山王神社本殿石縁改修 河高住吉神社石造明神鳥居修理 曽我八幡神社境内の社寺 2014.12 加東市教育委員会 丸山葭洲の世界 丸山葭洲 ( 文化 7 年 (1810) 6月~明治 25 年 (1892)11 月 21 日) 葭洲が郷土の画人として大正 12 年 (1923) 発刊の『加東郡誌 全』に紹介されてから久しい。 平成元年 (1989) に発刊された『滝野町史』では残念ながら全く触れられることはなかったが、 平成3年 (1991) に発刊された『市川町の絵馬』において、金澤勝氏は、葭洲の歴については前 書を引用するものの、絵馬が神崎郡市川町のみならず多可郡加美町 ( 現多可郡多可町加美区 )、 加西市などに奉納されていることを指摘している。その後、成澤勝嗣氏や安平勝利氏によって平 成 12 年 (2000) 度~平成 15 年 (2003) 度にかけて実施された多可町加美区の書画悉皆調査や、平 成 15 年に発刊された『加西市史』によって葭洲の絵馬や画が採録され、やっと作者として脚光 を得たといえよう。 さて、 『加東郡誌 全』の全文を紹介すると「丸山善治郎は画人なり。葮 ( 葭の誤字 ) 洲と号す。 文化7年 (1810) 6月滝野村河高に生る。父を宇七といい、叔父善七に養われる。初画を加西郡 富家の人、高見幽畝 ( 名は友輔 ) に学び、後景文の門に入り、技大に進む。技熟して郷に還り、 丹青を事として、門人を教う。門人に文山歓之等あり。文山の子文岳青年画家として技大に進め りという。」とある。 『加西市史』には「加西市の高見幽畝に学び、上京、松村景文の門下となる。その後、帰国し、 絵画活動を進める。」とある。『加美町の絵画・書』では「丸山葭洲 (1810 ~ 1889 以降 ) は播磨 の郷土画人。通称は善治郎。子幹とか左近とも阮良と名乗った。はじめ地元の高見幽畝に絵を学ぶ。 のち京都へ出て、四条派の松村景文 ( 呉春の異母弟 ) の門下に入った。修行を終えて滝野に帰り、 この周辺地域で多くの絵馬を残している。」とある。 葭洲、本名は丸山善治郎、諱を阮良または子幹、号を葭洲という。戒名は五峰山華蔵院にある 過去帳に「達彩画翁居士」、「丸山善太郎父/葭洲ト号ス画人ナリ」と記されているほか、丸山健 次家墓地の五輪塔に「達彩画翁居士」と刻み、絵画に才を成したことが読み取れる。居宅は丸山 博己氏宅のやや北、現在は水田になっているあたりと伝える。 上滝野・二反田遺跡 調査位置図 上滝野・二反田遺跡 調査地全景 2 平成27年度文化財事業概要について ・ 文化財事業 6,159,000円 ① 厚利山王神社本殿修理事業 工事-片山建設 設計監理-内藤設計株式会社 ② 上鴨川住吉神社本殿保存修理事業 ③ 道標再建事業 5件(山国、出水、上久米、天神、新定) ④ 後継者育成事業 秋津百石踊・朝光寺鬼追踊・黒谷柱祭・上鴨川住吉神社神事舞 ⑤ 防火設備管理事業 朝光寺、上鴨川住吉神社本殿、若宮八幡宮本殿 ・ 埋蔵文化財事業 3,300,000円 ① 埋蔵文化財調査事業 ② 出土遺物移設事業 ・ 資料館運営事業 5,559,000円 ① 加古川流域滝野歴史民俗資料館 ② 耐震診断 ③ 三草藩武家屋敷
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