15 年度「比較経済史」第 14 回講義 Resume アメリカの産業革命 15/05/23 (はじめに) 18 世紀末辺りから、イギリスの側圧の元で開始されたが、ヨーロッパ大陸諸国とは異なった、様々な障 害もあり、困難な中で展開した。国土に対して人口が常に稀薄で、後に「アメリカ的生産方式」を編み出 した。 1、イギリス産業革命:時期、1760'S ~ 1830'S 技術革新:Hagreves の Jenny 機(1764 年)、Arkuwite の Water Flame(1769 年),Watt の Steam Engin(1769 年)、 Kitwrite の Power Loom(1785 年) Etc.,/イギリス産業革命は世界史に先駆け、自生的な形で展開した。そ れに続く後進諸国は全てイギリスで達成され産業革命所与のものとして‘キャッチ・アップ’する立場に あった。特に技術面では有利な立場にあったが、当初イギリスはその独占を図り流出防止に努めた。 2、アメリカの農業革命 1)、産業革命(工業化)になぜ農業の発展(農業革命)が必要か? 2)、アメリカにおける農業革命の特殊性 3、アメリカ産業革命 1)、産業革命が開始するには、(1)人口の増加、(2)農業の変化(農業革命)を前提条件とする。続いて(3) 工業における技術変化→工場制の成立、最後に(4)社会全体の変化→資本家・地主・労働者という階級社 会の成立と市場経済の支配と続き、革命は完了する。もっとも、この過程が“革命(revolution)”とえい るかどうかは疑問も呈されている。 西部に自由地(公有地)が存在したため、没落した農民が工業労働者に回らず独立自営農民として再生産 されたため、絶えず工業のための労働力不足に苦しんだ。 *なお、アメリカ人は一般に不器用であると思う人はいるかも知れませんが、それは間違い。時計を始め 実に多様な発明がある。森杲(タカシ)『アメリカ職人の仕事史』中公新書参照 2)、アメリカ産業革命始期の設定 ① 1790 年:スレイターによるアークライト紡績機を導入した工場設立、② 1807 年 Enbago Act の布告,1807 年フルトンの蒸気船がハドソン川に就航、③ 1812 ~ 1814 年の第二次対英戦争の時期、1815 年ローエル による紡織一貫の機会を備えて工場設立などがその契機とされるが、我が国の研究史では 1907 ~ 1814 年 のイギリスとの通商途絶と、その後のナショナリズムの昂揚、④ 1820 年代特に H.クレイの「アメリカ体 制 American System」後の時代を始期とみる見方が通説 4、アメリカの産業革命を取り巻く要因 1)、障害要因 ① イギリスの外圧 ②西部における自由地の存在 ③南部の奴隷制等々、多くのハンディキャップを抱えた中で産業革命を展開しなけらばならなかった。 *最も、D.C.ノースのように、奴隷制に基づいた南部の綿花生産による収入がアメリカの産業革命のきっ かけを作ったとする見方もある。 2)、その他関連 ①モンロー宣言(1823 年モンロー大統領が発した宣言)と産業革命 ②ジャクソン・デモクラシー(1829-37)と産業革命 [広くはジャクソン大統領とその後継者マーティン・ヴァン・ビューレン大統領(1837 - 41 年)迄のアメ リカ政治をいう] 5、開始:1790 年 S,Slater(アメリカ木綿工業の父) による R.I パウタケット川河畔に Water Flame を備 えた工場の設立。但し紡績工程のみ工場内で職布工程は外部に委嘱(問屋制外業部) 1815 年 F,C,Rowell の 「ボストン工業会社」の設立。アメリカ最初の Power Loom(力織機)を備えた工場で、工場内で紡職一 貫機械制工場成立。1817 頃からギルモア職機(Gilmoer Loom)が普及しはじめ、それとともに家内工が没 落。1820'S には一応の綿工業の技術的基盤を確立→輸出開始(ラテンアリカ諸国) 6、木綿工業の二類型: 「ロードアイランド型」綿工業(=「プロビデンス型」)、 「ウオルサム型」綿工場(= 「ボストン型」)⇒説明は省略。意味のみ指摘! ①資本:<ロ型>商人、職人、農民等の小額資本を中心にパートナーシップ/<ウ型>商業資本家グループの 投資を中心に株式会社形態 ②経営:<ロ型>経営規模も小さく出資者が直接経営にあたる/<ウ型>規模は大きく内部請負制なのどによ って職長等に経営を委ねた ③生産:<ロ型>紡績工程のみ工場内で行い織布行程は問屋制手工業に外業部として委託/<ウ型>工場内で 紡織一貫体制が確立 ④労働力<ロ型>:「家族ぐるみ雇用制」で児童の就労も目立つ/<ウ型>寄宿舎に近隣婦女子を集め管理 ⑤賃金:<ロ型>現物支給/<ウ型>現金払い 7、アメリカの産業革命の特徴:ニューイングランド一帯にかっての“タウン”の内部に「局地的市場圏」 を形成し、「農民の末裔」(A.スミス)としての工業が、いわゆる「下から」この地方一帯に成立成立・発 展し、やがてそれらの発展の中から「産業革命」といわれるような工業化がおこった。アメリカの場合、 イギリスに対して後発の工業化でありながら、こうした社会基盤・生産基盤が、その後の発展のなかで「先 進国型」工業化の仲間入りをもたらす。木綿工場の二類型においては、小生産者を中心に、ロードアイラ ンド型が産業革命の原動力をなったと考えられている。 8、産業革命の完了:中西部(Pa 西部) の鉄工業の発展、特に機械工業( 機械による機械の生産) の確 立によって、産業革命は技術的には一応終了 ※〔製鉄部門〕木炭使用のアイアン・プランテーションから 1840'S 無煙炭使用のコークス炉が普及し始 め 55 年には木炭炉による生産高を凌駕。これによって①高炉の大型化を可能にし②立地問題解消 ※〔加工鉄工業部門〕ピッツバーグ、シンシナチを中心に「農民需要」に支えられて多種類の鉄工製品製 -1- 造業が成立 9,交通革命 (1)1810's-20's「有料道路時代」/(2)1820's-30's「運河時代」/特に(3)1840's からの「鉄道建設」ブーム はアメリカの産業革命に大きな影響を与えた。その①レール需要②蒸気機関製造業。さらに、鉄道はこう した鉄需要の増大とともに、③国内市場を拡大した *スミスも『国富論』第 1 編第 3 章において、「分業は市場の広さに応じて決定される」とし、市場拡大 の用件として‘交通手段’の在処とを問題としている。また、エンゲルスは、産業革命の総仕上げてとし て「鉄道の普及」を(画竜点晴)と位置づけている。1869 年の大陸横断鉄道の完成は、アメリカの国民 経済が交通手段の面からも確立させた。 10、産業革命の終息: 【メルクマール】① 1850'S ~ 60'S 以降の北東部における出家内工業の没落②同じく 「10 時間労働法」の制定を求めた労働運動とその法制化③ 1857 年恐慌と南北戦争によって産業資本がア メリカ資本主義をその再生産軌道に定置させ、ここに資本主義の確立をみる→ 1860's を産業革命の終期 とみるのが我が国の通説である。 [楠井氏は北東部の商工業及び金融業(都市化)をメルクマールにすれば 1840 年代、経済学理論に忠実 にアメリカにおける資本主義の二部門分割による再生産軌道の確立と「中産的生産者層」の両極分解をマ ルクマールにすれば 1870 年代の「グリーバックの時代」であるとする。] 12,「地域」の視点より見たアメリカの産業革命 開始→ニューイングランド綿工業、終息→中西部(五大湖周辺)鉄工業 産業革命は終始「北部」を舞台に展開してのであり、それ以外の地域では工業化は起こらなかった。 但し、「西部」ではある時期・ある地域までは、ニューイングランドのように自生的に工業が起こってく る(オハイオ州・イリノイ州・ウイスコンシン州の一部、それも 1860 年代以降は工業化は停止し農業一辺 倒の地域となる。「南部」は 1840 年代の綿花不況期に「工業化」の試みが起こるが 50 年代の繁栄の中で その目も萎えて来る。→「南部」・ 「西部」で工業が本格的に起こってくるのは、1970 年代の「三極構造」 の崩壊、サンベルト化現象の中においてである。 13,南北戦争とアメリカの産業革命 南北戦争はアメリカが工業化(資本主義)の道を歩むか、奴隷制を存続させ農業の道道を歩むか、国の発 展の方向を巡る戦いでもあった。 ①保護関税:「北部」賛成、「南部」反対、「西部」最初反対後に賛成⇒ 1861 年モリ s ル関税法 ②国立銀行の設立: 「北部」賛成、「南部」反対、「西部」最初反対後に賛成⇒ 1863 年国法銀行 ③国内交通の改善: 「北部」賛成、「南部」反対、「西部」賛成⇒ 1862 年太平洋鉄道法(1869 年大陸横断鉄 道完成) ④公有地処分: (安価な条件の処分に)「北部」賛成、「南部」反対、「西部」賛成⇒ 1862 年ホームステッ ド法 南北戦争はアメリカ経済の発展にとっても大きな意義をもった。歴史家ビアード夫妻は南北戦争を〈第 2 次アメリカ独立革命〉と呼び,経済史家 H. フォークナーは,南北戦争が産業革命を推進し,北部資本主 義の発展をもたらしたと述べた。南部奴隷制度は廃止され,保護関税であるモリル関税(1861),ホームス テッド法(1862),国法銀行法(1863)が成立し,大陸横断鉄道(1869 完成)の建設が認められた結果,北部 産業資本の主導の下に国内市場が統一され,西部開拓が進展することとなった。 もちろん,南北戦争が直接的に経済成長を促進したわけではない。北部の工業はそれ以前から発達して おり,戦争はむしろ一時的に生産を阻害した。また南部農業は,奴隷を使用してはいたが,効率的で生産 性も高く,経済的には繁栄していた。したがって,南北戦争は南部の経済を破壊し,その後の停滞の原因 をつくり出したのみならず,アメリカ経済全体の成長を戦争中は遅らせた。それゆえ,南北戦争がアメリ カ経済の発展を阻害したという見解もあるが,これは正しくない。南北戦争前の南部経済は,イギリスを 中心とする経済圏に属し,農産物輸出による経済発展のコースをたどろうとしていた。イギリスから独立 したアメリカ国民経済を形成し,工業化によって経済発展をはかろうとするコースは,南部の敗北によっ て実現可能となった。その後のアメリカが,工業国として世界経済の中心たりえたのは,南北戦争の結果, 後者の方向で経済が発展したからであった。 《参考文献》 岡田泰男『アメリカ経済史』慶応大学出版局、鈴木圭介編『アメリカ経済史』東京大学出版会、ウオルタ ー・リクト『工業化とアメリカ社会』ミネルバ書房他 -2-
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