戦後強制抑留者とは

戦後強制抑留コーナー
戦争が終結したにもかかわらず、
がい とう
抑留が行われた背景
シベリアを始めとする旧ソ連やモンゴルの酷寒の地において、
終戦と抑留の始まり
■袖なしの防寒外套 ■手製靴下
シベリアの冬は零下30∼40度になります。
ソ連支給の布で作ったものです。
この外套の持ち主は、飢えに耐えかね、
糸は布をほぐしたもので、自作の針を使っています。
現地の労働者が持っていたパンと
外套の袖を交換しました。
強制労働
乏しい食糧と劣悪な生活環境の中で
過酷な強制労働に従事させられた約 57 万 5 千人に及ぶ
「戦後強制抑留者」の方々がいます。
収容所生活
帰りを待ち続ける
家族の思い
ダモイ
(帰国)
今に残る抑留者の足跡
ジオラマ
■死亡状況を伝える手紙
■木製フォーク、スプーン、ナイフ
東シベリアの収容所での厳しい生活環境下で、
シベリア抑留中に白樺の木を削って作ったものです。
衰弱死した夫の最後の様子を伝える手紙です。
故郷での食事を思いながら作りました。
しら かば
同じく抑留された男性により記され、妻のもとに届きました。
強制抑留された方々が収容された
この手紙が根拠となって、
3年後に県から死亡告知書が届きました。
ラーゲリ
(収容所)でほんのわずかな食糧を
分け合う情景を、体験者の証言、絵画をもとに
再現しました。
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