中日比較文学研究 台湾文学を読む 1 課題論文 廖秀娟(2012)「王昶雄「奔流」」『〈夢〉 からみる昭和十年代の外地文学』致良出版社 2 課題論文 3 著者紹介 廖秀娟(りょう・しゅうけん) 1973年、台北生まれ 1995年、淡江大學卒業 2003年、大阪大学大学院博士後期課程修了、 博士号取得 現在、元智大學應用外語系助理教授 4 「王昶雄「奔流」」論構成 5 1.はじめに 作品初出:『台湾文学』3巻3号(1943年7 月) 作品あらすじ 6 論文目的 「植民地の人びとにとって、「日本人」にな るということがいったいどういうことであっ たのか、そしてどうすれば「日本人」である ことが可能になると考えられていたのか、と いう問題に照準を合わせ、伊東春生と林柏年 がみせた衝突と対立の意味を、視点人物 「私」の眼差しを通して明らかにしていきた い。」(p.142-143) 7 先行研究 ① ② ③ 陳火泉「道」(1943.7)との対比から論及 されるパターン(皇民文学として) 反植民地主義的、或いは脱民族主義な読み (現在では一般的) 戦後改訂版の書き換えについて(戦前、統 治側の検閲によって削除せざるをえなかっ た部分を復元、さらには幾つかの個所を削 除) 8 2.〈夢〉への目覚め―伊東春生を介して 「私」―ぼんやりした不安 ↓伊東春生との出会い 「一刻も早く伊東の正体をつきとめたい」という強 い衝動 ↓ 伊東=本島人(台湾人)であることが発覚 ↓ 「私」―「喜び」 なぜ?①伊東が中学校で国文科を教えていること ②内地人(日本人)とちっとも変わらぬ垢抜 けた感じを持っていること 9 ○「私」の過去 「東京の或る良家の一女性」と別れて台湾へ帰国 ○「伊東」の生き方 「伊東は、「私」が不可能だと思ってきた内地式の 生活スタイル、日本伝統文芸の風雅、夢、ないし内 地人の妻まで連れて来て、それを内地同様に台湾で 再現していた」(p.151) ↑ 「私」が伊東の素性へ異常な関心を持った動機 伊東=「私」の苦悩に対して有効な解決方法をもた らしてくれる可能性をもった存在 10 【伊東による解決方法】 ① ② ③ 国語(日本語)を話すこと 台湾を、内地式の生活を送る地として支障があ るとは考えないこと 帰国後も夢をあきらめないこと ↓ 「一生を田舎医師として埋もれる」鬱憤から 「私」を解放 11 3.母親の表象―伝統的な束縛 ■林柏年の告発 (伊東は)「実の老父母を棄てゝあゝ云つた やうな生活をしてゐるのです。自分が楽をし さへすればいゝと思つて」 →「私」=動揺するも伊東をフォロー(伊東 先生には伊東先生の人生観がある) →しかし、それを伊東に問い質せない。理想 像を破綻させないため。 12 ○伊東の母親、「私」の母親、林柏年の母親 共通点=国語が話せないこと(皇民化生活の追求の 妨げとなる) 「私」=国語を話せない母親のせいで、東京での開業を 断念→伊東の苦悩に共感 伊東=皇民化生活の追求のため、国語を話せない母親を 棄てる 林柏年=母親が国語を話せないことを全く問題にしない →伊東には全く共感しない 母親=台湾そのもの (伊東が母親を棄てたことは、台湾を棄てたことと同じ) 13 4.台湾知識人青年の苦闘 作品の構造的に伊東の内面は語られない →伊東の内面は、「私」や柏年との会話の中 から推察するしかない 柏年=伊東に対して無礼・不遜 伊東=柏年の面倒を根気強く見る→こっそり 留学費用を肩代わり 14 ■伊東と柏年の同質性 幼少期の性格=自信のなさ 医者になるという親の期待に背いて、日本の 伝統的な分野へ進む (伊東は国文学、柏年は武道専門学校) ■伊東の過去 両親の仲違い→内地へ進学(解放、自由) 15 ■伊東の皇民化運動への傾斜の理由 伊東:「日本の古典を離れては、日本精神もな いもんだよ」 →古典を通して日本精神を得るため、国文科に 入学 伊東:「彼等には大きな夢といふ奴を持ち合は さない。手ツとり早く云へば、植民地根性がい つも低迷して困るんですよ。」 →伊東の夢:教育を通して本島人の青年に「植 民地根性」を払拭させ、「日本的な血潮を体内 に芽生えさせ」ること 16 【剣道の練習の場面】 田尻:本島人批判 伊東:「御同感です。」(本島人青年には努 力が足りない、という意味?) ↑ 柏年:「本島人でゐながら、本島人をさげす むやうな奴」として伊東を批判 17 【伊東の考え】 「本島人を蔑視する内地人と口論するよりは、 むしろ手早く皇民精神の改造に取り組み、一 歩でも早く内地人と肩を並べて歩ける本島人 になったほうが有効」 →医者ではなく教師を選んだにもこのため 18 【柏年へ通じない伊東の考え】 柏年「先生こそ、(略)生みの親を棄てる精神 では、教育が出来ると思ひますか」 伊東「莫迦、貴様に俺の気持がわかるか。だが 俺の気持はいつかは分つて来るんだ」 【柏年の決意】 柏年「本島人でゐながら、本島人をさげすむや うな奴を叩きのめしてくれる意味に於ても、き つとやります」→伊東に対する不満から奮起 19 5.「私」の成長物語 【伊東と柏年の論争に触れることで起こった 「私」の変化】 医者という仕事に対して積極的な意義と理想を 見出す 皇民化と親孝行の両立の方法→答えは出ない→ ただし、台湾の美しさを再発見する 20 ■本島青年の二重生活(台湾人として、かつま た日本人として生きていくこと)について 「私」→二重生活の悩みを克服するために「片 一方に向つて正面から戦ひを挑」むしかない 「片一方」とは?伊東の方法?柏年の方法? ↓ 「「牢固として既成の陋習からの開放」という 言葉からみれば、「私」が最後に伊東の方法―― つまり、徹底的な皇民化――に賛同したと解釈す るのが穏当であるように思われる」(p.169) 21 「私」→「それでいゝのだ、それでいゝの だ」 「クソ、クソ」と連呼しながら、丘の上から丘 の下へと駆け下りる 丘の上=郷土の美しさを発見した場所 丘の下=伊東のいる場所←「私」の下した最 後の決定 22 6.おわりに 【作品の評価について】 皇民文学か否かという論点自体を拒否 「作品の中心が、あくまでも三人の本島青年 が夢を抱え、苦悩に喘ぎつつも、次の世代の ために苦悩するその姿にあったのだというこ とは忘れてはならないだろう。」(p.171) 23 期末レポート 24 評分標準 百分比 平時成績 50% 期末成績 50% 要點說明 出席率20%、授業態度・参加度(発言の頻度な ど)30% 期末報告 (事例の適切性10%、分析の説得力20%、書式 (引用など)の適切性10%、日本語の適切性 10%) 評量方法 「東アジア」「文学」をキーワードとするレポートを提出してください。 分量は自由ですが、4000字程度を目安とします。テーマも自由ですが、 具体的事例を少なくとも一つ取り上げて、解説・分析してください。時 代・地域は問いません。ただし、論の中で、上記文献から少なくとも一 個所を引用してください。 25
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