2015年度通訳案内士試験 <合格必勝セミナー(4.0)>資料

2015年度通訳案内士試験
<合格必勝セミナー(4.0)>資料
(2015年5月24日)
ハロー通訳アカデミー
植山源一郎
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通訳案内士試験ガイドラインの変更について
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【1】通訳案内士試験<出題方式>変更の伏線
2011年10月~2012年1月にかけて、観光庁にて、<通訳案内士試験ガイドラインに関する検
討会>が3回開催され、通訳案内士試験の<出題方式>などについて議論された。
(非公開だったので、記録も一切公開されていない)
(1) 第1次筆記試験をすべてマークシート方式化すること
→2013年度より、英語の50%がマークシート方式化された。
(2) 第2次口述試験をCBT化すること
CBTとは、Computer Based Testing の略称で、コンピューターを利用した試験の総称を
指す。紙の試験からコンピューターを使った試験にすることで、採点処理や結果通知に要
する時間、コストを大幅に削減することが可能となる。また、紙の試験では実施が難しい音
声や動画を用いた問題を受けることができる。国家資格である情報処理技術者試験の試
験区分の一つである「ITパスポート試験」が、2011年11月から、国家試験として初めて
CBTを採用して注目を集めた。現在、医師が臨床実習の前に受験しなければいけない共
用試験、薬剤師国家試験の共用試験などにもCBTが採用されている。
→数千人の受験者が同日、同時間に受験する現行の通訳案内士試験で、同じコンピュ
ーター環境を準備することは、物理的に不可能なので、CBT化は不採用となった。
(3)省力化の目的
2009年より通訳案内士試験事業を受託実施している株式会社JTBの100%子会社であ
る株式会社ICSコンベンションデザインが、省力化により、利益を増大させたいため。
2015年度通訳案内士試験の試験事業は、観光庁と癒着関係にあるJTBグループの株式会社ICS
コンベンションデザインが、2014年度に引き継いで実施することになっています。しかも、今回は、
2015年度~2017年度の3年間契約(2億3千万円)で、これで、ICSコンベンションデザインは、2009
年度から2017年度まで、9年間に渡り、通訳案内士試験事業を受託することになります。9年間の
受託金額の総額は、5億4,816万5000円(1年あたり、6,091万円!)です。2014年12月の総選挙で、
JTBグループが太田昭宏国交相の公明党を応援したことは、まだ記憶に新しいですが、早速、
「見返りの大きな飴玉」(2億3千万円)をもらったということです。
<ICSコンベンションデザインの通訳案内士試験事業の年度別受託金額>
・2009年度~2010年度の2年契約(93,450,000円)
・2011年度(56,700,000円)
・2012年度(55,650,000円)
・2013年度(55,125,000円)
・2014年度(57,240,000円)
・2015年度~2017年度の3年契約(230,000,000円)
(4)最近、「難問、奇問が多い」とマスコミにたたかれたことが、大きなきっかけとなった。
省庁は、決して、正論では動かないが、マスコミ、世論には、驚くほど敏感に反応すること
がある。
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【2】第1次筆記試験の主な変更点
<出題方式>の変更
・外国語
<英語> → すべてマークシート方式
<中国語、韓国語> → 記述式とマークシート方式の併用
<上記以外の外国語> → 記述式
・邦文試験<日本地理、日本歴史、一般常識> → すべてマークシート方式(2004 年より)
<合格基準、配点の変更>
【外国語】 (合格基準:70点)
問題の種類
・外国語長文の読解2題
・外国語文の和訳1題
・和文の外国語訳1題
・あるテーマ、用語の外国語による説明1題
・単語を訳す問題1題
配点
35点→25点
15点→15点
15点→30点
20点→30点
15 点→削除
対策
教本Aと教本B
教本Aと教本B
「300選」の暗記
「300選」の暗記
【日本地理、日本歴史】 (合格基準:70点)
日本の観光地等に関連する主な日本地理・日本歴史の事柄のうち、外国人観光旅客の関
心の強いものについての基礎的な知識を問う。内容は、地図や写真を使った問題を中心と
したものとする。世界遺産の写真を見せるなどして、ガイド業務に必要な知識を問う。
【一般常識】 (合格基準:60点)
最新の「観光白書」や新聞に掲載された時事問題をベースに出題し、外国人観光旅客の関
心の強いものについての基礎的な知識を問う。
【3】合格基準の違いの理由
外国語、日本地理、日本歴史の合格基準が70点なのに、一般常識のみが何故60点なのか。
これまで、第1次試験4科目について、出題者は平均点が60点になるように作成してきたが、
通常、一般常識の平均点は、他の科目と比べて5点~10点低かったようだ。
通訳案内士試験の問題には、難問、奇問が多いとの批判が、かねてからあり、今後、難問、
奇問を出題しないようになったようであるが、一般常識は、依然として、他の科目と比べて、平
均点が低くなるだろうとの観測から、合格基準を他の科目より10点低く設定したものと考えられ
る。
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<外国語第1次筆記試験>対策
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●基本資料・無料学習サイト
第1次試験問題(原寸大)(2015年度受験対策)
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/5c7f59658391890571ee3af282886ff7
マラソンセミナー<教本>動画学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/aa9caa987007e8ef9f390a0a88c6e667
マラソンセミナー<教本>音声学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/89f4804d90b83a179d69e92565f0a210
<Flashcards Deluxe>による学習法
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/35e45334cca19e6f8df802b215963d40
「日本的事象英文説明300選」の項目(文字データ)
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/69842b5e7ba7de96d80bdb7cfe7dda3b
「日本的事象英文説明300選」音声ファイル★無料ダウンロードコーナー!
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/486295a231d16628913489fb16d0c785
ハロー英語道場<真剣勝負>(「日本的事象英文説明300選」などの自習ができます!)
http://www.hello.ac/study/
英語第1次試験対策<英語力診断テスト>(英語力の診断と学習ができます!)
http://www.hello.ac/guide/clinic/index.php
●通訳案内士試験ガイドライン(外国語第1次試験)
外国語についての筆記試験は、通訳案内士の業務を適切に行うために必要な読解力、日本
文化等についての説明力、語彙い力等の総合的な外国語の能力を問うものとする。
●まず、最低2~3年の既出問題を学習せよ
まず、第1次筆記試験問題(原寸大)で、最低2~3年の既出問題を学習して、出題傾向、自分
の得意分野、苦手分野をしっかり把握して、受験勉強の方向性をつかんでください。
既出問題を学習するということは、言わば、車のカーナビを手にするようなものであり、能率的
に目的地(合格)に向けて運転するために必須なものである。
カーナビがなくて、車を飛ばすということは、目的地に着くどころか、いたずらに、時間とガソリン
を浪費するだけである。
最少の時間で最大の効果を上げるには、ます、既出問題を徹底的に学習することである。
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<英語第1次筆記試験>対策
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●<読解力>(英語)対策
<無料動画・音声学習コーナー>にある下記の二つの講義を学習することが大切である。
(1)第1次英語筆記試験対策<教本A>(16講義32時間)
教本A<問題テキスト>
http://hello.ac/kyouhon2012version/kyouhonQuestion.pdf
教本A<解答テキスト>
http://hello.ac/kyouhon2012version/kyouhonAnswer.pdf
教本A<授業解説テキスト>
http://hello.ac/kyouhon2012version/kyouhonLesson.pdf
(2)第1次英語筆記試験対策<教本B>(16講義32時間)
教本B<問題テキスト>
http://hello.ac/kyouhonB2012version/kyouhonBQuestion.pdf
教本B<解答テキスト>
http://hello.ac/kyouhonB2012version/kyouhonBAnswer.pdf
教本B<授業解説テキスト>
http://hello.ac/kyouhonB2012version/kyouhonBLesson.pdf
<日本的事象Q&A>
http://hello.ac/kyouhonB2012version/Q&A2012version.pdf
英文には5文型しかありません。
(1)S+V (2)S+V+C (3)S+V+O (4)S+V+O+O (5)S+V+O+ C
5文型による構文解析ができるようになると、どんな難解な英文でも解釈できるようになる。以
前、英語筆記試験には、Time や Newsweek などの難解な英文解釈問題が出題されていた
が、ハローの生徒は、<教本A&B>の学習で見事合格を果たしていた。<教本A&B>は、
通訳案内士試験のみならず、英検1級、TOEIC、入社試験、または、実務の英文解釈に大いに
役に立つので、真の英語力をつけたい方は、是非、ご利用ください。<教本A>の本試験の英
文読解問題の英文の文法解析の手法をご覧ください。
●<和文の外国語訳、あるテーマ、用語の外国語による説明>(英語)対策
通訳案内士試験のバイブルである「日本的事象英文説明300選」を暗記することに尽きます。
多くの受験者にとって、「英作文力を基礎からつけて、高度な英語訳ができるようになる」などと
いう時間的余裕はありません。「300選」は「丸暗記決定版」である。ただ、ひたすら、暗記してい
ただきたい。それば、即ち、最強の第2次口述試験対策にもなりますので。
●「日本的事象英文説明300選」をご希望の方は、下記よりお申込みください。
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/1c2c0c0d82c19d1e7ad24fda018d2154
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邦文試験対策<日本地理、日本歴史、一般常識>
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●通訳案内士試験ガイドライン(日本地理、日本歴史、一般常識)
日本地理、日本歴史及び一般常識についての筆記試験は、日本の観光地等に関連する地理、
歴史並びに産業、経済、政治及び文化についての主要な事柄(日本と世界との関わりを含
む。)のうち、外国人観光旅客の関心の強いものについての基礎的な知識を問うものとする。
内容は、地図や写真を使った問題を中心としたものとする。
●「外国人観光旅客の関心の強いもの」とは何か?
観光庁の「訪日外国人消費動向調査(2015年1月~3月)」によれば、訪日外国人の「訪日前
に期待していたこと」「次回日本を訪れた時にしたいこと」の上位には、下記のような事項が並
ぶが、これ、即ち、「外国人観光旅客の関心の強いもの」といえる。
この調査内容は、JNTOより出題者にも知らされていると考えられるので、受験者は、下記の
事項に的を絞って準備するとよい。
●「訪日前に期待していたこと」「次回日本を訪れた時にしたいこと」の分野別事項
<日本地理分野>
「自然・景勝地観光」
「テーマパーク」
「温泉入浴」
「四季の体感(花見・紅葉・雪見)」
<日本歴史分野>
本調査では、日本歴史に直接的に関連する「関心の強いもの」は見当たらない。
2016年度~2014年度の既出問題が、一番参考になる。
<一般常識分野>
「日本食を食べること」
「ショッピング」
「旅館に宿泊」
「日本の歴史・伝統文化体験」
「スキー・スノーボード」
「日本のポップカルチャーを楽しむ」
「美術館・博物館」
「日本の酒を飲むこと(日本酒、焼酎等)」
「舞台芸能(歌舞伎・演劇・音楽等)」
「繁華街の街歩き」
「日本の日常生活体験」
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<日本地理>対策
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●基本資料・無料学習サイト
2014 年度第1次試験<日本地理>問題用紙
http://hello.ac/guide/2014geography.pdf
2013 年度第1次試験<日本地理>問題用紙
http://hello.ac/guide/2013geography.pdf
2012 年度第1次試験<日本地理>問題用紙
http://hello.ac/guide/2012geography.pdf
2011 年度第1次試験<日本地理>問題用紙
http://hello.ac/guide/2011geography.pdf
2010 年度第1次試験<日本地理>問題用紙
http://hello.ac/guide/2010geography.pdf
マラソンセミナー<日本地理>テキスト
http://hello.ac/marathon2012version/geographytext.pdf
<日本地理の最重要事項のまとめ>(2015年度受験対策)
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/c/025b697722bfd3c99a94f93c8bc9c43c
通訳案内士試験対策<最強の地図帳>(1)項目別地図帳
http://hello.ac/geography/map.pdf
通訳案内士試験対策<最強の地図帳>(2)都道府県別地図帳
http://hello.ac/houbun/geography/map.prefectures.pdf
マラソンセミナー<日本地理>動画学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/aa9caa987007e8ef9f390a0a88c6e667
マラソンセミナー<日本地理>音声学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/89f4804d90b83a179d69e92565f0a210
第 1 次邦文試験対策<特訓 1800 題>無料自習学習コーナー
http://hello.ac/streaming/clinic/clinic_houbun/index.html
<Flashcards Deluxe>による学習法
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/35e45334cca19e6f8df802b215963d40
<Flashcards Deluxe>でも、<特訓1800題>を4択形式で学習できます。
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●<日本地理>の試験方法
・ 試験は、日本の観光地等に関連する日本地理についての主要な事柄(日本と世界との関わり
を含む。)のうち、外国人観光旅客の関心の強いものについての基礎的な知識を問うものと
する。
・ 試験の方法は、多肢選択式(マークシート方式)とする。
・ 試験時間は、40分とする。
・ 試験の満点は、100点とする。
・ 問題の数は、40問程度とする。
・ 内容は、地図や写真を使った問題を中心としたものとする。
●「自然・景勝地観光」対策
(1) 世界遺産:自然遺産(4)、文化遺産(14)
知床、白神山地、平泉、日光の社寺、富岡製糸場と絹産業遺産群、小笠原諸島、富士山、白
川郷・五箇山の合掌造り集落、古都京都の文化財、古都奈良の文化財、法隆寺地域の仏教
建造物、紀伊山地の霊場と参詣道、姫路城、石見銀山遺跡とその文化的景観、原爆ドーム
厳島神社(宮島)、屋久島、琉球王国のグスク及び関連遺産群
「明治日本の産業革命遺産」→2015年7月に、ユネスコ世界遺産委員会(ドイツ)において、
世界遺産一覧表への記載が決定の見込み。
(2)国立公園(国が管理)(32)
(3)国定公園(都道府県が管理)(56)
(4)世界ジオパーク
室戸(2014年出題)、洞爺湖有珠山(2014年出題)、糸魚川、山陰海岸、島原半島、隠岐
●「テーマパーク」対策
東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、ハウステンボス、白い恋人パーク、ナガシマスパ
ーランド、富士急ハイランド、東京ドームの特徴を調べておくこと。
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●「温泉入浴」対策
<人気温泉地ベスト20>
(1)熱海温泉(静岡県)
東京から新幹線で45分。全国屈指の知名度と湯量を誇る、日本を代表する温泉地のひと
つ。ビーチ・山・グルメ・花火・芸者など、多彩なレジャーを楽しむことができます。
(2)別府温泉(大分県)
源泉数、湧出量ともに日本一を誇り、人が入浴できる温泉地としては世界最大。別府・鉄
輪・観海寺・明礬・亀川・柴石・堀田・浜脇の8つの温泉地からなる「別府八湯」はそれぞれ
泉質が異なり、湯めぐりが楽しめます。
(3)那須温泉(栃木県)
【開湯1380年の歴史】7種類の温泉を湯めぐりできる栃木県内第一位の湧出量を誇る温泉
です。近年では新那須温泉を加えた那須八湯としています。それぞれの温泉で効能・泉質
が異なるため、湯めぐりが楽しめます。
(4)白浜温泉(和歌山県)
白浜温泉の天然温泉は弱アルカリ性で水素イオンを含み、体の芯から暖まります。とろみも
ありお肌もつるつるに。「有馬」「道後」とともに『日本三古泉』の一つ。
(5)伊東温泉(静岡県)
低刺激で肌に優しい単純泉と保温効果に優れた弱食塩泉が中心。旅館からリゾートホテル
に民宿・ペンションと温泉を満喫できる宿泊施設も多種多彩。相模湾の鮮魚やみかんなど
山海の幸が豊富な一大温泉リゾートです。
(6)草津温泉(群馬県)
標高1200mに広がる豊富な湯量と泉質のよさを誇る温泉地。湯畑を中心に温泉街の雰囲
気を今に残し、旅館・ホテル・土産店・飲食店が立ち並ぶ街並みを浴衣でそぞろ歩きしたり、
共同浴場の湯めぐりも楽しみの1つです。「有馬」「下呂」とともに『日本三名泉』の一つ
(7)鬼怒川温泉(栃木県)
東京の奥座敷と呼ばれる鬼怒川温泉は、新宿から電車で2時間・車で2時間半。日光国立
公園の雄大な自然と日光へ40分程とアクセスのよさでも支持されています。 泉質はアルカ
リ性単純泉・単純泉で火傷に対する効能があるとされています。
(8)道後温泉(愛媛県)
日本書紀や小説「坊ちゃん」にも登場する日本最古の温泉。改築120周年イベント「道後オ
ンセナート」開催中! 「有馬」「白浜」とともに『日本三古泉』の一つ。
(9)秋保温泉(宮城県)
開湯1500年の古い歴史を誇る秋保の奥座敷。伊達政宗に愛された湯として有名。仙台か
ら30分とアクセスもよく年中観光客で賑わっています。
(10)強羅温泉(神奈川県)
『日本で唯一の登山電車』である箱根登山鉄道の開通により開かれた高原リゾートの先が
け。強羅公園・箱根美術館を中核に早雲山の中腹に広がり、外輪山の山なみが美しい。交
通が便利!泉質多彩な温泉が大人気!
(11)箱根湯本温泉(神奈川県)
箱根の玄関口にあり、天平10(738)年の開湯で古い歴史を持つ温泉地。 また、源泉の数
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は箱根最多を誇り、箱根の中心的な温泉地としても知られています。
(12)由布院温泉(大分県)
“豊後富士”と称される美しい由布岳の山麓(さんろく)に広がる温泉地。憧れの温泉地として
人気の温泉宿も多い。豊富な湯量が特徴。ほとんどの旅館では露天風呂を完備していま
す。
(13)下呂温泉(岐阜県)
下呂温泉は千年もの歴史のある由緒ある温泉でもあり、古来から人々に親しまれてきました。
アルカリ性の泉質はつるつるした肌触りをもたらし、「美人の湯」とも言われています。「草
津」「有馬」とともに『日本三名泉』の一つ。
(14)伊香保温泉(群馬県)
伊香保温泉は上越・長野新幹線で約2時間とアクセスも抜群。 万葉の時代から人々に親し
まれてきた石段街がシンボルの温泉地で、 黄金の湯と白銀の湯と2種類の源泉を引き込
んでいます。立寄り温泉もある歴史深い温泉地。
(15)有馬温泉(兵庫県)
有馬温泉は、日本書紀や古事記などにも記された古くからの温泉で、『日本三古泉』と呼ば
れています。「草津」「下呂」とともに『日本三名泉』の一つ。「白浜」「道後」とともに『日本三
古泉』の一つ。
(16)飛騨高山温泉(岐阜県)
古い町家が並び、小京都の風情を感じられます。ミシュラン社観光ガイドブックで最高ラン
ク3つ星評価を受けた『飛騨高山』から新しく湧き出た温泉です。
(17)定山渓温泉(北海道)
北海道は札幌市南区定山渓。札幌の奥座敷と呼ばれる人気の温泉地。無色透明でまろや
かな塩辛さが特徴のナトリウム塩化物泉。汗の蒸発を防ぎ体の芯からポカポカ温まります。
札幌国際スキー場の麓にあり車で約30分です。
(18)越後湯沢温泉(新潟県)
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』小説雪国の舞台越後湯沢温泉は、冬場県
境を越えて越後に入ると今でも景色が変わります。900年以上の長い歴史とスキーリゾートと
しての近代文化が共存する温泉地です。
(19)河口湖温泉(山梨県)
富士山のふもとの湖、河口湖に位置する風光明媚な温泉地。客室やお風呂から見える富
士山の眺望が自慢の宿も多いです。「麗峰の湯」「天水の湯」「霊水の湯」「芙蓉の湯」「秀
麗の湯」の5つの源泉が湧出しています。
(20)いわき湯本温泉(福島県)
源泉は地下約50メートルから汲み上げた毎分5トンの湧出量を誇る摂氏59度の天然硫黄
泉。泉質は全国的に珍しい【含硫黄】で、「美人の湯」(美肌作用・解毒作用・末梢血管拡張
作用)を始め数々の効能を併せ持っています。
♪「いい湯だな」 ♪(デューク・エイセス)
https://www.youtube.com/watch?v=JGXcYoZ9aqk
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●「四季の体感(花見・紅葉・雪見)」対策
<お花見、桜の名所ベスト10>(東京都)
(1)目黒川
約4kmにわたり川の両岸に桜並木が広がる人気スポット。目黒川沿いにはお洒落なカフェ
やショップも多く、お花見とともにショッピングを楽しむことも。夜にはぼんぼりの灯りが川面
に揺れてさらに幻想的な世界が広がる。
(2)千鳥ヶ淵公園
都内でも有数の桜の名所。皇居西側の千鳥ヶ淵と英国大使館に挟まれる場所に位置し、ソ
メイヨシノやヤマザクラなど約170本の桜が花開く。毎年「さくらまつり」期間中は、千鳥ヶ淵緑
道の桜が幻想的にライトアップされるとともに、ボート場の夜間営業も行われる。
(3)六義園
六義園のシンボル的存在のシダレザクラは高さ約15m、幅約20mにも及び、薄紅色の花が
流れ落ちる滝のように咲き誇る姿は圧巻。期間限定のライトアップも美しい。
(4)上野恩賜公園
江戸時代からお花見のメッカとして知られ、東京を代表する桜の名所。1,300個のぼんぼり
の明かりに照らされる、昔ながらの夜桜見物も人気。
(5)代々木公園
東京のど真ん中にあるにもかかわらず、静かで開放感あふれる緑の公園。桜の種類もさま
ざまで、早咲きの桜は2月からつぼみがほころび始める。芝生に座って花見ができる人気の
スポット。
(6)隅田川
台東区と墨田区をまたぎ隅田川の両岸に広がる隅田公園。桜の帯が約1kmにわたって川
面をにぎやかに彩る。東京スカイツリー(R)のコラボレーションや、隅田川の屋形船に乗って、
両岸の桜並木を眺める風流な花見も楽しめる。
(7)井の頭恩賜公園
井の頭池を中心に公園全体で約500本の桜が咲き誇り、満開時期はうっとりするほどすばら
しい。ボートに乗って舞い散る花びらを眺めることもできる。七井橋の上から眺める満開の桜、
水面に散る花吹雪は見事。
(8)靖国神社
東京の開花宣言の基準となる標本木があることでも有名。靖国神社の境内には約600本の
桜が咲き誇り、多くの参拝者が訪れる。
(9)東京ミッドタウン
ガーデンテラス前のさくら通りには、旧防衛庁時代からこの地に根を張っていた見事な枝ぶ
りの桜が並び、春には桜のトンネルとなる。桜の時期に合わせ例年趣向を凝らしたイベント
も開催される。
(10)芝公園
東京タワーも華やかな桜に彩られ、一段と美しく見える。都会の夜を彩る東京タワーと夜桜
を観賞できるとあって、仕事帰りのサラリーマンが多く訪れる人気のスポット。
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<お花見、桜の名所ベスト12>(京都)
(1)醍醐寺
古くからの桜の名所で、現在も約1000本もの桜が広大な境内を彩る。しだれ桜、ソメイヨシノ、
山桜、八重桜などが3週間かけて咲くため桜を長く楽しむことができるのも醍醐寺の魅力。
(2)仁和寺の御室桜
京都で一番遅咲きの桜として有名な「御室桜」の林があり、「御室桜」が満開になると、京都
の春も終わるといわれる。樹高約2mと低いため、目の前で桜を楽しむことができる。
(3)円山公園
円山公園のほぼ中央に、「祇園の夜桜」として有名な大きなシダレザクラがある。ライトアップ
も行われ、夜桜の名所として多くの花見客で賑わう。
(4)平安神宮
朱と緑が鮮やかな社殿を取り巻く広大な神苑には、艶やかな八重紅しだれ桜が咲き誇り、
天蓋のように空を覆い尽くす、圧倒的な光景が繰り広げられます。
(5)清水寺
ソメイヨシノとヤマザクラが合わせて約1500本咲き誇る世界遺産の古刹は、京都屈指の桜の
名所。清水の舞台から見る桜はまさに絶景。ライトアップされた幻想的な光景もまた別格で
美しい。
(6)二条城
二条城のサクラは城内全域で約400本・50品種が植えられ、美しい桜に酔いしれる多くの人
が訪れる。「二条城ライトアップ」では、桜や庭園などを華麗にライトアップするとともに、通路
を足下灯で照らし、幽玄の世界を創出する。
(9)哲学の道
全長約2kmの散策道には延々と桜が咲き誇りロマンチックに疏水沿いを染める。満開時の
桜のトンネルは感動的。風に吹かれて桜が舞う、散り際も実に美しい。
(10)京都御苑
市街地のほぼ中心に位置し、京都御所を囲む周囲約4kmの広大な苑内には多くの桜が植
えられ、有名な「枝垂桜」など約1000本の桜が楽しめる。
(11)平野神社
生命力を高める神様の象徴として、平安時代より植樹されてきた桜は、境内全域に約60種
類400本。珍しい種類の桜がまるで出番を待っていたかのように次々と開花する。
(12)嵐山
満開時には山全体が緑と桜のコントラストに彩られ、渡月橋越しに見渡すその姿は必見。個
性豊かなお寺や神社が点在し、お土産店や飲食店も多く、楽しくめぐり歩きができる。
<お花見、桜の名所ベスト10>(九州)
(1)福岡県営西公園(福岡県福岡市)
(2)和布刈公園(めかりこうえん)(福岡県北九州市)
(3)小城公園(佐賀県小城市)
(4)大村公園(長崎県大村市)
(5)熊本城(熊本県熊本市)
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(6)菊池公園(熊本県菊池市)
(7)高森峠千本桜(熊本県阿蘇郡高森町)
(8)近鉄・別府ロープウェイ周辺(大分県別府市)
(9)岡城阯(大分県竹田市大字竹田字岡及び天神山)
(10)母智丘公園(もちおこうえん)(宮崎県都城市)
<紅葉の名所ベスト23>(関東甲信越)
(1)日光(栃木県日光市)
(2)榛名山・榛名湖(群馬県高崎市)
(3)長瀞(埼玉県長瀞町)
(4)養老渓谷(千葉県市原市)
(5)国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)
(6)奥多摩(東京都奥多摩町)
(7)高尾山(東京都八王子市)
(8)箱根(神奈川県箱根町)
(9)大山寺・大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)
(10)奥只見(新潟県魚沼市)
(11)妙高高原(新潟県妙高市)
(12)妙義山(群馬県富岡市など)
(13)御岳昇仙峡(山梨県甲府市)
(14)千畳敷カール(長野県駒ケ根市)
(15)天龍峡(長野県飯田市)
(16)袋田の滝(茨城県大子町)
(17)御前山(茨城県城里町)
(18)太平山謙信平(栃木県栃木市)
(19)四尾連湖畔(山梨県市川三郷町)
(20)中津峡(埼玉県秩父市)
(21)清津峡(新潟県十日町市)
(22)河口湖(山梨県富士河口湖町)
(23)戸隠高原(長野県長野市)
<紅葉の名所ベスト14>(関西)
(1)湖東三山(滋賀県東近江市など)
(2)メタセコイア並木(滋賀県高島市)
(3)嵐山(京都府京都市)
(4)保津峡(京都府亀岡市)
(5)箕面公園(大阪府箕面市)
(6)音水渓谷(兵庫県宍粟市)
(7)もみじ山(兵庫県宍粟市)
(8)吉野山(奈良県吉野町)
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(9)高野龍神スカイライン(和歌山県田辺市)
(10)大原(京都府京都市)
(11)犬鳴山渓谷(大阪府泉佐野市)
(12)武田尾(兵庫県西宮市・宝塚市)
(13)長岳寺(奈良県天理市)
(14)八斗蒔峠(和歌山県日高川町)
<紅葉の名所ベスト14>(九州)
(1)秋月城跡周辺(福岡県朝倉市)
(2)雲仙(長崎県雲仙市)
(3)五家荘(熊本県八代市)
(4)人吉城跡・球磨川周辺(熊本県人吉市)
(5)国東(大分県国東市)
(6)耶馬渓(大分県中津市)
(7)クルソン峡(宮崎県えびの市)
(8)霧島連山(鹿児島県霧島市)
(9)英彦山(福岡県添田町)
(10)御船山楽園(佐賀県武雄市)
(11)雄淵雌淵公園(佐賀県佐賀市)
(12)くじゅ連山(大分県竹田市)
(13)白滝(宮崎県五ヶ瀬町(五ヶ瀬ハイランドスキー場近く)
(14)曽木の滝公園(鹿児島県伊佐市)<お花見、桜の名所ベスト10>
<雪祭りの名所17>
(1)さっぽろ雪まつり(北海道・札幌市)
(2)旭川冬まつり(北海道)
(3)小樽雪あかりの路(北海道)
(4)層雲峡氷瀑まつり(北海道)
(5)千歳・支笏湖氷濤まつり(北海道)
(6)弘前城雪燈籠まつり(青森県)
(7)十和田湖冬物語(青森県)
(8)八戸えんぶり(青森県)
(9)いわて雪まつり(岩手県)
(10)なまはげ柴灯まつり(秋田県)
(11)火振りかまくら(秋田県)
(12)横手かまくら(秋田県)
(13)上杉雪灯篭まつり(山形県)
(14)只見ふるさとの雪まつり(福島県)
(15)湯西川温泉かまくら祭り(栃木県)
(16)南魚沼市雪まつり(新潟県)
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(17)雪だるままつり(石川県)
<雪見の名所16>
(1)流氷破砕船ガリンコ号(北海道)
(2)流氷観光砕氷船おーろら(北海道)
(3)十和田湖(青森県)
(4)奥入瀬渓谷(青森)
(5)八甲田山(青森県)
(6)宮城蔵王の樹氷(宮城県)
(7)阿仁の樹氷(秋田県)
(8)山形蔵王の樹氷(山形県)
(9)立石寺(山形県)
(10)最上峡芭蕉ライン舟下り(山形県)
(11)大内宿(福島県)
(12)袋田の滝の氷瀑(茨城県)
(13)阿賀野川ライン雪見舟(新潟県)
(14)五箇山合掌造り集落(富山県)
(15)地獄谷野猿公苑(長野県)
(16)白川郷(岐阜県)
●その他の重要事項
日本三景:松島(宮城県)、天橋立(京都府)、厳島[宮島](広島県)
日本三名園:偕楽園(茨城県)、兼六園(石川県)、後楽園(岡山県)
日本三名山:富士山(静岡県・山梨県)、立山(富山県)、白山(石川県)
三大清流:柿田川、長良川、四万十川
三大瀑布・三名瀑:華厳の滝(栃木県)、袋田の滝(茨城県)、那智の滝(和歌山県)
日本三急流:最上川(山形県)、富士川(山梨県・静岡県)、球磨川(熊本県)
三大松原:三保の松原(静岡県静岡市)、虹ノ松原(佐賀県唐津市)、気比松原(福井県敦賀
市)
三大湖:琵琶湖(滋賀県)、霞ヶ浦(茨城県)、サロマ湖(北海道)
三大祭:祇園祭(京都府、八坂神社)、天神祭(大阪府、大阪天満宮)、神田祭(東京都、神田
明神)
京都三大祭:葵祭(5月)、祇園祭(7月)、時代祭(10月)
三大盆踊り:西馬音内の盆踊り(秋田県羽後町)、郡上おどり、阿波踊り
東北4大夏祭:仙台七夕まつり(仙台市)、青森ねぶた祭(青森市)、秋田竿燈まつり(秋田市)、
花笠まつり(山形市)
山の高さベスト3:(1)富士山(静岡県・山梨県)(2)北岳(山梨県)(3)奥穂高岳(長野県・岐阜県)
川の長さベスト3:(1)信濃川 (2)利根川 (3)石狩川
川の流域面積ベスト3:(1)利根川 (2)石狩川 (3)信濃川
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湖の深さベスト3:(1)田沢湖(秋田県)(2)支笏湖(北海道)(3)十和田湖(青森県・秋田県)
湖の透明度ベスト3:(1)摩周湖(28.0m)(2)倶多楽湖(22.0m)(3)支笏湖(17.5m)
島の大きさベスト3:(1)沖縄島 (2)佐渡島 (3)奄美大島(※主要4島及び北方領土を除く)
小京都
(1) 弘前(青森県):「津軽の小京都」。津軽リンゴとねぷた祭で有名。百石町・代官町・蔵主町と
いった当時をしのばせる町名が残る。
(2) 角館(かくのだて)(秋田県):「みちのくの小京都」。武家屋敷の姿を最もよく残す町といわれ、
城下町は北に内町(武家町)、南に外町(町人町)、中央部に火除けと整然と区分けされて
いる。
(3) 高山(岐阜県):「飛騨の小京都」。代官の居所であった陣屋跡や古い町並みがそっくり残る。
春秋2回の高山祭でも有名。
(4) 金沢(石川県):前田家百万石の財力が築き上げた文化都市。今も町には当時を偲ばせる
風情が残り、兼六園や武家屋敷など見所多数。加賀友禅、金沢漆器、九谷焼など伝統工
芸の宝庫でもある。
(5) 尾道(広島県):背後の山が海の近くまで迫り、坂道が続く落ちついた城下町。「しまなみ海
道」の本州側の玄関都市。
(6) 津和野(島根県):「山陰の小京都」。津和野川に沿って山に囲まれた静かな城下町。津和
野城跡や森鴎外、西周の旧居がある。
(7) 萩(山口県):毛利氏の城下町として栄えた武家屋敷が残る史跡の町。吉田松陰など明治
維新の志士を多く輩出した町としても知られる。
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<日本歴史>対策
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●基本資料・無料学習サイト
2014 年度<日本歴史>試験問題
http://hello.ac/guide/2014history.pdf
2013 年度<日本歴史>試験問題
http://hello.ac/guide/2013history.pdf
2012 年度<日本歴史>試験問題
http://hello.ac/guide/2012history.pdf
2011 年度<日本歴史>試験問題
http://hello.ac/guide/2011history.pdf
2010 年度<日本歴史>試験問題
http://hello.ac/guide/2010history.pdf
マラソンセミナー<日本歴史>テキスト
http://hello.ac/marathon2012version/historytext.pdf
<日本歴史の最重要事項のまとめ>(2015年度受験対策)
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/de13a21eeaaf21a717279ecf2cb08c7f
マラソンセミナー<日本歴史>動画学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/aa9caa987007e8ef9f390a0a88c6e667
マラソンセミナー<日本歴史>音声学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/89f4804d90b83a179d69e92565f0a210
第 1 次邦文試験対策<特訓 1800 題>無料自習学習コーナー
http://hello.ac/streaming/clinic/clinic_houbun/index.html
<Flashcards Deluxe>による学習法
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/35e45334cca19e6f8df802b215963d40
<Flashcards Deluxe>でも、<特訓1800題>を4択形式で学習できます。
<Flashcards Deluxe>の「日本歴史に出る写真」には、出題可能性の高い157枚の写真を収
録してありますので、日本歴史を受験する受験者は、是非、活用してください
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●<日本歴史>の試験方法
・ 試験は、日本の観光地等に関連する日本歴史についての主要な事柄(日本と世界との関わり
を含む。)のうち、外国人観光旅客の関心の強いものについての基礎的な知識を問うものと
する。
・ 試験の方式は、多肢選択式(マークシート方式)とする。
・ 試験時間は、40分とする。
・ 試験の満点は、100点とする。
・ 問題の数は、40問程度とする。
・ 内容は、地図や写真を使った問題を中心としたものとする。
●2006年度から2014年度までの日本歴史の問題は、下記ように、毎年、同じ出題形式、配点で
出題されている。
<1番>地図を関連づけた5択問題10題(2点×10=20点)
<2番>文化に関する5択問題5題(3点×5=15点)
<3番>作品と著者の組み合わせに関する5択問題5題(3点×5=15点)
<4番>政治、事件に関する5択問題5題(3点×5=15点)
<5番>文化に関する5択問題5題(3点×5=15点)
<6番>写真5葉を用いて、絵画、仏像、建築物などの作品名、作者、名称、所在地に関する
5択問題10題(2点×10=20点)
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●南蛮貿易開始から鎖国を経て開国への流れ
<南蛮貿易の開始>
明朝中国は海禁政策をとっていたが、勘合貿易により日明間の貿易は行われていた。しかし、1549年(嘉
靖28年)を最後に勘合貿易が途絶えると、両国間の貿易は密貿易のみとなってしまった。ここに登場したの
がポルトガルであった。ポルトガルはトルデシリャス条約およびサラゴサ条約によってアジアへの進出・植民
地化を進め、1511年にはマラッカを占領していたが、1557年にマカオに居留権を得て中国産品(特に絹)
を安定的に入手できるようになった。ここからマカオを拠点として、日本・中国・ポルトガルの三国の商品が
取引されるようになった。
徳川家康が政権を握ると、オランダ、イギリスに親書を送り、オランダは1609年、イギリスは1613年に平戸に
商館を設立した。しかしながら、両国とも中国に拠点を持っているわけではなく、日本に輸出するものはあ
まりなかった。結果イギリスは1623年に日本を撤退、オランダの場合も、日本への進出は商業的というよりむ
しろ政治的な理由であった。なお、当時のスペインの関心はフィリピンとメキシコ間の貿易であり、1611年に
セバスティアン・ビスカイノが使節として駿府の家康を訪れたが、貿易交渉は不調に終わっている。
<キリスト教の禁止>
ポルトガル船が来航するようになると、「物」だけではなくキリスト教も入ってきた。1549年のフランシスコ・ザ
ビエルの日本来航以来、イベリア半島(スペインやポルトガル)の宣教師の熱心な布教によって、また戦国
大名や徳川幕府下の藩主にもキリスト教を信奉する者が現れたため、キリスト教徒(当時の名称では「切支
丹」)の数は九州を中心に広く拡大した。当時の権力者であった織田信長はこれを放任、豊臣秀吉も当初
は黙認していたが、1587年にバテレン追放令を出し、1596年にサン=フェリペ号事件が発生すると、切支
丹に対する直接迫害が始まった(日本二十六聖人殉教事件)。
家康は当初貿易による利益を重視していたが、プロテスタント国家のオランダは「キリスト教布教を伴わない
貿易も可能」と主張していたため、家康にとって積極的に宣教師やキリスト教を保護する理由はなくなった。
また、1612年の岡本大八事件をきっかけに、諸大名と幕臣へのキリスト教の禁止を通達、翌1613年に、キリ
スト教信仰の禁止が明文化された。また、国内のキリスト教徒の増加と団結は徳川将軍家にとっても脅威と
なり、締め付けを図ることとなったと考えるのも一般的である。
当時海外布教を積極的に行っていたキリスト教勢力は、キリスト教の中でも専らカトリック教会であり、その
動機として、宗教改革に端を発するプロテスタント勢力の伸張により、ヨーロッパ本土で旗色の悪くなってい
たカトリックが海外に活路を求めざるを得なかったという背景がある。一方、通商による実利に重きを置いて
いたプロテスタント勢力にはそのような宗教的な動機は薄く、特に当時、スペインからの独立戦争(八十年
戦争)の只中にあったオランダは、自身が直近までカトリックのスペインによる専制的支配と宗教的迫害を
受け続けたという歴史的経緯から、カトリックに対する敵対意識がとりわけ強かったことも、徳川幕府に対し
て協力的であった理由と言える。
とは言うものの、中国に拠点を持たないオランダやイギリスが直ちにポルトガルの代替にならない以上、ポ
ルトガルとの交易は続けざるを得なかった。
なお、キリスト教に関しては、単に国内で禁止するだけでなく、海外のスペイン・ポルトガルの根拠地を攻撃
する計画もあった。当時オランダ商館の次席であったフランソワ・カロンは1637年9月、長崎奉行榊原職直
に対して、日蘭が同盟してマカオ、マニラ、基隆を攻撃することを提案した。その後まもなく長崎代官の末
次茂貞は、商館長のニコラス・クーケバッケルに対し、翌年にフィリピンを攻撃するため、オランダ艦隊によ
る護衛を要請している。しかし、この計画は翌年の島原の乱で立ち消えとなった。
<島原の乱>
徳川幕府が鎖国に踏み切った決定的な事件は、1637年(寛永14年)に起こった島原の乱である。この乱に
より、キリスト教は徳川幕府を揺るがす元凶と考え、新たな布教活動が今後一切行われることのないようイベ
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リア半島勢力を排除した。ポルトガルは1636年以降出島でのみの交易が許されていたが、1639年にポルト
ガルが追放されると出島は空き地となっていた。1641年、平戸のオランダ商館倉庫に「西暦」が彫られてい
るという些細な理由で、オランダは倉庫を破却し平戸から出島に移ることを強制された(ポルトガルは出島
使用料を年額銀80貫払っていたが、オランダは55貫にまけさせている)。また、徳川幕府に対して布教を一
切しないことを約束した。
しかし、島原の乱からポルトガル追放までは2年の間がある。これはオランダがポルトガルに代わって中国
製品(特に絹と薬)を入手できる保証がなかったことと、日本の商人がポルトガル商人にかなりの金を貸して
おり、直ちにポルトガル人を追放するとその回収ができなくなることが理由であった。
<貿易の管理>
戦国時代から江戸初期にかけて、国内各地で大量に金と銀(特に銀)を産出していたため、交易において
もその潤沢な金銀を用いた。他方、江戸初期においては特に輸出するものもなく圧倒的に輸入超過であり、
徐々に金銀が流出していった。このため、幕府は1604年に糸割符制度を設けて絹の価格コントロールを試
みた。17世紀も後半になると金銀の産出量が減り、このため1685年には貿易量を制限するための定高貿
易法が定められ管理貿易に移行した。
また現代的視点では、長崎の出島・堺を始めとした有力港湾を徳川幕府の直轄領(天領)、若しくは親藩・
譜代大名領に組み入れることによって、徳川幕府による管理貿易を行い収益を独占した、という研究がある
[要出典]。しかし、幕府は藩の直接的な貿易を禁止したが、幕府自身も直接的な貿易を行っているわけで
はなく、また「鎖国」成立当初において幕府が長崎貿易から利潤を得ていたわけでもない。貿易の管理・統
制については、貿易都市長崎および商人を通して間接的に行っていた。
<鎖国完成まで>
「鎖国」体制は、第2代将軍秀忠の治世に始まり、第3代将軍家光の治世に完成した。
1612年(慶長17年)幕領に禁教令
1616年(元和2年)明朝以外の船の入港を長崎・平戸に限定する。
1623年(元和9年)イギリス、業績不振のため平戸商館を閉鎖。
1624年(寛永元年)スペインとの国交を断絶、来航を禁止。
1628年(寛永5年)タイオワン事件の影響で、オランダとの交易が4年間途絶える。
1631年(寛永8年)奉書船制度の開始。朱印船に朱印状以外に老中の奉書が必要となった。
1633年(寛永10年)第1次鎖国令。奉書船以外の渡航を禁じる。また、海外に5年以上居留する日本人の帰
国を禁じた。
1634年(寛永11年)第2次鎖国令。第1次鎖国令の再通達。長崎に出島の建設を開始。
1635年(寛永12年)第3次鎖国令。中国・オランダなど外国船の入港を長崎のみに限定。東南アジア方面
への日本人の渡航及び日本人の帰国を禁じた。
1636年(寛永13年)第4次鎖国令。貿易に関係のないポルトガル人とその妻子(日本人との混血児含む)
287人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を出島に移す。
1637年~1638年(寛永14年~15年)島原の乱。幕府に武器弾薬をオランダが援助。
1639年(寛永16年)第5次鎖国令。ポルトガル船の入港を禁止。それに先立ち幕府はポルトガルに代わりオ
ランダが必需品を提供できるかを確認している。
1640年(寛永17年)マカオから通商再開依頼のためポルトガル船来航。徳川幕府、使者61名を処刑。
1641年(寛永18年)オランダ商館を平戸から出島に移す。
1643年(寛永20年)ブレスケンス号事件。オランダ船は日本中どこに入港しても良いとの徳川家康の朱印
状が否定される。
1644年(正保元年)中国にて明が滅亡し、満州の清が李自成の順を撃破して中国本土に進出。明再興を
目指す勢力が日本に支援を求めるが、徳川幕府は拒絶を続けた。
1647年(正保4年)ポルトガル船2隻、国交回復依頼に来航。徳川幕府は再びこれを拒否。以後、ポルトガ
ル船の来航が絶える。
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1673年(延宝元年)リターン号事件。イギリスとの交易の再開を拒否。以降100年以上、オランダ以外のヨー
ロッパ船の来航が途絶える。
鎖国実施以前から、幕府は貿易の管理を試みていた。1604年には糸割符制度を導入し、生糸の価格統制
を行った。糸割符は1655年に廃止され、長崎では相対売買仕方による一種の自由貿易が認められて貿易
量は増大したが、1672年に貨物市法を制定して金銀流出の抑制を図り、さらに1685年には定高貿易法に
より、金・銀による貿易決済の年間取引額を、清国船は年間銀6000貫目・オランダ船は年間銀3000貫目に
限定した。のちに、これを超える積荷については、銅・俵物・諸色との物々交換による決済(代物替)を条件
に交易を許すようになったが、1715年の海舶互市新例により代物替が原則とされた。また、定高は1742年と
1790年の2回にわたり引き下げられたため、代物替による交易が中心となっていった。
いわゆる「鎖国」政策は、徳川幕府の法令の中では徹底された部類ではあったが、特例として認められて
いた松前藩、対馬藩や薩摩藩では、徳川幕府の許容以上の額を密貿易(抜け荷)として行い、それ以外の
領内を大洋に接する諸藩も密貿易をたびたび行っていた。これに対して、新井白石や徳川吉宗ら歴代の
幕府首脳はこうした動きにたびたび禁令を発して取締りを強めてきたが、財政難に悩む諸藩による密貿易
は続けられていた。中には、石見浜田藩のように、藩ぐるみで密貿易に関わった上に、自藩の船団を仕立
てて東南アジアにまで派遣していた例もあった(竹島事件)。
<開国までの動きと鎖国の終焉>
18世紀後半から19世紀中頃にかけて、ロシア帝国、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などの艦船が日本に
来航し、交渉を行ったが、その多くは拒否された。しかし、1853年7月8日には浦賀へアメリカのマシュー・ペ
リー率いる黒船が来航し、翌1854年3月31日には日米和親条約が締結され、終に開国に至った。その後、
日米修好通商条約(1858年)を初めとする不平等条約が続々と締結され、「鎖国」は崩壊したのである。
1778年(安永7年)ヤクーツクの商人パベル・レベデフ=ラストチキンが蝦夷厚岸に到着。松前藩に、交易を
求めたが拒否された。幕府には報告されず]。
1787年(天明7年)ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガローが日本近海を航海、千島列島、琉球列島を
探検した。宗谷海峡の国際名称ラ・ペルーズ海峡は、彼にちなんだものである。
1791年(寛政3年)米国の探検家ジョン・ケンドリックが2隻の船と共に紀伊大島に到着、11日間滞在した。
日本を訪れた最初の米国人。ロシアによる開国要求
1792年(寛政4年)アダム・ラクスマンが大黒屋光太夫ら3名を連れて根室に上陸、通商交渉を求めるも徳川
幕府は拒否。しかし、長崎への入港許可証である信牌を与えた。
1804年(文化元年)9月、アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルンが率いたロシアの世界一周遠征隊
が津太夫ら4名を連れ、信牌を持って長崎に来航。特使ニコライ・レザノフが交易を求め、翌年春まで幕府
と交渉するものの最終的に拒否される。
1806年(文化3年)「文化の薪水給与令」が出される。
1806年(文化3年)~1807年(文化4年)レザノフの部下であるフヴォストフが樺太の久春古丹や利尻島、択
捉島の番屋を襲撃(フヴォストフ事件、文化露寇)、中川五郎治と佐兵衛がロシアに連行される。この事件
は幕府が蝦夷地防衛に乗り出すきっかけとなり、日露間の緊張が高まった。薪水給与令は1年で取り消さ
れる。
1811年(文化8年)ヴァーシリー・ゴローニン大尉が国後島に上陸、捕らえられその後2年間抑留された(ゴロ
ーニン事件)。
1812年(文化9年)8月、ディアナ号が国後島に来航する。日露間で捕虜交換交渉が行われるが、日本側の
捕虜である中川五郎治と歓喜丸漂流民6名が脱走したために交渉が決裂。帰途、ディアナ号艦長ピョート
ル・リコルド(ロシア語版)は報復として附近を航行していた歓世丸を襲撃、高田屋嘉兵衛を拘束し、翌年6
月まで抑留する。
1813年(文化10年)9月、ディアナ号がゴローニンの解放交渉と日本人漂流民の久蔵の送還のために箱館
に来航する。なおこの時、ロシアに帰化した善六がロシア側の通訳として使節に同行していた。
フランス革命戦争とナポレオン戦争の余波
1797年(寛政9年)から1809年(文化6年)にかけて、本国がフランスに占領されてしまったため、オランダ商
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館長ヘンドリック・ドゥーフの依頼で数隻の米国船がオランダ国旗を掲げて出島での貿易を行った。
1808年(文化5年)オランダと敵対関係にあった英国の帆走フリゲート・フェートン号が、オランダ国旗を掲げ
長崎に入港。フェートン号事件を起こす。その後も英国船出現が相次いだ。
1830年(文政13年)徳川幕府が領有宣言をしていたものの無人島となっていた小笠原諸島の父島にナサ
ニエル・セイヴァリーが上陸、入植した。
1837年(天保8年)商船モリソン号が音吉を含む漂流民を日本に送り届けるために浦賀に来航したが、異国
船打払令に基づき日本側砲台が砲撃した(モリソン号事件)。この事件後、幕府内部でも異国船打払令に
対する批判が強まった。
1842年(天保13年)アヘン戦争における清朝の敗北による南京条約の締結に驚愕した徳川幕府は、政策
を転換し、遭難した船に限り給与を認める天保の薪水給与令を発令した。
1844年(天保15年)フォニエル・デュプラン大佐が率いるフランス海軍の遠征隊が琉球王国に来航、通商を
求めるが拒否された。しかし、テオドール・フォルカード神父と通訳が那覇に残った。
1844年8月14日(弘化元年7月2日)オランダ軍艦パレンバン号がオランダ国王ウィレム2世の将軍宛の親書
を携えていた長崎に入港。この親書はシーボルトの起草によるもので、開国を求めたが幕府はこれを拒否
した。
1845年(弘化2年)捕鯨船マンハッタン号が、22人の日本人漂流民を救助し、マーケイター・クーパー船長
は浦賀への入港を許可され、浦賀奉行と対面した。
1846年7月20日(弘化3年閏5月27日)アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドル代将は戦列艦コロンバ
スおよび戦闘スループ・ビンセンスを率いて、開国交渉のために浦賀に入港した。しかし、条約の締結は浦
賀奉行に拒否され、数日の滞在で退去した。
1846年7月24日(弘化3年6月2日)フランスのセシル提督が長崎に来航したが上陸を拒否された。このとき、
那覇に留まっていたフォルカード神父を伴っていた。
1848年(弘化5年/嘉永元年)ラナルド・マクドナルドが、日本人に英語を教えたいと自らの意志で、遭難を
装って利尻島に上陸した。その後長崎に送られ、崇福寺大悲庵に収監され、本国に送還されるまでの半
年間の間、ここで通詞14人に英会話を教えた。帰国後は、日本の情報をアメリカ合衆国本土に伝えた。
1849年4月17日(嘉永2年3月27日)ジェームス・グリン大尉が艦長を務める米国の帆走戦闘スループ・プレ
ブル(USS Preble)が、アメリカ捕鯨船員を救出のため長崎に来航、軍事介入の可能性をほのめかしつつ、
交渉を行った。結果、船員とラナルド・マクドナルドが解放された。帰国後、グリンは米国政府に対し、日本
を外交交渉によって開国させること、また必要であれば「強さ」を見せるべきとの建議を提出した。彼のこの
提案は、マシュー・ペリーによる日本開国への道筋をつけることとなった。
1849年(嘉永2年)英国海軍のブリッグ・マリナー号が浦賀に来航し、地誌的調査を行った。マリナー号には
音吉が通訳として乗艦していた。音吉は日本とのトラブルを避けるため、中国人であると偽っていた。
1853年(嘉永6年)マシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊が来航。開国を要求した。蒸気船の来航はこのとき
が初めてであった。
1854年(嘉永7年/安政元年)ペリーが再来航し、日米和親条約を締結。下田と函館を開港し、鎖国が終
わる。
1858年(安政5年)タウンゼント・ハリスと徳川幕府が日米修好通商条約を締結し、鎖国が完全に終わる。
なお、学問や商業目的の海外渡航が解禁されたのは1866年5月21日(慶応2年4月7日)のことであった。ま
た、外国人の居住が自由になるのは、正式には内地雑居が認められる1899年(明治32年)7月16日であ
る。
当初の「鎖国」の主目的であった「キリスト教の禁止」は、日米修好通商条約において居留地における教会
建設と居留アメリカ人の信教の自由が認められたが、明治政府もしばらくは禁教政策を続けており、日本人
に対する禁教が解かれたのは1873年(明治6年)であった。
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●明治維新
<改革までの経緯>
明治維新は、黒船来航に象徴される欧米列強の経済的・軍事的進出に対する抵抗運動(攘夷運動)に起
源を持つ。阿片戦争以後、東アジアで欧米による帝国主義の波が強まる中で、長年の国是であった鎖国
体制を極力維持し、旧来の体制を維持しようとする思想が現れた。しかし江戸幕府は、朝廷の意に反する
形で開国・通商路線を選択したため、攘夷運動は尊王論と結びつき、朝廷の権威のもと幕政改革と攘夷の
実行を求める尊王攘夷運動として広く展開されることとなった。
一方、開国・通商路線を是認する諸藩の中にも、いわゆる雄藩を中心に、幕府による対外貿易の独占に反
対し、あるいは欧米列強に対抗すべく旧来の幕藩体制の変革を訴える勢力が現れた。これらの勢力もまた
朝廷を奉じてその要求を実現させようとしたため、幕末は京都を舞台に朝廷を巡る複雑な政争が展開され
ることとなった。 尊王攘夷運動は、薩英戦争や下関戦争などにおいて欧米列強との軍事力の差が改めて
認識されたことで、観念的な攘夷論を克服し、国内統一・体制改革(近代化)を優先して、外国との交易に
よって富国強兵を図り、欧米に対抗できる力をつけるべきだとする「大攘夷」論が台頭し、尊王攘夷運動の
盟主的存在だった長州藩も開国論へと転向していくことになった。
幕府は、公武合体政策のもと朝廷の攘夷要求と妥協しつつ旧体制の存続を志向したため、次第に雄藩ら
の離反を招いた。また、黒船来航以来の威信の凋落もあって国内の統合力を著しく低下させ、幕末は農民
一揆が多発するようになった。このような情勢の中、諸侯連合政権を志向する土佐藩・越前藩らの主張(公
議政体論)や、より寡頭的な政権を志向する薩摩藩の主張など、幕府を廃し、朝廷のもとに権力を一元化
する国内改革構想が現れてくることとなる。また、それは旧弊な朝廷の抜本的な改革を伴う必要があった。
結果として、この両者の協力により王政復古が行われ、戊辰戦争による旧幕府勢力の排除を経て権力を確
立した新政府は、薩摩・長州両藩出身の官僚層を中心に急進的な近代化政策を推進していくこととなっ
た。
<改革の時期>
開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)とな
る。しかし、一般的にはその前年にあたる慶応3年(1867年)の大政奉還、王政復古以降の改革を指すこと
が多い(維新体制が整う以前の政治状況については幕末の項で扱うものとする)。終了時期についても、廃
藩置県の断行(明治4年、1872年)、西南戦争の終結(明治10年、1877年)、内閣制度の発足(明治18年、
1885年)、立憲体制の確立(明治22年、1889年)までとするなど諸説ある。
この期間の政府を特に明治政府(めいじせいふ)、新政府(しんせいふ)、維新政府(いしんせいふ)などと
呼称することが多い。「藩閥政府」と揶揄されることもあるが、中級官僚以上でも旧親藩・旧幕臣などから採
用された者も少なくなく、一概に一部雄藩のみが主導したともいえない。当時の人々からは主に大政奉還と
廃藩置県を指して御一新と呼ばれていた。
<五箇条の御誓文>
江戸幕府による大政奉還を受け、王政復古によって発足した明治新政府の方針は、天皇親政(旧来の幕
府・摂関などの廃止)を基本とし、諸外国(主に欧米列強国を指す)に追いつくための改革を模索すること
であった。その方針は、翌慶応4年(1868年)3月14日に公布された五箇条の御誓文で具体的に明文化さ
れることになる。合議体制、官民一体での国家形成、旧習の打破、世界列国と伍する実力の涵養などであ
る。なお、この『五箇条の御誓文』の起草者・監修者は「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」を全く新
たに入れた総裁局顧問・木戸孝允(長州藩)であるが、その前段階の『会盟』五箇条の起草者は参与・福岡
孝弟(土佐藩)であり、更にその前段階の『議事之体大意』五箇条の起草者は参与・由利公正(越前藩)で
ある。
その当時はまだ戊辰戦争のさなかであり、新政府は日本統一後の国是を内外に呈示する必要があった。
そのため、御誓文が、諸大名や、諸外国を意識して明治天皇が百官を率いて、皇祖神に誓いを立てるとい
う形式で出されたのである。さらに国民に対しては、同日に天皇の御名で「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」
が告示され、天皇自身が今後善政をしき、大いに国威を輝かすので、国民も旧来の陋習から捨てるように
説かれている。
これらの内容は、新政府の内政や外交に反映されて具体化されていくとともに、思想的には自由民権運動
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の理想とされていく。
また、この目的を達するための具体的なスローガンとして「富国強兵」「殖産興業」が頻用された。
<改革の内容>
(1)岩倉使節団の影響
1871年12月23日から1873年9月13日にかけて[7]維新政府は不平等条約改正ならびに西洋の諸制度を研
究するため岩倉具視を正使、大久保利通・木戸孝允・伊藤博文らを副使とする岩倉使節団を欧米へ派遣
した。使節団は条約改正には失敗するものの、西洋の諸制度の研究・吸収には成功し、この後の維新の動
きに大きな影響を与えた。一方、日本国内においては「留守政府」と呼ばれた日本残留組の西郷隆盛・井
上馨・大隈重信・板垣退助・江藤新平・大木喬任らの手によって、次々と改革は進んでいった。このような
改革には積極的に西洋文明の先進制度が取り入れられ、その過程で、「お雇い外国人」と呼ばれる外国人
が、技術指導、教育分野、官制・軍制整備など様々な分野で雇用され、近代国家建設を助けた。
(2)改革された諸制度
留守政府が行った主な改革としては、学制改革、地租改正、徴兵令、グレゴリオ暦の採用、司法制度の整
備、断髪令などがある。ただし、これらの改革は急激に行われたため矛盾も少なくなく、士族や農民の不満
を招いたため、後の征韓論につながったとも言われる。欧米使節から帰国した岩倉や大久保が明治六年
政変によって征韓論を退け、さらに大久保の下に内務省が設立されたことで諸改革の整理が行われること
になる。ただし留守政府の行った改革のほとんどは政変後も存続し、明治維新の根幹の政策となっていっ
た。
(3)軍隊
1930年代の海軍省徴兵令を導入し、近代的な常備軍を最初に作ろうとしたのは大村益次郎であったが、
彼が暗殺されてしまったため、山縣有朋に引き継がれた。明治3年、徴兵規則がつくられ、翌年の明治4年
に廃藩により兵部省が全国の軍事力を握ることとなり、明治5年には徴兵令が施行され、陸軍省と海軍省が
設置される。こうして近代的な常備軍が創設された。
(4)身分制度
江戸幕府下の武士・百姓・町人(いわゆる士農工商)の別を廃止し、「四民平等」を謳った。しかし、明治4年
に制定された戸籍法に基づき翌年に編纂された壬申戸籍では、旧武士階級を士族、それ以外を平民とし、
旧公家・大名や一部僧侶などを新たに華族として特権的階級とすると同時に、宮内省の支配の下に置くこ
とになった。
華族と士族には政府から家禄が与えられ、明治9年の秩禄処分まで支給された。同年、廃刀令が出され、
これにより士族の特権はなくなり、のちの不平士族の反乱(佐賀の乱、萩の乱、秋月の乱、神風連の乱)に
つながる。しかしこれらの反乱はいずれもほどなくして鎮圧され、1877年に維新の元勲の一人である西郷隆
盛が率いた最大の士族反乱であった西南戦争が鎮圧されると、士族による反乱は後を絶った。
(5)経済産業
維新を進めるに当たり、大きな問題となったのが税収の確保であった。それまでの年貢は収量を基本とす
る物納が基本であり、また各藩領において税率の不均衡があったことから、土地を基本とする新たな税制
が構想された。1871年には田畑永代売買禁止令が廃止されて土地の売買が可能となり、さらに1874年に
地租改正条例が布告されることで土地は私有となり、土地所有者に地券が発行されることとなって、所有す
る土地に対し地租が課せられることとなった。これにより、土地の所有権がはじめて法的に認められたことに
よって土地の売買や担保化が容易になり、私有財産権が完全に確立することで資本主義の発展の基礎条
件が成立した。
富国強兵・殖産興業のスローガンの下、工部省(のちに内務省)が中心となり、政府主導の産業育成が始
まる。富岡製糸場をはじめとする官営模範工場が作られるなど、西洋式工業技術が導入された。しかし西
南戦争後の財政難のため、1880年には「官営工場払下概則」が制定され、造幣局や通信、軍事関係を除
く官営工場や鉱山が民間に払い下げられていった。これによって民間の工業は大きく発展することとなり、
1890年ごろから産業革命が進行し、工業化が進展していくこととなった。
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金融制度でも旧幕府時代の貨幣制度を改めて、通貨単位として「円」を導入(明治4年(1871年)。新貨条
例を参照)、また国立銀行条例による国立銀行(ナショナルバンク)を経て、通貨発行権を独占する中央銀
行としての日本銀行設立(明治15年、1882年)など、資本主義的金融制度の整備も行われた。
流通分野では、1871年には前島密によって郵便制度が創設され、1872年には新橋駅から横浜駅間にお
いて日本初の鉄道が開通し、電信網の整備や船舶運輸(民間の郵便汽船三菱会社と国策会社の共同運
輸会社の競合を経て日本郵船会社)などの整備も行われた。これらの資本活動には、職を失った代わりに
秩禄を得た華族の資産による投資活動も背景にあった。
(6)思想
幕末から活発になっていた佐久間象山などの「倫理を中核とする実学」から「物理を中核とする実学」への
転回が行われ[8]、横井小楠の実学から物理を中核とする福澤諭吉の文明論への転回といった思想史の
転換が行われた。これに民間の知識人やジャーナリズムが連動し、文明開化の動きが加速する。
明治新政府は国民生活と思想の近代化もすすめ、具体的には、福澤諭吉・森有礼・西周・西村茂樹・加藤
弘之らによる明六社の結成と『明六雑誌』、福沢諭吉の『学問のすすめ』や中村正直の『西国立志編』『自
由之理』が刊行され、啓蒙活動が活発になった。また土佐藩の自由民権運動の動きと連動して中江兆民
や植木枝盛、馬場辰猪といった革新的な勢力と、佐々木高行、元田永孚、井上毅、品川弥二郎といった官
吏の保守的な勢力との対立が鮮明になってきた。
教育機関の整備では始めは大学寮をモデルにした「学舎制」案を玉松操・平田鐵胤・矢野玄道・渡辺重石
丸らの神道学者に命じて起草させたが、大久保利通や木戸孝允の意向の下、明治中期からは方針を変え
て近代的な教育機関の整備が行われるようになり、幕末以来の蘭学塾や漢学塾、それに幕府自身がつく
つた洋学教育機関である開成所や蕃書調所が直接の誘因となって、明治期の高等教育が出発した。
維新まで松前藩による支配下にあり開発の進んでいなかった北海道の開発にも明治政府は着手し、1869
年にはそれまでの蝦夷地から北海道と改名し、同年開拓使が置かれて、積極的な開発が進められた。北
海道の札幌農学校や、三田育種所など、各種の学校や研究所があいついで設置された。このように、あり
とあらゆるインフラが整備されていった。
(7)宗教
宗教的には、祭政一致の古代に復す改革であったから、慶応3年(1867年)旧暦正月17日に制定された職
制には神祇を七科の筆頭に置き、3月 (旧暦)には神仏分離令が布かれた。そして当時の復古的機運や特
権的階級であった寺院から搾取を受けていると感じていた民衆によって、仏教も外来の宗教として激しく排
斥する廃仏毀釈へと向かった。
また、キリスト教(耶蘇教)は、新政府によって引き続き厳禁された。キリスト教の指導者の総数140人は、萩
(66人)、津和野(28人)、福山(20人)に分けて強制的に移住させた。
慶応4年4月21日、勅命により湊川神社に楠木正成を祭ったのをはじめとして、それまでは賊軍とされ、顧
みられることが少なかった新田義貞、菊池武時、名和長年、北畠親房、北畠顕家ら南朝の忠臣を次々と祭
っていった。
明治2年(1869年)12月7日には、キリスト教信者約3,000人を、金沢以下10藩に分散移住させた。しかし、明
治4年(1871年)旧11月、岩倉具視特命全権大使一行が欧米各国を歴訪した折、耶蘇教禁止令が各国の
非難を浴びて、条約改正の交渉上障碍になるとの報告により、明治5年(1872年)に大蔵大輔の職にあった
井上馨は、長崎府庁在任時に関わった事から、明治5年正月に教徒赦免の建議をした。
神道国教化政策との絡みや、キリスト教を解禁しても直ちに欧米が条約改正には応じないとする懐疑的な
姿勢から来る、政府内の保守派の反対のみばかりでなく、宗教界や一般民衆からも「邪宗門」解禁に反対
する声が強く紛糾したものの、明治6年(1873年)2月24日禁制の高札を除去し、その旨を各国に通告した。
各藩に移住させられた教徒は帰村させ、ようやく終結した。
(8)法律
明治初期の日本は、不平等条約撤廃という外交上の目的もあり、民法、刑法、商法などの基本法典を整備
し、近代国家としての体裁を整えることが急務であった。そこで、日本は、法学研究目的での海外留学を積
極的に推し進めたほか、いわゆるお雇い外国人としてフランスの法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナー
ドを起用するなどし、フランス法及びドイツ法を基礎に、日本特有の慣習や国情にも配慮しつつ、法典の整
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備を進めた。刑法は1880年(明治13年)に制定、2年後に施行され、民法は1896年(明治29年)に制定、
1898年(明治31年)に施行された。日本は、アジアで初めて近代法の整備に成功した国となり、不平等条
約の撤廃も実現したが、近年グローバル化の進展の中で、アジア各国が日本に法整備支援を求めている
ことには、このような歴史的背景があるとも言われている[9]。
(9)文化
新時代「明治」の雰囲気が醸成されていき、人力車や馬車の普及、鉄道の開通、シルクハット・燕尾服・革
靴・こうもり傘などの洋装やザンギリ頭、パン・牛乳・牛鍋・ビールなど洋食の流行、ガス灯の設置や煉瓦造
りの西洋建築などである。
自由民権運動がしだいに活発となり、徳富蘇峰が平民主義と欧化主義を唱え、民友社の設立し、『国民之
友』を創刊し、それに対して三宅雪嶺は国粋保存主義を唱えて政教社を設立し『日本人』を発刊、志賀重
昂らが参加した。陸羯南は日刊新聞『日本』で国民主義を唱え、近代俳句の祖である正岡子規らが記者を
務めた。
この『日本』のような新聞が、徐々にさまざまな人々によって発刊されていくことになる。民間新聞のはじめ
は幕末に創刊された浜田彦蔵の『海外新聞』であり、沼間守一の『横浜毎日新聞』、福地源一郎の『東京日
日新聞』、栗本鋤雲の『郵便報知新聞』、末広重恭の『朝野新聞』などがつづく。
(10)教育
それまでは各藩ごとに独自の教育制度があったが、地域差が大きく、与えられる教育も異なっていた。それ
までの教育では身分等で分けられており、学校教育の偏りが一部存在していた。 明治になり、政府は日本
を強国にするためには、西洋のような一般国民にまで広く門戸を開いた、全国一律の教育制度が必要との
認識に立ち、義務教育が開始された。
1872年(明治5年)に学制が公布され、1886年(明治19年)には小学校令や帝国大学令が発布された結果、
全国に尋常小学校や高等小学校、大学が設立され、徐々に一般民衆も高度な教育を受けられる環境が
整った。
また、明治になると女子教育の必要性も叫ばれるようになった。特に海外渡航の経験があって、欧米の女
子教育を目の当たりにした渋沢栄一や伊藤博文たちは、その必要性を痛感しており、彼らによって女子教
育奨励会が設立された。同じく女子教育に理解のあった黒田清隆は、欧米に10年単位の長期間、留学生
を海外に派遣する岩倉使節団に、女子留学生も加えさせた。この時の留学生、永井しげ、津田うめ(後に津
田塾大学の関係者となる)、大山捨松は、日本の女子教育に大きな功績を残すこととなる。
1874年(明治7年)に女子師範学校が設立された。女子への教育は、老若男女を問わず、学問に対する批
評が根強かったため、男子への教育に比べるとその歩みは遅々としていた。しかし、徐々に女性への教育
の必要性は広く浸透していき、女子も義務教育、高等教育を受けられるようになっていった。
(11)外交政策
新政府にとって、最大の目標は欧米列強に追いつくことであり、そのためにも旧幕府時代に締結された不
平等条約の改正が急務とされた。上記の岩倉使節団は西欧諸制度の調査も目的であったが、条約改正の
ための下準備という面もあり、実際交渉も準備されたが、日本を近代国家と見なしていない欧米諸国からは
相手にされず、まだ時期尚早であった。そのため、欧化政策など日本が西洋と対等たらんとする様々な政
策が行われたが、条約改正自体は半世紀におよぶ不断の努力を必要とした(→条約改正)。
一方、不平等条約の失敗を鑑とした政府は、アジア諸国に対しては、平等以上の立場を確保することを旨
とした。清との間には明治4年(1871年)対等条約である日清修好条規が締結される。明治7年(1874年)に
は台湾における宮古島民殺害事件をきっかけに台湾出兵が行われ、両国の間で台湾・沖縄の帰属が決定
されることになった。
李氏朝鮮との間では国書受け入れを巡って紛争が起こり、明治6年(1873年)には政府を二分する論争(い
わゆる征韓論)となったが、明治8年(1875年)に起きた江華島事件を契機として日朝修好条規(江華島条
約)を締結し、朝鮮を自主国として認め、開国させるに至る。
琉球に対しては、明治5年に琉球藩を設置し、明治12年には琉球処分が行われる。
また、ロシア帝国との間では明治8年(1875年)に、千島樺太交換条約が締結され、それまで日露雑居地と
された樺太および千島列島における日露国境が確定した。
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●日本における産業革命
<その意義と時期>
鉱工業や運輸業に機械が導入されることにより、資本家と賃金労働者からなる資本主義的な生産様式が
発展し、小規模生産を駆逐して、日本経済全体の中心を占めるようになった画期。機械の導入そのものは、
幕末の幕藩営工業においてもみられたが、民間の綿糸紡績業や鉱山業などに次々と機械が導入されたの
は、1886年(明治19)の銀本位制移行を契機とする企業設立ブームにおいてであり、このときに日本産業
革命が始まったとみてよい。終了時点については、機械制綿糸紡績業の確立(1897年に綿糸の輸出量が
輸入量を上回ったことを指標とする)をもって終了とみる説もあるが、日露戦争(1904~1905)を経て、民間
の鉄鋼業や機械工業が発展し始め、織物業に力織機(りきしょっき)が導入されて手織機(ておりき)を圧倒し
始める1907年(明治40)ころをいちおうの終了時点とみるのが通説である。
<発展のアンバランス>
日本の産業革命は、産業部門ごとの発展が不均等であり、部門の間のつながりも不十分であった。農業部
門では大規模農場へ発展するものがまったくなく、商品貨幣経済に巻き込まれて競争に敗れ土地を失った
農民たちは、高い現物小作料を払って地主から土地を借り、小規模生産を続けた。小作農家の生活は苦
しかったため、娘たちの多くは繊維工場へ出かけて安い賃金で働かなければならなかった。小作農からさ
らに転落した者は、近くの都市などで仕事にありつけない限り、炭鉱や金属鉱山へ流れ込んで地底での重
労働に従事した。産業革命が終了したころの資本主義的生産の状態は、繊維工業と鉱山業に500人以上
の大規模作業場が数多くみられ、賃金労働者(職工・鉱夫)も両分野に集中していた(表1)。これらの分野
の労働は比較的単純なため、低賃金労働者が豊富な後進国日本は国際競争で有利な位置にあった。こ
れに対して、重工業(=金属・機械工業)のように多額の設備投資と熟練度の高い労働者が必要な分野は、
なかなか発展できなかった。急成長を遂げた綿糸紡績業は、必要とする紡績機械をもっぱらイギリスから輸
入しており、日本の機械工業はせいぜい修理を担当する程度であった。もっとも、製糸業の繰糸器械はほ
とんどが国産であり、織物業の機械化に際しては豊田佐吉(とよださきち)らの発明した安価な国産力織機
が普及するなど、繊維工業と機械工業の間のつながりは、しだいに強まっていったことも見落としてはなら
ない。以下、おもな部門の発展のようすをみてゆこう。
<繊維工業>
日本産業革命を代表する工業部門は綿糸紡績業であった。渋沢栄一らが設立した大阪紡績が、最新式
の輸入機械と安い輸入綿花を使い、女工を昼夜二交替で働かせて高利益をあげたのに刺激されて、1880
年代後半に大阪、東京、名古屋などの大都市商人が出資する大規模紡績が続々と設立された。国産の機
械制綿糸は、輸入インド綿糸を数年のうちに国内市場から駆逐しただけでなく、中国・朝鮮へと輸出され、
1913年(大正2)には中国市場においてインド糸輸入量を超えるまでになる。しかし、昼夜二交替制労働は
女工の体重を減少させ結核患者を多発させたため、1911年制定の工場法(1916施行)において、女工の
夜業禁止が定められた(ただし同法施行から15年間の適用猶予付き)。
養蚕農家がつくった繭を原料として生糸を製造する製糸業は、最大の輸出産業として多額の外貨を稼い
だ。富岡(とみおか)製糸場のフランス式鉄製繰糸機などをモデルに軽便かつ安価な木製繰糸機がつくられ、
1870年代後半から長野・山梨・岐阜などの農村にたくさんの器械製糸場が設立された。製糸家は輸出港横
浜の生糸売込問屋や地方銀行から借金して原料繭を仕入れ、出稼ぎ女工を長時間働かせて生糸を生産
した。女工の賃金は、工場内の全女工の賃金総額を固定したまま彼女らの繰糸成績によって分配されると
いう等級賃金制であったため、女工は長時間にわたって緊張した仕事を続けねばならず、しかも能率上昇
の成果は全体として製糸家のものとなった。製糸業の中心地長野県諏訪(すわ)では、製糸家が同盟して女
工の登録制度をつくり工場間の移動を禁止したので、彼女らは厳しい労働条件を耐えなければならなかっ
た。
<鉱山業>
石炭と銅は当時の重要な輸出品であった。1890年代から諸鉱山の主要坑道に巻揚機械が導入されたが、
切羽(きりは)での採掘と主要坑道までの運搬は手労働であり、地底での労働はたいへん厳しかった。筑豊
(ちくほう)の炭鉱では夫婦が仕事の単位となり、夫が狭い切羽で掘り出した石炭を妻が竹籠(かご)に入れて
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炭車まで引きずってゆく姿がみられた(女子坑内労働禁止は1933年)。こうした危険な重労働に従事する
労働者を集め、彼らの生活を会社にかわって管理したのが、納屋頭(なやがしら)とか飯場頭(はんばがしら)
とよばれる人々である。金属鉱山では鉱毒水や亜硫酸ガスによる鉱害がかならずといってよいほど発生し、
周辺住民との間にトラブルを生んだ。鉱夫の酷使に支えられ、周辺住民へ鉱害を及ぼしながら、鉱山経営
は大きな利益をもたらしたため、三井、三菱(みつびし)、住友、古河(ふるかわ)などの大財閥の最大の蓄積
基盤となった。
<重工業>
職工3000人以上の大工場は、官営の陸海軍工廠(こうしょう)と八幡(やはた)製鉄所が、紡績工場群を押さ
えて上位を独占していた。これら巨大軍工廠を中心として、日露戦争直後には兵器・軍艦の国産化が達成
された。鉄鋼業の発展においても官営八幡製鉄所の設立(1901)は決定的な画期をなし、同製鉄所はレー
ル製造などを行うとともに軍艦建造用の鋼材を供給した。一方、民間重工業もそれなりの発展を開始してい
た。1896年に欧米定期航路を開設した日本郵船など海運諸会社と結び付いて、三菱、川崎などの造船所
がとくに発展し、また、1906年の鉄道国有化の直後には蒸気機関車の国産化も達成された。さらに、住友
鋳鋼場、神戸製鋼所、川崎造船所鋳鋼工場、日本鋼管などの主要民間製鋼メーカーも日露戦争前後に
発足した。そして、1897年には、東京砲兵工廠、新橋鉄道局、日本鉄道大宮(おおみや)工場などの鉄工
(鉄を加工する旋盤工・仕上工・鍛工など)を横断的に組織した鉄工組合が、日本最初の労働組合として
結成される。産業革命を通じて生み出された階級対立が早くも重要な社会問題となったわけであるが、政
府は治安警察法(1900)を制定して幼弱な労働組合を抹殺した。
<貿易赤字と外資依存>
以上のような日本産業革命は、外国からの資本輸入に頼ることなくほとんど自力で進められた。鉄道、鉱山、
銀行などへの外資導入は政府によって排除され、日清(にっしん)戦争後に規制が緩められたが、流入した
外資は限られていた。そして、日露戦争の戦費調達のための巨額の外債発行が契機となって公債の形で
の外資依存が一挙に強まったが、1894年から恒常化していた貿易赤字はなかなか解消せず、第一次世界
大戦直前の日本は破産寸前の状態に陥っていたのである。[石井寛治]
●日本に関係の深い外国人
・鑑真:唐の僧。日本の律宗の祖。8世紀中頃に来朝、東大寺に戒壇を設け聖武上皇以下に授戒。唐招提
寺を創建。(過去3回以上出題された)
・ザビエル:1549年鹿児島に来日。のち平戸、山口で伝道し、日本で最初のキリスト教(カトリック)伝道者と
なる。(←2008年度出題)
・フロイス:16世紀半ばにイエズス会宣教師として来日。信長、秀吉と親交を深める。名著『日本史』を残し
た。(←2013年度出題)
・シーボルト:19世紀前期に来日、長崎郊外に鳴滝塾を開き医学などを教える。1828年シーボルト事件によ
り国外追放。(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・ペリー:1853年黒船4隻を率いて浦賀に来航し開国を要求。1854年日米和親条約の締結に成功する。
(過去3回以上出題された)
・ハリス:初代駐日米総領事として下田に着任。1858年日米修好通商条約の締結に成功する。(←2010年
度出題)
・モース:明治初期に来日、動物学を講じた。大森貝塚を発掘し日本の考古学の祖となる。著書『日本その
日その日』。(←2012年度出題)(←2013年度出題)
・フェノロサ:明治初期に来日、日本の伝統美術の復興に尽力し、岡倉天心とともに東京美術学校を創立し
た。(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・ラフカディオ・ハーン:明治中期に来日、帰化して小泉八雲となる。著書に『怪談』『神国日本』『人生と文
学』など。(過去3回以上出題された)
・ヘボン:アメリカ人宣教師。1859年来日。ヘボン式ローマ字を考案し、「英和学院」(現明治学院大学)を
開いた。(過去3回以上出題された)
・プチャーチン:1853年、長崎にパルラダ号で来航し、開国と国境の確定を要求した。(←2014年出題)
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・シドッチ:イタリア人イエズス会の宣教師で、1708年に屋久島に上陸したが捕らえられ、江戸に送られ5年
後に亡くなる。(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・ヴァリニャーノ(←2008年度出題)(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・ラスクマン:ロシア最初の遣日使節として、1792年にエカテリーナ号でオホーツクを出発し根室に到着した。
(←2013年度出題)
・ボアソナード:フランスの法学者で、幕末に締結された不平等条約による治外法権に代表される不平等条
項の撤廃のため、日本の国内法の整備に大きな貢献を果たし、「日本近代法の父」と呼ばれている。(←
2012年度出題)
・オルガンティーノ(←2008年度出題)
・マテオ・リッチ(←2008年度出題)
・グナイスト(←2011年度出題)
・シュタイン(←2011年度出題)
・モッセ(←2011年度出題)
・ボアソナード(←2011年度出題)
・フルベッキ(←2011年度出題)(←2013年度出題)
●外国船に関わる事件
・アロー号事件(←2009年度出題)
・フェートン号事件(←2009年度出題)
・モリソン号事件(←2009年度出題)
・ノルマントン号事件(←2009年度出題)
・サン=フェリペ号事件(←2009年度出題)
●日本と世界との関わり
・日米和親条約(1854年):老中阿部正弘とアメリカのペリーとの間で締結された条約。神奈川条約とも呼ば
れる。下田・箱館の開港、最恵国待遇の供与などが取り決められた。(←2009年度出題)(←2010年度出
題)
・日米修好通商条約(1858年):江戸幕府が米国総領事ハリスとの間に調印した条約。下田・箱館の他、神
奈川・長崎・新潟・兵庫が新たに開港。領事裁判権を認め、関税自主権がないなど極めて不平等な内容で
あった。
・下関条約(1895年):日清戦争の講和条約。日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章が下関で調
印。清は朝鮮の独立を認め、日本への遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金2億両(テール)の支払い
などを承認した。(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・日英同盟(1902年):桂内閣の時に締結された、ロシアの南下策に対するイギリスとの同盟。(←2011年度
出題)
・日清戦争(1894~95年):朝鮮の支配権をめぐる日清両国の戦争。甲午農民戦争を契機に始まり、日本
の勝利に終わった。下関で講和条約が締結された。
・ポーツマス条約(1905年):アメリカのポーツマスで調印した日露戦争の講和条約。日本全権小村寿太郎、
ロシア全権ウィッテ。日本は韓国に対する優越権、旅順・大連の租借権、南樺太などを得たが、賠償金は
得ることができなかった。(←2008年度出題)(←2009年度出題)
・日露戦争(1904~05年):満州をめぐる日露両国の戦争。日本軍の旅順攻撃に始まり、日本の勝利に終
わった。アメリカのポーツマスで講和条約が締結された。
・サンフランシスコ平和条約(1951年):日本と連合国48カ国との間に結ばれた第2次世界大戦終結のため
の講和条約。日本全権は吉田茂。翌年、日本は主権を回復した。
●政治史関連最重要人物
・厩戸皇子:聖徳太子のこと。593年推古天皇の摂政となり、冠位十二階や憲法十七条の制定、小野妹子
を遣隋使として派遣するなどを行った。仏教を奨励して四天王寺や法隆寺を建て、経典注釈書『三経義
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疏』を著した。
・天武天皇:飛鳥時代の天皇。天智天皇の弟。672年壬申の乱で甥の大友皇子と皇位を争って勝利し、翌
年即位。八色の姓を定めるなど、天皇を中心とする皇親政治を推進した。
・聖武天皇:奈良時代の天皇。皇后は光明子。深く仏教を信じ、全国に国分寺を建立し、東大寺の大仏を
造立した。数多くの遺品が東大寺正倉院宝庫に納められている。
・藤原道長:後一条・後朱雀・後冷泉の外戚。1017年太政大臣となり、その子頼通とともに藤原氏の全盛期
を現出した。
・源頼朝:鎌倉幕府初代将軍。1185年に壇の浦の戦いで平氏を滅亡させた。同年、守護・地頭を設置して
封建制度を確立。1192年征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開いた。
・後鳥羽上皇:鎌倉幕府に対抗して1221年承久の乱を起こすが敗れ、隠岐に流された。歌人としては優れ
『新古今和歌集』を編纂させた(1205年藤原定家ら撰進)。(←2010年度出題)
・北条泰時:鎌倉幕府3代執権。承久の乱で功を立て、初代六波羅探題となった。執権就任後、連署・評定
衆を置いて合議制を制度化し、1232年には貞永式目[御成敗目]を制定して執権政治の確立に努めた。
・北条時宗:鎌倉幕府8代執権。文永の役・弘安の役では元軍の撃退に成功。禅宗に深く帰依し、蘭渓道
隆の没後、宋より無学祖元を招いて建長寺の住持とし、のち円覚寺の開山とした。
・足利義満:室町幕府3代将軍。京都室町に将軍邸宅「花の御所」を造営。1392年には南北朝の合一を実
現した。北山に金閣を建て、北山文化を現出。15世紀初頭明と国交を開き、日明貿易[勘合貿易]を行っ
た。
・足利義政:室町幕府8代将軍。1467年家督相続の争いなどから応仁の乱が起こると、将軍職を子の義尚
に譲り、自らは東山に銀閣を建て、侘茶、水墨画など芸術三昧の隠居生活を送った。(←2008年度出題)
・織田信長:安土桃山時代の武将。桶狭間の戦いに勝利して勢力を拡大、1573年義昭を京都から追放し、
室町幕府は滅亡した。1582年本能寺の変で明智光秀に滅ぼされた。
・豊臣秀吉:安土桃山時代の武将。織田信長に仕え、信長の死後、1590年全国統一を達成。太閤検地に
よって近世封建社会の基礎を築き、刀狩によって兵農分離を徹底した。晩年、2度の朝鮮出兵を行ったが
失敗した。(←2008年度出題)
・徳川家康:江戸幕府初代将軍。1600年の関ヶ原の戦いで石田三成の西軍を破り天下の実権を握る。
1603年征夷大将軍となり江戸幕府を開いた。1615年の大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、江戸幕府260年の
基礎を固めた。(←2008年度出題)
・徳川吉宗:江戸幕府8代将軍。享保の改革を行い、定免法の採用、町火消の創設、目安箱の設置、上げ
米の制、相対済し令、新田開発、公事方御定書の制定など、財政再建・幕政改革に努めた。(←2012年度
出題)
・西郷隆盛:薩摩藩の下級武士として尊攘運動に活躍し、1866年薩長同盟を締結。戊辰戦争の参謀。
1871年廃藩置県に尽力、征韓論に敗れ下野。1877年、薩摩の士族にかつがれて西南戦争を起こしたが、
敗れて自刃した。(←2008年度出題)
・小村寿太郎:明治時代の外交官。日露戦争(1904~05)後のポーツマス会議では、第1次桂内閣のもと日
本全権として講和条約を締結した。1911年には第2次桂内閣の外相として、関税自主権の完全回復に成
功した。
・原敬:1918年米騒動のため寺内正毅内閣が倒れると、その後を受けてわが国最初の本格的政党内閣を
組織。「平民宰相」として国民に歓迎された。
・加藤高明:憲政会党主。第2次護憲運動の後に、1925年「普通選挙法」とともに「治安維持法」を公布し
た。
●乱・戦争など(過去3回以上出題されたもの)
・壬申の乱(672年):大友皇子の近江朝廷側と吉野の大海人皇子とが皇位をめぐって争った内乱。大海人
皇子が勝利し、後に天武天皇として即位した。
・承久の乱(1221年):後鳥羽上皇による鎌倉幕府打倒の兵乱。幕府軍に上皇方は破れ、後鳥羽上皇ら3
上皇が流罪となった。(←2008年度出題)
・文永・弘安の役[元寇](1274年、1281年):2度にわたる中国の元の日本来襲。暴風の助けもあり元軍は2
度とも敗退。
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・応仁の乱(1467~77年):細川勝元と山名持豊の対立に将軍継嗣問題と畠山・斯波家の家督争いがから
んで起きた11年間の大乱。この乱により天皇や将軍の権威が完全に失墜し、戦国時代となった。(←2008
年度出題)
・島原の乱(1637~38年):キリシタン農民の一揆。天草四郎時貞を大将に3万8千人の農民が原城址に立
てこもった。江戸幕府は12万人を動員し、半年の攻囲でようやく落城させた。(←2009年度出題)
・蛮社の獄(1839年):江戸幕府による洋学者弾圧事件。渡辺崋山、高野長英らがモリソン号事件を批判し
たとして逮捕され、処罰された。
・西南戦争(1877年):明治新政府に対する不平士族最大の反乱。鹿児島の私学校生徒を中心とした士族
が西郷隆盛を擁して挙兵し、政府軍に鎮圧された。(←2008年度出題)
●法律・条約など(過去3回以上出題されたもの)
・貞永式目[御成敗式目](1232年):北条泰時が定めた鎌倉幕府の基本法律で、日本最初の武家法。源頼
朝以来の先例や武家社会の慣習を基準とした。
・武家諸法度(1615年~):江戸時代の武家統制のための基本法。1615年の徳川秀忠の元和令を初めとし、
家光の寛永令で整備された。
・日米和親条約(1854年):老中阿部正弘とアメリカのペリーとの間で締結された条約。神奈川条約とも呼ば
れる。下田・箱館の開港、最恵国待遇の供与などが取り決められた。(←2009年度出題)(←2010年度出
題)
・日米修好通商条約(1858年):江戸幕府が米国総領事ハリスとの間に調印した条約。下田・箱館の他、神
奈川・長崎・新潟・兵庫が新たに開港。領事裁判権を認め、関税自主権がないなど極めて不平等な内容で
あった。
・大日本帝国憲法(1889年発布、翌年施行):通称、明治憲法。ドイツ憲法に範をとり、伊藤博文らの起草で
欽定憲法として発布。天皇を元首とし国民を臣民と呼ぶ主権在君制の憲法。
・下関条約(1895年):日清戦争の講和条約。日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章が下関で調
印。清は朝鮮の独立を認め、日本への遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金2億両(テール)の支払い
などを承認した。(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・日英同盟(1902年):桂内閣の時に締結された、ロシアの南下策に対するイギリスとの同盟。(←2011年度
出題)
・ポーツマス条約(1905年):アメリカのポーツマスで調印した日露戦争の講和条約。日本全権小村寿太郎、
ロシア全権ウィッテ。日本は韓国に対する優越権、旅順・大連の租借権、南樺太などを得たが、賠償金は
得ることができなかった。(←2008年度出題)(←2009年度出題)
・治安維持法(1925年):加藤高明内閣の時に社会主義運動弾圧のために制定された法律。国体の変革、
私有財産の否認を目的とする結社が禁止された。
・普通選挙法(1925年):治安維持法と引き換えに成立した法律。女性の参政権を認めないなど不完全な
普通選挙法であった。
・サンフランシスコ平和条約(1951年):日本と連合国48カ国との間に結ばれた第2次世界大戦終結のため
の講和条約。日本全権は吉田茂。翌年、日本は主権を回復した。
●重要名数
・三筆:嵯峨天皇 / 橘逸勢 / 空海(弘仁・貞観文化)(平安時代初期)(唐様)
・三蹟:小野道風 / 藤原佐理 / 藤原行成(国風文化)(平安時代中期)(和様)
・三管領:斯波家 / 細川家 / 畠山家
・御三家:尾張家 / 紀伊家 / 水戸家
・御三卿:田安家 / 一橋家 / 清水家
・江戸の三大改革:享保の改革(徳川吉宗) / 寛政の改革(松平定信) / 天保の改革(水野忠邦)
・明治維新の三傑:西郷隆盛 / 大久保利通 / 木戸孝允
・国学四大人(うし):荷田春満 / 賀茂真淵 / 本居宣長 / 平田篤胤
・四天王:持国天 / 広目天 / 増長天 / 多聞天
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・五街道:東海道 / 中山道 / 日光道中 / 奥州道中 / 甲州道中
●文化史関連重要人物
<僧侶>
・最澄:平安初期の僧。天台宗の開祖。比叡山に延暦寺を建立。山家学生式を定め、大乗戒壇の設置を
訴えた。(←2010年度出題)
・空海:平安初期の僧。真言宗の開祖。高野山に金剛峯寺を建立。綜芸種智院を京都に開設した。三筆の
ひとり。(←2010年度出題)
・源信:平安中期の僧。「恵心僧都」とも。比叡山に学ぶ。著書『往生要集』によって日本浄土教の祖とされ
る。(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・法然:平安後期~鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。専修念仏による往生を説いた。主著『選択本願念仏
集』。(←2013年度出題)
・栄西:平安後期~鎌倉初期の禅僧。臨済宗(禅宗)の祖。京都に建仁寺を建立。著書『興禅護国論』『喫
茶養生記』。(←2010年度出題)(←2011年度出題)
・親鸞:鎌倉時代の僧。浄土真宗の開祖。師は法然。主著『教行信証』。『歎異抄』は弟子唯円の編による
法話集。(←2010年度出題)(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・道元:鎌倉時代の禅僧。曹洞宗(禅宗)の開祖。越前に永平寺を建立。「只管打坐」を唱え、著書に『正法
眼蔵』がある。(←2010年度出題)(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・日蓮:鎌倉時代の僧。仏法の真髄は法華経にあると悟り、日蓮宗(法華宗)を開いた。主著『立正安国論』。
(←2010年度出題)(←2013年度出題)
・一遍:鎌倉時代の僧。時宗の開祖。踊念仏により時宗の普及に努めた。『一遍上人語録』は法話集。(←
2010年度出題)(←2011年度出題)(←2013年度出題)
・夢窓疎石:鎌倉末期・南北朝時代の禅僧。後醍醐天皇、足利尊氏の帰依を得た。西芳寺、天竜寺の庭園
をつくる。
<芸術家>
・鞍作鳥[止利仏師]:飛鳥時代の仏師。代表作は飛鳥寺「釈迦如来像」[飛鳥大仏]、法隆寺金堂「釈迦三
尊像」。(←2008年度出題)
・紀貫之:平安初期の貴族・歌人。醍醐天皇勅撰の『古今和歌集』の撰者の一人。著作に『土佐日記』があ
る。(←2008年度出題)(←2009年度出題)(←2010年度出題)
・定朝:平安中期の仏師。大量生産の可能な寄木造の手法を確立した。代表作は平等院鳳凰堂「阿弥陀
如来像」。
・運慶:鎌倉時代の仏師。剛健な写実主義が特徴。代表作は快慶との合作による東大寺南大門「金剛力士
像」。
・世阿弥:室町初期の能の大成者。父・観阿弥とともに足利義満の保護を受ける。『風姿花伝[花伝書]』を
著す。
・雪舟:室町後期の画僧。日本の水墨画を完成させた。代表作は「四季山水図巻[山水長巻]」「秋冬山水
図」。(←2009年度出題)(←2012年度出題)
・狩野永徳:安土桃山時代の画家。信長・秀吉に仕え、豪壮な障壁画を描いた。代表作に「唐獅子図屏
風」。(←2009年度出題)(←2010年度出題)
・松尾芭蕉:江戸前期の俳人。蕉風俳諧を確立。東北地方を旅し、多くの紀行文を残した。代表作『奥の細
道』。
・井原西鶴:浮世草子作者。代表作は『好色一代男』(好色物)、『日本永代蔵』『世間胸算用』(町人物)。
(←2013年度出題)
・菱川師宣:江戸前期の浮世絵師。浮世絵の祖とされる。代表作に「見返り美人」がある。(←2008年度出
題)(←2010年度出題)
・尾形光琳:江戸中期の画家。俵屋宗達の画風の影響を強く受ける。代表作「紅白梅図屏風」「燕子花図
屏風」。(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・渡辺崋山(←2008年度出題)
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・司馬江漢(←2008年度出題)
・歌川広重(←2011年度出題)
・葛飾北斎(←2011年度出題)
・喜多川歌麿(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・鈴木春信(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・東洲斎写楽(←2011年度出題)
・長谷川等伯(←2009年度出題)(←2011年度出題)
・円山応挙(←2009年度出題)
・滝廉太郎(←2011年度出題)
<学者・文人>
・阿倍仲麻呂:奈良初期留学生として入唐。帰国途上で暴風雨に遭い、帰国を断念。唐に留まり玄宗皇帝
に仕えた。
・菅原道真:平安前期の公卿・学者。894年遣唐使の廃止を建議し認められた。のち、讒言により大宰府に
左遷。
・新井白石:江戸中期の儒者・政治家。6・7代将軍の下で「正徳の治」を行う。著書に『読史余論』『西洋紀
聞』など。(←2010年度出題)
・荻生徂徠:江戸中期の儒者。古文辞学(古学の一派)の祖。江戸に・園塾を開く。著書は『政談』など。
・前野良沢:江戸中期の蘭医。蘭語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を杉田玄白らと共に翻訳、『解体新書』
として刊行。(←2009年度出題)
・杉田玄白:江戸中期の蘭医。『ターヘル・アナトミア』翻訳の苦労を記した『蘭学事始』はつとに知られる。
(←2009年度出題)(←2010年度出題)
・大槻玄沢(←2009年度出題)
・稲村三伯(←2009年度出題)
・本居宣長:江戸中期の国学者。『古事記伝』などを著し、儒教・仏教を排して「もののあはれ」・「古道」を賞
揚した。(←2010年度出題)(←2011年度出題)
・高野長英:江戸後期の蘭学者。長崎でシーボルトに学ぶ。1839年「蛮社の獄」で渡辺崋山らとともに弾圧
される。(←2012年度出題)
・吉田松陰:1854年ペリー来航の際海外密航を企て幽閉。松下村塾から優秀な人材を輩出するも、安政の
大獄で斬首。
・吉野作造:明治・大正の政治学者。彼が提唱した「民本主義」は大正デモクラシーの理論的支柱となった。
(←2010年度出題)
<人物問題、文学作品に出題される可能性のあるもの
・古事記
・日本書紀(←2009年度出題)
・風土記(←2009年度出題)
・万葉集(←2009年度出題)
・清少納言(枕草子)(←2009年度出題)
・源氏物語(紫式部)(←2009年度出題)
・平家物語(←2009年度出題)
・源実朝(金槐和歌集)(←2010年度出題)
・鴨長明(方丈記)(←2009年度出題)(←2010年度出題)(←2013年度出題)
・吉田兼好(徒然草)(←2009年度出題)(←2010年度出題)
・懐風藻(←2009年度出題)
・慈円(愚管抄)(←2010年度出題)
・岡倉天心(東京美術学校の設立)(←2010年度出題)
・小山内薫(自由劇場の結成)(←2010年度出題)
・辰野金吾(東京駅の設計)(←2010年度出題)
・黒田清輝(白馬会の結成)(←2010年度出題)
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・浅井忠(明治美術会を設立)(←2010年度出題)
・二葉亭四迷(浮雲)(←2008年度出題)
・間宮林蔵(樺太が島であることを確認)
・伊能忠敬(大日本沿海輿地全図)
・藤原基経(臣下として最初の関白)
・岩崎弥太郎(三菱商会)
・桂庵玄樹(薩南学派)
・後亀山天皇(南朝最後の天皇)
・坂本龍馬(薩長連合)
・林羅山(江戸前期の朱子学者。上野忍岡に家塾を開く)
・森有礼(日本初代の文部大臣)
・高杉晋作(松下村塾で学んだ長州藩士。奇兵隊を組織。功山寺挙兵)
・伊達政宗(支倉常長を欧州に派遣)
・日本永代蔵(井原西鶴)(←2011年度出題)
・国性爺合戦(近松門左衛門)(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・笈の小文(松尾芭蕉)(←2011年度出題)
・与謝野晶子(みだれ髪)(←2008年度出題)(←2009年度出題)(←2010年度出題)
・福澤諭吉(学問のすすめ)(←2008年度出題)(←2010年度出題)(←2011年度出題)
・中江兆民(←2008年度出題)
・島崎籐村(若菜集)(破戒)(←2010年度出題)
・坪内逍遥(小説神髄)(←2008年度出題)
・幸田露伴(五重塔)(←2010年度出題)
・藤原道の母(蜻蛉日記)(←2010年度出題)
・和泉式部(和泉式部日記)(←2010年度出題)
・菅原孝標の女(更級日記)(←2010年度出題)
・阿仏尼(十六夜日記)(←2010年度出題)(←2011年度出題)
・吾妻鏡(←2011年度出題)
・山家集(←2008年度出題)(←2011年度出題)
・古今集(←2011年度出題)
・新古今和歌集(←2011年度出題)
・金槐和歌集(←2008年度出題)
・伊勢物語(←2011年度出題)
・宇津保物語(←2011年度出題)
・竹取物語(←2011年度出題)
・大和物語(←2011年度出題)
・落窪物語(←2011年度出題)
・高野聖(泉鏡花)(←2011年度出題)
・土(長塚節)(←2011年度出題)
・羅生門(芥川龍之介)(←2011年度出題)
・蟹工船(小林多喜二)(←2011年度出題)
・或る女(有島武郎)(←2011年度出題)
・暗夜行路(志賀直哉)(←2011年度出題)
・舞姫(森鴎外)(←2009年度出題)
・金色夜叉(尾崎紅葉)(←2008年度出題)(←2009年度出題)
・樋口一葉(←2008年度出題)(←2009年度出題)
・正岡子規(←2008年度出題)
・千利休(←2009年度出題)
・青木昆陽(←2009年度出題)
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●写真問題に出題される可能性のあるもの
・高松塚古墳壁画(←2010年度出題)
・弾正台(←2011年度出題)
・大宰府天満宮(←2009年度出題)(←2011年度出題)
・法隆寺金堂(←2009年度出題)(←2011年度出題)
・法隆寺金堂壁画(白鳳文化)(←2010年度出題)
・正倉院鳥毛立女屏風(←2009年度出題)(←2010年度出題)
・法華寺十一面観音像(←2010年度出題)
・富嶽三十六景(葛飾北斎)
・東海道五十三次(歌川広重)
・龍虎図(橋本雅邦)
・東大寺三月堂(←2011年度出題)
・東大寺正倉院(←2011年度出題)
・東大寺南大門金剛力士像
・西本願寺飛雲閣(←2008年度出題)
・慈照寺東求堂(←2008年度出題)
・醍醐寺三宝院(←2008年度出題)
・厳島神社(←2008年度出題)
・比叡山延暦寺(←2009年度出題)
・鶴岡八幡宮(←2009年度出題)
・信濃善光寺(←2009年度出題)
・下野薬師寺(←2009年度出題)
・清水寺(←2009年度出題)
・鳥獣戯画(鳥羽僧正)(←2008年度出題)
・中尊寺金色堂(藤原清衡)
・中宮寺天寿国繍帳(←2010年度出題)(←2011年度出題)
・中宮寺半跏思惟像(←2010年度出題)
・広隆寺半跏思惟像(←2009年度出題)
・室生寺釈迦如来像 (←2010年度出題)
・東照宮陽明門(←2009年度出題)
・中尊寺金色堂(←2009年度出題)
・平等院鳳凰堂(定朝、藤原頼通)(←2010年度出題)(←2012年度出題)
・薬師寺東塔(2018年までの予定で約110年振りの東塔の解体修理が進められている)
・弾琴美人(鈴木春信)
・当麻寺当麻曼荼羅(←2010年度出題)(←2011年度出題)
・東大寺不空羂索観音像
・観心寺如意輪観音像(←2010年度出題)
・神護寺金堂薬師如来像(←2010年度出題)
・円覚寺舎利殿(禅宗様)
・薬師寺薬師三尊像
・富貴寺大堂(大分県)
・修学院離宮(後水尾天皇)(←2008年度出題)
・桂離宮(←2012年度出題)
・天龍寺(←2010年度出題)(←2008年度出題)
・平安神宮(←2010年度出題)
・二条城(←2009年度出題)(←2011年度出題)
・下鴨神社(←2009年度出題)
・聚楽第(←2011年度出題)
・五稜郭(←2011年度出題)
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・ニコライ堂(←2010年度出題)
・赤坂離宮(←2010年度出題)
・花沢館(←2011年度出題)
・興福寺阿修羅像
・三十三間堂(←2010年度出題)
・臼杵磨崖仏(大分県)
・洛中洛外図屏風(←2010年度出題)
・竜安寺石庭
・紅白梅図屏風(尾形光琳)
●NHK大河ドラマ「花燃ゆ」関連事項
<安倍首相の指示で決まった大河ドラマ(?)>
NHK大河ドラマの主人公、関連する事件などは、日本歴史の試験によく出題されるので注意が必要であ
る。
「織田信長」が予定だったと言われる2015年のNHK大河ドラマだが、安倍首相の指示(?)で、急遽、地元
山口県を舞台にした「女性が主人公の物語」をすることになって、ドタバタで決まったという曰くつきの「花燃
ゆ」ですが、当初は、伊藤博文の妻を主人公にする案が有力だったとか。
要するに、誰でもいいから、山口県を舞台にした「女性が主人公の物語」ということで決まったのが「花燃
ゆ」ということです。吉田松陰の妹・文(ふみ)が主人公なのですが、主人公にしては、文の史料があまりに
少なく(ほとんどなく)、無理やり決めた感が強く、脚本、演出も随分苦労しているとの話である。
<重要歴史事項>
・松下村塾
・明倫館
・奇兵隊
・尊皇攘夷
・ペリー来航(1853)
・日米和親条約(1854)
・日米修好通商条約(1858)
・安政の大獄(1858~1859)
・桜田門外の変(1860)
<重要人物>
・吉田松陰
・久坂玄瑞
・桂小五郎
・佐久間象山
・高杉晋作
・伊藤博文
・前原一誠
・梅田雲浜
・井伊直弼
・坂本龍馬
・西郷隆盛
・島津久光
・ペリー
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<一般常識>対策
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●基本資料・無料学習サイト
2014 年度<一般常識>試験問題
http://hello.ac/guide/2014generalknowledge.pdf
2013 年度<一般常識>試験問題
http://hello.ac/guide/2013generalknowledge.pdf
2012 年度<一般常識>試験問題
http://hello.ac/guide/2012generalknowledge.pdf
2011 年度<一般常識>試験問題
http://hello.ac/guide/2011generalknowledge.pdf
2010 年度<一般常識>試験問題
http://hello.ac/guide/2010generalknowledge.pdf
マラソンセミナー<一般常識>テキスト
http://hello.ac/marathon2012version/generalknowledgetext.pdf
<一般常識の最重要事項のまとめ>(2015年度受験対策)
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/9dcd51160b7da52b7e98c929af7d60e3
マラソンセミナー<一般常識>動画学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/aa9caa987007e8ef9f390a0a88c6e667
マラソンセミナー<一般常識>音声学習コーナー
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/89f4804d90b83a179d69e92565f0a210
第 1 次邦文試験対策<特訓 1800 題>無料自習学習コーナー
http://hello.ac/streaming/clinic/clinic_houbun/index.html
<Flashcards Deluxe>による学習法
http://blog.goo.ne.jp/gu6970/e/35e45334cca19e6f8df802b215963d40
<Flashcards Deluxe>でも、<特訓1800題>を4択形式で学習できます。
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●<一般常識>の試験方法
・ 試験は、現代の日本の産業、経済、政治及び文化についての主要な事柄(日本と世界との関
わりを含む。)のうち、外国人観光旅客の関心の強いものについての基礎的な知識を問うもの
とする。
・ 試験の方式は、多肢選択式(マークシート方式)とする。
・ 試験時間は 4 分とする。
・ 試験の満点は、10 点とする。
・ 問題の数は、40 問程度とする。
・ 内容は、最新の「観光白書」や新聞(一般紙)に掲載された時事問題をベースに出題する。
●訪日外国人旅行者、2014 年に 1,341 万人(重要度★★★)(←2014 年度関連問題出題)
(1)過去最高記録を達成。
2014 年の訪日外客数は前年比 29.4%増の 1,341 万 4 千人となり、これまで過去最高であった 2013 年の
1,036 万 4 千人を 300 万人余り上回った。
このうちアジア地域からの旅行者は 1061 万人と全体の 79%を占めた。中でも東アジアが 893 万人で
66.5%に達する。国・地域別では、1 位が台湾の 283 万人、2 位が韓国の 276 万人、3 位が中国の 241 万
人、4 位が香港の 93 万人、5 位が米国の 89 万人。次いで、タイ、オーストラリア、マレーシア、シンガポール、
英国の順。
ビザの大幅緩和や消費税免税制度拡充のほか、アジア地域の経済成長に伴う海外旅行需要の拡大、円
安進行による訪日旅行の割安感の浸透などが、2014 年の訪日外客数の拡大に寄与した。
(2)訪日外国人旅行者<国別ベスト 10>(総数 1,341 万人)
国名(来訪者数)(対前年伸率)
(1)台湾(283 万人)(28.0%)
(2)韓国(276 万人)(12.2%)
(3)中国(241 万人)(83.3%)
(4)香港(93 万人)(24.1%)
(5)米国(89 万人)(11.6%)
(6)タイ(66 万人)(45.0%)
(7)オーストラリア(30 万人)(23.8%)
(8)マレーシア(25 万人)(41.3%)
(9)シンガポール(23 万人)(20.4%)
(10)英国(22 万人)(14.8%)
(3)訪日客の約 67%は中国語圏、ハングル圏
領土問題や歴史認識問題などで日中韓の関係が冷え込んでいる中でも、訪日外国人の約 67%がハング
ルおよび中国語圏からである点は注目したい。
国別内訳は、台湾が全体の 21%、韓国が 21%、中国が 18%、香港 7%となっている。
(4)日本滞在中に使った旅行消費額
2014 年に訪日外国人が日本滞在中に使った旅行消費額も 2 兆円 305 億円と、前年比 43・3%増加した。
支出の内訳は、買い物代が 7000 億円超と全体の 35%程度を占めるほか、宿泊費(約 20%)、飲食費(約
20%)など。
外国人観光客 1 人当たりの平均支出額は約 15 万円になる。
国・地域別では、中国人旅行者の消費額が 5583 億円と全体の 27.5%を占め、次いで台湾が 3544 億円
(全体の 17.5%)、韓国が 2090 億円(10.3%)と、東アジアの近隣国・地域からの旅行者の消費額が多い。
(5)訪日外国人旅行者が増え続けている理由
円安や免税範囲拡大などが追い風に
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訪日外国人旅行者が増え続けている理由ついて、日本政府観光局(JNTO)は、(1)短期滞在査証(ビザ)
発給要件の大幅緩和、(2)消費税免税制度の拡充、(3)アジア地域の経済成長に伴う海外旅行需要の拡
大。
(4)円安進行による訪日旅行の割安感の浸透――などを挙げている。
消費税が免除される範囲は、従来の家電製品や衣類に加え日用品や飲食料品などにも広がった。これに
円安効果が加わり、日本で高級ブランド品を購入した旅行者からは「自国で購入するより 4 割程度安い」
(中国人旅行者)といった声も聞かれる。
1 人当たりの消費額が大きい中国人旅行者の増加には、悪化していた日中関係に改善の兆しが見えてき
たことも追い風になったとみられる。
(6)経済効果
日本の個人消費は、2014 年で推計 293 兆円規模とみられる。このため、外国人客による国内での 2 兆円
超の支出は、名目国内総生産(GDP)の 0.4%程度になる。「これに観光業界へのプラス効果などを含める
と、訪日外国人が日本の GDP を押し上げる経済効果は 2.7 兆円程度になる」(民間エコノミスト)との推計も
ある。ただ、各国・地域の外国人訪問者数国際比較では、日本の順位は 2013 年時点で 27 位と前年(33
位)より上昇したものの、“観光大国”への道のりはまだ長い。
(7)政府は訪日旅行促進事業をさらに推進
政府は東京オリンピック・パラリンピックが開催される 2020 年までに訪日外国人旅行者数「2000 万人達成」
の目標を掲げている。これを実現するため、訪日旅行促進のためのビジット・ジャパン事業の重点市場を、
14 カ国・地域から 20 カ国・地域に拡大し推進する。
外国人旅行者を迎える日本国内の「おもてなし」ムードも徐々に高まっている。政府は 2015 年についても
「1500 万人を超えることが期待される」(国交省)としており、このペースが続けば 2020 年時点での目標達
成の可能性は大きい。
●地域別訪日旅行市場の概況(2014 年度年間総括)(重要度★★)
(1)アジア
<韓国>
韓国の 2014 年の訪日旅行者数は 2,755,300 人となり、過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2007
年 2,600,694 人)。4 月中旬に発生した旅客船沈没事故を受け、船舶を利用した外国旅行の自粛や修学旅
行のキャンセルが発生し、上半期の訪日旅行に影響を及ぼしたものの、夏の旅行シーズンを契機に訪日
需要の回復が見られた。下半期は、円安傾向の継続、訪日旅行促進のための情報発信や共同プロモーシ
ョンにより、前年同期比 30.2%増の大幅な伸びを示した。
<中国>
中国の訪日旅行者数は 2,409,200 人で、過去最高を記録するとともに、中国市場としては初めて 200 万人
を突破した(これまでの過去最高は 2012 年 1,425,100 人)。2013 年 9 月から 16 カ月連続で各月の過去最
高を記録している。2012 年~2013 年に伸び悩んだ訪日旅行需要の反動に加え、大型クルーズ船が一年
を通じ多数寄港したこと、航空便の新規就航などが増加に繋がった。さらに 10 月からの免税制度拡充が、
円安傾向の追い風と相俟ってショッピング目的の訪日需要を喚起している。また、2014 年度から開始した
VJ 事業の『九州』キャンペーンにより、九州旅行商品の販売が増加している。
<台湾>
台湾の訪日旅行者数は 2,829,800 人で、3 年連続で過去最高を記録するとともに、全市場における年間の
最高記録を更新した(台湾市場におけるこれまでの過去最高は 2013 年 2,210,821 人)。台湾が市場別で
首位となるのは、1998 年以来 16 年ぶりである。映像やウェブサイトなどを使用した訪日プロモーションが奏
功したほか、ピーク期に合わせた増便やチャーター便の運航が好調な訪日を支えている。団体旅行は日
本国内の手配価格の高騰によりツアー価格が上昇している一方で、LCC の相次ぐ就航により個人旅行が
活況を帯びている。
- 38 -
<香港>
香港の訪日旅行者数は 925,900 人となり、過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013 年 745,881
人)。2013 年 2 月から 23 カ月連続で各月の過去最高を記録しており、12 月は単月として初めて 10 万人を
超えた。円安効果、免税制度の拡充を背景に、都市部へのショッピングを目的とした訪日が好調であった
ほか、関西・東京・福岡・中部の基幹空港への LCC 就航増加と、それによる航空会社間の競争激化により、
個人旅行者の利便性が高まったことが増加を後押しした。また、鉄道とレンタカーを使った旅を提案する
『Rail&Drive』キャンペーンが浸透し、九州・中部・北海道などで訪日外国人向け高速料金割引が相次いで
設定、鉄道会社によるレールパスの販売が強化されるなど、インバウンドにおける鉄道、ドライブ旅行市場
の拡大に貢献している。
<タイ>
タイの訪日旅行者数は 657,600 人で、3 年連続で過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013 年
453,642 人)。月別では、2012 年 4 月以降、各月の過去最高を更新し続けている。2013 年 7 月に開始され
たビザ免除を受けて実施した各種旅行博への出展や広告展開などの訪日プロモーションが奏功し、大幅
な増加に繋がった。また 6 月、9 月に相次いで新規就航した LCC 便により、割安な航空便を利用する個人
旅行者が増加した。ソンクラン(タイの旧正月)休暇のある 4 月は、桜シーズンに向けて実施したプロモーシ
ョンの効果もあり、99,396 人と 10 万人に迫る数字となり、市場別訪日外客数では香港、米国を上回り、はじ
めて 4 位となった。
<シンガポール>
シンガポールの訪日旅行者数は 227,900 人となり、過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013 年
189,280 人)。月別では、旧正月休暇の変動があった 2 月と、連休の並びが前年同月と比べて悪かった 8
月を除き、すべての月で各月の過去最高を記録した。円安傾向の継続に加え、SNS を利用したキャンペー
ンや訪日旅行フェアをはじめとしたイベントで、若年女性を中心とした個人旅行者に対する情報発信を積
極的に実施したことが、ピーク期である秋冬の沖縄へのチャーター便や北海道への冬期直行便の就航に
繋がり、訪日シンガポール人数の増加に寄与した。
<マレーシア>
マレーシアの訪日旅行者数は 249,500 人で、3 年連続で過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013
年 176,521 人)。上半期の伸率は前年同期比 62.5%増、下半期は同 26.9%増と、2013 年 7 月からのビザ
免除が上半期の大幅な増加要因となっている。8 月はラマダン(断食)明け休暇の移動によりマイナスを記
録したものの、旅行博への出展や、出展に合わせた共同プロモーションなどが需要を喚起し、ピーク期(学
校休暇)である 12 月は 39,300 人と単月として過去最高を記録した。
<インドネシア>
インドネシアの訪日旅行者数は 158,700 人で、3 年連続で過去最高を記録した(これまでの過去最高は
2013 年 136,797 人)。インドネシアの景気後退やルピア安(対米ドル)の進行に伴い、外国旅行の手控えが
発生しているものの、JNTO ジャカルタ事務所の開設(2014 年 3 月 20 日)を契機とした訪日プロモーション
の強化が訪日インドネシア人数の増加に寄与した。なお、12 月 1 日より、IC 旅券を所持し事前登録したイ
ンドネシア国民を対象としたビザ免除が開始された。
<フィリピン>
フィリピンの訪日旅行者数は 184,200 人で、10 年ぶりに過去最高を記録するとともに、前年比 70.0%増と
東南アジア市場で最も高い伸率を示した(これまでの過去最高は 2004 年 154,588 人)。月別では 4 月から
6 月、9 月から 12 月で、各月の過去最高を記録した。査証緩和に加え、円安の進行、羽田空港の国際線発
着枠の拡大に伴う増便や新規就航など、航空座席供給量が大幅に増加したことや、旅行会社などとの継
続的な共同広告の実施、旅行博でのプロモーションが、観光需要を大きく後押しし、2014 年の伸びに寄与
した。なお、9 月 30 日より、フィリピン国民に対する数次ビザの大幅緩和が実施された。
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<ベトナム>
ベトナムの訪日旅行者数は 124,300 人で、3 年連続で過去最高を記録し、初めて 10 万人を突破した。月別
では、2012 年 1 月以降、36 カ月連続で各月の過去最高を更新し続けている。査証緩和に加え、円安の進
行に伴う訪日旅行の価格低下、羽田便の増便をはじめとした座席供給量の増加、従来よりも手頃な価格で
の航空券の販売、共同広告、有名人歌手を起用したミュージックビデオの制作およびイベント実施、ベトナ
ム語による情報発信強化などのプロモーションが、増加要因として挙げられる。また、観光客だけでなく、留
学生、技能実習生なども増加傾向にある。なお、9 月 30 日より、ベトナム国民に対する数次ビザの大幅緩
和が実施された。
<インド>
インドの訪日旅行者数は 87,900 人となり、過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013 年 75,095 人)。
2014 年 1 月から 12 カ月連続で、各月の過去最高を記録した。インドでは、観光目的の個人旅行者を対象
とした訪日商品を販売する旅行会社が増加傾向にある。なお、2014 年 7 月より、インド国民に対する短期
滞在数次ビザの発給が開始され、広告に合わせて告知を実施した。訪日プロモーションによる効果のほか、
安倍首相のインド訪問(1 月)、モディ首相の訪日(8 月末~9 月)を契機に、メディアでの日本に関する露出
が増えたことも、訪日数増加に寄与した。
(2)豪州、北米
<豪州>
豪州の訪日旅行者数は 302,700 人で、過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013 年 244,569 人)。
月別では、イースター休暇の変動によりマイナスとなった 3 月を除き、すべての月で 2 桁台の伸びを示した。
スキープロモーションが大きく奏功し、冬場の訪日豪州人数の拡大に繋がったほか、春の桜シーズンも訪
日旅行商品が人気で好調であった。また、9 月、10 月には周遊型の大型クルーズ船が寄港したことなどに
より、前年同月比 30%を超える伸びとなった。
<米国>
米国の訪日旅行者数は 891,600 人で、2005 年(822,033 人)以来、9 年ぶりに過去最高を記録した。月別で
は、4 月から 9 カ月連続で、各月の過去最高を記録した。前年比の増加数は約 92,000 人で、東アジア 4
市場、タイに次いで訪日客全体の増加に大きく貢献している。米国経済の回復基調が続き、個人消費支
出にも好調が反映しつつあるなかで、円安の定着が訪日旅行に割安感を与えている。また、航空座席供
給量が減少傾向となったなかで、閑散期の需要拡大に着目し、オンライン旅行会社との連携で実施した訪
日旅行 PR や、雑誌、テレビ CM など、主流である個人旅行者をターゲットとした一般消費者向け広告プロ
モーションの拡大が、訪日米国人数の拡大に寄与している。
<カナダ>
カナダの訪日旅行者数は 182,900 人で、2008 年(168,307 人)以来、6 年ぶりに過去最高を記録した。月別
では、4 月から 9 カ月連続で、各月の過去最高を記録した。3 月、7 月の羽田便の就航による航空座席供給
量の増加、旅行会社との共同広告などによるプロモーション、円安傾向の継続が増加要因として挙げられ
る。
(3)欧州
<英国>
英国の訪日旅行者数は 220,100 人で、2007 年(221,945 人)、2005 年(221,535 人)に次いで、過去 3 番目
の記録であった。イースター休暇の変動によりマイナスとなった 3 月を除き、概ね前年比 2 桁台の増加が続
き、4 月、9 月、10 月は各月の過去最高を記録した。円安傾向の継続や、航空運賃が手頃な価格で提供さ
れていることなどの追い風に加え、雑誌、新聞などへの継続的な取材支援の実施による日本の露出拡大、
航空会社などとの共同プロモーションが、訪日英国人数の増加に繋がった。
<フランス>
フランスの訪日旅行者数は 178,600 人で、過去最高を記録した(これまでの過去最高は 2013 年 154,892
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人)。月別では、3 月から 10 カ月連続で、各月の過去最高を記録した。国際線発着枠の拡大に伴う羽田便
の新規就航が、4 月以降の増加要因となっている。また、地方を含めた旅行博への出展における訪日 PR、
閑散期やピーク期を狙った航空会社、旅行会社との共同プロモーションが、増加に貢献している。
<ドイツ>
ドイツの訪日旅行者数は 140,200 人で、2008 年(126,207 人)以来、6 年ぶりに過去最高を記録した。月別
では 4 月、5 月のほか、7 月から 6 カ月連続で、各月の過去最高を記録している。春のイースター休暇、紅
葉シーズンと重なる 10 月の秋休みが訪日旅行のピーク期で、継続的な円安の傾向もあり、訪日需要を押し
上げた。3 月下旬からはドイツと日本を結ぶ航空便数が増加しており、安定したドイツ経済、円安などが訪
日ドイツ人数増加への相乗効果となっている。
<ロシア>
ロシアの訪日旅行者数は 64,100 人で、2008 年(66,270 人)、2007 年(64,244 人)に次いで、過去 3 番目の
記録であった。月別では、3 月に過去最高を記録した。2014 年 2 月以降はルーブル安のため前年比で円
高となっており、ロシア経済の低迷も相俟って訪日需要が鈍化しているものの、旅行博での訪日プロモー
ションや共同広告などがプラスに寄与した。
●訪日外国人数の最新動向(重要度★★★)(←2014 年度関連問題出題)
(1)2015 年 4 月の訪日外客数
2015 年 4 月の訪日外客数は、前年同月比 43.3%増、50 万人以上の増加となる 176 万 4 千人で、初めて単
月として 170 万人を突破した。これにより、3 カ月連続で単月過去最高を更新すると共に、4 月単月で昨年
第 2 四半期(4 月~6 月期)の総数 338 万人の 5 割を超える非常に大きな数となった。
訪日インバウンド拡大に向けた継続的な取り組みの積み重ねにより、各市場での訪日旅行気運が醸成さ
れ、かねてからの円安傾向の継続、訪日外客に人気の高い桜の季節及び休暇シーズン等の到来(イース
ター[2015 年 4 月 3 日~6 日]、清明節[2015 年 4 月 4 日~6 日]、ソンクラーン[2015 年 4 月 13 日~15 日])、
さらには航空路線の新規就航や既存便の増便といった外的要因と相まって、4 月の訪日需要を大きく押し
上げた。
(2)国別
国別では、中国、台湾、香港、タイ、フィリピン、ベトナム、米国、カナダ、英国、フランスが単月として過去最
高を記録したほか、ロシア、スペインを除く 18 国が 4 月としての過去最高を記録した。中国が、全市場を通
じ初めて単月で 40 万人台を記録すると共に、台湾が同市場では初めて単月で 30 万人台を、タイが東南ア
ジア市場では初めて単月で 10 万人台を記録した。
(3)更なる需要の拡大が期待される
5 月は、桜シーズンと夏休みの狭間となるが、引き続き好調に推移すると予想される。また、夏休みシーズ
ンに向けては、現在の円安基調に加え、東アジア、東南アジア、北米の夏ダイヤへの移行に伴う航空路線
の新規就航や増便、燃油サーチャージ引き下げ等も、訪日需要を押し上げる要因になるものと考えられ、
更なる需要の拡大が期待される。
●東京都を訪れた外国人旅行者の行動特性
(1)「訪都回数」は「1 回目」が 45.9%、「2 回目以上」が 53.5%。
訪都回数「2 回目以上」の割合が最も高かった国・地域は、香港の 74.9%。
(2)「旅行形態」は、個人旅行が旅行者全体の 73.3%を占める。個人旅行の割合は、欧米豪は全ての国で 8
割以上。
(3)「訪問先」は、「新宿・大久保」が 55.6%、「銀座」が 48.4%、「浅草」が 47.3%。
(4)「一番満足した場所」は、「新宿・大久保(13.8%)」「浅草(12.7%)」、「銀座(12.5%)」。
(5)上記の「一番満足した場所」で行った活動は、「新宿・大久保」は「ショッピング(46.6%)」、「浅草」は「歴
史的・伝統的な景観、寺・神社、日本庭園(64.8%)」、「銀座」は「ショッピング(52.8%)」となっている。
- 41 -
●日本の世界遺産(合計 18 件)(重要度★★★)
【世界遺産とは】
世界遺産とは、1972 年のユネスコ(UNESCO)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に
関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、遺跡、景観、自然など、人類が共
有すべき「顕著な普遍的価値」をもつ物件のことで、移動が不可能な不動産やそれに準ずるものが対象と
なっている。(←UNESCO を問う問題が 2011 年度出題)(←平泉が 2012 年度出題)
日本国内では、文化遺産 14 件、自然遺産 4 件の合計 18 件が登録されている。
なお、明治日本の産業革命遺産が、2015 年 7 月登録予定である。
【文化遺産】(計 14 件)
(1)法隆寺地域の仏教建造物(1993 年 12 月登録)
(2)姫路城(1993 年 12 月登録)
(3)古都京都の文化財(1994 年 12 月登録)
(4)白川郷・五箇山の合掌造り集落(1995 年 12 月登録)
(5)原爆ドーム(1996 年 12 月登録)
(6)厳島神社(1996 年 12 月登録)
(7)古都奈良の文化財(1998 年 12 月登録)
(8)日光の社寺(1999 年 12 月登録)
(9)琉球王国のグスク及び関連遺産群(2000 年 12 月登録)
(10)紀伊山地の霊場と参詣道(2004 年 7 月登録)
(11)石見銀山遺跡とその文化的景観(2007 年 6 月登録)
(12)平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(2011 年 6 月登録)(←2012 年度出題)
(13)富士山―信仰の対象と芸術の源泉(2013 年 6 月)
(14)富岡製糸場と絹産業遺産群(2014 年 6 月登録)
【自然遺産】(計 4 件)
(1)屋久島(1993 年 12 月登録)
(2)白神山地(1993 年 12 月登録)
(3)知床(2005 年 7 月登録)
(4)小笠原諸島(2011 年 6 月登録)
【世界遺産暫定リスト掲載物件】
日本政府は登録の前提となる暫定リストに 11 件(文化遺産のみ)を掲載している。
・文化遺産
(1)武家の古都・鎌倉(1992 年 10 月掲載)
(2)彦根城(1992 年 10 月掲載)
(3)富岡製糸場と絹産業遺産群(2007 年 1 月掲載)
(4)長崎の教会群とキリスト教関連遺産(2007 年 1 月掲載)
(5)飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群(2007 年 1 月掲載)
(6)国立西洋美術館本館(2007 年 9 月掲載)
(7)北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群(2009 年 1 月掲載)
(8)九州・山口の近代化産業遺産群(2009 年 1 月掲載)
(9)宗像・沖ノ島と関連遺産群(2009 年 1 月掲載)
(10)百舌鳥・古市古墳群(2010 年 11 月掲載)
(11)金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(2010 年 11 月掲載)
●訪日外国人客関係データ(重要度★★★)(よく出題される!)
・訪日外国人客数:861 万人(2010 年)、622 万人(2011 年)、836 万人(2012 年)、1036 万人(2013 年)、1,341
万人(2014 年)(←2012 年度出題)(←2014 年度出題)
・国別訪日外国人客数ベスト 6(2014 年):(1)台湾(283 万人)(2)韓国(276 万人)(3)中国(241 万人)(4)米国
- 42 -
(89 万人)(5)香港(93 万人)(6)タイ(66 万人)(←2010 年度、2012 年度、2014 年度出題)
・観光客が訪日旅行に期待すること(2014 年):(1)日本食(68.5%)、(2)ショッピング(53.0%)(3)自然・景勝
地観光(37.4%)(4)「温泉入浴」(32.9%)、(5)繁華街の街歩き(35.9%)、(6)日本酒を飲むこと(20.6%)、(7)「旅
館に宿泊」(19.0%)
・一番満足した飲食(2014 年):(1)寿司(19.2%)、(2)肉料理(16.7)、(3)ラーメン(17.4%)、(4)魚料理(14.1%)、
(5)その他の日本料理(8.9%)、(6)そば・うどん(6.3%)、(5)菓子類(5.3%)
●国の借金(1053 兆円、国民一人当り 830 万円)
財務省は、国債と借入金、政府短期証券を合計した「国の借金」が 2014 年度末時点で 1053 兆 3572 億円
になったと発表した。2013 年度末から 28 兆 4003 億円増え、過去最大を更新した。高齢化に伴い膨らんで
いる社会保障費の財源不足を、借金で賄い続けていることが主因だ。国民1人当たり約 830 万円の借金を
抱えている計算となる。
借金の内訳は、国債が 881 兆 4847 億円。2013 年度から 27 兆 7211 億円も増え、借金依存の体質をあら
ためて浮き彫りにした。
国庫の一時的な資金不足を穴埋めするために発行する政府短期証券は1兆 1999 億円増の 116 兆 8883
億円。金融機関などからの借入金は 5207 億円減の 54 兆 9841 億円だった。
財務省は 2015 年2月、国の借金が 2015 年度末には 1167 兆円になるとの見通しを発表している。
●その他の重要データ(重要度★★)
・日本の人口:1 億 2688 万人(2015 年 5 月)
・日本に住む外国人の人数:207 万人(2013 年 12 月)
・日本に住む外国人の国籍・出身地別人数(2013 年 12 月):(1)65 万人(中国)(2)52 万人(韓国・朝鮮)
(3)21 万人(フィリピン)(4)18 万人(ブラジル)(←2009 年度出題)
・合計特殊出生率:1.43(2013 年)(←2010 年度出題)
・65 歳以上人口構成比:25.0%(2013 年 9 月 15 日)(←2010 年度出題)
・労働力人口(全就業者数)(総務省発表):は 6,246 万人(2013 年 3 月)
・完全失業者数(総務省発表):245 万人(2014 年 6 月)
・雇用者に占める非正規の職員・従業員の人数(比率):1962 万人(37.4%)(2014 年平均)(←2010 年度出
題)
・実質国内総生産:525 兆 1000 億円(2014 年度)
・実質経済成長率(実質):-1.0%(2014 年度)
・消費者物価指数上昇率(日本銀行):2.9%(2014 年)
・2015 年度予算の一般会計総額:96 兆 3,420 億円
・輸出総額(確定値):73 兆 930 億円(2014 年)
・輸入総額(確定値):85 兆 9091 億円(2014 年)
・日本の貿易相手国(輸出)(2014 年):1 位:米国、2 位:中国、3 位:韓国、4 位:台湾、5 位:香港(←2012
年度出題)
・日本の貿易相手国(輸入)(2014 年):1 位:中国、2 位:米国、3 位:オーストラリア、4 位:サウジアラビア、5
位:アラブ首長国連邦(←2012 年度出題)
・外貨準備高:1 兆 2690 億 7900 万ドル(2014 年 11 月)1,269,079
・国債残高:780 兆円(2014 年度末)(税収の約 16 年分に相当)
・国債の国内消化率:94.9%(2014 年度末概算)
・個人金融資産残高:1664 兆円(2014 年 12 月)
・完全失業率:3.6%(2014 年平均)
・有効求人倍率:1.15 倍(2015 年 2 月)
・総合食料自給率(カロリーベース):39%(2014 年概算)
・乗用車生産台数:963 万台(2013 年)
●国際連合(重要度★★★)
・国際連合の成立:1945 年 10 月 24 日
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・国際連合本部所在地:アメリカ・ニューヨーク
・原加盟国:51 カ国
・現在の加盟国数:193 カ国(2014 年 8 月現在)
・現在の国連事務総長:潘基文(パン・ギムン/韓国)(2007 年~)
・国連事務総長の任期:5 年(2 期 10 年務めるのが慣例となっている)
・国際司法裁判所の所在地:オランダ・ハーグ
・安全保障理事会の構成:常任理事国(米・英・仏・中・露)と非常任理事国(任期 2 年/10 カ国)の計 15 カ
国
●EU=欧州連合>(重要度★★★)
・現在の加盟国数:28 カ国
・EU 本部所在地:ベルギー・ブリュッセル
・EUに関する条約(発効年):マーストリヒト条約(1993)⇒アムステルダム条約(1999)⇒ニース条約(2003)
・2007 年に加盟した国:ルーマニア/ブルガリア
・2013 年に加盟した国:クロアチア(←2014 年度出題)
・加盟候補国:トルコ/マケドニア
●ASEAN=東南アジア諸国連合(重要度★★)
・ASEAN 加盟国:インドネシア/フィリピン/マレーシア/タイ/シンガポール/ブルネイ/ベトナム/ミャ
ンマー/ラオス/カンボジアの 10 カ国 ※本部=インドネシア・ジャカルタ(←2014 年度出題)
・ASEAN+3:1997 年のアジア通貨危機以後、ASEAN 首脳・財相・外相会議に日本・中国・韓国が参加して
いる。
・東アジア共同体(EAC)構想:ASEAN+3 にインド・オーストラリア・ニュージーランドを加えた 16 カ国で、
2007 年 1 月フィリピン・セブにおいて第 2 回東アジア首脳会議が行われた。
●オリンピック関連(重要度★★★)
【オリンピック夏季大会開催地】
・シドニー(オーストラリア)(2000 年)
・アテネ(ギリシャ)(2004 年)
・北京(中国)(2008)
・ロンドン(イギリス)(2012 年)
・リオデジャネイロ(ブラジル)(2016 年予定)
・東京(2020 年予定)
【オリンピック冬季大会開催地】
・ソルトレークシティ(アメリカ)(2002 年)
・トリノ(イタリア)(2006 年)
・バンクーバー(カナダ)(2010 年)
・ソチ(ロシア)(2014 年予定)
・平昌(ピョンチャン)(韓国)(2018 年予定)
●「日本食を食べること」対策
三大和牛:松阪牛(三重県)、近江牛(滋賀県)、神戸牛(兵庫県)
三大銘柄牛:松阪牛(三重県)、近江牛(滋賀県)、前沢牛(岩手県)
三大そば:戸隠そば(長野県)、出雲そば(島根県)、わんこそば(岩手県)
三大うどん:讃岐うどん(香川県)、稲庭うどん(秋田県)、《水沢うどん(群馬県)、五島うどん(長
崎県)、氷見うどん(富山県)、きしめん(愛知県)のいずれか》
三大そうめん:三輪そうめん(奈良県)、揖保の糸(兵庫県)、小豆島そうめん(香川県小豆島)
三大ラーメン:札幌ラーメン(北海道)、博多ラーメン(福岡県)、喜多方ラーメン(福島県)
江戸三大料理:蕎麦、寿司、天ぷら
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江戸三大蕎麦:「更科」、「藪」、「砂場」
三大銘茶:宇治茶(京都府)、狭山茶(埼玉県)、静岡茶(静岡県)
三大葱:下仁田ネギ(群馬県)、岩津ねぎ(兵庫県)、博多万能ねぎ(福岡県)
三大銘菓:大和屋・越乃雪(新潟県長岡市)、森八・長生殿(石川県金沢市)、《風流堂・山川
(島根県松江市)、または、福岡松屋菓子舗・鶏卵素麺[要出典]》
三大七味唐辛子:やげん堀(東京都浅草寺門前)、七味家(京都府清水寺門前)、八幡屋礒五
郎(長野県善光寺門前)
三大杜氏(とうじ):南部杜氏、越後杜氏、丹波杜氏
●「ショッピング」対策
●「旅館に宿泊」対策
●「スキー・スノーボード」対策
●「日本のポップカルチャーを楽しむ」対策
●「美術館・博物館」対策
●「日本の酒を飲むこと(日本酒、焼酎等)」対策
●「舞台芸能(歌舞伎・演劇・音楽等)」対策
●「繁華街の街歩き」対策
●「日本の日常生活体験」対策
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推薦参考書
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凡例:★の数が多いほど推薦できる。
●地図とデータでよくわかる「日本地理」(★★★)(地理対策)
(JTBパブリッシング)(1300円)(2013年12月1日)(143ページ)
地図、図版、文章で、いまさら聞けない「?」を徹底解説。
●なんでもひける「日本地理」(★★★)(地理対策)
(成美堂出版)(1404円) 知りたいテーマですぐひける!便利なジャンル別索引。
通訳案内士試験にピッタリなテーマが多い。
●「旅に出たくなる地図(日本)」(★★★)(地理対策)
(帝国書院)(2400円)(2014年3月10日)(251ページ)
世界遺産に登録された「富士山」「小笠原諸島」や、話題の「豪華列車の旅」「東京スカイツリー」
など、新たに特集頁を掲載して、8頁増! 美しい地図とダイナミックな鳥瞰図が満載で、いつか
は行ってみたい観光名所へ、自宅にいながら旅行気分が味わえる! これからの旅行のプランニ
ングや、これまでに行った旅先の振り返りにも最適!
●「旅地図(日本)」(★★★)(地理対策)
(昭文社)(2000円)(2015年5月1日)(208ページ)
日本全国の人気、定番エリアをくまなく収録。旅ネタ満載。ビジュアルマップ。写真+記事+アイコ
ンで見やすい名所・観光スポット1000収録。絶景ギャラリー、世界遺産、国指定文化財、日本の
100選(山、名水、城、滝、白砂青松、さくら)、
●今がわかる、時代がわかる「日本地図」2015年版(★★★)(地理・一般常識対策)
(成美堂出版)(1600円)(2015年1月10日)(255ページ)
日本の「今」を詳らかにする「元祖情報地図」。政治、社会、産業経済、交通・情報などの「テー
マ」別日本の現状を豊富な図表や写真を使って解説している。・
●ニュースがスイスイわかる「なるほど知図帳2015」(★★★)(地理・一般常識対策)
(昭文社)(1600円)(2015年)(251ページ)
特集①:2015年の展望:日本はこうなる!政治・経済・外交・インフラなど日本のこれからを徹底
分析。特集②世界に誇れる!ニッポンの最先端技術。
ニュースで気になる話題を押さえた圧巻の67テーマ!!
●「完全制覇国内旅行地理検定試験」(★★)(地理対策)
(一ツ橋書店)(1500円)(2015年4月27日)(247ページ)
旅行業務取扱管理者試験に対応。①データ編、地域別問題で標準知識をゲット。②温泉、自
然景観地を全国地図で位置確認。③四択問題で解答力アップ。④反復設問で弱点補強。
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●一発合格!「旅行業務取扱管理者試験①観光地理テキスト」(★★)(地理対策)
(大原出版)(1500円)(2014年12月15日)(336ページ)
初めて学ぶ方でもよくわかる「旅行管理者試験の基礎知識」を掲載。頻出問題を厳選。
●一発合格!「旅行業務取扱管理者試験①観光地理トレーニング問題集」(★★)(地理対策)
(大原出版)(1000円)(2014年12月15日)(176ページ) 「総合」「国内」試験の「旅行実務」科目
の「観光地理」に対応。重要度ランク付き、だから、スムーズに実力アップ。
●「日本の世界遺産」(★★★)(地理・一般常識対策)
(JTBパブリッシング)(1200円)(2012年発行)(141ページ) 写真と説明が充実している。2012年
発行なので、富士山と富岡製糸場と絹産業遺産群が掲載されていない。
●「日本の世界遺産めぐり」(★★)(地理・一般常識対策)
(昭文社) (1000円)(2015年発行)(79ページ) 写真と地図と説明が充実している。
●アドバンス「中学歴史資料」(★★★)(歴史対策)
(帝国書院)(2015年2月25日)(233ページ)
歴史が苦手な方の入門書として最適。難しい漢字には、すべてひらがながふってある。
●地図とデータでよくわかる「日本史」(★★★)(歴史対策)
(JTBパブリッシング)(1300円)(2013年7月1日)(143ページ)
高い理解度。データ満載の地図。魅力の人物伝。明治維新とは武士の大規模リストラだった?
織田信長のイノベーション戦略とは?人は城、人は石垣、人は堀。
●「地図で訪れる歴史の舞台」 (★★)(歴史対策)
(帝国書院)(2000円)(2013年7月10日)(226ページ)
「ここで歴史が動いた!」をテーマに、日本各地の歴史の舞台を解説したユニークな本である。
文字だけではつかむことができない史実を写真と地図で分かりやすく説明してある。但し、本書
は歴史書ではないので、歴史の流れを学ぶことはできない。
●山川ビジュアル版「日本史図録」(★★)(歴史対策)
(山川出版社)(840円)(2014年12月25日)(280ページ)
定番の参考書。
●詳説「日本史図録」(★★)(歴史対策)
(山川出版社)(860円)(2015年1月25日)(360ページ)
●「新詳日本史」(★★)(歴史対策)
(浜島書店)(857円)(2015年2月4日)(361ページ)
●「プロムナード日本史」 (★★★)(歴史対策)
(浜島書店)(819円)(2015年2月4日)(241ページ) 勉強しやすい。
●観光白書(平成26年版)(★★★)(一般常識対策)
(平成 27 年版は、7月 20 日発行予定なので、平成 26 年版を利用すればよい)
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●「’16年版 最新最強の一般常識」(★★★)(一般常識対策)
(成美堂出版)(1200円)(2014年6月20日発行)(207ページ)
2014 年度の一般常識で、4 題の類似問題が本書より出題されている。
時事問題は、「政治」「国際情勢」「経済」「産業」「金融」「科学・技術」「自然・環境」「社会・生活」
「教育・文化」「スポーツ・芸能」 の 10 分野に、一般常識問題は、「国語・社会」「数学・物理化
学」「英語」の 3 分野に分けられている。
●「’16年版 最新最強の一般常識 一問一答」(★★)(一般常識対策)
(成美堂出版)(1200円)(2014年6月20日発行)(239ページ)
「政治」「国際」「社会」「地理・歴史」「文化・スポーツ」の各ジャンルを網羅。一問一答形式で知
識の整理ができる。
●「一般常識&最新時事」(★★★)(一般常識対策)
(新星出版社)(1200円)(2014年12月5日発行)(207ページ)
重要最新時事問題を網羅。絶対におさえておきたい一般常識を厳選。[別冊]業界別重要キー
ワード付き。通訳案内士試験の一般常識の問題と似た問題が満載。
●就活生1000人に聞いた「一般常識&最新時事」(★★★)(一般常識対策)
(新星出版社)(1200円)(2014年12月5日発行)(207ページ)
時事問題の「今」がわかる。一般常識の知識の整理に最適。
●「一般常識&時事 一問一答」(★★)(一般常識対策)
(高橋書店)(1000円)(2014年7月25日発行)(159ページ)
別冊「イッキに!最新時事&業界別キーワード」。一般常識の知識の整理に最適。
●「最新時事用語&問題」(★★★)(一般常識対策)
(新聞ダイジェスト社)(1300円)(2015年2月12日発行)(223ページ)
知っておきたい話題や基本の135用語を網羅。この1冊で、小論文、就職、資格対策も完璧。
●「一般常識&時事問題」(★★)(一般常識対策)
(新聞ダイジェスト社)(1000円)(2014年12月15日発行)(223ページ)
巻頭特集:最新時事問題模擬テスト。一般常識の知識の整理に最適。
●「時事キーワード」(★★)(一般常識対策)
(新聞ダイジェスト社)(1000円)(2014年12月16日発行)(225ページ)
この 1 年間に聞いた時事用語をやさしく解説。最頻出「重要ワード」28。
一般常識の知識の整理に最適。
●今がわかる「最新時事用語2016」(★★)(一般常識対策)
(成美堂出版)(1000円)(2014年12月20日発行)(143ページ)
これだけは知っておきたい「最重要キーワード」を網羅。7 ジャンル 118 のキーワードをビジュア
ル図解。一般常識の知識の整理に最適。
●図解まるわかり「時事用語」(★★)(一般常識対策)
(新星出版社)(1200円)(2015年1月5日発行)(143ページ)
絶対おさえておきたい最重要時事を完全図解。目で見てわかるニュースの大疑問。
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第2次口述試験の合否判定方法と対策
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採点と合否判定方法(ルール)を知っておくことは、受験者(プレーヤー)として、極めて重要!
【1】採点票 (Evaluation Form) (ガイドラインを基にして「採点票」を作成)
採点票 (Evaluation Form)
評価項目
コメント
評価点(5点満点)
①プレゼンテーション
点
②コミュニケーション
点
③文法及び語彙
点
④発音及び発声
点
総合判定
⑤ホスピタリティー(やる気、熱意)(入室から退出までホスピタリティーの精神で!)
【2】採点方法(推定)
日本人および外国人試験官は、4つの評価項目(5点満点)について、5段階の評価をします。
【3】評価点と合否判定(推定)
●合否は、評価点の合計点ではなく、個々の評価項目の評価点で判定されます。
●評価点が、3点~5点は合格、1点~2点は不合格となります。
●4項目の1項目でも1点~2点があれば、その受験者は、総合判定で不合格となります。
5点:(合格) Excellent
4点:(合格) Very good
3点:(合格) Good
2点:(不合格)
1点:(不合格)
Poor
Very poor
【4】最終的な合否判定方法(推定)
(1)総合判定が、二人の試験官がともに「合格」の場合は、「合格」となります。
(2)総合判定が、二人の試験官がともに「不合格」の場合は、「不合格」となります。
(3)総合判定が、一人が「合格」、一人が「不合格」の場合は、「不合格」とした評価項目につ
いて、(コメントを参考にしながら)両者が協議をして、最終的な合否を決めます。
【5】JNTOの担当者は、試験直前に、試験官に対して次の指示をしました。(昭和女子大にて)
(1)合格率を80%になるように採点して欲しい。 (2)特に、合格不合格ギリギリの受験者には、
合格判定を与えて欲しい。 (3)2020年の東京オリンピックを控えて、これ(合格率を80%にし
て合格者を多数出すこと=大手旅行会社を大儲けさせること)は、国策です。 (4)私たち
(JNTO)は、上(観光庁)からの指示に従わなければなりませんので、ご理解のほどよろしくお
願いいたします。 (5)このことについては、一切、外部に口外無用にてお願いします。
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【6】現役通訳案内士が追放された?
2013年度から、日本人の試験委員は、従来の多数派であった現役通訳案内士から大学教員
に大幅に入れ替わりました。これは、合格者を多数出して、通訳案内士料金を下げたい某大
手旅行会社の意向と考えられます。現役通訳案内士は現場の厳しさを知っているので、どうし
ても評価が厳しくなり勝ちなのに対して、大学教員の評価は比較的甘いことがその理由です。
【7】外国人試験委員について
今年は、どのように募集、採用されるか不明ですが、外国人試験委員は、過去数年間において、
人材派遣業者であるテンプスタッフから派遣されていました。
ハローが閉校になる前、私は、第 2 次口述試験対策の外国人講師募集のために、毎年、東京
校、大阪校で合計 100 名くらいの外国人講師の人事面接をしていましたが、ある時、オーストラリ
ア出身の元ホテルのコンシェルジェをしていたという女性を面接しました。彼女は、一点を除き、
全く問題なかったのですが、不採用としました。不採用の理由は、彼女は、当時、日本に来て 1
ヶ月だけで、日本の地理、歴史、文化については、全く知らなかったからです。
不採用通知を出したところ、彼女から「何故、自分が不採用なのか、その理由を聞かせて欲し
い」との要望がありましたので、「通訳案内士試験は、日本の地理、歴史、文化などについて質
疑応答する内容を含む試験なので、他は全く問題ないのですが、この点で貴女は不十分なの
で、不採用になりました」と回答し、彼女にも納得してもらいました。ハローで不採用になった約 1
ヵ月後に、彼女から私宛にメールが届きました。「今度、私は、通訳案内士試験の第 2 次口述試
験の試験官に採用されました」と文面には書いてありました。このように、試験官の中には、日本
の地理、歴史、文化についてほとんど知らない試験官もいることを理解しておいてください。
外国人試験委員は、評価の厳しい人、甘い人、様々ですが、採点に極端に甘い外国人試験委
員に対して、日本人試験委員が、「あなた自身が、東京とか京都をこの受験者にガイドしてもら
いたいかどうかの基準で評価することが大事ですよ」と指摘したところ、とたんに採点が厳しくな
ったという例もあります。
【8】日本人試験委員が、現役通訳案内士か大学教員かを見極めよ!
試験室に入って真っ先にすることは、日本人試験委員が、現役通訳案内士か大学教員かを見
極めることです。日頃から、電車の中とかレストランの中などで、「通訳案内士タイプ」「大学教員
タイプ」を見極める訓練をしておくことが大切です。
「通訳案内士」の特徴
大学教員の方と比較すると、日焼けして精悍な印象を与える。常に、周りの人、状況に気を配り、
臨機応変な行動ができる緊張した態勢にある。話す時は、相手にきちんと伝わるように、声は大
きく、はっきりとした口調で話す。現場の厳しさを知っているので、瞬時に、受験者が通訳案内
士として適正かどうかを見抜く鋭さを持っている。受験者にとっては、手ごわい試験官である。
受験者は、多数の旅行客を相手に対して、気配りしながら、実務遂行能力があるという印象を
与えることができるように努力する。また、受験者が、「通訳案内士タイプ」に波長、バイオリズム
を合わせて、受け答えすることも大切である。
「大学教員」の特徴
どこか、アカデミックな雰囲気を漂わせている。性格は比較的温厚でマイペース。自分の世界を
持っている印象を与える。(真逆の方もいるので、注意が必要!)
「試験委員に対するブリーフィング」に従い、真面目に採点作業をする方が多いと思われる。現
場の厳しさを知らないので、比較的甘い採点をする傾向がある。受験者としては、にこやかに談
笑するような気持ちで接することが大切である
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2014年度第2次口述試験の実際
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【1】試験委員
外国人と日本人の二名の試験委員により試験が実施された。
【2】試験時間:8分(入室、退出時間に各1分、合計一人10分単位で交代する)
【3】試験の実施要領
(1)最初に氏名と受験番号が聞かれる
(2)日本語→外国語の逐次通訳
①短い日本文が一度だけ読み上げられる。
②その際、用意された筆記用具を使ってメモを取ることができる。
③1分以内に外国語で通訳する。
(3)プレゼンテーション
①プレゼンテーションのテーマが一つ記載された3枚のカードが渡される。
②30秒以内に、どのテーマでプレゼンテーションを行うか決めて、話す準備をする。
③その際、用意された筆記用具を使ってメモを取ることができる。
④2分間のプレゼンテーションを行う。
⑤1分経過したところで、試験官から合図がある。
⑥プレゼンテーション終了後、試験官との質疑応答がある。
【4】試験室(ご参考)
(1)家族、恋人、ペットの写真に代え、上記写真を携帯、スマホの待受画面に設定し、「常在戦
場」の意識を高めておくことが重要である。
(2)武術に女性や家庭は百害あって一理なしと孤高に生き抜いた宮本武蔵は、生涯独身を通し、
「剣聖」となった。武蔵がスマホを持っていたら、佐々木小次郎との決闘の前に、お通ではな
く、巌流島の写真を待受画面にしていただろうことは容易に想像できる。
(3)試験会場(昭和女子大)では、試験室の中のやり取りが、ドアから洩れ出て、よく聞こえる場
合があった。普段から、周りの人のささやきなどに聞き耳を立てて、聴く練習をしておくこと
が大切である。
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2014 年度第2次口述試験<時間帯別通訳問題文>&<プレゼンテーションのテーマ>
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(1)【10:00~11:00】
<通訳問題文>
日本の祭りは、元々は、豊作の祈願や感謝など農業や人々の生活と深い関係がありました。
現在は、その多くが観光客を呼び寄せ、地域興しを目的として行われています。
<プレゼンテーションのテーマ>
(1)明治維新(←予想的中!) (2)初詣(←「300 選」82 ページ) (3)日本アルプス
(2)【11:00~12:00】
<通訳問題文>
日本の城には天守閣があり、戦闘用の要塞でした。城主や家臣は、城の中の御殿に住んで
いました。美しい天守閣は権力の象徴でもありました。
<プレゼンテーションのテーマ>
(1)風鈴(←「300 選」82 ページ) (2)日本の自然災害 (3)古墳(←「300 選」82 ページ)
(3)【13:00~14:00】
<通訳問題文>
日本の交通網を利用するときは、IC カードの利用が便利です。事前にチャージしておけば、
全国ほとんどの電車やバスが、一枚の IC カードで利用できます。
<プレゼンテーションのテーマ>
(1)日本三景(「300 選」P.22) (2)宝くじ(「300 選」P.110) (3)鎖国(「300 選」P.12)
(4)【14:00~15:00】
<通訳問題文>
岐阜県の白川郷に見られる合掌造りは、雪の多い地域でよく見られる建築方式です。急な
傾斜をつけた屋根は、雪が滑り落ちて、雪の重みで家がつぶれないための工夫です。
<プレゼンテーションのテーマ>
(1)厄年 (2)高野山 (3)日本における最大の木造建築
(5)【15:30~16:30】
<通訳問題文>
現在日本で使用されている文字に表音文字のひらがなとカタカナがあります。これらは2世
紀から3世紀に中国から伝わった表意文字の漢字の一部を抜き出したり、簡素化して作ら
れました。
<プレゼンテーションのテーマ>
(1)ハッピーマンデーについて (2)黒船について(←予想的中!) (3)北陸新幹線について
(6)【16:30~18:00】
<通訳問題文>
日本では、お茶を飲む時だけではなく、麺類を食べるときや、汁物を飲む時にも、わざと音を
たてます。これは主人にたいして美味しいという気持ちを伝えるためで、日本では正しいマ
ナーです。
<プレゼンテーションのテーマ>
(1)福袋 (2)東海道五十三次 (3)草津温泉の特徴と行き方
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