濃尾地震 02T3006G 市川 純子 濃尾地震概要 発生日時: 発生時間: 震央: 地震規模: 死者: 負傷者: 建物全壊: 建物半壊: 1891年(明治24年)10月28 午前6時37分 岐阜県本巣郡根尾村 直下型 マグニチュード8.0 7,273名 17,175名 14万棟 8万棟 特徴: 日本の陸地で発生した最大の地 震であり、仙台以北を除く日本全土で地 震動を感じました。 濃尾地震の震度分布図 被害が拡大した理由 地震の規模が大きかったこと。 火災が猛威を振るったこと。 洋風建築物の崩壊という今までなかった 災害が加わったこと。 根尾谷断層 『根尾谷断層』 の概略分布図 濃尾地震で人びとを驚 かせたことは,ゆれた と同時に大地に大きな ずれ (断層) が生じた ことでした.左の図の ように,福井県池田町 から岐阜県関市に至 る長大な帯状の大地 に,1回の地震でかな り明瞭な断層が現れま した 建物の被害 濃尾地震の建物被害は、木造家屋はもと より、ヨーロッパから輸入されたれんが造や石 造の建物が大きな被害をうけました。 洋式建築物の被害で 特に目立ったものは、 レンガ造りの建物で あり、紡績会社や公 共の建物でした。 藤井陽一郎(日本の 地震学 紀伊国屋新 書 1967)によると、 『明治二十四年とい えば、それまでの政 府直営であった鉱山 業、製鉄業、紡績業 などが民営に移管さ れ、特に紡績業では 明治二十年頃から洋 式機械による大工業 が圧倒的となりはじ めた日本資本主義の 勃興期にあたる。 そのため、一方では工場労働が普及するにつ れそこに働く労働者のための工場建設に資本化 が十分な考慮を払うことなく利潤追求のための 設備拡充を行い、また一方、建設業者も、それを 安くあげるために手を抜いたというのがその辺の 事情である。』 と述べられている。 西洋文明の直輸入に対する大きな警鐘となると ともに工事が不完全であったことが見いだされま した。 根尾谷 板所の山崩れ 明治41年8月 葉栗郡北方村震災及道路破壊の図
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