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アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点 : 新し
い認識の可能性
前田, 眞理子
一橋論叢, 121(4): 600-612
1999-04-01
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/11870
Right
Hitotsubashi University Repository
平成11年(1999年)4月号 (98)
第121巻第4号
橋論叢
アメリカ合衆国外交史におけるジエンダー的観点
−新しい認識の可能性−
前 田
眞 理
問題に関する意識は、明らかに高まっている︵ま﹃o害・
りかけアメリカ外交史研究の問題意識は、過去に例を見
て国際情勢を理解できなくなった今日、国際関係学、と
冷戦構造が崩壊し、もはや東西対立という構図をもっ
口として着目されつつあることは、必然的な推移であろ
ジェンダーという観点が、一つの新しい外交史研究の糸
をもたらした︵寄げ①募昌L⑩竃︶。こうした潮流の中で、
教や文化などに対する関心は、比較史的な認識の必要性
また、本来、政治外交とは切り離して考えられてきた宗
一彗竃ρ旨昌ぎ二竃⑩一奉與寿①﹃L竃㌣o8﹃αq①L竈︷︶。
が意味するところの多様性は、ハロルド・ニコルソン
、つo
係が主流をなしてきたのに対して、国家や政府以外のア
なっている。従来、軍事・安全保障を軸とした国家間関
の複雑化の傾向は、ニコルソンが示唆した以上に顕著に
念とを区別するという、画期的な思考の転換をもたらし
学的な性別と、その性別に付随する社会的・文化的な観
申から自然発生的に生まれた。それは、生物学的・解剖
うに思われる概念は、一九七〇年代に、女性解放運動の
ジェンダーという、この一見、外交とは相容れないよ
クターが注目されるようになり、人権や環境など新しい
§亀曼︶において指摘している通りであるが、現在、そ
︵匡彗o5;︸o尿昌︶が、その古典的著書﹃外交﹄︵bミo・
ないスケールで多様化しつつある。﹁外交﹂という言葉
はじめに
子
600
(99) アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点
社会に女性と男性が存在する以上、人間を取り巻くあら
であることであることを主張したのである。この認識は、
そうした差異が、環境によって作り出される悉意的産物
であるという既存の理解に対して、ジェンダーの発見は、
た。女性と男性は、生を受けた瞬問から存在として異質
を見出すきっかけとなったのである︵ω①重g屋o。㊤一N竿
外交を男性中心的と見なし、国際関係の中にジェンダー
きた歴史は、ジェンダーという価値観と出会ったとき、
である。このような、女性が外交の舞台から疎外されて
大な外交間題や国家の政策決定は、男性が担ってきたの
た。言い換えるならば、ジェンダーに無関係︵ジェンダ
たアメリカ外交の考察が、徐々に進められつつある。そ
一九八O年代後半以降、こうした問題意識に支えられ
①考ω=印b旦巾胃り彗↓二竈①︶。
ー・ニュートラル︶とされてきた政治や社会、文化の側
の意図するところは、ジョーン・W・スコット︵旨彗
ゆる事象にジェンダーが関係するという結論を導き出し
面は、実は根本的に男性の支配の下で、女性は無視と無
理解に屈してきたため、ジェンダーの役割が軽視されて
社会的および文化的に許容されていた活動範囲は、平和
のところ、二世紀近くにわたり、大多数の女性にとって、
積極的な反応を示した事例は、きわめて稀である。実際
あるいは問接的な影響を与えたり、特定の政策に対して
アメリカ外交の歴史に関しても、女性が政策に直接的
て、ジェンダーという観点が直面する問題点や果たし得
な変遷を跡づけつつ、さらに、今後の外交史研究におい
るということである。本小論においては、その史学史的
とともに、ジェンダーを外交の構成要因として位置付け
り、アメリカ外交とジェンダーの間に相関関係を見出す
︵ω8貝冨o.o。︶を、アメリカ外交史の中に探ることによ
ンダーを構築し、ジェンダーが政治を構築する過程﹂
奉︸=s=oo85の言葉を借りるならぱ、﹁政治がジェ
運動および反戦運動という問接的な領域に限られていた
る役割について、考察していきたい。
きたのである。
と言っても過言ではない。女性が平和や反戦と取り組む
ことはあっても、外交における最重要課題とされてきた
軍事および安全保障の議論に加わることはなかった。重
601
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一橋論叢
アメリカ外交史におけるジェンダー的
項を挙げることができるが、﹁市民﹂の定義と照らし合
わせてみると、この原則が具体的に指し示す内容が、実
点は、従来の外交史研究が見過ごしてきた部分であるゆ
を逸脱していることは、確かであろう。ジェンダー的観
その影響を議論する作業が、従来の外交史研究の枠組み
外交の領域に紅いて、ジェンダーという要因を見出し、
冨竃︶。そして、外交の業務を、中流および上流階級の
かに異なっていた︵穴實σ⑦﹃し①o。〇一︸o鼻彗o−饅昌窃一
ク的な﹁市民﹂の義務と権利は、女性と男性とでは明ら
いるように、早くも建国の時点において、ジョン・ロッ
リンダ・K・カーバー︵︹づ註丙.5︸彗︶が指摘して
はいかに非具体的であるかという事実が明らかになる。
えに、既存の理解を逸脱せざるを得ない側面を持ってお
白人男性が担うようになったとき、彼らと異なった義務
と権利を持った﹁市民﹂たちは、切り捨てられたのであ
ジェンダー的観点から外交に考察を加えるという作業
上で初めて、新しい議論が可能となるのである。
﹁外交﹂を支えてきた人的および物的要素を脱構築した
まず、﹁外交﹂の定義を脱本質化するとともに、同時に
移動や社会運動の広がり、文化の衝突や融合などの民際
問で協議され、決定される国際関係だけでなく、民族の
が高まってきているという考察である。すなわち、国家
た外交史研究において、民際外交的な側面に対する関心
第二に挙げられるのは、国際外交を中心的に扱ってき
る。
は、いくつかの基本的な認識に基づいている。第一に挙
しくは与えなかった︶影響、あるいはそれらが国際関係
となった。さらに、それらが国際関係が与えてきた︵も
に及ぽしてきた︵もしくは及ぼさなかった︶影響もまた、
関係もまた、外交の関心領域として、認知されるところ
交の一般原則の一つとして、国家の構成員たる﹁市民﹂
げられるのは、外交という領域が、本来考えられてきた
の要求や希望を反映した政策の決定および施行という一
ほど、中立的ではないという見解である。そもそも、外
な意識の変革が求められていることは言うまでもない。
ェンダー的観点をもって外交を論じるためには、抜本的
り、むしろ、逸脱して当然なのである。したがって、ジ
観点の定義
二
602
(1O1) アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点
新しい可能性を示すとともに、論争の火種となった。
希望的な観測をもって、これを﹁女性外交史︵奉o昌−
考慮されなけれぱならない。こうした関心から、外交史
こうした認識が研究として実を結んだのは、一九八○
雪.ωU亘o昌竺ざ;goq︶﹂と名付け、その方向性を提
しかし、この新しい領域の旗手となったのは、クラポ
年代後半以降である。その中で、外交史研究に新風を吹
示したsミ§ミ呉﹄§㊦ユo§曽ao葦べ↓口竈o]︶。彼
研究をおこなう上で、人種や階級、エスニシティなどと
き込むような提案をおこなった最初の外交史学者は、エ
女によれぱ、﹁女性外交史﹂とは、﹁卓抜した能カを持ち
ルではなく、工、ミリー・S・ローゼンバーグ︵向昌二く
ドワード.P・クラポル︵内q奉彗庄勺.OSoo−︶であっ
ながら、しぱしば過小評価されてきた女性たちを、外交
ともに、ジェンダー的観点は、個別的に、あるいは集合
た。彼は、§§§§、﹄§§ざ§きミ清sきミ︷一トg−
史の流れのなかに見出す﹂ことを出発点と見なした上で、
ω.宛oω昌σ胃oq︶であった。彼女は、この領域の将来に
昌室μoミ︷8三ミき良§葛︵﹃女性とアメリカ外交ー
彼女たちと外交との関係を考察するという作業を通して、
的に、重要な問題意識となり得るのである。
ロビイスト、批評家とインサイダー1﹄︶を通して、
標に据えている。それは、より具体的には、歴史的に女
従来の外交史理解の再検討および再定義を行うことを目
︵9岩〇一し㊤竃︶。そこで取り上げられている女性たちは、
性に課せられた障害を認識することにより、外交に意欲
ジェンダー的観点から外交史研究を試みた先駆者である
ジェンダーの障壁にぶつかりつつも、アメリカ政府の内
こうして打ち出されたローゼンバーグの定義は、ジェン
を燃やした女性たちの歩みに歴史的な意義を見出し、複
彼女たちの活動は、ジェンダーという不本意な制約を課
ダー的観点を外交史研究に取り込んでいく上で、広く受
外において、アメリカ外交政策に直接的およぴ問接的な
せられていたにしろ、歴史に名を残すにふさわしい外交
け入れられるようになり、きわめて重要な研究基盤とし
合的な尺度をもってこれに再評価を加える試みである。
的貢献として捉えられている。クラポルの革命的な議論
て理解されるようになったのであった。
関与を試みた果敢な存在として描・かれている。そして、
により、ジェンダーと外交史研究の融合という試みは、
603
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ジェンダー的観点にょるアメリカ
題意識に対する挑戦にはなり得ないのである。特定の女
性の主張と、当時の政治的情勢や外交政策とを直結させ
第一に、女性のみに着目するという選択が、外交史に対
を示唆した際に、すでに存在していたと言えよう。まず
史を論じる際に直面する問題は、クラポルがその可能性
けでは決してない。むしろ、ジェンダー的観点から外交
観点からおこなう外交史研究に、問題性が存在しないわ
ローゼンバーグが代表しているような、ジェンダー的
で関与してきたのは、当然のことなのではないだろうか。
天的に異質であるならぱ、外交に対しても異なった方法
て差異が生じるのかという議論である。女性と男性が先
あるいは本来同質であるにもかかわらず、社会化によっ
わち、女性と男性は生まれながらにして異質であるのか、
学/ジェンダー学のそれに共通する課題であった。すな
こうした難題のうち、最大の問題は、奇しくも女性
する試みは、きわめて短絡的であろう。
ることによって、その個人の貢献として結論づけようと
して本質的な変革を迫っているとは考えられない。そも
あるいは、女性と男性が先天的に同質であるならば、外
外交史研究の動向
そも従来の外交史が男性中心的であるという理由のみで、
交政策を女性が外交政策を決定しようと、男性が決定し
ーを論じる必要性は存在しないのではないだろうか。こ
新しく﹁女性外交史﹂という別個の名称を掲げるという
うした疑問に対して、この領域そのものの正統性あるい
ようと、差異は生じないであろうため、外交とジェンダ
新しい価値観および観点を用いて、従来の研究を新たに
は信懸性を打ち出すために、何らかの返答を備える必要
していると言える。むしろ﹁外交史﹂を名乗る・からには、
書き換える努力が必要であろう。第二に、従来の外交史
こうした問題に対する解決策は、国際関係論における
がある。
み出す必要がある。知られざる女性による知られざる業
理論から影響を受けながら、模索された。国際関係論で
研究の尺度によって評価されることのなかった人物を、
績を、﹁落ち穂拾い﹂的に蒐集するだけでは、既存の問
敢えて取り上げるという場合には、新しい評価基準を編
選択肢は、あまりにも安易であり、根本的な矛盾が内在
三
604
(103) アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点
は、クラポルと時をほぼ同じくして、ジャン・J・ペッ
トマン︵盲コヨコo︸勺①ヰ昌印=︶やレベッカ・グラント
き迂轟き§ミg吻§寒♀ぎ膏§§§ミきミざ吻︵﹃バ
ナナとビーチと基地−国際政治のフェミニスト的理解
ころは、多様化したアクターとジェンダーの関係を考察
;㊤ニゴ鼻冨﹃Lo竃一勺①一↓昌彗し竈①︶。彼らの目指すと
おこなっていた︵宛叩=α画=Loooごos目↓與目oz①ミ5目p
領域を、ジェンダーという変数を用いて解読する努力を
おり、バワー・ポリティックスや国際政治経済といった
してジェンダー的観点から再検討を試みることを志して
巨①雪z①三彗α︶といった研究者が、既存の理論に対
﹁個人的なことは国際的である﹂という結論を導き出し
治的である﹂という女性解放運動のスローガンを模した
いう疑問を前面に押し出した上で、﹁個人的なことは政
おこなっている。彼女は、﹁女性はどこにいるのか﹂と
など、既存の理解を打ち砕くような斬新な発想の転換を
境する観光産業、ハリウッドにおけるエキゾティシズム
など、正統的な国際関係論の領域にも留意しながら、越
主義に低抗するナショナリズムや南北を隔てる経済格差
︵宛①σ9o︸OS葦︶、キャスリーン・ニューランド︵穴算− −﹄︶であった︵向三〇①L竈o︶。エンローは、植民地
することにあうた。より端的に言えぱ、﹁女性はどこに
を打ち出したことが特徴的であった︵里ω巨巴目竃o↓〇一
てるジェンダーニフインに至るまで、非常に広範な内容
ら、多国籍企業における女性労働者と男性労働者とを隔
ンダー・イメージがナショナリズムの中で果たす役割か
︷§一§㊦ぎ色き葛︵﹃外交における女性ーインサイダ
ーズ︵ζ宰①2;ω胃斥①霧︶は、§§雨ミぎきミ暗Sき∼−
グレン︵Z與コoくζo9①コ︶とメレディス・R・サーキ
いて大きな発想の転換をもたらした。ナンシー・マック
国際関係論におけるこうした展開は、外交史研究にお
ている。
巨易L8〇一ω目−;與目oミ団=雪ω冨巨L⑩㊤∼︶。
ーたちー﹄︶を通して、国務省と国防総省という政府
いるのか﹂という明快だが深甚な疑問に基づいて、ジェ
ジェンダー的観点からおこなわれた国際関係研究のう
機関に身を置いてきた女性たちに着目した︵ζogg
彗oω彗斥8ωL8ω︶。この研究の特徴は、女性だけでな
ち、特に大きな影響力を持ったのは、シンシア・エンロ
ー︵Oく葦巨国向邑o①︶によるb8S8Ss少boSoぎ婁俸bs竃︸、
605
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男性外交官の間に見られる類似点と相違点を指摘するこ
インタビュー、アンケートなどを用いて、女性外交官と
定してきたからである。この新しい間題意識は、今後、
交政策に関与し、またその政策に影響を受ける過程を決
ーこそが、女性と男性が異なった手段と認識をもうて外
ることの重要性を示唆している。なぜならぱ、ジェンダ
とによって、両省におけるジェンダー関係に対して考察
ジェンダー的観点をもづて外交史を再評価していく上で、
く男性に関しても論述されている点であり、資料や統計、
を加えている。女性の存在のみでなく、男性との関係や
基本的な認識となるであろう。
みを取り上げるのではなく、ジェンダーという枠組みの
及しうる決定的な影響カを有している。より端的には、
ジェンダーという要素は、潜在的にあらゆる方向に波
可能性
ジェンダー的観点における外交史研究の
ジェンダーの影響を考察するという本書の目的意識は、
意義あるものと恩われる。
マックグレンとサーキーズの著書に代表されるように、
中に位置付けて、見解を展開しているという意味で、画
たとえ女性と男性が、同じ政治的目的や認識を持ってい
一九九〇年代に入ってからおこなわれた研究は、女性の
期的な発展を見せたと言えよう。新しい研究の多くは、
たとしても、それを表現する方法は、ジェンダーゆえに
策によって受ける影響は、必ずしも同一とは言えない。
女性と男性の生物学的および解剖学的な同質性を強調す
質性そのものに照準を当てることを、避ける傾向が強く
そして、こうした差異ゆえに、女性と男性が、異なった
異ならざるを得ない。また、同じ人種やエスニシティ、
なってきている。むしろ、先天的に与えられたものであ
要求を掲げ、それぞれ集団的に政治的な圧力を持つ可能
る一方で、社会化がもたらす後天的な異質性を分析して
れ、人為的に作り出されたものであれ、ジェンダーが、
性は否定できない。要するに、ジェンダーとは、個人と
階級に属していても、女性と男性とでは、特定の外交政
女性と男性を政治的に規定することに変わりはなく、そ
外交との関係を決定する根拠になるだけでなく、個人を
いる。こうした議論において、先天的な同質性および異
の結果生まれる、行動や思想におけるギャップに着目す
606
(105) アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点
性が内在している。それゆえに、ジェンダー的観点をも
いるならば、ジェンダー的観点にもまた、多面的な可能
ジェンダー自体が、二うした複雑な派生効果を持って
ある。
政治的意図に基づいた団結へと導く要因になり得るので
な政策決定にたずさわるようになづたのは、一九七〇年
四年まで待たなければならない。さらに、女性が実質的
からのことであり、女性の職業外交官に至っては一九二
の管理職および専門職が誕生するのは二〇世紀に入って
も、それは白人の申流以上の女性に隈られていた。女性
ジェンダー的観点をもってアメリカ外交史を理論的に考
論を整理分類する必要が生じてくるのである。すなわち、
きた男性との比較において、女性が異なった歴史を歩ん
して以来、国務長官や大使など主要なポストを独占して
たがって、合衆国建国とともに設置された国務省に入省
以降である︵O巴ζコニ彗ご9昌9&①↓與FL竃仁︶。し
察するためには、まず第一に、ジェンダーが外交に与え
できたことは一目瞭然である。
ってアメリカ外交史を考察する際には、そのための方法
た影響と、外交がジェンダーに与えた影響を複合的に捉
るとともに、それらに共通する部分にも注目しなければ
関係と、民際外交とジェンダーの関係を個別的に考察す
る。しかし、男性が決定する政策に対して、女性はそれ
政策がジェンダーに作用した影響のほうが、特徴的であ
論じる上で、ジェンダーが政策に作用した影響よりも、
したがって、アメリカ外交とジェンダーの相関関係を
ならない。ここでは、これら二点に関して、より具体的
を受動的に受け入れるのみであったわけではなく、もし
える必要がある。また第二に、国際外交とジェンダーの
に議論していきたい。
するのは、男性に遅れること一世紀、一八七四年のこと
アメリカ合衆国において、女性が国務省に初めて入省
︵一︶ アメリカ外 交 と ジ ェ ン ダ ー の 相 関 関 係
衆国建国以前においてさえ、その傾向が見られた。ボス
初めて、外交政策は効力を持ち得たのである。事実、合
してきたのであり、女性と男性の相互的な関係があって
ンダー認識に過ぎない。女性は能動的に政策に対応を示
もそのような解釈があるとすれば、それは一方的なジェ
であったが、その任務は一般事務に限られていた。しか
607
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トン茶会事件において男性が投げ捨てた紅茶の代用品と
ギリス製品のボイコットを男性が決議したのを受けて、
政策決定レベルにおける長期にわたる女性の不在は、
︵二︶ 国際外交と民際外交におけるジェンダー
て、比較史的な理解が可能になると思われる。
羊毛を紡いだり綿製品を縫製することによって、市場経
国際外交におけるジェンダーの影響を制約する一方、民
して、ハーブ茶の開発に取り組んだのも女性であり、イ
済の停滞を回避したのも女性であった。
際外交におけるジェンダーの存在を強調することにもな
このように、アメリカ外交政策とジェンダーの間には、
と言えよう。
におけるジェンダー関係に、大きな変化がもたらされた
象とした買売春がおこなわれるようになり、戦前の日本
的な権利が保障されるようになった一方で、駐留軍を対
日本の例を見ても分かるように、女性の政治的および法
とは、言うまでもない。すなわち、第二次世界大戦後の
その国におけるジェンダー関係にも影を落としているこ
影響は多角的である。アメリカの他国に対する影響が、
ら文化交流に至るまで、アメリカ外交が他国に及ぼした
られる男性中心性と、民際外交における平和・反戦に見
を挙げるならぱ、国際外交における軍事・安全保障に見
そうした構図を示す例として、戦争と平和という概念
ものとなった。
けるジェンダー・ロールは、打破されなければならない
性の参加が目立つようになってくると、既存の外交にお
外交にたずさわる女性が増加し、民際外交においても男
る結果となった。しかしながら、 一九七〇年以降、国際
位性を強調することになり、ジェンダーの概念を強要す
る女性のめざましい活躍は、その領域における女性の優
によるものであり、民際外交の申でも特定の側面におけ
的であるとして捉えられているのは、女性の歴史的欠落
った。言い換えるならば、国際外交が一律的に男性中心
アメリカ外交とジェンダーの相関関係は、特にアメリ
密接かつ多層的な相関関係が存在する。従来の外交史研
られる女性中心性が、歴史的文脈の中で明らかになって
カ合衆国国内に限った問題ではない。戦争や軍事介入か
はなかったが、ジェンダーとの関連で捉えることによっ
究は、こうした相関関係を研究対象として直面すること
608
(107) アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点
︵言彗①罧①刃彗巨コ︶の﹁平和は女性の仕事である﹂と
﹁平和は女性の仕事である﹂という観念を疑問視するよ
いて、政策決定にたずさわるようになった女性の増加は、
識が暖味になっていった。また、国務省や国防総省にお
いう主張は、古くはアビゲイル・アダムズ︵>巨σq邑>o−
うになった。すなわち、彼女たちの多くは、男性と同様
くる︵旨宗冨<叩旨コ①9冨竃︶。ジャネット・ランキン
印昌ω︶に始まり、多くの女性と男性が共有する認識とな
ることを望んでいたのである。
の経歴と価値基準を持ち、平和ではなく外交を仕事とす
がりを見せ、アメリカ合衆国の国境を超え、ヨーロッパ
民際外交においても、非政府および非営利団体の発展
った。女性による平和運動は、二〇世紀に入ると盛り上
の女性平和運動家と連帯して、平和と自出のための国際
および非営利団体は、環境保護や地雷撤去といった、よ
は、男性役員の尽カを要していた。平和と反戦に重点を
ガータ・ラーナi︵O雪冨ピ①;9︶の指摘通り、直接
り多面的な目的を掲げることが多い︵ミ①g彗o里自昌−
女性連盟︵奉o∋彗.ω;8﹃昌ごo冨一﹁8oq;hoH浮彗①
に政治的権カには結びつくことのない﹁前政治的︵肩①1
σ90qL竈〇一〇彗8﹃L8M︶。ここで着目すべきは、こう
置いていた二〇世紀初頭の民際外交とは異なり、非政府
O〇一;O巴︶﹂活動であったものの︵幕昌①﹃L彗㊤︶、その
した団体において、国家や政府との交渉は不可欠であり、
彗o∼①&o昌︶を結成するに至った。こうした運動は、
中でジェンダーが果たした役割を無視することはできな
事実が、ミクロなレベルでのジェンダーの規定をおこな
存在するジェンダー認識も変容していくからである。
国際外交と民際外交の基準が変化するとともに、そこに
のレベルやアクターによって、変化するのは当然である。
このように、いかにジェンダーを認識するかは、外交
っているという点であろう。
男性がそういった役割を中心的に担う場合が多いという
、い。なぜならジェンダーは、国籍や階級など背景が全く
異なる女性たちに、連帯の機会をもたらしたからである。
しかしながら、この二〇年あまりの間に、国際外交と
民際外交自体も、そこに内在するジェンダー認識も、大
きな変貌を遂げた。国際外交において、人権や環境とい
った問題が、かつてよりも大きな比重を占めるようにな
ったことにより、それぞれの争点におけるジェンダー認
609
一橋論叢 第121巻 第4号 平成11年(1999年)4月号 (108)
いており、また﹁権力﹂という言葉と女性という存在の
数多くの政治的および社会的拘束に変革を追った。二〇
う概念を生んだ女性解放運動は、アンリカ社会における
問には、大きな意識的た隔たりがある。ジェンダーとい
一九八七年、﹃ライフ﹄誌が大統領候補に関する特集
年という時の流れを超えて繰り広げられたこの運動は、
五 変化するジェンダーと外交史研究
を組んだ際、インタビューを受けた人物の中で唯一の女
問に対し、﹁女の子たちは、大統領になりたいなどと夢
領に選ぱれることを意識するようになったのかという質
に実現したのである。しかしながら、女性解放運動を経
ある”個人的なことは政治的である”という恩想を着実
平等化から人工中絶権の確保に至るまで、スローガンで
批准にこそ失敗したものの、雇用や労働に関する権利の
男女平等憲法修正案︵内o;一巴oq巨ω>昌g匹昌8↓︶の
性であった元国連大使ジーン・力ークパトリック
見ることがないのです﹂と切り返した︵卜富一〇①8昌−
てなお、”個人的なことは政治的である〃という認識、
︵言彗①彗募君巨鼻︶は、何歳の時点において、大統
﹁はっとするほど率直﹂な意見であると記しているが、
σ實冨o。べ︶。これを﹃ライフ﹄誌の記者は、無頓着にも
にもかかわらず、ジェンダー認識は、明らかに変化を
そして”政治的なことは個人的である”という認識が、
語っているように﹁小さい頃から政治に興味を持ってい
遂げている。そして、外交史のみならず、今同の歴史研
アメリカ社会に根を張っているとは言いがたい。
た﹂なら、大統領になりたいと感じたことがあっても不
究一般において、人種やエスニシティ、階級といった問
力ークパトリックは、これらの言葉を皮肉を込めて語っ
思議ではない。むしろ、本当に力ークパトリックが大統
題との関連によって、その重要性はさらに増大している。
たのである。もし彼女が、数多くのインタピューの中で
領になりたいと思ったことがなかったならぱ、それはア
シティの多数階級︵アメリカ合衆国の場合は西ヨーロッ
具体的には、ジェンダー認識が、多数人種およびエスニ
多くの研究者が指摘しているように、﹁女性は政治に
パ系白人中流階級︶によって形成されているという反省
メリカ社会の歪みの表れなのではないだろうか。一
は向かない﹂という意識は、根深くアメリカ社会に根付
610
から、より多面的なジェンダー認識の構築が試みられる
ようになったのである︵>葦巨竃與コqく自く巴■U與三ω一
。量竃一峯胃9屋竃︶。その背景には、多文化主義に基づ
前進の一歩となり得るのである。
。主要文献
>巨三鶉一ヨo言一彗饒;﹃凹くE毒一−Uミ〆為§ざ寿o乱、o§§■
亭カ§這望§潟ミ﹁O巨O目ら昌茅島O﹂8∼1
﹁膏9完§恥きざ§一〇§軋§ooざミ§包gs餉§、§雨㌧ミ■
匝oo河9邑p彗αω冨彗旨昌①9①茅b§§﹄導§ミ︸§﹄
いたイデオロギー的主張があることは事実であるが、ジ
ェンダー認識自体が、既存の間題意識に異議を唱えるも
○竺斥−P葭O昌5﹃﹁.き§雨S︸ミ﹄§雨﹁ざsミき、9的ミ﹄さ︷葛.
9gsぎξ.−oま〇三宛o篶幕島o﹂8N−
bさミ§ミ9詩§隻貴きミミ宣ま−§8§、き§s膏
のである以上、より広範かつ総括的な理解を目指して、
変化に対応していくべきであろう。
このように、ジェンダーに関する社会的認識が変容す
○凹ユ①コ >℃﹃自.きSo雨 き竈軸§雨茗凍㌧ぎ膏§SまoS昌﹄ ミO膏㎞、ω
ミ窒三目oq8p冒ρ一∪ε彗↓昌彗↓o︷ω冨↓①﹂彗↓l
ぎ§ミぎミ§ミミき−§§餉.r婁一晶δ三−異一轟︷昌
忌﹃U①ユ彗一旨昌男彗α⋮一〇巨9穿巷マ9&ρぎ膏§s.
団oo雰二㊤竃.
︷§h卜o︸ξ婁μ9§o少§軋§包§鼻≦目邑長δ三ωカ
O﹃固iO−一向匹ξo﹃α甲一①P妻§軸SsS、﹄§雨ぎo昌ミきミ雪き−−
§軋き﹃ミき﹄§富之ミこb峯﹁oま昌一−o長ヨ彗﹂8M.
るものである以上、そうした価値基準を用いた歴史研究
の変化を反映することがなけれぱ、女性と男性の外交と
の関係は、実際の文化および社会とは切り離されたもの
にならざるを得ないからである。言い換えるならば、学
問的研究が文化的あるいは社会的変化に対応できない隈
り、その実質的な政治性は、今後も軽視され続けるであ
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い、さらに実質的な意識の転換が必要とされているので
あり、ジェンダー的観点をもった外交史再評価の発展は、
611
もまた、その影響を受けざるを得ない。ジェンダー認識
(109) アメリカ合衆国外交史におけるジェンダー的観点
第121巻第4号 平成11年(1999年)4月号(110〕
一橋論叢
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︵一橋大学専任講師︶
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