ゲームのキャラクターの声を 演じてみたくて ﹁尚美に通っていた頃のことを思い出すと、 芝居の稽古ばかりしていたようにも思いま り、 遊んでいた 記 憶 も あ り ます。 自 分の すが、友だちの家やゲームセンターに行った 夢に向かってやりたいことをやっていた。幸 せな時間でしたね﹂。 尚美ミュージックカレッジ専門学校・声優 学科の一期生、小原雅一さんは、学生時代 を懐かしそうにこう振り返った。 小 原さんは 現 在、テレビ朝日 系の 報 道 番組 ﹃報道ステーション﹄で、月曜日と火 曜日のナレーションを 担 当している。テレビ から 流れてくる 彼の 声に、 聞 き 覚えのあ ﹁ 実は 私、ゲーム好 きで、 中 学 生 ぐ らい る人も多いはずだ。 小原雅一 さん ゲームのキャラを演じたかった少年は 大人になって売れっ子ナレーターに成長した。 六本木の喧噪の中を毎週、 ニュースのナレーション収録に向かう小原さん。 彼が声の仕事を通して伝えたいことは何だろう。 ナレーター ・声優 ●株式会社シグマ・セブン 所属 尚美ミュージックカレッジ専門学校︵2000 年卒︶ Choice is yours Masakazu Kohara : Narrator-Voice actor ﹁トップになる!﹂という 強い意志を持ち続けること を 受け ました。その声を 演じてみたくて クターが喋ったりして、それにすごく衝 撃 ﹁この中で絶対にトップになる﹂ という強 小原さんだが、ただ一つ、忘れなかったのは 憶があんまりないんです﹂ と穏やかに語る ﹁声優になる!﹂という同じ目的を持つク 声優をめざしたんです。いくつかの専門学 を養成する学校はたくさんあります。尚 そ数え切れないぐらいいるし、他にも声優 ﹁声優になりたいと思っている人はそれこ 美の声 優 学 科には 当 時、六〇名ほどが在 い気持ちだった。 に決めました﹂。 籍していたのですが、その中でトップにな 校に体験入学した中で、尚美の谷育子先 とはいえ、 何かを 表 現した り、 演じた りした経験はない。文字通り、ゼロからの れないようでは、声優としてやっていけな としても、声優の仕事だけで生活していけ いと 思っていまし た。 仮にデビューでき た カルトレーニングから演劇史、アテレコ実習、 リ授 業があ りました。 声の仕 事をするた と話にならないと考えたんです﹂。 れたと思いますね﹂。 す。どの授業も今の私の基礎をつくってく さっぱりわからない。それまで新聞もろく しいんです︵苦笑︶。それぐらい、事務所 が﹃え、小原でいいですか?﹄ と言ったら いかというと、お芝居︵演技︶ができない いけないと。じゃあ具体的に何をすればい る人は三〇〇 人いるかいないかといわれて クラスメートがいい芝 居をすれば 素 直に ﹁ 悔しい﹂ と 思い、 演 技のOKが出 ない に読んだことがなかったのに、ニュースのナ めに必 要 なこと、たとえば、 声の出し 方 ときは、友だちや先生にアドバイスをもら レーションを担当することになるとは︵笑︶。 めには、まず、尚美で一番にならなければ い、 自 分 な りに工 夫するという 努 力を 重 ンのほうが向いているのかもしれない。 与 いる厳しい世界。その中のひとりになるた ねた。 えられたチャンスを 活かして、まずはそこ から腹式呼吸、マイクの使い方や立ち方ま そのう ち、 声 優 雑 誌のオーディションに 応募し、見事に合格。現在の事務所であ から 自 分のキャリアの突 破 口を 開いていこ ﹃ 報 道ステーション﹄の成 功とともに、ナ レーションの仕事が次々と舞い込む売れっ子 うと考えたのです﹂。 私はオーディションのおかげで早く決まった 割はナレーションだそうだ。 になった 小 原さん。 現 在では、 仕 事の 九 デビューするための一つの 関 門。 卒 業 間 近 のでラッキーでした﹂。 藤もありました。で ﹁実は、 二〇代の頃は﹃このままナレーター も、作品の最初から最後まで一貫して関わ でいいのか﹄ という ることができるドキュメンタリーなど、 ナレー 品でも ﹃この前のあの作 品、 見たよ。と ﹁仕事はしていたのですが、それだけで生 だ、﹃これで満点﹄ という終わりはないの して人の心に何かを伝えられればいい。た そこはもっとこうすればよかったんじゃな ﹃あ で、収録後は反省することが多いです。 かもしれない。 続が、 小 原さんが活 躍し 続ける理 由 なの 自 分の仕 事の出 来ばえに満 足すること なく、試行錯誤を重ねる。その努力の継 と思います﹂。 しろさであり、むずかしいところでもある くり返していけるところがこの仕事のおも こうしてみよう﹄ とか。そういうトライを いか﹄ とか、﹃ 次にこういう 作 品が来たら、 は実家暮らしだったので何とかなったので ﹁合格の知らせを受けた事務所のスタッフ とだ。 のナレーターのオーディションに合 格したこ 転 機 と なったのは二十四 歳のと き。 事 務所のすすめで受けた﹃報道ステーション﹄ りました︵笑︶﹂。 ダイエットできて、五キロもやせたことがあ で行ったこともあります。おかげで自然に るために、新宿にあるスタジオまで自転車 もしれません。この頃は 交 通 費を 節 約す すが、ひと り 暮 らし だったら 挫 折したか 活できるレベルでは あ り ませんでした。 私 分に合っているように思います。どんな作 プロとしてデビューし、アニメ作品などに も 出 演した小 原さん。しかし、 新 人のう しい。声優でもナレーターでも、表現者と てもよかったよ﹄ とほめられれば単純に嬉 ションの仕事は奥が深いし、マイペースな自 代が続いたという。 ちは 出 演 料が安く、しばらくは 苦しい時 声の表現者として 作品を創る喜び 小 原さんの同 期の中で、 事 務 所に所 属 できたのはわずか六名だったそうだ。 に なるとみんな それ を 心 配していまし た。 でも、 私の声の質を 考えると、ナレーショ も 私 自 身 も 驚 き ま し た。 政 治 も 経 済 も ﹁ 卒 業 時に、 事 務 所に入れるかど うかが るシグマ・セブンから 所 属の 誘いを 受けた。 で、 教わったことは すべて 役に 立っていま ダンスまで、朝から夕方までけっこうビッシ スタートだった。﹁ボイストレーニング、ボー 生の授業がすごく楽しかった。それで尚美 の 頃、よ く ﹃ストリートファイター﹄ なん 書を持ち歩く必要がなく、ずいぶん荷物が軽 くなったそうだ。 ﹁だからつらいとか、苦労したっていう記 は、必ずチェックするようにしているが、最近 はスマホで調べられるようになったので、辞 ラスメートたちとの充実した毎日。 なることもあるため、修正のためにペンが手離 せない。難しい漢字やアクセントに迷ったとき かをやってました︵笑︶。当時、ゲームソフ は明瞭でよく通り、聴く者を圧倒する。録音 時には、ナレーション原稿やセリフが変更に トがCD盤に変わる頃で、登場するキャラ スタジオに入ると、小原さんの顔つきと声が 変わる。普段の会話とは違い、腹から出す声
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