国際社会システム論 第10回:冷戦 1.抑止と封じ込め 抑止政策 封じ込め 恐怖を通じて相手を 思いとどまらせるこ と イデオロギーの影響が 広がらないよう一定範 囲に押さえ込むこと 核抑止 冷戦期における究極の 問題 自由経済政治秩序を 促進するためにソ連型 共産主義を封じ込める 2.冷戦への3つのアプローチ 「誰がまたは何が冷戦を始めたのか?」という問 題 伝統主義者の見解-スターリンとソ連の拡張主義 が冷戦を始めた 。 修正主義者の見解-アメリカの反動的外交政策 が冷戦を始めた。 大統領、国防省スタッフの人的変化。資本主義シ ステムの膨張 。 伝統主義者の根拠 アメリカは国際連合の下での普遍的な 世界秩序と集団安全保障を提案 ソ連は東欧で勢力圏を拡大し、支配す ることを望んでいた チェコスロバキアが共産化(1948) ベルリン封鎖(1948~49) 朝鮮戦争(1950) 修正主義者の根拠 ソ連はアメリカよりはかなり弱体だった アメリカは第二次大戦を通じて国力を増強 した さらに核兵器まで保有した(広島・長崎) 米トルーマン政権の閣僚は反共的だった ヨーロッパ復興のマーシャル・プランは単な るアメリカ経済の拡張の手段 ポスト修正主義者の見解 第二次大戦後の二極構造の国際システム が冷戦を産んだ ソ連は領土という所有的目標を目指した アメリカは国連システムという環境的目標を 目指した 両国の安全保障のジレンマ 安全保障のジレンマ 自国の国力増大 ↓ 自国の軍備拡大 ↓ 他国の国力低下 ↓ 他国も軍備を拡大 ↓ 軍拡競争 3.ローズベルトの政策 ドイツに無条件降伏を 要求 自由貿易体制を望む 国際連合に参加 スターリンを過小評価 4.スターリンの政策 国内統制の強化 戦争で人的損害・工業 が損失 ソ連の反共主義者が ドイツに協力したこと 東欧に勢力圏を拡大 させたかった アメリカを敵視 5.紛争の道程 冷戦の時期区分 第一段階:ゆるやかな開始期(1945-47年) 第二段階:冷戦の公然化(1947-49年) 第三段階:冷戦の高まり(1950-62年) 第一段階における6つのイベント ポーランドと東ヨーロッパの共産化 武器貸与計画の中止 ドイツの分割 東アジアの分割 原子爆弾 地中海東部と中東 第二段階におけるイベント ギリシアとトルコへの援助―トルーマン・ドク トリン(共産主義封じ込め) ヨーロッパの復興―マーシャル・プラン ベルリン封鎖→NATO結成を計画 ソ連の核開発成功 中国共産党の大陸における全権掌握 朝鮮戦争→アメリカの軍事支出の増大 6.冷戦の開始は不可避か? 「回避できないものだった」(ポスト修正主義 の見解) 二極構造という国際システムは対立を不可 避にした?⇒対立は不可避だっただろうが、 深刻さについては疑問 冷戦の深刻さについて→個人のレベルと国 内政治のレベルを見るべき 7.分析のレベル 第一イメージ:トルーマンとスターリン 第二イメージ:戦争によるソ連の疲弊と共産主義 イデオロギー統制の強化 第三イメージ:国際システムの二極化による権力 空白地域への二大国の進出 国内の分析レベル(第二イメージ) ソ連の政治文化 絶対主義を重視・強い指導者願望など 共産主義体制-個人よりも階級 外交的には指導者に自由裁量がある アメリカの政治文化 自由主義、多元主義、開放的 自由民主主義体制-個人の公正を重視 指導者の外交政策は世論の審判を受ける 8.冷戦における米ソの目標 アメリカは国際政治での枠組み構築という 不明確な環境目標を追求した 国際連合という紛争処理システム IMF・GATT体制という国際経済システム ソ連は領土という明確な所有目標を追求 好戦主義的ではなかった 機会主義的だった(冒険を好まない) 二極化した世界では攻撃と防御を区別しに くい 9.封じ込め 封じ込め政策のあいまいさ ソ連の力とイデオロギー、どちらを封じ込めるの か(目的のあいまいさ)? 封じ込めに用いる手段は何か? 共産主義ユーゴスラビアへの支援 バランス・オブ・パワーの視点 ベトナムでの共産主義拡散防止 戦争でのアメリカの敗北 10.その後の冷戦 「巻き返し」政策→核戦争を引き起こす危険 ハンガリー動乱(1956年) ベルリン危機(1958-61年) キューバ・ミサイル危機(1963年) デタント(緊張緩和)-NPTが締結(1968年) ソ連の軍拡・第三世界への介入・米国内の 変化→デタントを終結させる(1970年代) レーガン政権と冷戦 レーガン大統領の登場 「悪の帝国」発言 米ソ間の貿易(穀物)の 増大 軍備管理と核兵器管理 の議論 11.冷戦の終結 いつ終結したか? 1989年の11月 なぜ冷戦は終結したのか? 封じ込めが成功した(G・ケナン説) ソ連が膨張しすぎた(「帝国の過剰拡張」論) アメリカの軍拡がソ連を屈服させた それぞれの説は「なぜ1989年だったのか」と いう問いには答えられない ソ連の変化ーゴルバチョフ ゴルバチョフ書記長 の登場 (冷戦終結の直接原因) グラスノスチ(公開)と ペレストロイカ(改革) 新思考外交-共同安 全保障と非拡張主義 東欧のひとびとに与 えられた自由 冷戦終結の中間原因と深層原因 <中間原因> 大衆文化とリベラリズムの拡大-国境を超える コミュニケーションの拡大、西洋経済の成功 帝国の過剰拡張論ーソ連の防衛費が公共福祉 を圧迫、死亡率の上昇、負債の増大 <深層原因> 共産主義イデオロギーの衰退 ソ連型計画経済の失敗(技術革新に対応できず)
© Copyright 2024 ExpyDoc