国指定史跡 大隅正八幡宮境内及び社家跡 - 鹿児島県

郷土の文化財
おおすみしようはちまんぐうけいだい
しや け あと
国指定史跡 大隅 正 八幡宮境内及び社家跡
(平成25年10月17日指定)
文化財課
大隅正八幡宮境内及び社家跡とは
霧島市隼人町の鹿児島神宮は,800年ほど前頃に
は大隅正八幡宮と呼ばれ,大隅国全体の4割強を
荘園とする勢力を有していました。大隅正八幡宮
周辺には,社家と呼ばれる神職の家をはじめ,正
み ろくいん
八幡宮に関わる多くの人々が居住し,また,弥勒院
など寺院も配置されていました。中世において,
この地には大隅正八幡宮を中心とした都市が繁栄
していたと考えられています。
霧島市(旧隼人町)では,平成6年からこの地
の発掘調査を行った結果,社家の屋敷跡を取り囲
む堀や東南アジア産の陶器など,日本史上重要な
発見があり,この貴重な文化財を保護していくこ
とにしました。
陶磁器,タイ・ベトナム産の陶器のほか国内各地
き ない
が き
の土器類が出土しており,特に畿内産の瓦器は京
都の摂関家など権門勢力との関係を示す資料とし
て注目されます。
る す
留守氏館跡 今なお高さ約3m,幅約11mの土塁
が,延長40m残っています。堀も発見され,東西
約70m,南北100mの敷地と推定されます。
さわ
沢氏館跡 発掘調査の結果,80m四方の区画の敷
地であったことがわかりました。敷地に墓碑群が
あり,この中に「薩摩塔」と呼ばれる中国との交
流を示す石塔が残っています。
さいしよう じ
最 勝 寺氏館跡 堀の発見により,長辺85m,短辺
60m,幅50mの台形上の敷地が推定されます。
土塁(留守氏館跡)
堀跡(断面・桑幡氏館跡)
現在の鹿児島神宮の境内
大隅正八幡宮と弥勒院跡
大隅正八幡宮 現在の鹿児島神宮の社殿は宝暦6
(1756)年に建造されたもので,県の指定文化財
(建造物)になっています。境内裏の山林の発掘
調査が行われ,特に中世後半の中国産の陶磁器,
タイ産の陶器等や遺構が発見され,現在よりも境
内が広範囲に使用されていたことがわかりました。
弥勒院跡 現在,霧島市立宮内小学校が所在する
べつ とう
場所にあった寺院跡で,大隅正八幡宮の別当寺で
した。校舎の増築等に伴う発掘調査で池跡や多量
の土器,陶磁器が出土しました。特に大量の土器
ど こう
が出土した土坑や,タイ・ベトナム産の陶器も発
見されています。
土器が大量に出土した土坑
薩摩塔(沢氏館跡)
(弥勒院跡)
異文化交流の場
大隅正八幡宮一帯からは,国内各地の土器・陶
器や中国や東南アジア産の陶磁器が各所で出土し
ています。史跡指定に当たっては,遺物や史料か
ら京都や鎌倉,琉球や東南アジアとも交流を行う
異文化交流の場として機能していたことが,確認
できる稀有な遺跡と評価されています。
社家跡
くわ はた
桑幡氏館跡 発掘調査の結果,館を取り囲む堀が
発見されました。土塁も現存しており,この配置
から南北90m,東西100mの方形区画の敷地で防御
施設を有していたことがわかりました。中国産の
桑幡氏館跡出土の中国産陶磁器