1 医療のために、法ができることを考えよう 国際医療福祉大学乃木坂スクール 2013年10月2日 19:45~21:15 東京大学大学院法学政治学研究科教授 樋口範雄 nhiguchi @ j.u-tokyo.ac.jp 2 目次と課題 1 はじめに:医師・患者・法律家 2 医師患者関係と法化―「法」への疑問 ①個人情報保護法と医療 ②ハンチントン遺伝病の告知 ③救急隊の定義 ④がん告知と終末期医療 3 チェンジの方向性 ①航空機内の急病人 ②救急車の派遣とトリアージ ③医療事故・医療安全と法 ④終末期医療と法 4 結びに代えて 3 はじめに:医師・患者・法律家 私自身 →患者・法律家 アメリカの医療と法 学術創成プロジェクト代表「生命工学・生命倫理と法」2002年 から5年間 法科大学院で生命倫理と法、2009年度から法学部で医事法を 担当する 4 医師患者関係と法化―「法」への疑問 医師患者関係の法化 医師患者関係を契約と見るだけではない 他にも法的思考が、医師患者関係に影響を そこでの「法」のイメージ 法 社会規範の1つ 他に、倫理・道徳 社会慣行など 業界ルール 専門家のガイドライン 指針 法には国家権力による制裁がある→怖いイメージ 5 医療の問題 現在は法律問題となる傾向あり →医療(問題)の法化現象 医師と患者のあり方だけでなく、 医師と患者についての法のあり方も問題に 2つの問題 ①法=非常識という考え方 ②法といえば制裁・懲悪(懲罰) 6 医療者と法律家→架橋の試み 7 比較という視点 • 1 アメリカ法と日本法 • 2 医師と法律家 • 分析の道具としては・・・ アメリカの医療と法では Quality, Access, and Cost を適切にし、public healthを Quality=医療の質の確保 Access=医療の提供の確保 Health Care Reform Cost=適切なコストで (sustainability, efficiency) 日本の医事法 主たる関心はqualityのみ→かつては医療 過誤判例百選 しかも事後的な判断のみ Access は 国民皆保険で確保 救急体制や応招義務 Cost は政 治や経済の話 法は、質の確保のための制度と医療過誤の問題に主たる 焦点があたり、対象も視点も狭い 9 • アメリカの医事法 • access, quality and cost • 全体として、public health (みんな の健康)を維持し促進するための法 10 生命倫理4原則 Non-maleficence = Do no harm 無危害 Beneficence = Do some good 善行 Autonomy 自己決定・自律 Justice 正義(配分的正義) health law: 3 dimensions or layers 1st layer=health practitioners or professionals and patient: medical practices 2d layer= medical institutions such as hospitals and clinics 3d layer=Payment or national health insurance system 12 第1例 個人情報保護法と医療 福知山線脱線事故後の対応 本人同意の原則 法があるから仕方がないという態度 弁護士の指導 事なかれの蔓延 「個人情報保護法(法)があるから仕方な いのです」という声 なぜ、それがおかしいといえないのか? 13 第2例 辻省次先生との対話 ハンチントン病の患者をめぐるディス カッション―医師と法律家の対話シ リーズの第1回 医師からの法律論への疑問 14 ケース・スタディ生命倫理と法 (有斐閣・2004) ●最初のケース 45歳の女性がハンチントン病だとわかる。だが、患者 は家族や親族にその事実を知らせてくれるなという。医 師はどうすべきか。 ハンチントン病は、家族にも50%の確率で罹患してい るおそれのある遺伝病で、現在のところ不治の病。 3人のパネリスト 医師:東京大学 辻省次教授 社会学者・ハンチントン病家族会を支援 武藤香織氏 法律家:樋口範雄 15 法的議論・思考への不満が明らかに • 法的な議論 • 刑法第134条に定める医師の守秘義務 →最近の奈良の精神鑑定医が逮捕された事例 ただし、条文には「正当な理由なく」とある 正当な理由とは何か 正当な理由がある場合→警告義務のあるケース 2つの義務 守秘義務か警告義務か 16 医師から見た法的思考のイメージ 1 医療の現場を知らないで 2 議論が抽象的概念的 形式的で単純 常に2者の対立軸(権利・義務、正邪、合法違法、善か悪 か) 3 医師の多くにとって法とは刑事法 できれば関わり合いたくないもの 4 1つだけメリット 明確な法 法律ではこうだ 17 このケースで何が問題か 遺伝病 患者だけの問題ではない 医師は患者家族を総体として支える存在 法律家は議論のためかもしれないが家族と患者を分断 する議論に終始している その結果、告げるか告げないかだけに関心 しかも刑法から議論を始める 医療にとって(重要だがあえていえば)枝葉末節の問題 18 辻教授の指摘の重み 医療の法化が進む中で 本当にそれが社会にとってよいことか 法的な思考を再検討する必要がないか 法律家が変わる必要はないか 19 第3例 救急隊 ○現在、いくつかの消防本部において、 救命率の向上等を図るためPA連携。 ○ポンプ車に乗車している救急科講習修 了者等が行う応急処置については現行 の消防法の規定においては、救急業務 として位置付けられていない。 ○PA連携についても消防法上の救急業 務として明確に位置付けるべきではない か。 20 • 参考:消防法第2条第9項 救急業務とは、(中略)医療機関その他の場所へ 緊急に搬送する必要があるものを、救急隊によって、 医療機関その他の場所に搬送すること(傷病者が医 師の管理下に置かれるまでの間において、緊急やむ を得ないものとして、応急の手当を行うことを含む。) をいう。 • 消防法施行令「救急隊は、救急自動車1台及び救 急隊員3人以上をもって編成しなければならない。」 (第44条第1項)、「前項の救急自動車には、傷病者 を搬送するに適した設備をするとともに、救急業務を 実施するために必要な器具及び材料を備えつけな ければならない。」(同条第2項) • 21 2つの法的課題(または法的横やり) 1 道路交通法 2 救急の憲法たる消防法 内閣法制局をとるか 樋口をとるか 22 大判明治36・5・21刑録9・874 ◎電気は物か 刑法第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、 十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。 (定義) 民法第85条 この法律において「物」とは、有体物をいう。 刑法第245条 この章の罪については、電気は、財物とみなす。 ◎法の解釈:常識が優先 常識とは→法の目的に照らして 目的論的解釈 刑法 犯罪の抑制がその目的 しかし、他方で、曖昧な「犯罪」での処罰は人権侵害 23 PA連携を否定するか否か 内閣法制局の常識 →「非常識だがしかたがない」ものこそ「法」 定義規定は何のためにあるか この場合、十分な救急救命体制の確保が目的 そうであるなら、PA連携はそれに反しない 形式だけの解釈なら、専門家はいらない ・救急車が故障していたケース ・3人のうち1人が腹痛 ・自転車や歩行で駆けつけると・・・ 24 第4例:がん告知をめぐる判決 ○「家族に対するがんの告知―最高裁平成14 年9月24日第三小法廷判決」 (末期がんの患 者本人にその旨を告知すべきでないと判断し た医師が患者の家族にその病状等を告知しな かったことが診療契約に付随する義務に違反 するとされた事例) 宇都木伸他編著『医事法判例百選』120-12 1頁(有斐閣・2006年) 秋田県の病院で・・・ 1 最高裁判決の意義 2 論点 25 点と線 1)点の議論: 医師は患者または家族に末期がんを 告げるべきか否か。 告知は点。より重要なのは、告知後の体制。それが なければ、告げるのも告げないのも同じ。 ところが法律家は、点にだけ注目する。 2)線の議論:末期を迎えた患者にどのような時間(末 期という期間の過ごし方)を提供できるか。 医師が告知したかしないかではなく、当該医療機 関に末期患者を支える体制があったか否かを問題 にする。 問題は個人の過失ではなく組織の問題、 制度の問題。 26 2007年5月厚労省ガイドライン • 終末期医療に関する(国レベルの)最初のガ イドライン • 人工呼吸器をはずすのが違法か合法かを 明確にしていないという批判 • メディアも医師も法律家も法化に毒されて、本 当に重要な終末期医療の課題を忘れている 27 国民の意識 • リビングウィル • 自分の意思決定の尊重は重要 • しかし、法律にするのはいや • なぜか 28 チェンジの方向性 • ではどのように考え方を変えたらよいか • 制裁中心主義と形式的な法の理解を正すに はどうすればよいか 29 航空機内での急病人と 医師の役割・法の役割 2つの行き方 A 制裁型 医師に救助義務(応招義務)を課し、それに応えないような ら刑事罰を科す。実際に手当をした場合に過失があれば民事 責任を問う。さらに行政処分も考える。 ◎刑事制裁・民事賠償・行政処分のトリプル・パンチ B 支援型 医師に善意で立ち上がるよう制裁のない義務を宣言する。 実際に手当をした場合に過失責任免責を定める。結果が悪く ても、民事賠償もなければもちろん行政処分もないことにする。 ◎リーガル・リスクを低くして、善意の行動を促す。 30 航空機内での急病人と 医師の役割・法の役割 実際の2つの法律【緊急事務管理と応招義務】 A 民法698条「管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対 する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、 悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じ た損害を賠償する責任を負わない」 →697条「義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以 下この章において「管理者」という。) B 医師法19条「診療に従事する医師は、診察治療の求が あつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではな らない」(罰則なしの規定) ◎明らかに支援型の対応をしている 31 一部の医師の思考 1 民法698条は助けにならない なぜなら医師には応招義務があるので適用されないから 2 関与して結果が悪いと過失責任を問われ訴えられるおそれ がある 3 だから寝たふりをするなどで、知らないふりをしよう 32 法律論としての誤り 1 寝たふりは安全か →応招義務が航空機内にも適用があるとするなら、法律 家は、(不作為の)業務上過失致死傷罪で追及する可能性あ り →誰かその航空機内に当人が医師と知っている人がいる と莫大なリスクあり 2 しかし、そもそも制裁型の法が適切かという問題がある 33 法律論としては 1 航空機内の医師には応招義務なし だから民法698条の適用あり 2 航空機内の医師には応招義務の適用はあるがそれには罰 則もない。したがって、民法698条の「義務なく」というほどの 義務ではないので、やはり民法698条は適用される *いずれかの解釈で、医師は安全のはず なぜならそれが常識的な結果だから 常識=法 善意の医師の行為を促進する 34 立法論としては • 日本版の救命行為促進法を作り、明確に医療 者を含む救助者に過失免責を認めるべきであ る • アメリカの全部の州とカナダの一部の州で採 用されている Good Samaritan Act (よきサ マリア人法)は、医師会が推進したもの 35 制裁でなく支援 • よきサマリア人法は、支援型の法の典型 • 善意の行動や社会的に有用な行動につ いてのリーガル・リスクを減少させて、そ れらの行為を支援するタイプ • 支援の方法は他にもあるが、まずこのよ うな発想が重要 36 救急車の派遣と法 トリアージという手法 救急の専門家が必要なところへ早く救 急車を派遣するという考え方 現在は早い者勝ち 形式的平等で実質的悪平等 37 法の妨げ • 万一、失敗の例が起こったら • →刑事司法の介入もありうる 業務上過失致死 • →民事法上も国家賠償責任 • →間違った担当者には行政処分 • • これではやれない 38 支援型の法 • リーガル・リスクを最小に • 過失責任は問わないと明示 故意・重過失は責任あり • そうでなくとも、過失の認定を慎重に • 慎重な手続きを定めてそれを遵守 していれば過失なし • 39 医療事故と法 A 10年前まで 限られた刑事司法の介入 医師法21条も医療事故とは無関係 行政処分は刑事処分の後追い 民事訴訟(医療過誤訴訟)も小さな役割 B 最近の傾向 刑事事件の増加 行政処分も独立 民事訴訟は倍増 ◎要するに制裁型の対処の増加 40 医療安全 真相究明(真実の発見・死因究明) 再発防止 中に、制裁的要素が入ると・・・ ①制裁をおそれて真実を隠す・黙る ②個人に焦点を当てる制裁では真実が隠れる ③制裁をおそれてリスクの多い医療を避ける しかし、本当に制裁ゼロでもいいかというディレンマ 41 したがって、工夫が必要 ところが、現今の風潮は遠山の金さん 勧善懲悪で物事が解決するという単純な見方 しかも勧善はなく懲悪のみ 何とかできないものか? 法の介入で医療安全が図れるのか? あるいはどのような法の介入なら意味があるのか? 42 患者の願い・医療者の願い ★患者の願い 1 生命・健康の回復(命を返せ) ◎ 2 原因究明(真相を知りたい―説明責任) 3 法的責任の明確化と謝罪 ◎ 4 再発防止 5 補償(損害の金銭的填補) ★医療者の願い 1 生命・健康の回復 2 事故があれば真相を究明し再発防止 =防止できる事故は防止したい ★共通の願いをいかに実現するかが課題 43 レフラー教授 1999年以来の動向 刑事司法=一定の目覚まし役を果たす しかし、続けて飲むと怖い劇薬 なぜか? 刑事司法に欠陥 1 真実を隠し、医療安全を阻害 2 医療機関内部の分裂 防御医療 3 専門家責任の放棄 信頼欠如が永久化 44 尊厳死法案の問題 • ① 尊厳死の推進 → 本人の自己決定 • ②そういいながら、核心は、医者の免責 • ③保険も大丈夫という規定 家族には迷惑な規定 • ④本来は自己決定 • しかし、他人から(世間から、親族から)どう思わ れるかという要素も • 多数決では決められない要素 • 他方で、多くの人がこうしているというと安心 • 45 原因究明と再発防止⇔刑事司法 1 刑事司法 = 司法解剖の結果も秘密 2 犯罪にならなければそれで終わり 3 医療事故→病理的解剖と臨床医の出番 法医的判断だけで真相? 4 警察限り=捜査だけの後味の悪さ 5 検察も一般には慎重 6 裁判でも、無罪か、有罪でも執行猶予 せいぜい再発防止は隠蔽の再発防止 46 日本の現在の方向性 • 厚労省での世論調査 • 1 ガイドラインで十分 法律はいやという声 • 2 法律を作るとすれば 患者の意思決定を尊重しなければならない • 代理人を選任していれば、その判断を尊重し なければならない • 後は医療現場に委ねる • 間接的効果として免責効果あり • 47 結びに代えて 法律家の関与の増大→法化現象 医療分野も例外ではない 法と法律家のあり方について再考する必要あり ◎実は過剰な法・過剰な規制 ◎介入方法の単純化(制裁型だけの対処) 支援型の工夫とのミックス ◎法律家と法を有効に働かせる工夫 48 倫理と法の関係 →アメリカ医師国家模擬試験 一人の男性が事故に遭って救急部に運ばれ、人工呼吸器を 付けられた。彼はすべての基準に照らして脳死状態にある。彼 は、サイフの中に臓器提供カードを持っており、そこには臓器 提供の意思が示されていた。臓器提供チームは、彼の家族と 連絡をとったところ、その家族は臓器提供の同意書への署名を 拒絶した。どのようになされるべきか? a. とにかく臓器を取り出す。 b. 患者の鼓動が停止するまで待ってから臓器を取り出す。 c. 人工呼吸器を止めて、臓器を取り出す。 d. その家族の反対を封じるために裁判所命令を申し立てる。 e. 家族の希望を受け入れ、臓器提供は行わない。 49 結び • 1 法と倫理 • 2 judge in pajamas 法を使う • 法律家を使う • 逆に使える法律を作ろう • 50 参考文献 樋口範雄 『医療と法を考える―救急車と正義』 (2007年・有斐閣) 『続・医療と法を考える―終末期医療ガイド ライン』 (2008年・有斐閣)
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