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第五課
緑と青の自然
日本列島の自然は、どんな特色を持っていたで
あろうか。また、その自然は、日本人の生活様式
やものの考え方に、どのような影響を与えてきた
であろうか。
文章の構成
一、前半:日本の自然の 特色
二、後半:日本人の 自然観
一、日本の自然の特色
1、植物資源
2、植物への依存度
3、日本の自然の色
①緑・青・茶色
②紫
4、まとめ:日本の自然
植物資源
まず、日本列島が、熱帯と寒冷地域との中間に
あって、湿潤であり、植物の繁茂に極めて適して
いることを指摘しなければならない。
日光は強すぎず弱すぎず、しかも年間を通して
適度の降雨があり、地球上でもっとも植物の豊か
な地域のひとつである。
植物への依存度
だから、日本人の生活は、昔からすべてにわたって
植物への依存度が高かった。
家屋は木材を使って
建てられている。衣料では、麻や木綿のような植物
繊維がはなはだ重要な材料となっている。食生活に
ついても同様である。農耕が日本人の暮らしの中心
になったことも、その結果として当然であった。
日本の自然の色
日本の自然の特色をもう少し考えてみよう。日本
人の誰かに「自然の色は何色か」と尋ねてみると、
一番多い答えは緑である。緑についで多いのが青で
あり、さらに茶色である。このことは何を意味して
いるだろうか。
緑・青・茶色
自然界を彩る緑の正体は、植物の葉である。つまり、
日本人が「自然の色は?」と聞かれて、真っ先に緑を
思い浮かべるのは、日本の山野にいかに植物が多いか
の表れである。
緑・青・茶色
さらに、青を思い浮かべるのは、晴れた日の空の色が
美しく、また、地上にきれいな水が豊富にあることを
表している。
緑・青・茶色
そして、茶色は、言うまでもなく土の色である。
緑
青
茶
紫
水に関連して、水蒸気の存在も挙げなければなら
ない。
よく歌の文句にも「山紫に水清く」などと
いう言葉が登場するが、「水清く」はよいとして、
山が紫とはどういうことであろうか。
紫
それは、山肌を覆っている植物の緑の上に、もう
一つ別の要素が加わることを示している。そして、
別の要素というのは、水蒸気が正体である「かす
み」である。日本の気候が湿潤であることの証拠と
言えよう。
紫
かすみのような現象によって、植物の鮮やかな緑
が、くすんだ紫色に変えられる。
つまり、本来の
鮮明な色彩が和らげられるわけである。日本の自然
は、鮮やかな原色よりも、むしろ中間色が多いとい
うことになろう。
日本の自然
水と植物、この二つは、人間の生命を支えるために
欠くことのできない資源である。
これが豊かにある
ことは、日本列島が人間の暮らしにとって、まことに
恵まれた土地であることを示している。
日本の自然
それに加えて、中間色で和らげられた風景が周囲を
取り巻き、それが日本人に、自然を極めて穏やかなも
のとして印象づけているのである。
文章の構成
一、前半:日本の自然の
特色
二、後半:日本人の 自然観
①自然を人間の
味方 と見なす
(原因: 日本は自然に恵まれる )
②
衣服
の例
③
住居
の例
④
ヨーロッパ
との比較
自然に恵まれる
このように、時には台風や地震などの災害はあって
も、総じて日本人は、自然に恵まれてきた民族である
といえよう。 その結果として、日本人には、自然を
人間と対立するものとみなす思想は生まれなかった。
自然を敵であるとは考えないのである。
自然に恵まれる
むしろ、自然を人間の味方として考え、人間が
暮らしてゆく上で、頼りにし、甘えることのでき
るものとしてとらえようとする傾向が強いのであ
る。
衣服の例
そのひとつの例として、衣服のことを思い浮かべて
みよう。衣服の材料のことは先にも触れたが、ここで
はそれよりも、衣服に描かれている模様に注目したい
と思う。成人式や結婚パーティなどに着用する晴れ着
の場合が一番はっきりしているが、女性の和服に描か
れている模様には、植物を図案化したものが圧倒的に
多い。
日ごろ何気なく見過ごしているこのような習慣を分析
してみると、日本人は、年じゅう自分の身の回りに自然
というものを置いて、それを楽しんでいることがわかる。
こんな習慣がごく自然に受け入れられているのは、
日本人の心の中に、自然は人間を祝福してくれるもの
である、という気持ちが無意識の前提としてあるから
ではなかろうか。
だいたい人間は、本能的に、不愉快なものを身に
まとおうとは思わないはずである。
日本の家屋の特色
(1)家屋の内と外の仕切りが曖昧だ。
原因: ふすまや障子が取り外しやすい
(2)自然の風物を家に持ち込む
例: ふすま絵
次に住居について考えてみよう。日本の家屋の特色
として、戸外と屋内の区別が極めて曖昧であることが
挙げられる。これは、西洋建築と比較してみるとよい。
西洋建築の特色は、壁で四方を仕切ることである。
これが基本原則となっている。つまり、外界とはほぼ
完全に遮断された人間だけの城をつくっているわけで
ある。これに対して、日本の家屋は、壁もむろんある
けれども、唐紙や障子を開け放してしまえば、家屋の
内と外とのしきりはほとんどなくなってしまう。
障子
それに加えて、障子を閉め切った場合にも、自然の
風物を家の内部にまで持ち込もうとする傾向がある。
例えば、古い家や寺院の襖絵などを見ると、そこには、
自然の風物がいかにたくさん描かれていることか。
せいぜい油絵の額が飾ってある程度の洋間の壁とは、
大違いで、日本人は、家の中にいても、自分たちの周
囲に絶えず自然を置きたがっているわけである。
障子・ふすま
これらのことも、日本人が自然を親しいものと考え、
常にその恩恵に触れていたいと念願していることの表
れではないだろうか。
ヨーロッパとの比較
(1)ヨーロッパの
(2)ヨーロッパの自然観
 自然を
 自然を
と見なす。
一方、
も大切だ。
ところで、ヨーロッパでは、日本と事情が違っていた
と考えられる。例えば、日本とヨーロッパの自然環境を
比較するひとつの目安として、両者の緯度を調べてみよ
う。
地図で、ヨーロッパが日本に比べて、全体として
いかに北に寄っているかは、一目瞭然である。
勿論気温とか天候とかは、緯度だけで決まるもの
でなく、 海流とか、風とか、そのほか様々な要因が
絡み合っているから、一概には言えないが、しかし、
全体的に見て、ヨーロッパが、日本ほどは自然環境に
恵まれていないことが推察できるであろう。

こういうことから、ヨーロッパでは、自然は人間と
対立するものであるという思想が広まりやすかった。
人間が生きてゆくためには、自然と戦い、これを征服
し、人間にとって利用できる部分は利用し尽くし、利
用しにくい部分は利用しやすいように改造しなければ
ならない、という考えが育ってきた。
しかし、これと同時に、人間が生きるために、自然
を有効に利用するには、無制限に奪い取るばかりでは
だめで、一方では自然を保護しなければならぬ、さら
に保護するだけではなく、積極的にこれを育成しなけ
ればならぬ、とする考えが芽生えてきた。
そうしなければ、もともと豊かでない自然を、長期
にわたって利用しつづけることができなかったわけで
ある。そういうところから、ヨーロッパにおいては、
自然の開発と並んで、自然の保護が昔から切実な問題
であったのである。
ところが、日本の場合は、自然に非常に恵まれていた
ために、人間のほうから特に働きかけなくても、自然
はひとりでに恩恵を与えてくれるものだ、という思想
が長い間に常識のようになり、日本人の考え方を支配
するようになったのである。
この歌には、桜の花の散るのを惜し
む気持ちが込められている。しかしだ
からといってこの作者は、桜の散るの
を遅らせようとして、何らかの手段を
講じようとは夢にも思わなかったであ
ろう。

桜が散ればそのあとに、…次から次へといくらでも
花が咲く。そしてまた、来年になれば、桜は再び必ず
花開く。
——この歌の背後には、そういう、自然に
対する絶対の安心感とでもいうべきものがあったので
はなかろうか。
現在、日本では、山野の樹木が、次々と切り倒され、
山という山が崩されてゆく。自然の緑が失われるばかり
でなく、水害や土砂崩れなどの災害が副次的に起こって
くる。
そういう問題なども、もとをただせば、日本人のこの
ような自然に対する安心感が、 自然への過度の甘えに
なったためだとも考えられるのである。