『悪魔の詩』の問題 1989年に、イスラム教侮辱したとされる『悪魔の詩(うた)』の著 者であるインド系の英国人サルマン・ルシュディに故ホメイニ師 が死刑を宣告した。以来、この問題はイランの対外関係改善の 阻害要因となっている。91年には、この日本訳者の五十嵐一 (ひとし)筑波大学助教授が刺殺された。その犯人はいまだに不 明であり、事件は迷宮入りしている。また93年7月、トルコ東部の 都市シバスで、同書のトルコ訳語の翻訳者の参加する文化集会 が襲撃され、40人近い死者が出た。ルシュディは95年に新作を 出版するなど、暗殺の脅威にもかかわらず、執筆活動を続けて いる。 『知恵蔵1997』より 『悪魔の詩』 "The Satanic Verses" インド系英国作家サルマン・ルシュディのこの小説は、かつて の西欧のゆがんだイスラム像を下敷きに、コーランを悪魔の啓 示に擬し、預言者の妻たちを娼婦とするなどして、イスラム世 界に批判を巻き起こした。一九八九年二月、ホメイニはイスム を冒とくするものとして著者に死刑を宣告するファトワー(法学 上の意見)を発した。処刑には懸賞金がかけられた。表現の自 由を主張する欧州共同体(EC)各国はイランとの間で大使を 召還し合い、イランは英国と断交した。その後もイランの原則 的立場は変わっていないが、湾岸危機発生後、ECは対イラン 関係を一挙に正常化した。 知恵蔵1991より 『悪魔の詩』事件 インド系の現代イギリス作家、サルマン・ラシュディの長編小説『悪魔の詩』が、 マホメットを冒涜しているとしてイスラム教徒の怒りを買い、一九八九年初め、当時 のイランの最高指導者、故ホメイニ師が、作者に「死刑」の宣告を下したという報 道は、世界に衝撃を与えた。文学者の著作に不穏当な個所があるからといって、 作者を殺せというのは、近代文明社会では考えられないことであり、イギリスはじ め西側文明国が、作者擁護の姿勢を明確に打ちだしたのも、当然のことといえよ う。しかし言論の自由とか、人命の尊重とか、近代文明が自明の原理としている事 柄が、世界全体の中では必ずしも自明でないということを、この事件は示している。 日本では翌九〇年に邦訳の「上巻」が刊行された(プロモーションズ・ジャンニ刊、 新泉社発売)が、たちまちイスラム系在住者の反発に会い、一部書店では災難を 恐れて同書の取り扱いを控えるという事態が起きている。価値観を全く異にする立 場からの攻撃に対して「さわらぬ神に崇りなし」をきめこむのは、保身のためにや むを得ぬことかもしれないが言論の自由が何の代償も払わずに獲得されるもので はないことを徹底して考えるための、きわめて重要な契機がここにあることは疑い ない。 知恵蔵1991より 『悪魔の詩』問題中東 インド出身でイギリス国籍の作家サルマン・ラシュディが書いた小 説『悪魔の詩(うた)』が、イスラム教の預言者ムハンマド、ムハ ンマドの妻アーイシャ、さらにはイスラム教そのものを冒涜したと して、世界的にイスラム教徒の非難を浴び、イランの最高指導者で 一九七九年のイスラム革命を指導したホメイニ師が八九年二月四日、 ラシュディに対して「死刑」のファトワ(イスラム法学者が出す判 断。事実上の判決)を出した事件。これに対して欧米諸国は西欧型 民主主義に真っ向から挑戦する、理不尽な行為だとして猛反発。ホ メイニ師は八九年六月死去したが、後継の最高指導者ハメネイ師も 九三年二月「背教者は処刑される」と演説してホメイニ師のファト ワ支持を確認。さらに、九五年四月欧州連合(EU)が対イラン関 係改善の条件としてファトワ撤回を要請した。九八年九月二五日、 イランのハラジ外相はニューヨークでクック英外相と会談し、イラ ン政府にはファトワ履行の意思のないことを確約した。 現代用語の基礎1999より 人文社会学系棟 人文・社会学系棟全館案内 同事件の捜査にご協力を呼びかけ るポスター 現場の床① 現場の床②
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