CONTENTS 報恩講 伝統と創造∼ ∼ 御遠忌を支える人々 07子 どもご遠忌 ■ │ │ 1御 遠 が の 忌委員会 ら お知ら せ 1同 朋絵 │‐ 08編 集後記 ■ 八 肝躁 繁 = 孝 許 辞舞 訳 ― │1震 │れ ぜの│や 姜 な ■仏 該│あ ろ奪│れ ・一 ・ 一 ■■ . ・ . . 予 饉 ︱ 一一・一 一 ・一硼 代 │‐ ti 賢 ・治 御 遠 忌 の た め に 新 た に作 曲 され た 音 楽 法 要 を、大 勢 の ご 法 中 ご 参 詣 の 皆 さまと共 にお 勤 め す るこ とが で き、合 唱 団 一 同 、感 無 量 で す 。これ を機 に、参 加 者 全 員 が 声 を合 わ せ 歌 うこの 音 楽 法 要 が 、親 しまれ 広 まることを願 ってや み ませ ん。 合 唱 団「 ひ か り」代 表 北 畠裕 子 贔贔貪饉鰤颯 ││(午 前 >〕 中勢 1組 1部 南勢2組 〔午後 >〕 中勢 1組 3部 中勢2組 伊賀組 荼ニ 私 は、祖 父 の 死 を縁 に地 元 の お寺 で 聞 法 す る機 会 をい ただき、そ してこの 度 、4日 間 の 御 遠 忌 法 要 にお 参 りをさせ ていただきました 。私 はこれまで 仏 教 の 言 葉 を知 れ ば 人 生 の 問 題 は解 決 出 来 ると思 っ て い ました が 、なか なか解 決 出 来 ず にい ました。しか し法 要 を通 して、私 の「 聞 」の 姿 勢 に問 題 が あ っ た、教 えに私 の 姿 を聞 い て い くことが真 宗 門徒 の 間法 であると気 づ かされました。 長 島組 信 行 寺 門徒 小 澤 員 奈 美 ・ 鰤貪屹鰤贔凩 │〔 午前 >〕 三 講組 西 部 二 重組 3部 中勢 1組 3部 〔午 後 卜〕 =講 組 北 部 中勢 1組 2部 三 昼 夜 の 法 要 雅 楽 を終 えて 「 楽 の 声 、 法 音 にあ らざ ることなし」『無 量 寿 経 』 とい う課 題 に応 えることが できた だろうか 。『教 訓 砂 』 とい う楽 書 に、 「 伎 楽 を奏 して三 宝 を供 養 し楽 しむ」また、 「こ の 道 に入 るもの は 信 心 透 徹 させ 励 む べ き」 (要 約 )で あ るとい うように、 浄 土 の 音 楽 を奏 す るにあ たって 教 え を拠 り処 とし、 また、 教 えに生 きる ことによって 可 能 となる。 ます ます 課 題 は重 くなる。 今 後 の 研 鑽 が 期 待 され る。 ‐ 三 重 組 随 法 寺 住 職 阪 園成 lm K炒轟 炒 鰤・ 嵐 ‐ 員弁組 1部 三 講組 南 部 南勢 2組 〔午 後 >〕 南 勢 1組 1部 南勢 1組 2部 4 伝 「 陵王」を舞わせていただくことになり、舞楽 としての重み 。 桑名別 院において、およそ50年 伝承されてきた、 統 としての重みを感 じさせていただきました。法要を終えた今 、この感じた重みを、桑名別 院楽僧 として、また:こ の法 要 を経 験 した一 人 として、どのように伝 承 して い くかが、これからの 重 大 な課 題 であると感 じています 。 ‐ 南 勢 1組 法 受 寺 折 戸 沙 紀 子 員 弁 組 2部 願爾鷹滋爾量貯 ‐ ml桑 5 三 重 組 1部 二 重 組 2部 名 組 、長 島組 、四 日市 組 は自由参 拝 として 法 要 期 間 中 に参 拝 。 ﹁こ の絵 は 何 を 表 現 し て あ る の です か ?﹂と た び た び 尋 ね ら れ ま し た。﹁ あな た に と って、親 鸞 聖 人 と は ど う いう 人 な の です か ?﹂と 問 わ れ た 感 じが し ま し た 。 ﹁ド キ ッ﹂︱ あ な た は ど う 思われました ? ﹁ 真 宗 門徒 ﹂は、お寺 や、各 家 庭 に お い て、報 恩 講 を 大 切 に お勤 め し てき ま し た 。 今 回 のパ ネ ル 展 は 、寺 院 の 報 恩 講 を お 迎 え す る準 備 、 花 立 て 、華 束 、お 斎 な ど 、 た く さ ん の方 々 に よ って、 支 え ら れ て いる様 子を 展 示 誌 っ鴎 蟷 ダ 醐 め 、﹁ 伝統 ﹂の受 け取 り直 し、 ﹁ 創 造 ﹂に向 け 、新 た な 仏 事 を 展 開 す るき っか け にし た いと 願 う て 開 催 し ま し た 。 ﹁ 誕生 か ら命 終 ま で﹂の節 目 に ﹁いのち の意 味 ﹂を 問 い尋 ね る仏事 を。 桑 名 組 西 恩 寺 池 田 徹 業■ 爆 拳饉 風漱 , 6 重教 若 葉 生い 茂 る 五 月 、〓一 区・ 桑名 別院宗 祖親 鸞 聖 人 七 百 五十 回 子 ど もご 遠 忌 が 開 催 さ れ ま し た。 三 日 か ら 五 日 ま で 二泊 三 日 で行 わ れ た ﹁子ど も の つど い﹂ では、 県内 の子どもたちと共 に、 ﹁ 福 島 の こど も たちを 三重 ヘプ ロジ ェク ト ﹂に 参 加 の福 島 の 子ど も たちも来 てぐ れま した。 そ し て餃 子作 り や、わ ん こそう 、影 絵 劇 鑑 賞 の他 、子 め ん大 会 ︲ ︲ ︲ ど もご 遠 忌 法 要 で荘 厳 す る絵 け蝋燭 を製作 しま した。 付. 五 日に行 われ た ﹁ 子ど も フ ェ スタ﹂は、 約 一二〇名 の子ど もた ちが 桑名 別院 に集 いま した。雅 楽 が奏 でられ る中 、勤 めら れ た 子ど もご 遠 忌法 要 は、子ど も た ち が出 仕等 の役 目を担 いい未来 へつなが る法 要 とな りまし た﹁ 。 Ⅷ 猜 矧 受 募 効 埓 動 一 一 鰤 飩 濯 ・ ノ ︲ 楽しんだ後、 本堂で坊さんバン ド ニ組 によるライブ の上演。﹁で つなぎ マトチ﹂では参加 者 と ス . タ ッフが二 父わ って、手を繋ぎ な がら、フィナーレを迎えました。 子ど もご 遠 忌 は終 わりま した った二 人 一人 の感 が、こ に 集 こ 次 の御遠忌 に つな じた ことが、 が ってほし いと思 います。 四日市組信光寺 一高木 彩 二重 教 区 桑 名 別 一 聖 人七 院 宗 祖 親 鸞. 百 五十 回御 遠 忌 法 要 及び 記念 事 業 の 最 終 章 と な った 同 朋大 会 参 加 者 ・ 約四 〇 〇名 。本 堂 及び 聞 光 殿 で の活 気 あ る パ ネ ル デ イ. ス カラ シ ョ ン で の質 疑 応 一 答 を拝 聴 し て、 cの 三重 教 区 の過 去 ・ 現 見 たよ 在o 未来ガ・ え ︲ ・ 。 れます 在 うに思わ・ 家・ 僧 侶 双方 に反 省 及 び 前 向 きな 発 言 内 容 に感 心 し ま し た 。清 沢 満 之 先 生 の 言葉 に ﹁ 自 己 の何 た る か を 知 ら ず 、いず く ん ぞ 他 の何 た る を 知 る こと を 得 ん や ﹂の御 言 葉 が 思 わ ず 浮 かび ま し た 。︿フ 後 、ま す ま す 聖 人 の 教えを深く学び自 信 教 人 信 の道 を 歩 み た く 思 いま す 。 三重 教 区 同 朋 の会 推 進 員連 絡 協 議 会 伊 藤 達 雄 御 遠 忌 期 間 申 に 開 催 さ れ た ﹁み え 同 朋 の△ ご の学 習 会 で、﹁同 朋 会 運 動 の忘 れ物 ﹂ と いう キ ー ワ ー ド が あ った 。多 く の方 々 のご 苦 労 に よ っ て 円 成 し た 御 遠 忌 が 、 ま だ ま だ や り 残 し た 課 題 が た く さ・ んあ る こと を 教 え てく れ た 。そ の課 題 を 確 か め 、 克 服 に 一歩 を 歩 み 出 す こ と が で き た と き 、﹁御 遠 忌 を 勤 め た ﹂と 言 え る のだ ろ う と 思 った ¨ ・・ 一 ︲. 、 ・ 編集委員ながら、 私自身・・ 何もで きずに 他の委員にご迷惑をお掛けtました。 ・ ︵ 米 澤典 之︶ 御 遠 忌 法 要 、過 ぎ て み れ ば あ っと いう 間 でし た 。法 要 の期 間 中 に は 、本 当 に た く さ ん の人 と 出 会 う こと が で き ま し た 。当 日 は も と よ り 、法 要 の準 備 に か か わ って こら れ た 方 々 の生 き 生 き と し た 姿 に本 当 に 尊 いも のを 感 じ ま し た 。微 力 な が ら 今 回、御 遠 忌 だ よ り を 担 当 さ せ て いた だ き あ りが とうご ざ いま し たず 一 藤 井恵 麿 ︶ 一 ・ ・ ︵ 今 回、御 遠 忌だ よ り編 集 員 と し て、別 院 一 な ょ 近 ば とこで 場 畔 硼 瑞 鉱 崚 載 詢 れ % 旬 ︲ ︲ ︲ し ︲ ︲ ︲ 先 人 たち の努力 と熱 い願 いによ って護 持 さ れ てき た別 院 を 、︿ 7後 私 た ち の念 仏 道 場 の中 心 と し て いく事 こそ大 切 な事 で あ ると思 い知 らされま した。 ・ 一 ︵ 芳 岡恵基︶ ﹄弥 寄 一 緬 鼎 . │ 肇 三 重 教 区・桑 名 別 院 宗 祖 親 鸞 聖 人七 百 五十 回御 遠 忌 委 員 会 薯 します 。発 刊 の 際 は御 寺 院を通 じてご紹介をさせて いただ きたい と思 い ます。 締 忌 の確 かめ は これ から始 ま る のだと感 じ て います。第 一号 から今 回 の報 告 号 ︵ 第七 号︶ま で編集会議を 二三回開催 し てきま し た 。編 集 委 員 の皆 様 に感 謝 いた し ま す 。 ︵ 藤 河 一 テ︶ 参 拝 さ れ た方 々 の表 情 に は、仏 法 と の 出 遇 いに感 謝 す 気 持 が あ ふ れ出 て い る ち ま し た 。フ しれぞ ﹁ 顔色和悦 ︵ が んしきわえ つ と実 し ま し た。フ 感 Lのお便 りの 編 集 ご に携 わ り 、二 員重 な 経 験 が でき た こと を お 礼申 し上げ ます。 伊東幸典︶ ︵ ことば に は ﹁ 説 明﹂と ﹁ 表 現 ﹂が あ る八池 。七 百 五十 年 経 った今 、わ 田勇 諦 師︶ ホ祖 の ことば をど う 聞く のか ?私 の課 題 であ り . ます。ありが と ござ い し 。 う ま た ● ︵ 員耕 暁︶ 別院 紹介 を歴 史 から迫 ってと いう 企 画 でし たが 、cれか ら の教 区 と 別 院 のあ 方 を提示 出, き る企 画 ま でに至 ら な か っ, た 一 ことを痛感 し て います。 森 英雄︶ ︵ . こ のた び の御 遠 忌法 要 で は 、当 初 の予 想 を 上 回 る ほ ど の 多 く の方 々 に 東 本 願 寺 出 版 物 を お 買 い求 め いた だ き ま し た 。ま た 、 出 版 物 に対 する 様 々 なご 意 見 も 頂 戴 し 、一 二 重 教 区 で の 関 心 の高 さ を う か が い知 る こ と が で き ま し た っ今 回 のご 縁 を いた だ き 、 本 当 にあ り が と う ご ざ いま し た 。 東 本 願寺 出 版部 エ エ花 徳 秀 ■■‐ │■ │ユ ■■││.0‐ 07.β .│1桑 ‐ 名 市IJL寺 ‐ ‐ 町 4.711■ 桑1名 】r院 1内■■ l‐ 一 れ ヽて 御 逹 `き 記 録 籠 並 びに御 逹 忌 講 静 録 の発 刊 につ、 今般 の御遠 忌 の記録誌並びに御遠忌 の講話録を今 後 編集 スタッフにて作製 し てまい ります。記録誌 では 、お 待 ち受 け大会 か ら讃仰事業 、御遠忌法要、記念事 業を記録写真を中心 に構成 し、講話録ではお待ち受 け大会、御 遠 忌法要期 間中、 「 同朋大会と、 今般の御遠忌において頂戴した各講師のご法話をまとめて編集いた
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