第5回講義メモ

15 年度「比較経済史」第5回講義 Resume
イギリス資本主義の確立-重商主義・農業革命・交通革命・商業革命・産業革命
2015/04/25
(はじめに)
「近代」資本主義はまず最初に西ヨーロッパ、中でもイギリスにおいて、真っ先に成立・確立した。それ
はイギリスにおいて 14 世紀頃から封建制(領主制)が解体し、独立自営農民(ヨーマン)を多数排出し、彼
等の自由な農業経営の中から広範な社会的分業(農村工業)を生み出したことによる。都市ではなく、農
村において形成された分業(局地的市場圏)の中から、やがてマニュファクチャー等初期産業資本が生成
して来る。
またチューダー朝を開いたヘンリー 7 世(1485-1509 年)の後を継いだヘンリー 8 世(1509-47)は修道院が保
有する荘園を解体(1536・1539 年)し、その土地を貴族、農民、商人に売り渡した。彼等は‘ジェントリ
ー’と呼ばれ貴族に次ぐ地位を得るが、その土地を進取の農業経営者に貸し出し、資本主義的農業経営を
展開する。もっともこれは1つのモデルであり、他のモデルは後日講義する。 陸地史観→海洋史観
Ⅰ.重商主義政策と農業革命・交通革命・商業革命
Part 1.重商主義政策
絶対王政期(1485-1649)及び市民革命後 1840 年代半ばまで展開された。→市民革命を挟み前期・後期
1,(市民革命後の)重商主義を推進した議会の支配勢力
議会派[水平派(小ブルジョアを中心をする急進派)&独立派(新興地主‘ジェントリー’を中心とする
穏健派)→対するは王党派(王室・貴族・特権商人等)
2,重商主義の経済政策
政策目標: 貿易差額 の黒字により海外から金・銀貴金属を自国にもたらす(資金原蓄)と
囲い込みや職業訓練による労働力の創出(労働力源蓄)
背景: 通貨=信用の混乱による不況と新興地主による共同地の囲い込み
A,資金原蓄の局面
①貨幣・信用・政策: 通貨の安定と信用の創造
1694 年イングランド銀行設立、1696 年貨幣の大改鋳と正貨輸出禁止令、1714 年高利禁止法 1714 年金銀
比値において金平価切り下げ、1720 年泡沫会社禁止法、
②保護政策: 重商主義的植民地政策(旧植民地体制‘Old colonial System') として体系化
(1)貿易・市場の独占:1651 年クロムエル「航海条例 Act of Navigation」、60 年「列挙品目 enumerated Goods」
の追加、63 年「指定市場法」
(2)植民地工業の禁止:1698 年毛織物条例、1732 年帽子条例、1750 年鉄条例
(3)外国からの工業製品及び農産物の輸入制限:〔工業〕1700・21 年インド産キャリコ輸入禁止、
〔農業〕1663
年穀物輸入関税の大幅引き上げ(33.3 ~ 50%)、66 年アイルランド産バター、チーズの輸入禁止、89 年穀
物輸出に対する奨励金
③輸出政策〔当時イギリスの国民経済の中核であった、毛織物工業製品を海外に輸出するための政策で②
の保護政策と対をなす〕:1654 年ポルトガルとの通商条約,1703 年ポルトガルとの通商条約改正( メシュ
エン条約)→“重商主義の傑作”、1667 年スペインとの通商条約、69 年同協定によって最恵国待遇と毛織
物工業製品について 40% の輸入関税免除→これによってイギリスは新大陸との貿易に割込みスペインの
植民地は“わが庭園の最上の花”とよばれた
B,労働力原蓄の局面
18 世紀初頭議会が率先して囲い込み運動( 議会的エンクロィジャ) を展開、1662 年「定住法 Act of
Settlements」、強制授産場・救貧院での淘汰→賃労働者、その他: 最低賃金制の廃止、労働者団結禁止法
Part Ⅱ.農業革命(&交通革命・商業革命)
1、農業革命ー産業革命の前提
1)農業革命の意味
農業革命には、①農業生産力の改革面と②農地制度の改革面がある
2)農法の変革:
「ノフォーク農法」の成立+農業の機械化
3)農業革命の諸結果(農業革命が「工業化」に及ぼした影響)
(1)非農業人口の食料安定供給(2)資本供給源(3)労働力の供給源(4)有効需要の創出(5)工業化のための諸
原料の安定供給(6)農産物輸出による外貨獲得(7)農業部門で租税を負担し、工業部門の租税負担を軽減[重
要]等々
2、民富(Commonweal)の増大ー大衆的購買力の上昇と食文化の変化
17 世紀までのイギリス工業は輸出産業たる毛織物工業を中心に国内市場の進展にも増して、海外市場
に先導されて工業が発展してきた。しかし、17 世紀末から 18 世紀になると穀物価格が下落するとともに、
農業革命によってさらに物価全体が下落していく。その結果、大衆の工業製品に向ける購買力は上昇した。
3、国内市場の浮場ー工業発展の基盤が外国市場からより国内市場へと移る 農業の発展を起点とする大
衆需要の拡大は様々な商品に対する需要を作り出した。
4、交通革命⇒交通手段の改善と統一的国内市場の形成
1)交通手段の改善 道路・河川改修・運河建設
2)統一的国内市場と「国民経済」の形成
5.商業革命
1)17 世紀の全般的危機への打開策
「商業革命」を重視する北川稔によると、全般的危機は本質的に人口圧を基礎とする資源・エネルギー
-1-
・食糧の危機という性格を持っていたという。ここからの脱却には3つの道があった。
①農業革命、②エネルギーの節約とエネルギー源の転換、③国土の拡大である。
商業貿易は「一種の帝国領土の拡大」であり、商業革命がイギリスの領土拡大に繋がった。
2)商業革命と消費革命
Ⅱ.イギリスの産業革命
1、産業革命の開始
1760 年代に始まった理由: 凶作による食料事情の悪化→人口の増加→穀物価格の上昇→賃金の上昇、輸入
原料の上昇。それに対処し、コスト引き下げの方法として機械の導入による生産性の向上が求められた。
☆産業革命が綿工業より起こった理由:①新しい産業であったためギルドの規制が比較的緩やかだった②
毛織物にくらべて機械化されやすかった③需要が製品価格の低下にたいして弾力的であった(価格弾力性)
④ 16 世紀の「早期産業革命」の時期は家畜飼育(馬と羊)の面で羊の生産に限界があり、従って原料の
羊毛の供給に限界があった。綿花の場合、西インド諸島、エジプト、インドさらにはアメリカ合衆国から
無限に供給された⑤染色の分野でも植民地などから供給されるインディゴ、バウ・ブラジル(染料木)な
ど豊富に存在した⑥海外における膨大な需要 tec.,
*マニュ段階で綿織物産業が既に国民的産業であったという見解には疑問も持たれている。18 世紀の初
頭までは純粋の綿織物の生産技術はイギリスに知られておらず、亜麻との混紡(コトン・リンネ)しか生産
できなかった。したがって、農村で副業として細々と生産されていたというのが実情である。
(例)1700・1719
年キャリコ輸入禁止,1760 年のイギリス輸出量中、毛織物 550 万ポンド・綿織物 20 万ポンド。
《機械化の過程》
1)綿工業:(紡績)ポール紡績機.1764 年 J,ハーグリーブスのジェニー紡績機.1769 年 R,アークライトの水力
紡績.1769 年 S,クロンプトンのミュール紡績機.1785 年紡績機にワットの蒸気機関導入、1820 年代ロバー
ツ自動ミュール紡績機
(職布)1733 年 J,ケイの飛杼発明後に 1750 年代末頃から綿工業に導入.1785 年 E,カートライトの力織機
(染色)1783 年胴盤による一枚毎の染色から廻転シリンダー捺染機登場
2)鉄鋼業:(銑鉄)1709 年 A,ダービーのコークス精練法.1775 年ワット発明の蒸気機関による送風法導入、
(鍛鉄・錬鉄)1784 年 H,コートのパドル法( 攪拌式精練法)
3)動力:1769 年 J,ワット蒸気機関発明、1781 年ワットのクランク装置発明
4)燃料: ダービーによるコークス炉の発明以来燃料は木炭から石炭へと移行
5)工作機械:ヨーゼフ、ブラマーを筆頭とする精密機械エンジニアの活躍。1774 年ウイルキンソンのシリ
ンダー中ぐり盤、1798 年モーズリのねじ切り旋盤機、
1843 年イギリスは機械類の輸出禁止措置を解除! 1851 年ロンドン万国博覧会開催
6)交通・運輸: “産業革命は交通革命を伴うーエンゲルス” /(有料道路)1750 ~ 60 年代に議会の有料道
路建設認可が集中 /(運河)1760 年代 「運河マニア」の時代 / (鉄道) “産業革命の画竜天晴”(マル
クス)1825 年 G, スチーブンソン蒸気機関車の実用化→ 1830 ~ 50 年代「鉄道マニア」の時代
7)エネルギー革命としての産業革命:産業革命の名に値する生産性の変化は古典派経済学の指摘する市場
と分業の発展だけでは充分でないと E.A.リグリー『エネルギーと産業革命』(同文舘)はいう。現実には
石炭を熱エネルギー・機械エネルギーとして本格的に産業に活用するエネルギー革命と、それによる経済
成長パターンの根本的変化が重要であった。従来のキーワードに加えれば、(市民革命)→農業革命・交
通革命・エネルギー革命→産業革命の完了、ということになろうか。近年技術革命よりエネルギー革命が
重要視される!
2、産業革命の終了
1)恐慌:1825 年最初の循環性をもった過剰生産恐慌
2)資本:1832 年選挙法改正、1833 年新救貧法・工場法成立(児童労働週 48 時間)
労働力:1795 年スピーナムランド制度(パンの価格に応じて救貧額を変動。労働者に最低賃金を与える)、
「団結禁止法」廃止(1825 年)後の労働運動、[1833 年新救貧法・工場法成立(児童労働週 48 時間)]、1838
~ 48 年チャーチスト運動
3)技術体系・機械工業の確立:1843 年機械類の輸出禁止措置を解除、国民所得の構成をみても 1850 年代
には工業 34%、商業 20%と農業の 20%を凌駕している
4)金融体系の確立:1844 年の「ピール銀行法」の成立。恐慌を防止するため金本位制を定めた法律である
が、貨幣市場を産業資本が支配するようになったという意味でも重要である。
3、イギリス産業革命の諸特質
1),世界最初の、しかも自生的な産業革命であった。技術開発は、手探りの試行錯誤の繰り返しによって
行われ、技術革新における強い内発性を持っていた。イギリス産業革命の自然成長的性格、他部門への連
鎖波及は、何よりも自生的性格による。
2),技術革新の坦い手が熟練職人であった。
3),資金調達の方法は、株式会社形式によるよりも、数名からなる共同出資によるパートナーシップであ
った。地主、商人、金融業者は、インフラストラクチャー部門への出資以外関心を示さず、銀行も手形割
引その他の商業銀行業に専念し、投資銀行業には向かはなかった。
4、産業革命の諸結果
1),中産的生産者層の両極分解の促進→資本主義の確立
2),資本家による労働者の包摂・支配の完了とともに、労働者が「階級」として団結し、労働運動を展開。
3),1825 年最初の循環性をもった過剰生産恐慌が発生し、そのほぼ後 10 年毎に起こる
4),1846 年穀物法廃止・49 年航海条例廃止→以後自由貿易帝国主義として世界に進出
5,産業革命と庶民の生活
C.ディケンズ『オリバー・ツイスト』(1938)、F.エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』
(1845)
【参考文献】
定評があるのは石坂昭雄他『新版西洋経済史』(有斐閣双書)、諸田實他『エレメンタル西洋経済史』(英
創社)、荒井政治・竹岡敬温編『概説西洋経済史』有斐閣選書等
新しい所では、奥西孝至他『西洋経済史』(有斐閣アルマ)、 飯田隆『図説西洋経済史』(日本経済評論
社)辺りが良いでしょう。
-2-