第 7章 新古典派経済学の諸潮流

第
7章
新古典派経済学の諸潮流
「
理論的な経済学がとりあつかうものは経済的な行為
に対する実際的な提案ではなく,自分たちの欲望を満足
させることに方向つけられた人々の先行的に配慮する活
経済学
動が展開される際の諸条件である」(C.メンガー r
原理ふ 八木 ・中村 ・中島訳 r
一般理論経済学Jみすず書房,初
版への序言)
「
経済学者にとってのメッカは経済動学であるよりは
むしろ経済生物学である。しかし生物学的概念は力学的
概念よりも複雑である。基礎に関する諸巻はそれゆえに
力学的類推に比較的大きな場所を与えなければならない。
また静態的な類推に近いものを示唆する 「
均衡」という
言葉が頻繁に使用される。このような事実は,本書にお
いては現代生活における正常状態に注意を集中している
事実と相まって,本書の中心的な構想は,『
動態的』で
あるよりも 『
静態的』であるとの観念を示唆したようで
ある。しかし本書は一貫して運動を引き起こす話力を問
題としており,その基調は静態的であるよりはむしろ動
態的である」 (A.マーシャル,永漢越郎訳 r
経済学原理」岩
波ブックセンター信山社,第 8版序文)
1
62
第 7章
第 1節
新古典派経済学の諸潮流
1
8
7
0年前半に, ジ ェグォンズ, メンガー, ワル ラスは各 々独立 に限界効用
新古典派経済学 とは何か
1
63
味で 「
新古典派」 とい う語を使 ったが,それは広義の用法 よ りも早か った。
理論 と均衡論的分析を体系化 した経済理論を発表 した。新古典派 とは,彼 らの
1
9
3
6)で古典派 の意味
ケイ ンズが 『雇用 ・利子お よび貨幣の一般理論 』(
理論を基礎 に して形成 された三学派 -
S.ミル,マーシャルか らピグーにいたるイ
を広 くと り, リカー ドか ら J.
オース トリア学派 (ウィーン学派 )
,
お よびその他 の諸派 の総
ギ リス経済学 の流れを 「
古典派」 とよんでみずか らの経済学を区別 したの
称である。彼 ら 3人に よる限界効用 の 「発見」はしば しば 「限界革命」 とよば
だが,その うちのマーシ ャルか らピグーまでを 「
新古典派」 とい うわけで
れ,新古典派の限界分析の出発点を築いた業績 と評価 されている。 アダム ・ス
ある。
ローザ ンヌ学派 (
数理学派 ), ケンブ リッジ学派 -
ミス革命や ケインズ革命 とともに,三大革命の一つ といわれ ることもある。だ
(
3
) また ,1
9
3
0年代以降, ヒックスやサ ミュエル ソンらは,主 に ローザ ン
が,限界革命 とい う急激な変化があった とす る見方には多 くの疑問が出されて
ヌ学派 に よ り基礎を築かれた一般均衡論を厳密に定式化 し,価格理論 とし
いるし, これか らみてい くよ うに,これ ら 3学派は必ず しも同一の理論を展開
て発展 させた。 ミクロ経済学 とマ クロ経済学 とい う区別における ミクロ経
しているわけではない。本章では,新古典派の古典派に対す る分析枠組みの全
済学 (
価格理論 )を総称 して新古典派経済学 とよぶ こともある。 この意味
般的な特徴を まずあ きらかにした うえで,各学派の経済学者が提出した理論的
の 「
新古典派」 とは, この 「ミクロ経済学 」を さす。サ ミュエル ソンは,
内容,方法論,市場像をそれぞれの相異なる特徴に留意 しなが ら概観 し,その
さらに ミクロ経済学 (
価格理論 )とマ クロ経済学 (
所得分析 )の総合化を
現代的意義を考えることとす る。
試み, この ような両者の統一を 「
新古典派総合 」(
Ne
o
Cl
a
s
s
i
c
a
lSynt
he
s
i
s)
とよんだ。
1 新古典派経済学 とは何か
新古典派総合は 1
9
6
0年代 ,現代英米経済学界 の主流を占めたため,主流派
経済学 とよばれた こともあったが,現在ではさまざまな学派が分化 し併存 して
三
二
」 新古典派 とい う用語について
Ne
oCl
a
s
s
i
c
a
l
)とい う名称はい くつかの意味に用 い られ
現在 ,「
新古典派 」(
てお り,時に混乱を招 くこともあるので, この点を まず整理 してお きたい。
いて,主流派経済学が何であるのか必ず しもあ きらかではない。 アメ リカでは,
1
9
7
0年以降 イ ンフレ と失業が共存す るスタグフ レーシ ョンが発生 したため,
ケインズ経済学を批判す る一群の学派が形成 された。 これ らは,いずれ もケイ
(
1) 限界革命に よって生 じた 3学派,すなわちオース トリア学派, ローザ ン
ンズ的な有効需要政策の無効性を説 き,市場の 自動調節機能を信頼 していたた
ヌ学派,ケンブ リッジ学派,お よびイギ リスのジェグォンズやエ ッジ ワー
め 「
新 しい古典派 」(
Ne
w Cl
a
s
s
i
c
a
l
)とよばれた。すなわち, ラッファーに端
B.クラークに始 まるアメ リカ経済学 , ヴィクセルに始 まるス ウェ
ス ,∫.
を発す る 「
供給の経済学 」
, フ リー ドマ ンを中心 とす る 「マネタ リズム」
,サ ー
ーデ ン学派な どの諸派を まとめて,広義の新古典派 とい う。 この うち,オ
ジェン ト,ルーカスを中心に形成 された 「合理的期待形成学派」である。 これ
ース トリア学派, ローザ ンヌ学派,ケンブ リッジ学派がその中心であるか
らは,市場 の信奉 とい う点で新古典派に共通す る面 もあるが,それぞれが新古
ら,これ らを新古典派 とい うこともある。本書では 「限界革命 」を契機 に
典派総合を批判す るマ クロ経済学 として登場 してきた とい う意味で古典派的な
発展 した これ ら 3学派お よび諸派を通説にしたがい新古典派 とよぶが,後
のであ り,上でい う新古典派 とは異なる。
でみてい くように各学派の経済学体系の課題 と内容がかな り異なることを
考 えると,この大 きな括 り方が有効であるとはいえない場合 もある。
三
二
』 新古典派の特徴
(
2) とくにケンブ リッジ学派を 「
新古典派」 とよぶ こともあるが,これは狭
すでにみた よ うに,古典学派の限界 と動揺か ら歴史学派,マル クス学派,新
義の新古典派を意味す るといって よかろ う。 ヴェブ レンははじめて この意
古典派 とい う三つの学派が生 じた。歴史学派は普遍的理論を否定 して国民経済
1
64
第 7章
第 1節
新古典派経済学の諸潮流
新古典派経済学 とは何 か
1
65
や経済政策の歴史的 ・記述的研究に専念 したが,マル クス学派は経済動態 の歴
も関心を よせていたが,新古典派は,総 じて 自動調節的な市場における財の交
史的 ・理論的考察を展開 した。古典派に対す る新古典派の特徴は以下の よ うに
換比率 (
均衡価格 )の決定 と競争均衡における資源配分問題に関心を絞 ること
要約で きるであろ う。
になった。その結果,生産物 の分配は,限界生産力理論に よ り生産要素の価格
まず第一に,新古典派は,古典派の社会的生産 と分配の経済学にかわ る,逮
形成を説明す る機能的分配問題- と解消 された。ただ し,ケンブ リッジ学派に
択 と交換の経済学を確立 した ことであ る。 このことは,新古典派が古典派の客
は,所得分配 と資本蓄積 ,長期動学 といった古典派的課題が引 き継がれた と考
観価値論 (
労働価値説 )を棄却 して,主観価値論 (
限界効用説 )を提唱 した こ
えるべ きであろ うし,オース トリア学派の ミ-ゼスやノ、イ- クには景気循環論
とと関連 している。すなわち,古典派は価値が人間労働 による生産か ら形成 さ
-の関心がみ られることも事実である。
れ るとしていたが,新古典派は人間の欲望や消費か ら価値が発生す ると考 えた
のである。 しか し,新古典派の理論上の展開は,客観価値論か ら主観価値論-
三
二
』 新古典派形成の要因
の移行によっては十分表現 しきれない面 もある。新古典派において も,当初 の
ブ ローグ (
M・
Bl
aug) は,従来か ら説 明されて きた限界革命の起源を,①経
効用や限界効用の実体的な認識が批判 され,基数的効用か ら序数的効用- と効
済学 内部での 自律的な知的展開,②宗教哲学的思想の影響,③経済界における
用概念は変化す る。財に対す る選好順序だけが必要な経済データだ と考えられ
一定の制度的変化,④社会主義 , とくにマル クス主義-の反駁,の四つに整理
るよ うになるのである。 さらに,サ ミュエル ソンの顕示選好理論にいた っては,
した。
効用概念に含 まれていた経験的 内容がほぼ完全に抜 きとられ,市場価格体系や
限界効用理論の誕生に関 しては,現実の政治 ・経済 ・社会上の背景 よ りは,
消費者の購買行動 といった観察可能なデータのみか ら仮説的な選択関数を導出
経済学 における認識論,方法論 ,個別策点上の転換にその理 由を求め るべ きで
し,合理的選択の形式性へ と関心が集中されるよ うになる。 このことは,価値
あろ う。 ブ ローグがい う① お よび② に相当す る,形式論理学や新 カン ト派の影
または交換価値 の原因や実体を追究す る因果論的な問題構成が,相対価格を現
響,古典派の賃金基金説批判か ら需要面-の関心の高 ま り,歴史学派やマル ク
象論的に把握 し,それを関数的に記述す る関係主義的な問題構成- としだいに
ス学派に対抗 し純粋経済理論を確立 しよ うとす る指向,限界主義を方法論的に
移 ってい った ことを意味 している。それ と平行 して,理論 における主要な参照
可能に した数学的手法 (
徴積分学 )の導入 といった諸要因の結果 として,新古
点が生産か ら選択 もしくは交換-転換す ることとなった。
典派が誕生 した とひ とまずいっておいて よいだろ う。
第二に,古典派の階級的社会観か ら個人主義的な社会観への変化がみ られ る。
しか し後で述べ るよ うに,古典派か ら新古典派-の経済学の参照点,関心,
古典派の資本,労働 ,土地 といった経済範噂は資本家,労働者,地主 とい う階
870
課題 の変更 は,限界革命 に よって一気に起 こったわけではな く,む しろ 1
級概念 と各階級間の括抗対立を市場関係の背後に想定 していたが,新古典派で
年代か ら数十年をかけて漸次的に生 じた。 したが って,新古典派が一学派を形
は,消費者や生産者 とい う個別的経済主体が理論構成上の主役を演 じることと
成 し, しか も経済学の主流派 として普及 してい く過程で よ り大 きな影響を与 え
な り,階級関係が事実上消去 され る。新古典派は,社会を個人の集合体 と見な
870年代以降の政治 ・
たのは,む しろ ブ ローダが③ お よび④ としてあげた ,1
す原子論的個人主義を方法論的基礎 としているのである。
経済 ・社会 における変化ではないか と考えられ る。それ らを列挙 してみ よ う。
第三に,新古典派の予定調和的で静態的な市場像をあげることがで きる。そ
(
1
)生産性の上昇 とそれに ともな う賃金所得の拡大に よって,大衆消費が一
れは, 自由な市場経済の予定調和を信奉す る古典派の一面を継承す るものでめ
般化 し,個人の貯蓄や資産が増加 したが,その結果,個人主義的な効用理
るといえよ う。 もっとも,古典派は,投下労働量に よる商品の相対価格の決定
論ない し選択理論が説得力を発揮 しやすい経済環境が現れつつあ った。
のみな らず,価値の生産 と分配,資本蓄積 と生産力の発展 といった長期動態 に
(
2) 1
870年代以降,それ以前 の周期的な産業循環や激発的な恐慌が見 られ
1
66
第 7章
第 2節
新古典派経済学の諸潮流
な く′
な り,世界経済は どち らか といえば長期不況の状態 にあったが,そ う
した状況は低位ではあるものの安定的 ともみなされ うる。 ここに調和的市
場観が成立す る可能性があった。
(
3) 政治状況に関 しては,1
870年代以降,労働者階級 の全般的富裕化 に と
限界効用理論
1
67
ロイ ド, ジェニングスな どである。
H.
H.
Go
s
s
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n, 1
8
1
0
1
8
5
8)は,1
854
なかで も, ドイツの経済学者 ゴ ッセ ン (
年の 『
人間の交換の諸法則お よび これに由来す る取引行為の諸基準の発展』に
おいて,人が財を消費す るとき,消費量の増大につれて最終 1単位か ら得 られ
もない,イギ リスの フェビアン主義や ドイツの修正主義にみ られ る漸進的
る効用 (
限界効用 )は減少す るとい う 「限界効用逓減の法則」-
改良主義の潮流が強 まってお り, とくに欧米諸国で階級対立が緩和 されつ
が ゴッセ ンの第-法則 と命名 した-
つあ った。 これによ り,階級関係の経済学的認識を与えようとした古典派
られ る効用を価格で除 した ものが等 しくなるよ うに所得を配分す るとき (
消費
が衰退 し,方法論的個人主義に基づ く新古典派が台頭 してきた。
者の所得 1単位によ り購入す る財の限界効用が均等にな り,各限界効用が価格
こ うした経済社会的な背景の他に,経済学その ものの学問的性格の変化 とい
と,消費者は,各財の最終 1単位か ら得
に比例的なるとき)効用極大 となるとい う 「限界効用均等の法則」-
った要因 も考えられ る。経済学が大学 の専門科 目としての地位を確立 したのは
ス, シュンペ ーターが ゴッセ ンの第二法則 と命名 した-
Pol
i
t
i
cal
や は り1870年代以降で あ る とい って よい。古典派で は経済学 は "
していた。
Economy" とよばれ,それが道徳哲学 ない し経済政策論 の一環であ る とい う
意味を少なか らず担 っていたが,新古典派では 自然科学的な厳密性を もった学
問を意味す る "
Ec
onomi
cs" とよばれ る よ うにな り,大学で広範 に教授 され
るよ うにな ったのである。
ヴィ-ザ-
レキシ
をすでに明確に展開
これ ら先駆者たちの業績は彼 らの存命中にはそれほ ど注 目されなか ったが,
限界効用理論が展開され普及 され る 1
87
0年代以降に再発掘 され ることになる。
Z
A
「限界革命」はあ ったのか
通常 の説 明では,限界効用理論は ジェグォンズ, メンガー, ワル ラスとい う
2 限界効用理論
3人 に よ り1
871年か ら数年 のあいだに発見 された とい うことにな ってい る。
これを 「限界革命」 とい うわけである。
と」 限界効用理論の先駆者たち
しか し,すでにみた よ うに,限界効用理論に多 くの先駆者たちがいた ことを
E.
Ka
ude
r)に よれば,効用価値説 の起源はギ リシア哲
経済学史家 カウダー (
考えれば,1
871年 に限界効用概念がは じめて発見 された と必ず しもいえない
学の- ドニズム (
快楽主義 )にまで さかのぼることがで きるとい う。 また,中
のではないか。限界革命 1
00年を記念 してお こなわれた 1
971年のベ ラジオ会
世のイタ リアで もカ トリシズムの影響の もとで主観的価値論が発展 していた。
議に参加 した ものの共通理解は 「限界革命 とは一つのプロセスであって,突発
しか し,効用価値 の概念が明確 な形を とったのは 1
8世紀以降であるといっ
的 な出来事 を示す ものではない」 とい うものであ った。 スターク (
W.
St
a
r
k)
て よい。 コソデ ィヤ ック,ガ リ7-二,セ-な どが効用価値 の概念を導入 して
も 「古典派か ら新古典派学説-の推移は漸次的な ものであ った」 と述べている。
いた し,イギ リスのベ ンサ ム (
∫.
Be
nt
ha
m, 1
7
4
8
1
8
3
2)は,人間は快楽を最大
経済理論 における発見あるいは革新では, 自然科学 における新物質の発見や
限に し,苦痛をで きるだけ避 け る ものであ る とい う功利 (
ut
i
l
i
t
y)の原理を採
歴史におけ る新大陸 の発見 と違 って,発見者や発見時点を特定化す ることは非
用 した。 このベ ンサムの功利主義はジェヴォンズに大 きな影響を与えた といわ
常に難 しい。限界効用理論 の この時期における確立はそれ まで多 くの経済学者
れている。
が参加 して押 し進めてきた漸進的な発見過程の帰結であ り,ジェグォンズ, メ
また,限界効用理論 の先駆者たちは 1
9世紀前半 にあいついで登場 した。 レ
オン ・ワル ラスの父であるオーギ ュス ト・ワル ラス, ゴッセ ン,デ ュピュィ,
ンガー, ワル ラスは限界効用概念を発掘 ない し再発見 し,それを基礎に経済理
論を体系化 した と考えるべ きであろ う。
1
68
第 7章
第 2節
新古典派経済学の諸潮流
た とえば,古典派の リカー ドやマル クスの差額地代論 も限界概念をすでに使
三
二
』
限界効用理論
1
(
;
9
ジ ェウ ォンズ
用 していた とみ ることがで き,限界的分析手法が必ず しもジェグォンズ, メン
E] 数 理 主 義
ガー, ワル ラスに特有の ものだ とはいえない と,ブ p-グは指摘 している。
W.
S.
J
e
v
o
n
s,1
8
3
5
1
8
8
2)は, メンガーや ワル ラスとならんで
ジェグォンズ (
では ,1
870年代 に理論 内容や分析枠組みにおけ る急激 な変化が起 こった と
.
S.ミルな どの古典派経済
独立 に限界効用理論を体系化 したが, リカー ドや J
い う見方は正 しいのだろ うか。 この点に関 しては,古典派か ら新古典派-の移
学のパ ラダイムを もっとも意識 し,それに対抗 し うるみずか らの経済学を数学
S・
Ho
l
l
a
n
d
e
r
)の
行には,む しろ多 くの連続性が存在す るとい う,ホ ランダー (
を利用 して樹立 しよ うとしていた点に彼の特徴があ る。 モー リス ・ドッブは
意見を傾聴すべ きであ るO彼に よれば, リカー ドや J.
S.ミルの経済学は,本
1
9
7
3)のなかで 「ジェグォンズ革命 」 とい う言葉を使 っ
『価値 と分配 の理論 』(
質的な部分で限界主義者の精微な理論 と両立可能な交換の理論を含んでいるし,
ているが,それはジェグォンズの理論が経済学 における数理化を押 し進める出
また,その費用価格の分析は一般均衡理論 の枠組みで稀少資源の配分を も扱 っ
発点になった とい う意味である。
てお り,最終需要 と要素市場お よび財市場 の相互依存関係を考慮に入れている0
ジ ェグ ォンズは 『
経済学 の理論 』(
1
8
71)の序文で 「経済学 は もしそれが科
したが って,参照点や課題 の移行 も,理論上の変化 とい うよ りはむ しろ注意の
学であるとすれば,数学的科学でなければな らない」と述べている。経済学 の
87
0年代に/くラダイムが転換
集中や関心 の重点に求め られ るべ きであ るし,1
数字化に対す るジェグォンズのこの強い信念は,真理を希求す る科学的態度 と,
した と考 えるべ きではない とい うのであ る。従来 , 「限界革命 」を唱える人 々
数学を積極的に使用 して こなか った古典派経済学-の反逆精神の現れであろ う。
が,古典派 と新古典派の断絶 に注意を集中 しす ぎる傾向があ ったので,こ うし
862年 に英 国協会 に提 出 した論文 「経済学 の一般的数学理論 の概要 」
実際 ,1
た見方は重要な示唆を与えて くれ る。
は彼 自身の予想 どお り経済学者 らに完全に無視 されて しまった。経済学におけ
この よ うに,限界効用理論が漸次的に確立 された こと,限界分析が古典派に
る数理化を押 し進めた点では,ジェグォンズとワル ラスにはた しかに共通性が
も存在 した こと,古典派か ら新古典派-の多 くの連続性が存在す ることを考え
ある (メンガーは数学 の使用 に反対 していた)ちのの, ワル ラスには古典派-
ると,「限界革命 」の存在には否定的にな らざるをえない。
の対抗意識がそれほ ど強 くはなか った。 これは,イギ リスとフランスの経済学
この ことは学問 としての経済学 のあ り方に もおそ らく関連 している。すでに
の伝統の違 いに原因があ りそ うである。
9世紀後半以降,経済学の学問 としての地位が確立 した結果,
述べた よ うに,1
回
経済学 の制度化や経済学者の専門職化が進む ことになるが,交換 と資源配分-
ジ ェグォンズは,『
経済学 の理論』 において,限界効用逓減の法則に基づい
の注意 の集中 と限界分析や連立方程式体系における数学化は,経済学 の科学的
た交換 ・生産論 を展開 し, 「
快楽 と苦痛 の徴積分学 」を樹立 しよ うと試みた。
な装いに好都合であった といえな くもない。現代の新古典派の流れを汲む経済
イギ リスでは,啓蒙主義 の時代 よ りベ ンサ ム流 の功利主義 (
u
t
i
l
i
t
a
r
i
a
n
i
s
m)に
学者が 1
870年代を 「限界革命 」 として総括 しがちなのは,古典派経済学を疑
おける功利 の原理 (
人間の行動が快楽 と不快に よって支配 されているとい う普
似科学 として清算 し,そ こか らの断絶を強調 したい とい う心理的傾向が働 くか
遍的な原理 )がすで広 まっていたが,古典派は, リカー ド 『
経済学原理』にお
らともいえる。あらたな学派が普及す るときには常 にこ うした傾向が存在す る
けるよ うに使用価値 と交換価値を区別 し,交換価値を効用ではな く 「
生産 の難
のである。
易度 」あるいは 「
生産費」に よ り説明 して きた。
交換理論
ジェグォンズは,ス ミスの水 とダイヤモ ン ドの逆説 (
高い使用価値を もつが
低い交換価値 しか もたない水 とそれほ ど高い使用価値を もたないが高い交換価
値を もつ ダイヤモ ン ドに関 しては,使用価値 または効用 に よってその交換価値
170
第 7章
第 3節
新古典派経済学の諸潮流
を説明で きない)に対 し,多量に存在す る水の最終効用度 (-限界効用 )は低
ローザ ンヌ学派
171
ジェグォンズはみずか らの経済学が交換の経済学 ,交換の 「
静態力学 」であ
く稀少なダイヤモ ン ドの最終効用度は高い ことか ら,最終効用度 こそ交換価値
ると考 えていたが, この ことは,経済学上の問題関心 の変化を意味 している。
の原因であると主張 した。古典派の使用価値 と交換価値は,ジェグォンズの全
す なわち,均衡あるいは均衡価格決定に関心が集中 し,古典派に見 られた長期
部効用 と最終効用度に対応 している。労働は多 くの場合,価値を決定す る事情
動学的考察が無視 され ることになるか らである。
であ って も,決 して価値の原因ではないのであ り,それは供給を,いいかえれ
回
資本理論,政策論
ば,消費すべ き財の量を決定す るのみであるとい うのが,ジェグォンズの労働
ジ ェグォンズは イギ リスの経済学で正統派 とみなされていた リカー ドや J.
S.ミルに強い反発を示 したが,資本 の唯一 の重要 な機能は 「前払 いで労働を
価値説に対す る批判である。
限界効用理論による交換比率の決定についてのジェグォンズの議論を簡単に
みてお こ う。
費消す ることがで きる」ことにあるとして,古典派の賃金基金説を受け入れた。
その うえで,投資期間概念を導入 して期間延長による限界生産性増大によ り資
A,Bを二人の取引主体 とし,Aは小麦を α量 ,Bは牛肉を ∂量所有す る と
す る。そ して,各取引主体の商品所有量を所与 とみな して,生産や生産費用を
本利子を説明しよ うとしたが,この資本利子の考え方は,後にオース トリア学
派のベ ーム ー/ミグェル クによ り体系化 された。
無視 し,2商品がいかな る交換比率で交換 され るかを考察 しよ うとした。 ワル
ジェグォンズの経済理論の基礎にあ る功利主義 と自由主義は,彼の晩年にお
ラスが,経済主体が行動す る市場価格の存在を所与 として需要関数,供給関数
いて変化を こ うむ った。個人の経済的な 自由はそれ 自体 目的ではな く,社会的
をたてるのに対 し,ジェグォンズは 自由で競争的な交換過程か ら価格が成立す
厚生のための手段であると考えるよ うにな り,経済政策上の 自由放任主義を放
ると考 えたか らである。その際,次の よ うな二つの仮定をお く。
棄 し,経済政策の当否を経験的,数量的に判断すべ きだ とす る立場に移行 した
(
1
)無差別の法則,すなわち 「一物一価 」の法則- 全体の交換比率 と最後
のである。
の交換比率は同じ。
(
2) 「
交換団体 」の仮定 -
多数 の取引主体が存在す る市場を,売手 と買手
3 ローザ ンヌ学派
の二つ の 「
交換団体 」に分けて考え,さまざまな個人の消費行動の仮構的
平均 として連続的な交換行為がお こなわれ るとした。
A が ,小麦を x量 と交換 に牛肉 y量を手に入れ るとい う交換を考えると,B
三
二
』 ワルラス
圧〕 一般均衡論 の樹立
は,牛 肉を y量手放 し小麦を x量手 に入れ ることとなる。その結果 ,A の手
レオン ・ワル ラス (
L Wal
r
a
s, 1
8
3
41
91
0)は,現代では,限界効用理論 の創
許 には小麦 (a-x)量 と牛 肉 y量 ,B の手許 には牛肉 (
b-y)量 と小麦 x量
始者 として よ りは, ミクロ理論の中枢を形成す る一般均衡論 の樹立者 として評
が残 る ことにな る。 Aが xを ご く少量か ら少 しずつ増や してい くと仮定す る
価 されている。
と,方が増 えるにつれて消費す る小麦の量は減 るので,小麦の最終効用度 (
限
交換価値は,社会的富の本質,つ ま り財が効用を持ち稀少であるとい う自然
界効用 )は高 くなってい くが,それ とともに Aが消費す る牛 肉の量は増 える
的事実か ら うまれて くる。 ワル ラスは商品の消費に よ り充足 され る欲望の総和
ので,牛肉の最終効用度は低 くなってい く。 こ うして,獲得す る財の限界効用
を 「
有効効用 」(-総効用 )
,つ ま り商品の消費によ り充足 され る最終の欲望の
は逓減 し,手放す財の限界効用は逓増す るが,小麦 と牛肉の限界効用が等 しく
強度を彼の父 オーギ ュス ト・ワル ラスにならって 「
稀少性 」 とよぶ。 ワル ラス
なるところ まで交換はお こなわれ るだろ う。結局,交換比率は,最後に手放す
r
a
r
e
t
6)とは,オース トリア学派 の 「限界効用 」,あ るいは
のい う 「稀少性 」(
財の限界効用 と獲得す る限界効用が等 しくなる点で決定 され る。
ジェグォンズのい う 「
最終効用度」に等 しい。
172
第 7章
第 3節
新古典派経済学の諸潮流
ヮル ラスは ,『
純 粋経 済学要論 』 (1874,1877)にお いて ,単純 な経済か らよ
ローザ ンヌ学派
1
73
ワルラス r
純粋経済学要論j:経済学体系の原論
り複雑 な経済へ と次 の よ うな四つ の経済場面を設定 し,一般均衡論 を順次体 系
ワル ラスといえば,す ぐに思い出すのが一般均衡論であるが,実際にはそれは彼が構想
的 に展 開 している。
1
874,
した経 済学 体系 の原論 に相 当す るにす ぎない。 『純 粋経 済学要論』第 1,2巻 (
(
1) 第 2,3編 - 交換 の一般均衡 (
すべ て の財 サ ー ビスは所与 ,単純 交換
におけ る価格 の決定 )
(
2
)第 4編 -
生産 の一般均衡 (
消費財 は生産 され ,動産資本お よび土地資
本は所与 ,生産要素価格 の決定 )
(
3) 第 5編 - 資 本形成 お よび信用 の一般均衡 (
新資本財 の生産 と貯蓄 を考
え,固定資本 の価格 の決定 )
(
4) 第 6編 -
流通 お よび貨幣 の一般均衡 (
相対価格決定理論 と貨幣理論 の
統合 )
そ れ ぞ れ の経 済場 面 におけ る一般均衡体 系 は ,「理論 的 ない し数学的解法 」
と 「
経験的 ない し実際的解法 」 とい う二つ方法 に よ り取 り扱われてい る。
回
一般均衡体系 の二つ の解法
理論的 ない し数学 的解法 とは,一般均衡体系 の方程式群 におけ る未知数 と方
程式数 の一致 に よ り,未知数が決定 され る ことを確認す る ものであ る。た とえ
は ,交換 の一般均衡 の決定 に用 い られ る方程式群 は,次 の 2種掛 こ分かれ る.
1
8
7
7)の初版序文のプランによれば, ワル ラスの経済学体系は,純粋経済学,応用経済学 ,
社会経済学の 3部 よ り構成 され る壮大な ものであ った。
経済学は人間に と り効用があるだけでな く,稀少な物である 「社会的富」を対象 とす る
と, ワル ラスはい う。その扱い方に よって以上の 3部に分け られ る。
純粋経 済学 は ,「交換価値 の事実 」か ら社会的富の本質を考察す る市場機構の純粋科学
的理論,すなわち,絶対的な 自由競争 とい う仮説的制度の もとにおける価格決定の理論で
ある。 また,応用経済学 は ,「
利益 」あるいは 「
産業」の観点か ら社会的富の経済的生産 ,
すなわち分業を基礎 とす る産業組織 を考察す るのであ り,農業,工業,お よび商業に よる
富 の生産 の理論であ る。最後 に,社会経済学は,「公正」あるいは 「所有権 」の観点か ら
社会的富の人 々への分配を研究す るのであ り,所有権お よび租税に よる富の分配理論であ
る。
9
0
0年に決定版 と
純粋経 済学 につ いては 『
純粋経済学要論』があ り, ワル ラス生前の 1
して第 4版が公刊 された。 しか し,応用経済学お よび社会経済学に関 してはそれぞれ論文
集 『
社会経済学研究』(
1
8
9
6)
,『応用経済学研究』(
1
8
9
8)が残 されているだけで,体系的
展開がな された とはいえなか った。 こ うした理 由か ら 『
純粋経済学要論』で提示 された一
般均衡論が, ジェグォンズや メンガーと異なる彼独 自の理論的貢献 として,現代の経済学
に最 も影響を与 えることになったのである。
す なわち ,財 の初期賦存量 に よる制約 の もと,各経済主体 が市場価格を所与 と
して ,効用最大化をはか る主体的均衡条件か ら導かれ る各財 に関す る需要 ・供
数 は決定 され る。 しか し,未知数 と方程式 の数 の一致だけでは,必ず しも経 済
給方程式群 と,各財 の需要 ・供給 の均衡を示す方程式群であ る。
的 に有意 な解 が存在す ることは保証 され ないO数学的 に厳密 な均衡 の存在証 明
い ま,経 済主体が
n人 ,財 が m種頬存在 す る とすれば ,すべての経済主体
は1
9
5
0年代 にな って,ア ロー, ドゥブ リュ-,二階堂 らに よ り解決 された。
のす べ て の財 に関す る需 要 ・供給方程式 は nm 本 ,すべ ての財 の需要 ・供給
他方 ,経験的 ない し実際的解法 は,現実 の市場が いか に均衡価格 に到達す る
の均 衡 を示 す方程式 は m 本 にな る。 した が って , これ ら 2種操 の方程式群 は
か を考察 す る もので , ワル ラスは ,それ を模索 (
t
a
t
o
nne
me
nt
, タ トヌマ ン)
合 計 nm+m 本あ る こ とにな る。 ところが ,「任意 の財を価値標準 (ニ ュメ レ
理論 に よってあた え よ うとした。市場 をあ る種 のせ り市 の よ うに考 え,価格 を
-ル ) として選べば ,価値尺度財以外 のすべ ての財 の需給が均衡す る とき,価
上げ下げす る競売人が存在す る と仮定す る。競売人 は,超過需要が存在す る財
値尺度財 の需給 も必然的 に均衡す る」 とい うワル ラス法則 よ り, これ らの方程
の価格を上 げ,超過供給が存在す る市場では財 の価格 を下げ る模索過程 をすべ
式 の うち一 つ は他 の方 程 式 か ら導 き出せ るので ,結局 ,独立 な方程式 の数 は
ての市場で需要 と供給が一致 し均衡価格が得 られ るまでお こな うのであ る。た
nm+m-1本であ る こ とがわか る。 未知数 としては,価値標 準財で表 された
だ し,すべ ての財 の需要 と供給が一致 し均衡価格が得 られ るまでは現実 の取引
価格が m-1個 ,すべ ての経済主体 のすべ ての財 に関す る取引数量が nm 個 ,
はお こなわれない とす る予備的模索 の仮定がおかれていた。 ワル ラスの模索過
合 計 nm+m-1個 あ る。 こ うして ,未知数 の数 と方程式 の数 は一致 し,未知
程が均衡価格へ収束す るか ど うかが問題であ るが , この ことは ワル ラスに よ り
1
7
4
第 7章
第 3節
新古典派経済学の諸潮流
ローザ ンヌ学派
1
75
厳密に証明されたわけではなか った。 この均衡の安定の証明は,超過需要関数
等」は是認 しなければならない, とい う。すなわち,土地国有化に よ り機会の
の粗代替性の条件の もとア ロー,ブ ロック,ノ、-ヴィッツ,/、-ソ,根岸 らに
平等を実現 し,効率を向上 させ,個人の 自由を確立せ よとい うことになる。 ワ
950年代末 よ りお こなわれ ることになる。
よ り1
ル ラスは経済的効率性 と個人的 自由を重視す る 「自由社会主義」 とで もい うべ
回
一般均衡論の市場像 と社会主義経済への適用
きものを望 ましい と考えていた よ うである。
ワル ラスの一般均衡論は,経済諸変数の相互依存関係を考慮に入れた厳密 な
形式性をそなえた市場理論であるといわれ るが,実際には,貨幣が重要な役割
三
二
』 パ レー ト
を果た さず,経済主体の意思決定が価格 シグナルにのみ依存す る集中的な市場
[
∃ 効用 の可測性批判
像を模写 している。それは,市場の 自動調節作用を人 々に信頼 させ る神学的作
ワル ラスの学説は,彼の母国 フランスではな くイタ リアでその後継者を見出
用を もつ と同時に,厳密な論証を好む数理経済学者を満足 させ うるエ レガン ト
M.
した 。 イ タ リ7国 内- 一 般 均 衡 論 を紹 介 した の は パ ンタ レオ ー ニ (
な数学的定式化を可能にす るが,現実 の市場経済を理論化 したモデル とはいえ
Pa
n
t
a
l
e
o
ni
,1
8
5
7
1
9
2
4)であ り,それを発展 させ普及 させたのがパ レー ト (
Ⅴ.
そ うにない。
Pa
r
e
t
o,1
8
4
3
1
9
2
3)と/(p-ネ (
E.
Ba
r
o
n
e,1
8
5
9
1
1
9
2
4)である。
1
920年 よ り開始 された社会主義経済計算論争で, ミ-ゼスや/、イ- クに よ
ワル ラスの一般均衡論の考 え方は 「
すべてはすべてに依存す る」 とい う一般
る社会主義経済は存立不可能であるとの主張に対 し,デ ィキ ンソソや ランゲが
的相互依存 に よ り表現 され る。 しか し他方で, ワル ラスは稀少性
(
-限界効
この ワル ラスの模索過程を応用 し,社会主義経済におけ る中央計画当局が競売
用 )が交換価値の原因であることを強調 してお り,そ こに因果関係に よる思考
人の よ うに価格を試行錯誤的に調整すれば諸財の均衡価格が得 られるので,礼
法が残 っていた。 ローザ ンヌ大学 において ワル ラスの後継者 となったパ レー ト
会主義経済は存立可能であると主張 した (
本章 4.4参照)
。一般均衡論は, ラン
は, この ワル ラスの因果関係論 ない し実体主義を批判 し,経済現象を経験的 に
ゲ型の市場社会主義経済においてはた しかに一定の現実的なモデルを提示す る
観測 され る経済諸変量の関数的相互依存関係 として純粋に説明しようとした。
ことに成功 したのだが (この実際 の運用上 の問題 は多 々あるにして も)
,現実
したが って,パ レー トは,需要量,供給量,生産量,消費量,価格,所得 とい
の市場経済では株式市場の よ うな良 く組織 された市場以外には適用で きないの
った経験的に認識 し うる客観的諸変量のみで一般均衡論を構築す る。パ レー ト
である。
の こ うした現象論的経験主義には,古典物理学的世界観を批判 し現象学的物理
ランゲは, ワル ラスの一般均衡理論は社会主義経済で こそ,その真価を発揮
で きると主張 したが, ワル ラスもこの考えをあながち否定 しないか もしれない。
学を提唱 したマ ッノ、の影響があるといわれている。
パ レー トは, ワル ラスのい う稀少性概念で前提 されている効用の可測性を批
ワル ラスは,父 オーギ ュス トか ら個人主義 と社会主義を調和 させ るとい う課
判 し,基数的効用を序数的効用に置 き換 えた (
パ レー トは経済的な満足に対 し
題を引 きついで, 自分の立場を 「
科学的社会主義」と述べた こともあった。彼
o
p
h
6
1
i
mi
t
6
〕とい う用語を使 った )
。パ レー トが,序数的
ては,オ フェ リミテ 〔
は若い ときには,サ ン-シモ ン派の社会主義者であ り,土地国有化による改革
選好に基づ く無差別 曲線を導入 した ことで,消費者行動を説明す る概念は限界
論者で もあ った。彼の当時の考えを要約すれば,次のよ うになる。
効用か ら選択-移行 した ともいえる。 この考え方は,スル ツキー, ヒックス,
社会主義者は経済学を欠いているため市場経済の効率性を無視す ることが多
サ ミュエル ソンに よ りさらに発展 させ られた。
い。国家の社会主義的政策は国有化 された土地の貸出運用を基礎 とす る財政 に
回
よ り諸個人の 「
条件の平等」を確保す ることに向け られ るべ きであ り,効率 と
ワル ラスは,完全競争の もとではすべての人 々が主体的均衡にあるか ら, 自
自由主義 の観点か らすれば ,個人の 自由な活動の結果 としての 「
地位 の不平
由競争は個 々人の効用を最大化す ると主張 したが, この議論は効用 の可測性を
パ レー ト最適
176
第 7章
第 3節
新古典派経済学 の諸 潮流
ローザ ンヌ学 派
1
77
前提 としていた。 これに対 してパ レー トは後にパ レー ト最適 といわれる概念を
に荷担 した といわれ ることもあるが,実際には非妥協的な個人主義者ない し自
提示す る。それが社会 に とってのオ フェ 1
) ミテを最大にす るパ L
,- 卜の点 p
由主義者であ った。 この点では,師の ワル ラス と異なっている。
であ る。点 pでは,与 え られた条件 の もとではすべての個人の経済状態が他
人を不利にす ることな しに改善す ることがで きない。 これに対 し,点 Q では,
三
』
シ ュンペー ター
だれを も不利にす ることな く自己の経済状態を改善 し うる。パ レー トは競争が
回
点 pで止 まることを示 したが,点 pが無数に存在す ることも認識 していた。
シュンペ ーター (
∫.
A.
Sc
hu
mp
e
t
e
r
,1
8
8
31
9
5
0)は, ミ-ゼスやマル クス主義
これが,後に厚生経済学 の第一基本定理 とよばれ る命題 ー ト最適である」-
「
競争均衡はパ レ
一般均衡論の信奉者
者 ヒル ファデ ィング,/;ウ7-, レ-デ ラーな どといっし ょにベーム ーノミヴェ
ル クのゼ ミに参加 していた。 出身か らいえば ミーゼスとな らんでオース トリア
の原型である。
パ レー ト最適の概念は/;ローネ, ランゲ, ラ-ナ-を経て,新厚生経済学 に
学派の第三世代に属す る。 しか し,彼が ワル ラスの一般均衡理論を最 も優れた
継承 され,所得分配に関す る価値判断を分離 し資源配分 の効率性を問題 とす る
経済学上 の業績 と認めていた ことか ら,通常, ローザ ンヌ学派に分煩 され るの
うえで中心的役割 を果たす ことになる。バ p-ネ (
E.
Ba
r
o
n
e)は ,1
908年 の
であ る。実際 ,シュンペ ーターは 『
理論経済学 の本質 と主要内容』 (
1
9
0
8,以下
論文でパ レー ト最適を得るための最大化条件が資本主義 と社会主義で形式的 に
『
本質と主要内容』と略す)を ワル ラスに寄贈 し 「これは一人の弟子 の書物であ
同 じであ ることを示 した。 さらに, ランゲ
(
0.
La
nge,1904-1965)は,パ レー
ト最適性を比較体制的基準 とし,外部性の存在な どを考慮すれば,彼が提示 し
た市場社会主義が現実の資本主義 よ り優れていると主張 した。
る」 と述べている。
0歳代で 『本質 と主要 内容』,『経済発展の理論 』 (1912),
シ ュンペ ーターは ,2
『経済学 史 』 (1914) とい う三部作を書 き上げた早熟 な経済学者であ る。『本質
[
釘 イデオ ロギー論
と主要 内容』で は, ワル ラス一般均衡論 のなかにオース トリア学派帰属理論
パ レー トのオフェ リミテが経済的な満足にかかわ るものに限定 されていたの
(
本章 4.
1参照)を統合 しよ うとしたが,これは必ず しも成功 した とはいえない。
は,人間の感情や本能,価値や信念を純粋経済学の領域か ら排除 しよ うと考え
[
司 動態 としての経済発展 の ヴィジ ョン
ていたか らにはかな らない。パ レー トは, ワル ラス同様 ,純粋経済学が 「
経済
シュンペ ーターの真価は, ワル ラスとマル クスの新結合を試みた 『
経済発展
人」を前提 とす る理念型であることを 自覚 し,人間社会を全体 として認識す る
の理論』において発揮 されている。 フ リッシュや ヒックスは後に,方程式系が
には社会学が必要だ と考 えていた。彼の社会学 とは,ある種のイデオ ロギー論
時間要素を含 まない とき静学 ,含む とき動学 と定義 したが ,『
本質 と主要 内容』
である。
におけ る純粋理論 とは ここでい う静学 の ことであ った。 ところが,『
経済発展
人間の感情,本能,利害 といった 「
残基 」と,それ らを結び付ける推論や論
の理論』では,静学 の概念を拡張 して, これ とは異なる静態論 と動態論 とい う
理であ る 「派生 」か ら,価値 と信念が体系化 された理論である 「
派生体 」
,す
区分を導入す るのである。すなわち,シュンベ ータ-は 「
一定条件に制約 され
なわち イデオ ロギーが生成す る。パ レー トは,科学 とイデオ ロギ-を区別 し,
た経済の循環 」 とい う経済状態を静態 ととらえて,それが無時間的な均衡だけ
イデオ ロギーは社会に活力を与え,変動を もた らす とその積極的な意義を認め
でな く定常状態や循環を も含む もの と考えた。 したが って,そ こでは時間要素
た うえで,それに関連 させてエ リー トの循環運動を説明 している。
が考慮 され,与件 (
人 口,欲望,生産技術,社会経済的組織等)が一定の とき
パ レー トが,科学的社会主義に批判的なのは,それが 「
科学的」 と称す るこ
の経済体系の均衡や定常状態 のみならず,与件の外生的変化に対す る経済主体
とで説得をお こな う疑似科学的な派生体だ と考えたか らである.パ レー トは,
の受動的な適応過程 としての循環や成長 も,考察対象にされ る。 こ うした定常
死の数 カ月前にム ッソ リ-ニ政府の上院議員に任命 されているため ファシズム
状態あるいは循環 とい う静態論 の枠組みで,利子 も企業者利潤 も長期的にはゼ
1
78
第 7章
第 4節
新古典派経済学の諸潮流
オース トリア学派
1
79
ロになることを確認 している。一方,シュンペーターのい う動態論 とは,与件
の不断の内生的変化によって経済みずか らが発展す る過程を対象 としている。
4 オース トリア学派
1
9
3
7)で,この資本主義の動態理論の起
シュンペ ーターは 日本語版- の序文 (
源は , 「
経済体系それ 自身に よって生み出され る独 自の過程 として経済的進化
を とらえる」マル クスの ヴィジ ョンにあるとい うことを認めている。
三二
』 メ ンガー
回 メンガーの多面性
シュンペ ーターのい う発展は,連続的,成長的な ものではな く,きわめて不
C.
Me
n
ge
r
,1
8
4
0
1
9
2
1
)は限界効用
オース トリア学派の始祖であるメンガー (
連続的,飛躍的な性格を もつ。循環軌道に自発的で不連続な変化を もた らし,
理論のいち早い発見者 として評価 されて きた きらいがあるが,こ うした メンガ
静態的均衡を破壊す るのが 「
新結合」であ り,それを遂行す るのが資本家 とは
ー像は,近年 さまざまな方面か ら見直 しがお こなわれている。
異なる 「
企業者」である。新結合 とは,先見の明 と実行力,指導力をそなえた
現代 オ ース トリア学 派 あ るいは新 オ ース トリア学派 (
Mo
d
e
r
n Au
s
t
r
i
a
n
s,
企業者が,銀行の信用創造 によ り付与 され る購買力を利用 し,新商品,新生産
Ne
oAu
s
t
r
i
a
n
s)といわ れ る カ ーズ ナ - (Ⅰ.
Ki
r
z
n
e
r), ロスバ ー ド (
M.
N.
方法,新市場 ,新資本,新組織 とい う五つの場面で遂行す る革新 (イノヴェー
, ドーラン (
E.
Do
l
a
n)
, ラッノ\マ ン (
L,
Ⅴ.
Ra
c
hma
n)らは, とくに ミ
Ro
t
hb
a
r
d)
シ ョン)を意味 している。企業者利潤は こ うした動態的過程で発生す るとされ,
9
7
0年代半ば よ りオース トリア学派の再興
-ゼス とノ、イ- クの影響 の もと,1
その分配分 として動態的利子が導かれ る。資本主義的経済過程は,こ うして循
を推進 して きた。彼 らは, ローザ ンヌ学派か ら始 まる一般均衡論的な ミクロ理
環 と発展 の二面か ら把握 され ることになる。
論の立場を批判 し,オース トリア学派の市場の理解や ヴィジ ョンを現代におい
シュンペ ーターは,景気循環 こそ資本主義経済の動態的特質を表現す るもの
と考 えてお り,それを解 明す ることが彼の経済学上の一大課題であ った。『
景
て再構築 し,オース トリア学派の学説史的位置付けを精力的に再検討 しよ うと
している。
1
9
3
9)で も,同様な経済発展の動態論把握が展開 され ,3種 の循環
気循環論 』(
現代 オース トリア学派は,市場を知識の発見的過程 ととらえ, とくに企業間
波動 (コン ドラチ ェフ,ジュダラー,キチ ン)の合成波に よる現実接近がお こ
の ライ/1ル としての競争や企業家精神に基づ くイノヴェーシ ョンが,そ うした
なわれた。
市場過程で重要な役割を果た していると考える。彼 らは,そ うした市場理解 の
垣] 資本主義衰亡論
出発点 として メンガーを位置付け, メンガーが市場均衡 よ り市場過程の動態的
資本主義はその成功のゆえに衰亡 し社会主義-移行せ ざるをえない と説いた
な特性を示唆 した点を評価 している。
『
資本主義 ・社会主義 ・民主主義 』(
1
9
4
2)で も,資本主義の本質を企業者に よ
また,主流派経済学を形成 している一般均衡理論を研究 して きた人 々のあい
る創造的破壊 (
新結合)の過程 にあると考えるのは同 じである。独 占段階の資
だに も,価格が需給均衡において決定 され るとす る従来の ミクロ理論を再考 し
本主義を 目の前に して シュンペ ーターが資本主義死滅論を唱えたのは,大企業
ようとす る動 きがある. メンガーが需給不均衡において も価格が形成 され取引
の官僚化 した経営機構では革新的な企業者職能が無用化 され,私有財産制度 と
が進行す ると把握 していた ことか ら,一般不均衡論の開拓者 として脚光を浴び
自由な契約 といった競争的資本主義 の利点が失われつつあると観察 した ことに
ている。 こ うした考え方は,やは り市場均衡 よ り市場過程や貨幣の役割を重視
大 きな理 由があった。 この悲観主義 とは対照的だが,社会主義経済におけ る企
す るメンガーの方法にその淵源があるといって よいだろ う。
業者の草新機能は 「
文化的不確定 」ゆえに持続 し うるとしていたのは,現在か
らみ ると楽観的であった といえ よ う。
さらに, メンガーは,ケインズの流動性選好理論 の起源であるばか りか, ノ
イマ ン-モルゲソシュタインのゲームの理論 の始祖であるとい うメンガー研究
E.
St
r
e
i
s
s
l
e
r
)の意見 もある。 こ うした解釈には メンガー
家 シ ュ トライスラー (
1
8
0
第 4節
第 7章 新古典派経済学の諸潮流
の経済理論 の一部分を拡大解釈す る傾 向 もみ られ るのだが,それ もメンガーが
理論的な多面性を もった経済学者であることの証拠だ といえるだろ う0
垣] 方 法 論 争
1
871
)は, シ ュモ
ロッシ ャ一に捧げ られた メンガーの 『国民経済学原理 』 (
オース トリア学派
1
81
メンガー『
経済学原理J第 2版
C.
メンガーは
『
経済学原理』 (
以下,ここでは 『
原理』 と略す )初版 (
1
8
7
1)出版後,
方法論争 をへて増補改訂版を出す必要を感 じ,没年 にいたる 5
0年 もの歳月を費や して改
訂作業に取 り組んだ。その間,国内外か ら寄せ られ る初版 『
原理』 の再版や翻訳の申し出
ラー率いる新歴史学派の優勢な ドイツ経済学界ではまった く無視 された。 この
をすべて断 っていた とい う。 しか し,それに もかかわ らず彼の生前に 『
原理』の増補改訂
ため, メンガーは 『
社会科学 ,特に経済学の方法に関す る研究 (
方法論研究 )
』
版はついに出版 されなか った。
(
1
883) と 『ドイツ国民経済学 におけ る歴史主義 の誤謬』 (
1
88
4)で歴史学派に
彼 の死後 ,息子 の K.メンガーに よ り遺稿が整理 され 『
経済学原理』第 2版 (
1
9
2
3)が
出版 された。遺稿第 2版は,欲望論 ,貨幣論 ,資本理論において深化 ・拡充 されてお り,
論戦を挑み ,理論研究の重要性を力説 した。 これが, シュモラーとのあいだに,
メンガー晩年の思索を知 る手がか りとして,また理論的に も独 自の意義を もつ もの として
経済理論 の方法論や研究対象をめ ぐる方法論争を引 き起 こす こととなる。
再認識 されてい る。 (
八木 ・中村 ・中島 らに よ り都訳 された 『
一般経済学』みすず書房 ,
メンガーは,いわゆる方法論的個人主義の立場か ら,現実的な諸現象のなか
1
9
8
2年 は, この遺稿 による第 2版 に,初版 との異同対照を付け加えた もの。『原理』を両
版の異同関係をみなが ら読むのに好便である。)
か ら最 も簡単な諸要素を取 り出 し,それ らか ら複雑 な現象を構成 してい く方法
経済人頬学者 K.
ボ ランニー (
1
8
8
61
9
6
4)は 「メンガーにおけ る<経済的 >の二つの
(
還元 ・組成法 -経験的方法 )を提示 した。他方で,個 々人の行為が関連 しあ
意味 」 とい う論文 (
玉野井芳郎 『エ コノ ミーとエ コロジー』みすず書房 ,1
9
7
8年,に訳
い,個 々の人間の意志か ら独立 した合法則性,あるいは意図せ ざる社会的結果
出)で, この第 2版であ らたに書 き加えられた第 4章第 3節 「人間の経済の基本的な二方
を生み出す ことを解明す る必要性を説 き,社会制度の生成の理解 と横能の把握
は不可分にあると指摘す る。 メンガーに よれば 「発生論的要素は理論的科学 の
観念 と切 り離す ことがで きない」のである。
これに対 し,シュモ ラーは メンガーの方法を仮説的方法であ り, もし前提が
向」に とくに注 目した。 メンガーはそ こで,経済の技術 一経済的方向 と節約化 (
経済化 )
の方向を本質的に異なった独立の要因 として区別 し,それ らは現実 には結び付いているが,
その結合は必然的ではない と論 じている。 に もかかわ らず,オース トリア学派の後商であ
る ロピンズや/\イ- クは,経済の これ ら二つの意味の区別の意義を認めず,経済を節約化
の方 向,すなわち形式的な稀少性に よ り定義す る。 ボ ラソニーは,彼 らが経済の実在 (
実
体 )的を意味を無視 した ことを批判 し,経済人瑛学を含む経済-の制度論的 7ブローチは,
間違 っていれば理論 とはただの幻にす ぎない と批判 した。 メンガーは,さらに
二つ の意味における人間の経済を対象 とす るものであると主張 したのである (くわ し くは,
理論の意義は どの程度の現実説明力を もつか とい う点で問われ るべ きだ と次の
本書第 9章参照 )
0
ように主張す ることになる。経済現象における合法則性は, 自由意志 と無関係
に成立す るものではな く,それを制約す る条件 として作用す るのであ り,経済
の経 済 財 と規定 し,商 品 の購 買価 格 に よる売 れやす さを 「商 品 の売却 力 」
現象 と物理現象は この点で異なる。経済現象における合法則性は, メンガーの
(
Ab
s
a
t
z
f
畠
hi
gk
e
i
td
e
rWa
r
e
n)とい う概念で表す。
還元 ・組成法に よって把握 され うるのである, と。
交換の便宜を求める個 々人は,さまざまな売却力を もった商品のなかか ら,
歴史学派が各種社会諸制度を国家や国民 とい う集合的ない し有機的な概念で
一定の経済圏 と一定の期間に相対的に高い販売力を もった商品を交換手段 とし
把握 していたのに対 し, メンガーはそ うした諸制度に も方法論的個人主義が適
て選択的に使用す るが,そ うした行為が習慣的に画一化 して くると,交換手段
用で きると考えたわけである。
として使用 される商品の販売力が高 ま り,それが一般的な交換手段 ,すなわち
こ うした メンガーの方法論が示 されている好例 は, メンガーの貨幣生成論で
ある。 メンガーは貨幣の存在を前提 とし,貨幣を国家の法律に よ り定め られた
約束上の もの と考える名 目主義ないし法定主義を批判 して,その生成の論理を
個人主義的立場か ら探究 した。 メンガーは財一般 と区別 して,商品を交換向き
貨幣になる。 こ うして 「
実習 と模倣,教育 と習慣 」に支えられなが ら生成す る
貨幣は,価値尺度機能や価値保蔵機能を も獲得す る。
メンガーの この理論は方法論的個人主義に依拠 しているが,演梓的な仮説体
系 とも異なってお り,継起,発展,共存の規則性を認識 しようとす るオース ト
1
82
第 7章
リア学派に特徴的な方法論か ら生 まれた ものである。
回
第 4節
新古典派経済学の諸潮流
価値論 :限界効用 と限界生産力,高次財 と低次財
vo
r
s
o
r
ge)に
メンガーは,欲望充足 に対す る長期的配慮である先行的配慮 (
オース トリ7学派
1
83
るはずである。 しか し,交換比率がい くらかは事前にはわか らないのであ って,
それは両者 の交渉能力に基づ く価格戦争 (
pr
e
i
s
ka
mpf
)の結果 しだいである。
メンガーは,価格戦争に よ り決 まる価格を基準に実際 の交換が継続 されてい く,
基づ く需要 を需求 (
Be
da
r
f
) とよぶ。そ うした需求 とわれわれが支配 し うる財
よ り現実的な市場過程を考えている。 メンガーの価格決定論は, ワル ラスの模
の数量 の関係によ り経済財 と非経済財 (自由財 )が区分 される。需求が支配 し
索 に よる動学的均衡価格決定 とは, この点で異なる。そ して,これが,今 日メ
うる財 の数量を超過す る財は経済財 にな り,それ以外の場合は非経済財になる。
ンガーが再評価 されている理 由で もある。
経済財が個人に対 して もつ価値は,その個人の 目的,欲求,さらに財が与える
効用 に対す る知識に依存す るため,価値 とはあ くまで主観主義的な概念である。
こ うした基本規定に加え, メンガーは財 と欲望充足の因果関連を導入す る。
財は,人間の欲望充足に直接役立つ低次財 (
第一次財 )と,互いに補完 ・代替
i3
jウ ィ∼ザー
[
∃
自然 価 値
F.
V.
Wi
e
s
e
r
,1
8
51
1
9
2
6)は,ベーム ー
メンガーの後継者であるヴィ-ザ - (
関係にたちなが ら,低次財を生産す る各種 の高次財 (
労働を含む生産手段 )に
ノミヴェル クとならんでオース トリア学派の第二世代 といわれ る。 ヴィ-ザ -の
分け られ る。高次財は間接的 にのみ人間の欲望を充足す る。財の世界は,これ
理論的貢献は, 自然価値の概念の確立 と帰属理論 の明確化にあるだろ う。
ら二種煩の財が生産を媒介に相互に連関 しあ っている構造態であるとメンガー
は把握す る。
1
88
9)で,私有財産や人間的不完全性 の結果
ヴ ィ-ザ -は 『自然価値論 』 (
である問題が存在 しない共産主義社会において成立す る 「
所与の財 の量 と効用
人間 に よ り直接 消費 され る低次財 の価値 は ,限界効用価値説 (
限界効用
とのあいだに成立す る社会的関係か ら発生す る価値 」を 自然価値 とよぶ。 ここ
〔
Gr
enz
nut
z
en〕とい う語は メンガーではな くヴィ-ザ-が与えた もの)で決定
1
91
4)でい う単純経済に相
で共産主義社会 といってい るのは,『
社会経済学』 (
され るが, この低次財の消費需要か ら派生的に需要 され る生産財あるいは高次
当す る。単純経済では , 「ロビンソン ・クル ー ソー経済」におけるように,何
財の価値は,低次財の予想価値に よ り制約 され る。 これが,高次財に関す る帰
百万 とい う人 々の集団を単一の主体であるかのよ うに想定 し,個人的効用 の合
zur
e
c
hnung)の考え方である。その際,生産要素 (
高次財 )の投入係数が
属 (
計が最大化 され るよ うに財の社会的評価が決め られ るか ら,財の社会的評価は
可変的な場合には,生産要素の価値はそれが失われた とき生産物 (
低吹財 )価
価格ではな く, 自然価値に よ り示 され る。 したが って,単純経済においては,
値が どれほ ど低下す るかに よって決定で きる とす る,いわゆる損失原理を メン
消費財の 自然価値は各財の限界効用のみに よ り定 まる。いいかえれば,各個人
ガーは提唱 した。古典派やマル クス学派の価値論では,高次財の価値 (
投下労
の各消費財 に対す る限界効用が等 し くなるよ うに消費財は分配 され るのである。
働 )に よ り低次財 (
最終生産物 )の価値が規定 されていたが, ここでは価値決
[
司 帰属理論
定の因果関係が逆転 し,労働 ,資本,土地 とい う高次財の用役価値である労賃,
また,生産財の 自然価値 も,それ らの生産への貢献度に応 じて (
固定投入係
利子 ,地代は低次財の予想価値に制約 され ることになる。
数を想定すれば,それに応 じて),消費財 の 自然価値か ら生産財に価値が帰属
に基づ く交換取引を認める。限界効用が逓減す ることを前提にすれば,交換に
す ることで決定 され る。 ヴィ㌻ザ-は生産関数の固定投入係数を前提 としてい
るので, この結果 「生産- の貢献度 の合計は,総収穫 の価値 と完全に一致 し」
よ り得 られ る財の限界効用が 自己の財の提供で失われ る限界効用 よ り大な らば
生産物 は完全に分配 され る。なお,生産関数の投入係数が可変的であるとき,
交換は当事者双方に とって有利である。その交換比率 (
価格 )は双方の相手側
その貢献度は各生産要素の限界生産力に よって定 まるが,生産関数が一次同次
の財に対す る評価をそれぞれ上限 と下限 として,その中間のどこかで決定 され
とい う条件において完全分配が達成 され ることは ウィクステ ィー ド,バ ローネ,
また, メンガーは交換比率の決定については,需給が均衡 しない不均衡価格
1
84
第 7章
第 4節
新古典派経済学の諸潮流
ヴィクセルによりあきらかにされた。
オース トリ7学派
1
85
ヴェル クは,心理的効用量の経験的可測性を主張す る経験的心理主義の立場か
経済的利益を求めて相互に交換をお こな う市場経済,すなわち ヴィ-ザ -の
ら基数的効用を主張 して,限界効用の概念を明確化 した. メンガーの考えは,
い う社会経済では,所得 (
購買力)や欲求が人それぞれ異なるため,価格 (
衣
む しろ ミ-ゼ スの人 間 的 行 為 の先験 的理論 ,す なわ ち プ ラ クシオ ロジ ー
換価値 )は限界効用に よ り決 まる自然価値か ら轟離す る。 もちろん,人 々の所
(
Pr
a
xe
o
l
ogy)-行為論- と継承 された。
得,欲求,評価な どがすべて同一であると仮定すれば単純経済 と社会経済は一
匡〕 利子の時差説
致す るが,そ うした仮定 は現実的ではないか らである。社会経済では,異なる
メンガーの帰属理論では,高次財を資本 として使用す るときの資本利子の説
購買力に よる層別化 された限界効用に よ り交換価値が決定 され るので,必需品
明が困難になっていた。ベーム ーバ グェル クは,利子 の節約説,待衣説,ある
は高 く賛沢品は低 く評価 され ることになる。
Zei
t
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gi
oThe
o
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i
e)にかな り早い
いは搾取説を退け,経験的な論拠か ら時差説 (
匝] 社会主義に対す る自然価値の意義
E.
V.
Mi
s
e
s, 1
8
8
1
1
9
7
3)
オ ース トリア学派 の第三世代に属す る ミ-ゼス (
L.
時期に (
1
8
7
6年 ごろには)辿 り着いていた。
現在財が将来財 よ りも効用が大である (
高 く評価 され る)ならば,資本の貸
は ,1
9
2
0年 の論文 「社会主義共同体 におけ る経済計算 」において,社会主義
手は,その価値時差を利子 として入手す ることがで きる。 このことを逆 にみれ
計画経済では資本財市場が存在 しないため,その価格 も合理的 に決定で きない
ば,将来財は現在財に比べて効用が低いので,利子率に よ り割 り引かれなけれ
と,社会主義経済の非合理性を批判 し,社会主義経済計算論争 の 口火を きった。
ばな らない とい う割引現在価値の考え方につなが る。ただ,現在財が将来財 よ
F.
A.
V.
Hayek, 1
8
9
9
1
9
9
2)は ミーゼスの批判を継承す るが,一般均
ノ\イ- ク (
り高 く評価 され るとい う時差説の根拠が問題であ った。
衡理論を社会主義経済-適用すれば,需給均衡の連立方程式の解 として資本財
資本お よび資本利子』の第 2巻 『
資本
ベーム ー/ミグェル クの 2巻本の主著 『
を含む諸財 の価格が合理的に決定で きるとい う, ローザ ンヌ学派のバ ローネの
1
8
8
9)では,その根拠 を三つあげてい る。(
丑供給 の増大 ,将来
の積極理論』 (
証明を知 り,社会主義経済の論理的可能性を承認す ることとなった。
の高い所得等に よ り,欲望に対す る財の比率が将来において改善 され る可能性
しか し, ヴィ-ザ -の単純経済が共産主義社会を意味 していた一
のであれば,
があれば,稀少性に よ り将来財 よ り現在財を高 く評価す る (
ただ し,これでは,
彼の 自然価値論は,/ミロ-ネに先ん じて,オース トリア学派帰属理論を利用す
定常状態 におけ る利子 の存在を説 明で きない)
,(
参人間は現在を将来 よ りも重
る諸財の合理的な社会的評価が社会主義経済で も可能であることを示 していた
要に思 う心理的傾 向がある (ア-ヴィソグ ・フィッシャーの時間選好の考 え方
と考 えることがで きよ う。 ミ-ゼスやノ、イ- クは, 自学派の ヴィ-ザ-を この
につなが るが,ベーム -/;ヴェル クは これは もう一つの心理的事実にす ぎない
よ5な観点か ら取 り上げることはなか った.
としていた ),③将来財に対す る現在財 の技術的優越性がある。現在財を用 い
て, よ り時間がかか るが生産性の高い生産方法を組織す る迂回生産をお こなえ
iA ベームーバヴエルク
ば,現在において消費財を生産す るよ りも将来 よ り多 くの消費財を獲得す るこ
[
∃ 経験的心理主義
とがで きる。 これは第- の根拠 (
①)が事実上依拠 している理 由であるとい う
ヴィーザ -と同世代に属す るベーム ーバ グェル ク (
E.
V.
B6
hmBa
we
r
k,1
8
5
1
-
こともで きる。
1
9
1
4)は,資本利子論,迂回生産論に対す る理論的貢献において有名である。
メンガーは,個人の主観 における内面的意味は内観 に よって しか認識 しえず,
最初 の二つ の根拠 (
①,②)は資本 の供給す なわち貯蓄にかかわ り,第三の
根拠 (
③)は資本 の需要す なわち投資 にかかわ る議論であるが,ベーム -バ グ
外部か ら測定で きるものではない とす る超越的論理主義の立場を とっていた。
ェル クは第三 の根拠を重要な もの と考えていた。 この点を,ジェグォンズの議
このため,基数的効用 には陵疑的であ った。 しか し, ヴィ-ザ-とベーム -メ
論 に煩似す る彼の生産構造論 の視角か らみ ることに しよ う。
1
86
且
第 7章
第 4節
新古典派経済学の諸潮流
迂回生産による資本利子論
資本家は,迂回生産 の利益を求めて生産期間をたえず長期化す る (
機械化を
オース トリア学派
1
87
た といって もよい。
回
ミ-ゼスの貨幣 ・信用論 と/、イ- クの貨幣的景気循環論
進め ろ)傾 向がある。すなわち,本源的生産財 (
労働,土地 )-資本財 (
中間
ミ-ゼスは,貨幣の内的客観的価値 とその主観的価値が時間の経過を通 じて
生産物 )- 消費財 (
最終生産物 ), とい う 「単線直進的な生産構造 」において
相互に影響 しあ うよ うな市場過程を考察 しなが ら,中央銀行による悪意的な金
は,高い利益を求めるために,機械や工場 といった資本財を建設 して迂回生産
利引下げ こそ生産構造を変化 させ景気循環を発生 させ る原因であると主張 した。
の度合いを高め,生産期間を長期化 しなければな らない。だが,生産期間を長
・、イ- クは ミ-ゼスの考えを基本的に継承 しなが らも,景気循環変動の原因を
期化す るためには,労働者が生存す るために前貸 しすべ き 「
生存基本」(
古典
商業銀行に よる信用創造に もとめ, こ うした信用経済に必然的な貨幣供給の弾
派の賃金基金)があ らか じめ蓄積 されていなければならないため,短期的生産
力性が生産構造の迂回化 とその短縮化の交替,すなわち経済恐慌を ともな う景
方法 よ り多 くの資本が必要になる。 また,生産期間の延長 に よる生産性の上昇
気循環を引 き起 こす と考えた。生産構造の迂回化が 自発的貯蓄ではな く,信用
は逓減的である。 この結果 ,必要資本の供給 の増大に よ り資本利子率は上昇す
創造に起因す る強制貯蓄に よ りお こなわれれば,いつかは銀行の現金準備 の必
るが,生産期間の延長に よる限界生産力は逓減す るので,資本の需要 と供給の
要性のために貸出しが収縮 し景気の反転が起 こる。 したが って,経済に対す る
均衡点において社会的生産 の迂回期間 (
資本の集約度 )と利子率が決 まる。
貨幣の撹乱を除去す るには,貨幣供給量を政策的に管理 し貨幣の中立性を保つ
この よ うな限界生産力理論 と賃金基金説 の結合 といえるベーム ーバ グェル ク
の資本利子理論はあ きらかに一
マル クスの利潤 と利子の理論 ,すなわち剰余価値
論を批判す る意図を もっていた。 シュンペ ーターは,このため, 自分の師であ
るベ ーム ーバ グェル クを ブル ジ ョア ・マル クスとよんでいる。 また,ベーム -
必要がある。それが可能か ど うかは別に して, こ うした考えは フ リー ドマ ンな
どアメ リカのマネタ リス トに も影響を与えている。
匝〕 市場,競争,知識
近年,現代 オース トリア学派のカーズナ-や ラボアは,社会主義経済計算論
バ グェル クは,マル クスの価値論 と生産価格論 の矛盾に関す る ヒル ファデ ィン
D.
Lavoi
e, 1
9
51
- )は ,1
920
争の意義を再解釈 している。た とえば, ラボア (
グとの有名な価値論論争で も,剰余価値論を この資本利子論か ら批判 している。
年 よ り開始 された ミ-ゼスと/、イ- クに よる計画経済批判は,テーラー, ラン
その後 「オース トリア資本理論 」 とよばれ るよ うになったベーム ー/
;ヴェル
ゲ, ラーナ-,デ ィキンソンらが試行錯誤による価格決定 メカニズムを利用す
クの資本理論は, ミ-ゼスやノ、イ- クに よ り景気変動理論-発展 させ られ る一
る市場社会主義の構想を提示 した ことで反駁 された とす る通説的な解釈を批判
方, ヴィクセルによって一般均衡論的に定式化 された。
し, ミ-ゼスと/、イ- クは,当初か ら市場過程 ,知識,競争に関す る独 自な認
識に基づいて議論を展開 していた と主張 している。だが, ミ-ゼスや/、イ- ク
三
」
』
ミ-ゼスとハイエク
圧) ミ-ゼスと/、イ- クの共通性
ミ-ゼス とノ、イ- クは,オース ト]
)7学派では一世代の違 いがあるが,両者
には共通す る部分 も多い。 ミ-ゼスが基礎を築いた貨幣お よび信用論か ら/、イ
が論争途上で,資源配分の合理性を部分的には前提に していた ことも事実であ
り,彼 らの独 自な観点はむ しろ この論争を通 じて認識 された とい うのが実態で
あろ う。 この論争での議論が, ミ-ゼスのアブ リオ .
)ズムや人間行為論 ,ノ、イ
- クの知識論 ,一般均衡論批判, 自生的秩序論に結実 したのである。
- クの貨幣的景気循環論-の理論的継承関係があるだけでな く,二人 ともに社
ノ、イ- クは,一般均衡論批判の文脈で,価格機構を社会に分散化 している個
会主義経済計算論争に参加 し社会主義不可能説を展開 し,また,第二次大戦の
人の知識を圧縮 して効率的に伝達す るメカニズムと理解 したのみならず,市場
勃発のため国外-逃れ,イギ リスや アメ リカの大学で教鞭を とることにな った。
における各経済主体間の競争が 「ある時 と場所における特定の状況に関す る知
1
970年代 に現れた現代 オース トリア学派 は,彼 らの影響 の もと形成 されて き
識 」や言語化 されていない 「暗黙知 」を発見す る過程であるとい う独 自の認識
1
88
第 7章 新古典派経済学の諸潮流
第 5節
を提示 した。 また,ノ、イ- クは,社会主義計画経済の思想に理性信仰 と設計主
ケンブリッジ学派
1
89
マーシャ)
し町
経済学原理』:
経済生物学の構想
義を鋭 く見抜いて批判 し,そ うした考え方か ら市場経済が長期にわたって 自然
発生的に形成 された 自生的秩序であ り,たんなる資源配分 の効率性か らそれを
評価す ることはで きない と主張す ることとなった。 これ らは,市場経済の意味
を理解す る うえで重要な論点 として近年注 目されている。
1
8
9
0)は,新古典派経済学の考え方や分析手法の原型のほ とん どを含ん
『
経済学原理 』(
でいるとい う意味で,まさに新古典派の古典である。だが, この著作には,新古典派経済
理論が洗練 されてい くにつれ見失われ るひ とつの視点がある。
マ ーシ ャルは 『
経済学原理』第 8版序文で述べている。「
経済学者の 目指す メッカは経
済動学 とい うよ りは,む しろ経済生物学である。 しか し生物学的概念は力学的概念 よ りも
5 ケンブ リッジ学派
複雑である。基礎に関す る諸巻はそれゆえに力学的煩椎に比較的大 きな場所を与 えな くて
はな らない」
。 マーシ ャルは,力学的類推 に基づ く静態的な部分均衡論の必要性を指摘 し
つつ も,経済に内在的な変動 と革新を もた らす動態性や躍動性に常に注意を払 っていたの
三
二
』 マーシャル
E] 古典派 との連続性の原理
であ る。
マーシャルに とって,経済 とは人間,企業,市場の有機的な連関の産物であ り, 日々の
経済変動や経済体系の形成 ・発展は生物体の成長 と進化の過程 と疑似的な もの として理解
古典派以後のイギ リスの経済学の主流派を形成す るのは,限界効用説をいち
すべ きものなのである。た とえば,『
経済学原理』第 6編 「国民所得の分配」は,マ クロ
早 く唱え,価値の決定要因を供給側 に求める古典派の生産費説ない し労働価値
的な国民所得論や経済成長論ではな く,経済社会や人間 自身の質的 向上を ともな う社会有
説を激 し く批判 した ジェグォンズではな く,む しろ古典派の問題意識や理論枠
機体の進化過程を考察 しているし,彼の代表的企業や産業組織の考え方 も生物学的ない し
A.
Ma
r
s
ha
l
l
,
組み との連続性 を強調 し,それを継承 発展 させた マ ーシ ャル (
1
8
4
2
1
9
2
4)であった. マーシャルは, ピグー, ロノミー トソン,カーン,カル ド
ア, ロビンソン,ス ラッファ, ケインズな ど優れた経済学者を輩出 した ケンブ
リッジ学派 (
狭義の新古典派)の創始者である。
r価値はその
マーシャルは,ジェグォンズの古典派価値論 の批判を受け入れ ,
商品に対す る供給 と需要の均衡点において決定 される としたが,商品の供給 と
1
8
79)ではすでに,資本蓄積過程が
進化論的発想に基づいている。 また,『
産業経済学』 (
産業内外における分業 と協業の深化 ・発展を もた らす とい うス ミス的 ともいえる経済観を
展開 していた。
こ うした産業や経済社会の進化に対す るマーシャルの関心には,ダーウィ,
/の進化論や
コン ト,スペ ンサ ーらの社会進化論 の影響,お よび古典派のマ クロ動態的な市場経済観の
継承があ きらかに認め られる。 マーシャルの生物学的類推はひ とつの レトリックにす ぎな
い と批判 され ることもある。 しか し,経済生物学はマーシャル体系に とって,いわば発見
的意義を もった導 きの糸なのである。
需要は 「
鉄 の上刃 と下刃」の関係の よ うな ものであって,それ らの どち らか一
方を強調す
るのは誤 りであ り,両面をあわせて考慮すべ きだ と主張 した。
■
また,マーシャルはモ ラル ・サイエ ンスとしての倫理的 ・実践的伝統を こと
部分均衡分析 と消費者余剰概念,代表的企業,需要の弾力性,時間的構造 ,内
部経済 ・外部経済の概念,貨幣残高方程式な どである。
.
S.ミルか ら継承 した点で も,古典派的であ った。労働者階級の生活 向上
にJ
マーシャルの静学的均衡理論は,経済研究の初歩段階で戦略的に主要な変数
と貧困の根絶 といった きわめて実践的な課題を経済学 は引 き受けるべ きだ と考
の働 きを解 明す るための序論 としての意味を もっていた。「
他の事情にして等
え,人間の福祉 との関連を離れて経済学 に向か うものには常に批判的であ った。
しければ」 とい う限定句に よ り,他の諸変数を不変 と想定 し,ある特定の財の
経済学者には 「
冷静な頭脳 と暖かい心 」がそなわ っていなければならないので
価格や供給 ・需要の関係に着 目す る部分均衡分析は こ うした方法論的意図の も
ある。
とに採用 されたのである。分析用具 とい う観点か らは,部分均衡論の方法が図
回
分析用具における革新 と経済学 の総合化
表的説明を可能にす ることも大 きな利点であった。社会的厚生の尺度 としての
マーシャルは,均衡分析を経済生物学的 アナ ロジーの基礎にすえるために,
消費者余剰 とはマーシャルに よれば,「消費者がそれな しです ます よ りはむ し
分析用具における実にさまざまな工夫 と革新をほ どこしている。マーシ ャルの
ろ支払 う方が よい と思 っている価格が,彼が実際に支払 った価格を超過す る金
1
90
第 7章
第 5節
新古典派経済学の諸潮流
額 の合計 」(
総効用 の貨幣的価値か ら総費用を差 し引いた残余 )として定義 さ
ケンブ リッジ学派
1
91
起因す る外部経済 こそ長期平均費用を低下 させ るものだ と考えていた0
れ,個別需要 曲線における縦軸,需要 曲線お よび価格線で囲 まれたほぼ三角形
しか し,内部経済の利益を享受す る企業が市場を独 占して しまわず,競争条
の部分の面積 として図示で きる。消費者余剰 の概念は,完全競争で最大,不完
件の もとにあるのはなぜか とい ういわゆ る 「マーシャルの問題 」が待ち受けて
全競争では小 さ くなることを視角的に訴 えることで, 自由競争や交換現象の利
いた。マーシャルは,これに対 して,各企業が市場を拡張す るための困難があ
点を理論的に説得す る手段を提供 した。 また,マーシャルは価格の変化率に対
ること,企業には ライフ ・サ イクルがあ り企業の強 さも永続的ではない ことを,
す る需要の変化率を表現す る需要の価格弾力性の概念を導入 したが,これ も図
9
2
6年の論文 「競争的条件
あ りうる解答 として提示 していた。 ス ラ ッフ ァの 1
解的に説明されていた。
下での収益法則」は収益逓増 と競争均衡は両立不可能であるとマーシャルを批
マーシャルは,企業を成長,成熟 ,衰退す るライフ ・サ イクルを もった活動
判 し,経済理論は 自由競争か ら独 占の方向- 向か うべ きことを示唆 した。 これ
体 と規定 した うえで,個別企業の集団である産業を若木は成長 し老木は衰 える
を きっかけに ケンブ リッジ学派では費用論争が起 こ り,その議論 のなかか ら不
森 の よ うな生態学的概念 として把握 した。産業 とは,成長す る企業 と衰退す る
完全競争 の特殊 ケースとして完全競争 と独 占を説明す るジ ョ: / ・ロビンソン
企業,あるいは大企業 と中小企業が同時に存在す る,常にその内部に異質性を
の 『不完全競争 の経済学 』(
1
9
3
3)が生 まれた。 また,アメ リカでは,同 じよ
含んだ 「
産業組織 」であるが,個 々の企業が栄枯盛衰を くりかえして も産業 自
うな試み としてチ ェンバ リンが 『独 占的競争 の理論 』(
1
9
3
3)を展開 し,産業
体 は定常的状態 にあ る と考 えることも可能であ る。 マ ーシャルの代表的企業
組織論に も影響を与えることとなった。
(
r
e
pr
e
s
ent
a
t
i
ve f
i
r
m)の概念は,正常価格を説明す るために こうした定常状態
にある産業の集計的な縮尺 として考え出された ものである。
マーシャルは,静学的 ・無時間的な ワル ラスの一般均衡論 と異な り,価格調
整 と数量調整が期間の長短に応 じて異なる意味を もつ , よ り現実的な市場を想
マーシャルは,さらに貨幣を ス トックとして とらえる現金残高方程式や国民
所得 (
国民分配分 )の限界生産力に よるマ クロ分配理論を提示す るな ど,広い
範囲にわた る分野で多 くの理論的業績を残 して経済学 の総合化を押 し進め,節
古典派経済学 の普及に大 き く貢献 したのである。
定 した。そのための工夫がマーシャルの時間的構造であ る。市場期間を一時的,
短期,長期 ,超長期 に区分 し,期間が短いほ ど需要の影響が大 きく,期間を長
三
二
』ピ
グ ー
くとれば生産費の変化の影響が大 き くなるとい う考え方を とったのである。 と
回
くに重要な ことは,資本設備は所与で企業が産出量水準を調整す る短期 と企業
2
0世紀初頭には国際的独 占体が成立 し,帝国主義的な対外進 出に よる世界
の参入 ・退出 と資本設備の調整がお こなわれ る長期を区別 して,短期正常価格
市場 と植民地 の分割が激化 し,その結果勃発 した第一次大戦を-て,米英 の地
と長期正常価格を異なる概念 として規定 した ことであ る。古典派の 自然価格は
9
0
6年 に労働法が成立 し,労働組合運動の定着化
位は逆転 した。英 国内では 1
マーシャルの長期正常価格 として再定式化 されることになったのである。
と労働 者 階 級 の勢 力増 大が顕 著で あ った. こ うした時代 に, ピグー (
A・
C・
マーシャルは,古典派以来の土地 ,労働,資本に加 え 「
組織 」を第四の生産
要素 と考え,それ との関連で大規模生産 の利益 (
規模 の経済)を,内部経済 と
厚生経済学の確立 と展開
pi
go
u, 1
8
7
7
1
9
5
9)は,1
9
0
8年にマーシャルの後を継 ぎ,31歳で ケンブ リッジ
大学の経済学教授になる。
外部経済の二つに分けた。外部経済 とは,産業組織の全般的発達による産業全
ピグーは,マーシャルの経済学理論 と経済学に 「
光明よ り果実を」求めると
体 の産 出量増大が各個別企業の生産費を低下 させ ること,内部経済 とは,個別
い う実践的な経済学方法論 と問題意識を継承 し, 自由競争が もた らす分配の不
企業の経営能力,組織 ,効率の発展を ともな う産 出量増大が各個別企業の生産
平等,景気変動等の社会的矛盾を認めた うえで,これ らの解決の道を競争的条
費を低下 させ ることである。 マーシャルは産業の地方化や産業の全般的発達 に
件 のなかで いかに解決 し うるかを模索 した。その具体的成果 は ,『富 と厚生』
1
92
第 7章
第 5節
新古典派経済学の諸潮流
(
1
91
2)お よび 『
厚生経済学 』 (1920)におけ る厚生経済学 の体系化 と精微化で
ある。彼は, これ らの著作を通 じて,経済的原因が人 々の経済的厚生に与 える
影響を,国民分配分 (
国民所得 )の生産 ・分配変動に関連 して分析 した。
ケンブ リッジ学派
1
93
究』 (1928)の独立の研究課題 とした。
第一命題 にいわれ る国民所得を最大化す るための条件を考察す るために, ど
グーは生産要素の限界生産物を社会的な もの と私的な もの とに区別す る。「
社
人の心の状態の良 さか,または心 のなかに含 まれ る満足か ど
「
厚生」 とは, 「
会的純 限界生産物 」 とは,生産 のために投入 された限界的資源か ら得 られた
ち らかに関係」す るものであ り,ここで満足はほぼ 「
効用 」と同意味に用 い ら
「
実物的財 もし くは客観的用役 の純生産物 の総体 」であ り,社会全体の観点か
れている。厚生には貨幣によ り測定で きる経済的厚生 とそれ以外の非経済的厚
らみた場合 の純生産物 の全体 の ことである。「私的純限界生産物 」 とは, この
生 とがあるが,経済的厚生は,満足か らそれを得 るために支払 った犠牲を控除
純生産物 の うち,現実に投下 された当該資源に帰属す る部分である。マーシャ
した もので,マーシャルの消費者余剰 と類似の概念だ といって よい。経済的厚
ルがすでに指摘 していた よ うに,規模 の経済等の外部経済や公害等の外部不経
生は,したが ってス トックとしての富ではな く, フローとしての国民所得に依
済が存在す る現実 の市場経済では両者は必ず しも一致 しない.外部経済がある
存 してお り,国民所得の生産 と分配 との関連で経済的厚生を最大にす ることが,
と社会的純限界生産物は私的純限界生産物 よ り大 き くな り,外部不経済がある
厚生経済学 の課題であるとされた。
と前者は後者 よ り小 さ くなる。
ピグーは,国民所得の分配に関連 して経済的厚生を分析す るために効用 の基
経済的厚生か らみた場合,社会的純限界生産物 の価値が異なる用途間におい
数的可測性 と個人間比較可能性を基本的な前提 としていたが, この点が ロビン
て均等化すれば,社会的純生産物 の総価値 ,すなわち国民所得は最大化す る。
ズ (
L C.
Robbi
ns, 1
8981
984)の 『
経済学 の本質 と意義』 (1932)によ り批判 さ
ところが,私企業の 自由な活動を前提 とす る社会では,現実の生産 は私的純生
れ るところ となった。 これ以後,個人間効用比較 に よる所得分配の問題をあっ
産物 の最大化を 目標にお こなわれ るため,社会的純生産物は最大化 されない。
かわず,パ レー ト最適概念に よる資源の最適配分のみを議論す る新厚生経済学
このため, この両者を一致 させ るよ うに,政府が課税や補助金 とい う施策をお
が展開 され,規範的科学か ら価値判断を含 まない実証的科学-の転換が推進 さ
こな う必要がある。 また,独 占のケースでは,競争関係の維持のために国家が
れた。
独 占を統制す るべ きであ り,それ も困難な場合には公営化が望 ましい とした。
垣] 経済的厚生の 3命題
国民所得の分配にかかわ る第二命題 については,限界効用逓減に よ り富者の
『
経済学原理』第 5編でマ ーシ ャルは,個別 の経済主体 の効用最大化の行動
所得の限界効用が貧者のそれ よ り小 さい といえるならば,富者か ら貧者-の所
は必ず しも社会的効用を最大化す るものではない と述べているが, ピグーは こ
得移転は国民所得を大 き く減少 させない限 り,経済的厚生を増大 させ る。 しか
の由題意識を受け継 ぎ,個別経済主体 の効用 と社会的厚生 との連関を国民所得
し,国民所得を増大 させ る要因が貧者の所得を減少 させ ることはないか,貧者
の変動 に もとめた。 ピグーの国民所得 と経済的厚生 の関連 に関す る議論 は,
の所得を増加 させ る要因が国民所得を減少 させ ることはないか といった 「
不調
『
厚生経済学』初版序文の経済的厚生の 3命題 に集約 されている。
和の問題 」が発生す る可能性がある。 ピグーに よれば,国民所得を増加 させ る
(
1) 他の諸条件が一定な らば,国民所得の増加は経済的厚生を増加す る。
資本供給 と労働供給の増加は長期的には労働分配分の増大になるし,富者か ら
(
2) 他の諸条件が一定な らば,国民所得の貧者に帰属す る割合の増加は経済
貧者- の所得移転の場合,国民所得の減少の可能性はあるが,労働者の訓練 ,
的厚生を増加す る。
(
3) 他 の諸条件が一定ならば,国民所得の変動の減少は経済的厚生を増加す
る。
3)
の命題 は第 2版以降削除 し,『
産業変動論 』 (1927),『
財政学研
ただ し,(
医療 ,教育な どに所得移転分が向け られれば貧者の能率が増大 し,所得移転に
よる資本収益 の減少効果を相殺す る。
第三命題 に関連 して,景気変動に よる国民所得の変動をで きるだけ押 えるた
め,企業者の心理的過誤をな くすための保障制度や労働者のための失業保険な
1
94
第 7章 新古典派経済学の諸潮流
ど各種 の社会保険制度の導入を提案 している。
こ うした ピグーの 3命題か ら引 き出された結論は,労働運動が もはや無視す
ることので きない社会運動 として存在 していた ことを認めつつ も,資本 と労働
の協調的関係を前提 とした ものであ り,資本主義経済の現実的矛盾を漸次的改
良主義に よ り克服 し うるとい う政策的 ヴィジ ョンを反映す るものだ った といえ
よ う。 ケインズは,景気変動 に ともな う失業を摩擦的ない し自発的な もの とみ
なす ピグーを批判す ることになるが,実践的 ・政策的課題を もった ケンブ リッ
ジ学派の伝統は ケインズに も継承 されてい くこととなる。
(
西部
忠)
K
S
臨i
t
i
射
1) 新古典派の古典派に対す る理論的 ・方法論的な特徴をあきらかに しなさ
い。
ヒン ト任
夢=
⊃
新古典派を広義ないし狭義のどちらの意味で考えてもよい.ただし,どちらに
ついて述べるかをあさらかにする必要がある.理論的特徴と方法的特徴について,それぞ
れ考察すること。
2) マーク ・プローブの 「限界革命は存在 したであろ うか」(ブラック他編,
一岡田 ・早坂訳 『
経済学 と限界革命』 日本経済新聞社,所収 )とい う論文を
読み , 「限界革命 とは一つ の プ ロセスであ って,突発的な出来事を示す も
のではない」 とい う主張を論評 しなが ら,経済理論の発展 とは どの よ うな
ものであるかを考察 しな さい。
ヒン ト恒戸上の主張に対する賛否はどちらでもよい.その根拠は何かをあきら力、
にするこ
とが重要である。そこから経済理論の発展について一般的なことがいえないだろうか。巻
末参考文献の本章部分に載っている,ブローク著 r
新版 経済理論の歴史Jの第 8章,刀
経済学のメソドロジー』の第 5亀
ウタ-著 『
限界効用理論の歴史Jの第 2部,馬渡著 r
などを参照するのもよい。
3) オース トリア学派 とローザ ンヌ学派を,認識関心,方法論 ,市場像 ,社
会主義経済計算 とい った観点か ら,対比 しなさい。
ヒン M 夢 つ
本章の第 3節と第 4節,参考文献に載っているブラック他編 r
経済学と限界革
命』の序章,枯木著 r
経済思想』の第 5章.などを.まとめてみるとよい。