Comment トキシコゲノミクスプロジェクト 副作用を予測する新たな創薬技術 解 説 独立行政法人医薬基盤研究所 トキシコゲノミクスプロジェクト 宮城島利一 2002年度から5年計画で開始されたトキシコゲノミクスプロジェクト(国立医薬品食 品衛生研究所、独立行政法人医薬基盤研究所および国内製薬企業17社〈合併により、現 在15社〉の産官共同プロジェクト)は、150化合物の毒性学(血液生化学値など)お よび遺伝子発現データの収集、それらのデータベースの構築とそれを用いた毒性予測シ ステムの開発という所期の目的を完遂して、2007年3月に終了します。これらのデー タベースおよびシステムは、各製薬企業において医薬品候補化合物の毒性メカニズムの 解析や毒性発現の評価・予測のための資源として、創薬研究に大きく貢献するものと期 待されます。こうしたより安全性の高い医薬品を迅速かつ効率的に開発するための取り 組みは製薬企業の社会的使命に沿うものであります。 1.トキシコゲノミクスとは トキシコゲノミクス(毒性ゲノム学)とは toxicology(毒性学)とgenomics(ゲノム学)の 合成語であり、ゲノミクス手法の毒性学への応用研 究です。 医薬品の安全性評価は、数種の動物試験において 血液生化学値、病理検査結果などの毒性学的パラメ ータへの影響を指標に行われてきました。このよう な安全性評価は長年の毒性学的知見の蓄積により洗 練化されているものの、データの評価・解釈は毒性 学者の経験に拠る面も大きく、不確実性を伴います。 また、未解明な毒性メカニズムが多く、動物実験の トキシコゲノミクスプロジェクト研究風景 結果からヒトへの適用やその信頼性は必ずしも高い わけではありません。そのため、非臨床試験からは 予期できなかった副作用が臨床試験時や市販後にお で、潜在的な毒性の予測、あるいは毒性に繋がるわ いて見出され、開発中止あるいは市場から撤退を余 ずかな兆候を鋭敏に捉えることができます。ヒトで 儀なくされる医薬品は少なくありません。従来型の 起こる可能性の高い毒性を研究開発の初期段階から 安全性試験の限界を科学的に補完・克服するための 予測できれば、より安全な臨床試験のデザインや、 創薬技術の一つとして、一度に数万の遺伝子に関す 副作用を回避する医薬品の処方が可能となり、医薬 る発現レベルを検出できるマイクロアレイ技術を応 品の候補化合物の臨床試験あるいは承認後の市場か 用した研究がトキシコゲノミクス手法です。 らの撤退による大きな損失を防ぐことができます。 ※ 遺伝子発現レベル では毒性が顕在化する前から変 動が認められるため、網羅的な遺伝子発現プロファ イルから毒性学的に意義のある情報を抽出すること JPMA News Letter No.118(2007/03) 8 2.トキシコゲノミクスプロジェクト トキシコゲノミクス研究を行うためには、網羅的 トキシコゲノミクスプロジェクト な遺伝子発現により得られる膨大な数値データから データおよびマイクロアレイデータは、莫大かつ多 毒性に繋がる情報を解析し、評価するために参照用 種多様なデータであるためそれぞれの項目において の大規模データベースを構築することが必要です。 複数のデータバリデーションを行い、データベース しかしながら、個々の製薬企業や研究機関で大規模 に格納しております。このように質・量を兼ね備え データベースを構築することは費用・期間の面から た充実したデータを含む当プロジェクトのデータベ 困難です。そこで2002年度から5年計画で、産官 ースは、医薬品の毒性データベースとしては世界中 共同のトキシコゲノミクスプロジェクトが始まりま で他に類を見ない規模です。 した。 本プロジェクトでは、肝・腎臓で副作用が報告さ れている医薬品や肝・腎臓への副作用のために開発 3.ポストトキシコゲノミクスプロジェクト 米国・食品医薬品局(FDA)では、2005年3月 を中断あるいは市場から撤退した医薬品に加え、 に製薬企業向けに医薬品承認・審査プロセスにおけ 肝・腎毒性が知られている毒性学的モデル化合物な るファーマコゲノミクスデータ提出の方法論および どから150化合物を被験化合物として利用しまし 提出されたデータの取り扱い等に関するガイダンス た。これらの化合物を投与したラットの肝臓および を公布しました。一方、マイクロアレイデータの信 腎臓、ラットおよびヒト培養肝細胞に関する網羅的 頼性に関して、Nature Biotechnology 誌の ȭ 遺伝子発現情報を Affymetrix社 の GeneChip マイ 2006年9月号に、米国のMicroArray Quality クロアレイにより取得するとともに、従来型の毒性 Control(MAQC) Projectの中間報告が掲載され、 パラメータについても測定を行うことで、トキシコ 医薬品研究用のツールとしてマイクロアレイの有用 ゲノミクス研究に特化したデータベースを構築しま 性や使用上の課題について言及しています。 した。これらのデータを基にクラスター分析、判別 今後、有効かつ安全な医薬品を探索・開発するた 分析や主成分分析などの手法を活用し、毒性の種類 めのアプローチとしてトキシコゲノミクスやファー や強さの予測、毒性類似化合物の予測などをするこ マコゲノミクスが医薬品の開発プロセスにおいて果 とにより、ゲノミクスデータから毒性を評価・予測 たす役割がますます重要になると考えられますので、 するシステムを開発しました。当プロジェクトのシ 本プロジェクトはこれまで蓄積したデータベース等 ステムを利用することにより、創薬研究の初期段階 の資源を有効に活用し、より精度が高く、ヒトへの において、単回投与(24時間)のデータから長期連 適用を考慮した安全性評価・予測に向けさらに挑戦 投の毒性予測や医薬品候補化合物のランク付けや選 を開始する予定です。 択などに活用できます。当プロジェクトの特筆すべ き点は、豊富な用量・時点を設けた試験計画の下で 投与実験を実施していることと、大規模マイクロア レイデータは全て同一プラットホームで測定し、厳 密な精度管理を行っていることです。さらに、毒性 トキシコゲノミクスプロジェクト ※遺伝子発現レベルとマイクロアレイ マイクロアレイはDNAチップとも呼ばれ、ガラスやシリコン製 の小基盤上にDNA分子を高密度に配置(アレイ、array)したも のであり、数千から数万種の遺伝子が読取られた結果、発現し たmRNA(遺伝子発現レベル)を同時に観察することができる。 JPMA News Letter No.118(2007/03) 9
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