体だけでなく心も 癒してくれた治療師 それは陸上の試合中、リレーを走ってい るときに突然起きた。 ﹁太股に激痛が走り、何かがプツンと切れ る感じがしたんです。 病 院に行くと 診 断 は右太股の肉ばなれ。全治一カ月の大怪我 選 手としてインターハイに出るほどの実 力 でした。私が高校二年のときです﹂。陸上 者 だった 勝 田さんは、 以 後、 怪 我に苦し められるよ うになる。さまざま な 治 療 院 を回ったが、結果は芳しくない。﹁今まで 通 り 走ろ うとしても、 怪 我をかば うので フォームがくずれてうまく走れません。そ わからなくなってしまったんです﹂。 のうち 自 分がど うやって走ったらいいのか 勝田千尋 怪我の悔しさを知っている私だからこそ 心と身体、 両方のアプローチができると 信じている。 自分の治療院で面倒を見ている選手の中から 五輪大会の選手が出ることを夢見て。 あん摩マッサージ指圧師 Choice is yours Chihiro Katsuta : Masseur 勝 田さんが進 学 先に選んだのは、 長 生 学園だった。心と身体の両方をケアできる さん 治 療 師をめざすなら、 最 初からこの選 択 ●勝田長生治療院 院長 長生学園︵2011 年卒︶ ながら、 先 生はさり 気なく勝 田さんの悩 肢しかなかったと勝田さんはいう。長生学 年齢、 キャリアの異なる クラスメイトとの交流 みを 聞いてくれて、こう 言ったのだ。﹁ 勝 園では、身体の基本である脊椎を矯正する そんな 勝 田さんを 救ったのは 長 生 学 園 を 卒 業した治 療 院の先 生だった。 治 療し 田さんは生まれて初めて走ったとき、フォー あの治 療 師のよ うになる﹂ と 固い決 意を ﹁怪我をした自分に希望を与えてくれた 学に進 学して体 育 教 師にな り、 陸 上 部の 抱いて 入 学し た 勝 田さんだったが、 最 初 ラーナ療法﹂の三位一体の教育を行っている。 コーチになろ うと 思っていたんです。でも 差だった。﹁私のような高校を卒業したて に驚いたのは、クラスメイトたちとの年 齢 この出会いをきっかけに、勝田さんの人生 指圧師の国家資格をとり、選手を怪我か 層が幅 広い上、 経 験も 豊 富であ りながら、 さらに長 生の手 技を 学ぶために入 学して の十八歳から六〇歳 代の社 会 人まで年 齢 いた父親は猛反対する。反対を押し切って 人たちに混じって、何ごとにも遅れをとる くる方もいました。キャリアがある年上の ら守りながら、サポートしたいと思うよう マッサージ師になることを決意した勝田さ まいと必至でした﹂。 勝 田さんの場 合、さらに物 理 的にも 人 めて治 療 師として患 者さんと 接したのも、 この治療院だった。 で、 技と 人 間 性を 磨いた。 勝 田さんが初 はいつも五時半起き。それでも勝田さんは ﹁ ものすごく緊 張して患 者さんの身 体に 一倍の努 力がいった。 彼 女は 片 道二時 間 半 三年間一度も休んだことがないという。 ﹁風 わかったんでしょう。 お帰りになるとき、﹃そ さわったのを覚えています。患者さんにも の初心を忘れないでね﹄ と言われました﹂。 邪で三十八度の熱があるとき も、 途 中の 業 を まっと うし、 国 家 試 験に 通 りたいと ね。父から反対された手前、意地でも学 休み時 間、クラスメイトに練 習 台になっ てもらって、 必 死でマッサージ実 技の勉 強 りになるときは 笑顔で ﹃あ りがとう ﹄ と さんの体も心も回復していくんです。お帰 のうちは一日が終わると疲労困憊すること 西洋医学まで範囲が広いので、休みの日は 試 験は 十三科目 も あって、 東 洋 医 学から あり、試験対策は万全だった。﹁それでも 授 業のほかに勉 強 会や卒 業 生との交 流も 思ったわ。あなただったのね﹂ と言われた。 そしてある日、勝田さんはいつも来る患 者さんから ﹁ あ ま りに 気 持 ちがいいから、 す﹂。 言われると、 疲れ も 吹 き 飛んでし まいま ついに師匠の先生のところから飛び立つ日 大 先 生がマッサージしてくれているのかと ず 資 格が取れるわけでは あ り ません。 大 を 終え、いよいよ 今 年、 勝 田さんは 自 分 がきたのである。四 年 間 続いた 修 行 期 間 もちろん、 通 学の電 車の中でも 必 死で覚 学 受 験に匹 敵するくらいの努 力は 必 要 だ 駅前のビルの一室が勝田さんの治療院。あ の治療院を開業する。地元出身校近くの まれてくるかもしれない。 の治療院からまた新しい﹁キッカケ﹂が生 こから 五 輪 大 会の 選 手が育つこと。 彼 女 身体のケアをしていきたいですね﹂。夢はこ として彼 女たちが怪 我をし ないよ う 心と 面 倒をみたいです。 先 輩として、 経 験 者 ﹁まずは母校の高校の陸上部の子たちの いる。 田さんの夢と希望と未来がいっぱいつまって ドも入っていないがらんとした部屋には勝 親身になって応援してくれている。まだベッ 喜んでいる。 友 人たちや 高 校の恩 師 も 皆、 親と同様に良き理解者となり、誰よりも れほど 猛 反 対していた 父 親は、 今では 母 無事、あん摩マッサージ指圧師の国家試験 の内 弟 子にな り、ほ ぼ 住み 込みに 近い形 勝田さんも栃木県にある卒業生の治療院 方は、 とてもメリットがあると 思いま す ﹂。 療 師の元で、 直 接 技 術を 教わるこのやり わるのは 不 安でした。 経 験 豊 富な 先 輩 治 家試験を通っても、いきなり患者さんにさ 療院で修行することを奨励している。﹁国 長 生 学 園では 卒 業したあと、 特に若い 人たちには、 付 属の治 療 院や卒 業 生の治 四年間の修行生活を経て この春、 自分の治療院を開業 に合格できたのである。 と 思います﹂。 努 力が実って、 勝 田さんは えました。 学 校に入ったからといって、 必 も 多かった。﹁でも 頑 張った分だけ、 患 者 国 家 試 験の勉 強が始まる。 長 生 学 園では をしたという 勝 田さん。三年 生になると、 思っていましたから﹂。 修 行は四年 間 続いた。 治 療 院の仕 事は 自分の肉体と ﹁気﹂ を使うだけに、最初 駅で降 りて休みながら、 学 校に来 ました もかけて長生学園まで通っていたのだ。朝 なかった。 んだったが、その道のりは決して平坦では になりました﹂。だが、大学進学を望んで その出会いがあってから、あん摩マッサージ は大きく転換することになる。﹁最初は大 ムのことを 気にしていた?楽しく走ったこ 「夢があっていいね」と言われ、自分の姿 を誇りに思えた。開業までこぎつけたとはい え、まだ勉強することはたくさんある。「一生 勉強です」という勝田さんの表情は輝いてい る。 ﹁精神療法﹂、生命のエネルギーを扱う﹁プ みなおしゃれをしているときに、いつもジャー ジ姿だった勝田さん。その友人のひとりから ﹁ 脊 椎 療 法 ﹂ と 患 者さんの心をケアする つ。とくに子どもの患者さんには大好評だ。 大学生や OL になった高校時代の友人たちが な﹂。その言葉に救われたという勝田さん。 意し、患者さんの心をほぐすよう心がけてい る。雑貨屋で見つけた可愛い靴下もそのひと とを 思い出して、 走ればいいんじゃないか 身体の治療と同じくらい心の治療も大切だ。 勝田さんも会話の糸口になるような小物を用
© Copyright 2024 ExpyDoc