動物園 芥川龍之介 象 象よ。キツプリングは昔お前の 先祖 - ReSET.JP

動物園
芥川龍之介
象
くは
象よ。キツプリングは昔お前の
わに
先祖が、鰐に鼻を啣へられたもの
いま
だから、未だにお前まで長い鼻を
ぶら下げて歩いてゐると云つた。
1
が、おれにはどうしても、あいつ
の云ふ事が信用出来ない。お前の
ぶ つ だ ございせい
とうしんぐさ
先祖は仏陀御在世の時分、きつと
がは
ガンヂス河の燈心草の中で、昼寝
か何かしてゐたのだ。すると河の
とはう
泥に隠れてゐた、途方もなく大き
ひる
な蛭が、その頃はまだ短かつた、
お前の先祖の鼻の先へ、吸ひつい
てしまつたのに違ひない。さもな
ければお前の鼻が、これ程大きな
2
ひる
ちぢ
蛭のやうに、伸びたり縮んだりは
インド
しないだらう。象よ。お前は印度
の名門の生れだ。どうかおれの云
おほぼら
つた通り、あのキツプリングの説
ではうだい
すす
い
などは口から出放題の大法螺だと、
ゑん
先祖の寃を雪ぐ為に、一度でも好
らつぱ
いからその鼻をあげて、喇叭のや
とり
うな声を轟かせてくれ。
こふ
鸛の鳥
3
くび
ネクタイ
むす
あの頸をさ、襟飾のやうに結ん
おていれ
でしまつたら、一体あいつはどう
お も と
してほどく気なんだらう。
らくだ
駱駝
ぢい
お爺さん。もう万年青の御手入
はおすみですか。ではまあ一服お
しやうぶがは
やりなさい。おや、あの菖蒲革の
たばこ
莨入は、どこへ忘れて御出でなす
4
つた?
虎
わたうない
虎よ。お前はコスモポリタンだ。
ぶかんぜんじ
豊干禅師を乗せたお前。和唐内に
う
搏たれたお前。それからウイルヤ
ム・ブレエクの有名な詩に歌はれ
たお前。虎よ。お前は最大のコス
モポリタンだ。
5
はくぼく
あひる
家鴨
こくばん
いたづら
子供が黒板へ白墨で悪戯に書い
た算用数字。2、2、2、2、2、
2。
しろくじやく
白孔雀
これは年とつた貴婦人だ。お眼
ただ
が少し赤く爛れていらつしやる。
6
べつかふ
え
めがね
い
鼈甲の柄のついた眼鏡を持つて、
びん
つら
一々見物人を御覧になれば好い。
おほかうもり
大蝙蝠
につきだんじやう
らふそくくらゐ
ひかあふ
お前の翼は仁木弾正の鬢だ。面
あか
明りの蝋燭位は、一煽りにも消し
兼ねない。さうしたら、鼻の尖つ
くちびる
た、眼張りの強い、脣をへの字に
きららずり
曲げてゐる顔が、うす暗い雲母摺
7
うしろ
いよいよ
を後にして、愈気味悪く浮き上る
らくくわん とうしうさいしやらく
だらう。落款は東洲斎写楽⋮⋮
カンガルウ
腹の袋の中には子供が一匹はひ
つてゐる。あれを出してしまつて
イギリス
も、まだ英吉利の国旗か何かが、
てじな
手品のやうに出て来はしないか。
8
いんこ
鸚哥
たうぐわ
お前は古い唐画の桃の枝に、ぢ
い
つと止つてゐるが好い。うつかり
はばた
羽搏きでもしようものなら、体の
は
絵の具が剥げてしまふから。
猿
猿よ。お前は一体泣いてゐるの
9
また
か、それとも亦笑つてゐるのか。
めん
お前の顔は悲劇の面のやうで、同
時に又喜劇の面のやうだ。おれの
えんにち
つりいた
はりこ
記憶は縁日の猿芝居へおれを連れ
ゆ
て行く。桜の釣板、張子の鐘、そ
ガ ス
ゑ ぼ し
れからアセチレン瓦斯の神経質な
きんがみ
光。お前は金紙の烏帽子をかぶつ
ひがのこ
て、緋鹿子の振袖をひきずりなが
しらびやうし
ら、恐るべく皮肉な白拍子花子の
役を勤めてゐる。おれの胸に始め
10
ぎだん
きざ
て疑団が萠したのは、正にその白
いちべつ
拍子たるお前の顔へ、偶然の一瞥
を投げた時だ。お前は一体泣いて
ゐるのか、それとも亦笑つてゐる
のか。猿よ。人間よりもより人間
的な猿よ。おれはお前程巧妙なト
ラジツク・コメデイアンを見た事
をど
はない。︱︱おれが心の中でかう
つぶや
呟くと、猿は突然身を躍らせて、
かなあみ
おれの前の金網にぶら下りながら、
11
かんだか
癇高い声で問ひ返した。﹁ではお
つら
前は? え、お前のそのしかめ面
は?﹂
さんせううを
山椒魚
おれがね、お前は一体何物だと、
わたし さんせううを
頭に向つて尋ねたら、私は山椒魚
しつぽ
ですよと、尻尾がおれに返事をし
たぜ。
12
鶴
い
しやくやく
いとうひろぶみ
だい
県下第一の旅館の玄関、芍薬と
がく
松とを生けた花瓶、伊藤博文の大
じ
字の額、それからお前たちつがひ
はくせい
の剥製⋮⋮
狐
ふて寝だな。この襟巻め。
13
をしどり
鴛鴦
ごふん
ぎんでい
胡粉の雪の積つた柳、銀泥の黒
く焼けた水、その上に浮んでゐる
ごくさいしき
ごもん
極彩色のお前たち夫婦、︱︱お前
いとうぢやくちう
あふひ
たちの画工は伊藤若冲だ。
鹿
かたなかけ
この見事な刀掛には、葵の御紋
14
ぢ
うやうや
にほひ
散らしの大小でも恭しく掛けて置
い
くが好い。
ペルシヤねこ
波斯猫
まつりくわ
日の光、茉莉花の※、黄色い絹
du
それからお前の手ざは
のキモノ、Fleurs
Mal,
り。⋮⋮
15
あうむ
け ふ
鸚鵡
ろくめいくわん
しらぎく
鹿鳴館には今日も舞踏がある。
ちやうちん
提灯の光、白菊の花、お前はロテ
イと一しよに踊つた、美しい﹁み
やうごにち﹂令嬢だ。
日本犬
ひ
造り物の柳に灯入りの月が出る。
16
い
ざくろいし
お前は唯遠くで啼いてゐれば好い。
ナンキンねづみ
しろびろうど
南京鼠
うはぎ
上着は白天鵞絨、眼は柘榴石、
じゆす
それから手袋は桃色繻子。︱︱お
かはい
かれい
前たちは皆可愛らしい、支那美人
こうきゆう
にそつくりだ。後宮の佳麗三千人
い つ
と云ふと、おれは何時もお前たち
17
せい
が、重なり合つた楼閣の中に、巣
いも
か
やう
を食つた所を想像する。そら、西
し
施が芋の皮を噛じつてゐると、楊
き ひ
きんぶち
貴妃は一生懸命に車をまはしてゐ
るぢやないか。
しやうじやう
猩々
しやうじやう
がかかつて
あの猩々の鼻の上には、金縁の
Pince-nez
18
ゐる。あれが君に見えるかい? け ふ
あゐ
もし見えなければ、今日限り、詩
を作る事はやめにし給へ。
さぎ
鷺
しよんずゐ かうそん
ばうをく
祥瑞の江村は暮れかかつた。藍
いろ
ろて
色の柳、藍色の橋、藍色の茅屋、
ぎよじん
やや
藍色の水、藍色の漁人、藍色の芦
き
荻。︱︱すべてが稍黒ずんだ藍色
19
しらしら
の底に沈んだ時、忽ち白々と舞ひ
あが
い
上るお前たち三羽の翼の色。︱︱
だるまだいし
皿の外までも飛び出さなければ好
いが。
ぶてい
か ば
りよう
河馬
こ
これぶつぽう
ま
挙す。梁の武帝、達磨大師に問
いかん
ふ。如何か是仏法。磨云ふ。水中
か ば
の河馬。
20
ぺングイン
らくはく
お前は落魄した給仕人だ。悲し
さうなお前の眼の中には、以前勤
めてゐたホテルの大食堂が、今も
australi
のやうに、輝かしい過去の幻
Aurora
s
を浮き上らせる事がありはしない
か?
21
馬
こがらし
かど
からかね
からかね
凩の吹く町の角には、青銅のお
またが
前に跨つた、やはり青銅の宮殿下
わうらい らうにやくなんによ
お い
が、寒むさうな往来の老若男女を、
おろ
揚々と見下して御出でになる。さ
からす
うしてその宮殿下の、軍服を召し
おむね
た御胸には、恐れながら白い鴉の
ふん
糞が、⋮⋮
22
ふくろふ
梟
ばあ
Brocken
またが
ざん
はうき
山へ! 箒に
あが
跨つた婆さんが、赤い月のかかつ
いちもんじ
ふくろふ
た空へ、煙突から一文字に舞ひ上
うしろ
る。と、その後から一羽の梟が︱
ま
︱いや、これは婆さんの飼ひ猫が
い つ
何時の間にか翼を生やしたのかも
知れない。
23
金魚
うす日の光がさして来ると、藻
は
に立つた秋も目立つやうになつた。
うろこ
おれは、︱︱所々鱗の剥げた金魚
さら
は、やがてはこの冷たい水の上に、
むくろ
屍を曝す事になるのかも知れない。
しかしさう云ふ最後の日までは、
やはり先の切れた尾を振りながら、
しやれもの
あの洒落者のブラムメルのやうに、
24
悠々と泳いでゐようと思ふ。
兎
こんじやくものがた
まり
きの
さご
んじうぼさつのみちをおこなひうさぎみ
︹Ja_taka︺
今昔物語巻五、三獣行菩薩道兎
をやくものがたり
焼身語と云ふ
の中に、こんなお前の肖像画があ
おこ
る。︱︱﹁兎は励みの心を発して、
くぐ
⋮⋮耳は高く※せにして、目は大
きく前の足短く、尻の穴は大きく
25
開いて、東西南北求め歩けども、
せうせう なび
更に求め得たるものなし⋮⋮﹂
雀
なんぐわ
これは南画だ。蕭々と靡いた竹
あが
の上に、消えさうなお前が揚つて
いん
ゐる。黒ずんだ印の字を読んだら、
たいみんはうぐわいのひと
大明方外之人としてあつた。
26
じやかうじう
なんれん
麝香獣
ばいこうら
こんや
あや
梅紅羅の軟簾の中に、今夜も独
はんきんれん
もの
り眠つてゐる、淫婦潘金蓮の妖し
い夢。
かはをそ
獺
だい
毎晩廊下へ出して置く、台の物
かはをそ
の残りがなくなるんですよ。獺が
27
い
ゆうべ
引いて行くんですつて。昨夜も舟
ちやうちん
で帰る御客が、提灯の火を消され
ました。
くろへう
黒豹
Black
だ。南京玉の首飾りや
なんきんだま
お前は歯の美しい
Mary
毛糸の肩掛を持つて行つてやつた
のど
ら、さぞ喉をならして喜ぶだらう。
28
あをさぎ
あまあが
蒼鷺
なん
にほひ
かは
何でも雨上りの葉柳の※が、川
も
面を蒸してゐる時だつた。お前は
こずゑ
その柳の梢に、たつた一羽止まつ
てゐたが、﹁夕焼け、小焼け、あ
とほ
した天気になあれ。﹂︱︱そんな
うた
唄を謡つて通つた、子供の時のお
れを覚えてゐるかい?
29
り す
栗鼠
あおうだうでんぜん
どうばんぐわ
亜欧堂田善の銅版画の森が、時
代のついた薄明りの中に、太い枝
か
を か
と枝とを交はしてゐる。その枝の
うづくま
上に蹲つた、可笑しい程悲しいお
前の眼つき⋮⋮
からす
鴉
30
﹁今晩は。﹂﹁今晩は。この竹藪
は風が吹くと、騒々しいのに閉口
します。﹂﹁ええ、その上月のあ
よ け いなん
いかが
る晩は、余計何だか落着きません
おんばうぼり
よ。︱︱時に隠亡堀は如何でし
あひかはらず
た?﹂﹁隠亡堀ですか? あすこ
け ふ
には今日も不相変、戸板に打ちつ
けた死骸がありました。﹂﹁ああ、
さが
あの女の死骸ですか。おや、あな
くちばし
たの嘴には、髪の毛が何本も下つ
31
てゐますよ。﹂
ジラフ
おもちや
これは玩具だ。黄色い絵の具と
黒い絵の具とが、まだ乾かずにべ
もつと
たべたしてゐる。尤も人間の子供
おもちや
の玩具には、ちつと大きすぎるか
も知れない。さしづめあの小まし
ランフアン
やくれた、幼児基督の玩具には持
32
つて来いだ。
かなりや
金糸雀
理髪店の店さきには、朝日の光
お も と
がさわやかに、万年青の鉢を洗つ
はさみ
てゐる。鋏の音、水の音、新聞紙
ま
を拡げる音、︱︱その音の中に交
じるのは、籠一ぱいに飛びまはる、
さへづ
お前たちの囀り声、︱︱誰だい、
33
おやかた
しんぞ
今親方に挨拶した新造は?
羊
をり
或日おれは檻の羊に、いろいろ
Vie,
なん
唐詩選、︱︱何
たうしせん
な本を食はせてやつた。聖書、U
ne
でも羊は食つてしまふ。が、その
中にたつた一つ、いくら鼻の先へ
出してやつても、食はない本があ
34
ると思つたら、それはおれの小説
わたざいく
集だつた。覚えてゐろよ。綿細工
め。
︵大正九年九月︶
35
底本:﹁筑摩全集類聚 芥川龍之
介全集第四巻﹂筑摩書房
1971︵昭和46︶年6
月5日初版第1刷発行
1979︵昭和54︶年4
月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
36
このファイルは、インターネット
の図書館、青空文庫︵http:
//www.aozora.gr.
jp/︶で作られました。入力、
校正、制作にあたったのは、ボラ
ンティアの皆さんです。
37