変わりゆく日本語と日本語教育の今

Journal CAJLE, Vol. 11 (2010)
変わりゆく日本語と日本語教育の今
鈴木 睦
大阪大学
要
旨
言語教育というものは、教育的な効果に配慮しつつ、絶えず変化する目
標言語を追いかけるという宿命を背負っている。現代日本語の変化は、1)
言語形式に関わる日本語の変化、2)言語に対する意識の変化、3)生活様
式の変化(e-mail、携帯、ネット環境等)がもたらす日本語の変化の三つ
に分けられる。
日本語教育においては、1)言語形式に関わる日本語の変化、つまり文
法の変化よりも、2)言語に対する意識の変化と、3)生活様式の変化がも
たらす日本語の変化が与える影響の方が大きい。1)は、文型の選択と文
法解説のありように影響し言語能力の養成に関わる。2)は、適切性判断
に影響を与え、社会言語学的能力の養成に関わる。3)の携帯電話やネッ
ト環境等の社会変化は、提示する会話文の状況設定、会話の展開、扱うべ
きコミュニケーション上の機能など広範囲に影響を与える。
1.
はじめに
本稿は、CAJLE創立二十周年大会(2008年8月15日~17日、トロント)
において、「変わりゆく日本語と日本語教育の今」と題して行われたパネ
ルディスカッションの発表原稿に加筆修正を加えたものである。
言語教育というものは、教育的な効果に配慮しつつ、たえず変化する目
標言語を追いかけるという宿命にある。「変わりゆく日本語と日本語教育
の今」というテーマは、文法、語彙、音声だけでなく、会話の展開、言語
行動等に関わる非常に大きなものであるが、本稿では日本語の変化が日本
語教育にどのような影響を与えるか、またどのように取り入れられるべき
であるかを考える。パネルディスカッションにおいて、待遇表現の変化に
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ついては川口義一氏、メディアに現れる感覚的な造語や表記については嘉
数勝美氏、海外から見た日本語と日本語教育の変化については室屋春光氏
が扱っておられるので、本稿では、教育内容に直結する日本語の変化を中
心に扱う。
2.
日本語の変化と日本語教育
日本語の教科書は一度出版されると大きく改定されることなく長期に渡
って使用されることが多い。教科書における日本語は、長期の使用に耐え、
かつ、現実に使用されている日本語と大きく乖離しないことが必要である。
しかし、日本の社会で現実に使用されているものであっても、学習者が不
利益を被ることのないように、日本語を使用する社会に存在する規範意識
と大きく離れるものの採用は避ける必要がある。
日本語教育にとって、「変化する日本語をいつ、どのように日本語教育
に取り入れていくのか?」は、大きな課題である。日本語学習者にとって、
重要な日本語の変化とは、いったいどのようなものだろうか。日本語の変
化には、様々な層があるが、日本語教育の立場からは、言語運用能力の養
成に関わる以下の三種に分けて考えてみるとわかりやすい(図1)。
言語形式に関わる日本語の変化
語彙・文字表記
文法・音声
生活様式の変化がもたらす
日本語の変化
携帯電話
大型量販店
ネット環境
言語に対する意識の変化
待遇表現、男女差
ほめに対する応答等
図1
日本語の変化
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1)言語形式に関わる日本語の変化
2)言語に対する意識の変化
3)生活様式の変化がもたらす日本語の変化
1)言語形式に関わる日本語の変化の中心は、文法の変化である。文法の
変化は、どのような文型を提示し、どのような文法説明を行うかという言
語能力の養成に関わる。2)言語に対する意識の変化は、待遇表現、男女
差に対する意識など広く日本語の変化に関わるものと、品物の贈答に際し
て何を言うのか、ほめに対してどのように応答するのかという言語行動に
影響を及ぼし、機能シラバスをどのように授業で扱うかに関わるものとが
ある。これらは、いずれも、適切性の問題に関わる。3)生活様式の変化
がもたらす日本語の変化には、携帯電話やe-mail、スーパー形式の店舗の
普及等があり、教材や教室作業においてどのような場面・状況を扱うかに
関わる。
もっとも、この三つは互いに関連した重層的なものであり、具体的な場
面・状況の中で、機能やディスコースが扱われ、その具体的な形として文
型が使われるということになる。
2.1
言語形式に関わる日本語の変化
日本語の変化や「揺れ」については、多くの書籍(城生1992、北原2004、
野口2004、諏訪2006、田中2007等)が出版されている。その中で指摘され、
日常よく観察される変化を挙げると以下のようになる(作例筆者)。
1)い抜き言葉
「今考えてるところ」
2)ら抜き言葉
「納豆は食べれます」
3)「を」の多用
「あの人を好きです」「ひらがなを読めます」
「ビールを飲みたいです」「勉強をがんばります」
4)全然…ない
「全然だいじょうぶです」
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5)「ません」から「ないです」への移行
6)さ入れ言葉
「作らさせていただきます」
以上のような変化については、日本語教育において既に対処されているも
のも含まれているが、1)~6)について簡単に説明しておく。
1)い抜き言葉:
動詞のte-formに補助動詞のついた「V-ている」から、「い」が落ちる
もので、日本語の教科書の会話文にもすでに使用されている。
2)ら抜き言葉:
一段動詞とカ変動詞の可能形である「V-られる」が「見れる」「食べ
れる」「来れる」となるもので、「ら抜き言葉」「ら抜き表現」と呼
ばれる。一段動詞の受身形、敬語として使われる形との区別が合理的
になされる利点があり、すでに雑誌等の書き言葉においても使用され
るようになっている。
3)「を」の多用:
日本語教育の「~は~が好き/嫌いです」「~がVたいです」の文型で
は、「が」が使われているが、「を」を使用することも増えている。
また、「頑張って勉強します」ではなく、「勉強を頑張ります」など
もよく耳にするようになっている。
4)否定の「ない」と呼応する副詞類:
「全然だいじょうぶ」のように、現在の話し言葉の中では肯定表現と
ともに用いられることもある。
5)「ません」から「ないです」への移行:
「今日は暑くないです」「昨日は暑くなかったです」など、終助詞等
を伴わないイ形容詞のnai-formに「です」をつけて言い切る形は、日本
語として落ち着きが悪いと言われながらも、日本語教育では早くから
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採用されてきた。しかし、現在ではイ形容詞文、ナ形容詞文、名詞文、
動詞文の全てに「ありません」と「ないです」の両方が使用され、使
い分けがあることも指摘されている。
6)さ入れ言葉:
「Vさせていただきます」の文の場合に、一段動詞は「食べさせて」
の形になり、五段動詞の場合には「書かせて」の形になるが、五段動
詞にも余分な「さ」が入る現象である。
1)~6)以外に、「花に水をあげる」「人参は細かく切ってあげてくだ
さい」「自分をほめてあげたい」に示されるような「Vてあげる」の用法
の変化なども観察されている。
言語形式に関わる日本語の変化を日本語教育に取り入れるかどうかを考
える場合には、話し言葉だけでなく文章表現に使用されるかどうかが指標
となる。1)~6)の変化は、教室では話し言葉と書き言葉の文体の差とし
て説明することが有効である。文字を媒体にしたものであっても、親しい
友人宛のe-mailや携帯メールなどは、話し言葉に近く、音声を媒体にした
ものであっても講演などは書き言葉に近いものであるから、誤解を避ける
ためにはフォーマリティの違いと説明した方がわかりやすい。言語形式に
関わる日本語の変化の三つの段階は、以下のように示すことができる。
第一段階
日常の話し言葉において使用される
第二段階
雑誌等の文章表現でも使用される
第三段階
論文等の硬い文章表現でも使用される
雑誌等の文章に現れるということは、話し言葉だけでなく書き言葉にお
いてもかなり定着が進んでいると考えられるから、学習者が接触する可能
性が高い変化であるということができる。また、同じ文字媒体であっても、
論文のような硬い文体に現れるかどうかというのが次の指標となる。
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例えば、「ら抜き」は、雑誌の記事等にも使用され、現在かなり広範囲
に使用されており、今後も更に使用が進むと予測されるが、論文などの硬
い書き言葉の中に現れるとまだ文体との不整合が感じられるから、1)~6)
の変化の中で、第三段階に至っているものはまだないと言える。
また、同じ第一段階にあると考えられるものであっても「い抜き言葉」
と「さ入れ言葉」の間には、大きな差がある。「い抜き言葉」はすでに話
し言葉の中で定着しており、日本語教科書の会話文にも取り入れられてい
るが、「さ入れ言葉」は「耳にすることがある」という程度に留まってい
る。
以上のような違いを踏まえて、教育現場でどのように対処することがよ
いのだろうか。教育現場では、学習者の理解と使用という二つの側面と組
み合わせて取り入れていくことになる。第一段階としては、理解すること
が必要であり、第二段階としては、学習者自身が使用する練習が必要とな
る。このような視点からみれば、「1)い抜きことば」は理解も使用も必
要な項目であり、2)~5)は、は現段階では理解することが必須である項
目ということになる。6)については、現時点ではまだ取り上げる必要が
ない。
2.2
言語に対する意識の変化
言語に対する意識の変化は、言語形式そのものには変化がないが、使用
する人々の感じ方や規範が変化したものであり、社会言語学的能力の養成
に関わる。待遇表現については、コンビニ敬語と呼ばれるようなものも観
察されているが、ここでは、言語に対する規範意識の変化の例として男女
差を、また意識の変化によって言語行動そのものが変わる例としてほめに
関する応答を挙げておく。
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2.2.1
男女差に対する意識の変化
鈴木(1989, 1993, 2007)では、女性の発話として使いにくいものとして
a~eを挙げ、発話行為論の立場から論じた。
a.動詞・補助動詞の命令形、禁止の「な」
b.文末の疑問を表す助詞「か」「かい」「だい」
c.話し手の意志を表す助動詞「う・よう」「まい」
d.話し手の推量を表す助動詞「だろう」「まい」
e.断定の助動詞「だ」
この指摘自体は、2010年となった現在でも変化していないと考えている。
例えば、A「明日よ」、B「明日だよ」という二つの言語形式を比較した
場合に、Aの方が女性的であり、Bが男性的であると感じられるという点
には変化がない。しかし、実際に女性がどのような言語形式を使用し、そ
れに対して女性の発話として適切であるかどうかを判断する基準は大きな
変化が起きている(日本語ジェンダー学会 2006)。むろん、1990年以前
から、「~だよ」等を用いる女性は存在しており、地域差やその表現を使
用する女性の年齢によっても適切性判断は異なっていたと考えられるが、
「女性語」と呼ばれるものがどのようなものであるのかについてはある種
の規範意識が共同の幻想として存在していたと言える。しかし、現在では
従来男性的な表現とされていたものを取り込む形で女性の使う言葉のバリ
エーションは拡大の方向にある。陣内(1998: 52)は、「その変化は表面
的には女性語の男性語化として捉えられているようですが、実際には「女
性語の多様化」と見るほうがより適切だと思われます。」と述べている。
女性がいわゆる男性的な言語形式を使ったときに、聞き手がどのように
感じるかが大きく変わったと言えるだろう。感じ方には世代間の差がある
だけでなく、同じ人間であっても年月とともに感じ方は変化していく。筆
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者自身の感覚を内省してみても、前掲の論文を執筆した1990年当時には、
若い女性が「さん」をつけずに「鈴木、元気?」のように姓だけで呼びか
けたり、「昨日、鈴木と会ったんだけど」のように人を指したりすること
には「乱暴な言葉遣い」「男性的な人物」という印象を持っていたが、
2010年の現在では若い女性の言葉遣いとして特に乱暴であるとは感じなく
なっている。
このような変化に対して日本語教育がどのような対処を行うことができ
るのかは、なかなか困難な問題である。理解と使用に分けて考えるなら、
理解については以下の対処が考えられる。
いずれの場合も、会話の教育の教材においては、音声を文字化して表記
すると、音調等の重要な要素が示されず、実際と異なる印象を読み手に与
えることになるため、できるだけ音声・映像とともに紹介することが望ま
しい。
1)教科書等の会話文中の女性の発話を女性的な言語形式から中立的な言
語形式を使用したものへと変更し、現実に日本で使われている学習者
の年齢層に近い女性の発話に近づける。
2)日本語のバリエーションとして、女性的な発話、男性的な発話を紹介
し、その特徴を示す。
3)小説やテレビのドラマ等に現れるいわゆる女性語に関しての知識が中
級以降の学習者に対しては必要となる。
使用に関しては、更に複雑な問題が絡む。男女差が問題になるのは主に
普通体の会話であるので、学習者が丁寧体で話している間は大きな問題が
生じない。普通体で話す場合には、学習者自身がどのような話し方をした
いのか、自分自身をどのような人物として表現したいのかが重要になって
くる。金水(2003)では、アニメやマンガ、小説等の登場人物のキャラク
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ターを典型的に表す言葉遣いを「役割語」と呼び、博士語等のステレオタ
イプ化された話し方とそのイメージについて論じられているが、役割語に
限らず、どのような場合でも、どのような話し方をするかが聞き手が抱く
話し手のイメージに影響するという点では同じであり、日本語学習者がど
のような日本語を話す必要があるのかという問題に関わってくる。
学習者が日本語を職場や学校で使用する必要がどの程度あるのか、そこ
ではどのような日本語が話されているのか、学習者自身が自分自身をどの
ようなイメージでとらえているのかが、日本語のバリエーションの選択に
関わることになる。場合によっては、方言で話される普通体の会話の方が
重要になってくるかもしれない。学習者が外国語としてだけ日本語を学ん
でいた時代とは異なり、職場や学校で生活に必要な言語として学ぶ学習者
が出現した時点で、今までとは異なる配慮が必要となってきたと言うこと
ができるだろう。
2.2.2
言語行動の変化
言語に対する意識の変化の例として、男女差以外に言語行動に関わる例
を挙げておきたい。機能シラバスを中心とした教育は、コミュニケーショ
ンを中心とした日本語教育では常道となっている。しかし、これまで日本
的な特徴として捉えられてきた「何もございませんが、召し上がって下さ
い」「つまらない物ですが」のような謙遜の例などは、日本社会における
言語行動そのものの変化を考えると以前ほど重要でなくなっている。この
ことは、生活様式の変化とも関連しており、このような言語形式が適切な
場面そのものが日常生活において減少しているのかもしれない。お中元、
お歳暮といった贈答の習慣も簡素化し、デパートから直接内装される場合
が多く、お宅を訪問して直接手渡すということは少なくなっている。
その他にも、ほめに対する応答などの変化が目立つ。「A: 日本語がお
上手ですね」「B: いいえ、まだまだです」というような決まり切った応
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答も時代に合わなくなってきている。「愚妻」「豚児」といった語彙も死
語になりつつあり、家族をほめられた場合などにも、感謝表現を使うだけ
でも十分である。言語行動の対照研究も進み、日本語の特徴も次第に明ら
かになってきているが、日本語教育においては、それらの特徴を取り入れ
ると共に、逆に日本語そのものが変化し、従来特徴とされてきたことが、
以前ほど重要でなくなってきているという現象にも注意を払う必要がある。
ここで例に挙げた「ほめに対する応答」なども、フォーマルな場面で行わ
れるのか、ごく親しい間で行われるのかによっても大きく異なる。教科書
では、フォーマルな場面が提示される傾向が強いが、ほめに感謝で答える
ような場面を平行して提示するような工夫が必要であると言える。
2.3
生活様式の変化がもたらす日本語の変化
生活様式の変化は、教科書でどのような状況・場面を設定するかに関わ
る。手紙はe-mailや携帯メールに、固定電話は携帯へと生活様式は変化し、
スーパー形式の店舗やカウンターで先に商品を買う飲食店も増えた。従来
の教科書の定番であった切手を買うという場面の設定も時代に合わなくな
っている。買う物も変わり、買い方も変わり、そこで学習者が話す必要が
ある内容も変わる。「カードは使えますか」「どこでチャージできますか」
というような今までにない語彙や表現が必要になる。
従来の手紙の書き方の指導だけでなく、e-mailの指導も必要になってい
る。友人にe-mailや携帯メールを送る場合と、ある程度フォーマルなemailをよく知らない人に送る場合の違いなどをシラバスに組み込む必要が
出てきている。現在でも、e-mailを使った海外からの連絡に「拝啓、敬具」
を使う学習者も見受けられるが、今後は、補助教材だけでなく主教材にお
いても、手紙の書き方とともにe-mailや携帯メールの書き方も扱うことが
必要となる。
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携帯電話の普及は、単にコミュニケーションの媒体が固定電話から携帯
電話に変わっただけでなく、言語行動の様式そのものの変化をもたらした。
電話は個人にかかり、相手の名前はディスプレイに表示されるから「もし
もし」「○○さんですか」「はい、○○です」の部分は省かれる。友人と
の待ち合わせなども、おおよその時間と場所だけを決めておき、あとは近
くまで行ってから「今、どこ?」ということになるか、家から「今から出
る」という電話や携帯メールを送るということが起きる。行動そのものの
手順も変わり、それにともなう言語行動も変わるということが起きている。
職場においても、学校においても、電子辞書、ワープロ、パワーポイン
ト、エクセルの使用は常識となり、作文教育のあり方、発表等の技能など
アカデミック・ジャパニーズの内容にも変化を与えている。一般の日本語
学習者もインターネット環境に広く接しており、アカデミック・ジャパニ
ーズだけでなく、一般的な日本語教育(JGP)においても、早い段階から
インターネットの使用を扱うことが求められる。現在でも既に、個々の教
員や日本語教育機関が取り入れているが、今後は主教材のシラバスに組み
込むことが考えられてよい。
生活様式の変化は、文法の変化が日本語そのものに対する局所的な影響
を与えるのとは異なり、教科書や教室作業の中で扱われる場面・状況の変
化をもたらし、使用される表現、語彙、さらには談話の展開にまで影響を
与える。また、インターネット環境の普及は、JFL環境で学ぶ海外の日本
語学習者に、教材以外の生の日本語と膨大な情報に触れる機会を増やして
いる。
3.
まとめにかえて
本稿では、日本語の変化を、1)言語形式に関わる日本語の変化、2)言
語に対する意識の変化、3)生活様式の変化がもたらす日本語の変化の三
つに分けて、どのように日本語教育に影響を与えるのか、どのように対応
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する必要があるのかを考えてきた。日本語教育においては、1)言語形式
に関わる日本語の変化、つまり文法の変化よりも、2)言語に対する意識
の変化と、3)生活様式の変化がもたらす日本語の変化が与える影響の方
が大きい。これらは、提示する会話文の状況設定、会話の展開、扱うべき
コミュニケーション上の機能など広範囲に影響を与える。また、同時に電
子辞書、ワープロ、パワーポイント等が日本語教育にすでに導入され始め
ている。
カナダのようなJFL環境で学ぶ場合と日本国内のJSL環境で学ぶ場合に
は、生の日本語と接触する量が大きく異なるため、日本語の変化に対する
対応にも違いが必要かも知れない。しかし、海外においても、インターネ
ット環境の普及やビジターセッションなどを利用した日本語母語話者との
接触も増えていることを考えると、JFLとJSL環境の違いも従来ほど大き
なものではない。JFL環境の日本語教育においても、1)日本語および日
本について、日本国内の新しい情報を伝えること、2)現実の日本社会の
日本語に対する意識と大きく異ならないことが今後は更に必要となる。
本稿では触れなかったが、若者語、外来語、時事的な語彙など、盛衰が激
しいものについては、日本事情の一環として扱うのがよいと思う。
(追記)
パネルディスカッションでは、日本語の変化にはどのようなものがある
かを中心にお話ししたのだが、今回原稿として再構成してみると、それら
の変化が日本語教育とどのように関わるかという点に重点が移ってしまっ
た。パネルディスカッションでお話ししたこともなるべく漏らさないよう
にしたつもりだが、パネルディスカッションの続編として読んでいただけ
れば幸いである。参考文献には、手に入りやすく、興味深く読んで頂けそ
うなものを選定し、若者語に関する文献(山口 2007、米川 1998)も付け
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加えた。パネリストとしての発表と執筆の機会をお与え下さったCAJLEの
皆様に心より感謝を申し上げる。
参考文献
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金水敏(2003)『バーチャル日本語―役割語の謎―』岩波書店
城生佰太郎(1992)『ことばの未来学―千年後を予測する』講談社
陣内正敬(1998)『日本語の現在:揺れる言葉の正体を探る』アルク
鈴木睦(1989)「いわゆる女性語における女性像」『近代』67, 1-17 神戸
大学「近代」発行会
鈴木睦(1993)「女性語の本質-丁寧さ、発話行為の視点から-」『日本
語学 臨時増刊号 世界の女性語・日本の女性語』148-155 明治書院
鈴木睦(2007)「言葉の男女差と日本語教育」『日本語教育』134, 48-57
日本語教育学会
諏訪春雄編(2006)『日本語の現在』勉誠出版
田中章夫(2007)『揺れ動くニホン語』東京堂出版
日本語ジェンダー学会(2006)『日本語とジェンダー』佐々木瑞枝監修
ひつじ書房
野口恵子(2004)『かなり気がかりな日本語』集英社
山口仲美(2007)『若者ことばに耳をすませば』講談社
米川明彦(1998)『若者語を科学する』明治書院
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