互輪会と卒業40周年記念誌発行の紹介 森 英敏(70B、72M)

互輪会と卒業40周年記念誌発行の紹介
森 英敏(70B、72M)
私達は応用物理学科4期生として昭和45年(1970年)3月に卒業した。いわゆる団
塊の世代の学年で日本の高度成長期を歩んだ世代である。東京オリンピック、大阪万
国博、札幌オリンピックと華やかな催しも経験し、一方では大学紛争真っ只中に学生
時代を送った世代でもある。阪大工学部も東野田から北千里へキャンパスを移し、大
きく発展する第一歩を踏み出した時代である。
卒業して15年経った1985年に卒業生の一人であるY君が声をかけて、浜名湖畔三
ケ日にある会員制リゾートに1泊2日で集まってから毎年1泊旅行を続けている。昨
年11月の沼津で実に26回を数える。毎年参加する人、5年に1回くらいふらりと顔を
出す人といろいろだが、毎回10人程度が参加している。今年も秋にやるべく幹事も決
まって計画が進んでいる。ある時尼崎君(故人)が「この会に名前つけたいねんけ
ど・・」といってつけた名前が「互輪会」である。彼の家に江戸時代から続いている家訓のひとつに「互縁」という言
葉があり、その意味するところから「この会のお互いの縁を通じて人のつながりを広めて大きな輪を作っていこう」と
いう趣旨から名付けられた。
さて昨年の11月(2010年)の旅行の宴会の時、U君から「オレ達が卒業して40年が経った。これを記念して文集を
作らへんか? 50年というのも大きな節目やけど、あと10年したらこの中で何人残っているかわからへんし・・・」と
いう提案があった。議論ののち翌春に発行することが決まり提案者であるU君と筆者が編集を担当し、互輪会の終身幹
事ともいえるS君も編集に加わった。12月中旬に卒業生に原稿執筆を呼び掛け、年明けから研究室ごとに担当を決め先
生方に依頼し、原稿収集、編集作業、入稿して、5月10日に印刷・製本が終わり86ページで構成される記念誌が完成し
た。5月18日に在京組が新橋の居酒屋に集まり、完成祝賀会をしておおいに盛り上がった。
記念誌編集の苦労をいくつかあげてみよう。まず原稿集めは各研究室の担当者が苦労した。早い人は1月中旬に原稿
が届いたが、中には入稿後の人もいた。ほぼ編集が終わった段階で中間報告会と銘打った飲み会をやり、その場から原
稿未提出の人に電話で「書けよ!」とかわるがかる口説いたおかげで、そのあと3人から原稿が届いた。写真集めについ
ては、学生時代に写真好きであったT君が当時の写真を数多く写しており、しかもこれが数年前に幹事のS君のところ
に収集されていた。旅行の写真も同様である。むしろたくさんあり過ぎてどれを選ぶかで頭を痛めたが、もしこの写真
がなかったらもっと苦労しただろう。S君に感謝。写真関連でもっとも困ったのが吉永先生の写真がなかったことであ
る。卒業前にT君が先生方にお願いして写真を撮らせていただいたのだが、吉永先生にお願いするのは恐れ多かったの
だろう。吉永研出身のG君個人のアルバムの中から見つけてもらった。一方で先生から寄稿してもらえるだろうかと心
配していたが、最高齢である90歳の藤田茂先生はじめ20人からご寄稿いただきまったくの杞憂であった。このような経
過を経て完成した記念誌は、みんなに満足してもらえるものになったと思っている。価格も思ったより安くできた。あ
る人曰く「本を作るのは良いけど、費用がきっと1万円以上かかると思っていた。それが先生方の分も負担して2000円
は安い!」
互輪会の活動は、年1回の旅行、首都圏では年2回の飲み会、小田急沿線在住者が年4回のミニ飲み会、ゴルフ仲間が
年4回の懇親ゴルフ等々。記念誌はどうしても思い出話が中心になるが、普段の会合は仕事のこと、人生のこと、リタイ
ア後の節税法、原発のこと・・・話題の多彩さには事欠かない。また元富士通のI君が自主的に互輪会ホームページを準
備している。みんなの協力を得て内容を充実させて近々公開予定である。一部非公開の部分もあるが出来る限りオープ
ンにしたい。
我々の活動が長く続いているのは、終身幹事のS君こと島敬治君の存在である。いつの頃からか彼が住所録の管理を
しっかりやり、半年に一度の東京での飲み会も企画し、旅行等の写真の整理までやっている。彼の存在なくして今の互
輪会はありえない。今回の記念誌も編集作業は筆者が行ったが、記念誌発送作業、送り状作成などすべてをこなしても
らった。また彼が整理してきた名簿、蓄積してきた旅行の記録や卒業以来の写真がなければ、完成に至らなかっただろ
うと思う。
応用物理系同窓会の活動を活性化しようとの機運が高まっている。年齢層の広い同窓会を運営することは、同期会と
は雲泥の差である。同窓会を昔話の会ではなく、また名刺交換だけの会に終わらせないためには、継続的な前向きの企
画が必要である。そしてその基盤になるのは、しっかりとした名簿作りとその管理であると思う。たとえば企業を見学
しようとしても名簿がしっかりしていなければ、委員会の人が関係する企業を一巡すればそれで終わってしまう。その
役割を担う委員会の方々に期待するところ大である。また私自身も精一杯の協力をしていくつもりである。
7