濃尾地震について

濃尾地震について
02T3060A 中山 祐司
濃尾地震の規模
濃尾地震は、1891年(明治24年)10月28日
午前6時38分に発生しました。震央は岐阜県
本巣郡根尾村で、岐阜県・愛知県を中心にお
きました。
この地震は日本の内陸部で発生したものと
しては最大級の規模のマグニチュード8.0でし
た。
濃尾地震の被害~その1~
濃尾地震による死者は7273名、負傷者は
17175名、全壊家屋は142177棟、半壊家屋
は80324棟という大被害を生じました。
名古屋をはじめ都市部では文明開化の象
徴ともいえる様式の煉瓦建造物の被害が目
立ちました。
濃尾地震の被害~その2~
震源にあたる根尾谷では大きな断層崖が現
れ、また、倒壊した家屋は、根尾谷断層に沿
う帯状の地帯と濃尾平野一帯で高い割合を
示しました。濃尾平野では、震源地や断層線
沿いから遠く離れていたにもかかわらず、軟
らかい地盤にともなうゆれ方と関係して被害
が大きくなり、建物ばかりでなく交通機関や河
川の堤防などにも甚大な被害が及んだので
す。
濃尾地震の被害~その3~
1995年の兵庫県南部地震では、神戸市と
いう大都市を中心に、濃尾地震による死者の
数と似た6432名という犠牲者がでました。濃
尾地震当時の人口密度、都市の規模などを
考えると、濃尾地震は兵庫県南部地震とは
比べものにならないほど甚大な被害をもたら
した地震であったことになるのです。
直下型地震
直下型地震は、日本列島の直下で蓄積され
た圧縮力が解放される際に発生すると考えら
れています。主に陸上に分布する活断層が
ずれることで起こることが多く、土地の変化に
大きく関与する地震です。濃尾地震は日本に
おける最大級の直下型地震であり、その規模
がかなり大きかったことにより、土地の変化
がかなり顕著に現れたのです。
根尾谷断層系の概要
濃尾地震の地震断層と
なった根尾谷断層系は、
主に、温見断層・黒津断
層・根尾谷断層・長滝断
層・梅原断層からなって
います。ここでは、根尾
谷断層と梅原断層につ
いて書きます。
根尾谷断層
根尾谷断層は、福井・岐阜県境の能郷白山
(標高1617m)付近から、根尾村内をおおよそ
根尾川に沿って南下し、町北部から岐阜市北
端部へと全長約40kmにわたって続いている
活断層です。また、根尾谷断層は、濃尾地震
とともに有名な水鳥の断層崖をはじめとして
多くの明瞭な大地の変化を生じたことで、日
本を代表する地震断層になっているのです。
梅原断層
梅原断層は、根尾谷断層の南東部において、
その北東側に約2km隔てて雁行状に配列し、
山県市南西部から東南東へ、岐阜市北東部、
関市を経て、坂祝町へと続く全長約30kmに
及ぶ活断層です。断層の大部分が平地部を
通過しています。
根尾谷断層と梅原断層