混迷の時代を生き抜く 手習い ~身・心・人間関係を活かす 優れたインターフェイス作り としてのブッダの瞑想技法~ プラ・ユキ・ナラテボー 経歴 • 大学時代 弱者の視点→社会問題への目覚め (難民、障害者、反核、ボランティア活動) とりわけ、開発途上国の貧困問題に関心 →スタディーツアー参加→NGO活動 同時に、途上国の光の面にも気づく →日本社会・自分自身を省みる タイ留学時代 • チュラロンコン大学大学院・社会人類学科 (1987~1988) 農村開発問題を研究→開発僧との出会い。 仏教精神を基盤とした活動に関心を抱く 2年目:3ヶ月間の仏教的な開発研究の フィールドワーク体験として出家。 But, 還俗せず今日まで… 僧侶時代 • 1988年6月~ 東北タイ・チャイヤプーム県 ワット・パースカトー寺にて出家 <三ヶ月間の雨安吾> 戒律(227戒)遵守(Shikhaa)と瞑想体験 (Thamma)により、心身についての理解 が深まり、変容が生ずる。 1989~1992年(2~4年目) 雨安吾はスカトー寺にて。 その他の期間は各地の寺を転々と しながら、各地の寺でリトリート修行 (頭陀行) 多くの師から様々な瞑想法を学ぶ 1993年(5年目) タータンクヴィアン寺にて雨安吾 ・寺の住職として農村開発 ・森林保護活動 ・村の子供たちの教育に従事 1994年(6年目) 師僧と共にアメリカ(6ヶ月)や台湾(1ヵ月) にて瞑想指導 1995年(7年目) 阪神大震災・オウム事件勃発 1995年~今日まで(7~21年目) Ⅰ、農村開発から心の開発へ Ⅱ、自身の修行から人と共に修行というスタイルへ ①、スカトー寺:日本人の心との取り組みに次第 にシフト (タイから日本へ) ②、日本一時帰国:年に1~2回のペース ・在日タイ人支援活動 ・日本人対象の講演会、瞑想会 Ⅲ、自己流ファシリテーションの方便を徐々に確立 瞑想・夢ワーク・対話(カウンセリング) 今日的状況の概観 Ⅰ、スカトー寺に来る人たちとの関わりから さまざまな悩みを抱える人たち …身体・心・人間関係(ヒダヒダの多い苦悩) (⇔シンプルなタイ人の悩みとのギャップ) Ⅱ、帰国時に日本人と触れ合い、日本社会を眺めて 溢れる情報…不安感・閉塞感の蔓延 (⇔タイ農村の「のほほーん」感とのギャップ) Ⅰ、さまざまなレベルの関係性 ディスオーダー(混乱・不調・障害) ①、身体: (身体性の喪失 ) 花粉症・アトピー・摂食障害etc… ②、精神: (精神性の暴走) うつ・神経症・パニック障害・自殺etc... ③、人間関係: (人間関係性の困難) 職場・夫婦・親子・友人との関係不和etc… Ⅱ、溢れる情報の海で • 外向きに(精神性の暴走) 情報の波に溺れる→不安、混乱、妄想 ~知性の高速回転→暴走 (共有する「大きな物語」の喪失) →さまざまな精神疾患…キレる(殺人) (知的「普通車」から「スポーツカー」へ。 精神制御のA級ライセンスが必要な時代) ・内向きに(人間関係性の困難) 外との関係性からの逃避 →ひきこもり→孤独(→自殺) 「自分を見つめる」… が、実際は、自分を責め続けて いることが多い。 正しい自己の見つめ方を知らない。 ・感覚性の麻痺(身体性の喪失 ) 「透明な存在」~自分が消える不安・パニック 生きる実感の希薄化 地に足が着かない感じ 情報の洪水→外側に向かう意識 テクノロジーの発達→身体実感しにくい環境 (感覚刺激の減少…広告・蚊・リモコン・水道) 三学=(持)戒・(禅)定・(智)慧 慧 定 戒 三学・八正道 vs.「痴」・「症」 戒…身(行動)と口(言葉)を調える (=正語・正業・正命) 定…確固たる動揺せぬ心をつくる (=正精進・正定) 慧…心身についてのトータルな理解を図る (=正念・正見・正思) 八正道 • • • • • • • • 正 正 正 正 正 正 正 正 定 念 精 命 業 語 思 見 進 波羅蜜(Paramii) ~ブッダ意識クオリティに至るための 実践修行項目 ・六波羅蜜(大乗仏教) =三学+布施・忍辱・精進 ・十波羅蜜(上座部仏教) =六波羅蜜+制感・真実・決意・慈悲・捨 (-禅定) 六波羅蜜(大乗) 布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧 十波羅蜜(上座部) 布施 持戒 忍辱 精進 智慧 制感 真実 決意 慈悲 捨(無執着) 瞑想とは? 目には冥い心の相への実践的アプローチ • • • 行・学二道の「(修)行」。 三学の主に「定」と「慧」の段階に おける実践 「誰」よりも「何」に注意を向ける。 瞑想においての三つの中心作業 1、集中(Concentration: 「禅定」「三昧」 サマーディSamadhi) 2、覚醒・気づき(Awareness: 「正念」 サティSati) 3、洞察(Insight: 「正知」 サムパチャンヤSampajanya) 止観 「止」=サマタ Samatha: 三学の「定」 心をひとつの対象に繰り返し向けることで、 心を安定させ、集中力を養う。 「観」=ヴィパッサナー Vipassanaa:三学の「慧」 その瞬間に心身に起こっていることに繰り返し 気づき、覚醒力を養い(「念」=サティ Sati)、 ありのままに見つめることを繰り返しながら 洞察力を養う。 瞑想行の実践によって得られる功徳 (=培われる力) 1、集中力が増すことによって、、、 動揺、散乱、不安定、不安感、優柔不断、 意志薄弱が減少する。 自己コントロール力、自信、安定感、 落ち着き、平静、自立心といったものが 培われ、喜や楽といったものの出現が 促される。(=心の基礎体力が増す) 2、覚醒力が増すことによって、、、 われを失い、われを忘れ、人の言動や 様々な現象に翻弄されることがなくなり、 われを取り戻し、苦悩にハマり込むことが 少なくなる。 常に新鮮に「今・ここ」をイキイキと味わい 深く生きていけるようになる。 3、洞察力が増すことによって、、、 さまざまな心身症状のからくりや人間関 係の法則などがあるがままに理解され (=如実知見)、それゆえ、苦悩の原因とな るさまざまなとらわれから解放される。 その結果、苦は滅してゆかれ、最終的に は究極の平安を生きながらにして得られる (=涅槃:ニッバーナ Nibbana) 功徳(善き結果) 十二因縁 苦しみのチェーン・リアクション (6~9のプロセスが最も重要) 1、無明…無自覚であること。自分が心の深い ところで何を欲しているのか。 身体で何を感じているのかを 自覚できないこと 2、行…無明より発する心のアクション。 カルマ(意業・口業・身業) (1,2は過去因に属する) 3、識…過去の業による結果としての識。 生命維持心。 例えば、目に光が触れたとき、網膜や視神 経に発生する生化学的電気反応に伴う眼識 は、情報が脳に伝えられ処理された後で「こ れは赤い花だ」と認識される以前の前意識。 日常の自我意識からは認識されない無意識 的な働き。 4、名色…心身複合体。 身体各部や感覚器官への分化 以前の心身融合状態。 5、六感覚処…対象との出会いが起こる 六つの場。眼耳鼻舌身&心。 イメージや言語や概念などの心理的対象を 受け取るスクリーンの役割を果たす。 6、触…六感覚処に対象が触れた瞬間に 生ずる心作用。 対象との出会いから認知への意識の 流れを誘発する。 7、感受…対象との接触によって喚起される 原初的感覚印象。 微細な身体感覚として 体験され、快・不快・中性の3種に分かれる。 その瞬間にどのような身体体験するかは過 去の業の結果であり、変えることはできない。 その微細な感受を受け止めて、それをどう 解釈し、どのように対応してゆくかに、私たち の自由意志と選択の余地が生まれる。 (3~7までは現在果に属する=「生かされる命」) • 8、渇愛…感受に対して取捨選択的に働く 衝動的意思作用。 ・快の感受には欲望(引っぱる→その対象をさらに 欲する) ・不快の感受には嫌悪(押す→他の対象を欲する) ・中性の感受には忘却や無視、退屈(グルグル→無 意識的な安心を欲する)がそれぞれ生じる。 渇愛は新たに業を作る力を持つ。 この渇愛を自覚して、そこからどんな対応するか を選択するところに自由意志のスペースが開ける。 9、執着…渇愛に無自覚でいることにより、 習慣化して固着してパターン化した もの。 執着は新たに業を作る力を持つ。 この反応パターンは、神経や筋肉のネット ワーク上に、興奮のパターンとして組織化さ れていく。 10、有…「私」が生きていると思う自己同一性 を形成し、個体性を作り出す傾向性。 有(生存)には、業を作る力を持つもの (Kamma-bhava)と、過去の業の結果として、 今の「私」だと思い込んでいる、心身として 生じているもの(Upapatti-bhava)とがある。 (8~10までは現在因に属する=「生きる命」) 11、生…自我意識 12、老病死憂悲苦悩…「私」だと思う 自我意識が生まれるがゆえに体験する 実存的な苦しみの集合体。 (11~12までは未来果に属する) 五蓋=瞑想の障害 1、官能的欲望(Kamachanda) 眼・耳・鼻・舌・身体…対象に手を伸ばして掴 み取る。 収縮感…「切なさ」、分離感…「もっともっと」 「求不得苦」→怒り・憎しみ・嫉妬・猜疑の 物語を生じしめる 2、怒り・悪意・害意(Byapaada) ・他人へ向かう…嫌悪・憎しみ・軽蔑 ・自分へ向かう…自己嫌悪・自己批判・自責 ・過去へ向かう…後悔・恨み ・未来へ向かう…不安・恐怖 3、不活発性・眠気 Thina…心身が物憂く怠惰な状態 Middha…眠気、目覚めた意識状態が 保てず眠りに吸い込まれる 4、浮つき・後悔 ・Uddacca「躁」-自覚していない期待や 欲望が漏れ出る。心身の落ち着きのなさ ・Kukkucca「鬱」-下向きの興奮。 心配、後悔、罪悪感 「やるべきなのにしなかった…」 「やるべきでないのにしてしまった…」 5、疑念(Vicikicahaa) わからなさを保持しながら、 物事がどう変化していくかを見守れない。 疑い→心配・不安・疑心暗鬼・自己不信… 仏教の三位一体 ・「仏」「法」「僧」 ・「智慧」「慈悲」「方便」 (例:溺れた人を救うとき) 貧・病・争 貧・病・争 =(お金・モノ)(体・心)(人間・社会) との関係不全 昔…貧困、出稼ぎ ガン、結核、感染症 家庭内不和、戦争 今…サラ金・ワーキングプアー 、 ガン、アトピー、花粉症、うつ、PD、摂食障害 家庭内不和、幼児虐待、パワハラ 豊・健・和 ↑↑↑ 貧・病・争⇒滅却 (=安らぎ・平安) 仏道修行⇒「苦」の滅却。 豊・健・和の確立。 さまざまな誤解・誤用・・がまん大会、 神秘体験志向、虚無、隠遁etc 二つのアプローチ 「智慧」 & 「慈悲」 「瞑想行」 & 「菩薩行」 「智慧」と「慈悲」 ☆智慧=「善き縁となす」 今ここへの気づきと洞察 → 個の平安・至福に達する (すべてを生かす能力:例:渋柿、りんご、刃物) ☆慈悲=「善き縁となる」 今ここでの思いやり・心配り → 一切衆生と共に平和・安寧に達する (幸福と智慧のシェアー:慈悲喜捨、共感、愛語) 「瞑想行」 と「菩薩行」 ★「瞑想行」 (上座部仏教で重視) ~内と向き合う <智慧> 心・身との関係を通して ★「菩薩行」(大乗仏教で重視) ~外へ向かう<慈悲> 人間関係を通して お互い、相補的なアプローチである。 実際のところ、ひとつであるとも言える。 信 仰 (サッダー Saddhaa) ↓↑ 一般的には宗祖の教えの実践 ↓↑ 語源的には「心をそこに置く」こと ↓↑ 智 慧 (パンヤー Pannya) 心身についてのトータルな理解 ・自力? 他力? 影(シャドウ) • 事実「情報」として入ってくるか? →Not shadow • それとも、動揺を与えてくるか? →Shadow 影(シャドウ)の構造 ・外部への投射(投影) Iの一部→he/her/they化 I の一部 vs. he, her, they ⇒ 仲たがい ・内部への 抱きこみ(内向) Iの一部→it化 Iの一部 vs. it ⇒ 鬱、統合失調症(憑依) 天人常充満 怒り 爽やか 身体・精神・人間とのより良き関係 性を築くためのさまざまな技法が 開発され、学習する人が増大。 ↓ その道のプロが出現し、 求められている状況。
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