これまでの研究成果

1854年安政東海地震に伴う
余震の特徴と推移
総合科学専攻2年
30516008
葛馬 拓
Ⅰ.研究目的
①東海地震を題材とする意義
今後予想される東海地震は、M8クラスの巨大
地震である可能性が高い。本震がM8ともなれば余震
はM7クラスのものが起きることもあり、そのおき方を
知ることは重要である。
②1854年安政東海地震を題材とする意義
今回、その中でも安政東海地震を取り上げた理由は、
過去9シリーズおきている東海・南海地震の中で最も
史料が豊富である。そこで、精密な調査をすることで
現代の防災に生かすことが出来ると考えられるからあ
る。
Ⅱ.これまでの研究成果
1.100~150年周期で起こる
2.基本的に前駆的地震はなし
3.必ず津波を伴う
4.本震後1~3ヶ月間が最も余
震活動が活発である
5.安政型(東海・南海に時間差
あり)と宝永型(時間差なし)に分
けられ、時間差がある場合東海
の方が先に起こる
6.明応東海地震の異説の本震
(本震の2ヶ月前に起こった地
震)については余震の起き方か
ら別の地震である可能性が高い
谷田(2006)ほか
図1東海・南海地震の震源域と地震発生年表 小山(2006)
上段の日本地図の数値はフィリピン海プレートの移動速度
Ⅲ.研究対象とする史料
この2つの史料は、安政東海地震の震源域である静岡
県内で書かれた史料の中でも特に記述が詳細である。
・『袖日記(7番)』‐駿州大宮町横関本家
嘉永7年(1854)8月~安政4年(1857)11月の3年5ヶ月
余に渡って、枡弥(酒造家)の当主の周囲に生じた問題、
また大宮町をはじめとした関係する村々の社会的動向
について記した日記。(富士宮市教育委員会発行)
・『日記・見聞雑記』‐原宿植松家
富豪植松家の当主によって書かれた見聞雑記と日記6
冊ずつをまとめたもの。今回は安政地震が対象なので
安政2年見聞雑記・弐、嘉永7年分の日記2冊、安政元年
分の日記1冊を対象とした。(沼津市教育委員会発行)
Ⅳ.研究方法
①今回は先に示した2つの史料についてその関
係する部分を読み、地震についての記述を抜き出す。
②地震の年月日・時間・規模等についてまとめた地震
カタログを作成する。さらに、カタログを作成する上で
地震以外の天変地異(洪水・風災・日食・月食等)に
関しても記録する。
このような方法をとる理由
②を行うことで、著者の天変地異に対する感度を得ら
れ、日食・月食からはその史料の正確性がわかる。ま
た、複数の史料を調べることで欠落した地震を掘り起
こしたり、逆に偽の地震等を見つけることが出来る。
Ⅴ.作業結果(1)-地震カタログの作成『袖日記』、『日記・見聞雑記』について地震カタ
ログを作成した。
図2 『袖日記』地震カタログ(冒頭部分)
年号
記述の場所
P12・ru7
天気
月日
嘉永甲寅七年 11・4
時間
晴天 朝静也
P13・lu12
P13・ld6
11・5
11・6
晴天
晴天
P14・lu5
11・7
晴天
P14・ld5
11・8
薄曇り
朝雨降 八ツ
11・9
過 晴曇
P15・ru10
11・1
0
11・1
1
P15・lu8
P15・lu1
晴天
地震の
記述
地震の
回数
大地震
夜明方
地震ゆる
昨夜
昼夜
地しん大小 10程度
地しん
七八度
少しツヽ、
地しん
数度ゆる
地震
折々ゆる
地しん大1
ツ、小三度
今夜
自然現
象
地響雷の如く 初メ二ツ
小ニして三ツめ地割
ル・・・
大ニ枕ニ響く
今夕日輪の色朱の如く赤
シ
五ツ時
今夜
地震の具体的な記述
その他
七つ時地震やむ 本震(M8.4)
万の村・・・(村々の被害
の程度)
大阪ハ五日の津浪のよし
地しんなし
寒気 晴天 昼
夕七ツ時 小地しん
風立
一ツ
図3 『日記・見聞雑記』地震カタログ(冒頭部分)
記述の場所 年号
日記第一巻
P137/lu2 嘉永7年
P137/ld6
月日
天気
時間
地震の記述 地震の回数 地震の具体的な記述
4・28 朝 大雨
朝大雨 東風 ・・・
5・1
終日之大雨濠〃
自然現象
冨士川開・・・大雨ニて出水相増
日帯そく明六時・・・・
大川出水
朝曇天細雨降来西南
夜八ツ時
風在、昼頃より雨降
P143/lu7
6・14
P144/ru9
6・29 朝曇天南風浪声
日記第二巻
大地震有
当十四日之夜の大地震ハ桑
名宿より先〃ハ・・・
矛盾点・関
係箇所
その他
Ⅴ.作業結果(2)-資料の原文(本震、最大余震)『袖日記』 大地震の日
「朝静也 五ツ時(午前10時±2時間)大地震地しん大
工弐人迯出ス 長屋内ニてころぶ・・・今夕七ツ時地震
止む・・・夜明方地震ゆる 地うなり大ニ枕に響く・・・」
『袖日記』 最大余震(九月廿八日)
「今日夕六ツ時大ニ地震ゆる 一がいニ強シ 去冬以
来の大地震也 今夜半頃地震一ツゆる」
『日記・見聞雑記』
「巳之上刻(午前9~10時)大地震、誠ニ稀成大変ニ相
成忽静ニ相成候処、居宅ハ大破、・・・」
Ⅴ.作業結果(3)-余震回数グラフ・『袖日記』回数
50
本
震
図4 月別余震回数
余震回数
40
30
20
最大余震
10
0
1ヶ月目
8ヶ月目
15ヶ月目
22ヶ月目
時間(月)
本震後2年という
長期的に見ても、4ヶ月と
いう短期的にもても余震
の数は徐々に減っている
余震数は本震後1~2ヶ
月が最も多い
図5 本震後4ヶ月までの余震回数
回数
35
地震回数
30
記述回数
25
20
15
10
5
0
1週目 4週目 8週目 11週目 14週目 時間
(週)
最大余震は本震から
10ヵ月後の余震活動が治
まった時期に起きている
Ⅴ.作業結果(4)-地震規模グラフ・『袖日記』回数
図6 地震規模グラフ
12
10
1854
本震
1855
1856
1857
大地震
中地震
小地震
未分類
8
6
最大余震
4
2
0
11・4
11・19
12・12
1・10
4・17
6・13
8・4
11・20
4・10
9・1
閏5・18
時間(日)
2年という期間で見ているが、人に感知されやすい
のか大地震という記載が目立つ。余震活動であっても
大地震と書かれるものがある。
注)未分類は単に“地震”や“地震ゆる”などをさす。こ
れらは文脈からどのような規模であったかわからないも
のも多数含まれている。逆に大・中・小と分けているも
のについては、文中にその記載があるものをさす。
Ⅴ.作業結果(5)-全体を通して・『袖日記』 



現富士宮市付近では、地震後1年近くたって
も非常に大きな余震がある。(安政2年9月28
日)(この頃には余震活動もだいぶ小康状態になっ
ている)しかし、基本的には1~2ヶ月まででだいぶ
数は減っていく。
日食1回(安政3年9月)、月食2回(安政元年4月、
安政2年9月)の記述があり、これらは全て正しい時
期に書かれていた。
安政東海地震によって、富士川の西岸が隆起し流
れが変わり東岸地方で以後洪水がたびたび起こっ
ている。
安政江戸地震についての記述がある。
Ⅴ.作業結果(6)-余震回数グラフ・『日記・見聞雑記』欠落期間
回数
40
35
30
25
20
15
10
5
0
図7 余震回数
余震回数
欠落期間:11/11~11/26
記述そのものがない期間。
11・4
11・8
12・6
12・11
時間(日)
『袖日記』と同様、余震は徐々に減る傾向があるが、
回数自体は若干多い。また、“度〃”や“相止不”など
の記述が多く、数えられないくらい多くの余震があっ
たことがわかった。
注)上記の理由から、グラフの回数は目安。回数がわ
かったところはその回数を採用している。
Ⅴ.作業結果(7)-全体を通して・『日記・見聞雑記』11月4日の本震後、5・6・8・9・10日と地震を感
じている。また、いずれの感じ方も“度ヽ震動有”
や“今日も震動相止不”などであり、かなりの有感地震
が発生し余震活動は活発であったことがわかった。
11月7日に舞阪の宿に津波があったことが記述され
ていた(旅人からの伝聞)。
11月11日~11月25日までの記述がなく、また、安政
2年1月以降の史料には地震の記載がないその点を
考慮し扱わなければならない。
嘉永7年の6月14日に大地震という記述があった。
→伊賀上野で起きた地震の記述。
袖日記と本震の日時は同じであった。
Ⅵ.2つの史料を比較して
11月4日の本震以降毎日余震の記録があった。
11月9日にどちらの史料も強い余震があった。
(今夜地しん大一ツ・・・/八ツ時分又〃大地震)
余震の感じ方(回数)に差が見られた日があった。
→詳細は次ページ参照。
地震の発生事体の記述に差異が見られた日が
あった。→詳細は次ページ参照。
余震の感じ方(回数)に差が見られた日
『袖日記』
『日記見聞雑記』
11月5日 大小十程度
都合廿一度
12月6日 地震ゆる
弐度地震有
12月11日 地震大中二度
八ツ半過、四ツ時(余程之
地震)、四ツ半過
表1
地震の発生事体の記述に違いが見られた日
表2
11月10日
12月1日
12月4日
12月5日
12月9日
12月13日
12月19日
12月21日
『袖日記』
『日記・見聞雑記』
×
×
×
○
×
×
×
×
○
○
○
×
○
○
○
○
注)○は記述があった日、×はなかった日