「アジアの歴史」第5回 孫文・宮崎滔天・梅屋庄吉: 辛亥革命と日本 孫文:「国父」、「革命の先駆者」 孫文(1866―1925)号は逸仙、中山。広東省香山 県貧しい農家の次男として生まれ。1897年(明治 30)アメリカを経て来日し、宮崎寅蔵らと交わ り、1905年東京で中国同盟会を結成し、三民主義 や革命方略を定めた。11年10月にアメリカにいて 辛亥革命の勃発を知り、西欧を巡り帰国。臨時大 総統に推されて、12年1月1日中華民国を発足。24 年1月、中国国民党を改組して、中国共産党と提携 し、労働者、農民の結集を図って、国民革命を推 進することとした。11月、北上宣言を発して北上 の途に、日本に立ち寄って「大アジア主義」と題 された講演を行い、25年3月12日「革命いまだなら ず」と遺嘱して北京に客死。 「孫大砲」:アジアの連帯、アジア 共同体建設の理想 「私の友人の中に、貴国の方が最も多い ので、中国の革命事業に対して、日本人 のほうはほかの国の人より関心を持って いるのであり、われわれを喜ばせる処も もっと深いものである。将来の唇歯輔車 の間柄は、これに基づくものであろうと 信じている。」 日本は第二のふるさと、革命運 動の大本営 生涯来日は十数回、延べ滞在時間は十年 以上、日本は第二のふるさと 知り合いの日本人は300余人 「中山ちゅうざん」は「中山なかやま」だっ た?! 孫文をめぐる日本人:宮崎滔天 「孫逸仙の如きは、実にすでに天真の境に近き ものなり。彼、何ぞその識見の卓抜なる、彼、何 ぞその抱負の遠大なる、しかして彼、何ぞその 情念の切実なる。我が国人士中、彼の如きもの 果たして幾人かある、誠にこれ東亜の珍宝なり、 と。余は実にこの時を以って彼に許せり。」(『三 十三年の夢』) 孫文をめぐる日本人:梅屋庄吉 「君は革命の兵を 挙げよ。我は財を 挙げて支援す」 孫文をめぐる日本人:三つのグ ループ 自由民権主義派:宮崎滔天、萱野長 知、梅屋庄吉グループ 国権主義派:頭山満、内田良平グ ループ 政界、財界人物グループ:犬養毅、 大隈重信など 孫文:日本に対する愛と恨み 「あなたがた日本民族は、欧米の覇道 の文化を取り入れていると同時に、ア ジアの王道文化の本質ももっていま す。日本がこれからのち、世界の文化 の前途に対して、いったい西洋の覇道 の番犬となるのか、東洋の王道の干城 となるのか、あなたがた日本国民がよ く考え、慎重に選ぶことにかかってい るのです」。 真の日中友好を求めて 宮崎滔天家の子孫たちと 梅屋家の子孫たちと 2006年11月14日南京中山陵にて
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