共働学舎・宮嶋望さんインタビュー その3(『北方 - 滝川康治の見聞録

シン大学畜産学部卒業(農学士)
。78 年に帰国し、農事組合法人・共働学舎新得農場を開設、代表を務める。チーズ
職人、酪農家、事業家、科学好きの研究者など多彩な顔を持つ。フランスチーズに貢献した人に与えられる称号「フ
ランスチーズ鑑評騎士(シュバリエ)」の一人。NPO法人「共働学舎」副理事長、十勝ナチュラルチーズ連絡協議会副
理事長、北海道ブラウンスイス協議会会長など。著書『みんな神様をつれてやってきた』
(2008 年・地湧社)
連載第 回 特別インタビュー
(その3)
心身に悩みを抱える人たちと新たな農業の
可能性を追求する共働学舎新得農場代表
さん
寄付に頼ることを嫌って
稼いだ金で自立する道へ
──宮嶋さんは著書のなかで、共
働学舎新得農場は日本におけるソー
シ ャ ル・ フ ァ ー ム( 社 会 的 企 業 = 注
を 参 照 )的 な 動 き の は し り だ っ た、
と 書 か れ て い ま す。 ソ ー シ ャ ル・
ファームが注目されるのは社会的な
目的の実現に寄付や援助だけではな
く、ビジネスの手法を取り入れた点
であり、その仕事には採算性が考慮
される。そこには、「社会的な弱者に
は経済的自立だ
けでなく、人とし
ての尊厳が必要
だ 」と い う 考 え 方
が あ る ── こ う 述
べていますね。福
祉施設的な側面
のある共働学舎
ですが、寄付には
頼らずにやって
いこうとしてお
られる。
宮 嶋 共 働 学
舎 は、 社 会 福 祉
法によらない形
で始めているか
ら補助金的なものは入ってきません。
同 じ 障 害 を 持 っ た 人 た ち を 集 め て、
安全に管理する体制があれば社会福
祉法人になれて措置費がもらえるけ
れ ど、 そ う じ ゃ な い。 ど ん な 人 間
だって欠けたところがあるんだから、
協力して補いあって、ともに働いて
いく。お互いが学びあう家なんだ─
─というのが共働学舎の出発点でし
た。そうした発想を貫くのであれば、
違う障害や病気、悩みを持った人た
ちが集まったほうがいいわけですよ。
使える能力はバラバラであって、で
きないことを助け合えばいい。だか
ら協力さえすれば上手くいくだろう、
と。理想主義といえば理想主義、楽
観主義といえば楽観主義だよね(笑)。
そこから始まっている。
──でも実際の運営にはお金がか
かる。それは、共働学舎を創設した
親父さん(※宮嶋眞一郎氏)が個人か
ら の 寄 付 を 会 費 と し て 集 め て き た、
ということですか。
宮嶋 寄付で集めたお金があった
から僕らはスタートできた。という
ことは自分たちの生活が人の善意で
支えられているわけです。でも僕は
それが嫌だった。自分たちが稼ぎだ
したお金の範疇で生活するのが自立
60
THE HOPPO JOURNAL
宮嶋 望
聞き手 ルポライター 滝川 康治
「チーズづくり」と「共働」を軸に
実現させた新しい農業モデル。被災
寄付や補助金に依存することなく生産活動に励み、チーズづくりを軸にした新しい農業のモ
デルを実現させた共働学舎新得農場。その原点にあったのは、「欠けたところがある人間同士
が協力しあい、ともに働いていく。ここは、お互いが学びあう家である」という考え方だった。
」を機に転換期
11
創設者である父親との葛藤を経て、試行錯誤をくり返しつつ事業を軌道に乗せることができ
1951 年、群馬県前橋市生まれ。自由学園最高学部を卒業後、22 歳でアメリカに渡る。牧場実習をへて、ウィスコン
ソーシャル・ファーム=障害者や労働市場で不利な立場にある人々
のために、仕事を生み出し、支援付き雇用の機会を提供することに
焦点をおいたビジネス。通常の労働条件で生産活動を行ない、製品
・ サービスを市場で販売し、利益を事業に再投資する形で、社会的
な目的を実現させていく。1970 年ころに北イタリアで始まった
103
た今、宮嶋さんは人材育成にも力を入れる。インタビューの最終回は、「3・
宮嶋 望(みやじま・のぞむ) を迎えた日本社会のなかで、明日への希望の道を探る試みや今後の課題などについて聞いた。
北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く
2011. 9 .
2011. 9 .
THE HOPPO JOURNAL
61
“農と食”
北の大地から
者らも受け入れ新得で学べる機会を
“農と食”
“農と食”
て6倍になる…。
──確かに額面上はチーズの利益
率は高いけどね。
倍に
宮嶋 最初、 頭(の経産牛)から
年間400トンの生乳を出荷する計
画を立て、それで6人家族が
倍、9千万円を利益として生
バ ー が )「 我 々 の 負 担 に な る 」と 実 感
た ち が 仕 事 を し な い と、( 他 の メ ン
そういうことで生活に関しては自
立しています。すると中にいる人間
ミングで言ってしまった、と
(笑)
。
目に遭っているけどね。えらいタイ
去年は口蹄疫、今年は震災で大変な
前に
「 い り ま せ ん 」と 伝 え た。 で も、
助してもらっていたんですが、2年
る。 自 分 た ち で 稼 ぎ だ し た な か で
から、そこに金をかけずに給料を配
俺は生活費を切り詰めるのは得意だ
を 参 照 )な ん て 言 っ て い る で し ょ う。
う こ と か。 あ な た は
『 自 労 自 活 』( 注
ひとりのなかに可能性がないとい
が道理。返せないというのは、一人
けです。僕は、「借りたものは返すの
親父は教育者だから
「投資しても
返 せ る わ け が な い だ ろ う 」と 言 う わ
ることも必要になってきます。
探ってきた。そのためには投資をす
を負いつつビジネスを展開する道を
を受けながらも、自分たちでリスク
上げなければいけない。だから寄付
活かし、汗を流す場を創って収益を
であって、ここに集まった人たちを
わけです。野菜部門は300〜40
に売り僕らのチーズ工場が買い戻す
3千万円ちょっと。生乳をホクレン
2がチーズ部門になります。酪農は
宮嶋 農場の売上高は年間1億8
千万円くらいで、そのうち約3分の
どんなウエートを占めていますか。
──稼ぎ頭のチーズが新得農場を
支えてきたわけですが、他の部門は
れは筋が通りますよね。
乳で売るのに比べ
性が良かった。生
売ってみると利益
れ る よ う に な り、
チーズを正式に造
工研究センターで
けれど、特産物加
難しいなと思った
い
(笑)。なかなか
増え、建物を造ら
り、どんどん人が
どもは大きくなって教育費がかか
結 局、「 そ れ で や る 」と 言 っ て 最 初
の 牛 舎 を 建 て た わ け で す。 で も 子
(笑)
。
や れ ば い い だ ろ う 」と 正 論 を 吐 い た
料 が 安 い 」と 思 い、 よ そ の 工 房 の 若
る。「チーズが評価されているのに給
チーズ側には文句を言う者も出てく
ら 回 し て い る 感 じ で す ね。 だ か ら
活費や人件費の一部はチーズ部門か
いるかと言うと、そうじゃない。生
が、採算が取れて人件費まで出せて
の売り上げがあります
以外に6千万円くらい
お客さんがこない。だか
できるとなった。
ホルスタインなら難しいけれど、(乳
5年前にできました。以前は工場の
宮嶋 結構借金もあります。『ミン
タ ル 』も 交 流 施 設 と い う 位 置 づ け で
経費は相当かかりますよね。
──いろいろあるんだなあ。これ
だけの工場の設備や牛舎関連などの
(笑)。
いるけれど、僕よりも高いんだよね
合わず「感性が違う」と言われたけれ
する。逆に言うと、仕事をしない者
0万円くらい。雄牛を5、6頭ずつ
い連中と「いくらもらっているんだ」
玄関でチーズを売っていたんですが、
も自分たちで稼ぎだした金で、思い
描 く 生 活 を 考 え た い ん だ 」と 言 っ た。
「できるわけがない」と反論されたけ
れ ど、「 や る!」と 言 っ て 資 金 を 集 め
てしまったわけです。
い汗を流して稼いだ範疇で生活を考
れど、それは生産の基盤づくりに使
ら、( 寄 付 を )も ら う も の は も ら う け
で す。 そ の 費 用 を N P O 法 人「 共 働
康保険などの社会保障と教育費なん
て )一 番 お 金 が か か る の は、 国 民 健
宮嶋 それは僕の自信になりまし
た ね。( 新 得 農 場 の メ ン バ ー に と っ
──で、曲折を経ながらも、こう
してやってくることができた、と。
える、と。そうしないと自立心が湧
学 舎 」か ら( 年 間 )800 万 円 ほ ど 援
ら今年は苦しい。チーズ
宮嶋 でも今回の地震
の影響で自粛ムードだね。
販売してますね。
── こ の 交 流 施 設
『ミ
ン タ ル 』で は、 チ ー ズ も
で焼いてきました。
0万円くらいを女性一人
パンも販売高にして30
販 売 は 300 万 円 ほ ど。
くかどうかです。ケーキ
で、工芸も100万円い
のほうは自給+αくらい
くないかな、と。豚や鶏
きているのでそんなに甘
りますが、肉値が落ちて
きません。親父とはなかなか意見が
い で す か。 僕 は こ う い う 性 格 だ か
い う の は、 す っ き り し な い じ ゃ な
宮嶋 自分たちで開拓して入って
い る の に「 寄 付 で 成 り 立 ち ま す 」と
──寄付に対する基本姿勢は?
手応えを感じるようになる
思い描いた生活が実現して
成 分 の 高 い )ブ ラ ウ ン ス イ ス な ら ば
は
(周囲に)
負担を感じさせているこ
肥育してクリスマス前にいっぺんに
とやっているわけ。チーズ工場のス
ど、「土地や建物はあんたの名義。で
とが実際に分かるようになってくる。
売り、協力会の人たちなどに購入し
なければいけな
「 我 々 は こ う し て い る ん だ か ら、 君
保健所の人がきて、「有名になってき
みると、チーズに加工したらいける。
できるんじゃないか、と。計算して
みだせるなら同じ量の生乳でも生活
その
く ら い の 手 取 り が 残 る 時 代 で し た。
た。当時は400トンで900万円
なったときに生活できるか、と考え
10
60
タッフにはほどほどの給料を払って
牛舎では早朝から給餌や糞の処理、搾乳などの作業が続く
食後のミーティング。この日は長野の共働学舎からやってきたメンバーが報告する場面も
62
THE HOPPO JOURNAL
10
てもらうのが400万円くらいにな
自労自活= 1974 年に長野県小谷村で発足した「共
働学舎」の創設者・宮嶋眞一郎氏が創った言葉。競
争原理や経済優先主義の社会から弾きだされた、心
身に障害や悩みを持つ人たちとともに、自然のなか
で農業や工芸などをしながら生活するという考え方
新得農場の朝食風景。自給を基本にした食事で腹ごしらえ、
それぞれの持ち場に出向く
2011. 9 .
2011. 9 .
THE HOPPO JOURNAL
63
宮嶋さんの著書『みんな、神様をつれてやってきた』
生い立ちやアメリカでの生活を振り返る「自由を求
めて」、新得に入植してからの出会いをつづった「仲
間とともに」、チーズづくりの歩みをたどる「本物を
めざして」
、社会のゆがみを解決するためのヒント
を記した「次の社会へ」で構成。悩みを持つ人たちと
の共生、農業や食のあり方、そこから見えてくる明
日への希望について、実践を踏まえて書かれており、
読む者の心を打つ。
(地湧社・1,900 円+税)
は で き る こ と を や り な さ い 」と、 こ
北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く
宮 嶋 『 さ く ら 』( ※ 新 得 農 場 の
チ ー ズ 商 品 )が 売 れ 出 し て か ら だ か
ならないからね。やりたいというこ
を考えさせないと責任を持つことに
て く る。 有 機 農 業 の 連 中 は み ん な、
ないから、それをやりたい人もやっ
たんだから、そろそろ本格的なもの
を 造 っ て く れ ま せ ん か 」と い う 話 が
ないですね。だから、うちでは可能
あまり余裕がないから研修生をおけ
て、少しずつできることをするよう
性がありますよ、と。あとは、ブラ
とをしてもらうと競争心とかが働い
になる。僕らはできたことは認めて
──研修寮の入居者は?
宮嶋 2家族と男性3人、女性4
人です。1階に研修室を設けたので
る人もいます。
ウンスイスのことを聞いてやってく
代
── 年 代 的 に は ど ん な 人 た ち が
入ってくるんですか。
いく、と。
ら、3〜4年になりますね。
何をやるかは本人が決める
研修寮を設け人材づくりも
ありました
(笑)
。
──借金を返しながら、火の車で
はあっても回転させ、生活費を賄い、
ス タ ッ フ の 給 料 も 払 っ て き た、 と。
いつころから
「いけるな」
と手応えを
──障害者手帳を持っているメン
バーは 数人と聞いたのですが、そ
宮嶋 代が多いのですが、
から 代までいろいろいます。
男性向けの大きい部屋を造れなかっ
た。女性は2人部屋。去年、建設し
ました。
──これからの共働学舎はどうさ
れるのか。いつまでも宮嶋さんが奔
からね。
い。いきなり2400万円の借金だ
前でやるか、もう少し経費がかから
現しているものの、お金がかる。自
りません。そのシステムはすでに実
るという証明を積み重ねなければな
れいにして雑菌を減らし、安全であ
乳房炎をなくしたり牛舎まわりをき
の品質はいいところにきていますが、
造っておかなければならない。生乳
ち ん と 整 え、 信 頼 の お け る も の を
うわけです。主体的にもの
宮嶋 ざっと見せておき、
やりたいことをやってもら
わけですか。
──その人たちには、ひ
と通り仕事をやってもらう
人が入ってきた。
くらい辞めていき、新しい
なりません。この春も5人
れ替えをしていかなければ
ハード系のチーズをもう少し量を
増やし、販売していく可能性もある。
しています。
ど、「 日 本 だ っ て あ り ま す よ 」と 提 案
ヨーロッパのものに手を出したけれ
い る。 今 ま で 個 性 の 強 い チ ー ズ は、
の個性の強いものへとスライドして
フレッシュなチーズから熟成タイプ
が上がっていく。日本のお客さんも
うすることで付加価値を高め、単価
照 )を 教 え て く れ る と こ ろ は あ ま り
「 バ イ オ ダ イ ナ ミ ッ ク 農 法 」( 注 を 参
宮嶋 チーズは有名だし、考え方
を 学 び た い と い う の が あ り ま す ね。
──共働学舎のどこに魅力を感じ
てきているのかな。
のところに帰っていく人が多いね。
宮嶋 こちらもそのほうがやりや
すい。半年から3年ほどいて、自分
──若い人が多い、と。
ら、これがきつ
前で調達だか
くれて残りは自
国の補助金、2
は8千万円ほど
研修寮の建設費
感じるようになったんですか。
うした人たちはどんな仕事
をするのですか。
──ここから出ていく人たちは?
宮嶋 この春、一家族は自分の出
身地に、もう一人の女性も福井県の
宮 嶋 何 が し た い の か、
何ができるのかは本人に決
めさせます。もちろん僕ら
──ここに訪
れるたびに新し
故郷に帰って新規就農しました。就
職をしたり、学校に戻る人もいます。
いるなあ。
い建物ができて
──向うに見える研修寮には、ど
んな人たちが入るんですか。
宮嶋 どこか
らお金が入って
もアドバイスするけどね。
──新しく入ってくる人
と長くいる人の割合は。
宮嶋 だんだん長くいる
人間が多くなっているけれ
宮嶋 チーズを造りたい人、牛飼
いや有機農業を志す人もいます。
走するわけにはいかないですよね。
ない方法で取り組むかを考えていま
(新得農場の草地面積が増えたこと
ど、研修寮も造ったので入
宮嶋 僕は来年からお金の心配を
しないで自由なことをしたいんだけ
す。付加価値の高いチーズにしてい
で )放 牧 が 十 分 に で き る よ う に な っ
くるのという感
ど、そうならないから困るんだ。で
けば、今よりも4〜5割は収益を上
てきたので、放牧期間はハード系を
中心に造っていくつもりです。
割は町が出して
か か り、 5 割 が
じだけどね(笑)。
も各部門の責任者に任せ、予算面ま
げられるんです。
『酒蔵』を開発(先月号を参照)したり、
各部門の責任者が切り盛り
より高付加価値のチーズを
で切り盛りさせてはいる。だから現
場のマネジメントはできるように
『 さ く ら 』の ア フ ィ ネ( 注 = フ ラ ン ス
るを得ないのですが、チーズの売り
方もそうした時代に左右されてくる
んじゃないか。最近の状況を見つつ
どんなふうに受け止めますか。(注=
このインタビューは震災発生から1
カ月ほど後に収録した)
宮 嶋 日 本 の 国 民 は 今、「 エ ネ ル
ギ ー を 節 減 し な け れ ば い け な い 」と
思っていますね。外国から輸入する
食料や飼料は高くなり、酪農は餌が
高くて大型化しても採算が取れなく
なっていく。一般の人は知らないだ
うにする、と。
を使わないスタイルの酪農をやるよ
牛の足を使って生産させ、肥料とか
にスライドしていく。放牧によって、
きるだけエネルギーを使わないほう
れと同じようにするのではなく、で
の値段も上がってくる。僕らは、そ
なると、安いタイプの工場産チーズ
く使っています。製造コストが高く
乳製品工場はエネルギーをものすご
本誌の取材で初めて共働学舎を訪れたころの宮嶋さん(1994 年 12 月)
64
THE HOPPO JOURNAL
10
なってきましたね。
語で
〝熟 成 さ せ た 〟の 意 )を 造 る。 そ
新得町の郊外に広がる共働学舎の牧場。石勝線や日高の山
並みを望むことができ、草地のなかに樹木がほど良く残る
2011. 9 .
20
けで現状はそうなっている。大型の
バイオダイナミック農法=自然の営みを無視した農業の近代化に疑問を
持ったドイツのルドルフ・シュタイナーが提唱した農法。有機農業の手
法の一つで、太陽や月、惑星と地球の位置関係が土壌や生命体に与える
影響を重視し、種まきから収穫までの時期を選択する。土壌バランスや
植物を健康に保つために、人為的な化学物質は使用しないかわりに、天
然のハーブや鉱物、家畜を利用して作った各種調合剤を施す
50
10
──世の中の状況ですが、東日本
大震災と福島原発の事故で変わらざ
──大黒柱であるチーズ部門の今
後の方向性や事業の広がりは?
をやるには衛生管理のシステムをき
ロッパに負けないものになる。それ
のと同時に味が良くなるから、ヨー
うとしています。熱量がかからない
後は
『ラクレット』
まで無殺菌でやろ
『シントコ』
を造ってきましたが、今
時に経費を落としていく。無殺菌で
スライドさせようとしています。同
から少しずつ付加価値の高いものに
ズの売り上げも同じ伸びだと寂しい
宮嶋 生乳の生産量はあと2割く
らいしか伸ばせないんですよ。チー
北の大地から 共働学舎新得農場代表・宮嶋 望さんに聞く
2011. 9 .
THE HOPPO JOURNAL
65
手描きの共働学舎の施設配置図。入植から 33 年、次々に建物が増えた
“農と食”
震災の被災者も受け入れて
畜産の可能性を追求したい
──技術を高め、経費を下げてい
きながら、製品価格はそれほど上げ
噌汁で放射線の症状を抑えられる」
長崎に原爆が落とされたあと、「お味
減 で き る、 と 言 っ て い る 人 も い る。
を経ることによって放射性物質を軽
ウムの量は減るわけです。発酵作用
込むストロンチウムやヨウ素、セシ
ウムを十分に与えることで牛が取り
生活していたわけですね。
い環境のなかで、我々はのうのうと
ます。自然の与えてくれた素晴らし
代謝の回路を通ると放射線は弱まり
て食べるものもいる。そうした新陳
のなかにはストロンチウムを餌にし
古代の菌は平気なわけです。サンゴ
ステムが持続可能なら牛だと
るわけですよ。それがおいしいチー
機械はいらず、お金をかけずにやれ
く真空ポンプがあればいい。大きな
ケットミルカーと100ボルトで動
い、 と。 搾 乳 を す る だ け だ か ら バ
のではなく牛や羊、山羊を放せばい
草は生えるので、穀物を主体にする
頭く
ズになれば売れる。収益が上がるシ
と、秋月辰一郎さんという医師が病
── 世 の 中 が 悪 化 し て い っ て も、
乳酸菌もチーズも、そして共働学舎
酵作用や塩分が原爆症に効いたわけ
なりませんね。僕らは、チーズ部門
宮嶋 共働学舎と言っていいのか
分からないけれど、努力しなければ
も生き残れるだろう、と(笑)。
し、 家 さ え 建 て れ ば な ん と か な る。
でいける。道具もそんなにいらない
す。遊休地はいっぱいあるから畜産
らい、羊や山羊でも100頭くらい
院の看護婦らに(味噌汁を)飲ませま
ですが、理屈では説明はつくものの、
が 稼 い で い る 間 に 畜 産 や 有 機 野 菜、
そうした生活ができるという実例を
した。彼自身も原爆症の症状が出な
誰も証明していない。ただし、放射
豚や鶏をもう少し増やしていきた
示していきたいですね。
になっていた、といいますね。
たらバクテリアが繁殖して藻のよう
──今は 人ほどの共働学舎のメ
ンバーは、もっと増えそうですか。
できない、という話なんです。
新得で就農してもいいと思う。
うからね。研修寮なんかは、そうい
宮嶋 そうです。畜産の仕事を覚
えて、地元に帰れるのであれば帰る、
飼っていれば、なんとか生活できま
性物質に対して乳酸菌や発酵作用が
い。まだまだ夢なんですが、「第2牧
宮嶋 太古の昔は、地球の大気は
紫外線や放射線を今のようには防げ
宮 嶋 そ う な ら ざ る を 得 な い で
し ょ う ね。 こ の 状 況 に な っ て( 大 震
歳くらいまで生きていた。発
免疫力を維持する効果がある、とは
場 を 造 ろ う か 」と い う 話 題 も 出 て き
いで
言ってもいいと思う。
──一般の人はもちろん、被災者
も受け入れていきたい、と。
なかった。そのなかで、生命が出て
災 や 原 発 事 故 で )被 災 し た 人 た ち を
──暗い時代にあって、一筋の光
明を見るようなお話でした。ありが
た。そちらが生産を上げていかない
と、増えていきそうなニーズに対応
きた──最初は光合成細菌です。放
受け入れないとは言えない。その人
とうございます。
な け れ ば、 日 本 が 貧 乏 に な っ て も
──スリーマイル島原発事故から
年後くらいに、原子炉の蓋を開け
射線のなかで生き残る術を持ってい
た ち が「 家 族 で 新 得 に 来 て 農 業 を 勉
で、 お い し い ん で す 」と 情 報 発 信 を
放牧酪農に対する影響です。
──特に原発に近い地域の農家は
生産できなくなってしまうからね。
う 形 で 使 い た い。 も し 可 能 な ら ば、
と。故郷には自分の思いもあるだろ
しなければいけない。もう一つ、福
て、酸素を出すことによって放射線
強 し た い 」と 言 う と き、 僕 ら は 畜 産
宮 嶋 そ う で す ね。 そ の と き に、
「こういう形でやっているから安全
島 の 原 発 事 故 で 心 配 し て い る の は、
を あ る 程 度 は 防 げ る よ う に な っ た。
やっていけることになりますよね。
10
宮嶋 僕の名前は〝望〟だから、希
望を失えないんですよね(笑)。
90
について応えたい。耕作放棄地にも
10
もっともきびしい環境で生きていた
放射線物理を勉強
宮嶋 (大学で)
した経験から言うと、リンやカルシ
70
66
THE HOPPO JOURNAL
2011. 9 .
有機農業やチーズづくりなどを志す人たちを
受け入れている研修寮