一 月刊・共有船 ― 窓“) /V9ヽ ご∂古ごか 印 〈連載四 〉 「にっぼん丸」の 「飛んでクルーズ沖縄」に 乗船 大阪府立大学21世 紀科学研究機構 特認教授 池 田 良 穂 定年退職 した記念に、 クル ーズ客船「に っぽん丸」による沖縄周辺の離島 クル ーズ に乗船 した。商船三井客船の運航する美食 の船「にっぽん丸」は、邦船 としては初 めて、 飛行機 と船旅 を組み合わせたフライ&ク ル ーズで、かつ同 じ港 から定期的にクル ーズ を行 う定点定期クルーズ を行ったことは周 「飛 知 の通 りで、北海道小樽を起点とす る んでクル ーズほっかいどう」によ り、幅広 いクルーズ客層の拡大 に大いに貢献をした。 この「にっぽん丸」が、 日本各地の者ほ 市か ら 那覇空港まで飛行機で移動 して、那覇港起 「飛 んでクル ーズ 点のクル ーズに乗船する おきなわ」を 4月 上旬 か ら実施 してお り、 ちょうど定年直後の時期で もあってその内 容を物色 していたところ、その中で も、大 東島に寄港す る 3泊 4日 のクルーズに筆者 の心が動いた。大東島は沖縄本島か ら西に 300kmほ ど離れた絶海 の孤島で、南北 に 2 つの島から成っている。那覇からは貨客船 「だいとう」が定期的に通っているが、絶壁 に囲まれた島で、船からはクレーンに吊り 下げられたゴン ドラに乗って上陸す るとい う。荒れると何 日も帰 られなくなるとい う -34- こと もあるとの ことで、 まだ一度 も行 った ことがなか った。 新糸満造船で修理中の各種の船舶。左上に映るの 「フェリーざまみ」 が さて、関西空港 か らの飛行機 は、沖縄本 島の太平洋側 を南下 して、南 の海上を回 り なが ら北上 して那覇空港へ と進入 した。 こ の進路 をどると、着陸の直前 に糸満市 の上 空 か ら新糸満造船の革新的な造船所 の様子 が見える。以前は、離着陸時にはデジカメ の撮影 ができなかったが、今では写真撮影 ができるようにな り、古い機械式 のカメラ を持参 しな くて も自由に写真 が撮れ るのが 嬉 しい。船台の上には修理中の数隻の船 が 乗ってお り、その中には那覇 と座問昧村 を 一 月刊・共有船 ― 結ぶフェリーの姿 も見えた。乗船す るクル ―ズでは座間味島にも行 くが、 ドック中の 「フェ リーざまみ」の雄姿 は島では見 られな いことにな りそうだ。 夕刻、新 しいクル ーズ客船 ター ミナルに て「にっぽん丸」に乗船。何度 も乗船 したこ とのある船だけに、なんとな く家に戻 って きたような感慨 がわ く。出港前にボー トド リルが行われ、続 いてプロムナー ドデ ッキ での出港パーテ ィで盛 り上 がる。最初 の船 上でのデ ィナーは、和食会席。 ただ、和食 「にっぽん丸」名物 と のフル コースの中にも い うロース トビーフが、追加 して頼 めるよ での上陸ができる港の沖 に停泊 して再度救 命艇を下す ことを試みるが再び難 しくて断 念。その後、島からの提案で、島の遊漁船 を使っての上 陸を試みることとなった。慣 れ た遊漁船 はなんな く漁港 を出て、「に っ ぽん丸」の近 くまで来 られたものの、 うね りの中で船側 に張 り出 した乗下船用 タラッ プヘ の接岸 が難 しく、 ロープはとれた もの の、漁船 の船体は大 きく揺れてとて も老齢 者 の多い乗客 を安全に乗 り移 らせ ることは できそ うもない。港 までの小型船 での航海、 そ して港 口付近 の うね りの大 きさもあ り、 船長は、苦渋 の判断で、テ ンダーサー ビス の中止を決めた。 うになっていた。食事の後 は、落語 とバ ン ド演奏 と続 いた。 大歓迎で迎 えようとしていた南大東島 か ら、 それでは、 村 の歓迎団が遊漁船 で「に 翌早朝、船 は南大東島の近 くを低速で航 っぽん丸」を訪れ るとい う提案があった。 行 していた。昨晩 か ら雨模様 が続 いてお り、 北 か らの うね りなので、「にっぽん丸」を島 の南海城 に移動 させて くれれば、島の南港 海 も結構荒れていて、夜間の航海中はよく 揺れていた。朝 になってだいぶ風は収 まり、 か ら船に乗ってや って くるという。遊漁船 は、人や特産物 を岸壁上で積み込んでか ら、 海面 はだいぶ納 まってきていたが、昨晩の 低気圧 の前線通過 の影響で、海面にはうね 陸上のクレー ンで そのまま海面 に降ろす と りがかな り残っていた。南大東島は大型船 が着岸 できる岸壁 がないので、沖合 に止め て本船搭載 の救命艇 による上陸 となる予定 になっていた。朝食 をと りなが ら、窓の外 の救命艇 の降下作業 を見ていたが、何度 も 救命艇 を下す ことが試み られたものの、そ の船底 を波が叩 くために海面 に降ろす こと ができない。ついに午前中のテンダーサー ビス を諦めて、午後 に再 トライす ることと な り、船 はゆっくりと南大東島 と北大東島 の周 りを 8の 字型 に周遊 して、海上 か ら両 島の様子 を見学することとなった。 午後 に再 び、島の北 にある唯一テンダー -35- い う。 この光景 は、船上 からも見 ることが できた。そ して次 か ら次に遊漁船が海 に降 ろされては、村長以下、本 寸の人 々がやって きて、船上 での歓迎 セレモニー、島唄の披 露、物産展 などが行われ た。その歓迎ぶ り に感動 した船客は、少 しで も島の物産 を購 入 しようと、物産展 には人だか りが絶 えな かった。 クル ーズ船 で行 く離島の旅 は、 こ うした、上 陸ができないとい う不安要素が どうしてもつ きまとう。そのためには、洋 上で多少 の波 の中で も安全 に乗 り移 ること ので きるシステムの開発 が必要そうだ。 こ れ は、造船学的には結構面白そうな技術課 一 月干u・ 共有船 ― 登登0翌翌釜綺繊底 鞭 釜継綺繊釜翌継翌繊翌繊繊繊釜繊鶴 ま 鱗電 0ま 玲 症 春 弱 薫 鰐 済 螢 済 鑑基紫銘懇鍬鋸弱銘 状況 となること もあった。 また、船 に近づ いて着船 を待 つ救命艇 は、波 に操 まれて大 題 だ。 揺れ を してお り、下船 を待 つ乗客 にはつ ら そ うな状況 となっていた。 ここでは、テ ン ダー ボー ト兼用 の救命艇 については、耐航 性能 の 向上 が求 め られてい るように思 う。 一般 に救命艇 は、安全 を確保す るために十 分 な復原性能 は あるものの、丸 い断面形状 をもつ ために横揺れ は大 きく、 さらに船首 が鈍頭形状 のため前進時の縮揺れ が激 しい。 また、風 に対 して直角 に船体 を維持 して い るため、風圧力が大 きくな り、一 時走錨 「にっぽん丸」の洋上乗下船台 (左 )と 、周 りに集ま る南大東島の遊漁船 も発生 して、錨 の打 ち直 しをす るとい う事 態 も生 じた。サイ ドス ラスター等 を使 って、 錨 にかかる力 を低減す る手法や、定点維持 と共 に、風や波 に対 して、テ ンダー乗下船 ■ !一一 システムの まわ りが常 に静穂水域 となるよ うなダイナ ミック・ポジ ョエ ング ・ システ ム もクル ーズ客船 には必要そ うだ① ! ャ it 141'│ i予 │ │_ 中 務 t ク レー ンに 吊 り下 げ られて人 ご と岸壁 に挙 げ られ る遊 漁船 翌 日は、国立公園 に もなった慶良間諸島 の座間味島に寄港 で、 こちらも沖合 に停泊 してテンダーサ ービス となった。島々に囲 まれた水域 で「にっぽん丸」はアンカリング を した ものの、風 が強 く短波長の波 が外界 か ら入 って くる状況であった。「にっぽん i I!響 ■ギ i・ ヤ │ i ■ + 4 [ │ 二:モ セ1芸 波の中で大きく揺れながら乗客を運ぶ救命ボー ト この よ うにクル ーズ を楽 しみなが らも、 離島 クル ーズに実際 に乗船 してみ ると、造 船技術者 としてや るべ きテ ーマが次 々 と見 丸」は、船体 を風 と波 に直角 に立てて、風 えて くるのにわ くわ くと して しまった。 一 下側 に静穂 な水域 を作って、救命艇 を下 し、 緒 にクル ーズ を楽 しんでいた家内は、「退 テンダーサー ビス を始めたものの、相対運 職 して も相変わらずの船好きだね」と、横 ま激 しく、日 動ヤ 寺には乗 り移 ることが難 しヽヽ で苦笑をしていた。 鶴 継 鞭 鑑 織【 寵 鑑 鞭 繊:韓灘 ※館銘麒 継 鵡 鶴 灘 鶉 鎌 繊 鎗 -36- 総 紬 錨 電 親 鞭 一 月刊・共有船 ― 「にっぼん丸」 慶良間諸島の中に錨泊する シ ップ リサ イクル条約 の解説 と実務 かわった関係者 が共同 して執筆 した。 大坪新一郎 加藤光一 仲41a靖 男 成瀬健 共編著 さらに本書で は、 国際海事分野での政策 研究 のケ ースス タデ ィと して も活用で きる 船舶 の安全 な解体 と環境保全 の見地 か ら、 よ う、「規制 の最終結果」だけではな く、 国 2009年 5月 に「安全 かつ環境上適正 な船舶 際交渉 の経緯や 日本が とって きた交渉戦術、 の リサ イクル のための 国際香港条約 (シ ッ 交渉 に影響 を与 えた主 要 プ レイヤと の立 場 プ リサイクル条約)」 が採択 された。 とその変遷 について も詳述 している。 船舶 リサイクル施 設で の死傷事故や環境 カ プリツ クル条約 へ の悪影響 をで きる限 りな くしてい くには、 の 解説と案簿 条約 の早期発効が重要である。 またシ ップ リサイクル条約 を確実 に履行す るには、 行 政機 関や船級協会 は もとより、船主、 リサ イクル施設、舶用機器サプ ライヤ ー、造船 所、 インベ ン トリ作成専門家 などの理解 と 準備 が求 め られ る。 本書 は、 この ようなシ ップ リサイクル 関 係者 の理解 と条約発効前 の準備 に資す るた め、 シ ップ リサイクル 条約 の策定 に直接 か -37- ‐F母 段 車報撃 穀 申 軒辞神 呻 t=ヽ 確 寄韓怒 崎譲 「 41鞠 申 A5判 /342頁 /定 価 本 体 4,800円 (税 別 ) 発行所 :側 成 山堂書店 〒160-0012東 京都新宿区南元町年51成 山堂 ビル TEL:03(3357)5861 FAX:03(3357)5867 ご注 文 ア ドレス :Order④ sdzando.co.jp 一 月 刊・ 共 有 船 一 時 け ヽ子 が″ ヽ ▼ ― 声 す。 '― 〈連載國 〉 神戸発 着 の 「ボイジャー・ォブ・ザ・シーズ」 に乗 る (そ の 1) 大阪府立大学21世 紀科学研究機構 特認教授 池 田 良 穂 世界 の クル ーズ界 の 2大 巨頭 とい えば、 カーニバ ル とロイヤル ・ カ リビアンのグル ープで、 それぞれ傘下 にクル ーズ運航会社 を抱 え、 マーケ ッ トシェアはカーエバ ル が 43%、 ロイヤル ・ カ リビアンが24%で 、 こ の 2グ ル ー プで 世界 全 体 の マ ー ケ ッ トの 67%を 占めてい る。 この 2グ ル ー プの傘下 企 業 が2006年 以 シーズ」が 日本起点 のクル ーズ を企画 して いた。その中に神戸発着 の沖縄 ・台湾 クル ーズがあった。パ ンフレッ トには、 この 7 日間のクル ーズが「109,800円 か ら 1!」 と い う文字 が躍っていた。 さっそく、 日本 ク ルーズ&フ ェリー学会 の会員 に も声 をか け て、 このクルーズに乗船することとした。 降、東 アジアに進出 して活発 に活動 を して い る ことは周矢日の とお りで ある。 カ ーエノヾ ル傘下 では、 コスタ・ クル ーズ とプ リンセ ス・ クル ーズが、 そ して ロィャル ・ カ リビ アンではロイャル・ カ リビア ン・イ ンター ナ シ ョナル とセ レブ リテ ィ・ クル ーズが、 中国 または 日本起点の定点定期 クル ーズ を 行 ってい る。 こ うした現代 クル ーズの東 ア ジア展 開 に伴 い、 中国のクル ーズ人 口は 0 か ら急 増 して、110万 人 を超 え、 長年20万 人程度 だ った 日本 のクル ーズ人 口 もようや く増加 に転 じてい る。 さて、 この 5月 の ゴール デ ンウィー ク前 後 に、 ロイヤル ・カ リビアンの14万 総 トン の クル ーズ客船「ボイジ ャ ー ・ ォブ ・ ザ ・ -40- 日本 発着 クル ーズ の パ ンフ レ ッ ト 一 月刊・共有船 ― 「ボイジャー・オブ・ザ・ 2015年 5月 7日 、 シーズ」に神戸から乗船 した。 このクル ー ズは東京からも乗船でき、5月 13日 に神戸 に帰着 した後、 さらに横浜 まで戻 る。 日本 の関東 と関西の 2大 都市圏で集客するとい う日本では珍 しいクルーズであった。 同船 は1999年 にフ ィンラン ドのクバ ナ ーマーサ造船所で建造 され、 完成当時 は、 世界最大かつ画期的な船 として脚光を浴び、 最近、大改装 して リニューアル されている。 同船 については、筆者が、完成直後の同船 にカリブ海 で乗船 し、「フェリー・客船情 着岸後 の同船 報2000」 (船 と港編集室発行)で 詳 しく紹介 しているので、その コ ンセプ トやカリブ海 でのクル ーズの様子 についてはそちらをご 参照いただきたい。 さて、14時 半、巨大 な同船 が神戸港 に姿 を現 した。ポー トター ミナルは、乗船する 人、同船 の姿 を写真に収める人 々で埋め尽 くされていた。 16時 過 ぎか らター ミナルでの乗船受付 が 行われた。書類 を提 出 して、パ スポー トを 預け、ル ームキーか ら船内キャッシュカー ドまでの機能 をもつ ボーデ ィングパ ス をも らい、いよいよ乗船。 日本人乗客 が約2000 人、外国人 が約800人 とい うことで、 同船 の定員 からす ると、 まだ300人 ほどの余裕 がある状態 とい うこととなる。 出迎えの人々 船 の幅 は39m、 長 さは31lmあ るか ら船 内 はとにか く広 い。キャビンの ある 9階 のエ レベー タホ ールに降 りた ものの、キャ ビン をみつ けるのに一苦労 しそ うと思 った とこ ろに助 け舟があった。 エ レベ ー タ横 の電光 パ ネル に 自分 のキ ャ ビン番号 を入れ ると、 画面上 に最短 ル ー トが表示 され るようにな っていた。 この電光掲示板には、 この後 も しば しばお世話 になった。 最初 の夕食 は、東京 か らの乗客 が神戸観 光 に出か けていることか ら、 フ リーシ ッテ ィングで あった。神戸 で乗船 した学会員 の 方 々と共 に、船上での最初 のデ ィナーを堪 「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」 神戸港に姿を現した -41- 能 した。 19時 半 か らボ ー トドリル が あ り、21時 に神戸 を出港 して、船は沖縄へ と針路を向 けた。船内の中央 を船首 か ら船尾 まで貫 く、 一 月刊・共有船― 4層 吹 き抜 け の ア ー ケ ー ドで はパ レー ドが 行 われ 、船 内 は大 い に華 や いで い る。 乗 客 リ ッ ジで Teige船 長 とMuresuホ テ ル ・ マ ネ ジ ャ ー にお 話 を伺 う。船 長 は ノル ウ ェ ー 出 の フ ァ ー ス ト・ イ ンプ レ ッ シ ョ ンは なか な 身、 ホ テル ・ マ ネ ジ ャ ー は イ タ リアの 出身 かの ものだ。 プールサイ ドに上がると、船 内の賑やか との こと。 い ろい ろと興 味深 い話が聴 けた さとは対照的にひっそりとしていた。お気 に入 りのスクーナー・バーで、会員の方 々 らとグラス片手 に歓談 し、「ボイジャー・ オブ・ザ・ シーズ」の船上 の夜 は更けてい った。 が、その内容については 日本 クルーズ&フ ェリー学会の会誌で言 ¥し くご紹介 したい。 続いて、会議室を借 りて、学会の視察参 加者 6名 で、「ボイジャー・オブ・ザ・シー ズ」が建造 されたときに作成 されたDVDを 鑑賞。 いかなるコ ンセプ トで、 この巨大船 が造 られたか を紹介 した興味深 いビデオだ。 夜 の プ ール サイ ド ブリッジでの船長、ホテル・ マネジャーヘのイン タビュー風景 筆者のキャビン 翌朝、 11階 の船尾 に あるウィン ドジ ャマ ー レス トランで大海原 を眺めなが らの朝食 を楽 しむ。 この レス トランはブ ュフェ式 で、 料理の種類 も豊富で、 いつ で も食事ができ るので、筆者 もお気 に入 りだが、大 きく改 装 されて とて も綺麗 にな っていた。 この日は 1日 航海 日で、まず10時 からブ -42- 学会の視察団との記念写真 この ミーテ ィングの後、参加者で昼食 を 共 にして情報交換。午後 は、それぞれに船 内イベ ン トに参加 した り、船内調査をした りして過 ごした。 キャビンに戻ると、船長からの夕食のキ 一 月干lj・ 共有船 一 ャ プ テ ン テ ー ブル ヘ の 招 待 状 が 届 い て び っ しか し、 か な り多 くの 乗 客 が 自由行 動 で の く り。 名 誉 な こ とで 、 ち ょっ と緊 張 して し 観 光 を楽 しむ よ うだ。 まう。それであれば タキ シー ドを持って来 るのだった 1!と ちょっと後悔。 この 日の晩 はフォーマル ナイ トで、キャ プテ ン招待 の歓迎 レセ プシ ョンが ロイヤ ル ・プ ロムナー ドで開かれる。船長 との写 真撮影 の後、 ロイヤル ・プ ロムナー ドの中 央 にかかる橋 の上か ら船長 の歓迎 の挨拶 が あった。 20時 か らダイエ ングルームの中央 の、大 きなシャンデ リアの真下 の大 きな丸テーブ ルでの夕食 が始 まった。キ ャプテンテーブ ル に招待 されたのは10名 。楽 しい、で もち タグボー ト ょっと緊張 した食事で あった。食後は、プ ロダクシ ョンシ ョーが あり、カジノも賑わ っていた。 翌 日は沖縄那覇港へ の寄港 日。乗船 して 2泊 3日 目で、朝に起 きると霧 の中の航海 だった。 しか し那覇港 に近づ くにつ れて、 港内で反航 した巡視艇 次第 に霧 は薄 くなり、那覇港 の防波堤 が見 え始 めた。そして関円を入って入港す る頃 には、すっか り晴れわた り、 じっとりと暑 くなってきた。昼間は29度 まで上が るとの 予想がでていた。 港外 でタグボー トに出迎 えられ、港 内で は巡視艇 と反航。波之上宮 の近 くのクルー ズ ター ミナル に定刻 の 10時 よ り20分 ほど 前 に着岸 した。 ター ミナルの桟橋 には観光バ ス14台 が並 んでいた。全部 で最大700人 くらいの座席 数 なので、2800人 余 りの乗客 の割 にはバ スの数 が少 ないよ うに も思 うが、午後 のツ アー もあるか ら、半数 くらいの乗客 はオプ シ ョナルツアーに出か けるのであろ うか。 -43- ターミナルに並ぶ観光バス 10時 前後 には、泊港 か ら渡嘉敷、座間味 粟 国 の各港 へ の フェ リーが相次 いで、泊大 橋 の下 をくぐって 出港 してい くのが キ ャビ ンのベ ランダか らよ く見 えた。 一 月刊・共有船 ― 鞭 翌。輸器】 鎌 釜登織1や 灘終器藩懇懇鑢釜釜釜鱗釜釜笠1釜 金鞭 千 li■ 111ギ 1玉 iⅢ l二 :拝 │二 札差 凍 :ヨ 旨 ほ 巳 こ ` 泊港を出港する「フェリーあぐに」 登金が 鞭 鞭 ェリーの運航調査のために知念半島の安座 間港へ。25分 の航海時間の航路 で、アル ミ 製のフェリー「フェ リー くだか」と高速旅客 船が就航 してい る。久高島 は神 の島 とも呼 ばれ、海蛇 イラブが捕 られていることで も 有名 な島だ。 下 の写真 は安座間港 の全景 と、入港する 「フェ リー くだか」。 。十 基 li!│■ │_iiャ :■ tャ rt 韓 韻 と ∼ !! フェリーざまみ 安座真港 の金景 一鷺 ︲ ﹁ 品 ど ﹁ . 購 な ヤ 酵 単一 i 協︱ 就 t, ・ ・. ・ 主 一 ・, 一 ! 十 ・ 嘘 中 ヽ 翻 、翌 ヽ、 揮将“ . 一 ・ . 粒 ! 1齢i:■ ■ ■ フェリーとかしき 安座真港に入港する「フェリーくだか」 前 日に返却 されたパ スポ ー トと台湾 の入 国 カー ドを持参 の うえで観光 に出 るように その後、糸満港、那覇港 内を車で回った。 土曜のせいか、港 は閑散 としてお り、那覇 との指示 がでていた。観光 を終 えて乗船時 に、 ター ミナル ビルの 中で 出国審査 があ り、 新港 に琉球海運 と近海郵船 のRORO貨 物船 が 1隻 ずつ、南西海運の小型内航 コンテナ さらに台湾 での上 陸許可 も出 され るとの こ との よ うだ。 船 が 1隻 停泊 していた。 「ボイ ジ 次 の写真 は、 那覇港 に停泊す る ャー 。オブ ・ザ ・シーズ」の姿。 上 陸後、近 くの レンタカー会社 で予約 し ていた車を借 りて、まず、久高島に行 くフ 鱗金笠簿】 繊繊笠釜翌釜継鶴 器器番灘簿灘鞠 翌鱗釜釜蕩◇OS終,紛 繊繊0翌登翻臣登登登鞭 -44- 糠 鶏簿簿 一 月刊・共有船 ― 「も` 日本食レス トラン ずみ」 ター ミナル ビルの 2階 での出国検査 を通 って、 パ スポー トを船 に預けてか ら乗船。 いずみの内部 18時 出港予定 だったが、船内に滞在 してい る乗客 の中に出国審査 を していない人 が数 人 い るらしく、 何度 も船内放送 が あった。 定刻より15分 ほど遅れてよ うや く全ての乗 客の出国審査 が終了 し、見送 りの太鼓演奏 に見送 られて出港。台湾 の基隆に向って航 海 を始めた。 新 しいスペ シ ャル ・ レス トランの「とヽ ず 4■ ‐ ヽ にぎりずし アメリカスタイルの寿司 み」で、視察 の会員 と、船上で講演 をす る 上回寿美子 さんで食事 を楽 しむ。 このレス トランでは他 のスペ シャル ・ レス トランと は違ってテーブルチ ャージはなく、注文 し た各料理 について支払 うシステムになって い る。和食 レス トランが売 りで、アメ リカ ンスタイルの寿司 などを楽 しむことがで き た。以下は、「いずみ」の店内 と料理 の数々 を写真でご紹介 しよ う。 -45- 掛 ""口 岩石焼 き
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