【東 ティモールでの救 護 活 動 より帰 国 して】 看護師 池田 載子 私 は、今 年 の4月 から7月 まで3ヵ月 間 、東 ティモールのディリにある国 際 赤 十 字 委 員 会 が運 営 す る病 院 で、病 棟 看 護 婦 として救 護 活 動 を行 ってきました。東 ティモールは、ポルトガルやインドネシア から 400 年 以 上 支 配 され 1999 年 の住 民 投 票 で、やっと独 立 した国 です。私 の派 遣 された時 には、 治 安 は比 較 的 落 ちつ いていました。しかし、病 院 の外 に 出 ると、熱 帯 特 有 の風 景 の中 に 、焼 き払 わ れた家 々が散 在 し、内 戦 の凄 まじさと、まるで平 和 が続 いていたかのような奇 妙 な印 象 を受 けたのを 覚 えています。 私 の働 いていた病 院 は、病 床 数 約 150 床 で、内 科 ・外 科 ・小 児 科 ・産 婦 人 科 ・結 核 隔 離 病 棟 ・IC U等 があり、地 域 の保 健 医 療 の中 心 的 役 割 を担 っていました。国 内 に医 療 施 設 は殆 ど無 く、交 通 手 段 も乏 しいため、ヘリコプター等 で患 者 が搬 送 されてきても、手 遅 れであることが少 なくありません。マ ラリアや結 核 、乳 幼 児 はその他 に肺 炎 による重 症 例 が大 半 を占 めていました。特 に結 核 は、予 防 等 の知 識 が乏 しいことが、蔓 延 し重 症 化 する大 きな一 因 でした。そのため、結 核 予 防 や地 域 での外 来 治 療 の確 立 に向 けて、他 のNGOと連 携 した活 動 も行 っていました。 現 地 での活 動 で最 も困 ったことは、東 ティモール人 の労 働 意 欲 があまり無 いことでした。勤 務 中 に 病 棟 を抜 け出 して、海 に泳 ぎに行 ったり、教 会 に礼 拝 に行 ったり。夜 勤 のスタッフが全 員 無 断 欠 勤 し、 他 の病 棟 から応 援 を 頼 んだり する事 もあり ました。また、指 示 の薬 がなくなると、勝 手 に 他 の薬 で代 用 してしまうので、患 者 に投 与 されている点 滴 が全 て同 じということが何 度 もありました。私 を含 め赤 十 字 から派 遣 された外 国 人 スタッフが、病 棟 内 のことを全 て行 ってしまえば、これらの問 題 は一 応 解 決 します。しかし、それでは赤 十 字 が撤 退 したあとには、現 地 には何 も残 らないのと同 じです。ひとつ ひとつ 、その場 で根 気 強 く理 由 を 説 明 し、彼 らが実 施 したことを一 緒 に確 認 し評 価 して、少 しずつ前 に進 むことが大 切 でした。それでも、出 来 るようになったと思 って気 を抜 くと、元 の木 阿 弥 になってしま います。派 遣 期 間 の3ヵ月 の間 に、改 善 点 が 100 あれば、そのうち2~3が最 終 的 に改 善 されたとい う感 じでしょうか。 東 ティモールの紛 争 は終 了 し、今 ではマスコミの話 題 に上 ることも殆 どありません。しかし、この先 どれほどの長 期 間 に渡 る支 援 が必 要 なのかを実 感 させられました。 前 回 、パキスタンで救 護 活 動 を行 ったときも、国 民 性 の違 いや宗 教 による考 えかたの違 いに戸 惑 いました 。今 回 も、 国 民 性 や宗 教 の 違 いに 戸 惑 いなが らも、そ の戸 惑 いから 学 ぶ こと の多 かった救 護 活 動 だったと思 います。 もともと、インドネシアの富 裕 層 向 けの病 院 だったため、 非 常 に外 観 の美 しいディリ中 央 病 院
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