情動記憶と睡眠

はじめに
情動記憶と睡眠
れている。
栗 山 健 一
証が初めて示されて以降、様々な研究が記憶処
不眠が既述の精神疾患の病態に及ぼす影響に関
憶の強化に果たす睡眠の役割および、随伴する
本稿では、ストレス関連障害や不安障害の病
1924年に
と
により、
Jenkins
Dellenbach
態と関連が強い情動記憶に焦点を当て、情動記
睡眠中の記憶処理プロセスの存在を示唆する傍
理における睡眠の重要性を支持する証拠を報告
して概説する。
睡眠中の陳述記憶強化
してきた。特に1990年代後半より、睡眠中
の長期記憶強化過程の存在を示す報告が加速度
的に増加し、非専門家にもその概要が知れ渡る
ようになった。睡眠中に強化される記憶内容の 学習した知識や日々の出来事に関する記憶は、
心理学分類では陳述記憶と呼ばれ、主に言語的
るが、情動記憶と呼ばれる強い感情変化を伴う
類される。陳述記憶の処理は、主に海馬と呼ば
に表現可能な記憶内容がこの記憶カテゴリに分
代表は知識や出来事の記憶を含む陳述記憶であ
出来事の記憶も、睡眠と関連が深いことが示さ
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トピックス
知症等の疾患研究で示されている。
起が困難になることが、多くの脳障害研究や認
り、ここに障害が起こると陳述記憶の記銘、想
れる側頭葉内側に位置する神経器官が担ってお
促進することに関連すると推測されている。他
達経路を強化し、前述の記憶保存器官の移行を
の記憶強化過程は、海馬から新皮質への神経伝
剥奪されると陳述記憶の強化は弱まる。睡眠中
方で、海馬から新皮質への記憶保存器官の移行
は、むしろ余分な神経伝達経路を減少させ高効
率化する︵ neuronal downscaling
︶過程が関与す
る仮説も支持されており、詳細は分かっていな
特に、陳述記憶の記銘および強化のプロセス
で海馬は重要な役割を果たす。陳述記憶は、学
強く働き、これを繰り返すことで、徐々に記憶
い。
習により海馬を中心とした神経ネットワークが
が強固に保存される性質を持つ。この背景に、
比較的保たれるのはこのためである。そして、
く障害される反面、発病以前の出来事の想起は
認知症の患者では、陳述記憶の新規記銘が著し
頭葉を中心に脳障害を生じるアルツハイマー型
示されており、記憶強化︵ memory consolidation
︶
過程と呼ばれている。病初期には海馬を含む側
る︵図①青矢印︶
。
述記憶強化過程に重要であることが示されてい
M睡眠中の特徴的背景波である徐波活動が、陳
るリップル波、スピンドル波等、さらにNRE
めた皮質下器官と新皮質との神経連絡を反映す
︵ non 睡眠中の陳述記憶強化過程は、NREM
︶ 睡 眠 が 重 要 で あ る。 す
Rapid Eye Movement
なわち、NREM睡眠中に出現する、海馬を含
海馬から大脳新皮質への記憶保存器官の移行が
病状が進み広範に大脳新皮質が障害されると、
3)
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過去の出来事も想起困難になる。
ところが、一生懸命学習に励んでも、睡眠が
4)
5)
2)
①睡眠中の陳述記憶・情動記憶強化に関わる脳波活動
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睡眠中の情動記憶強化
情動体験︵特に不快な情動︶を多く伴うことから、
眠中には明瞭な夢見体験が多く見られ、これは
これに対し、不安や恐怖を伴う情動記憶の強
化には、REM︵ Rapid Eye Movement
︶睡眠が
重要であることが示されている。さらにREM睡
(筆者作成)
︶ではREM密度の増加やREM出現率
order
の増加が認められ、情動制御の障害と関連した
そもそも情動制御とREM睡眠とは関係が深
く、うつ病やPTSD︵ Posttraumatic Stress Dis-
情動記憶強化と夢との関連も注目されている。
6)
域である扁桃体、内側前頭領野、前帯状回等の
究では、REM睡眠中に情動制御に係る神経領
睡眠所見であると考えられている。機能画像研
7)
8)
活動が亢進することが示されている。
健康被験者では、情動的な単語や図版の記憶
がREM睡眠中に強化されることが示されてお
り、こうした情動的な記憶内容は非情動的な記
憶内容より長い間、想起可能である。他方で、
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REM
NREM
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REM睡眠の出現量に相関して情動処理に係る
をテストすると、記憶の強さは保たれる反面、
動的な図版を連日提示されその都度記憶の強さ
を和らげる作用があることも示されており、情
REM睡眠には記憶に伴う情動的なインパクト
動性神経活動が亢進する。そして、REM睡眠
であるが、REM睡眠中にはアセチルコリン作
ンは記憶・認知機能と関連が深い神経伝達物質
互関係性が示されている。また、アセチルコリ
コルチゾル分泌そして扁桃体活動には密接な相
12)
を記憶強度に転換する過程に相当する可能性を
波干渉や、PGO︵ Ponto-Geniculo-Occipital
︶
波活動が、情動記憶の強化に関連していること
情動記憶と精神疾患
であるが、REM睡眠中にはコルチゾルの分泌
トレスにより分泌が高まる抗ストレスホルモン
リンの関与が推測されている。コルチゾルはス
こうした過程の背景には、副腎皮質ホルモン
のコルチゾルや神経伝達物質であるアセチルコ
︵認知行動︶療法によって促進される恐怖記憶
寄与する可能性がある︵図②︶
。さらに、心理
たり情動的興奮が遷延し、障害の発症、遷延に
パクトの緩和作用を低下させることで長期にわ
REM睡眠中の情動記憶処理、特に情動的イン
障害はしばしば慢性不眠を併発するが、これが、
が亢進することが知られており、REM睡眠、
は経験があるであろう。
が体験当時の情動的興奮は再生困難であること
情動記憶は、ストレス関連障害や不安障害の
発症や病態遷延に深く関わっている。これらの
パクトは徐々に薄れていき、事実は再認できる
な体験は長く覚えているものの、情動的なイン
が推測されている︵図①赤矢印︶
。
REM睡眠中の情動記憶強化過程が、情動強度
扁桃体の活動が低下していく。これらの知見は、 中の、扁桃体と大脳新皮質・海馬間でのシータ
13)
示唆しており、大変興味深い。確かに、情動的
14)
15)
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11)
②ストレス関連障害・不安障害の病態と睡眠中の情動記憶処理との関連
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消去学習の効果を減じ、前述の障害の悪化・遷
より、情動記憶をいたずらに強化させない予防
で、疾患発症初期にあえて断眠をさせることに
延を促進させる可能性も指摘されている。他方
16)
文献
Jenkins JG, Dellenbach KM : Obliviscene during sleep
and waking. Am J Psychol, 35, 8 (1924)
︵滋賀医科大学
精神医学講座
准教授︶
示唆している︵図②︶
。
の睡眠剥奪にPTSD予防作用がある可能性を
適応的に作用する可能性および、外傷体験直後
いる。これは外傷体験直後の不眠症状がむしろ
想起に伴う恐怖反応が減弱することが分かって
後の睡眠を剥奪すると、数日後の交通事故体験
して擬似的な交通事故体験を健康人に与えた直
手段も検討されている。PTSD発症モデルと
17)
Takashima A, et al : Declarative memory consolidation
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2)
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(敬称略)
特集:画像診断と IVR の最前線
画像診断とともに発展するインターベンショナル・ラジオロジー
岡山大学 金澤 右
最新技術
インターベンショナルラジオロジーの進歩
独立行政法人国立がん研究センター中央病院 荒井保明
逐次近似画像再構成法による CT の X 線被ばくの低減
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MRI:臨床に導入される機能評価 MRI の最近の動向
鹿児島大学 吉浦 敬
各論:CT
CT Colonography(現状と将来展望)
独立行政法人国立がん研究センター中央病院 飯沼 元
心臓 CT
extinction of implicit fear generalization and
physiological response to fear. Biol Psychiatry, 68,
次号予告 640号(2015年 7 月号)
岩手医科大学 吉岡邦浩
Dual Energy CT の最近の話題
近畿大学 村上卓道
心臓 MRI による心筋性状評価
三重大学医学部附属病院 北川覚也
肝 MRI
信州大学医学部附属病院 藤永康成
脳神経 MRI
徳島大学 原田雅史
991-998 (2010)
各論:MRI
各論:インターベンショナルラジオロジー
本邦における HCC に対する TACE の現状とこれから
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肺癌に対するラジオ波焼灼療法
岡山大学 平木隆夫
造影剤
ESUR Guidelines on Contrast Media v 9.0 からのトピックス
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核医学
核医学の最近の話題
(602)
金沢大学 絹谷清剛
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