特集 ITエンジニアの “自分らしい” 働き方 特集 自分の働き方を見つめ直し, やりがいを追求するITエンジニアが増えている。 何にこだわり,実際にどのように働き方を変えたのか,その実例を紹介する。 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 (松浦 龍夫 [email protected] ) 「自分らしい働き方をしたい」――。 その1人である浅田修央さんは,往 島和広さんも自分の働き方にこだわっ 誰しもが考えることだろう。最近に 復4時間かかる静岡―東京間の遠距離 た1人だ。日本のITベンダーを辞め, なって,自分らしく,つまり自分の価 通勤をやめ,SOHOに切り換えた。浅 インドのITベンダーに入社した。 「年 値観に合った働き方を追求するITエ 田さんは, 「子育てにかかわる時間を 収は100万円だったが,日本では得ら ンジニアが増えている(図1) 。 多く取れるのがうれしい」と話す。米 れない経験を積めた」と振り返る。 往復 4 時間の通勤時間が 0 になった。 子育てにかかわる時間も大幅に増えた 年収は 100 万円に下がったが, インドのバンガロールで日本 ではできない経験を積んだ 静岡―東京間の新幹線通勤をやめ, データセンターの運用業務を SOHO に 切り換えた浅田修央さん 単身,インドの IT ベンダーに 飛び込んだ米島和広さん 開発したシステムがビジネスで 役立っている現場に立ち会える ようになり,とても満足している 自分の好きなプログラミングを, 納得いくまでやれる環境を作れた 大手 IT ベンダーから, ユーザー企業のシステム担当者へ 転身した柴垣香平さん 1 自分らしい働き方を追求したITエンジニアの例 図 選択した道はそれぞれ違うものの,働き方を変えたことへの満足度はどのITエンジニアも高い 48 NIKKEI SYSTEMS 2008.3 大手 IT ベンダーを飛び出し, 独立した高松基広さん 自分らしい働き方は,人それぞれであ 一事業本部 ネットワークグループ 線の席に座れず,立って通勤していた る。しかし自分らしさを追求したエン リーダー)は,データセンターでメー ときとは大違いだという。 ジニアは, 「今の働き方にとても満足 ル配信システムやポイントサイト用シ している」と感じている点で共通して ステムなどの運用業務を担当している いる。本特集では,自分らしい働き方 ITエンジニアである。浅田さんは2004 業務は10時に始まる。以前はオフィ を貫いている現場のITエンジニアへの 年10月から,自宅で勤務するSOHOと スに慌てて駆け込んでいたが,現在は 取材に基づき,その働き方を選択した いう働き方を,静岡県沼津市で実践し 自宅の2階に構えた仕事部屋でPCに向 経緯と,働き方を変えて,毎日がどう ている。それまでは,新幹線やJR ,私 かえばよくなった。業務内容は,新し 変わったかを紹介する。働き方を見直 鉄を乗り継いで,当時オフィスのあっ い顧客のサーバー・スペックを考えた したいと考えているITエンジニアはも た渋谷まで通勤していた。通勤時間は り,サーバー・セットアップの指示や ちろん,そうではないITエンジニアも 往復で4時間だった。 障害対応の指示を部下に出したりと 自分と見比べてほしい。 ここで,現在のSOHO勤務時と以前 いったものだ。業務内容はSOHOに の遠距離勤務時の生活の違いを見比べ なっても基本的には変わらない。 自宅勤務で通勤時間を減らす てみよう(図2) 。まず,SOHOになっ ただし,オフィス勤務とすべてが同 心にゆとりができる生活に て睡眠時間が30分長くなった。 「以前 じようにはいかない。例えば, サーバー は決まった新幹線に乗らなければ遅刻 の停止といった障害が発生して現場が まずは時間に余裕のある生活を求め してしまうので重圧があった」 (浅田さ 騒然としていても,緊急度がどの程度 て,働き方を変えたケース。 ん) 。また,通勤時間がない分,朝の かSOHO側では分からないときがあ 前述の浅田さん(ユミルリンク 第 時間を子育てなどに当てている。新幹 る。 「チャットでの会話がないので, 遠距離通勤時 子育てにも積極的 にかかわれる ようになった 6 時 30 分 起床 7時 起床 8時 三島駅からこだまに乗車 7 時〜 9 時 子育て,家事など 9 時 45 分 新横浜駅経由で JR,私鉄を乗り継いで, 渋谷(当時)のオフィスへ到着 9 時〜 9 時 50 分 自分の時間(趣味の音楽鑑賞や読書など) 10 時 業務開始 作業リストで残作業を確認,メール返 信など 10 時〜 19 時 業務開始 作業リストで残作業を確認,メール返 信など 11 時〜 12 時 社内ミーティング 12 時〜 16 時 データセンターで搬入作業およびサーバーのセッ トアップ 17 時〜 18 時 作業リストで残作業を確認,メール返信など 18 時〜 19 時 部署ミーティング 19 時 定時で帰宅 19 時 業務終了,夕飯を取る,子どもを風呂に入れる 22 時 自宅到着,夕飯を取る 20 時 30 分 子どもを寝かしつける 24 時 自分の時間 21 時〜 自分の時間(ただし途中で子供の夜泣きが入る) 2時 就寝 2時 就寝 またもや 2 時間 を超える通勤, 疲れてしまい, 車内で寝てしまう 遅い夕食 2 SOHO勤務に切り換える前後の生活の違い 図 SOHO 勤務時(現在) 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 遠距離通勤の ときよりも, 30 分遅く起床 特集 2 時間の通勤, 新幹線で眠くて 寝てしまう メンバーの顔が見えない不安も 自宅の PC から VPN で社内 ネットワークに接続 自分の時間が多く 取れるので,Perl を 勉強してスキルアップ ユミルリンクの浅田さんは, SOHO勤務にしたことで睡眠時間が増えて, 勉強時間も確保できるようになった。リーダーとなったので, これまで担当していたサーバーのセッ トアップは部下に任せられるようになった。社内ミーティングには,チャット・ツールや電話を使っている NIKKEI SYSTEMS 2008.3 49 た2時間以上かかり,夕食は遅い時間 ションセンター ITスペシャリスト)や, 現場が慌ただしすぎてチャットする時 から1人で取ることが多かった。これ NECの小川康之さん(第二ネットワー 間がなかったことがあった」 (浅田さ が現在は,すぐに家族と一緒に夕食を クソリューション事業部 ソリューショ ん) 。この点に関しては,浅田さんか 取れるようになり,心にゆとりができ ン推進部 マネージャー)は, 「状況に ら何か問題がないかをメンバーに繰り た。また, 「ITエンジニアとしての不 応じて働く場所を決める」という働き 返し問いかけるなどで対処している。 安が解消できたことが一番うれしい」 方を選んだITエンジニアである。毎日 19時で業務を終えてからの時間の と浅田さんは語る。その不安とは,通 自宅で作業するのではなく,業務の内 使い方も変わった。以前は,帰宅にま 勤に時間を取られて,新しい技術を勉 容によって自宅またはオフィスを,働 強する時間が確保できずに,ほかのIT く場所として選択している。 エンジニアに置いて行かれるのではと 阿比留さんは,普段は日本HPと日 いうことだ。現在ではPerlなどの開発 本オラクルの共同検証センターで, 言語を習得する時間が取れて, 「Perl ハードウエアやソフトウエアの機能や を覚えてスクリプトが書ければ業務効 性能を検証している(写真1) 。その結 率が上がるのに」といったもどかしさ 果を報告するレポートを執筆する際 も解消された。 は,自宅勤務を選ぶ。こうした場所の 特集 今日は静かな1日だと思っていたら, 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 業務内容で自宅かオフィスを選ぶ 1 日本ヒューレット・パッカード 写真 使い分けについて阿比留さんは, 「自 宅では,検証センターのようにサー 日本ヒューレット・パッカード(日 バー受け取りといった割り込み業務が 本HP)の阿比留竜一さん(テクニカ 入ってこないので, 執筆に集中できる」 ルセールスサポート統括本部 シェアー と効果を語る。また,これまでは帰宅 ドサービス本部 HP オラクルソリュー する時間が遅い日が続くと,クリーニ の阿比留竜一さん 広い画面で作業 するための マルチディスプレイ ング店の営業が終了して いるために,クリーニン 各社員が今,どこで 働いているかを確認 するためのスケジューラ グに出したシャツを受け 取れないことも多かっ 社内外と通話をしたり, プレゼンスを表示したり するためのソフトフォン た。それが自宅勤務を選 ぶことで,クリーニング 店の営業時間内にシャツ を取りに行けるなど生活 面でも満足度が増した。 社外 NEC 社内 通常業務で利用 しているノート PC 小川さんにかかってきた 社外からの電話は, 自動で転送される ようになっている 3 NECの小川康之さんが自宅作業で使うツール 図 社内サーバーにアクセスできたり,内線電話を受け取ることができるなど,自宅でも社内にいるのとほとんど変わらない環境が作れ ている 50 NIKKEI SYSTEMS 2008.3 コンサルティング業務 に就いている小川さん は,主に客先への提案資 料を作成したり,部下が 作成した資料をレビュー したりする際に自宅で作 業する。小川さんは作業 に没頭できること以外 に, 「自分で働く場所を 選んでいるという気持ち IT エンジニアの “自分らしい”働き方 が,モチベーションの維持につながっ メリットが多い自宅での勤務だが, ダーのInfosys Technologiesへ入社す ている」という効果も感じている。 自分自身と部下に対して,それぞれ課 るためだ(次ページの図4) 。 自宅勤務の道具立てをそろえる 題がある。自分自身の課題は,1日中 部屋にこもっていると, 「閉塞感を覚 年収は100万円に減った 自宅で業務を効率的に進めるには工 えるときがあることと,運動不足にな 最初の半年は,情報工学を専攻して 夫がいる。浅田さんや阿比留さん,小 ることだ」と小川さんは語る。部下に いない現地の新卒社員と一緒に,Java 川さんは,自宅での業務でも不便がな 対しては, 「悩み事を抱えているので などの開発言語や,R/3といったERP いように,VPNや携帯電話といった はないかといったことを表情から感じ パッケージの構成について研修を受け ツールを駆使している。 る機会が少なくなる」ことなどに気づ た。机を並べた新卒社員は,情報工学 例えば小川さんは,スケジューラと いたという。 を専攻していないといっても物理学や スケジューラを使うことで,どの時間 単身,インドに乗り込む なら自分と連絡が取れるかをオフィス スキル面の幅が広がる 特集 経営工学を専攻しており, 理解は早い。 ソフトフォンを自宅で利用する(図3) 。 「自分もITベンダーに勤めていた経験 から技術では負けない自信はあった 2 んが利用しているソフトフォンは,会 「インドでのオフショア開発に,日本 死の思いでついていった」と米島さん 社にかかってきた外線電話や同僚から で一番詳しくなろうと思った」――。 は振り返る。驚くこともあった。毎週 の内線電話を自宅で受け取れる。 「離 そう心に誓った米島和広さん(前出) テストが実施され,成績が悪いと解雇 席中などプレゼンスも分かるので,メ は以前勤めていた日本のITベンダー されることだった。しかし, 「テスト ンバーとのコミュニケーションはあま を辞め,2004年3月にインドのバンガ に落ちるためにインドに来たんじゃな り困らない」 (小川さん)という。 ロールへ旅立った。インドのITベン い」と自分に言い聞かせ,勉強に励ん ITエンジニアの“自分らしい”働き方 が,英語での授業ということもあり必 にいる同僚に伝えられる。また小川さ 出産後に無理のない働き方が選べるように 「開発を担当しながら,2歳児の母 実はこのワークスミルククラブ もやっています」——。笑顔でこう は,石井さんをはじめとする現場社 話すのは,ワークスアプリケーショ 員が立案して実現にこぎつけた。石 ンズでパッケージ開発を担当してい 井さんらは,牧野正幸 代表取締役 る石井弘美さん(製品開発本部)だ。 最高経営責任者の許可を取り付け 石井さんは,同社の「ワークスミル てタスクチームを結成。どのような ククラブ」という育児休暇制度を利 育児休暇制度がいいかを検討した。 用し,出産後に職場に復帰した。こ そこから出たのが,長期間にわた 写真 れは, 「子どもが小学校を卒業する る時短勤務や職場復帰時のボーナス ズの石井弘美さん まで短時間勤務を選択できる」 「職場 支給といったアイデアだった。石井 復帰時に,年俸の15%をボーナスと さんは, 「出産や育児をすでに経験 して支給する」など,女性が子育て している社員に短時間勤務の期間 と仕事を両立できるように考えら について意見をもらったり,人事労 れた制度だ。2005年12月に制度が 務 担 当 者 を メンバーに 引 き 入 れ, できてから, 「出産のために会社を ボーナス支給が会社の人事制度に合 辞めた女性社員はいない」 (石井さ うかを確認しながら進めたことも, ん) 。出産後に無理のない新たな働 現実的に利用できる制度を作れた き方が選択できるようになった。 要因」と振り返る。 A ワークスアプリケーション ワークスミルククラブの概要 ・子どもが3歳になるまで育児休暇が 取得できる ・子どもが小学校を卒業するまで短 時間勤務を選択できる ・職場復帰時に年俸の15%がボーナ スとして支給される ・社内情報を共有できるよう,PCと アクセス権が与えられる など NIKKEI SYSTEMS 2008.3 51 だ。 からは, 「別の業務を先にやりなさい」 活の面で多大な影響を受けた。例えば 生活面も激変した。日本にいたとき と言われた。自分がこなす力があるこ 米島さんが出会ったインド人のエンジ に数百万円だった年収が,約100万円 とを説明したが, 「うまく英語で説明 ニアは,とても向上心が高かった。ド に減った。ただし, 「ランチが50円, できないことや,自分ができることを イツ人は,仕事ももちろんだが,自分 3DKのマンションの家賃が月1万5000 論理的に説明して交渉する力が自分に や家族のための時間をとても大切にし 円と安かったので,日本と変わらない 足りなかったので,かわされてしまっ ていた。こうした点を米島さんは吸収 生活ができた」 (米島さん)という。 た」 (米島さん) 。そこでインド人がど し, 「日本にいた頃の自分と比べて, のように自分の意見を通しているか より休暇を大切にするなど考えが変 を徹底的に研究した。そうするうち, わった」 (米島さん)と語る。 うまく英語で説得できない 特集 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 半年間の研修後,ある欧州企業の 多くのエンジニアが客観的な事実を積 ERPパッケージ導入プロジェクトに参 み重ねて,相手を説得していることに 加した。米島さんは何にでも意欲的に 気づいたという。この方法を身につけ その後もERPパッケージの導入プロ 取り組もうと,プロジェクト内のある てからは,プロジェクトでも自分の意見 ジェクトに参加していた米島さんは, 業務を自分にやらせてほしいとプロ が通りやすくなった。 2006年2月から,長期で日本へ“出張” ジェクト・マネージャに訴えた。しか また,プロジェクトで多様な国籍の することとなった。日本企業が導入し し参加当初,プロジェクト・マネージャ エンジニアと接したことで,仕事や生 たERPパッケージの運用業務や,追加 行動 解決策は世界のどこかにある 2004 年 3 月に日本を離れ,インドのバンガロールで IT ベンダー Infosys Technologies へ入社 入社直後は 年収約 100 万円 に激減 入社前は 年収数百万円 バンガロール 東京 目的 インドにおけるオフショア開発について,日本で一番詳しくなりたい 毎週実施されるテストの成績が 悪いと解雇されるため,必死で勉強 業務内容 2004 3 月∼4 月 :新卒社員にまじり,Java などの開発言語を社内研修で学ぶ 5 月∼8 月 :ERP パッケージの構成について学ぶ 9 月∼11 月 :欧州企業の ERP パッケージ導入プロジェクトに参加 ランチが 50 円,3DK のマンションの 家賃が月 1 万 5000 円という物価に驚く 当初は英語での交渉力が乏しく,上司に言い負かされ, 重要な開発に携わらせてもらえないことも経験 12 月∼翌年 1 月:日本市場におけるオフショア開発の調査 2005 2 月∼4 月 :SAP R/3 の BASIS のトレーニングを受ける 5 月∼翌年 1 月 :米国や中東,欧州企業の ERP パッケージ導入プロジェクトに参加 2006 2 月∼ :日本に長期出張し,ERP パッケージの運用管理業務に就く 2007 9月 :退職 インド人やドイツ人など多様な国籍の エンジニアと接し,多大な影響を受ける オフショア開発の担当側から依頼側に替わったが,自分が担当した 経験を生かして,スムーズに海外のエンジニアとやり取りできた 4 米島さんは,スキルを身につける方法として,インドのITベンダーで働くことを決断した 図 技術やマネジメントのスキル面で,ITエンジニアとして幅が広がったことを実感している 52 NIKKEI SYSTEMS 2008.3 IT エンジニアの “自分らしい”働き方 開発業務に携わった。開発拠点はシン は,日本よりも米国をはじめとする海 転身したエンジニアと, 逆にITベンダー ガポールだったが,米島さんが「オフ 外に多いため,人づてで詳しいエンジ からユーザー企業へ転身したエンジニ ショア先のエンジニアは,どんな情報 ニアに質問したり,技術者が集まる英 アを紹介する。一見,対照的な選択を がないと困るか実体験として分かって 語のWebサイトで質問したりといっ した2人だが,働き方に対する姿勢は いたので,うまくコミュニケーション た手段を取れるようになった。 共通している部分も多い(図5) 。 が取れた」と語るように,自分の成長 米 島 さ ん は2007年9月 にInfosys 豆蔵の野田伊佐夫さん(IT戦略支 を感じることができた業務だった。英 Technologiesを退社し,現在は身につ 援事業部 C.I.S.C 所長 主幹コンサルタ 語でやり取りできるようになったこと けたスキルを生かして食材宅配のオイ ント)は,前職では大手建設会社の情 も,自信を深める要因になった。 シックスで活躍している。 報システム部門に籍を置いていた。入 米島さんが業務を進める上で大きく 社した20代から30代前半までは,会計 ユーザーからITベンダーへ や人事・総務システムの企画や開発, 方法だ。 「技術的に難しい部分があっ 達成感がより大きく さらに建設現場での勤務を経験した。 ても,世界のどこかで同じ壁にぶつか その後,購買システムや品質管理シス ITエンジニアの働き方では, ユーザー テムといった生産支援系システムの担 る。そのことを,身をもって知ったこ 企業で働くのか,それともITベンダー 当者となった。システム全体を理解す とは大きな財産」と米島さんは語る。 で働くのかもポイントの一つ。ここか るにとどまらず,建設現場の経験も踏 ERPパッケージに詳しいエンジニア らは,ユーザー企業からITベンダーへ まえ,会社全体の仕組みが分かるよう 豆蔵 野田伊佐夫さん MonotaRO 柴垣香平さん 大手建設会社→ IT ベンダー IT ベンダー→ EC サイト運営会社 前職の業務内容 入社後,情報システム部員として会計や人事・総務システムの企 画や開発を経験。建設現場を経験した後,購買システムや建物の 品質管理システムといった生産支援系システムの企画・開発に携 わっていた 入社後,SE として,プログラミングや仕様決定といったシステ ム開発に携わる。プロジェクト・リーダーとしてプロジェクト 管理の経験を積んだ後,プロジェクト・マネージャとして常時 10 件程度のプロジェクトを管理する立場になった 働き方を 変えたきっかけ システム開発の経験で会社のヒト・モノ・カネの流れが分かれば 分かるほど,建設会社で利益を生むのはシステムではなく建築だ と強く意識するようになった。また,自分が培ったシステムの経 験を人の役に立てて,直接価値が生み出せる業務に就きたいと考 えるようになった システムを期限内,予算内で開発できた達成感は大きかったが, そのシステムが使われて価値を生む瞬間に,自分は部外者であ ることに寂しさや物足りなさを感じるようになった IT を駆使した企業戦略を支援するコンサルティング業務,内部統 制の確立を支援するコンサルティング業務など 自社システムの新機能の企画やビジネス面での検討,セキュリ ティなどの環境整備,システム・トラブル時の対処,システム 開発予算の管理,システム部員の育成計画立案など ・責任の所在が自分 1 人になったので,甘える部分がなくなった ・前職はじっくりと物事を考えていたが,現在は複数の顧客の案 件を担当しているので,何をすべきかとその優先順位をより厳 格化するようになった ・前職以上に,仕事にやりがいを感じるようになった ・前職は,システムの生産性と品質を重視していたが,現在はシ ステムがビジネスにどう利益をもたらすかという視点が強く なった ・業務で必要に迫られた以前と違い,現在は新技術の情報が入り づらくなったので,情報収集の時間を増やすようにした ・前職以上に,仕事にやりがいを感じるようになった 現職の業務内容 自分の中で 変わったこと 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 り,それを乗り越えたエンジニアがい 前職→現職 特集 変わったのは,発生した問題への対処 5 ユーザー企業からITベンダー,またはその逆の環境を求めるITエンジニアも少なくない 図 逆方向の選択をした2人だが,できることとやりたいことのギャップがきっかけになった点や,自分の働きがいを追求する姿勢が共通している NIKKEI SYSTEMS 2008.3 53 になってきていた。 ロジェクト・マネージャとして,顧客に を支援したりするコンサルティング業 一方,間接資材のECサイトを運営 役立つシステムを,いかに納期を守りコ 務に就いている。柴垣さんは,IT部門 するMonotaROの柴垣香平さん(IT ストを抑えて開発するかに注力してき の責任者として,システムの企画・開 サービス部長)は,前職は大手ITベン た。しかし,どれだけ頑張って良いシス 発から予算の管理,システム部員の育 ダーで,SEとしてシステム開発を経験 テムを作っても, 「システムが価値を生 成までを一手に引き受けている。 し,その後プロジェクト・リーダー, む瞬間には自分の手から離れている。 前職との違いについて野田さんは, プロジェクト・マネージャという立場 その場に立ち会えないもどかしさを感 となっていた。 じるようになった」という。 想を述べる。それは,プロジェクトが 両者ともに, 「これまで培った技術 成功するもしないも,自分の責任によ や経験を生かせる働き方をしたい」と るところが大きくなったからだ。また, 順調にキャリアを積んでいった2人 いう思いが募り,働く環境を変えるこ 顧客に役に立たないと判断されれば, だが,30代後半を迎えて自分の働き方 とを決断した。野田さんは37歳,柴垣 プロジェクトから外される可能性もあ を見直すようになった。きっかけは, さんは39歳だった。 る。それだけに,プロジェクトを無事 やりたいこととの差が出始める 特集 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 自分のやりたいことと,立場上やれる 「緊張感がまったく違う」と率直な感 終えた時の達成感は,これまで以上に 緊張感が段違いにアップ ことの差に気づいたことだった。野田 大きくなったという。 さんは, 「業務が分かれば分かるほど, 野田さんは現在,ITを駆使した企 柴垣さんは, 「自分の視点が大きく 建設会社で利益を生み出すのは建築だ 業戦略を支援したり,内部統制の確立 変わった」と語る。例えば以前は,シ と強く意識するように なった。もちろん,会社 大手 IT ベンダー勤務時のある 1 日 2時 ・・・・・・・・・・・ 感じる。しかし,自分の 持つ業務ノウハウやシス テムの知識を駆使して, 価値を生み出せる仕事が ほかにあるのではないか と考えるようになった」 と当時の心境を語る。 一方の柴垣さんは,プ 仮眠室で就寝 ・・・・・・・・・・・ には愛着もあるし恩義も 現在のある 1 日 2時 起床 2 時〜 6 時 30 分 4 時間半,自分の好きなプログラミング に没頭 6 時 30 分〜 8 時 30 分 朝食と出社準備 8 時 30 分 自宅を出る 春と秋は自転車通勤,夏と冬は車で通勤 9時 社員より1時間早く出社。みんなが出社 したらすぐに指示が出せるように準備 9 時〜 10 時 社内食堂で朝食 10 時 業務開始。スタッフに仕事の指示 10 時 業務開始 12 時 昼食,スポーツクラブで汗を流す 10 時〜 12 時 睡眠不足のため,開発効率が 上がらないまま時間が過ぎる 13 時 15 分〜 18 時 30 分 午後の業務開始。客先との打ち合わせや トラブル対応,スタッフへの指示に時間 を費やす 12 時〜 12 時 50 分 社員食堂で昼食 18 時 30 分 会社を出る 12 時 50 分〜 17 時 20 分 長時間の社内ミーティング 19 時 帰宅,家族全員で夕食 17 時 20 分 定時のチャイム,ここから本 腰を入れて開発 20 時 子どもたちと入浴 18 時 30 分 社員食堂で夕食 21 時 子どもたちを寝かしつける 21 時 30 分 深夜残業のチャイム,でもま だ帰れない 22 時 就寝 1時 業務が終わらないので,仮眠 室を予約 6 Syunの高松さんは独立することで,自分が楽しくプログラミングできる環境を確保した 図 収入は減ったが,月200時間を超える残業から解放されたり,自宅で家族と食事ができたりするなど,満足して働ける環境が整った 54 NIKKEI SYSTEMS 2008.3 ・・・ 社内の仮眠室で起床 ・・・ 9時 IT エンジニアの “自分らしい”働き方 ステムの生産性と品質を重視していた で,何とか自分の好きなプログラミン が,今はそのシステムがどうビジネス グの時間を確保するために高松さんが に役立つかも強く意識する必要があ 行き着いた働き方である。 る。いくらバグのないシステムを納期 この働き方は, 「楽しくプログラミ 通りに開発したところで,利益を生み ングができなかった大手ITベンダー在 出せなければ意味がないからだ。 また, 籍時の働き方の反動」と高松さんは説 技術への取り組み方も変わった。 「以 明する。当時は,午前10時に始業して 前はプロジェクトをこなすために必然 も睡眠不足のため開発効率が上がら 的に身に付けることが多かったが,現 ず,12時50分からは長時間の会議,夕 在は新技術の情報が以前よりも入って 方以降から本腰を入れて開発を始める こない。自分から積極的に収集する時 も,仕事量が膨大で毎日終わりが見え 間を取るようにしている」と語る。柴 ない。業務が終わらないので,徹夜し 垣さんはやりたいことができているの て会社の仮眠室で少し眠る。土日も関 これは業務時間の50%を,自分で設定 で充実しているという。 係なく仕事に追われ,1カ月の残業時 したテーマに費やしてよいというも 間が200時間を超えることもしばしば の。 「好きなプログラミングに没頭で 大手ITベンダーから独立 あったという生活だった。 きるとても良い環境を与えてもらって 好きなプログラミングに没頭 高松さんは1995年末,ITベンダーを いる」と山口さんは語る。 退職し,フリーとなった。退職後は, 山口さんは50%ルールを活用し,自 最後は,とことん自分の好きな技術 これまでの技術を生かし,1人でコツ 分のテーマに沿ったプログラミング を追求したい,そう考えて働き方を変 コツと受託開発することにした。プロ や,開発したプログラムの稼働検証, えたITエンジニアを紹介する。 グラミング,ハードウエア構築やネッ プログラミングに必要な技術情報の収 「20代の青春をカネで売った」――。 トワークの構築まですべて1人でこな 集などを行っている。前職のITベン こう語るSyunの高松基広さん(代表 した。 「一部でもほかの人に任せると, ダーに勤務していたときは, 「プロ 取締役)は,20代に大手ITベンダーで 分業で開発していた前職と変わらな ジェクトの管理やメールのチェック, 通信機器のプログラマとして活躍して い。自分でなんでもできれば達成感も 社内会議, 電話の応対に時間を取られ, いた。その後フリーのエンジニアとし 大きい」というのがその理由だ。 プログラミングに使える時間はほとん て独立し,現在は11人の社員を抱える 社員が増え,社員を管理する立場に どなかった」 (山口さん) 。今では,メー ITベンダーを経営している。高松さん なった現在でもその姿勢は変わってい ルのチェックや打ち合わせ,電話応対 の働き方を,ITベンダー在籍時の働き ない。 「大きく儲けようとは考えてい の回数は激減した。 「メールのチェッ 方と比較してみよう(図6) 。 ない。顧客に喜ばれて,しかも自分の クは1日2回,打ち合わせは週1回,電 開発したいシステムを開発できるこの 話はほとんどかかってこない」 (山口さ 働き方を維持できれば十分だ」と高松 ん)という。 さんは語る。 現在はWebの認証技術「OpenID」 2時に起きる。ITベンダーに勤務して いたときは,会社の仮眠室で眠りにつ 一日の半分は好きなことに使う 2 ITエンジニアの“自分らしい”働き方 今,高松さんの朝は早い。毎日早朝 特集 早朝2時にプログラミング 2 サイボウズ・ラボの山口徹さん 写真 を 使 っ た シ ス テ ム を 研 究 し た り, Webブラウザ「Mozilla Firefox」の いていた時間である。2時から約4時間 山口徹さん(写真2)も,自分が大 機能拡張に取り組んだり,Perl開発 半,自分の好きなプログラミングに没 好きなプログラミングで食べていける 者向けのライブラリ・サイト「CPAN 頭する。10時から始まる通常の業務時 ような働き方を模索した1人だ。山口 (C o m p r e h e n s i v e P e r l A r c h i v e 間は,社員の管理者として時間を使う さんが勤務するサイボウズ・ラボには, ことが避けられない。そんな状況の中 「50%ルール」という決まりがある。 Network) 」のオーサーを務めたりと, 充実した毎日を送っている。 SYS NIKKEI SYSTEMS 2008.3 55
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