第6回講義メモ

(はじめに)
15 年度「比較経済史」第6回講義 Resume
ヨーロッパ大陸諸国の資本主義の確立ーフランス・ドイツ・ロシア他
2015/04/25
イギリスに始また「産業革命」の波は、先ずフランスなど西ヨーロッパに波及し、中欧、北欧、東欧、南
欧などヨーロッパ諸国に伝播していった。*「産業革命」は何故西ヨーロッパから始まったのか?
Ⅰ.フランスの産業革命:1760 ~ 1880 年代<固有の産業革命:1820's ~ 60's >
[年表]
アンリ4世(ブルボン朝創始)⇒フランス絶対王政成/1786;英仏通商条約/1786;(仏市場を英に開放)/1789-92;
フランス革命/91;「営業の自由」の保証・イーデン条約の破棄・保護関税法制定/92-93;封建的土地所有の無
償廃止・航海条例(93)/93 年;共有地分割令(96 年廃止)/1806;ナポレオン大陸封鎖/1814;ウィーン会議/1848;
パリ2月革命→ルイ.ナポレオン大統領/1857 年ヨーロッパに恐慌}
(時期)
☆第1期 1760 ~ 90 年頃:イギリスからの新しい工業技術導入の結果/1771 年ハーグリーブス紡績機、
1780 年代ウオーター・フレームのフランスでの生産/1786 英仏通商条約(イーデン条約)後、絶対王政は特
権マニュファクチャーの強化でもって対抗。
☆第2期 1790 ~ 1815 年頃:フランス革命とナポレオン戦争による中断/しかし大陸封鎖(1806 年大陸
制度)と、1791 年関税法、英仏通商条約破棄、1793 年航海条例はフランスのみならず、イタリア、ベルギ
ー、ドイツのプロト工業が発展する飛躍台になった。
☆第3期 1815 ~ 1850 年頃:ウィーン会議によりヨーロッパへ平和が訪れる。工業化の再開始。国家の
インフラストラクチャーへの積極的介入(補助金、独占権付与、利払い保障)により工業化の準備が整う
☆第4期 1850 ~ 1870 年頃:工業成果の普及。鉄道網による国内市場の統一、金属その他の分野におけ
る新技術の利用
1,フランスの産業革命の特徴
①緩慢な工業化
フランスは後発工業国のもつ利点のほか、資本主義経済への早いスタート、強力な中央政府、植民地の存
在、肥沃な土地、良港をもつ長い海岸線、ローマ時代以来の優秀な道路、温和な気候、恵まれた天然資源
(但し石炭は不足!)、豊富な鉄鉱石、創意に富む科学者の存在等々が在りながら、工業化の過程は緩慢
だった。
他にも「主導部門の多様性」、「二重構造」等が挙げられている。
2,工業化が緩慢だった理由
(1)農奴開放がフランス革命(1789 ~ 1793 年)のさなかで、農民層の分解が遅れた/小農的農業構造の維
持
(2)人口の成長率が緩慢であった
(3)国内で石炭が産出されなかったことが、エネルギー面で決定的遅れをとった
(4)フランス革命、ナポレオン戦争、7月・2月革命などによる国内の政情不安
(5)非能率な官僚政治と過度の高率保護関税
(6)消費性向の問題として、大衆向け実用品よりも上流向け奢侈品が喜ばれ(需要市場の偏向性と狭隘性)、
為に機械化が遅れ同時に小規模企業が多数残存した
(7)その他
a)企業家層の保守的性格等
b)労働力が豊富で低賃金
c)フランスはヨーロッパのの中では最も肥沃であり、工業への関心が薄かったことも
②投資銀行の積極的役割
イギリスの場合、ジェニー機に見られるような低位な機械から産業革命を開始ししたので、資金的には当
初多額な金は必要なかった。所が後進国の場合、イギリスの進んだ技術を所与のものとして開始しなけれ
ばならず、また、国内市場の拡大の必要性から鉄道業、鉄工業、石炭業など、当初から大資本を必要とし
た。そのため、クレデ・モビリエなど新しいタイプの銀行(
「投資銀行」)の果たした役割は大きい。
Ⅱ.ドイツの産業革命:1840 ~ 1880 年代
[年表]
{962;オットー大帝ローマで戴冠式⇒神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)成立/1701;プロシア王国成立/1711;オ
ーストリア皇国成立/1740 ~ 80;マリア=テレジア女王(オ)/1740 ~ 86;フレードリッヒ2世(プ)//1804;
オーストリア帝国成立/1806;ナポレオン大陸封鎖/1811・プロシア農民解放/1828;プロシア関税同盟/1834;ド
イツ関税同盟/1871;ドイツ帝国成立}
1.二つの地帯構造
ドイツは中世からエルベ川を挟んで、2つの地帯が存在した。東側は封建制・農奴制が強固で、西側は比
較的早く衰退した。
1)東エルベ・プロシアの、1807 ~ 15 年の「シュタイン・ハイデルベルグの改革」により農奴制(グーツヘ
ルシャフト)は解放され“ユンカー制(貴族の大農経営)”へ移行する。この改革は農民に不利な不徹底な
ものであったが、同時にギルドの解体と「営業の自由」は確保された。
2)これに対して西エルベ・特にラインなど南西ドイツ、シュレージエン、ザクセンなど中部ドイツでは自
由な農民の土地所有が追認され、実質上の「農民解放」が行われた。→“独立自営農民”の成立
3)国家としての統一は 71 年であるが、それ以前に経済的には「関税同盟」によって国家間の枠が撤廃さ
れた。1834 年の「ドイツ関税同盟」はオーストリアを除く主立った領邦を中心に 18 の領邦が同盟を結び
域内の関税は自由化された。
ドイツの 1840・50 年代から 70・80 年代の工業化はまさに産業革命というに相応しく、20 世紀の戦後復
興期の成長より著しかった。
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1,ドイツ産業革命の特徴:後進国工業化二つの道“プロシア型”の典型
①国家の経済への積極的介入
②産業と銀行の癒着
③鉄鋼業・鉄道業と軍事産業の跛行的産業構造
④資本(ユンカー地主)の前近代的性格(戦前の日本と極似)
⑤中産的生産者層を欠落させたままででの産業革命
2,ドイツの工業化が革命的だった原因
①国家と銀行の産業への積極的介入が後発国として様々な特権と巨額の資本を可能にした②他のヨーロッ
パ諸国、アメリカに比べて天然資源や土地の肥沃度、さらには気候的に劣るドイツがこれらを克服する手
段としたのが技術と教育であった。
Ⅲ.ベルギー及びスイスの産業革命
1.ベルギーはナポレオンによる占領⇒オランダへの併合⇒ 1830 年独立という形で成立しつ。1830 年 8 月
フランスの七月革命に触発されてブリュッセルをはじめ各地に暴動が起きると,ブルジョアジーとカトリ
ック派は全土を掌握して臨時政府を組織し,同年招集されたロンドン会議で,ベルギーはフランスとイギ
リスの支持の下にオランダからの独立を認められ,永世中立を保障された。ベルギーはかってヨーロッパ
で最も商工業の発展していた‘ネーデルランド南部’を母体にしており、工業力では産業革命以前はイギ
リスにそう劣っていなかった。
*シエテ・ジェネラル、ベルギー銀行という2つの投資銀行の果たした役割が大きかった。特に2つの銀行
を中心に重工業・石炭業を発展させて行ったことが特徴である。
2.スイスの建国 1291 年である。中央スイスのウーリ,シュウィーツ,ニートワルデンの 3 地域が〈永久
同盟〉を結び,それぞれの地域の〈自由と自治〉を守るために相互援助を誓いあった。
スイスの産業革命:ベルギーのように石炭・鉄を持たなかったので綿工業など織物工業を中心に産業革命
を展開して行った。1850 年代までにスイス綿業はドイツ関税同盟と並ぶ紡錘数を誇った。
Ⅳ.ロシアの産業革命
1,ロシアにおける産業革命にかかる諸問題
1)ロシアの特殊性
ロシアは 1917 年のロシア2月革命後、22 年に社会主義共和国(ソ連)となりその体制は 91 年 12 月まで
続いた。今日では市場経済と資本主義を志向する国であるが、そもそもロシアには2月革命以前に資本主
義が成立していたかどうか疑わしいとい指摘もある。
2,ロシア工業化の始まり(歴史の概観)
[歴史:1547 年イヴァン 4 世(皇帝‘ツアリー’と称する)による身分制国家成立、1649 年アレクセイ
の法令集(会議法典)で貴族の農奴支配確立、1669 ~ 73 年ステンカ=ライジンの反乱、1682 年ピヨトル 1
世皇帝に就任、1697 年ヨーロッパ大使節団派遣、1719 年ロシアの農奴調査、1721 年バルト三国(エスト
ニア、ラトヴィア、リトアニ)獲得、1785 年エカテリーナ 2 世の「貴族開放令」による特許権認可、1798 ~
1801 年パペール 1 世の治世に農民一揆はロシア全土の 2/3 にまで拡大、1825;ニコライ1世・デカブリス
トの反乱、1854 ~ 56 年クリミア戦争、 1861 年アレクサンドル 2 世の農奴開放、1892 ~ 1903;ヴィッテ体
制 1917 年ロシア革命、1922 年ソ連誕生]、1991.12;ソ連崩壊⇒ロシア連邦
1)ピョトル一世(大帝)のよる絶対王政の成立と工業育成政策
2)工業の形態と地域
①官営マニュファクチャ・商人マニュファクチャ(農奴占有マニュ)、②貴族マニュ(貴族が農奴を使役)、
③農民マニュ(農奴が農民的家内工業{クスターリ}の発展の中でマニュ主に成長/ウエーバーは“種族工
業”と呼ぶ)の3つの形態が存在した。
3,農奴開放:ロシア工業化の前提条件
1861 年の農奴開放はロシアにおける工業化の重大な転機になった[因みに、同年アメリカでは奴隷が解放
されている]。それは、農奴制の内的矛盾がクリミア戦争の敗北に繋がり、皇帝が「上から」の改革を試
みたものである。その開放令の骨子は以下の通である。
①農奴制の廃止:農民は人格的自由、営業の自由、財産所有権は確保したが分与地を買戻すまでは「一時
義務負担農民」として旧領主=地主に賦役義務を負った。
③土地の開放にあたっては、牧草地、森林、共同地は開放させず領主の所有となった。
4,ビッテの工業化政策
5,ロシアにおける産業革命の特徴
共同体を残存させたまま、国家による農民大衆の徹底した収奪と外国資本の積極的な導入によって、鉄道
を中心とした、跛行的な形で進められた。
{参考文献}
有馬達郎『ロシア工業史』東大出版会/M.E.フォーカス『ロシアの工業化』日本経済評論社/経欧史学会編
『世界史に見る工業化の展開』学文社
Ⅴ.ヨーロッパ大陸における産業革命の特徴(ロシアは除く)
[後進資本主義国工業化における先進資本主義国イギリスへの対抗・特徴]
契機:1848 年のフランス2月革命→全ヨーロッパに波及→産業革命の本格的開始→ 1860 年代終了
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