まないの に対 し, 果樹 の比竜 の高い東部 ・北部 では養 蚕
に対 して 消極的 で ある。
商 業 か ら見 た土 浦 市 の 研究
田
中
佐和 子
土浦 市は, 人 口約 ]0 万, 茨城 県南部 の地方 中心都 市である。東 京か らは 60 数 キ ロに位置 し, 北
に は筑波 山,東 には霞 ケ浦 を背景 に, 緑 と水に恵 まれ た穏 やか を都 市 と在 ってい る.
江戸時代の城 下町か ら, そ して, 予科練 で名 高い軍事都 市- と, それ ぞれの時代に特 徴 ある発 展 を
して きた 土浦 市は,従 来 の, 農村地 帯 を背景 とす る地 方 中心都市か ら, 近 年ではます ます, 首都 圏 の
衛星都 市 としての性格 を も強 めて きてい るO
また, 一
一万では,土浦 市に隣接 して,筑波研究学園都市 (目標人口 22万 )が建 設中で あ り, ま った く
新 しい都 市で あるだけに 不確 定 の要 素 も多 いが, 土浦 市に少か らず 影響を及ぼす こ とが予想 され て い
るo
この論 文では, この ような土浦 市 とい う地域 につい て, その発達 と構造 を見ることで, その性格 を
考 えたい とい うのが 目的で ある。 商業 活動は, その ための視 点 として選ん だ。
土浦 市の性格 を考え る時 ,そ の最 も基礎 的 を要 因 として
①
地形が平担 T, 気 候 も比較的温 和で あD, 人 間 の居住 とい う点 で, 恵 まれた環 境に位置 してい
る こと〇
@
霞 ケ浦 の西 の端 に位置 して いる こ と。
③
首都東京か ら 60数 キ ロの東北 側 V
C位置 してい る こと。
の 3点 をあげ るこ とがで きる と考え られ る. この 3つ の要 因は , 土 浦 市の発達,構造 にお いて 常にそ
の根底 とな った性 格で あるが, これ らは現在の土浦 市に
(
1
) 独 立 した一地方 中ノ
L地 として
(
2
) 首都 圏の 衛星 都市 として
(
3) 筑波研究学園都市に隣接す る都 市 として , 3つの側面 を与 え てV,る.
商業活 動にお いて見 る夜 らば,県南の 中心 としての規 模を もつ土 浦 商業 の位置は,土 浦 が, 周辺農
村や霞ケ浦 を背景 に中心地 と して発展 して きた ことを示 してい る し, また,. 卸 売業 におけ る最近 の伸
びの低さや, 小 売業に おけ る相対的 な買物機 能の低 下等は,土浦 市が 首都 圏の衛星都 市 としての一 面
を強 めて きた ことを示 してい る と考 え られ る。 そ して, 中心商店衝 の構 造には , 土 浦 の発展の歴 史や
地域性 を反映 した土 地利 用が 見 られ る。
この ような性 格 を示す土浦 市は,近年 にお いてますます, 首都圏の衛 星都 市 として の一面が前 面に
で てきている ように思われ る。
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また, 筑波研 究学園都 市の出現 も, その影響 を 予想 して, 土浦 市で は様 々の調査や計 画等が現在行
われてい る。
しか し, これ らの性格 は,土 浦 市の,独立 した一地 方 中心地 で ある とい う基 本的 な性格 を変 え る要
素には 夜 らない と思われ る。土浦 市が周辺 農村 地帯 の中心地 と して発生 し, 長年に わた ってその役 割
りを果た して きた ことは,土浦市 I
J
Cと って最 も大 きな背景 で あ D, これは,土 浦 の変貌 に とっての対
象では な く, その要 因 となるべ き もの と考え るO
上 信 越 高原 国 立 公 園 に お け る
ス キ ー場 の立 地条 件 に 関 す る考 察
久
山
幹
子
現 在, 日本のスキー人 口は 800万 人, あるい は, 1
,
000 万 人 ともいわれ, ス キーは ウ ィ=
/クース
ポー ツの中心 的存在 とな ってい るo Lか L, ス キーの歴史 を辿 ってみる と, これ は第二 次世界大戦 後,
特に 1960年代以 降の経済 の高度成長, 人 口の都市集 中に と もな う 1つ の顕著 を現 象 であ D, 大 戦前
とはま った く異 なる型の ス キーが 行なわれてい る ことがわ かる。
そ こで, 本 論文では 5つ の ス キー場 の比較 考 察 とい う方法 で, 現 在繁栄 している スキー場 とはいか
なる条件 を備 え, また, 条 件相 互の関係や比重 は どうなって い るのか を探 ってみた。 研究 対象 として
は,草津 スキー場 (群 馬県吾妻郡草 津町 ), 志 賀高原 スキー場 (長野県下 高井郡山 ノ内町 ), 菅平 ス
キー場 (長野 県小県郡 兵 田町 ), 苗場 スキー場 (新潟 県南魚沼郡 湯 沢町 ), 中里 スキ ー場 (新潟県 南
魚沼郡湯 沢町 )を選定 し, これ らはいずれ も上 信越 高原 国立 公園内に ある。 ス キー場 の立地条件 とし
ては, 自然条件, 施設の整備 ,交通 条件, 宿泊施設 の 4つを取 b上 げ調査 した。
スキー場の立地 に は, 自然条件 が最 も重要 かつ基本的条件 で ある こ とは当初 か ら推 測 されていたが,
本論 文を書 き終 え, よb一 層 自然 条件 の比重 の大 きさが認識 され たO スキー客入込 み総 数 を決定す る
最 も基本的条件 は,①滑走可能期間 を決定 す る雪積量,㊥ スキー場 と浸る斜 面 を提供 す る地形,㊥ ス
キー滑 走の快 適 さを決 め る雪 質 の 3つで, これ らの備 わ った場所 に適 切 を資本投下に よる施設 の整備
が行 表われ ると, 大 量のス キー客が入 り込むb なお,本論文
図1
二、、 ⊥
、、 I
級
のフ ィール ド内にお いては ,交通条 件 は方 面別入込 み比率
や利 用交通手 段別の比率 を決定 す る条 件の 1つに 留ま D,
また, 自然条件, 施設整 備の劣 ったスキー場 の欠点補充的
条件 の 1つ にす ぎ夜レb 宿泊 施 設 も, 立地条 件 として占め
る位置 は戦前 と異 を D, 間接 的, 付加的 条件 に後退 してい
る。
旬守A
'
らO
,澄妊
ところで, 施設 の整 備 と宿 泊施設 は資本 の投下 に よって
a:資本投下 に よ b最 も多量 の人込 み
改 善可能 をのに対 し, 自然条件 と交通 条件 (都 市か らの交
を期待で きる地点
b:可 能性の ある範 囲
通 時間距 離 )は人 為 に よる改善は ご く限 られ て いるo この
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