第163回親 和会報告 成元年卒・平成 運営幹事 東京農工大学 准教授 桜 井 誠 ︵平成元年卒︶ 去 る があり、その後安井至副会長の閉会のご挨拶と 事︵平成2年卒・平成 これだけの人数が入りきるのか不安がありまし なりました。その後の参加者全員の集合写真は 年卒︶の決意表明挨拶 年卒︶の紹介と次年度運営幹 懇親会が東京大学本郷キャンパスの山上会館地 ま れ、大 久 保 達 也 先 生 の 司 会 で 夕 方 4 時 か ら、 たが何とか無事に撮影ができ、松野泰也先生の 月 日︵土︶に第163回親和会総会・ 下食堂にて開催されました。当日は好天にめぐ 親和会総会が始まり、理事退任、選任や侘実次 会が得られ、 三本締めにより、終始和やかな雰囲気で進んだ は一次会に引き続いて二次会まで思い出話に花 彦様による会計報告が満場一致で承認され、次 藤 茂 様︵昭 和 を咲かせることができました。ご参加頂きまし 会がお開きとなりました。自分自身も久しぶり 親会が始まりました。今年の総会・懇親会には た皆様には運営幹事の一人として厚く御礼申し 期会長の千葉泰久様、副会長の尾嶋正治先生の 当日申し込みの方も含めおよそ150名という 上げます。また色々不手際もあったかもしれま にお世話になった先生、先輩方とお話をする機 多くの皆様のご参加がありました。本年初めか せんがどうぞご容赦下さい。来年の総会・懇親 ご挨拶がありました。引き続いて伊原学運営幹 ら始まった会員管理システムにより参加申し込 会が今年以上の盛会になりますよう今後とも引 事代表の総合司会で、伊藤東会長のご挨拶、佐 みの利便性が向上したことも影響していたのか き続きよろしくお願い申し上げます。 名程集まった学科同期の仲間と も し れ ま せ ん。会 場 は ま さ に 立 錐 の 余 地 も 無 い 年卒︶の乾杯のご発声により懇 ほ ど で し た が、参 加 さ れ た 皆 様 は あ ち ら こ ち ら 年組運営幹事に で 和 や か に 旧交を温めていらっしゃった様です。 恒例のアトラクションは平成 よ り 企 画 さ れ、東 大 に あ る も の を 当 て る 二 者 択 一のクイズが行われ、大久保達也先生が現役の 強みを生かして?見事優勝されました。アトラ ク シ ョ ン に 引 き 続 き、 親和会会員の皆様へのお願い 2015 5 親和会理事 事務局長 立間 徹 年度会計報告︾ のみに開示﹂﹁非開示﹂など、細かく設定 で き ま す。I D と パ ス ワ ー ド は シ ス テ ム 運 用 開 始 時 に 郵 送 致 し ま し た が、お 忘 れ になった方は事務局にメールをいただけ れ ば、本 人 確 認 の 後、折 り 返 し お 知 ら せ いたします。 ︽平成 収入の部 4,096,810 482 6,991,042 26 (年会費1709人 総会184人) 34 昨 年 の 1 月 よ り 新 し い 親 和 会 会 員 管 理 シ ス テ ム の 運 用 を 開 始 い た し ま し た。こ のシステムには親和会のホームページか ら、I D と パ ス ワ ー ド を 使 っ て 入 る こ と が で き ま す。こ れ に よ り、総 会・懇 親 会 の参加申し込み、会費のクレジット払い、 ご自身の登録情報の更新とその開示/非 開 示 の 設 定 が、W E B 上 で 簡 単 に で き る ようになりました。 ま た、開 示 さ れ て い る 情 報 を も と に、 同 窓 生 を 検 索 す る こ と も で き ま す︵た だ し こ の 機 能 は、年 会 費 を 支 払 っ た 人 し か 使えません︶。特に現役の学生は、興味を 持 っ た 企 業 の 名 前 で 検 索 し、そ こ に お 勤 めの先輩に連絡を取ってお話を聞くなど、 進路の検討や就職活動に利用できるメ リ ッ ト が あ り ま す。ま た 同 期 の 仲 間 と の 連絡強化にも役立つでしょう。 本システムは個人情報保護の観点から、 初期設定はすべて非公開といたしました。 し か し こ の 1 年 間 で、本 シ ス テ ム に ロ グ インして登録情報の更新や開示設定をさ れ た 方 は、2 割 だ け で し た。こ の ま ま で す と、本 シ ス テ ム を 十 分 に 活 用 す る こ と はできません。 会 員 検 索 シ ス テ ム は 親 和 会 の 活 動 を 活 発 化 さ せ る た め の 重 要 な 柱 で す。こ の 点 を ご 理 解 い た だ き、ご 面 倒 で も 一 度 シ ス テ ム に ロ グ イ ン し て、開 示 条 件 の 設 定 を お 願 い い た し ま す。開 示 / 非 開 示 は 項 目 ご と に 設 定 で き、﹁全 会 員 に 開 示﹂﹁同 期 支出の部 http://shinnakai.com 新HPアドレス 尾嶋正治先生から今 年より始まった第1 回親和会会長杯ゴル フ大会の報告があり ま し た。会 の 後 半 で 親和会 親和会 HPアドレス変更 HPアドレス変更 会報印刷送料(2回分) 1,001,743 会員管理システム保守費用他 809,640 親和会総会・懇親会関係費用 676,596 事務局備品購入費 155,280 事務局運用諸経費 1,349,832 合 計 3,993,091 次年度繰越金 2,997,951 ご予定おきください。 12 次期幹事 利子 合 計 11 10 2,893,750 日 時:平成27年11月14日(土) 16:00∼18:00 場 所:東京大学 山上会館 1階談話ホール 運営幹事:平成2年卒・平成12年卒 15 29 は今年度運営幹事︵平 新旧会長 11 平成25年度よりの繰越金 年会費・総会総収入 第164回 親和会のお知らせ! 11 東大クイズ 親和会会長退任挨拶 侘美さんのご尽力に拠るものです。 総 会 の 開 始 時 間 を 早 め、総 会 後 の〝年 次 別 同 期 会〟の 開 催 を 推 奨。ま た、〝大 事務局長退任にあたって 年化学工学科卒︶ 用する 化する •会費納入率の向上により、財務体質を強 は 〝 多 少 の 特 典〟を 配 慮 し ま し た。総 会 次期事務局長の就 ︵現 副 会 長︶か ら、 尾 嶋 前 事 務 局 長 大久保達也︵昭和 化学システム工学専攻教授 は〝ク イ ズ〟な ど の 工 夫 も あ り、大 変 楽 に事務局の仕事を担当いただけることにな 年化学工学科卒︶ 親 和 会 の 会 長 を し く 賑 や か な 会 合 と な り、最 近 で は 参 加 任を見据えて補佐 本大震災直後に余震の中で会食をしながら、 りました。伊藤会長とともに3人で、東日 ︵昭和 前任の加治さんよ 者 が 1 5 0 名 を 越 し て 来 て 居 り ま す。今 頼をいただいたの をするようにと依 今後の運営方針の相談をしたことを今でも 年 卒 業︶ 伊藤会長の就任に際し、化学工学科の同 の 脱 出 に 成 功 致 し ま し た。事 務 処 理 の 電 〝学 内 実 施〟な ど を 行 い、赤 字 基 調 か ら 費 納 入・情 報 登 録 の〝電 子 化〟、総 会 の 法変更︵会費未納者は2回を1回に︶、会 実 施 を 行 っ て 参 り ま し た。会 報 の 配 布 方 と 侘 美 さ ん が 中 心 と な り 実 行 案 の 作 成・ で 課 題 の 整 理 と 対 応 を 検 討。大 久 保 さ ん 有難うございました。 退 任 の 挨 拶 と い た し ま す。 る〝活 性 化〟を お 願 い し、 事の方々に、親和会の更な 成を図る侘美事務局員や理 務局長、そして電子化の完 今 後 は 千 葉 会 長、尾 嶋 副 会 長、立 間 事 •電子メールやホームページを積極的に活 •事務局員として卒業生の方にお願いする 通りです。 きな改革を行いました。その概要は以下の この4年間、いくつかの点で運営上の大 事務局長をつとめさせていただきました。 とで実質的に2011年の4月より4年間、 納入率が大幅に向上し、財務体質を強化す る会費の納入が可能となり、その結果会費 の送金に加え、クレジットカード利用によ 体制になりました。また従来の郵便局から 電子化や電子メールを使った連絡が行える ホームページの充実とともに、会員名簿の 侘美事務局員の多大なるご尽力により、 級 生であった侘 美 次 彦 氏︵昭 和 子 化・効 率 化 は、パ ソ コ ン に 強 い 同 期 の 振 り 返 れ ば、北 沢 先 生 か ら お 話 を い た し上げます。 た こ と を、ま ず は 反 省 と と も に お 詫 び 申 ができませんでい め に、十 分 な 貢 献 な状況にあったた た が、か な り 多 忙 せていただきまし 副 会 長 を 務 め さ の 最 大 の 変 化 で あ っ た か と 思 い ま す。侘 ど も 今 日 流 に な っ た こ と が、こ の 4 年 間 的 に も 健 全 化 さ れ、ま た、連 絡 先 方 法 な 大 久 保 先 生 な ど の ご 努 力 に よ っ て、財 政 さ て、親 和 会 も、事 務 局 の 侘 美 さ ん と じている次第です。 理 状 態 で し て、そ の 自 由 さ に 新 鮮 さ を 感 し ょ う か、な ぜ か 非 常 に サ ッ パ リ し た 心 からしばらく無職の状態であるためで =ナ イ ト の 理 事 長 職 を 退 職 し、こ の 4 月 こ の 3 月 で 独 法 製 品 評 価 技 術 基 盤 機 構 本になる方でした。黙祷! ろ が あ っ て、先 輩 と し て 非 常 に 優 れ た 手 拶の締めとさせていただきます。 わ れ る こ と を 期 待 さ せ て い た だ き、ご 挨 ど と い っ た 議 論 が、新 執 行 部 に よ っ て 行 ソ ー ス を ど の よ う に 活 用 で き る の か、な あ る の か、ま た、限 ら れ た 情 報 交 流 の リ 思 い ま す。本 当 に、ど の よ う な ニ ー ズ が べ き な の か、と い っ た 問 題 が あ っ た か と その活力を支援するような役割も果たす いは、若い卒業生などとの連携を深めて、 親 和 会 と は 単 な る 親 睦 組 織 な の か、あ る を で き な か っ た こ と の 一 つ が、そ も そ も 今 後 検 討 す べ き か と 思 い つ つ も、検 討 ごとだったか、と思います。 新しくなった親和会を象徴しているでき しみにしています。4年間おつきあいいた 次回総会で皆様にお目にかかることを楽 げていただけるものと確信しています。 美事務局員の体制で、益々親和会を盛り上 千葉会長、尾嶋副会長、立間事務局長、侘 の仕事を継続いただけることになりました。 引き受けて下さり、また侘美様にも事務局 年工業化学科卒、生産技術研究所教授︶が 後任の事務局長の職は立間徹氏︵昭和 近い参加者を実現することができました。 結果、若い世代の参加者も増え、150名 パスをみていただくこととしました。その 五千円におさえ、年に一度は母校のキャン ることができました。また総会・懇親会は だ き、何 が で き る の か い さ さ か 不 安 だ と 美 さ ん に 強 制 さ れ て、水 素 エ ネ ル ギ ー に 製品評価技術基盤機構・名誉顧問 年合成化学科卒︶ 63 安井 至︵昭和 だきまして、ありがとうございました。 いうお返事をしつつお引き受けしました。 ついて書かせていただきました拙文が親 親和会副会長退任のご挨拶 和会で共有され、コメントも頂いたことは、 構内の山上会館で開催することとし、また 若い世代にも参加しやすいように参加費を 41 先生の経歴となんとなく似たようなとこ 伊藤 東 電気化学工業㈱・特任嘱託 り引継ぎ4年間担 後、更に盛会となることが期待されます。 はっきりと覚えています。 なるように工夫する 当 致 し ま し た。安 ま た、親 和 会 の〝ネ ッ ト ワ ー ク〟は 仕 事 間の見習いの後、伊東会長、安井副会長のも は2010年の3月のことでした。以後一年 •若い世代が総会・懇親会に参加しやすく 井 副 会 長、大 久 保 面でも大変有効に活用出来ますので、〝絆 挙〟し て 参 加 さ れ る 年 度 幹 事 の 方 々 に 事 務 局 長、侘 美 事 の強化〟は重要と思われます。 58 務局員と私の4人 41 性 格 は か な り 違 う と は 思 う も の の、北 沢 (独) 43 化学・生命系研究室紹介 第8回 化学生命工学専攻・鈴木研究室 鈴 木 研 究 室 は、20 0 4 年 に 遺 伝 子 発 現 工 学 研 究 室 と して 柏 キャンパスで誕生しました。同じ年に、本郷の工学部5号館へ移 転し、2008年からは鈴木研究室へと改名しました。2013 年の秋には工学部3号館へ移転し、今年で設立 年目を迎えます。 生命現象を分子レベルで解き明かし、生命科学の基盤原理を追及 することを目標に研究を進めております。また、これらの成果を 元に、病気の発症機構を分子レベルで理解するための研究も精力 的 に 行ってい ま す。学 問 領 域 と し て は、分 子 生 物 学 と 生 化 学 を ベースに、有機化学や分析化学を組み合わせながら、生命活動の 根幹をなす RNA が担う生命現象にアプローチしています。 最近の成果として、 に含まれる新規の修飾塩基であるサ tRNA イ ク リ ッ クNト レ オ ニ ル カ ル バ モ イ ル ア デ ノ シ ン︵ ct6︶ Aの 発 見 が 挙 げ ら れ ま す。修 飾 構 造 の 発 見 か ら、化 学 構 造 の 決 定、生 12 合 成 機 構 の 解 明、さ ら に は 機 能 解 析 に も 成 功 し ま し た。 ct6の A 発 見 は、 年 以 上 前 に 同 定 さ れ た 有 名 な 修 飾 構 造 が、実 は ct6A の 分 解 物 で あ る こ と を 意 味 し て お り、こ の 分 野 に お い て 非 常 に 大きなインパクトを与えた研究として注目されています。 から、タウリン また当研究室ではヒトのミトコンドリア tRNA を 含 ん だ 修 飾 塩 基 を 発 見 し て お り ま す が、こ の 修 飾 の 欠 損 が ミ トコンドリア脳筋症というヒトの疾患の原因であることを突き 止めております。この成果はヒトの疾患が RNA 修飾の欠損で生 じることを示した世界初の例であり、 RNA 修飾病という病気の 全く新しい概念を提唱しています。 RNA 修飾の欠損は糖尿病や 知的障害など様々な疾患の原因になることがわ かりつつあり、これらの疾患の発症原因や治療 法の開発に向けて日夜努力を続けています。 他にも鈴木研究室では、タンパク質合成のメ カ ニ ズ ム や 品 質 管 理 機 構、マ イ ク ロ RNA の代 謝制御機構の研究も行っています。 構成員としては、鈴木勉教授、鈴木健夫講師、 長尾翌手可助教、大平高之助教をはじめとする スタッフと、博士研究員、大学院生および学部 四年生からなり、総勢 名がお互いに協力しな がら、日々の研究を楽しんでおります。サイエ ンスに貢献することをモットーに一人一人がレ ベルの高い研究者を目指してがんばっています。 30 ある晴れた日の工 3 号館で これが 売 り です! Si 化学システム工学専攻 平尾・杉山研究室 20 応用化学専攻・藤岡研究室 当 研 究 室 は 1 9 9 6 年 に 平 尾 研 究 室 と し て ス タ ー ト し、 2 0 1 3 年 よ り 杉 山 准 教 授 が 加 わ り 平 尾・杉 山 研 究 室 と し て 活 動 を 行 っ て い ま す。発 足 当 初 は 平 尾 教 授 と 学 生 2 名 だ け だ っ た 研 究 室 も、現 在 は 総 勢 名 近 く と な り ま し た。持 続 可 能 な 社 会 の 実 現 に 向 け、気 候 変 動、資 源 枯 渇、有 害 化 学 物 質 の 排 出、医 療 費 の 増 大 と い っ た 様 々 な 課 題 解 決 を 指 向 し て、プ ロ セ ス シ ス テム工学とライフサイクル工学の研究に取り組んでいます。 プ ロ セ ス シ ス テ ム 工 学 は、モ デ リ ン グ・シ ミ ュ レ ー シ ョ ン を 駆 使 し て、複 雑 な プ ロ セ ス や シ ス テ ム を 設 計・運 用 す る た め の 工 学 で あ り、ラ イ フ サ イ ク ル 工 学 は 資 源 採 取 か ら 廃 棄 に 至 る ま で の 製 品 の 一 生 に お け る 環 境 影 響 を 評 価 し、環 境 配 慮 設 計 を 行 う た め の 工 学 で す。両 分 野 の 知 識・手 法 を 応 用 す る こ と で、製 品・プ ロ セ ス か ら 消 費 者 を 含 む 社 会 シ ス テ ム ま で も 視 野 に 入 れ た持続的な消費と生産に貢献することができます。 当 研 究 室 は 素 材 の 循 環 利 用 の 環 境 影 響 分 析 や シ ス テ ム 設 計 に 関 し て 豊 富 な 研 究 実 績 を 持 っ て い ま す。研 究 成 果 は、産 業 に お け る 製 品 設 計 時 の 素 材 選 択 や プ ロ セ ス 設 計、廃 棄 物・リ サ イ ク ル 政 策 の 立 案、消 費 者 の 環 境 配 慮 行 動 支 援 の た め に 利 用 さ れ て い ま す。ま た、中 小 企 業 に お け る 化 学 物 質 管 理 を テ ー マ と し た 研 究 も 行 っ て い ま す。中 小 企 業 が 環 境 配 慮 型 生 産 へ シ フ ト し 企 業 競 争 力 を 強 化 す る こ と を 支 援 す る た め に、業 界 団 体 か ら も 協 力を得ながらプロセスの評価やモデリングに取り組んでいます。 また、医薬品製造プロセスを対象とした研究 にも挑戦しています。スイスの製薬企業でバ イオ医薬品製造に従事した経験を持つ杉山准 教授のもと、品質や供給安定性、コスト、環 境影響等の様々な面で優れたプロセスを実現 す る た め の、モ デ ル 化、シ ミ ュ レ ー シ ョ ン、 最適化研究に取り組んでいます。 国内・海外の企業や研究機関との共同研究 も 盛 ん で す。特 に、ス イ ス 連 邦 工 科 大 学 チューリヒ校、ボルドー大学とは、研究者や 学生の派遣・受け入れを行うなど交流が盛ん です。今後も産業や社会の課題解決のための 方法論の確立と実践に取り組んでいきたいと 考えています。 40 10 昭 和 年 工 業 化 学 科︵笛 木 研︶卒 の 藤 岡 で す。藤 岡 研 究 室 は 2004年に尾嶋研究室から学生さんを分けていただく形で生 産技術研究所に誕生しました。当時はガランとして殺風景だっ た実験室も今では装置が溢れかえるようになっていて、 年で 隔世の感があります。最近では卒業生が結婚の挨拶にもよく来 る様になりました。次は赤ちゃん連れで来てほしいものです。 私は笛木研では鯉沼先生のご指導の下アモルファス の研究 を し て い ま し た が、現 在 は、昨 年 の ノ ー ベ ル 賞 受 賞 で 注 目 さ れ た窒化ガリウムの合成方法の研究をしています。新聞やテレビ の ニ ュ ー ス で 報 道 さ れ た よ う に、窒 化 ガ リ ウ ム の 結 晶 は 通 常、 高 価 な サ フ ァ イ ア 単 結 晶 の 上 に 有 機 金 属 化 学 気 相 堆 積︵MOC VD︶法 と 呼 ば れ る 手 法 を 用 い て 合 成 さ れ ま す。我 々 は 安 価 な アモルファス基板の上にスパッタリング法という量産性の高い 装置を用いて窒化ガリウム結晶が合成できないか実験を重ねて き ま し た が、昨 年、グ ラ フ ェ ン 膜 を 介 す る こ と に よ っ て ガ ラ ス 板 の 上 に フ ル カ ラ ー のLEDを 作 製 す る こ と に 成 功 し ま し た。 こ の 窒 化 ガ リ ウ ム 結 晶 を 使 っ て 新 し いLEDデ ィ ス プ レ ー や パ ワー半導体を開発したいと意気込んでいます。LEDと聞くと物 理や電気工学の分野かと思う方も多 い か も せ れ ま せ ん が、と こ ろ が ど っ こ い、合 成 条 件 が 全 て の 結 果 を 左 右 す る 化 学 者 の 活 躍 す る 世 界 で す。実 際 にLEDを 市 販 し て い る 会 社 が 日 亜化学工業や豊田合成といった化学 会社なのも自然なことなのかもしれ ま せ ん。無 機 化 学 は こ こ の と こ ろ 学 生さんからの人気が低迷していた様 で す が、ノ ー ベ ル 賞 効 果 で 少 し は 改 善 す る か な と 期 待 し て い ま す。研 究 室は駒場第Ⅱキャンパスにあります。 お 近 く に お 立 ち 寄 り の 際 は、ぜ ひ お 気 軽 に 遊 び に 来 て く だ さ い。親 和 会 会員はいつでも歓迎いたします。 59 テム工 学 的 なア プローチ﹂な どの 議 論 を し、 さらには﹁物質分離から情報分離へ﹂という キャッチフレーズも話題となった。また、私 が担当して﹁分析化学における電子計算機の 利用﹂の論文紹介等もおこなった。その後議 論はさらに発展し、1967年に米国NRC よ り 提 案 さ れ た﹁キャラ クタ リ ゼーション﹂ の定義に触発された面もあるが、工業分析化 学教室において、かねてより議論されていた ﹁化 学 分 析 か ら 状 態 分 析 へ﹂ 、 ﹁物 質・材 料 の 質 の パ タ ー ン 化﹂ 、さ ら に は﹁原 子・分 子 の 集 合・分 布 状 態﹂ 、 ﹁原 子・分 子 の 励 起 状 態﹂ な どに関 す る 内 容 を 加 味 して、 ﹁キャラクタ リゼーションの体系﹂を整備した。 その後﹁ディシプリンとしての工業分析化 学﹂はキャラクタリゼーション理念の確立を 受 け て、 ﹁物 質のキャラ クタ リ ゼーション 法 を確立し、実証すること﹂を目標とし、また、 表面科学、環境科学、ナノ材料科学等への展 開を含めて大幅に進歩してきた。 一方近年、社会の要求はさらに高度になり、 キャラクタリゼーションのレベルを超えつつ あるようである。つまり、物質や材料そのも のだけでなく、物質・材料とその機能に関わ るあらゆる技術的、社会的システムに関する 課題を解決するための方法と知見が求められ ている。いわゆる﹁ソリューション﹂を導く 方 法 論 を 必 要 としているのである。例 え ば、 企業が求める﹁トータルソリューション﹂に 対応するためには、人間に関わるあらゆる分 野 の﹁科 学﹂を 総 動 員 し な け れ ば な ら ない。 ﹁分析科学﹂が必要とされている。 次 に 我々の 舞 台 に 登 場 す るのは﹁IOT﹂ と﹁ビッグデータのアナリティクス﹂であろ う。人間が適度に介入する﹁社会システムの スマ ー ト 化﹂に は 上 述 し た﹁工 業 分 析 科 学﹂ が必要不可欠と思われるからである。 若い世代の皆さんの一層のご活躍を期待し たい。 36 惜別の春 ●山口由岐夫 教授 一般社団法人プロダクト・イノ ベーション協会・代表理事 岡崎統合バイオサイエンスセンター・教授 ●飯野 亮太 准教授 ●久保田 純 准教授 福岡大学工学部・教授 ●下山 淳一 准教授 青山学院大学理工学部・教授 ●中西 周次 准教授 大阪大学太陽エネルギー化学研究 センター・教授 事務局担当者 侘美 次彦 ●小池 修 助教 一般社団法人プロダクト・イノ ベーション協会・研究員 住所変更など連絡事項がありましたら FAXまたはMailでご連絡ください。 大久保先生から親和会事務局長を引き継ぎま した立間︵たつま、応化専攻、生研︶です。ど うぞよろしくお願い致します。多くの方にとっ て同窓会というものは、卒業して二十年くらい 経ってから気になり始めるもののようです。そ の時に親和会がお役に立てるよう、しっかり運 営していきたいと思います。ご協力のほど、お 願い申し上げます。 〒 113-8656 東京都文京区本郷7−3−1 東京大学工学部5号館152号室 電話&FAX:03−5841−7400 Mail:[email protected] 13 38 昭和 年工業化学科卒業 二 瓶 好 ︵ 正 ︶ 平成 年生産技術研究所退官 11 50 事務局の ご 案 内 温故知新 3.4 ﹁工業分析化学と歩んで来た道﹂ 11 、 ﹁質 量 分 析 装 置﹂ 、 ﹁赤 昭 和 年 4 月 に、 ﹁発 光 分 光 分 析 装 置﹂ 外分光装置﹂が揃っていた。この装置群は本 私は教養学部より 講座初代教授の宗宮尚之先生が、戦後GHQ 工学部工業化学科 時代に米国の最新鋭機器を輸入したものであ に進学した。 る。また、当時は応用化学科から応化系4学 当 時、進 学 振 り 科に学科再編された直後であったが、その後 分けは﹁工化﹂ 、 ﹁合 成﹂ 、 ﹁化 工﹂ 、 ﹁反 応﹂四 学 科 の 他 に﹁分 析﹂ まもなく工業分析化学教室も3講座に増強さ れることとなり、実際数年後には無機工業分 がコースとして分かれていた。そこで、私は 析 化 学 講 座︵鎌 田 仁 教 授︶ 、有 機 工 業 分 析 化 ﹁分 析﹂を 志 望したので3 年 次 より 6 名のグ 学 講 座︵田 中 誠 之 教 授︶ 、機 器 工 業 分 析 化 学 ループで事実上工業分析化学講座に所属して 講座︵仁木栄次教授︶となった。 いた。 私達の学年の卒論の頃は、全教員と学生が 実は確か駒場の2年生の夏であったかと思 集まり、毎週セミナーをやっていたが、特に うが、本郷キャンパスで中学校時代の先輩に 卒論生はセミナーの中で毎月中間発表会が 偶然会い、 年生であったその先輩が卒論で あった。また、その後も鎌田先生が留学帰り 使っていた、電磁波遮蔽が施された空調室に であったためか、修士論文のテーマは従来の 鎮座していた巨大な﹁ mエバート型発光分 も の と は 異 な り、 ﹁短 寿 命 化 学 種 の 分 光・分 光 分 析 装 置﹂を 見 学 し た こ と が き っ か け で 析化学﹂など現代的かつ先端的なテーマに様 あった。この偶然がその後の私のライフワー 変わりしたことが印象的であった。研究室の クに繋がったということとなる。 大学院生は各種分光学の基礎の勉強をし、当 私は今年の2月に、文部科学省科学技術・ 時大学院研究科が﹁化学系研究科﹂であった 学術政策局研究開発基盤踝が推進する﹁先端 おかげで理学部化学科の講義も多く聴講し、 計測分析技術・機器開発事業﹂の司令塔であ 文献探しに理学部物理の図書館に入り浸って る科学技術・学術審議会委員会の主査を 年 いたように思う。おかげで理学部の友人が増 努めて交替した。この事業は我が国の先端研 え、その後長いおつきあいとなった例が少な 究基盤構築のためにオンリーワン・ナンバー くなかった。 ワンの装置創りを 年にわたり、毎年 億円 また、私が助手になった頃は3講座の教員 程の国費で実施してきた。思えば、卒論以来 が 集 ま り、 ﹁工 業 分 析 化 学 の あ り 方﹂等 の 話 続けてきた世の中に無い新しい分析装置創り 題について月1回ぐらいのペースで研究会を を目指した人生の最終コースであった。 行って い た よ う に 思 う。そ の 折 に、 ﹁情 報 科 話を元に戻すと、当時は東京大学工学部工 学としての分析化学﹂や﹁分析手法へのシス 業分析化学教室には日本に初めて導入された 4
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