史学講義8 近代世界システム2 第4回 上田信(立教大学) 第1章 モノから見た東ユーラシア② 砂糖をめぐる交易史 1.世界システムと東ユーラシア アジアは世界帝国か? • ウォーラーステインのなかで、ヨーロッパ以外 の地域は、「外部」としてのみ描かれ、世界シ ステムの拡大に対して、受動的な立場に位置 づけられている。 • 「外部」の自律的な動きをみるためには、どの ような範囲で見るのか。 • 環北大西洋地域以外は、世界帝国か? • 「外部」が世界システム形成に与えた影響は ないのか? 授業全体の構想 • 場所=東ユーラシア • 時期=モンゴル帝国から現代まで 半径4000km 東ユーラシア最大域 半径3000km 東ユーラシア海域 半径2000km 東ユーラシア大陸部 半径1000km 雲南の外延部 半径500km 雲南のコア地域 昆明 質問から:銀の大循環について • 「銀の大循環」では、絹織物や陶磁器とが銀 で交易されています。これは互酬に含まれる のですか?含まれているとしたら、交易の定 義(生態学的なまとまりを越えて物質のやりと りが行われること)から、この互酬が中心と外 部との関係を決定づける要因にはなり得ない ですね?それとも互酬ではなく、貢納に含ま れるのですか? 「銀の大循環」 • 集中と再分配 • 元朝=創建者のフビライ • 経緯: 1259年8月 モンゴル皇帝モンケの急死 1260年1月 フビライは、独自にクリルタイを 主催し、モンゴル帝国の盟主となる。 しかし、西方ではモンゴル諸家が分立。 宗主権を認めさせるために、利益の分配。 東ユーラシア史の時期区分 1253 フビライの雲南侵攻 銀大循環メカニズム 1371 明朝の海禁令 脱・銀メカニズム 1567 朝貢外の交易を容認 互市システムの開始 1684 清朝、展海令を施行 海域世界の消滅 1842 南京条約の締結 環球システムの開始 1945 太平洋・日中戦争終結 環球システムの完成 現代 (北京オリンピック) 華人ネットの可視化 受講生の質問から • 今回は「~システム」が多かった。システムと は何だろうか。未だによく分からない。仕組み について言っているのか、何と絡めたはなし なのか。景気変動が関わっているのだから、 経済についてなのか。 • また、「市場」というものも、いまいち分からな い。野菜などの卸売り市場を思い浮かべてし まう。 受講生のコメントから • 経済の基本が「交換」で成り立っているとした ら、世界商品の交流がある地点で「外部」が「 受容的」ということはあっても、「受動的」であ ることはないはずだ、と思いました。 承前 • 世界をさまざまな方法で分割し、世界システ ム論をそれぞれに適応させるという研究方法 は、世界システムがそれぞれの枠組みの中 で作動しているという前提のもとに行われて いると思います。そのとき、それぞれの世界 システム同士の関係は、どのようなものにな っているのでしょうか。 承前 • 経済を「システム」として捉えると言うことは、 そこに「主体」を求めるわけにはいかないは ずですから、言葉を換えるならば、「主体」な き関係は世界経済のもとではどのようになっ ているのか、ということになるかと思います。 承前 • このような問を立てるのも、世界システム、あ るいは世界帝国に表象を与えることは本当に 可能なのか、という疑問があると同時に、もし それか可能だとしたら、どのような効果がある か、ということに興味があるからです。 システムとメカニズム • システムの要件 ①複数の要素から成り立つ。 ②要素のあいだに関係がある。 ③フィードバック。 ④統御者がいなくても自律的に維持される。 • メカニズムの性格 ①・②はシステムと同じ。 ③フィードバックがなく、統御者が管理する。 2.明朝のメカニズム 7.銀の再登場 日本銀の登場 • 一五二○年代、中国では嘉靖年間の初期、 日本では大永年間、博多の商人の神谷寿亭 は、銅を買い付けるため出雲に向かう船に乗 り込み、日本海を航行していた。 石見銀山 • 船上から陸を見ると眺めていたところ、山の 中腹が輝いて見えたと伝えられている。神谷 は大永六年(一五二六)に技術者とともにそ の場所に向かうと、地表に露出した、おびた だしい量の銀鉱石を発見した。それが石見銀 山である。 灰吹き法 • 天文二年(嘉靖一二年、一五三三)、博多より 、宗丹・桂寿という朝鮮人の技術者が石見銀 山に派遣され、大陸の製錬技術であった灰吹 き法が導入された。 世界遺産に • 石見銀山、世界遺産に登録 http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/ 困りものの日本(1) • 日本は、朝貢メカニズムにとって、困りもの。 • 朝鮮・中国沿海地域で略奪を行う「倭寇」の 拠点が日本にあった。 困りものの日本(2) • 寧波事件(1514年) 中国との交易をめぐる日本の細川・大内の 争い→正式の勘合符を持つ大内、有効期限 を過ぎた勘合符しか持たない細川氏。 細川側は賄賂→不満を持った大内側が乱 闘。 • 勘合符は、明朝の改元ごとに発給。 3.互市システム 北虜 • 北から=中国とモンゴル族との交易制限 →境界での密貿易→取り締まり強化 →モンゴル族新興勢力の実力行使 土木の変(1449年)など 南倭 • 南から=中国と日本との交易制限 →密貿易→明朝の取り締まり強化 →中国人密貿易商人の武装化 →主要なリーダーは日本に拠点 →略奪も頻発 嘉靖の大倭乱(16世紀なかば) 方針の転換 • 1567年 日本以外の諸国が、朝貢に依らず に交易することを容認する。福建省の月港。 • 1570年 翌年に朝貢に依らない交易の場とし て、馬市を大同などに設ける。 互市システム • 交易と政治とを切り離す。 • 外国人と王朝の官僚が交渉すると、政治問 題となる。 • 外国商人と中国商人とのあいだに、特許商人 を置くことで、問題解決を図る。 4.砂糖がめぐった東ユーラシア 17世紀の東ユーラシア • 日本=江戸幕府の成立→貿易の統制 • 中国=清朝の成立 • 海域世界=鄭成功が開いた台湾の鄭氏政権 の崩壊 • ポルトガル貿易商人 →オランダ東インド会社、 イギリス東インド会社+カントリートレーダー 18世紀の交易システム • 銀などの貴金属に依存したシステム →複数の世界商品を組み合わせたシステム • ヨーロッパでのスペイン・ポルトガルからオラ ンダ・イギリスへの経済ヘゲモニーの移行。 • オランダ・イギリスは銀の産地を持たない。 • 日本・イギリスなど銀を持たない国々は、アジ ア産品を国産化。 17世紀の世界商品 • 日本における銀・銅山の枯渇。 • 徳川吉宗の時期から始まる、生糸やチョウセ ンニンジンの国産化政策。 • 新たな世界商品 =砂糖・コショウ・茶葉・アヘン---- 砂糖 コショウ あへん 長崎交易の様子 • 石崎融思筆:唐館図蘭館図絵巻 • 解説:原田博二 • 長崎文献社、2001年 • 長崎県立美術館に所蔵 • 1801年に描かれたと推定される。 沖縄のサトウキビ搾り 18世紀後半の砂糖(中国) 満州 日本 江南 大豆粕 福建 台湾 綿織物 砂糖 海産物 ジャワ砂糖の輸出先(1703-1781年) 日本 インド オランダ 1741-43年 ジャワにおける 華人大虐殺の 影響 18世紀後半の砂糖(ジャワ島) インド ア ヘ ン コ シ ョ ウ 中国 日本 日 用 雑 貨 スマトラ 砂 糖 バタヴィア(オランダ領) ベンクーレン (イギリス領) ジャワ 中国系 商人 ジャワ砂糖について • 参考文献 • OTA, Atsushi Changes of Regime and Social Dynamics in West Java: Society, State and the Outer World of Banten, 1750-1830 Brill, Leiden, The Netherlands 2006. リアクション・ペーパーから 共産主義について • 前回のリアクションペーパーの紹介で、アンド レ・コント=スポンヴィルの著作を思い出しまし た。「人間は利己主義者であって、いつでも、 そのほとんどが集団の利害よりも個人的な利 害の方を優先するものなのですから。だから こそ、共産主義が全体主義化するのも、ほと んど不可避だったのです。なぜなら、道徳で は実現できないと露呈したことは、強制によっ て課すしかなかったのですから」(『資本主義 に徳はあるか』) アンドレ・コント=スポンヴィル • Comte-Sponville, Andre'(1952-) • フランスの哲学者。 • 『資本主義に徳はあるか』 小須田健/訳 C.カ ンタン/訳 紀伊国屋書店、2006年8月 評価方法 • 授業への参画度---主にリアクションペーパー • 毎回のリアクションペーパーに評価 S(10)、A(8)、B(7)、C(6)、D(5)、×(0) その総計を 「x」 とする。 最終レポートの評価 「y」 成績=√xy つまりxyが3600点以上だと合格 受講者へのメッセージ • • • • http://blog.goo.ne.jp/east-eurasia/ 上田が主催するブログ。 大学院生の書き込みがあります。 この授業に関連する情報も、掲載中。 参考書 テキスト • 上田信『海と帝国』講談社、2005年、\2,600。 海と帝国 • この講義の時代背景 を知るために、参考 にしてください。
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