日本製造業の来し方・行く末 2013年5月27日 社会経済研究あづみ塾 塾長 木村登志男 1 はじめに 今日お話したいこと: 1.製造業の歴史を簡単に振り返る (1) 産業関連5大革命 (2) 産業分水嶺論 2.日本製造業の来し方: セイコー&セイコーエプソンの場合 3.日本経済・日本企業を衰退させた原因 4.米国製造業復活と日本製造業に今求められる「構想力」と 「イノベーション」 2 1.製造業の歴史を簡単に振り返る (1) 産業関連5大革命 ①産業革命(18世紀後半から19世紀初め 英国) 繊維工業、蒸気機関、工作機械、大量製鉄 ②鉄道革命(19世紀初めから19世紀後半 英国) プラス通信革命(電信、後に電話) ③重工業革命(19世紀後半から20世紀初め ドイツ) 化学、電機、鉄鋼、重機械(科学が先導) ④製造業革命(20世紀初めから後半まで 米国) T型フォード大量生産方式が始まり。 ⑤情報革命(20世紀後半から21世紀 米国発) 製造業への影響はまさに革命的。 3 (2)「産業分水嶺」論(港 徹雄) 20世紀から21世紀にかけての製造業革命と情報革命が製造 業に与えた影響 第一の産業分水嶺:ヘンリー・フォードによるT型フォード車の生 産開始(1908年)によって具体化されたフォード型大量生産方 式を嚆矢とする。 第二の産業分水嶺:「柔軟な専門化」が支配的な産業システム。 1970年代以降、イタリアや日本等の産業集積地域で発展した。 とくに、トヨタ生産方式はもっとも優れたモデル。 第三の産業分水嶺:3D・ICT革新等デジタル技術の時代。「デ ジタル化による柔軟な大量生産の時代」 4 第三の産業分水嶺:1990年代後半以降21世紀に入って、三次 元情報技術革新によってもたらされた域内分業システムの大 転換。 例えば、 *遠隔地間であってもサイバー上で設計の同期化が実現 *メーカーとサプライヤー間の擦り合わせが大きく減少 *三次元の自動加工を可能にする多機能の工作機械(マシニ ング・センター)が急速に普及 *下請取引関係の流動化進行 *高度な熟練労働者の層が薄く、有機的な企業間取引ネット ワークが形成されていない国(地域)でも「柔軟な専門化」と同 じ高い生産性を獲得 5 第三の産業分水嶺、3D・ICT革新が世界経済に及ぼした影響: ① 製品技術の標準化・公開化そして生産技術のデジタル機器 による代替化 → 機械生産のグローバルな拡大とそれに 伴う製品価格の急激な低落。 ② 熟練技能や企業特定技能の必要性が低下 → 長期雇用 の縮小と雇用の不安定化。 (雇用者所得の減少→消費支出の低迷→不況長期化) ③ 取引特定資産投資の必要性が低下 → 企業間取引関係 の流動化と企業間受注競争の激化。 ④ 非製造業部門、とくに、流通業、出版業、広告業のような主 要サービス産業の付加価値成長へのネガティブな影響。 6 2.日本製造業の来し方: セイコー&セイコーエプソンの場合 (1) セイコーの事例 (2) セイコーエプソンの事例 7 (1)セイコーの事例:東日本大震災からの復旧・復興で 想起されるセイコーの経験 1.関東大震災からの復興 2.太平洋戦争敗戦からの復興 8 セイコーの沿革 1881年:(株)服部時計店設立 創業者 服部金太郎 1892年:服部時計店工場精工舎創立(経営方針=優良品生産) ボンボン時計の製造開始 1899年:国産初ニッケル側目覚時計生産開始 1902年:14型懐中時計「エキセレント」生産開始 (1907年に恩賜の銀時計に指定される) 1913年:国産初の腕時計「ローレル」完成 1920年~22年:精工舎時計生産第1次ピーク 年平均生産個数96万個(全国総生産量の約70%) 9 1923年9月1日:関東大震災で精工舎 全焼、そこから再建・ 復興 一旦は精工舎解散、 9月5日服部金太郎「精工舎再開宣言」 修理預品すべて弁償、損金一括処理 1923年10月1日から復旧開始(焼け跡の整理から始める)。 1924年3月に掛時計から生産再開。迅速な復旧と新製品の 相次ぐ投入で精工舎復興 1931年には震災前の水準を凌駕 1928年~1937年にかけて、4期にわたる工事で、精工舎工場は 完全本建築(鉄筋コンクリート)化 10 終戦後への準備 1937年:第二精工舎設立(ウオッチ専門工場) 1942年:(有)大和工業(諏訪精工舎の前身)設立 1945年8月15日:終戦 戦時特別体制の軍需工場から、終戦と同時に 時計産業への復帰を宣言 「スイスに追いつき、追い越せ」を目標に、 「世界の時計SEIKO」を標榜 11 終戦後の発展:「世界の時計SEIKO」を目指して 1959年:(株)諏訪精工舎設立 1959年~1970年代までのセイコーグループの構成 (株)服部時計店:SEIKOブランドを所有し、全世界に時計を 販売 精工舎:クロックおよびカメラ用シャッターの製造 第二精工舎:ウォッチ(女持ち、および男持ち) 諏訪精工舎:ウォッチ(男持ち) 1963年~1968年、スイスニューシャテル天文台時計コンクール に出品。機械式時計の精度においてスイス勢に追いつく 1969年:世界初のクオーツウォッチ「アストロン」発売 1970年代後半~1980年代:世界No.1の時計会社 12 (2)セイコーエプソンの事例:イノベーション・オリ エンテッドな経営 1) 時計事業の経験 2) 情報機器事業の経験 13 セイコーエプソンの沿革 1942年 時計下請工場 (有)大和工業設立(長野県諏訪市) 1943年 親会社第二精工舎、戦時疎開工場「諏訪工場」設立 1945年 終戦後、第二精工舎諏訪工場と大和工業、時計生 産再開、合作社経営開始 1959年 (株)諏訪精工舎設立 この年、「59Aプロジェクト」(水晶時計開発プロジェ クト)スタート。 また、機械工学・精密機械工学エンジニアに加えて、 電気・電子エンジニアの採用を開始 14 1964年 東京オリンピックの2大発明 プリンティングタイマー (ミニプリンタ<1968年>の出発点) 卓上型水晶時計 (クオーツウォッチ<1969年>の出発点) 1968年 世界初のミニプリンタEP-101商品化。 電卓・計測器用印字装置として世界的な反響を呼ぶ 1969年 世界初の水晶式腕時計「クオーツASTRON」商品化 スイスとのクオーツウォッチ商品化競争に打勝つ 15 1970年 信州精器広丘工場開設(情報機器事業の拠点) 1985年 セイコーエプソン(株)誕生 2003年 セイコーエプソン、東証一部上場 16 1) 時計事業の経験 時計の製品イノベーション) *1958年 中三針機械式腕時計「マーベル」 第1次黄金時代の始まり *1969年 世界初水晶腕時計「クオーツ・アストロン」 第2次黄金時代の始まり <対抗意識:負けたくない相手> *第二精工舎:強烈な内部競争意識(シチズンよりも第二に 負けたくない) *スイス:時計王国に追いつき、追い越せ ― 1963年~1968年 ニューシャテル天文台時計 コンクール 参加 ― 1969年 クオーツウォッチ商品化一番乗り 17 <時計事業を牽引した経営者の思想> ― リーダーのキーワード10 (中村恒也氏) ①ビジョン →目指すべき方向 ②部下を信頼する →社員重視 ③情熱 ④説得する技術 →独自能力 ⑤常にエンドユーザー →顧客本位 ⑥決める ⑦真実に謙虚 ⑧常に前向き ⑨三現主義プラス先見性 ⑩加点主義 →社員重視、独自能力 18 <中村恒也社長制定の経営理念> (1989年1月5日発表) 顧客優先・個人尊重・総合力発揮により、全世界のそれぞれ 地域において信頼される「良い会社」であり続ける。 「良い会社」とは、 ①適正利潤を確保している ②社員が自信と誇りをもって常に創造し挑戦している ③社会と社員にとって夢のある存在である 以上を通じ常に成長発展している会社である。 19 諏訪精工舎第1次ウォッチ黄金時代の売上推移 180 160 140 120 100 Sales 80 60 40 20 0 1960 1962 1964 1966 1968 20 諏訪精工舎ウォッチ第2次黄金時代の売上推移 1200 1000 800 600 Sales 400 200 0 1970 1972 1974 1976 1978 21 2) 情報機器事業の経験 事業多角化:情報機器事業への参入 <起業の精神> ミニプリンタ事業は「時計売上の5% 規模の新規事業」を興したいという 開発責任者の夢から始まった 主力事業「プリンタ」は「ミニプリンタ」、 「ドットインパクトプリンタ」 「カラーインクジェットプリンタ」の3ステップで成長 22 情報機器事業の製品イノベーション <プリンタ> *1968年 ミニプリンタ EP-101 メカトロニクス製品 応用分野:電卓・ECR・銀行端末 計測器等 OEMビジネス営業部門設立 ミニプリンタのピーク時売上は年商400億円 23 *1980年 ドットインパクトプリンタ MP-80(MX-80) メカトロニクス+ソフトウェア製品 応用分野:パソコン、印刷端末 ディストリビューションビジネス営業部門設立 MP-80(MX-80)で成功するまで、ミニコン用ラインプリンタの研 究開発で多くの試行錯誤を重ねた。この試行錯誤の過程での学 習と「スカンクワーク」を含む積極的な研究開発アプローチがパソ コン用プリンタの開発成功につながった。 ドットインパクトプリンタのピーク時売上は年商1000億円であ る。 24 *1994年 カラーインクジェットプリンタ MJ-700V2C コンピュータおよびソフトウェア志向 の製品 応用分野:パソコン、デジタルカメラ、携帯電話 本格的なコンシューマ・ディストリビューション・ビジ ネスの営業・マーケティング部門に強化された。 カラーインクジェットプリンタはエプソンに大飛躍を もたらし、ピーク時売上は年商5000億円に達した。 25 <高温ポリシリコンTFTとプロジェクター> *1994年 データプロジェクター ELP-3000 高温ポリシリコンTFTを3枚活用した「液晶三板 式プロジェクター」を開発、カラーイメージング 戦略の一角を形成。 当初、ビデオプロジェクターで商品化するが、 挫折、撤退か方向転換かの瀬戸際で残された 7人の開発者が、その情熱で開発に成功する。 26 イノベーション・オリエンテッドな経営を総括すると *事業は夢で始まり、情熱で伸び、責任で安定し、そして官僚 主義で滅びる。 昨今の行過ぎた個人情報保護や内部統制の実態をみるに つけ、失われたイノベーション・オリエンテッドなマインド、 「夢」と「情熱」を取り戻さないと既存大企業は立ち直れないと いう思いが強まる。 27 3.日本経済・日本企業を衰退させた原因 M&A、リストラは組織を壊滅させ、短期業績志向は日本企 業の付加価値を減少させ続けてきた(利益はでても縮む人件 費、研究開発費、設備投資etc.)。 また、利益重視の縮小均衡経営は結果として衰退しか生み出 さなかった。 (1) グローバル・スタンダードとは何だったのか? (2) 「付加価値率」低下 (3) 三次元情報技術革新によってもたらされた大変化への対 応遅れ (4) デフレ 28 (1)グローバル・スタンダードとは何だったのか? グローバル・スタンダード=アメリカン・スタンダードは日本に 合うか? 例えば、 *株主資本主義:機関投資家も個人投資家も頭にあるのは 自分の利益だけ。会社の長期的繁栄を願っているか疑 問。 *強欲CEO:株主を食い物にして私利私欲を貪る *四半期利益:短期利益優先でコストカット *リストラ・M&A:人を切れば組織が傷つく *成果主義:他人はすべて踏み台 29 (2) 「付加価値率」低下 *日本企業の「付加価値生産性」はバブル崩壊以降低下の一 途。 経常利益を捻出するために、付加価値の主要項目=人件 費、研究開発費、そして減価償却費(設備投資)を削ってき た。 *日本の長期低迷の原因は企業の付加価値創出力低下。 *付加価値を創出するために日本企業に求められるのは、も のづくりをベースとした「価値づくり」(顧客にとっての本当の価 値の高い商品を提供=新たな顧客価値創出)。 30 (3) 三次元情報技術革新によってもたらされた大変化への対 応遅れ。 日本の強みだった域内分業システムは大転換を余儀なくさ れた。 例えば、 *遠隔地間であってもサイバー上で設計の同期化が実現 *メーカーとサプライヤー間の擦り合わせが大きく減少 *三次元の自動加工を可能にする多機能の工作機械(マシニ ング・センター)が急速に普及 *下請取引関係の流動化進行 *高度な熟練労働者の層が薄く、有機的な企業間取引ネット ワークが形成されていない国(地域)でも「柔軟な専門化」と 同じ高い生産性を獲得 31 (4)デフレ デフレは企業も消費者もリスクを避けがちになり、消費や投 資も伸びない悪循環で経済の活力がどんどん落ち、失業も 増える。また、デフレ下でも労働者の賃金は急に下げにくい ので、企業はリストラを進め、非正規雇用や失業が増える。 *奪われた金利 *20年間上がらない初任給 *ワンコイン・ランチ *100円ショップ *増える非正規労働 32 4.米国製造業復活と日本製造業に今求められ る「構想力」と「イノベーション」 (1) 米国製造業復活 (2) 日本製造業に今求められる「構想力」とイノベーション 33 (1) 米国製造業の復活 シェール革命でエネルギー・コストが画期的に下がり、競争 力を回復している米国。 製造業復活・製造業ルネサンスを印象付ける事例は枚挙に いとまがない。 *GE発祥の地、ニューヨーク・スケネクタディの巨大自動化電 池工場(18000㎡の工場に従業員370人。工場人員は210 人。すべて学卒エンジニア) *ExONE社の3Dプリンタ工場 *ダウ・ケミカル社のエチレン・プロピレン工場大拡張 *ウォルマート社の米国調達大拡充 *ノースカロライナ家具産業:アシュレイ家具社の新工場 (8,000万ドル投資)etc. 34 (2) 日本製造業に今求められる「構想力」とイノベーション <アベノミクスを反転・復活のトリガーに!> アベノミクス、3本の矢 *金融緩和→脱円高、デフレ脱却には、 まず金融政策(リフレーション) *機動的な財政政策 *成長戦略:ポイントは規制緩和。TPP参加は必要条件。 アベノミクス始動 安倍総理のリーダーシップで「デフレ志向」の日銀をねじ伏 せてインフレターゲットを設定、米英流の思い切った金融緩 和に舵を切った日本。黒田新日銀総裁・岩田副総裁・中曽 副総裁体制の「異次元緩和」で本格始動。TPP交渉 参加も決まって、ようやく製造業にも復活のチャンス到来 か? 35 <このチャンスを生かさなければ、日本企業に未来はない> しかし、単純にマネすればよいという「モデル」は存在しない。 つまり、終焉を迎えた、 横並び競争の時代 過去延長型成長路線の時代 ピラミッド型親子企業関係の時代 etc. 横を見てマネするだけではもはや生きていけない。 その鍵は成長・変革に向けた「構想力」と「イノベーション」。 36 <成長・変革に向けた「構想力」とそれを実現するイノベーショ ン> * ビジネスモデルイノベーション * プロダクトイノベーション * 生態系構築イノベーション * マネジメントイノベーション * 人材開発イノベーション 37 * ビジネスモデルイノベーション <この視点での問題意識> なぜ日本企業は儲かるビジネスモデルを戦略的にデザインで きなかったのか? それは「認識」と「前提」(成功体験・前例とそれへのこだわり)が 制約となって、変革を阻んできたからではないか? 単品ビジネスから統合ビジネスへ、製品からアフター分野へ、 ものづくりからコト起こしへ、顧客の利便性徹底追及へetc. 38 * プロダクトイノベーション <この視点での問題意識=飽くなき需要の発掘・深掘り> 「新たな顧客価値創出」か 「既存の顧客価値適合」(標準品・低価格)か 「プロセスイノベーション主体からプロダクトイノベーション主体 へ」 (ものづくり=「もの」(プロダクト)+「づくり」(プロセス)) 「『ものづくり』から『価値づくり』へ」 「インテル・インサイドかアップル・アウトサイドか」 「スペックアップ・オンリーからスペックダウンを考える」 39 <破壊的イノベーション論(クレイトン・クリステンセン)& リバースイノベーション論(ジェフリー・イメルト)> かつて日本企業は破壊的イノベーションで世界市場に挑んだ。 例;ソニーのトランジスタ・ラジオ、 ポータブル・テープレコーダー ホンダのスーパーカブ リバースイノベーションとはスペックダウンの製品開発。 新興国向けに単純な機能の安価な製品を供給し、成功 すればそれを先進国市場に逆輸入する。 日産が発表した、新興国向け50万円のダットサンもその類。 40 <イノベーションのジレンマ(Christensen)> Christensenのイノベーションジレンマ論は、技術系優良企業が どのようにしてその地位を奪われていくのか、そのメカニズムを 「持続的技術」と「破壊的技術」という2つの簡単な概念を用いて 説明。 この分析は「技術開発の進歩のぺースは顧客使用能力向上の ペースより速い」という命題を大前提にしている。 「もうついていけない、そこまでいらない」と感じる顧客が出現す る段階で、そのような顧客に対して、比較的単純で、しかも安価 な技術(「破壊的技術」という)を提供する企業が登場する。 この時良い技術を持つ既存の優良企業はこの破壊的技術を無 視する。後から進出してきた破壊的技術を提供する企業に、こ れを改良させる時間が与えられ、気がついた時には、優良企業 の技術は破壊的技術によって追い落とされる。これを「破壊的イ 41 ノベーション」という * 生態系構築イノベーション <脱ガラパゴス> 日本企業は自前主義にこだわってきたため、概して生態系を築 くのが不得手である。 しかし、ガラパゴス化した日本企業が新たな「収益モデル」を創 りだすためには脱自前主義で他社との協業により生態系を構 築しなければ生き残っていけない。 かつてのように垂直統合一辺倒ではなく、水平分業も視野に入 れなくてはならない。 42 * マネジメントイノベーション <5つの視点からの問題提起> ① 世界市場優先、世界展開はグローカライズ ② グローバルサプライチェーン再構築 ③ 「利益より売り上げ、さらば縮小均衡路線」論 (日経ビジネス) ④ 新興国市場開拓「出稼ぎのすすめ」論(日経ビジネス) ⑤ 経営判断・意思決定のスピードを上げる 43 * 人材開発イノベーション <日本企業はなぜアメリカ企業からも新興国企業からも遅れを とっているのか> ・米国では多くの国々から研究者や技術者を受け入れ、その 異質な人材の交流が活発であることがイノベーション創出に 大きく寄与しているのではないか。 ・日本の製造業も異質な人材の雇用の拡大、異質な人材の能 力を引き出す人的資源開発のノウハウを蓄積する必要が ある。 ・「慣性を打破する」ことが今求められている。 44 おわりに <経営への思い> 事業は夢で始まり、情熱で伸び、責任で安定し、そして官僚 主義で滅びる。 昨今の行過ぎた個人情報保護や内部統制の実態をみるに つけ、失われたイノベーション・オリエンテッドなマインド、 「夢」と「情熱」を取り戻さないと既存大企業は立ち直れないと いう思いが強まる。 <「青春」という名の詩> 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言う のだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯惰を却け る勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と 言うのだ。 45 <資本主義の原点:3つの経営精神> ①市民精神:マックス・ウェーバー「資本主義を成り立たせる ためには厳しい自制心と強靭な克己心が必要」。 ②企業精神:「既存の秩序を超克しようとする精神=無限追 求の精神」 「もろもろの計画を企画する能力、した がって、ある種の発想の豊富さ」、「計画実現への 衝動、行為への意志」 ③営利精神: 「利益を自己目的として求める」 「正常な経済活動で利益を得る」 この3つの精神のバランスが経営にとって重要。 日本企業はグローバルスタンダードという言葉とバブル崩壊 でこのバランスを失ってしまった。 46 <経営精神の実践> <市民精神の実践> 「愚直」が日本の市民精神の特徴。 近江商人の「商人の心得」は「禁欲と勤勉」(始末、節約 倹約、質素倹約)、「社会奉仕の精神」(陰徳、陰徳善事) 、「堪忍」、「和合の精神」。 <日本の企業精神> 企業精神とは、競争意識、勝利への意識、負けん気、使 命感、情熱などの言葉であらわされる。 <日本の営利精神> 日本の社会は利益追求に対して否定的な反応を示すこ とが多い=社会正義に念慮して利益を追求する。 47 <先人に学ぶ> テイラー、フォード、デミング、二宮尊徳の精神を学ぶ *フレデリック・テイラー:「科学的管理法」 工場での労働の価値を高めるにはどうすればいいか。 *ヘンリー・フォード:T型フォードの大量生産で自動車時代を 切り開く。動力、原材料、時間から最大のものを引き出す。 *エドワーズ・デミング:日本品質管理の父 チームワーク重視、競争より協調、ランク付けは弊害 あるのみ。 *二宮尊徳:江戸時代後期の篤農家・指導者 道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である 48 <ファーストランナーをめざして、後追い、内向き、自己目的化 から脱却> 昨年は日本人ノーベル化学賞受賞者が2人、今年は医学賞が 1人。嬉しいかぎりではあるが、科学の「ファーストランナー」は 後何年ぐらい続くだろうか? 教育改革が必要。 先生に「教わる」教育から、自ら「考える」教育へ。 自由な発想と多様性を許容する環境が必要。 見習うべきは明治人の気骨と進取の気性。 例えば、石坂泰三氏、土光敏夫氏。 平成の開国なるか? 49 ご清聴どうもありがとうございました。 50
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