一人ひとりを大切にする医療を実践 多職種参加の

い の ち
大医学 部 に そ う し た 考
総合診療科副部長を歴任し、
担当主任、専任講師、助教授、
慶應大学病院で内科の研修医
に取り組みました。その後、
いと考えています。
図り、地域の方々に貢献した
護老人ホームなどとも連携を
設武蔵野徳洲苑や他の特別養
し、隣接する介護老人保健施
事態はできるだけ減らさ
ありませんが、こうした
見落とし回避は容易では
で取り組む。2人は高校
外科部長がタッグを組ん
科部長と伊藤泰雄・小児
患でも病態はさまざまで、 これには佐藤正昭・小児
ニング(選別)し、必要
要とする疾患をスクリー
療に対応、専門診療を必
く小児医療の要望も多い。 器だが、すべての小児医
周辺には子育て世帯が多
があれば専門病院を紹介
っていく考えだ。
と情報交換しつつ向き合
や教育機関、児童相談所
害に対し、専門医療機関
や不登校、虐待、発達障
体面だけでなく、いじめ
すぐに内科の ロ ー テ ー シ ョ ン
救急外来の開設にも参加。さ
断らない医療、
シームレス
(複
ポートしたいと考えるのも、
師会と連携し、在宅医療をサ
最終地点ではありません。医
患者さんにとって、病院は
確認するなど、重症例の
ERの患者さんの様子を
の責務を強調。定期的に
次救急を担う武蔵野病院
ねばなりません」と、二
て お り、
「連携はばっち
など互いの呼吸がわかっ
は、ともに教授を務める
職の国際医療福祉大学で
時代からの同級生で、前
に尽くします」と伊藤部
使命のひとつ。早期発見
見つけるかが市中病院の
「重症疾患をいかに早く
する。
るよう患児とじっくり向
ならないSOSに気付け
とができません。言葉に
っても、それを訴えるこ
「小さな子どもは何かあ
循環器、伊藤部長が消化
え方は 希 薄 で し た 。
腎臓内科と透析センターを新
研修を実施し て い る 慶 應 義 塾
らに地域医学・医療センター
いしざきたか し
(1面から続く)
から帰 ら れ た ば か り の
私は最初から医師を志した
大学医学部内 科 学 教 室 の 門 を
阪本副院長は「同じ疾
臨床薬理学の石崎高志
設する埼玉医科大学腎臓内科
4年 生 の 時 に 、 米 国
先生に 勧 め ら れ 、 卒 後
わけではありません。祖父も
たたきました 。
長は意気込む。
き合う医療を提供してい
ットパネルディテ
思いは熱い。
きます」と小児医療への
りだと思います」と口を
の心の問題にも腐心。身
また、佐藤部長は小児
見落としをカバーする体
専門領域は佐藤部長が
数のサービスを切れ目なく統
メリットがある。術者は
の立ち上げにも加わりました。
救急医療に加え、同院
マルチモニターに映る解
そろえる。
武蔵
像度の高い血管画像を見
制を敷く方針だ。
野病院
ながら、治療を正確・安
合して利用可能)な医療の実
地域において、当院のひと
きよ
り勝ちは求めていません。医
は救急
全に進めることができる。
埼玉医科大学在任中は丸木清
埼玉医大時代は臨床主体で、
教授に就任しました。
父も医師でしたが、生命工学
年前から徳洲会と付き合い
に興味を抱き早稲田大学理工
学部応用化学科に進みました。
ら せん
DNA(二重の螺旋構造をも
夫妻には、ことのほかお世話
師会にも加入するつもりです。
医療を
践にほかなりません。
になりました。ここ1年は緩
ひろ
慶應大の最 初 の 2 年 間 の 研
和医療を学んできましたが、
はじめ
クター(FPD)
せきつい
を有し、胸部・ 腹
部に加え、撮影範
囲の広い脊椎など
整形外科領域でも
す音響設備も用意した。
同院放射線科の責任者
である濱野浩二・副技師
濱野・副技師長は「地
力を発揮する。
科、健
各診療
浩先生(現・名誉理事長)ご
修では消化器 内 科 は 水 野 嘉 夫
福島・副理事長がきっかけに
かれたのですが、担当教授か
先生に、循環 器 内 科 は 米 国 か
すでに警察署や消防署にも挨
ひ
ら「今はやるつもりはない」
日本の緩和ケアは患者さんを
拶にうかがいました。
つ遺伝情報を担う物質)に惹
と言われ、専門課程に移った
ら帰国した綾 部 隆 夫 先 生 に 、
孤独にさせがちで、ご家族が
みず の よし お
ところで医学部の受験を決意
マンツーマン で 米 国 式 教 育 を
そばにいることができるケア
す。外来や入院患者さんの意
見に耳を傾けながら、平均在
しますが、若 い 頃 に 教 育 の 重
あや べ
しました。自分の目指す道が
教え込まれま し た 。 武 蔵 野 病
を模索しています。
現代はチーム医療の時代で
開けるかもしれないと考えた
院は臨床研修 指 定 病 院 を 目 指
北国ならのんびりできるか
徳洲会との付き合いは、
からです。
院日数7日を目指します。単
血流や代謝などから臓
年前に同じ北大医学部出身の
長は「心臓だけでなく、
要性を自ら体 験 し た こ と が ベ
診・人
もと思って北海道大学医学部
ペ
域密着型の病院として、
ス
患者さんとのコミュニケ
ト
ECT装置は、CTとの
器の機能を確認するSP
ク
腹部や脳の血管造影も行
に患者さんが来られるだけの
うことのできる汎用性の
福島安義先生(現・一般社団
病院は目指していません。
間ドッ
ースとなって い ま す 。 慶 應 大
一人ひとりを大切にする医
クまで
に入ったものの、当時は学生
法人徳洲会副理事長)が埼玉
療こそ重要で、これには質が
一体型(SPECT C
–
ーションを大切にしなが
高い装置です。心臓の動
での2年間の 研 修 後 、 川 崎 市
医大に来られ、茅ヶ崎徳洲会
幅広く地域医療を支えて
運動の最盛期で大学は封鎖。
総合病院の医師をサポートし
ら、親しみをもっていた
立川崎病院に 異 動 。 さ ら に 2
T)を導入。SPECT
年後には慶應 大 学 病 院 に 戻 っ
きにともなう残像を低減
いつ始まるか見当も付かず、
器を多数導入した。
、多田
用いるマンモグラフィは、 献 し て い き た い 」
たいです」と抱負を語る。
堅主任は「医療スタッフ
大住崇主任は「チームと
間での情報のフィードバ
きるため、より正確な診
28スライスの装置を導
従来機にはない断層画像
ックなども大事にしてい
断に貢献する。
入。撮影したCT画像の
を撮影できるトモシンセ
列・1
ンチの大型マルチモニタ
データから、3D画像を
シスという機能を搭載。
層撮影装置)は
CT(コンピュータ断
いくため、最新の医療機
授業を受けたのは医学部の2
求められます。久々 湊 智予・
イ
ーを備え、バイプレーン
構築する高度な画像処理
(血管造影)装置は
治療室に入れたアンギオ
心 臓 カ テ ー テ ル 検 査・
だけるよう、スタッフ一
てほしいと言われたのが最初
看護部長の提案で、多職種が
とCTのフュージョン(融
て、助手とし て 働 く か た わ ら
です。武蔵野病院院長にとお
参加する医療・看護チームを
する機能なども備わる高
腎臓と内分泌 の 領 域 を 学 び ま
話をいただいた時は、半年間
システム(X線の照射装
ワークステーションを組
きたい」とそれぞれ意気
私は長い医師生活のなかで、
被ばくや造影剤量の低減、 鳴画像診断装置)は1・
しやすくなります」とマ
は見えにくい病変も発見
従来のマンモグラフィで
も患者さんの負担を
ることから、少しで
査中に大きな音がす
は2台導入。大型のフラ
X線一般撮影システム
十嵐瞳・診療放射線技師。
師A評価の資格をもつ五
ンモグラフィ撮影認定技
して一致団結し地域に貢
キーワードは3つ。挨拶と
置と検知器を両端にもつ
1㎜間隔の断層画像を得
込みを語っている。
を設置。MRIは検
撮影時間の短縮といった
5テスラの高性能マシン
乳がんの検査・診断に
きちんとした服装、そして人
Cアームが2台ある)を
み合わせ、診療をサポー
ら れ る。
「乳腺に隠れて
結成し、医療や看護の質向上
く みなと と も よ
年生になってからのことでし
した。高血圧 の 病 態 解 明 の 研
の猶予をもらいました。
く
た。内科を選んだのは、臨床
究をしたいと考え、猿田享男
丸となって努力していき
実習で外科手術の血の海を見
講師(当時) か ら 公 私 と も に
性能機です」とアピール。 合)画像を得ることがで
て野蛮なことをやっていると
の悪口を言わない。これが、
採用。1回の撮影で2方
トする。MRI(磁気共
さる た たか お
私には思えたからです。また
動物実験で は 近 藤 和 興 先 生
患者さんを大事にすることに
向から同時に撮影でき、
地域の方々に貢献していく
した。私が望んだのは、細菌
から米国流の 研 究 を き っ ち り
患者さんを断らない医療を目
つながっていきます。
かずおき
学の父である北 里柴三郎が示
たたき込まれ ま し た 。 年 か
指してきました。武蔵野病院
きたさとしばさぶろう
したように、基礎研究を臨床
は病病連携、病診連携を強化
皆で頑張りましょう。
ら3年間、米 国 の ク リ ー ブ ラ
徳洲会入職以前から患者さん断らない
和らげるため、ヘッ
1.5 テスラ MRI を導入。負担軽減のため
音響設備も整えた
を図ります。
断層画像を撮影できるトモシ
ンセシス機能を搭載したマン
モグラフィ
ンドクリニッ ク で 臨 床 と 研 究
64
ドホンから音楽を流
汎用性の高いアンギオ装置を
導入
81
病病・病診・医介連携図り
指導していた だ き ま し た 。
マンモグラフィで断層撮影も
に応用するというものでした。
58
20
基礎医学の授業にも失望しま
地域医療支える
各種機器を導入
20
しかし残念ながら、当時の北
ひ ろ み ち
き
す ず
一人ひとりを大切にする医療を実践
多職種参加のチームつくり質向上へ
武蔵野徳洲会病院院長
鈴木洋通
平成 27 年 5 月 18 日 月曜日│No.980 ❷
聞
新
洲
徳
生 命だけは平等だ