洋菓子の名店で 働くということ ガラスケースに並ぶ色と りど りのケーキ、 絵 本から 抜け 出たようなかわいいクッキー、 心を躍らせるそんな洋菓子店も、厨房に一 いっぱいに広がる甘く幸せな香り│ 誰もが 歩足を踏み入れると、そこは別世界。真 剣な表情のパティシエたちに無駄な動きは一 切なく、緊張感あふれる、まさに聖域。 そこで働くパティシエールのひとりが、松 奈 津 子さんだ。 彼 女が忙しい毎日を 送 るのは、 都 心から 少し 離れた東 京 都日 野 市の〝パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ〟。 さん Choice is yours Natsuko Matsuzaki : Patissier 毎日同じ質のよい製品を作ること。やりが 松﨑奈津子 〝ケーキ屋さんになれますように〟 短冊の願い事から始まったパティシエールの道。 失敗も、 スランプも、 流した涙も 誰をも幸せにする甘いケーキにかえて│ そして今、 シェフと同じ高帽を目指す。 パティシエール はる︶シェフがオーナーを務める名店だ。 きらきらした顔を見たとき。店内の子ど いを感じるのは、ケーキをのぞくお客様の ●パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ 勤務 東京製菓学校︵2013 年卒︶ ﹁ ま も な く、 働 き は じ めて 三 年 目。 さ 洋菓子界の重鎮、藤生義治︵ふじうよし ま ざ ま な 作 業に 携 わっていま す。お 店で 生菓子、焼菓子、コンフィズリーなど、店内 に並ぶ約 200 種類のフランス菓子は、すべて もたちに話しかけることもある。松 さん ま す ﹂。一般 的にその 朝は 早 く、フジウの トインのお客様へドリンクなどを提供してい 朝は 想 像 以 上だった。 朝三時 過ぎに起 床 して、お店に 入るのは四 時。 菓 子の 仕 込 くようになかを眺めていた。七夕の短冊に 幼いころ、近所のケーキ屋さんにはガラ ス張 りの 厨 房があ り、 松 さんは 張 りつ みと仕上げ、メニューの勉強や掃除を含め、 間のほか、 名 店と なれば、 厳しい上 下 関 書いた願い事は ﹁ケーキ屋さんになれます のキャッチコピー。〝お菓子がなくても生き 係があるのだろうか。﹁スタッフはみんな年 ていけるけど、お菓 子のない生 活は ない〟。 進 路 を 考 えていた と きに 見つけ たひとつ 東京製菓学校のこのコピーに触発され、入 ように﹂。想いを抱いたまま高校生になり、 方針により、スタッフは全員新卒採用。約 ん、 自 分の力にな り ます ﹂。 藤 生シェフの 学を決意した。 齢が近く、 先 輩はきちんと 後 輩を 見てく 五年 働いたあと、それぞれがフランスをは で製 菓 理 論を 学び、その知 識を 活かして じめ国 内 外の他 店で経 験を 積む。そのた 現 在、 松 さ んが 仕 事で 大 変 だ と 感 じるのは、 気 候 などの条 件が異 なるなか、 キー生 地を 仕 込む人、 焼く人、 仕 上げる 二年間の学生生活は、松 さんにとって 密度の濃いものになった。基礎から応用ま 数 多くの実 習を 行い、 自 分の目や 感 覚で 分 担だからこそ失 敗は 許されず、 行 程が 人など、作業はいくつもの段階に分かれる。 増えるほどプレッシャーがふりかかる。一人 菓子作りを覚えた。実習では、カスタード き分離したり、失敗もたくさん経験した 広い視野が必要だという。 体の 流 れに 注 意 を 払 わ な け れば な ら ず、 と きには、スランプに 陥るこ と も ある。 ﹁ 十二月の 繁 忙 期に、一年 目にするよ う ひと りがそれぞれの作 業を 行 う なか、 全 思い返して、 仕 事への自 信につなげていま ます。 授 業での失 敗や 気をつけたことを な些細なミスを繰り返してしまいました﹂。 という。﹁今でも現場で〝学校で触れたこ 間と、チョコレートで深海の沈没船をイメー す﹂。文化祭では、約三十名のクラスの仲 ぎてし まった。ミスを するのが 怖 く な り、 まった。メレンゲ菓 子のメレンゲをつぶしす 作 業が遅くな り、また怒られる。その繰 チョコレートムースの 作 り 方 を 間 違えてし してみんなをひとつにまとめるのに涙した り 返し。 松 ジし た一メートルほ どの 作 品 を 制 作。メン こともあった。﹁級友から刺激を受け、つ まっていった。﹁何週間もミスを重ね、怒ら そして、一年次の冬、松 さんは〝パティ スリー・ドゥ・シェフ・フジウ〟 と 出 会 う。 いに活きています﹂。 てもうれしかったです﹂。 きちんと見ていてくれていると分かり、と たとき、 悪くないと 言われ、 良い部 分 も れ続けました。もうボロボロでしたね。け 入りが多くて驚いた一軒の洋菓子店。店内 くのだろ うか、それと も 海 外で修 行する 松 さんがこのお店で 働 くのは あ と 約 三年。その後は、日 本にある別の店で働 ま だ 何 も 考えていません。 今は 自 分のこ のだろうか。﹁この店を 出てからのことは、 菓 子の種 類がどのお店よ り 多く、 圧 倒さ その美 味しさに感 動して、ここでインター とをしっかり見ていてくれた先輩のように、 きらした輝きと強い意志が宿っていた。 は、ケーキを見つめる子どものようなきら 手にした 高 帽を まぶしそうに眺めなが ら、こう語ってくれた松 さん。その瞳に なりたいと思っています﹂。 でなく、 高 帽にふさわしいパティシエールに かぶることができるものです。ただの飾り になること。これはシェフが認めた 人のみ 後輩に指導できるようになりたいです。そ ンシップをさせてもらうことに決めました﹂。 して大き な目 標は、 高 帽をかぶれるよ う うだ。たとえば、タルトを作る作業は、クッ も、現場でギャップを感じることはあるよ した ﹂。 学 校では 徹 底 的にスキルを 磨いて ﹁ 自 分一人で作る菓 子がほぼないという 点が、いちばんの 驚 きであ り、 感 動し ま 高帽にふさわしい パティシエールになるために その後、松 さんは想いをかなえ〝パティ スリー・ドゥ・シェフ・フジウ〟に入社した。 れました。三種 類のクッキーを 買って食べ、 に入り、松 さんはさらに驚いた。﹁焼き れど、次に別のポジションに入って作業をし 都心から離れているにも関わらず、人の出 インターンシップ先を探していたときだった。 さんは、 負のスパイラルには 協 調 性は 不 可 欠で、これは 今の現 場に大 ねに向上心をもって学ぶことができました。 バーの強い個性がぶつかり合い、クラス長と とのある作 業だ〟と 思うことがよくあ り クリームがダマになったり、ムースを作ると め、みんな歳が近いのだ。 れます。怒られて、注意していただいたぶ 仕 事が終わるのは 午 後六時ごろ。 就 業 時 現場で活きてくる 学校での協調性や失敗 は、一か月ごとに製造と販売を交互に行い、 ※パティシエールとは、 「パティシエ」の女性 名称。 さな子どものころだった。 の技術を身につけます。お店を巣立ったあと も、みんな順調にいっているようです」。 がパティシエールを意識したのも、そんな小 年でお店を卒業するように指導している。 「東 京でもパリでも、どこへ行っても困らないだけ 製造では、生地やクリームの仕込み、ケー ご自身の経験から、複数のシェフのもとで働く ことが本人の力になると考え、スタッフは約 5 キの仕上げなど、販売では、接客と、イー スタッフによる手作り。藤生義治シェフは、日 本、フランス、オーストリアの店舗で修行した
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