PDF - 広教組

2014 年版「先輩たちのとりくみに学ぶ」 (説明原稿)
女性参画・組織強化拡大、権利学習などに活用していきましょう!
1
私たちがいま、手にしている権利。
これが当たり前でなかった時代のなかで、1歩1歩、作りあげて来られ
た先輩たちのとりくみを、女性の権利獲得の歴史を中心に、今日はみな
さんと確認し、学ぶ場にしたいと思います。
2
多くの犠牲のもと、戦後制定された「日本国憲法」には、働く者の権利
として「労働三権」(団結権・団体交渉権・争議権)が明示されました。
1946年 広教組結成。
1947年 日教組結成。
同年 広教組と県知事との労働協約締結。
しかし、盛り上がる労働運動に危機感を強めたGHQと政府は、1948
年「政令201号」により公務員労働者のストライキ権をはく奪、団体交渉
権を制限してきました。その中で、広教組・日教組は、人権・平和・平等
をめざし、たたかってきました。
かつて、男女間の給与は、1号俸(今でいう4号級)以上の差がありま
した。女性であるがゆえに初任給から男性と差をつけられ、妊娠出産な
ど回を重ねるたびに、さらに賃金格差は拡大しました。
当時の学習メモには、「婦人の最低賃金の据え置きは、男子の賃金
の据え置きにつながる問題であって、女子に差がついている限り、男子
の賃金も上がってこない」とあります。 『差別』を温存しておくことは、一
見「優遇されているように見える」側にとっても、改善の道を阻むものな
のです。
3
4
男女同一賃金に向け、日教組は結成後、「最初の指示」として「男女
差別賃金撤廃」を発令しました。
1948年 東京で一切の差別賃金撤廃に成功。
1949年 広島においても男女差別賃金は撤廃。
1953年 全国でようやく完全撤廃となりました。
5
かつて、女性であるがゆえに退職勧奨を受けるという差別が繰り返さ
れていました。
退職勧奨年齢が、男性教職員55歳以上に対して、女性教職員45歳
以上などと、差別的な扱いが公然と行われていました。特に共働きをし
ている女性教職員や、地方では校長や教頭の配偶者への退職勧奨が
強硬に行われていました。
1
6
広教組も学習会を行い、女性代表を入れての校長交渉・教育委員会
交渉を行いました。この間、退職勧奨に応じなかった女性に対し、組合
活動を理由に、報復人事までもが行われました。
これらのたたかいの中で、1970 年代には退職勧奨年齢の引き上げを
勝ちとりました。1985 年に定年制が実施されるまで、その引き上げのと
りくみは続けられました。
7
かつて、宿直や日直勤務は、「当然の任務」として行われていました。
1948 年日教組は、「宿日直廃止」を重要なとりくみと位置づけました。
しかし、労働省は「要求は認めない」とし、文部省は「校舎・備品・書類等
の保全」「外部との連絡」「校内の監視」という理由から廃止しないとしま
した。
そのような中、1963 年 2 月 3 日(日)、福山市の小学校において、日
直中の女性教員に対して男が刃物をもって襲いかかるなど傷害事件が
3 件起きました。
本務でもない休日労働を強制させた中で起きた傷害事件の責任は重
く、広教組は県行政の責任を追及し、対応を強く要求しました。「宿日直
廃止・警備員制度確立決起集会」に4000人が集結し、市内をデモ行進
しました。
このことは、日教組においても「広島事件」として、各地に波紋を呼び
ます。文部省も全国的な実態調査にのりだしました。そして事件から4
年、1967年に文部省は「教職員の日宿直廃止と学校の無人化」をうちだ
しました。広教組では、婦人部を中心に署名や交渉を繰り返し、約10年
ものたたかいの後、宿日直の廃止はやっと完全実現しました。
8
9
広教組は1947年、県知事との「労働協約」により、「生理休暇は3日」
「産前産後休暇は前後を通じて16週間」との協約をとりつけていました。
しかし、産休補助制度がない(つまり代員が来ない状態)なかで、産
休の定着は果たされないままの状況が続いていました。
10
1952 年 芦品郡の小学校で女性教員が、出産後まもなく死亡する事
件が起きました。
この教員は、出産予定日前日まで自分が休む間のプリントを刷って
働いていました。この学校では当時、他にも出産予定者がいたり結核休
養者がいたり、ひどい定員不足でした。出産前休暇があっても、気兼ね
して休める状況にありませんでした。
広教組は婦人部とともに直ちに調査を行い、県教委交渉を行いまし
た。広教組の追及に対し、県当局は、「十分な予算がない」「校長が休
養勧告をしたにもかかわらず、休養しなかった本人の衛生管理が不足
していた」と責任回避をしました。広教組は、その後も署名・議会要請・
県教委交渉を繰り返しとりくみました。
2
11
日教組も、労働省へ調査を要請しました。労働省の「母性保護勧告」
を受け、県当局はやっと、1952年9月、県議会で産休補助教員6人分を
予算化しました。
全国的な運動の盛り上がりや、署名、国会に対しての要請行動等を
受け、1955年 「産休補助教員の確保法」がようやく国会で成立しまし
た。しかしこれは小・中・高の教員のみに限られ、学校事務職員や学校
栄養職員は適用除外とされる課題がありました。
その後もとりくみを続け、1978年、ようやく、学校事務職員・学校栄養
職員に適用が拡大されました。
12
その他にも、妊娠教職員が安全に働き続けられるよう、いろいろな権
利獲得にとりくみました。
「妊娠障害休暇」「通勤緩和休暇」「妊産婦検診休暇」
13
1976年には、全国に先駆けて、体育実技補助(体育専科)の非常勤
措置を実施。その後も要件の拡大を要求し、13確定において、2014年
度より「15学級以下」の体育授業を持つ教員についても非常勤措置がさ
れるようになりました。
また、1998年には、1人職種である養護教諭の健康診断期間中の補
助教員配置を勝ち取りしました。
14
また、男性が出産や育児にかかわれるよう、このような休暇もつくら
れました。
「配偶者出産休暇」…2014年1月より、取得開始時期が実態に則した
「入院等の日」に改善されました。
その他、2005年には「男性職員の育児参加休暇」が作られました。
15
妊娠・出産に関する権利について、お手持ちの資料にまとめて載せ
ているのでご確認ください。
また、14 確定のとりくみにおいては、不妊治療が病休の対象であるこ
とを現場に周知するよう要求し、県教委から通知が発出されました。
16
かつて、育児のために退職をする教職員が、全国で、毎年 6000~
7000 人と多くいました。1963 年 日教組は育休の必要性を世の中に提
起しました。
3
17
18
19
20
1967 年には「育児休業法」が国会に提案されましたが審議未了で廃
案。以後 9 年間にわたる粘り強いたたかいを続け、1975 年に育休法が
成立しました。施行年の育休取得者は 7000 人にものぼり、育児のため
の退職者は、330 人と激減しました。
しかしこの適用範囲は教員に限定されていたため、適用拡大を要求
し、1989 年には「育児欠勤」として運用されることになりました。
連合も、1000 万人署名・意見書採択・集会など、さまざまなとりくみに
より世論を盛り上げ、1992 年 「育休法」が改正。すべての職種に適用
されることになりました。また男性も取得対象となりました。
2002 年には、対象年齢を 3 歳まで引き上げることができました。
その他にも、働きながら子育てを行えるよう、さまざまな権利獲得にと
りくみました。
「育児時間」…2014 年 1 月より「満 1 年 6 月」に拡大しました。
「育児に係る部分休業」…小学校就学前の子を養育する職員は勤務時
間の始めと終わりに 1 日通算 2 時間取得可能というものですが、これも
2014 年度より、小 1~3 年生の子の養育を対象に、「子育て支援部分休
暇」が新設されました。
その他にも、この間、「育児短時間勤務」や、
「早出遅出勤務制度」も勝ち取ってきました。
また、子育て休暇については、「家族看護休暇」の要件を看護以外に
も拡大させ、中学校就学前の子の病気の予防(予防接種・健康診断等)
のためだけでなく、2014 年 1 月より「学級閉鎖に係る世話や学校行事へ
の出席」も取得可能にすることができました。
育児についての権利も、お手持ちの資料にまとめています。
21
高齢化社会が急速に進む中で、介護のためにやめざるを得ない教職
員が後を絶ちません。そしてその多くは女性です。
日教組は、70年代から介護休暇の実現をめざしてきました。労働者
全体からも要望する声が大きくなる中、連合も介護休業法の制度化にと
りくみだしました。
22
広島県では1985年に1回30日の家族看護欠勤を措置させ、代員保障
も勝ち取りました。その後も1987年に60日間、1992年に90日間・・・と拡
大させ、現在は6か月まで延長しています。2006年には、1日4時間以内
の時間単位の取得が可能になりました。その他、2010年には「短期介
護休暇」を1年につき5日措置させました。
2014年度には「高齢者部分休業」が新設されました。
4
23
看護・介護等についても、お手持ちの資料にまとめています。
24
これらの権利を活かしていくためには、性別による役割分担や、固定
概念の解消をめざす必要があります。
25
広教組では、男女とも一人の生活者として自立して生きていくという
「共学」を進めました。1989年には、学習指導要領が全面改訂され、技
術・家庭科が共通履修領域となりました。
また、名簿・役割分担・運動会の種目・制服など、学校生活をジェンダ
ーの視点で見直し、学校の中の隠れたカリキュラムを改善していきまし
た。
26
広教組の混合名簿のとりくみは1986年に始まり、2003年には小学校
で8割を超えました。「たかが名簿・されど名簿」を合言葉に、名簿を変
えるとりくみにより、当たり前とされてきたことのおかしさや差別が見えて
くるなど、とりくみの成果は大きいものがありました。
全国では性別で分けない名簿の使用率が拡大するなか、時代に逆
行するように、今、広島県では減少しています。いま一度、学校をジェン
ダーの視点で見直す必要があります。
27
職場にはいろんな職種・いろんな生活状況、そしていろんな任用形態
の仲間がいます。
広教組は、臨時的任用・非常勤講師のなかまの勤務条件拡大も、大
きな課題として、とりくんでいます。
28
ここ数年をみても、教員採用試験の受験年齢の拡大や、臨採経験等
を考慮した特別選考、任用・委嘱時の健康診断書廃止 等、これまで要
求してきたことが一つひとつ実現しました。
2014年度からは、「非常勤職員の特休」が拡大し、生理休暇等が取
得可能になりました。
5
29
いま私たちが手にしている権利の1つひとつは、もともとあったもので
も、いつのまにか与えられたものでもありません。その一つひとつに働く
者の実態と思いがあり、歴史があり、粘り強いたたかいの中で勝ち取ら
れてきたものなのです。
組合活動とは、現場の実態を把握し、それを要求として交渉すること
により、実現していく活動なのです。
30
毎年、女性部がおこなう権利アンケートには、多くの切実な声が届け
られます。いろいろな制度があっても、多忙化の中で行使することがで
きない厳しい実態があらわれています。
~
32
33
管理職以外では、定年前退職者が定年退職者を大きく上回っていま
す。また、男性よりも女性の方が、定年前退職をする率が高くなってい
ます。
34
いま、私たちが手にしている権利は、もともとあったものでも、いつのま
にか与えられたものでもありません。その一つひとつに働く者の思いや
願いがあり、歴史があり、粘り強いたたかいの中で勝ち取られてきたも
のです。
35
教職員が安心して働き続けられる職場は、子どもが安心してそこに居ら
れる学校につながります。
黙っていても変わらない!
私たちは先輩たちのとりくみに学び、参画する者でありましょう!
そして新しい歴史をともにつくる仲間をふやしていきましょう!
6