沖 縄 の 辛 い 過 去

沖縄 の辛 い過去
初めて沖縄に行 って、激戦が行われたとは思えな い暖かい島でした。戦
争 の面影があるとしたら今問題にな っている基地ぐらいだと思 います。さ
っそく空港を出て少し時間が経 つと米軍 の飛行機らしき音が沖縄 の空から
聞こえました。
一日目は糸満市 のひめゆり平和祈念資料館に行きました。そこで実際ひ
めゆり部隊だ った人たち の戦争を体験したビデオを見ました。ひめゆり部
隊はちょうど私と同じくらいの女 の子が兵隊 のケガ の手当てをするために、
戦場に動員された学徒隊です。ビデオを見てすごく心が苦しくなりました。
話がとても現実的だ ったからです。友達がどんどん目の前で変わり果てた
姿で死んでしま ったり、疲労 のあまり倒れてしま ったりなど当日の様子が
は っきり目に見えるような気がしました。そしてたくさんの資料を見まし
た。中にはひめゆり部隊 の女 の子たちや先生などの写真が 一人ひとりたく
さん並んでいました。
二日目は読谷村 フィールドワークでガ マ体験や村役場などに行きました。
最初は集団自決があ ったチビチリガ マへ行きました。チビチリガ マにはた
くさんの千羽鶴がありました。そのチビチリガ マの前で比嘉さんのお話を
聞きました。比嘉さんはと っても感情を込めて話しをして下さ いました。
そしてチビチリガ マの前で全員で黙祷しました。次はシムクガ マというガ
マへ行きました。ここは千人ほどの村民が避難していました。比嘉平三さ
んと比嘉平治さんという ハワイの移民帰りの二人が米兵と交渉して千人も
の人たちは助かりました。私たちはそのシムクガ マの中 へ入りました。中
はと っても暗くて懐中電灯なしでは無理でした。でも当時 の人たちはこの
暗 いガ マで裸足で必死で生き延びようとして歩 いたんだなと思 いました。
そして行き止まりの所で、全員で懐中電灯 の明かりを消しました。何も見
えな い、何も聞こえな い中で私は何も考えずにじ っとしていました。次第
に、このガ マの中で千人の人たちが声を出さずにただ戦争が終わるのを待
っていたのだろうと感じました。ガ マから出る時 の出口の光が希望 の光の
ようでした。
午後に佐喜眞美術館 へ行きました。佐喜眞美術館 の中に大きい絵があり
ました。この絵は丸木位里さんと俊さんという二人の画家によ って描かれ
ました。絵 の名前は 「
沖縄戦 の図」といいます。すごく大きい絵で縦が約
四メートルあります。最初見たときの印象は残酷な感じでした。互いに殺
しあ ったり、血 の色に染ま ったりした海などが描かれていました。でもこ
れがあるからこそ、戦争を体験したことのな い私たちに戦争 の恐ろしさを
感じることができるのではな いかと思 います。この佐喜眞美術館 の裏側に
は今問題とな っている普天間基地があります。普天間基地 の周りに暮らし
ている人たちはすごく困 っていました。米軍 の飛行機がだ いたい十分置き
に着陸していました。米軍 の飛行機を見ていると戦争を体験した人たちに
と っては つらい過去をよみがえらせてしまう のではな いかと思 います。 一
刻も早く基地問題を解決してほしいなと願 っています。
沖縄修学旅行 の 一日目から二日目までは平和学習をして私がまだ知らな
い沖縄をたくさん学ぶことができました。本当は少し気持ちが重くなりま
した。私は戦争というものは嫌 いです。でも実際戦争を体験したことのな
い私がこんなことを言う のもどうにかと思う のでやはり実際に目で見て話
を聞 いたりするのが 一番勉強になると思 います。
戦争で 一番犠牲になるのは武器を持 っている軍人さんではなく小さ い子
供からお年寄りです。決して人と人が殺しあう事が決して功名ではな いか
と思 います。まだ世界 のどこかに人と人で争 っている国があり、世界が平
和になるのはほど遠 いと思 いますが、 いつか平和が来ると思 っています。
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