テキスト

物 理 化 学 Ⅱ
- 熱 力 学 入 門 -
2015 年度
講義ノート
琉球大学理学部
海洋自然科学科
堀内 敬三
まえがき
この小冊子は、琉球大学理学部海洋自然科学科化学系の 2 年生対象の講義「物理化学Ⅱ」
の講義ノートである。このノートに基づいて実際に黒板に板書する場合は、ここに書いて
あることを全て書くことは(でき)ないが、それでもかなりの時間を板書に費やすことにな
り、また学生諸君もそれを書き写すのにかなりの時間を費やしてしまう。そのため、講義
の進行は遅くなり、学生諸君も書き写すのに忙しくて内容を理解する、あるいは考える時
間が余り持てないのが実状である。このノートはそのような時間や手間を省いて、講義に
集中してもらうために配布するものである。板書以外にも話す内容に重要なことが含まれ
ていることがあるが、その話の内容までノートにメモするのは、板書に忙しいとなかなか
大変である。この講義ノートはそのような内容まで全て書いておいた(そのためページ数
が増えてしまった)。この講義ノートがあれば板書を書き写す手間が省かれるので、講義
の内容に対する理解に神経を集中できるようになると期待している。
教科書は
千原秀昭・中村亘男 訳、アトキンス物理化学(第8版)上下、東京化学同人
であるが、このノートはアトキンスに書いてないことも多く含まれているし、順番も少し
異なっている。しかし、ノートの内容がアトキンスのどの部分に対応しているかを示して
あるので、アトキンスを参照するときに不便はないと思われる。式には通し番号を付けて
あるが、例えば、
(3・45)(79)
と書いてあるときは、アトキンスの 3 章の式(45)と同じであることを意味している。また、
講義ノートには書けなかった式の証明などはホームページの講義ノートの補足に掲載し
た。興味のなる人は参照して頂きたい。アドレスは
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~ horiuchi/
である。
このノートを作る際に参考にして文献はかなりの数になるが、アトキンスの他には主に
榊友彦 訳、ピメンテル化学熱力学、東京化学同人
原田義也 著、化学熱力学、裳華房
小宮山宏 著、入門熱力学、培風館
久保亮五 編、熱学・統計力学、裳華房
である。これらの本は図書館にもあるので、興味のある人は参考にして頂きたい。
内容については間違いのないように注意深く推敲したつもりであるが、それでも間違い
や誤解されやすいあるいは分かりづらい記述などが多々あるかもしれない。漸次改善して
いくつもりであるから、気づいたことがあったら遠慮せずにどんどん指摘して頂きたい。
堀内
敬三
目次:
1. 序論
1・1 熱力学とは?
・・・ 1
1・2 熱平衡状態
1・3 理想気体
1・4 実在気体
2. エネルギー
2・1 内部エネルギー
2・2 エンタルピー
2・3 内部エネルギーとエンタルピーの温度依存性
・・・ 11
2・4 熱容量
3. 熱化学
・・・28
3・1 エンタルピー変化
3・2 標準生成エンタルピー
3・3 エンタルピー変化の解釈
4. 過程とエネルギー効率
・・・38
4・1 等温過程と断熱過程
4・2 膨張・圧縮サイクル
4・3 熱機関のエネルギー効率
4・4 熱力学第二法則
5. エントロピー
・・・50
5・1 熱力学におけるエントロピー
5・2 エントロピーの微視的観点からの(=統計力学的)解釈
5・3 物質のエントロピー
5・4 エントロピー効果の実例
6. 自由エネルギー
6・1
6・3
6・4
6・6
6・7
・・・86
自由エネルギーと平衡条件
6・2 自由エネルギーの温度・圧力依存性
標準生成(Gibbs)自由エネルギー
自由エネルギーと最大仕事・最小仕事
6・5 自由エネルギーと化学平衡
実在気体の熱力学的取り扱い-フガシティー-
実在溶液の熱力学的取り扱い-活量-
7. まとめ
・・・126
7・1 Maxwell の関係式
7・2 熱力学的状態方程式
7・3 開いた系の熱力学関係式
7・4 熱力学の有効性と限界
8. 記述問題
・・・132
9. 演習問題
・・・146
1. 序論
1・1 熱力学とは?
我々が普通に観測の対象とするものは、きわめて多数の原子や分子を含み、一般にきわ
めて大きい力学的自由度(基礎物理学 1・1a、b 参照)を持つ系であるが、普通の観測では温
度とか、圧力とかいった少数の巨視的物理量を指定し、それによってその状態を記述する。
この様に粗く指定された状態を巨視的状態という。これに対して、少なくとも考えの上で
はその系の状態を力学的に可能な限り精密に指定する事ができる(例えば、原子や分子の座
標と運動量を全て指定する)
。そのように指定された状態を微視(的)状態という 。
*1
☆ 熱力学の特徴
熱力学では極めて多数(Avogadro(アヴォガドロ)数個程度)の粒子を含む系を、数個の巨視
的量で記述される巨視的状態としてとらえる。これに対して、力学は基本的には少数粒子
から成る系を対象とし、各粒子の位置と運動量で系の状態を記述する。
熱力学の枠組みは、保存則(第一法則)という一般的原理と不可逆性(第二法則)とい
う日常経験を前提として組み立てられているものであるから、それなりに一般性を持つ。
まず、熱平衡状態(1・2 参照)という巨視的状態が存在する、という経験を基礎に置く(、
ことを前提とする)。熱平衡状態という巨視的状態を指定する物理量として、温度、圧力、
体積、粒子数という大雑把な量(、巨視的な量)を導入する。つまり、この巨視的な量を
使って系の状態を記述する。熱平衡状態は分子の(運動)状態の微視的な詳細によらず、こ
のような巨視的な量が同じであれば、同じような平衡状態が実現されるという経験に基づ
いている。
熱力学の最大の強みの一つは、その基礎をマクロな経験的観測のみに置いている事であ
る。取り扱う過程についてのミクロな知識が全くなくても、あるいはミクロなレベルに立
ち入る事なしに議論できる。そのため、どんな複雑な系にも適用できる(例:生体系)。
しかし、熱力学の内容を理解する時には、ミクロなレベルから考えた方が理解しやすいの
で、この講義では分子のレベルから出発して熱力学を理解する事にする。これは統計力学
的に熱力学を理解するということであり、統計熱力学と呼ばれる。これについては後学期
の「化学統計熱力学」で詳しく取り扱う。
☆ この講義の目標
この講義は要約すればエネルギーとエントロピーについて学ぶ。エントロピーという概
念は 1 年後期の「化学Ⅱ」で既に学習しているが、エネルギーと比べて理解することが難
しい概念である。従って、この講義ではこのエントロピー(そしてその変形である自由エネ
ルギー)を理解することを第一の目標として熱力学を学ぶ。その際の基本的姿勢としては、
*1 微視的あるいはミクロという言葉を、原子や分子のスケールに対して用いる。巨視的あるいはマク
ロという言葉は、それらに対して相対的に大きなスケール(、基本的には我々が目で見ることのでき
る大きさ)の系に対して用いる。
-1-
上述したように、分子の立場に基づいて熱力学の内容を理解する(、統計力学的に理解す
る)というものである。化学熱力学とは化学者が興味を持つ系(例えば、溶液、相平衡、
化学平衡、化学電池など)に、熱力学を応用するものであるが、これについては基本的に
後学期の「物理化学Ⅳ」で学ぶ。この講義では化学熱力学を理解するための基礎として熱
力学を学び、熱力学的な考え方、概念(特にエントロピーと自由エネルギー)を理解しそ
れに慣れることを目標とする。教科書(アトキンス)でいえば、1 章から 3 章および 4、5、7
章の一部の内容を扱う予定である。
1・2 熱平衡状態
熱力学で使う用語をいくつか紹介しておこう。
☆ 系、外界(、環境、周囲)、宇宙(アトキンス図 2・1)
我々が今注目している(、問題にしている、考察している)対象を系と呼ぶ。そして、宇
宙は系とその外界(、環境、周囲)からなる。
孤立系:外界と全く交渉を持たず、つまり、外界とのエネルギーや物質の交換を行わない
系。例:理想的な魔法瓶;宇宙は孤立系である。
閉じた系(閉鎖系):外界との間にエネルギーの交換はあるが物質の出入りのない系。例:
地球(隕石などを考慮すると閉じた系ではない)
開いた系(開放系):外界との間でエネルギーや物質の交換を行う系。例:エンジン(ガソ
リンや空気を取り込み、仕事や熱、排気ガスを放出する)
;生物
同じ系であっても、何を目的に議論するか、どこまで厳密に議論するかによって、例え
ば孤立系と見なしたり、閉じた系と見なしたりする事がある(例:地球は閉鎖系であると見
なせるが、厳密には開放系である)
。この講義では基本的に孤立系と閉じた系(閉鎖系)を考察
の対象とする。開放系については後学期の「物理化学Ⅳ」で取り上げる。
☆ 状態関数(状態量)
前述したように、熱力学では巨視的な物質の状態を指定(、記述)するときに、温度 T、
圧力 P、体積 V といった少数の巨視的物理量を使う。これらのように、系の状態だけで決
まる巨視的量、系の状態の性質を指定、記述する巨視的量を状態関数という*1。系が過去
にどのような過程を経てこようと、その状態をどの様にして作ったかには無関係に、状態
関数は現在ある系の状態にのみ依存するという性質を持っている。
☆ 熱平衡状態と非平衡状態
巨視的状態を熱平衡状態と非平衡状態に大別する。熱平衡状態とは、巨視的状態が時間
変化しない、つまり状態関数が一定の状態である*2。一般に孤立系は一定条件の下に十分
長く放置すれば熱平衡状態に達する(経験則)。
*1 一般には状態量というが、ここではアトキンスにあるように状態関数と呼ぶことにする。
*2 平衡状態というと、力学系の平衡状態(力の釣り合い)を連想するかもしれないが、それと混同する
ことはないであろう。
-2-
熱平衡状態の具体例としては、コップの中にあって周囲と同じ温度、圧力の水(蒸発は
ないものとする)。これは、温度、体積、圧力が一定である。これに対して例えば、ビー
ル(非平衡状態、CO2 が過飽和状態)、ガスバーナーの炎(定常状態*1)は熱平衡状態では
ない。
化学で重要な平衡に、相平衡と化学平衡がある。これらについては、後学期の「化学熱
力学」で取り扱う。
熱平衡状態は巨視的には少数の変数(例えば温度と圧力)を与えれば決まる静的な(つま
り時間変化しない)状態であるが、微視的には粒子が複雑な運動をしている動的な(時間変
化する)状態である。例えば化学平衡は、ミクロなレベルで見たとき正逆のプロセスの速
度が等しくなった時に実現する動的な釣り合い状態である。
非平衡状態から熱平衡状態に至る過程は、不可逆過程、あるいは緩和過程と呼ばれてい
る。緩和過程:熱平衡状態にある系に熱や圧力を加えた時、その系が示す挙動。(例:Le
Chatelier(ル-シャトリエ)の法則)この講義では熱平衡状態にある系についてのみ考える(こ
れを 平衡熱力学という)。非平衡状態にある系が時間とともにどのように変化していくか
(非平衡熱力学)を考えることはしない。
平衡熱力学の根本問題は、熱平衡状態にある系の内部束縛(エネルギー、体積、物質の
やり取りを禁止する束縛)が除去された時、系が最終的に到達する新しい熱平衡状態を決
定する事である。
(注意:熱力学と速度論)熱力学では変化の方向を示すが、その速さ(どの程度の時間で
新しい平衡状態に達するか)は分らない。それを取り扱うのは速度論という別の理論体系
である。化学反応についての速度論-反応速度論-は 3 年生対象に開講されている。
1・3 理想気体(アトキンス 1・1、1・2)
この講義では考察対象としての系を、基本的には 理想気体に限定するが、必要に応じてそれ以外の
系(実在気体、液体、固体)も取り上げる。ここでは、アトキンスの 1・1、1・2 に沿って理想気体の性
質を復習してみよう。
アトキンスでは 完全気体と呼んでいるが、理想気体という言葉の方が一般的なので、ここでも理想
気体という言葉を使う。理想気体とは モデル物質である。モデルとは系を単純化することによって、
問題の本質的な部分を理解(あるいは数学的に解析)し易くしたものである。つまり、問題を単純化
し問題の本質的な部分のみを抽出するためにモデルを使う。理想気体とは巨視的(、熱力学的)には
任意の条件下で気体の状態方程式(1・8)が成立する系であるが、微視的には気体粒子間の相互作用も、
*2
粒子自身の体積もない(、大きさがない)と見なせるような粒子からなる系を意味している 。これに
対して、実際に存在している気体を実在気体という。
*1 定常状態とは流体の流れ、電流などの運動の様相(単位時間当たりの流量等)が時間的に不変な、
しかし巨視的に動的な状態。熱平衡状態は巨視的には静的な状態である。
*2 理想気体は Charles(シャルル)の法則に従うので、圧力が一定の時、体積は温度に比例し(アトキン
ス図 1・6 参照)、体積が一定の時、圧力は温度に比例する(アトキンス図 1・7 参照)。そのため、理想
気体は絶対零度では体積も圧力もゼロになる。
-3-
a 気体の状態(アトキンス 1・1)
系の熱平衡状態を指定するのに必要かつ十分な(温度以外の)状態関数と、温度との間の
関数関係を与える式が状態方程式である。この状態方程式の形は物質に依存するため一般
的な形というものはないが、理想気体は例外的に次の理想気体の状態方程式が気体の種類
に関わらず成立する。
PV = nRT
(理想気体)
(1・8)(1)
ここで、R は気体定数である(アトキンス表 1・2 を参照せよ)。上式の両辺ともエネルギーの
次元を持っていることに注意する。
(a) 圧力
圧力の定義、圧力の単位 Pa(パスカル)(アトキンス表 1・1 を参照せよ)、
5
*1
標準(状態)圧力 P ○= 10 Pa = 1 bar(バール) 、1 気圧は 101325 Pa、圧力と力学的平衡(ア
トキンス 1・1(a)、図 1・1 参照)
気体の圧力の原因は、気体分子がそれを入れている容器に衝突して力を及ぼすことにあ
る。この衝撃力を壁に衝突する多数の原子について平均すると、この平均した力<f>を気
体の圧力として測定することになる。つまり、気体の圧力 P とは気体分子が容器の壁に
及ぼす平均の力である。(N は気体分子の数、L2 は容器の面積)
P = N<f>/L
(< >は平均を表す)
2
(a)
実際に原子が時々刻々壁に及ぼす力は平均から多少ずれるわけだが、気体分子の数は莫大
なので、平均からのずれは検出できないほど僅かである。
(b) 圧力の測定
気圧計、圧力計
(c) 温度(温度については 2 章以降で詳しく考察する)
、298.15 K = 25 ℃、つまり、摂氏温度θとの関係は
絶対温度 T の単位は K(ケルビン)
T/K =θ/℃+ 273.15
(1・4)(2)
である(アトキンス数値例 1・1 を参照せよ)。絶対零度(T = 0)では物質を構成する粒子の
熱運動は完全に停止する。有限温度(T > 0)では粒子は熱運動を行い、温度が高くなる
ほどその運動は激しくなる。つまり、熱運動とは物質を構成している粒子が有限温度でお
こなう不規則な(、ランダムな)運動であり、温度とはこの粒子の熱運動の運動エネルギ
ーの平均値(、運動の激しさ)を表している。従って、絶対温度目盛りでは負の温度はな
い。エネルギーの等分配則(基礎物理学 1・2d 参照)によると、 1 mol の理想気体の平均運
動エネルギーは(3/2)RT であり、NA 個の粒子の運動エネルギーは(1/2)m<v2>× NA なので、
(3/2)RT =(1/2)NA m<v2>
(< >は平均を表す)
(3/2)kBT =(1/2) m<v >
(b)
(c)
2
である。つまり、温度 T と分子の運動エネルギー(1/2) m<v >が比例している。
2
*1 標準状態とは 0 ℃、1 気圧の状態ではなく、圧力が 105 Pa の状態で、温度の指定はない。
-4-
絶対温度の単位 K はエネルギーの単位としても使われる。このときは Boltzmann 定数
がかかった値がエネルギーの単位としての K の大きさである。すなわち、
1 K = kB K =(1.38066 × 10-23 J K-1)(K)= 1.38066 × 10-23 J
(d )
である。
☆ 温度と圧力
理想気体の場合、P ∝ nT/V なので、粒子数密度(N/V = nNA/V)一定のもとでは圧力と
温度は比例する。
P ∝ T ∝<運動エネルギー>
(N/V =一定)
(e )
また、圧力の単位は
N m- = J m2
3
なので、理想気体の圧力は単位体積あたりの気体分子の運動エネルギーであることが分か
る。気体の運動が激しくなるほど、気体の温度も圧力も上昇する(ただし、圧力は容器の
体積、正確には数密度に依存する)。
さらに、温度一定条件下では、理想気体の圧力は数密度に比例する。
P ∝ n/ V
(T =一定)
(f)
式(a)からも、圧力が粒子数に比例することが分かる。
☆ 原子・分子の熱運動
分子や原子は有限温度においてランダムな(、無秩序な、でたらめな)熱運動をしている。この意
味を考えてみよう。気体分子を想像してみよう。分子の運動は原理的には運動方程式によって記述可
能であり、分子の運動を惑星やすい星の運動を追うように、時々刻々追うことはできる。つまり分子
運動は決して本質的にランダムではない。しかし、分子数が莫大な場合これをまともに取り扱う(す
なわち、Avogadro 数個程度の運動方程式を解く)ことは現実的には不可能である。また、仮に可能で
あったとしても、そこに惑星の運動に見られるような何らかの規則性を見出すことができるとは考え
られない。仮に分子を見ることができたとして、我々には粒子がでたらめに運動しているとしか見え
ないであろう。それはなぜかというと、ミクロな粒子の数が莫大で絶えずそれらの間で衝突を繰り返
しているからである。1 個の気体分子が時間の経過とともにたどる道筋は恐ろしく複雑であり、そこ
には太陽系の惑星の運動に見られるような規則性は見いだせない。この意味において、ミクロな粒子
の熱運動はでたらめ(不規則、ランダム)なのである。この講義ではランダムな熱運動という言葉を
今後多用するが、この場合のランダムという言葉が上記のような意味合いで用いられているというこ
とを強調するために、‘ランダム’あるいは‘無秩序’と表記することにする。
ところで、ある限られた空間に閉じこめられた一個の分子は、長い間には存在する空間の全領域を
*1
まんべんなく通過するであろう 。つまり分子の運動を長時間平均してみたとき、分子がどの方向に移
動する確率も等確率であると考えることが可能であろう(もちろん短時間では無理)。したがって、分
9
*1 アトキンス(p.810)によると、1 気圧、25 ℃の気体窒素において、1 個の分子は毎秒 5 × 10 回程
-10
度衝突する。つまりある運動が継続する時間は 10 s 程度である。ミクロのレベルではこの程度の時間
間隔を考えるので、1 秒でも充分長時間である。巨視的な物理量を測定するのに要する時間のスケール
では、分子の運動は充分平均されていると見なすことができる。
-5-
子の運動をランダムな運動として取り扱っても、莫大な数の分子が存在する系の時間平均(=マクロ
な系の熱平衡状態)を考える限り良いのではないかと期待される(熱平衡状態にある分子は、次の瞬
間どの方向に移動する確率も等しい状態にあると考える)。これが確率的な、 統計力学的な見方(=本
来力学過程である分子運動を確率過程として認識すること)である。莫大な数の自由度がある系を、
少数の変数で記述するとき、確率的な見方、記述が生まれる。
温度と熱平衡(アトキンス 1・1(c)、図 1・2 参照):温度という概念は次の熱力学第零法則をも
とにして導入された。
「A と B とが熱平衡にあり、B と C とが
熱力学第零法則(アトキンス図 1・3 参照)とは、
熱平衡にあれば、A と C とを直接接触するとき、A と C は必ず熱平衡にある。」というも
のである。二つの系が熱平衡にあるとき、その二つの系の温度は等しい。逆に、二つの系
が熱平衡にあるための条件は、二つの系の温度が等しいことである。二つの物体が熱接触
しているとき、それらが熱平衡にあるかどうかは、二つの物体の温度を測定すれば分かる。
閉じた系の平衡条件は、外界との間に力学的平衡と熱平衡が成立することである。
(注意:熱平衡状態と熱平衡)熱平衡状態は T、P、V が一定なので、外界と熱平衡およ
び力学平衡が成立している。例えば、外界と熱平衡にある水は蒸発によって体積が減少す
るので、厳密には熱平衡状態ではない。このように、厳密には熱平衡状態と熱平衡は区別
されるが、熱平衡状態という意味で熱平衡という言葉が使われることが一般的である。し
かし、この講義では区別して用いることにする。
b 気体の諸法則(アトキンス 1・2)
ここに現れる気体の諸法則は正確には理想気体の法則であり、実在気体の場合はある極
限(理想気体の条件を満足できる条件、すなわち、気体粒子の相互作用や大きさが無視できるとき)
でのみ成立する極限則である。
(a) 理想気体の法則
Boyle(ボイル)の法則、
PV =一定
(定温)
(1・5)(3)
Charles(シャルル)の法則、
V =(定数)×(摂氏温度+ 273) (定圧)
(1・6a)(4)
Avogadro の原理、
V =(定数)× n
(定温、定圧)
(1・7)(5)
上記の諸法則を統合することによって、理想気体の状態方程式が得られる。
PV = nRT
(理想気体)
(1・8)(1)
理想気体は 298.15 K、1 bar(標準環境温度と圧力 SATP)でモル体積 Vm = 24.789 dm3 mol
-1
。現在では実験データなどは基本的に SATP の条件の下で測定されたものが掲載されて
いる。
(b) 混合気体
Dalton(ダルトン)の法則、分圧の定義
-6-
気体 J*1 の分圧 PJ は、J のモル分率が xJ のとき、
PJ ≡ P × xJ
[1・13](6)
と定義される。分圧の計算例はアトキンス例題 1・3 を参照せよ。理想気体では
モル分率 nJ/n =圧力分率 PJ/P =体積分率 VJ/V
が成立する。ここで
n =∑ J nJ、 P =∑ J PJ、
V =∑ J VJ、
である。しかし、重量分率 mJ/m(m =∑ J mJ)は
∑ J mJ =∑ J nJ MJ = m
(MJ は成分 J のモル質量)
なので、
mJ/m = nJ MJ /∑ J nJ MJ = xJ MJ / M
(M =∑ J xJ MJ は平均モル質量)
となり、モル分率 xJ と等しくはない。
1・4 実在気体(アトキンス 1・3、1・4)
a 分子間相互作用(アトキンス 1・3)
実在気体では気体分子間に分子間相互作用(あるいは分子間力ともいう)が働く。それ
は大別すれば、引力と斥力(反発力)である。2 個の分子間に働くポテンシャルエネルギ
ー V の様子がアトキンスの図 1・13 に載っている。分子間に働く力はその微係数- dV/dr
である(基礎物理学 1・2b 参照)
。
F =- dV/dr
(7)
分子間距離 r が大きいところでは、dV/dr > 0 なので、分子間に引力が働き、ポテンシャ
ルエネルギーが極小になるところより接近すると、dV/dr < 0 なので、反発力が働くこと
が分かる。
分子間引力は r がある程度離れたところでも有効に働くので、分子間引力は長距離力で
ある。これに対して、斥力*2 はごく近くに分子が接近すると有効に働くので、分子間斥力
は短距離力である。長距離、短距離は相対的な表現で、分子間引力の元となる van der
Waals 力は Coulomb 力と比較すると、かなり短距離力である*3。
b 圧縮因子(アトキンス 1・3)
実在気体ではこのような分子間相互作用が存在するため、理想気体の状態方程式(1・8)
からのずれを示す。そのずれの程度を示すのが圧縮因子 Z である。
Z ≡ PVm/RT
[1・17](8a)
ここで Vm は物質 1 mol 当たりの体積、すなわちモル体積を表す。分母の RT はその温度で
の気体粒子の全運動エネルギーを表しており、PVm はその運動エネルギーに抗して気体を
体積 Vm に閉じこめるのに必要なエネルギー(、仕事)を表している。そこで、理想気体
の場合のそのエネルギーを(PVm)理、実在気体の場合のそれを(PVm)実と表記すると、
*1 化学種を一般的に表記する記号として J を使う。エネルギーの単位ジュールと混同しないように。
*2 分子間の斥力については、「物理化学Ⅰ」で詳しく説明する。
6
*3 van der Waals 力のポテンシャルエネルギーは r に、Coulomb ポテンシャルは r に反比例する。
-7-
Z =(PVm)実/(PVm)理
(8b)
である。
実在気体では気体粒子間に引力が働いているので、粒子の運動がその分弱められ、より
少ないエネルギーで気体を閉じこめておくことができる、言い換えれば、理想気体より圧
縮しやすくなる。つまり、(PVm)実<(PVm)理である(従って、Z < 1 である)。このとき、
理想気体と実在気体を同じ体積に閉じこめると、それに必要な圧力は(P)実<(P)理であり、
理想気体と実在気体を同じ圧力で閉じこめると、その結果の体積は(Vm)実<(Vm)理である(ア
。しかし、非常に高圧になると、粒子間の斥力が働くようになり 、
トキンス例題 1・4 参照)
*1
気体に運動エネルギー以上に圧力をかけてやらないと圧縮されない。すなわち、理想気体
より圧縮しにくくなる。このとき、(PVm)実>(PVm)理となるので、Z > 1 である。このとき、
理想気体と実在気体を同じ体積に閉じこめると、それに必要な圧力は(P)実>(P)理であり、
理想気体と実在気体を同じ圧力で閉じこめると、その結果の体積は(Vm)実>(Vm)理である。
アトキンスの図 1・14 に、圧縮率因子の圧力依存の実例が載っているので参照せよ。
温度が高くなると、実在気体の Z は 1 に近づく。これは高温では分子の運動エネルギ
ーが大きくなるため、相対的に分子間力が無視できるようになるからである。実在気体は
高温低圧の状態で理想気体に近い振る舞いをする。常温常圧で多くの気体が理想気体と見
なせるのは、この条件では分子間距離が大きくて、長距離力である分子間引力の効果もほ
とんど無視できるからである。この様に圧縮因子の 1 からのずれは非理想性の目安となる。
c virial 状態方程式(アトキンス 1・3)
実在気体を理論的、定量的に解析する手段として、理想系の式(1・8)をある状態関数の
べき級数で展開することを考える*2。つまり、理想系の法則はこのべき級数の第一項であ
るとして取り扱う。これは virial(ヴィリアル)状態方程式と呼ばれている。数学的には高次の
項までとればとる程パラメータの数が増えるので実験値との一致は良くなる(このような解析の仕方
を一般に数値解析という)。正確な計算をする場合はこの方法が優れているかもしれないが、問題点と
しては展開項の物理的意味が必ずしも明確ではないことである。展開項の意味付けは理論的な考察(=
統計力学)に基づいて行われなければならない。
virial 状態方程式には次の 2 通りの表し方がある。
PVm = RT(1 + B'P + C'P2 +・・・)
(1・18)(9)
PVm = RT(1 + B/Vm + C/Vm +・・・)
(1・19)(9')
2
ここで、B、C 、・・・は第 2、第 3 、・・・virial 係数という。virial 係数は分子の種類毎に異な
る値を持ち、温度に依存する(アトキンス表 1・4 に B の値が載っている)。virial 展開では第 2
virial 係数 B が特に重要である。B = 0 になる温度を Boyle 温度という*3。
*1 厳密には気体粒子が接触する頻度が増大するため、反発力の効果が平均として効いてくるようにな
るということである。
*2 x を実数とするとき、次の級数を x のべき級数(整級数)という。
∑ n =0
∞
n
2
n
anx = a0 + a1x + a2x +・・・+ anx +・・・
*3 Z の圧力依存性は温度によって異なる(アトキンス図 1・16 参照)。低圧で Z = 1 となる圧力領域の
現れる温度が Boyle 温度である。アトキンスの表 1・5 に Boyle 温度の値が載っている。
-8-
virial 係数は分子間の相互作用を表す量であるが、一般的にその物理的意味付けは熱力学的考察から
は難しく、統計力学に基づいて行われる。それによると、ここでは詳細は省くが、 クラスター展開の
理論を用いることにより、係数は温度と分子間ポテンシャルの形からその値を定めることができる。
このとき、第 n virial 係数はクラスターを作る n 個の分子が同時に力を及ぼし合うことによる分子配置
の相関効果を表していると解釈される。第 2virial 係数が重要ということは、実在気体では 2 粒子間の
相互作用が重要であることを意味している。つまり、3 個あるいは 4 個の分子が瞬間的にクラスター
を作る頻度は非常に小さく、ある分子に注目したときせいぜい 1 個分子がそれに接近する場合を考え
れば十分であることを意味している。第 2 virial 係数 B に関していえば、一対の分子対内の相互作用を
考えて、その引力部分が支配的な低温で B は負の値をとり(そのとき PVm < RT、従って Z < 1)、温
度の上昇と伴にその絶対値は減少し、Boyle 温度以上で正の値を持つようになる(そのとき PVm > RT、
従って Z > 1)ことが導かれる(アトキンス表 1・4 に 273 K と 600 K における B の値が載っている)。B
が正の値を持つということは圧縮因子 Z が 1 より大きくなることを意味し、従って反発力の効果が優
勢になっていることを示している。高温にすると反発力の効果が優勢になるのは、温度の上昇に伴っ
て分子が単位時間内に動き回る空間が大きくなるので、分子どうしが接近する頻度が増すからである。
d van der Waals の式(アトキンス 1・4)
実在の系に適用できる法則を求める方法としてまず考えられるのは、理想性からのずれ
の原因を想定した上で、ずれの大きさを理論的に計算して補正することである。このよう
にして得られる実在気体に対する状態方程式で一番有名なのが van der Waals(ファンデル
ワールス)の式である。van der Waals 方程式は次のように表される(式の導出の仕方はアトキ
ンスの根拠 1・1 に載っているので参照せよ)
。
(P + an2/V 2)(V - nb) = nRT
(10)
あるいはこれを書き換えて、
P = nRT/(V - nb) - an /V
2
ここで、- an /V
2
2
(1・21a)(11)
2
は分子間引力による圧力減少効果を、- nb は気体粒子が有限の大きさ
を持つことの(言い換えれば斥力の)効果を表している(b は排除体積と呼ばれることが
ある)。したがって、(1・21a)式の右辺の第 1 項は気体の運動エネルギーと反発相互作用を、
第 2 項は引力相互作用を表していると解釈できる。補正項 a により圧力は減少し、補正項 b
により圧力は増大する。分子間引力が優勢のときは理想気体と比較して圧力は減少し、斥
力が優勢のときは圧力は増大する。van der Waals 方程式を使った計算例がアトキンスの
例題 1・4 に載っているので参照せよ。
van der Waals の式は virial の式と比較して実測値の再現性では劣っているが、van der
Waals 式の長所はそれが解析的な式で、実在気体について一般的な結論を引き出せること
にある。van der Waals 方程式以外にも、実在気体に対する状態方程式がいくつか提案さ
れている(アトキンス表 1・7 参照)
。
係数 a、b は virial 係数と同様に分子の種類によって異なる値をとるが、温度には依存しない(アト
キンスの表 1・6 に係数の具体的な値がいくつか与えられている)。表 1・6 に載っている係数の数値を見
ても、その数値の相対的な関係を定性的に、分子間力、原子あるいは分子の大きさに基づいてある程
度説明できることが分かる。すなわち、希ガス元素の a は小さく、粒子が大きいと b も大きくなる。
第 2virial 係数 B と van der Waals 係数 a、b の間には、
-9-
B = b - a/RT
(a、b は温度に依存しない)
(12)
の関係がある。この式は B の温度依存性を定性的に説明する。すなわち、引力効果を表す a が優勢の
ときは B は負になるが、温度の上昇と伴にこの第 2 項の効果は小さくなり、Boyle 温度で b = a/RT と
なり、それより高温では斥力効果を表す b が相対的に優勢となり B は正になる。
- 10 -
2. エネルギー
(エネルギーについては「基礎物理学」1・2 を参照せよ)
2・1 内部エネルギー
2・1・1 定義
熱力学に登場するエネルギーは内部エネルギー U という。U は状態関数である。内部
エネルギーとはマクロな物質の持っているエネルギーのうち、系全体としての運動エネル
ギーやポテンシャルエネルギーを除いた、系の内部に存在するエネルギーのことである。
ミクロなレベルに基づいて説明すると、系の内部エネルギーとは、系を構成する粒子の運
動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和である。
(注意)原子内、分子内の電子の運動エネルギーとポテンシャルエネルギーも U に含まれるはずで
(化学反応における反応熱はこれらの変化に起因する)、この場合は系の構成粒子を電子と原子核と考
えていることになる。上記のミクロなレベルでの U の定義には、系の構成粒子をどのレベルまで遡っ
て考えるか(原子は原子核と電子からできているが、原子核は陽子と中性子からできており、それら
はさらに素粒子から...)という点が曖昧である。しかし、熱力学的にはその内容に立ち入らず、ただ
物質内部に含まれるエネルギーと考える。後で分かるが実際に重要なのは U 自体ではなくその変化量
Δ U であるので、Δ U が何に起因するかで、粒子のレベルをどこまで遡って考えるかが決まってくる。
この講義では基本的にミクロのレベルとは原子、分子のレベルのことを指すと考えて良い。
2・1・2 仕事と熱(アトキンス 2・1、2・3)
エネルギーは「基礎物理学」1・2 で考察した力学的エネルギーの他に化学エネルギー、
熱エネルギー、電気エネルギー、光エネルギーなどがある。
エネルギーは保存される(エネルギー保存則)。これは経験則である。今まで誰も、例
えば燃料なしでエンジンが動くようなことを、つまり無からエネルギーが創造されること
を観測したことがないし、これからもないであろうと考える。エネルギーは保存されるが、
ある系から別の系へ移動させたり、変換することができる。例えば、滝を考えてみよう。
滝の水は莫大な位置エネルギーを失って、水の内部エネルギーを増大させる(水全体とし
ての位置エネルギーが水の内部エネルギーに変換された)。水力発電は、その水の位置エ
ネルギーを電気エネルギーに変換しているのである。
エネルギーはある系から別の系へ仕事かあるいは熱の流れによって移すことができる。
では、仕事とは何か?熱とは何か?考えてみよう*1。
a 仕事
仕事の例として力学的な仕事を取り上げよう。代表的な例としては(気体の)圧縮あるい
は膨張による仕事(これを PV 仕事あるいは膨張(圧縮)仕事と呼ぶ)がある。化学で重要
な仕事は、電気的な仕事(化学電池)と PV 仕事である(アトキンス表 2・1 参照)。
*1(注意)仕事とか熱のように日常用いられる単語で、その意味が学術上使う意味と異なっている場
合は特に注意してその学術的な意味を理解するように。
- 11 -
(アトキンス 2・3)
☆ PV 仕事(気体の膨張仕事)
二つの系 A、B が熱力学的に接触しているとき、力学的平衡条件は PA = PB である。PA
> PB のとき、A は B に仕事をする(アトキンス図 1・1 参照)
。ここで、アトキンス図 2・6 の
ようなピストンを考えてみよう。仕事=力×移動距離(「基礎物理学」1・2a 参照)であるが、
これは
仕事 = 圧力 × 体積変化
(1)
と書き直すことができる。気体が外界から力を受けて圧縮するとき、系(、気体)になされ
た仕事を wexp と書くことにする。従って、膨張することによって系が外界に対して行った
仕事は- wexp である。仕事量|- wexp|の大きさは PV 図において圧力曲線の下の面積であ
る(アトキンス図 2・7、2・8 参照)。
(a) 外部圧力 Pex に逆らって気体の体積が Vi から Vf まで膨張するとき、
- wexp =∫ ViVfPexdV
(基本式)
(2・6)(2)
である。この式は圧力 Pex が体積にどのように依存するかが分かれば計算できる。
(b) Pex = 0 のとき、自由膨張という。このとき
- wexp = 0
(自由膨張)
(2・7)(3)
である。
(c) 一定の外部圧力 Pex に逆らって気体の体積が Vi から Vf まで膨張するとき、(2・6)式よ
り
- wexp = Pex Δ V
(定圧)
である(アトキンス図 2・7、例題 2・1 参照)。ここでΔ V = Vf - Vi
(2・8)(4)
である。この式は例えば
大気中で液体が気化する際にする仕事にも使える。
(d) Pex が気体の圧力 P とほとんど等しい(=その差が無限小の)状態で気体の体積が Vi
から Vf まで膨張する場合*1、(2・6)式は
- wexp, rev =∫ Vi PdV
(可逆)
Vf
(2・10)(5)
となる。この式は圧力 P が体積にどのように依存するかが分かれば計算できる。このと
き、体積に依存せず圧力が一定であるならば、
- wexp, rev = P Δ V
(定圧可逆)
(6a)
である。理想気体の場合にはさらに
- wexp, rev = nR Δ T
(理想気体、定圧可逆)
(6b)
となる。ここで、Δ T = Tf - Ti である。
(e) 理想気体を温度一定の条件の下で可逆的に膨張させたとき、P = nRT/V より(5)式は
- wexp, rev = nRTln(Vf/Vi)= nRTln(Pi/Pf)(理想気体、等温可逆)
(2・11)(7)
となる(アトキンス図 2・8 参照)
。
b 熱
二つの系 A、B が熱力学的に接触しているとき、熱的平衡条件は TA = TB である。TA > TB
のとき、A から B へ熱が流れる(アトキンス図 1・2 参照)
。
*1 この過程の途中、系も外界も常に熱平衡状態を保つと見なされる。これは準静的過程と呼ばれる可
逆過程である。可逆過程については 4・1、4・2 で詳しく扱う。アトキンスの 2・3(d)を参照せよ。
- 12 -
温度、熱エネルギー、熱の違いを良く理解する。
・温度:物質を構成する粒子の熱運動エネルギーの平均値を表現している。
・熱エネルギー:物質を構成する粒子が持つ熱運動エネルギーの合計。内部エネルギーの
一部。
・熱:高温の物体から低温の物体へ移動するエネルギー。微視的には、粒子同士の衝突に
よる、運動エネルギーの高い粒子から低い粒子へのエネルギーの移動である。
温度が高い物体から低い物体へ熱エネルギーが移動したとき、熱が流れた(、輸送され
た)という。
c エネルギーの移動
温度は熱の流れる方向を、圧力は仕事の向きを教えてくれる指標である。つまり、温度
と圧力はエネルギーの移動する方向を教えてくれる。温度が高い系ほど熱を与える能力が
高く、温度の高い系から低い系に熱が流れる。圧力が高い系ほど仕事をする能力が高く、
圧力が高い系は低い系に仕事をする。
ここで、“熱や仕事によって系の持っていたエネルギーが外界へ移動した”という表現
を考えてみよう。圧力 P の気体があるとする。この気体が外圧に逆らって膨張すれば、気体が外界
へ仕事をしたことになる。すると気体の圧力は以前より低くなっているので、仕事をする能力(=エ
ネルギー)が小さくなっていることが分かる。従って、系(、気体)から別の系(、周囲)へ仕事に
よってエネルギーが移動したことが分かる。逆にこの気体が圧縮されれば、気体は外界から仕事をさ
れたことになる。すると気体の圧力は以前より高くなっているので、仕事をする能力が高くなってい
ることが分かる。従って、外界から系へ仕事によってエネルギーが移動したことが分かる。密閉容器
内の気体に外界から熱を加えると、気体の温度は上昇し、圧力も高くなる。つまり、気体が仕事をす
る能力が高くなっていることが分かる。従って、外界から系(、気体)へ熱によってエネルギーが移
動したことが分かる。
P
P
A(PA, VA)
P
A
A
過程②
B
過程①
(等温膨張)
B
B(PB, VB)
V
過程①
V
過程②
V
この様に、仕事と熱はエネルギーの移動形態を指す。つまり、系の性質ではない。した
がって、仕事と熱は状態関数ではない。系が仕事や熱を所有するとはいわない。状態関数
は状態の性質であり、仕事と熱は経路の性質である*1。仕事と熱の量は変化の道筋、経路
に依存する。例として、温度一定の下で気体が外圧に逆らって膨張仕事をする場合を考え
てみよう。状態 A から状態 B に変化するとき、次の二つの経路を考える。過程①外圧を
急に PA から PB に下げる。過程②外圧を徐々に下げて最終的に PB まで下げる。圧力や体
*1 アトキンスではこれを経路関数と呼んでいるが、一般的な言葉ではない。
- 13 -
積は状態関数なので、どの様な経路をとっても最終的に B という状態にたどり着けば圧
力、体積はそれぞれ PB、VB という値を持つ。ところが、仕事は①という経路と②という
経路では異なった値となる。このことは、a で与えた PV 仕事の式を参照しても容易に理
解できるであろう(アトキンス例題 2・7 参照)。4 章において詳しく考察するが、可逆過程に
おいて系は最大の仕事をする。これは任意の仕事、任意の物質に対して成立する。
2・1・3 熱力学第一法則(アトキンス 2・2)
熱や仕事によって移動したエネルギーはどこへ行ったのか?それは、系に蓄えられた(、
系の内部エネルギーを増大させた)のである。例えば、ビーカーの中の水を加熱したとき、
その熱は水の内部エネルギーを増大させたのである。このマクロな系のエネルギー保存則
は熱力学第一法則と呼ばれている。
閉じた系の熱力学第一法則は次式によって与えられる。
ΔU = q+ w
(閉じた系)
(2・2)(9)
ここで、Δ U = U2 - U1 は状態 1 から状態 2 に変化したときの系の内部エネルギー変化、q
は系に入ってきた熱、w は系になされた仕事である。q と w は符号に注意する。q < 0 の
ときは系から熱が出ていき、w < 0 のときは系が仕事をする。したがって、任意の変化が
*1
発熱過程のときは q < 0、吸熱過程のときは q > 0 である 。アトキンス数値例 2・1 参照。
閉じた系では、系の内部エネルギーは熱および仕事によって変化する。逆に言えば、熱
と仕事がなければ系の内部エネルギーは変化しない。例えば、体積変化(PV 仕事)に伴
って内部エネルギーは変化する。ところで、仕事 w を PV 仕事 wexp とそれ以外の仕事 w(
e 非
膨張仕事、具体的には電気的な仕事等)に分けて考えることにする。すなわち、
w = we + wexp
(10)
この場合熱力学第一法則は、
Δ U = q + wexp
(閉じた系、PV 仕事のみ)
(2・12)(11)
となる。wexp の具体的な形は式(2)~(7)で与えられる。
☆ 熱の仕事当量
熱力学第一法則はエネルギー保存則を表しているが、
もう一つの別の意味を持っている。
つまり、熱も仕事も系の内部エネルギー変化に寄与するという意味では等価であること(=
熱と仕事の等価性)を表している。熱を与えることと同じ効果(つまり系の温度を上昇さ
せる)を仕事によっても生じさせることができる。この事を分子の立場から考えてみよう。
・熱を加える → 分子の‘無秩序な’熱運動のエネルギーが増大する(= 内部エネルギー
が増大する)→ 温度が高くなる
・攪拌仕事をする → 流れという分子集団として揃った、組織的な運動が起こる = 運動
エネルギーの増大(= 内部エネルギーの増大)→ 分子間の衝突によりやがて‘無秩序な
’分子運動(= 熱運動)に変わる → 温度が上昇する
この様に、熱と仕事は系の内部エネルギーを変化させる方法としては等価である。
*1 断熱条件下で発熱過程が起こると、系の温度は上昇し、吸熱過程が起こると、温度は下がる。等温
条件下で発熱過程が起こると、系から外界に熱が流れ、吸熱過程が起こると、系に外界から熱が流入
し、系の温度は一定に保たれる。アトキンス図 2・2 参照。
- 14 -
水 1 g の温度を 1 ℃上昇させるために必要な熱量が 1 cal である。では、水 1g の温度を 1
℃上昇させるために必要な仕事量はどれ程であろうか。これを初めて定量的に調べたのは
Joule(ジュール)であった。糸に付けた重りがその重みで下がると、軸に巻き付けた糸が
ほどけるに従って水中の羽根車が回転し、水をかき回す仕組みになっている。このとき、
重りの位置エネルギーの減少した分が羽根車の運動エネルギーになり、さらに水の内部エ
ネルギーになるのである。そこで、重りの位置エネルギーの減少と水の温度の上昇を測れ
ば、力学的な仕事がどの様な割合で物を温めるかを知ることができる。このようにして、
熱と仕事とは物を温める上で同じ働きがあり、量的には
1 cal = 4.184 J
の関係があることが分かった。これを熱の仕事当量という。
☆ 理想気体の特殊性
内部エネルギーの増加は一般に系の温度上昇を生むが、ではエネルギーを加えると系の
温度は必ず上昇するだろうか? 100 ℃の水と 100 ℃の水蒸気では、水蒸気の方が内部エネ
ルギーが高い(なぜなら、100 ℃の水を 100 ℃の水蒸気にするためにはエネルギーが必要だから)。
しかし、温度は同じなので粒子の運動エネルギーは同じである。では、内部エネルギーの
違いはどこからきているか?蒸発に要したエネルギーはどこに行ったのかを考えてみれば
よい。答えは、粒子間のポテンシャルエネルギーである。熱は液体粒子間の距離を引き離
すための仕事をすることにより、粒子間のポテンシャルエネルギーを増大させた。熱は粒
子間のポテンシャルエネルギーの増大という形で内部エネルギーに貯えられたのである。
理想気体は分子間力がないと見なすので、内部エネルギーは粒子の熱運動エネルギーに
のみ依存する。従って、内部エネルギーは温度にのみ依存する(理想気体の重要な性質)
。
温度一定の過程(等温過程)ではΔ U = 0 である。
2・2 エンタルピー(アトキンス 2・5)
2・2・1 エンタルピーの導入
化学において重要な二つの測定条件は、体積一定(これを定容、あるいは定積という)
で実験を行うか、それとも圧力一定(定圧)で実験を行うかというものである。この他に
もう一組重要な測定条件がある。それは温度一定(これを定温あるいは等温という)で実
験を行うか、断熱(q = 0)で実験を行うかである。
仕事は PV 仕事のみであるとする。すなわち、(11)式Δ U = q + wexp が使える。この
とき体積一定のもとで(したがって wexp = 0)の系の状態変化に伴って移動した熱量 qV は、
その変化に伴う系の内部エネルギー変化Δ U に等しいことが分かる。
Δ U = qV
(定容、PV 仕事のみ)
(2・13b)(12)
ここで、エンタルピー H という状態関数を導入する。エンタルピーは次式のように定
義される。
H ≡ U + PV
[2・18](13)
したがって、エンタルピー変化Δ H は
- 15 -
Δ H = Δ U + Δ(PV)
(14)
なので、圧力一定のもとでは、
ΔH = ΔU + PΔV
(圧力一定)
(15)
これをΔ U = q + wexp と比較すると、圧力一定のもとでの系の状態変化に伴って移動し
た熱量 qP は、
(このときΔ U = qP - P Δ V なので、)その変化に伴う系のエンタルピー
変化Δ H に等しいことが分かる(アトキンス根拠 2・1 参照) 。
*1
Δ H = qP
(定圧、PV 仕事のみ)
(2・19b)(16)
言い換えれば、系のエンタルピー変化Δ H は、定圧変化に際して発生、あるいは吸収す
る、その系自身の膨張、あるいは圧縮以外の内部エネルギー変化である。つまり、内部エ
ネルギー変化から系の膨張、あるいは圧縮による仕事 wexp(=- P Δ V)を差し引いた系
の全エネルギー変化である。
Δ H =Δ U + P Δ V =Δ U -(- P Δ V)=Δ U - wexp = qP
(定圧、膨張仕事のみ)
(17)
幾つかの条件を付けたので、(16)式は特殊な場合にしか成立しないように思えるかもし
れないが、普通に、例えばビーカー中で化学反応を行わせれば、定圧、膨張仕事のみの条
件になっている。化学で一番簡単な測定条件が、定圧、膨張仕事のみという条件である。
この講義で想定している系の状態変化とは、温度、圧力、体積等を変えたときの変化(相
転移を含む)と化学反応に伴う変化であり、この講義では基本的には仕事=膨張仕事と考
えて良い。
☆ エンタルピーという状態関数を導入した理由
内部エネルギーもエンタルピーも系のエネルギー状態を表す状態関数であり、H = U
+ PV という関係で結びついているので、これらは独立ではない。なぜ内部エネルギーの
他にわざわざエンタルピーという状態関数を導入したのであろうか?例えば我々が化学反
応に伴う熱量変化を測定する場合、体積一定という条件よりも、圧力一定という条件で実
験する方がはるかに容易であるので、通常は圧力一定のもとで熱量が測定される。その時、
系のエネルギー状態関数として内部エネルギーしかないときは、Δ U = qP(実測値)- P
Δ V というように PV 仕事の補正をして、反応後の系の状態を記述しなければならない。
しかし、エンタルピーという状態関数を導入しておけば(、エンタルピーという状態関数
で系のエネルギー状態を記述することにしておけば)、実測値 qP をそのまま系の状態関数
(であるエンタルピー)と結びつけることができる。つまり、体積一定の場合には内部エネ
ルギーを、圧力一定の場合にはエンタルピーを系のエネルギーを記述する状態関数として
採用するのである。
☆ 相平衡と相転移(アトキンス 4 章)
この講義では相転移について考察することが多いので、
必要な言葉の定義を与えておく。
相:物質系において明確な境界(これを界面という)によって他と区別され、その内部で
*1 熱は状態関数ではないが、圧力一定とか、体積一定というように経路を指定すると、状態関数とし
て取り扱える。
- 16 -
状態の均一な部分で、他と熱力学的に明確に区別される状態を相という。温度や圧力を変
化させたとき、物質の状態が明確に異なるとき、それらは異なる相である。同じ固体の状
態にあっても結晶構造が異なる場合は、それらはお互いに異なる相である 。
*1
相平衡:物質系がいくつかの相に分かれて熱平衡状態にあることをいう。
、
相転移:適当な条件により(例えば、温度を変えたり、圧力を変えたりすることにより)
ある相から別の相へ系の状態が変化することをいう。気相、液相、固相の間の相転移の他
にも、固相間転移(固相-固相転移、例:超伝導転移、磁気相転移)や液相間転移(液相液相転移、例:液体ヘリウムの超流動転移)がある。相転移については 6・1・5a で、融解、
蒸発について考察する。
相分離:均一な相にある物質系の状態関数を変えたとき、系が二つの相に分離する現象を
いう。多成分系では分離した二つの相では物質の組成が異なっている。
例として水について考えてみよう。1 気圧のもとでは 100 ℃より高温では水蒸気が一番
安定な相である。これを 1 気圧のもとで冷却すると、100 ℃で液化が起こり気相と液相の
二つの相に分離する。100 ℃のもとでは気相と液相の二つの相は相平衡の状態にある。完
全に液化すると水の温度は 100 ℃より低くなる。このとき水蒸気は水に相転移したという。
0 ~ 100 ℃の間では水(液相)が一番安定な相である。
2・2・2 Δ H とΔ U の関係
エンタルピーの定義式より、Δ H -Δ U =Δ(PV)であるが、このΔ(PV)項は系の変化
が液相や固相のような凝縮相で起こる限りほとんど無視できる。
ΔH ~ ΔU
(系の変化が凝縮相でのみ起こるとき)
(18)
Δ H =Δ U +Δ(ng RT)
(系の変化が気相(理想気体と見なせる)を含むとき)
(19)
アトキンスの例題 2・2、数値例 2・4 を参照せよ。
温度が一定のとき、理想気体の場合、式(19)より
Δ H = Δ U + RT Δ ng
(等温、理想気体)
(2・21)(20)
であり、反応の前後で気体の物質量に変化がなければ、Δ H =Δ U である。
断熱過程では一般に系の温度が変化するので、理想気体の場合、式(19)より
Δ H = Δ U + R Δ(ng T)
(断熱、理想気体)
(21)
第 4 章で考察するが、断熱膨張では系の温度は下がり、断熱圧縮では温度は上昇するので、
Δ H <Δ U (断熱膨張)
Δ H >Δ U
(断熱圧縮)
(22)
となる。
体積が一定のとき、
Δ H -Δ U = V Δ P = V(Pf - Pi)= R(nfTf - niTi) (定容、理想気体)
であり、反応の前後で気体の物質量に変化がなければ、
Δ H -Δ U = nR Δ T
(定容、理想気体)
である。
定圧過程では、
*1 例えば、ダイヤモンドとグラファイトは同じ炭素の単体であるが、結晶構造が異なる。
- 17 -
ΔH = ΔU + PΔV
(圧力一定)
(15)
の関係があるので、外界から仕事をされる(、圧縮の)ときは P Δ V =- wexp < 0 なので
Δ H <Δ U であり、外界に仕事をする(、膨張の)ときは P Δ V =- wexp > 0 なのでΔ H
>Δ U である。
Δ H <Δ U (定圧圧縮)
Δ H >Δ U
(定圧膨張)
(23)
アトキンスの例題 2・2、数値例 2・4、例題 2・3 を参照せよ。
2・3 内部エネルギーとエンタルピーの温度依存性
数学的な取り扱いをすることによって、状態関数に対する新たな知見(例えばその温度や圧力に対
する依存性)が得られたり、状態関数の間の関係を知りそれら相互の関連性を明らかにすることがで
きる。状態関数の間の関係式が得られると、次のような場合に特に有効である。後で考察するように、
任意の状態関数 A が簡単に測定できるとは限らない。そのようなとき、別の測定しやすい状態関数 B
と A の間の関係式があれば、B を測定することにより間接的に A を測定することが可能になる。そし
て、この様に状態関数の間の関係式を得ることができることが、熱力学の優れた点の一つである。
2・3・1 数学的準備(アトキンス 2・10)
閉じた系の熱力学第一法則は、Δ U = q + w と記されるが、このときΔ q、Δ w とは
書かないことに注意する。ところで、このΔ U は U の有限変化を表している。これに対
、例えば、U の微分は dU
して任意の関数の無限小変化を微分といい(「基礎数学」5・1a 参照)
と書く。最初と最後の状態に微少な差しかないような変化を無限小過程といい、そのとき
の熱力学変数の変化を微分で表すのである。微分形式の熱力学第一法則は次のようになる。
dU = d'q + d'w
(閉じた系)
(2・5)(24)
このとき、dU は完全微分、d'q、d'w は不完全微分であるという 。つまり、状態関数の無
*1
限小変化は完全微分で、仕事や熱の無限小変化は不完全微分である。
Δ U = ∫ if dU = Uf - Ui
:経路に依存しない、完全微分、状態関数
(2・38)(25)
q = ∫ path d'q
:経路に依存する、不完全微分
(2・39)(26)
dU の積分は始めと終わりの状態を指定すればよいが、d'q(あるいは d'w)の積分は全経
路(path)を指定しなければならない(アトキンス図 2・20 参照)。これについては既に 2・1・2c
で触れた。
内部エネルギー U は体積 V と温度 T の関数と見なすことができる(P, T あるいは P, V の
関数と見なすこともできる。アトキンス p.p.59 ~ 60 参照)ので、その全微分は
dU = (∂ U/∂ V)TdV + (∂ U/∂ T)VdT
(2・40)(27u)*2
である(偏微分と全微分については「基礎数学」5・2・1 参照)。エンタルピー H は圧力 P と温度 T
の関数と見なせるので、その全微分は
*1 不完全微分に d を使って、完全微分と区別することがあるが(アトキンス p.59 参照)、ここでは d'
を使うことにする。
*2 対応関係のある式については、同じ式番号とし、内部エネルギーの式には u、エンタルピーの式に
は h を付けることにする。
- 18 -
dH = (∂ H/∂ P)TdP + (∂ H/∂ T)PdT
(2・52)(27h)
と表される。
ここで、熱容量という重要な状態関数を導入する。熱容量とはある特定の条件下で系の
温度を 1 ℃(= 1 K)上げるために供給される熱として定義される。特定の条件とは体積
一定のもとで測定するか、あるいは圧力一定のもとで測定するかというもので、前者の条
件で得られるのが 定容(定積)熱容量 CV、後者の条件で得られるのが定圧熱容量 Cp であ
る。2・2・1 で指摘したように、仕事が膨張仕事のみのとき、体積一定の下での内部エネル
ギー変化 Δ U は移動した熱 qV に等しく、圧力一定のもとでのエンタルピー変化Δ H は
流れた熱 qP に等しいので、
CV ≡ (∂ U/∂ T)V
(非膨張仕事なし)
[2・15](28u)
CP ≡ (∂ H/∂ T)P
(非膨張仕事なし)
[2・22](28h)
である(アトキンス コメント 8・3 参照)
。1 mol 当たりの熱容量、すなわちモル熱容量は CV, m、
CP, m と標記する。
CV = n CV, m、
CP = n CP, m
(n は物質量)
熱容量については 2・4 で詳しく取り上げる。
2・3・2 内部エネルギーの温度依存性(アトキンス 2・11)
内部エネルギーの全微分の式(27u)で、右辺第二項の偏導関数 (∂ U/∂ T)V は定容熱容
量の定義式と同一であることが分かる。また、右辺第一項の(∂ U /∂ V)T という偏導関数
は温度を一定に保ったまま体積を変化させたとき、内部エネルギーがどれだけ変わるかを
表しており 、内(部)圧π T と呼ばれる(圧力の次元を持っている)。
*1
π T =(∂ U /∂ V)T
[2・41](29u)
このπ T と CV を使って(27u)式は、
dU = π TdV + CVdT
(非膨張仕事無し)
(2・42)(30u)
と書くことができる。(外界から仕事をされることにより)系の体積が縮小すれば平均粒子
間距離が小さくなるので、系のポテンシャルエネルギーは低下する(分子間ポテンシャル曲
線図 1・13 を参照せよ)
。一方、等温過程なので粒子の運動エネルギーは変化しない。したが
って、実在気体では一定温度の下で体積が小さくなれば内部エネルギーは減少し、
(∂ U/∂ V)T > 0
(実在気体)
(31u)
であることがわかる 。しかし、理想気体では粒子間の相互作用がないので、一定温度の
*2
下で体積が変化しても内部エネルギーは変わらない(アトキンス図 2・25 参照)。
(∂ U/∂ V)T = 0
(理想気体)
(32u)
この式は理想気体の熱力学的な定義式となる。したがって、理想気体では(30u)式より、
dU = CVdT
(理想気体、非膨張仕事無し)
(33u)
であることが分かる 。このことからも分かるように、内圧は物質を構成する分子の相互
*3
*1 ミクロの言葉で言い換えれば、粒子の運動エネルギーを一定(=定温)にしたままで粒子間ポテンシ
ャルエネルギーを変化(=体積変化)させたとき、内部エネルギーがどれだけ変わるかを表している。
*2 これは引力効果が優勢の場合で、反発力が優勢の場合は逆に、(∂ U/∂ V)T < 0 となる。
*3 この式から、理想気体の等温過程ではΔ U = 0 であることが分かる。
- 19 -
作用の強さの尺度である。分子間引力が強い系ほどπ T は大きくなる。
(30u)式より、体積を一定に保ったまま温度を変化させたとき、内部エネルギーがどれ
だけ変化するかは、
dU = CVdT
(体積一定、非膨張仕事なし)
(2・16a)(34u)
という式で与えられることが分かる。上式は理想気体でなくても成立するが、体積一定の
条件が付く。これを積分すると、
U(T2) = U(T1) + ∫ T1 CVdT (体積一定、非膨張仕事なし)
T2
(35u)
定容熱容量は一般に温度依存する(=温度によって CV の値が異なる。CV = CV(T)。アト
キンスの図 2・10 参照)
。温度 T1 におけるある物質の内部エネルギー U(T1)が分かっていると
き、CV の温度依存性が分かっていれば、式(35u)を使って任意の温度 T2 における内部エ
ネルギー U(T2)の値が計算できる。T1 ~ T2 の温度範囲で熱容量が一定であると見なせる
ときは*1、Δ U = U(T2)- U(T1)、Δ T = T2 - T1 とすると、
U(T2)= U(T1)+ CV(T2 - T1)
(定容、CV =一定)
(36u)
あるいは
Δ U = qV = C V Δ T
(定容、CV =一定)
(2・16b)(2・17)(36'u)
となる。この式を使って定容条件下で物質の温度を T1 から T2 へ上昇させるときに必要な
熱量を見積もることができる。
次に圧力一定のもとでの内部エネルギーの温度変化を見てみよう。(27u)式を dT で割
って定圧の条件を課すと、
(∂ U/∂ T)P = (∂ U/∂ V)T(∂ V/∂ T)P + (∂ U/∂ T)V
(37)
となる。ここで、偏導関数(∂ V/∂ T)P は定圧で温度を変えたときの体積変化を与えるの
で、膨張率αはこれを使って次式で与えられる。
α ≡ (1/V)(∂ V/∂ T)P
[2・43](38u)
理想気体では V = nRT/P なので、α= 1/T である(アトキンス例題 2・8 参照)
。理想気体で
はαが温度に反比例することが分かる*2。この式を使うと式(37)は
(∂ U/∂ T)P = απ TV + CV
(非膨張仕事無し)
(2・45)(39u)
となる。これが圧力一定の下での内部エネルギーの温度変化を与える一般式である。さら
に理想気体では内部圧がゼロなので、
(∂ U/∂ T)P = (∂ U/∂ T)V = CV (理想気体、非膨張仕事なし)(2・46)(40u)
という関係が導かれる。
*1 熱容量は一般に温度変化し、特に結晶の熱容量は低温で大きく温度変化し、絶対零度ではゼロにな
る(これについてはあらためて次節 2・4 熱容量で考察する)。しかし、室温付近以上では、狭い温度範
囲なら、気体、液体、固体に関わらず、近似的に一定と見なすことができる。ちなみに、CV =一定と
いうことは、U が T に比例するということである。
*2 つまり、温度変化Δ T が同じなら、系の温度が高いときほど、その体積の膨張率が小さいことを示
している。これは、熱容量が温度に依存しないとすれば、Δ T という温度変化に必要な熱量は温度に
よらず同じであり、このとき系の温度が高いほど系の持っている熱エネルギーが大きいので、Δ T と
いう温度変化による系の熱エネルギーの変化分が小さいからであると解釈できる。
- 20 -
☆ Joule の実験
気体を断熱条件下で真空中に自由膨張させれば、このとき気体は外部に仕事をしていな
いし、外部と熱の交換も行っていないので、内部エネルギー変化 dU = 0 である。U の全
微分の式(27u)を dV で割って、U 一定の条件を課すと、
(∂ U/∂ V)U = (∂ U/∂ V)T + (∂ U/∂ T)V(∂ T/∂ V)U = 0
(41)
となる。したがって、内部圧(∂ U/∂ V)T は
(∂ U/∂ V)T = -(∂ U/∂ T)V(∂ T/∂ V)U = -(∂ T/∂ V)UCV
(42)
なので、気体の断熱自由膨張における気体の温度変化(∂ T /∂ V)U が認められれば、内部
圧(∂ U/∂ V)T が存在すること(従って、分子間相互作用の存在)の証明になる。これが
熱力学関係式を導くことの有用性を示す一つの例である。
Joule は (∂ U /∂ V)T を測定するために、気体を断熱自由膨張させて、その気体の温度
変化を測定した(アトキンス図 2・26 参照)が、温度変化は測定されなかった。したがって、
気体に内部圧はないということになるが、しかしこれは、実験の精度が悪くて(、装置全
体の熱容量が大きすぎて)、気体のわずかな温度変化を検出できなかったためで、実際に
はわずかであるが温度変化していたはずである。つまり、気体は外部に仕事をしていない
が、気体粒子間に引力が働いていれば、膨張するということはその引力を振り切って広が
る、内部圧に対して仕事をする(これを内部仕事をするという)ということなので、その
分運動エネルギーが減少して系の温度が下がるはずである。
2・3・3 エンタルピーの温度依存性(アトキンス 2・5、2・12)
エンタルピー H の全微分
dH = (∂ H/∂ P)TdP + (∂ H/∂ T)PdT
(2・52)(27h)
の右辺第二項の偏導関数(∂ H /∂ T)P は定圧熱容量 CP なので、圧力一定の下で温度を変
化させたとき、エンタルピーがどれだけ変化するかは
dH = CPdT
(圧力一定、非膨張仕事なし)
(2・23a)(34h)
という式で与えられることが分かる。これを積分すると、
H(T2)= H(T1)+∫ T1T2CPdT
(圧力一定、非膨張仕事なし)
(35h)
定圧熱容量も定容熱容量と同様に一般に温度変化する(アトキンス図 2・14 参照)
。温度 T1 に
おけるある物質のエンタルピー H(T1)が分かっているとき、CP の温度依存性が分かってい
れば、上式を使って任意の温度 T2 におけるエンタルピー H(T2)の値が計算できる。T1 ~ T2
の温度範囲で熱容量が一定であると見なせるときは、Δ H = H(T2)- H(T1)、Δ T = T2
- T1 とすると、
H(T2)= H(T1)+ CP(T2 - T1)
(定圧、CP =一定)
(36h)
あるいは
Δ H = qP = CP Δ T
(定圧、CP =一定)
(2・23b)(2・24)(36'h)
となる。この式を使って定圧条件下で物質の温度を T1 から T2 へ上昇させるときに必要な
熱量を見積もることができる。
次に体積一定の下でのエンタルピーの温度依存性を見るために、エンタルピーの全微分
式を dT で割って体積一定の条件を課す。
- 21 -
(∂ H/∂ T)V = (∂ H/∂ P)T(∂ P/∂ T)V + (∂ H/∂ T)P
(43)
この式の(∂ P/∂ T)V に対して、アトキンスの関係式 No.2 と No.3(アトキンス A2・6 参照)
を使って、
(∂ P/∂ T)V =-(∂ P/∂ V)T(∂ V/∂ T)P =-(∂ V/∂ T)P/(∂ V/∂ P)T
(44)
という関係が得られる。(44)式の分母(∂ V /∂ P)T は温度一定において圧力を変えたとき
の体積変化を表しているので、これを使って等温圧縮率κ T を定義することができる。
κ T ≡ -(1/V)(∂ V/∂ P)T
[2・44](38h)
理想気体では V = nRT/P なので、κ T = 1/P である。理想気体ではκ T が圧力に反比例す
ることが分かる*1。また、(∂ V/∂ T)P =α V なので、式(44)は
(∂ P/∂ T)V = α/κ T
(45)
と書くことが出来る。したがって、式(43)は
(∂ H/∂ T)V = (α/κ T)(∂ H/∂ P)T + CP
(39h)
となる。これが体積一定の下でのエンタルピーの温度変化を与える式である。
あるいは偏導関数(∂ H/∂ P)T に関係式 No.3 を適用すると、
(∂ H/∂ P)T = -(∂ T/∂ P)H(∂ H/∂ T)P = -μ CP
(2・53)(46)
という関係が得られる。ここで
μ ≡ (∂ T/∂ P)H = -(1/CP)(∂ H/∂ P)T
[2・51](2・55)(47)
は Joule-Thomson(ジュール-トムソン)係数と呼ばれている。これを使って、式(39h)を
(∂ H/∂ T)V = (1 -αμ/κ T)CP
(48)
のように書くこともできる
ところで、(∂ H /∂ P)T という偏導関数は定温で圧力を変化させたとき、エンタルピー
がどれだけ変わるかを表している。圧力が上昇した結果、系の体積が縮小すれば粒子間の
相互作用が強くなり、系のポテンシャルエネルギーは低下する。一方、等温過程なので粒
子の運動エネルギーは変化しない。したがって、圧力が高くなればエンタルピーは減少し、
(∂ H/∂ P)T < 0
(実在気体)
(30h)
であることがわかる 。しかし、理想気体では粒子間の相互作用がないので、一定温度の
*2
下で圧力を変えてもエンタルピーは変化しない。
(∂ H/∂ P)T = 0
(理想気体)
(31h)
このとき、(47)式より理想気体の Joule-Thomson 係数が零であることが分かる。
μ= 0
(理想気体)
(49)
アトキンスでは(∂ H/∂ P)T を等温 Joule-Thomson 係数μ T と呼んでいる。
μ T = (∂ H/∂ P)T
[2・54](29h)
これを使って、(27h)式を
dH = μ TdP + CPdT
と書くことができる。μ
T
と内圧π
(2・50)(30h)
T
=(∂ U/∂ V)T を比較せよ。両者とも分子間相互作
*1 つまり、系の圧力が高いほど圧縮しづらくなる、同じ体積だけ圧縮しようとしたら、系の圧力が高
い場合ほど大きな外圧が必要になるということである。
*2 熱容量は常に正なので、(47)式よりμ> 0。しかし、μ< 0 の場合もある。そのときは (∂ H /∂
P)T > 0 である。詳しくは 2・3・4 で説明する。
- 22 -
用の強さの目安である。また、理想気体では(27h)式より、
dH = CPdT
(理想気体、非膨張仕事無し)
(33h)
であることも分かる 。この式は非理想気体でも、定圧、膨張仕事のみという条件下で成
*1
立することを既に見た((34h)式)。さらに理想気体ではμ= 0 なので、式(48)より
(∂ H/∂ T)V = (∂ H/∂ T)P = CP
(理想気体)
(40h)
という関係が導かれる。
2・3・4 Joule-Thomson 効果と気体の液化(アトキンス 2・12)
Joule は内圧(∂ U /∂ V)T の存在を証明することができなかったが、今度は内圧と同様
の意味を持つ(∂ H /∂ P)T(正確にはμ=(∂ T /∂ P)H )の存在を実験的に示すことがで
きた 。 Joule-Thomson 係数μは、エンタルピー一定のもとで(しかし、内部エネルギー
*2
は変化してもよい)系の圧力を変えたときの温度変化を測定することによって得られる。
実際には、断熱条件下(q = 0)で、ある一定圧力・一定温度の状態から、それより低圧
の一定圧力・一定温度の状態へ気体を膨張させ、そのときの圧力差、温度差を測定するこ
とによってμは決定される(これについてはアトキンスの根拠 2・3 に詳しい解説があるのでそれ
を参照する)
。その結果、水素とヘリウムを除く全ての気体は、室温で膨張する(=圧力を
下げる)ことによって系の温度が下がった。これは、μが正であることを意味している。
このようなエンタルピー一定のもとでの断熱膨張によって系の温度が変化することを、
Joule-Thomson 効果と呼んでいる。
水素とヘリウムは室温ではμは負であるが、温度を下げていくとある温度以下では係数
が正に変わる。それ以外の気体でも、室温から温度を上げていくとある温度以上で係数が
負に変わる(アトキンスの図 2・32 参照)。このようにμの符号が変わる温度を(Joule-Thomson
の)逆転温度 TI と呼んでいる。系の温度が TI のとき、膨張率α=1/TI の関係を満足して
いることが分かる(第 7 章式(35)参照)。理想気体では任意の温度において常にこの条件を
満足しているのでμ= 0 である。つまり、理想気体では Joule-Thomson 効果は起きない。
理想気体でμ= 0 なのは、分子間力がないからである。実在気体のμが正になったとい
うことは、気体分子間に引力が働いていることの証明となる。つまり、分子間引力を振り
切って(、内圧に抗して)膨張することによって内部仕事をするので系の温度が下がるの
である。また、μが負になることもあるということは、分子間に引力と同時に斥力(、反
発力)も存在していて、この斥力の効果が相対的に優勢になっていることを示している。
分子間の斥力は分子どうしが接触するほど近づいたときに働く。図 2・31 を見ると、圧力
を高くするほどμ< 0 の温度領域が増えることが分かる。これは圧力が高くなると分子間
距離が減少し、分子どうしが接近する頻度が高くなるので、平均として斥力の効果が効い
てくるからである。
Joule-Thomson 効果を利用して気体を液化することができる*3。Joule-Thomson 効果によ
*1 この式から、理想気体の等温過程ではΔ H = 0 であることが分かる。
*2 式(46)より、μが有限の値を取れば、(∂ H /∂ P)T がゼロでないことが証明される。熱力学関係式
を導く事の有用性を示すもう一つの例である。
*3 アトキンス図 2・33 リンデの冷凍機および分子論的解釈 2・3 を参照せよ。
- 23 -
る実際の温度変化はわずかであるので、等エンタルピー断熱膨張を何回も繰り返すことに
より液化する。Joule-Thomson 効果による温度変化は僅かであるから、最初からこの方法
で液化するのではなく、十分低い温度からさらに冷却するのに用いられる。
2・4 熱容量(アトキンス 2・4、2・5)
熱容量は直接実験的に測定できる状態関数であるが、定圧熱容量はより容易に測定でき
る。定圧熱容量と定容熱容量を比較したとき、前者は後者よりも大きな値となる。つまり、
CP - CV > 0
(50)
これを理想気体を例にして定量的に考えてみよう。定義式より
CP - CV = (∂ H/∂ T)P - (∂ U/∂ T)V
(2・47)(51)
この式に理想気体の状態方程式を使った次式
H = U + PV = U + nRT
(52)
を代入すると、
CP - CV = (∂ U/∂ T)P + nR - (∂ U/∂ T)V
(2・48)(53)
となり、(40u)式から、理想気体では右辺の第一項と第三項が等しいので
CP - CV = nR
CP, m - CV, m = R
(理想気体)
(2・48)(54)
が成り立つ 。これを Mayer(マイヤー) の関係という。これは定圧条件下では系が膨張仕
*1
事(PV = nRT)をするため(内部エネルギーが減少し)、その分定容条件下より多くの熱
量が系の温度を上げるために必要になるからである。アトキンス図 2・14 を参照せよ。
2・4・1 熱容量と系の自由度
熱容量の大きい物質は熱しにくく、冷めにくい。熱容量の小さい物質は熱しやすく、冷
めやすい。では、この物質による熱容量の違いはなぜ起こるのであろうか?ところで、原
子 N 個から成る系の自由度は 3N である(「基礎物理学」1・1a 参照)。同じ 1 mol の粒子から
成る系であっても、その粒子が何個の原子から成るかによってその系の持つ自由度は違っ
てくる。つまり、分子数が同じなら、原子数の多い分子から成る系の方が原子数の少ない
分子から成る系よりも自由度が大きい。このとき、この自由度の大きい系の方が熱容量が
大きいのである。それはなぜかというと、系の温度を上げるために供給された熱が各自由
度に流れるため(これをエネルギーの散逸という)、自由度が大きい系ほど温度を上げる
ために必要な熱量が大きくなるからである*2。
ここで、アトキンスのデータ部表 2・7 に載っている熱容量の値を見てみよう。希ガス元
素から成る単原子分子気体の CP, m はどれも 20.786 J K-1 mol-1 で、CO、N2、O2、H2 等の二
2
*1 一般的には、CP - CV = α V T /κT (2・49) が成立するが、これは 7・2 で導く。
*2 以前に、温度とは物質を構成している粒子の熱運動エネルギーの平均値を表しているといったが、
気体の場合は正確には並進運動エネルギーの平均値である。回転と振動の運動エネルギーは系の温度
に寄与しないが、熱はこれらの自由度にも流れるため、系の自由度の違いによって熱容量が違ってく
る。つまり、自由度が大きいほどいろいろな運動モード(特に振動モード)にエネルギーを貯えるこ
とができるので、熱容量が大きくなる。
- 24 -
原子分子気体の CP, m はいずれも約 29 J K- mol- で、H2O、CO2 という三原子分子気体の CP, m
1
1
はそれぞれ 33.58 と 37.11 J K-1 mol-1 と少し違いはあるが、原子数の同じ分子の熱容量がほ
ぼ同じことが分かる。
もう一つ熱容量の値に影響を与えるものがある。それは、並進、回転、振動のエネルギ
ー準位の様子である。つまり、エネルギーの量子化の効果である。もしこのエネルギー準
位の間隔が大きいと、その運動を活発にする(これを運動を励起するという)のに必要な
エネルギーも大きいので、加えた熱量が小さいと有効にこの運動を励起することができず、
その運動の自由度はエネルギーを吸収することができない。そのため結局この自由度は実
質上無いに等しい(、この自由度にエネルギーが流れない)ので、系の温度を上げるのに
必要な熱量は見かけ上小さくなる。この点について、もう少し定量的に考察してみよう(ア
トキンス分子論的解釈 2・2 参照)
。
エネルギー等分配則を使うと、例えば 1 mol の希ガス元素気体(=単原子分子気体)が
温度 T のとき、その内部エネルギーは、U = 3 ×(1/2)kBT × NA =(3/2)RT で、温度 T に
おけるモル定積熱容量は CV, m =(3/2)R であると見積もることができる(アトキンス数値例 2
・3 参照)
。希ガス元素気体は理想気体と見なせるので、そのモル定圧熱容量は CP, m =(3/2)R
+ R =(5/2)R である。従って、298.15 K における希ガス元素 1 mol の定圧熱容量は 2.5
× 8.31451 = 20.7863 J K- mol- と計算でき、これは実測値(20.786 J K- mol- )とよく一
1
1
1
1
致する。 二原子分子気体の場合、等分配則を使うと、モル定圧熱容量は 4R = 33.258 J K
-1
mol- と予想されるが、これは実測値(約 29 J K- mol- )よりも大きく、むしろ 3.5R =
1
1
1
29.101 J K-1 mol-1 に近い。これは、加えたエネルギーと比較して振動運動(「基礎物理学」p.35
図 16・27、16・28 参照)のエネルギー準位の間隔が大きいため 、振動運動を励起できず、実
*1
質上この自由度が無いに等しいので、見かけ上自由度が 5 になっているからである 。H2O
*2
では並進と回転の自由度は合計 6 なので、この自由度だけが熱容量に寄与するなら、CP,
-1
-1
-1
m
-1
は 4R = 33.258 J K mol になるはずである。実測値は 33.58 J K mol なので、振動の自
由度は熱容量にほとんど寄与していないことが分かる。このようにエネルギー等分配則は
量子効果があると適用できない(量子効果とはこの場合エネルギーが量子化されていることを指
す)
。
☆ Boltzmann 分布(アトキンス分子論的解釈 3・1)
熱容量のデータを見ると、振動の自由度は熱容量に全く寄与しないわけではなく、少し
は寄与しているように見える。CO2 分子は直線分子なので、二原子分子と同様に回転に自
由度は 2 で、並進・回転運動の CP, m への寄与は 3.5R = 29.101 J K-1 mol-1 である。実測値
は 37.11 J K-1 mol-1 なので、振動運動の寄与はかなりあることが分かる。これに対して水
分子は上述したように、ほとんど振動運動の寄与はない。これはなぜであろうか。
絶対零度では最低エネルギーの振動状態だけが占められているが、有限温度ではエネル
ギーの高い状態を占める確率は零ではない。一般に、有限温度において、エネルギーが Ej
*1 振動運動エネルギーは 100 cm- から 1000 cm- のオーダーである。1 cm- = 1.44 K である。
1
1
1
*2 今回とりあげた 4 化合物の CP ,m が H2 < CO ~ N2 < O2 の順に大きくなることに注意する。これは分
子量が増える順序と同じである。
- 25 -
と Ek の状態にある平均粒子数の比<Nj>/<Nk>は
<Nj>/<Nk>= exp[-(Ej - Ek)/ kBT]
(55)
で与えられる 。この関係は次の Boltzmann 分布(アトキンス図 3・4 参照)から求められる。
*1
<Nj>=(N exp[- Ej / kBT])/Σ jexp[- Ej / kBT]
(56)
ここで、N は全粒子数である。例えば、エネルギー準位の間隔が等間隔で、その間隔が kBT
と等しい場合を考えてみよう。このとき、例えば、1000 個の粒子が基底状態 E0 を占めて
いたとすると、368 個の粒子が第一励起状態 E1 を、135 個の粒子が E2 を、50 個の粒子が E3
を、18 個の粒子が E4 を、・・・占めている。粒子一個のエネルギーはおよそ kBT なので、
粒子の持っているエネルギーよりかなり高い状態を占める粒子もある程度存在することが
分かる。
CO2 分子の四つの振動モードは二重縮退の変角振動(667 cm- )、対称伸縮振動(1388 cm
1
-1
)
、逆対称伸縮振動(2349 cm-1)である。水分子の三つの振動モードは、変角振動(1595 cm
-1
1
1
)
、対称伸縮振動(3652 cm- )、逆対称伸縮振動(3756 cm- )である。いま j を最低エネ
ルギー状態、k を第一励起状態とすると、298.15 K では、667 cm-1(CO2)で Nj/Nk ~ 25、1388
cm-1(CO2)で Nj/Nk ~ 815、1595 cm-1(H2O)で Nj/Nk ~ 2216 程度になる。CO2 の熱容量への
振動運動の寄与が思いのほか大きいのは、667 cm-1 の振動モードがあるからである。これ
に対して、水分子の場合はどのモードも振動エネルギーが高いので、熱容量に寄与しない
のである。このように系によって、室温においてもある程度ではあるが振動運動が励起さ
れた分子が存在するので、熱容量にもある程度ではあるが振動の自由度の寄与が含まれる
ことになる。
2・4・2 熱容量の温度依存性
固体、液体、気体の熱容量はそれぞれに特徴的な温度変化をする(アトキンス図 3・14 参
照)
。これも上記のエネルギーが量子化されていることに起因している。例えば、上記の
室温における気体の熱容量では、振動の自由度はほとんど熱容量に寄与していなかったが、
温度が高くなると振動エネルギーを励起することができるようになるので、熱容量は大き
くなる。しかし、エネルギーの等分配則によると熱容量は温度に依存しないで、系の自由
度で決まる一定の値であることを導く。つまり熱容量が温度に依存するという事実も、古
典的なエネルギー等分配則が正しくないことを示している(「物理化学Ⅰ」1・2・1a、アトキン
ス 8・1(c)を参照せよ)
。系のエネルギー準位の様子に基づいて、その熱容量などを計算する
ことは、統計力学において行われるのであるが、これ以上ここでは詳しく触れない。ちな
みに先ほどの CO2 の熱容量を統計力学的に計算すると、37.05 J K-1 mol-1 となり、実測値
とよく一致している。
2・4・3 熱力学における熱容量の有用性
2・3・2 及び 2・3・3 で考察したように、ある温度における内部エネルギー U(T1)、あるい
はエンタルピー H(T1)が分かっているとき(あるいはある温度における内部エネルギーやエンタ
ルピーを基準としたときの)
、それ以外の温度における内部エネルギー U(T2)やエンタルピー
*1<>は平均を表す。
- 26 -
H(T2)の値を熱容量を使って見積もることができる。
U(T2) = U(T1) + ∫ T1T2CVdT (体積一定、非膨張仕事なし)
(35u)
H(T2) = H(T1) + ∫ T1 CPdT (圧力一定、非膨張仕事なし) (2・35)(35h)
T2
例えば、系が液体状態にある時の内部エネルギー U(l, T1)、あるいはエンタルピー H(l, T1)
を基準にして、気体状態における内部エネルギー U(g, T2)、あるいはエンタルピー H(g, T2)
を与える式は次のようになる。
U(g, T2)= U(l, T1)+∫ T1 CV(l)dT + qV,vap +∫ Tb CV(g)dT
(62)
H(g, T2)= H(l, T1)+∫ T1 CP(l)dT + qP,vap +∫ Tb CP(g)dT
(63)
Tb
T2
Tb
T2
ここで、Tb は沸点、CV(l)及び CP(l)は液体状態の熱容量、CV(g)及び CP(g)は気体状態の熱
容量、qV,vap と qP,vap はそれぞれ定容及び定圧の蒸発熱である。
モル定圧熱容量 Cp,m の温度変化を考慮するときよく使われる近似的経験式として
Cp,m = a + bT + c/T
(2・25)(64)
2
がある。ここでパラメータ a、b、c は温度に依らない。アトキンス表 2・2、例題 2・4 を参
照せよ。
- 27 -
3. 熱化学
熱化学は、熱力学第一法則の対象のうち、化学反応や溶解、あるいは融解・蒸発・昇華などの状態
変化(=相変化、相転移)等に伴う熱効果(それぞれ反応熱、溶解熱、転移熱という)を取り扱う 。反
*1
応熱等は温度一定の条件で測定し(一般的には 298.15K(25 ℃)で測定される)、さらに圧力一定か体積
一定の条件を課す。普通は実験が容易なので圧力一定のもとで熱測定は行われる。従ってこのとき測
定されるのは、 反応エンタルピー、 溶解エンタルピー、 転移エンタルピーといったエンタルピー変化
Δ H である。系から熱が出ていくとき q < 0 とするので、発熱過程ではΔ H < 0、吸熱過程ではΔ H
> 0 である。熱量測定を実際に行うための装置については、アトキンス 2・4(a)、2・5(b)を見よ。以下
では特に断らない限り、定温定圧条件下での熱効果である。
3・1 エンタルピー変化
3・1・1 標準エンタルピー変化(アトキンス 2・7)
標準状態とは圧力が 105 Pa(= 1 bar)の状態である。各温度で標準状態が定義される。そ
して、最初と最後の物質がそれぞれ標準状態にあるような過程に対するエンタルピー変化
を標準エンタルピー変化という。これはΔ H ○のように書き、上付きの ○ は標準状態で
あることを表している。標準エンタルピーは 1 mol 当たりのエンタルピー変化なので、そ
の単位は J mol- である。温度については、文献に載っている標準エンタルピー変化等の
1
データは 25.00 ℃= 298.15
K で測定されたものが一般的であり、この温度をアトキンス
では約束温度と呼んでいる(が、一般的な言葉ではない)。
3・1・2 反応エンタルピー(アトキンス 2・7(b))
反応式の書き方:*2
○
H2(g) + 1/2O2(g) → H2O(l)
Δ rH (298 K) =- 285.83 kJ mol
-1
(1 )
各反応物、生成物の状態を、すなわち固体(s)、液体(l)、気体(g)のいずれであるかを明
示する。必要であれば、同じ固体でも、例えばグラファイトあるいはダイヤモンドと書く。
*3
Δ rH ○ (298 K) は標準反応エンタルピーで 、括弧の中の 298 K は測定温度を表している。
約束温度で測定したときは測定温度を書く必要はない。反応エンタルピーとしては反応の
種類によって、燃焼エンタルピーΔ cH、中和エンタルピーΔ nH 等がある。
*1 一般的には、反応熱は熱として発生するのみとは限らず、電気や軸仕事としても取り出せる(電池
やガスタービンなどが例として挙げられる)。化学プラントや発電プラントの設計においてはエネルギ
ーの計算は重要である。熱の仕事への変換については、第 4、6 章を参照せよ。
*2 このとき、熱化学方程式は
-1
H2(g) + 1/2O2(g) = H2O(l)+ 285.83 kJ mol
と書く。反応エンタルピーの符号に注意せよ。
*3 種々のエンタルピー変化はΔと H の間に r とか c といった添え字を付けて区別して標記する。アト
キンス表 2・4 参照。
- 28 -
ここで注意したいことは、例えば A + B → C + D という反応のΔ r H ○とは、温度 T、
圧力 1 bar の下で熱平衡状態(標準状態)にある A と B が別々に存在している状態から、
同温同圧下で熱平衡状態(標準状態)にある C と D が別々に存在している状態までのエ
ンタルピー変化である。
3・1・3 反応エンタルピーの温度依存性(アトキンス 2・9)
熱容量を用いると、ある温度で既知の反応エンタルピーから、測定データのない他の温
度における反応エンタルピーの値を求めることができる。例えば、次のような反応を考え
てみよう。
aA + bB → cC + dD
(2)
このときこの反応のエンタルピー変化Δ rH は
Δ rH = cHm(C) + dHm(D) -[aHm(A) + bHm(B)]
(3)
で与えられる。ここでこれを次のように略記することにする。
Δ rH = ∑ J ν JHm(J)
(4)
ここでν J は(化学)量論数と呼ばれ、a、b、c、d 等の係数を表し、反応物の係数について
は負号が付くこととする。例えば、ν D = d であるが、ν A =- a である。そして J は反
応物と生成物、A、B、C、D 等を表すこととする。したがって、反応式を一般的に、
0 = ∑ J ν JJ
(7・9)(5)
と書くことができる(アトキンス数値例 7・1 参照)
。反応エンタルピーの式(4)を温度で微分
して圧力一定の条件を課す。
(∂Δ rH/∂ T)P = ∑ J ν J(∂ Hm(J)/∂ T)P
(6)
右辺の偏導関数は物質 J のモル定圧熱容量なので、上式は
(∂Δ rH/∂ T)P =Δ CP ( = ∑ J ν JCP, m(J)) (定圧、非膨張仕事なし)
(7a)
と書き直すことができる。ここで、Δ CP は
Δ CP =(生成系の熱容量の和)-(反応系の熱容量の和)
[2・37](8a)
である。(7a)は Kirchhoff(キルヒホッフ)の式(の微分形)と呼ばれている。これを積分する
と Kirchhoff の式の積分形が得られる(あるいは第 2 章式(35h)から直接導くこともでき
る)。
Δ rH(T2) = Δ rH(T1) +∫ T1T2 Δ CPdT
(2・36)(7b)
この式を前章の式(35h)と比較せよ。具体例としてアトキンス例題 2・6 を見てみよう。
Kirchhoff の式は化学反応だけではなく、相転移に伴うエンタルピー変化Δ H 等の任意
の状態変化に伴うΔ H の温度変化に対しても適用する事ができる。この場合、Δ CP は例
えば融解の場合
Δ CP(融解)= CP(液体)- CP(固体)
(8b)
である。
3・1・4 転移エンタルピー(アトキンス 2・7(a))
転移エンタルピーΔ trsH としては、蒸発エンタルピーΔ vapH、融解エンタルピーΔ fusH、
昇華エンタルピーΔ subH 等がある。例えば、1 気圧で氷を加熱していくと、0 ℃で氷から
- 29 -
水に相転移する。この氷から水への融解に要した熱エネルギーが融解エンタルピーΔ
H
fus
である。さらに加熱を続けると 100 ℃でお湯から水蒸気に相転移する。このお湯から水蒸
気への蒸発に要した熱エネルギーが蒸発エンタルピーΔ vapH である。
アトキンスの表 2・3 を見ると、Δ vapH はΔ fusH の 3 ~ 7 倍もあることが分かる。固体か
ら液体に変わるには、固体の緊密で規則正しい分子配列がゆるめられて、流体特有の運動
の自由度が許されるようにならなければならない。しかし、両者のモル体積がほとんど同
一であることは、液体中においても、分子がなおかなり密に詰まっていて強く保持されて
いることを示している。他方、気相では分子が離れ離れになっているから、分子間にはご
く僅かの力しか働かない。そこで、固体をゆるめて液体にするよりも、液体の分子を気相
に脱出させる方がずっと多くのエネルギーを消費しなくてはならないのである。
3・1・5 その他のエンタルピー変化(アトキンス表 2・4 参照)
*1
混合エンタルピー(Δ mixH):混合 に際し、系に出入りする熱。
*2
溶解エンタルピー(Δ solH ):溶質が溶媒に溶けるときに発生または吸収される熱量 。混
合エンタルピーの一種である。積分溶解エンタルピーとは溶質 1 mol を溶媒に溶解し、無
限希釈するときの熱量変化。微分溶解エンタルピーとは溶液に微少量の溶質を加えたとき
の熱量変化。
希釈エンタルピー(Δ dilH):ある濃度の溶液に溶媒を加え希釈する際、発生または吸収さ
れる溶質 1 mol 当たりの熱量変化。
水和エンタルピー(Δ hydH):溶質を溶媒である水で無限に希釈した際に生じる熱量変化。
吸着エンタルピー(Δ adsH):吸着に伴って発生する熱をいう。
*3
イオン化エネルギー(Δ ion H ) (アトキンスデータ部表 10・3):気体中の基底状態にあ
る原子または分子から 1 個の電子を無限遠に引き離して、1 個の陽イオンと自由電子とに
解離させるために必要なエネルギー。イオン化ポテンシャルともいう。原子では、中性原子
から 1 個の電子を引き離すとき第 1 イオン化エネルギー、一価の陽イオンからさらに 1 個の電子を引
き離すとき第 2 イオン化エネルギーというように呼ぶ。第 2 イオン化エネルギーは第 1 イオン化エネ
ルギーよりも常に大きい。これに対して、分子では中性分子から 1 個の最も高いエネルギーを持つ電
子を引き離すとき第 1 イオン化エネルギー、次のエネルギーの電子を引き離すとき第 2 イオン化エネ
ルギーと呼ぶ。
(アトキンスデータ部表 10・4):真空中で無限に離れていた中性原子
電子親和力(Δ egH)
と電子とが接近して結合し、陰イオンが生成する際に放出されるエネルギーであって、陰
*1 2 種類以上の異なる粉粒体、気体または液体どうしを混ぜ合わせて、均質な粉粒体、気体または液
体(溶液)にする操作。液体に気体、液体、固体が混合して均一な液相を形成する現象を 溶解という。
*2 希硫酸を作るとき、冷却しながら水に濃硫酸を加えなければいけないのは、硫酸の水への溶解エン
タルピーが大きいからである。
*3(エネルギーとエンタルピーの違い)実測されるのは有限温度におけるエンタルピー変化であ
る。これに対して、熱エネルギーの効果を削除した、言い換えれば絶対零度におけるものがエネルギ
ー変化である。例えば、 イオン化エンタルピーとイオン化エネルギー、 結合解離エンタルピーと結合
エネルギー。アトキンス式(10・34)、(10・35)、根拠 10・7 を参照せよ。
- 30 -
イオンから電子を引き離すのに要する仕事に等しい。その値は原子が電子を受け取って陰
イオンとなる傾向の大小を表す。電子親和力が正であれば陰イオンは真空中で安定、負で
あれば真空中では不安定であるが、溶液あるいは結晶中ではそうとは限らない。原子団や
分子に対しても同様に電子親和力が定義される。
:結合 A-B が 105 Pa の理想気
結合解離エンタルピー(D)(アトキンスデータ部表 11・3a)
体状態で等温的に原子あるいは原子団(イオンではない)A、B に解離するときのエンタ
ルピー変化。
例) HF(g) → H(g) + F(g)
(H+(g)と F -(g)に分離するのではない)
(9)
3・2 標準生成エンタルピー(アトキンス 2・8)
多くの反応は直接的な熱量測定に適さない(、ができない)。しかし、反応エンタルピ
ーを間接的に決定することができる(Hess(ヘス)の法則)。これは、エンタルピーは状態
関数なので、任意の物質の持つエンタルピーはその温度、体積、物質量等が同じならば、
どのような過程を経てその状態に至ろうとも同じだからである。
例として、炭素がグラファイトからダイヤモンドに変わる相転移を見てみよう。
Δ trsH ○(炭素)=?
C(グラファイト) → C(ダイヤモンド)
(10)
この転移は非常に大きな圧力をかけることによって起こるので、直接転移熱を測定するこ
とは非常に困難である。これに対してグラファイトとダイヤモンドの燃焼反応は熱量計の
中で行うことができるので、反応熱の測定は比較的容易である。
C(グラファイト)+ O2(g) → CO2(g)
C(ダイヤモンド)+ O2(g) → CO2(g)
○
-1
(11)
○
-1
(12)
Δ cH (298 K)=- 393.51 kJ mol
Δ cH (298 K)=- 395.40 kJ mol
グラファイトを直接ダイヤモンドに変えたときのΔ trs H
○
と、グラファイトを燃焼させて
二酸化炭素にし、次にその二酸化炭素からダイヤモンドを作ったときのΔ H ○は同じなの
で、
Δ trsH ○(炭素)=- 393.51 -(- 395.40) kJ mol-1 =+ 1.89 kJ mol-1
(13)
である(アトキンスの例題 2・5 も参照せよ)。
任意の物質の持つエンタルピーが分っていれば、任意の反応のエンタルピー変化を直接
測定しなくても、計算で求めることができるので大変便利である。しかし、エネルギーの
値は基準次第で種々の値を取りうるので、そのためには基準を定めなければならない。
「指
定された温度と 105 Pa (= 1 bar)の圧力のもとで、任意の元素の最も安定な状態*1 のエン
タルピーを零にとり(=基準とし)、任意の化合物を(基準状態にある)構成元素から合成す
る(これを標準生成反応と呼ぶことにする)ときの標準反応エンタルピー」を、その化合物
の標準生成エンタルピー Δ f H
○
と定義する*2。例として CH4(g)の標準生成エンタルピー
がどのように決められるか考えてみよう。メタンの構成元素は炭素と水素で、それらの基
*1 アトキンスではこれを基準状態と呼んでいるが、一般的な言葉ではない。
*2 標準生成エンタルピーという体系は、「エンタルピー変化が反応熱となるようにそれぞれの物質の
原点を調節すること」がその本質である。
- 31 -
準状態は 298 K でそれぞれ C(グラファイト)と H2(g)なので、標準状態にあるそれらから
標準状態の CH4(g)を作る標準生成反応を考える。
C(グラファイト)+ 2H2(g)→ CH4(g)
Δ rH ○(298 K)=- 74.8 kJ mol-
(14)
1
このとき C(グラファイト)と H2(g)の標準生成エンタルピーをゼロにとるので、CH4(g)の
標準生成エンタルピーΔ fH ○(298 K)=上記反応の標準反応エンタルピーΔ rH ○(298 K)=
- 74.8 kJ mol- である。
1
C(グラファイト)
○
Δ fH (298 K)/kJmol
-1
0.00
H2(g)
CH4(g)
0.00
- 74.8
(15)
標準生成エンタルピーの値を用いて、任意の反応の標準反応エンタルピーΔ rH を計算
○
することができる。
Δ rH ○=∑ J ν J Δ fH ○(J)=∑生成系νΔ fH ○-∑反応系νΔ fH ○
(2・34)(16)
つまり、標準反応エンタルピーΔ r H ○ は(生成系の標準生成エンタルピーの和)-(反応系
の標準生成エンタルピーの和)である。例として次のエチレンの水素化反応を考えてみよ
う。
Δ rH ○=?
CH2CH2(g) + H2(g) → CH3CH3(g)
(17)
各化合物の標準生成エンタルピーは次のように与えられている(アトキンスデータ部表 2・5)。
○
Δ fH (298K)/kJmol
-1
CH2CH2(g)
H2(g)
52.26
0.00
CH3CH3(g)
- 84.68
○
(18)
-1
-1
したがって、Δ rH (298K)= (- 84.68 - 52.26) kJ mol = - 136.94 kJ mol と求めら
れる(アトキンス数値例 2・7 も参照せよ)
。
(注意)任意の温度において標準生成エンタルピーが定義される。そして基準状態の元素
の標準生成エンタルピーは任意の温度で常にゼロである(=ゼロとする)。このことはし
かし、この元素のエンタルピーがすべての温度で等しいという意味ではない。物質のエン
タルピーは温度依存する。従って、異なる温度の標準生成エンタルピーの値を比較しても
意味がない。この点について具体例で見てみよう。先ほど取り上げた反応を考えてみよう。
C(グラファイト) + 2H2(g) → CH4(g)
(14)
0 K と 298 K における標準生成エンタルピーは以下のようになる。
C(グラファイト)
Δ fH ○(0 K)/kJmol-1
○
Δ fH (298 K)/kJmol
○
-1
○
Hm (298 K)- Hm (0 K)/kJmol
-1
H2(g)
CH4(g)
0.00
0.00
- 66.8
(20)
0.00
0.00
- 74.8
(21)
1.05
8.47
10.02
(22)
0 K における C(グラファイト)と H2(g)の標準生成エンタルピーをゼロにとる。CH4(g)のΔ
f
H ○(298 K)はΔ fH ○(0 K)より 8.0 kJ mol-1 も小さくなっているが、これは 0 K のときより
も 298 K のときの方が CH4(g)のエンタルピーが低いことを意味しているのではない。事
実 0 K のときと 298 K のときのエンタルピーの差 Hm ○(298 K)- Hm ○(0 K) は逆に+
10.02 kJ mol-1 である。これは反応物の Hm ○(298 K)- Hm ○(0 K)(= 1.05 + 2 × 8.47 =
17.99 kJ mol-1)が生成物のそれ(10.02 kJ mol-1)よりも大きかったので、本当は CH4(g)
のエンタルピーは 0 K のときよりも 298 K のときの方が大きいのに、標準生成エンタル
ピーは小さくなっているのである。
Δ fH ○(298 K)=Δ fH ○(0 K)+ 10.02 -(1.05 + 2 × 8.47)=- 74.8
- 32 -
(23)
この例からも分かるように、異なる温度の標準生成エンタルピーを比較しても意味がない。
標準エンタルピーは同じ温度で使ってはじめて役に立つのである。
○
(参考)任意の温度 T の標準反応エンタルピーΔ r H (T)は、例えば反応に関与する物質の 298 K に
○
おける標準生成エンタルピーΔ f H (298 K)の値が分かっていれば、298 K を基準にしたときのその温
○
○
度 T におけるモル標準エンタルピー[Hm (T)- Hm (298 K)]を使って、次式から求めることができる。
○
○
○
○
Δ rH (T) = Δ rH (298 K) + Δ[Hm (T)- Hm (298 K)]
(24)
ここで、
○
○
Δ rH (298 K) = ∑ J ν J Δ f H (298 K, J)
○
○
(25)
○
○
Δ[Hm (T)- Hm (298 K)] = ∑ J ν J[Hm (T)- Hm (298 K)]J
(26)
☆ 水溶液中の物質の標準生成エンタルピー
化学反応の多くは水溶液中で行われるので、水溶液中における物質の標準生成エンタル
ピーΔ fH ○(aq)を決めておくと便利である。これは、
「任意の温度 T において 1 bar の定
圧下で最も安定な状態(基準状態)にある構成元素から、水溶液中に存在するある化合物
を作るときの標準反応エンタルピー」として定義される。例えば、水溶液中の塩化水素の
標準生成エンタルピーは
(1/2)H2(g)+(1/2)Cl2(g)→ H (aq)+ Cl-(aq)
Δ fH ○(aq)
+
(27)
○
という反応のエンタルピー変化である。Δ fH (aq)は実験的に求めることができる。すな
わち、その物質の水への溶解エンタルピーΔ sol H ○ と標準生成エンタルピーΔ f H ○から求
めることができる。
Δ fH ○(aq) = Δ solH ○ + Δ fH ○
(28)
いくつか例を見てみよう。
① HCl(aq)のΔ fH ○(aq):
HCl(g)→ HCl(aq)
Δ solH ○=- 75.14 kJ mol-
(29)
-1
(30)
1
(1/2)H2(g)+(1/2)Cl2(g)→ HCl(g)
(1/2)H2(g)+(1/2)Cl2(g)→ HCl(aq)
Δ fH ○=- 92.31 kJ mol
○
Δ fH (aq)=?
(31)
-1
-1
したがって、Δ fH ○(aq) = (- 75.14 - 92.31) kJ mol = - 167.45 kJ mol と求められ
る。正確な値はΔ fH ○(aq) = - 167.16 kJ mol-1 である。
② NaCl(aq)のΔ fH ○(aq):
Δ solH ○=+ 3.89 kJ mol-1
NaCl(s) → NaCl(aq)
○
Na(s) + (1/2)Cl2(g) → NaCl(s)
Δ fH =- 411.15 kJ mol
○
Na(s) + (1/2)Cl2(g) → NaCl(aq)
○
(32)
-1
Δ fH (aq)=?
-1
(33)
(34)
-1
したがって、Δ fH (aq) = (3.89 - 411.15) kJ mol = - 407.26 kJ mol と求められる。
③ KCl(aq)のΔ fH ○(aq):
Δ solH ○=+ 17.23 kJmol-1
KCl(s) → KCl(aq)
K(s) + (1/2)Cl2(g) → KCl(s)
K(s) + (1/2)Cl2(g) → KCl(aq)
○
○
Δ fH =- 436.68 kJmol
○
Δ fH (aq)=?
-1
-1
(35)
(36)
(37)
-1
したがって、Δ fH (aq) = (17.23 - 436.68) kJ mol = - 419.45 kJ mol と求められる。
次に、水溶液中で完全にイオンに分離している化合物(例えば HCl)の標準生成エンタ
- 33 -
ルピーΔ fH ○(aq)を、各成分イオン(H と Cl-)の水溶液中での標準生成エンタルピー(イ
+
オン標準生成エンタルピー)の和と考える。言い換えれば、各イオンについて基準状態に
ある元素から水溶液中に存在するイオンを作るときの標準生成エンタルピーである。これ
はあるイオン(例えば Cl-)の持つエンタルピーが対イオンが何であろうとも(Na+でも K+
でも)変わりがないと仮定することを意味している。これは希薄水溶液については可能な
仮定である。問題はイオン対の標準生成エンタルピーをどうすれば各イオンに分けること
ができるかである。これについては、あらゆる温度において希薄水溶液中の H のイオン
+
標準生成エンタルピーをゼロとすることが一般的に認められている。
(1/2)H2(g) → H+(aq)
Δ fH ○(H+, aq) = 0
[2・33](38)
したがって、Cl-のイオン標準生成エンタルピーは上記①のΔ fH ○(aq)から、- 167.16 kJ
mol- である。
1
(1/2)Cl2(g) → Cl-(aq)
Δ fH ○(Cl-, aq) = - 167.16 kJ mol-1
(39)
○
また、Na と K のイオン標準生成エンタルピーは②と③のΔ fH (aq)から、それぞれ(-
+
+
407.26 -(- 167.16)=)- 240.10 kJ mol-1、(- 419.45 -(- 167.16)=)- 252.29 kJ mol-1
である。
3・3 エンタルピー変化の解釈
3・3・1 結合エネルギー(アトキンス 2・8(b))
反応エンタルピーの値をどのように解釈したらよいであろうか?反応エンタルピーの値
を化学結合が生成したり、切断するのに要するエネルギーに結び付けて考えることができ
るであろう。このとき、T = 0 K での反応を考えることによって、反応エンタルピーから
熱エネルギーの効果を削除する。そうすれば反応エンタルピーから結合エネルギーを求め
ることができるのではないか?
しかし、二原子分子、あるいは同一の結合のみを含む分子の場合、結合エネルギーを決
めることは可能ではあるが、分子中に異なった型の結合を持つ場合、各結合のエネルギー
を決定することは困難である。また、同一結合のみをいくつか含む分子でも、そのうちの
一つの結合の解離エネルギーと、そこからさらにもう一つの結合を解離するときのエネル
ギーは異なっている。これは最初に一つの結合が切れた後で分子中の各結合の電子状態が
変化したためである。例として CH4(g)を見てみよう。
C(g) + 4H(g)
C(g) + 4H(g)
↑
↑Δ H = 338 kJ mol-1
H2 の原子化エンタルピー× 2
= 872 kJ mol-1
↑
CH(g) + 3H(g)
C(g) + 2H2(g)
↑
↑
1664 kJ mol
-1
↑Δ H = 473 kJ mol-1
C(グラファイト)+ 2H2(g)
↓
↑Δ H = 422 kJ mol-1
CH2(g) + 2H(g)
C(グラファイト)の原子化エンタルピー
= 717 kJ mol
-1
CH3(g) + H(g)
○
Δ fH =- 75 kJ mol
-1
CH4(g)
↑Δ H = 430 kJ mol-1
CH4(g)
- 34 -
あるいは、例えば同じ O-H 結合といっても、CH3OH と、C6H5OH では、結合エネルギー
は異なる。これは、結合にあずかる電子が、各結合ごとに局在しているのではなく、互い
に影響を及ぼしあっているからである。
しかし、平均的な結合エネルギー(平均結合エネルギー)が分っていると、これを任意
の反応のエンタルピー変化の値を見積もるときの目安とする事ができる。化合物の数に比
べて結合の種類は非常に少ないのでこれは有用である。
3・3・2 格子エネルギー
イオン性結晶を気体状のイオンに分解するのに要するエネルギーについて考えてみる。
例)NaCl(s) → Na (g) + Cl-(g)
Δ LH ○= 787.2 kJ mol-
+
このときのエンタルピー変化Δ LH
○
(40)
1
を格子エンタルピーという。格子エネルギーとは絶
対零度で結晶を構成要素に分解するのに必要なエネルギー(、分解するときの内部エネル
ギー変化)、あるいは、化合物結晶 1 mol が互いに無限遠に離れて存在する気体状のイオ
ンに解離するときの内部エネルギー変化である。この格子エネルギーは実測することがで
きないので、状態関数の性質を用いて間接的に求める。そのために考案されたのが
Born-Haber(ボルン-ハーバー)サイクルである(アトキンス図 20・42 参照)。
Na (g)+ e-(g)+ Cl(g)
+
Δ egH ○(Cl)
Δ ionH ○(Na)
=- 351.2
=+ 498.3
Na+(g)+ Cl-(g)
Na(g)+ Cl(g)
Δ subH ○(Na)=+ 107.32
Na(s)+ Cl(g)
格子エンタルピー
○
(1/2)Δ H (Cl-Cl)=+ 121.68
水和エンタルピー
Na(s)+(1/2)Cl2(g)
Δ fH ○(NaCl,aq)=- 407.27
Δ fH ○(NaCl)
=- 411.15
NaCl(aq)
NaCl(s)
溶解エンタルピー
-1
Born-Haber サイクル(数値の単位は kJ mol )
3・3・3 水和エンタルピー*1
溶液中で溶質分子またはイオンが数個の溶媒分子と結合して一つの集団(これを溶媒和
殻と呼ぶ)を作る現象を溶媒和という。水溶液の時は特にそれぞれ水和殻、水和という。
*1 定圧の下で溶質を溶媒である水で無限に希釈した際に生じるエンタルピー変化を水和エンタルピー
という。
- 35 -
気体状イオンの標準水和エンタルピーΔ
hyd
H ○は、標準気圧下の気体状イオン対を水に溶
解させ無限希釈した際に生じる 1 mol 当たりのエンタルピー変化であり、その気体状イオ
ンのもとになるイオン性結晶の溶解エンタルピーΔ solH ○から格子エンタルピーΔ LH ○を
差し引いた値である(上記の Born-Haber サイクルの図を参照せよ)。すなわち、
水和エンタルピー = (溶解エンタルピー) - (格子エンタルピー)
(41)
である。例として NaCl(s)の水和エンタルピーを計算してみよう。
NaCl(s) → Na (aq) + Cl-(aq)
Δ solH ○= 3.89 kJ mol-
+
-
○
NaCl(s) → Na (g) + Cl (g)
+
-
(42)
-1
(43)
Δ LH = 787.2 kJmol
-
Na (g) + Cl (g) → Na (aq) + Cl (aq)
+
1
+
○
Δ hydH =?
-1
(44)
-1
したがって、Δ hydH ○ = (3.89 - 787.2) kJ mol = - 783.31 kJ mol と求められる。式
(42)の溶解と、式(44)の水和の違いに注意するように。また、これらと以下の水溶液中の
標準生成反応
Na(s) + (1/2)Cl2(g) → Na+(aq) + Cl-(aq)
Δ fH ○(aq)
(34')
との違いにも注意するように。
水溶液中の各イオンについての水和エンタルピー(イオン標準水和エンタルピー)は、H+
の水和エンタルピーが - 1090 kJ mol- と見積もられるので、これを基準として得られる。
1
Δ hydH ○(H+) = - 1090 kJ mol-1
H+(g) → H+(aq)
(45)
ここで、イオン標準水和エンタルピー(45)と以下のイオン標準生成エンタルピー
(1/2)H2(g) → H+(aq)
Δ fH ○(H+, aq) = 0
(38)
○
との違いに注意するように。298 K でのΔ hyd H の値を以下に示す(アトキンスデータ部表 2
・7b 参照)
。
Δ hydH ○(Li+) = - 520 kJ mol-1
Li+(g) → Li+(aq)
Δ hydH (Na ) = - 405 kJ mol
K (g) → K (aq)
Δ hydH ○(K ) = - 321 kJ mol
+
Δ
○
Na (g) → Na (aq)
+
+
+
+
+
-1
-1
(46)
(47)
(48)
○
hyd
H が負の値ということは、イオンは気体状態よりも水溶液中で水和した状態の方が
エネルギー的に安定化することを意味する。気体状イオンのΔ hyd H ○は各イオンが溶媒で
ある水分子とどれだけ強く相互作用するかを表している。小さくて電荷の大きなイオンほ
ど電荷密度が高く、まわりの水分子と強く静電的に相互作用するから、水和エンタルピー
の値は負でその絶対値は大きくなる(=安定化する)*1。イオン半径の大きさは配位数に
よって異なる。以下に 6 配位状態の時のイオン半径の値を示す。単位はÅ。
F-
Li+ 0.90
+
Na
+
K
1.16
1.52
2+
Mg
2+
Ca
0.86
1.14
Cl
1.19
-
1.67
-
1.82
Br
有機化合物の水和エンタルピーもやはり負の値をとり、この場合も水和によって安定化
することが分かる。ただし、この場合の水和エンタルピーは、固体、液体あるいは気体の
2
*1 電磁気学によれば、半径 r の帯電した球(電荷 q)の表面での電場は q/r に比例する。静電相互作
用については基礎物理学 3・1 を参照せよ。
- 36 -
有機化合物が水和する際の反応エンタルピーである。
安息香酸(s、- 53 kJ mol-1)、クエン酸(s、- 10.9)、シュウ酸(s、- 28)、
ホルムアルデヒド(g、- 61)、アセトアルデヒド(l、- 21)
水和については、6・1・5c ~ e で詳しく考察する。
- 37 -
4.過程とエネルギー効率
熱力学第一法則によれば、状態関数である内部エネルギー、あるいはエンタルピーは保存される。
そして状態関数のみを問題にする限り、変化の道筋(、過程)は問題にならなかった(、道筋の違いは
最終結果に影響を及ぼさなかった)。しかし、系が行う仕事、系に対してなされる仕事を考えるとき、
変化の道筋の違いは、結果に対して大きな違いをもたらす。
4・1 等温過程と断熱過程(アトキンス 2・6、補遺 2・1)
これまで等温過程における膨張仕事は考えてきたが、断熱過程はとりあげていなかった
ので、その説明から行う。
①断熱過程:状態 i から状態 f へ断熱的に系が変化するとき、q = 0 なので、
ΔU=w
(閉じた系の断熱過程で一般的に成立する)
(1)
である。理想気体を考えるので、dU = CVdT である。したがって、
w = ∫ TiTfCVdT
(理想気体、断熱)
(2)
となる。熱容量が温度に依存しないと仮定すれば、
w = CV(Tf - Ti) = CV Δ T
(理想気体、断熱、CV 一定)
(2・27)(3)
となる 。
*1
②一定圧力に対する断熱変化:外圧 Pex を Pi から Pf に変えたとき、第 2 章の式(4)より、
- wexp = Pex(Vf - Vi)
(一定外圧に対する PV 仕事の一般式)
(2・8)(4)
なので、これを圧力変化率 x = Pf/Pi とおいて、
- wexp = (xPi)(Vf - Vi)
(5)
と書き直すことができる。これはさらに理想気体の状態方程式を使って、
- wexp = (xnR)(Tf/x - Ti)
(理想気体)
(6)
となる。この式が断熱過程の場合(3)式に等しいので、
Tf = Ti(nRx + CV)/(nR + CV)
(理想気体が断熱過程で一定圧力に対して
= Ti(Rx + CV, m)/(R + CV, m)
仕事をしたとき、CV 一定)
(7)
PfVf/Tf = PiVi/Ti なので、
Vf = Vi(nR + CV/x)/(nR + CV)
(理想気体が断熱過程で一定圧力に対して
= Vi(R + CV, m/x)/(R + CV, m)
仕事をしたとき、CV 一定)
(8)
③可逆断熱過程:可逆過程における一般的な PV 仕事の式、
- wexp, rev = ∫ ViVfPdV
(2・10)(9)
と理想気体の断熱仕事の式(2)を等しいとおく。
-∫ ViVfPdV = ∫ TiTfCVdT
(理想気体、断熱)
(10)
次に、熱容量が温度に依存しないと仮定して、上式に理想気体の状態方程式を代入すると、
*1 温度は粒子の熱運動エネルギーの平均値を表しているので、Δ T は粒子の運動エネルギーの変化量
を表している。理想気体は運動エネルギーしか持っていないので、仕事によって移動したエネルギー
はΔ T に比例する。
- 38 -
- nR ∫ ViVfdV/V = CV ∫ TiTfdT/T
(11)
- nRln(Vf/Vi) = CVln(Tf/Ti)
(12)
(ln = loge(自然対数))ここで、
c = CV/nR = CV, m/R
(2・34)(13)
とおくと、
(Vi/Vf) = (Tf/Ti)
c
(断熱可逆、理想気体、CV 一定)
(2・28a)(14)
あるいは
ViTic = VfTfc = 一定
(断熱可逆、理想気体、CV 一定)
(2・28b)(15)
が得られる。さらに、PfVf/Tf = PiVi/Ti なので、式(14)から
PiVi γ = PfVf γ = 一定
(断熱可逆、理想気体、CV 一定)
(2・29)(16)
を得る(理想気体の等温過程では PV =一定であった)。ここで、
γ ≡ CP/CV
= (nR + CV)/CV = 1/c + 1
(一般)
(17a)
(理想気体)
(17b)
は熱容量比である。式(16)は Poisson(ポアッソン)の式と呼ばれている。このγを使うと、
式(15)は、
TiVi γ-1 = TfVf γ-1
(断熱可逆、理想気体、CV 一定)
(18)
と書くことができる。また、(14)、(16)式より
(Pf/Pi) = (Tf/Ti)c γ
(断熱可逆、理想気体、CV 一定)
(19)
という関係を得る。アトキンスの数値例 2・5、2・6 を参照せよ。
(参考)PV 図における断熱過程と等温過程の変化を表す曲線をそれぞれ断熱曲線、等温曲線という
γ
(アトキンス図 2・18 参照)。γ> 1 であるから、式(16)(P ∝ 1/V )から分かるように、断熱線は対
応する等温線(P ∝ 1/V)よりも急速に減少する。つまり、ある体積まで膨張させるとき、断熱過程で
はより低圧まで下げなければならない。理想気体の場合 PV/T =一定であるから、断熱膨張によって温
度が下がると、その分圧力は等温の場合より減少しなければならないのである。別の見方をすると、
同じ圧力まで減圧したとき、断熱過程の方が膨張する体積が小さい。断熱膨張によって温度が下がる
と、PV/T =一定であるから、体積は等温の場合より小さくなるのである。等温過程では PV =一定で
γ
あるが、断熱過程では(16)式からも分かるように、PV の関係に温度変化の効果が取り込まれて PV =
一定となっている。
[考察Ⅰ] 最終圧力 Pf を初期圧力 Pi の 1/4 にする理想気体の等温および断熱膨張過程につ
いて、それぞれ四つの異なる具体的な道筋を考え、等温過程と断熱過程の違いを理解する。
膨張
始状態 i
→→→→→→
(圧力 Pi、温度 Ti、体積 Vi)
↓
終状態 f
(圧力 Pf、温度 Tf、体積 Vf)
- wexp(系が外界にした膨張仕事)
結果を次のページに示す。等温過程と断熱過程の共通点と相違点を以下に整理する。
共通点:系は準静的過程において最大の仕事をする。
相違点:① 等温過程では変化の道筋に依存せず常に最終状態は同一状態であるが、断熱
過程では道筋によって最終状態が異なる。等温過程では変化の過程に依存せず常に PV =
- 39 -
一定が成立する*1 が、断熱過程では PV が一定に保たれないからである(式(16)参照)
。
Pex(外圧)の変化
(ⅰ)
(ⅱ)
(ⅲ)
(ⅳ)
→(1/4)Pi
→(1/2)Pi →(1/4)Pi
→(3/4)Pi →(2/4)Pi →(1/4)Pi
・・・
準静的過程
(1/4)Pi
(1/4)Pi
・・・
(1/4)Pi
等
Pf =
(1/4)Pi
温
Tf =
Ti
Ti
Ti
・・・
Ti
膨
Vf =
4Vi
4Vi
4Vi
・・・
4Vi
張 - wexp = (3/4)PiVi
PiVi
断
Pf =
(1/4)Pi
(1/4)Pi
熱
Tf =
(7/10)Ti
(16/25)Ti
(78/125)Ti
・・・
0.574Ti
膨
Vf =
(14/5)Vi
(64/25)Vi
(312/125)Vi
・・・
2.30Vi
(27/50)PiVi
(141/250)PiVi
・・・
0.638PiVi
張 - wexp = (9/20)PiVi
(13/12)PiVi
(1/4)Pi
・・・
1.39PiVi
・・・ (1/4)Pi
・単原子理想気体を想定している。従って、Cv, m =(3/2)R である。
・(ⅰ)~(ⅲ)の過程は不可逆過程であり、過程途中の系の状態は非平衡状態である。
・(ⅳ)の準静的過程では、系の状態変化が熱平衡状態に十分近い状態をたどって行われる。準静
的過程は可逆過程である。可逆過程、不可逆過程の違いについては、ここでは問題にしないこ
とにする。これらについては 4・2 の考察Ⅱで詳しく説明する。
② 断熱過程において系のなす仕事量は、等温過程においてなす仕事量よりも小さい。こ
れは PV 図上の断熱曲線と等温曲線を比較すると、断熱曲線の方が激しく減少し、曲線下
の面積(=仕事量)が等温曲線のそれより小さいことからも分かる。断熱過程では系がな
す仕事は系の内部エネルギーからのみ供給され(その結果内部エネルギーは減少す)るが、
等温過程では系の温度を一定にするために(これは理想気体では内部エネルギーが常に一定に
保たれることを意味する)熱が外界から系に供給される。その結果、等温過程での仕事量の
方が大きくなる。エネルギーとは仕事をする能力なので、内部エネルギーが減少すると仕
事をする能力が下がり、仕事量が減少する。
③ 断熱過程における Vf は等温過程のそれよりもずっと小さい。これも理由は上と同じ。
したがって、系が最大の仕事をする準静的過程において Vf は最小になる。
④ 断熱膨張過程では系の温度が下がる。断熱過程ではエネルギーが供給されないので、
系が仕事をするのに応じて内部エネルギーが減少する。つまり、系の温度が下がる。した
がって、系が最大の仕事をする準静的過程において系の温度は最低になる*2。→断熱膨張
により系を冷却することができる。(注意)以前に Joule-Thomson 効果によって系の温度が下が
ることをみた。断熱膨張による冷却は理想気体でも起こるが、Joule-Thomson 効果は理想気体では起こ
らない。これは、前者は外界に仕事をすることによってエネルギーを消費しているのに対して、後者
*1(注意)等温過程において最終状態が常に同一であるのは、厳密には理想気体の場合だけである。
*2 理想気体なので PfVf/Tf = PiVi/Ti、そして、Pf = Pi/4 なので Vf/Tf = 4Vi/Ti である。従って、Vf が小さ
くなる過程(=より仕事をする過程)ほど Tf も低くなることが分かる。
- 40 -
は分子間力を振り切るために、つまり内部仕事にエネルギーが消費されているからである。
☆ フェーン現象
フェーン現象は山を吹き越えた風が、風下側の山麓で異常に高温になる現象で、日本では特に春先
に、太平洋側の高温多湿な空気が日本列島の山脈を越えて日本海側に吹き降りるとき、日本海側の地
方でしばしば観測される。この原因は空気の断熱変化による。風が山岳を越えるとき、気圧が下がる
ので断熱膨張により温度が下がる 。この風が大量の湿気を含んでいるときは、水蒸気が水滴になる 。
*1
*2
このとき凝集熱が放出されるため、これがないときと比較して断熱膨張による温度低下は押さえられ
ることになる。そしてこの水滴は最終的に雨となって取り除かれる。ところで、山岳を越えて下降す
ると気圧が上がり、温度は断熱圧縮により上昇する。この空気は乾燥しているため、断熱圧縮による
温度上昇は以前の断熱膨張による温度低下を上まって、温度が高くなるのである。
☆ 気体の液化と冷凍技術(アトキンス 1・3(d))
一般に気体を充分加圧すると液体になるが、19 世紀の終わり頃、酸素や窒素は常温ではどんなに圧
縮しても液体にならないことが明らかになり、これらの気体は 永久気体と呼ばれた。その後、 臨界温
度と呼ばれる温度よりも高い温度にある気体は、どんなに圧縮しても決して液化しないことが分かっ
た。
全ての気体は臨界温度以上では、どんなに加圧しても液化しない。臨界温度において、その気体を
液化させるのに必要なぎりぎり最低の圧力を 臨界圧という。臨界温度、臨界圧、 臨界密度を合わせて
臨界定数という。一般に、沸点の高い物質ほど臨界温度も高いといえる。
H2 O
Cl2
NH3
CO2
O2
CO
N2
H2
沸点/℃
100 - 34.6 - 33.4 - 78.5 - 182.96 - 191.5 - 195.8 - 252.87
臨界温度/℃
374
144
132
臨界圧/ MPa
31
7.3825
- 119
- 140
- 147
- 240
5.043
3.491
3.400
1.3
臨界温度以上では、試料は 1 相で容器全体を占める。この相は定義によって気体である。それゆえ、
液相は臨界温度より高温では形成されない。液⇔気の移り変わりは、やり方次第では、連続的にも不
連続的にも行うことができる。この点に関しては、液体と気体との本質的な違いはないといえる(気
体と液体を総称して流体という)。固⇔液の移り変わりは、どんなに工夫しても連続的に行うことは出
来ない。臨界点を持つことは、液-気系の大きな特徴である。
永久気体も温度を下げれば液化することが分かり、気体の温度を下げるための冷凍技術が発達した。
その結果、永久気体は次々に液化され、最も液化しにくかったヘリウム(臨界温度 5.2
K)も 1908 年
*1 空気塊が上昇あるいは下降するとき、断熱的に移動できるのは、太陽や地表からの放射が通過中に
空気の層に吸収されることが少ないからである。また、空気は熱の不良導体なので、短時間なら空気
は外部との間で熱のやりとりがほとんどないことも理由の一つである。
*2 水蒸気を含んだ暖かい空気が急上昇すると(上昇気流)、上空は気圧が低いので上昇した空気は断
熱膨張して冷却する。膨張すれば上昇した空気の蒸気圧も下がるが、温度の低下による飽和蒸気圧の
低下の方が大きいので、過飽和の状態が実現される。しかし、一般にはこれらの状態では自発的核生
成は起きず、空中に浮かんでいる塵の周りに水蒸気が結露して水滴に成長する。このようにしてでき
た水滴が多数集まったものが雲である。
- 41 -
に液化された(液体水素で冷却した気体ヘリウムを Joule-Thomson 効果により冷却し液化した)。
液体ヘリウムの沸点は 4.2 K で、液体の蒸気を真空ポンプで引いてどんどん蒸発させると、液体の
温度は 1 K ぐらいまで冷える。この極低温を利用してまず研究されたのが金属の電気抵抗で、水銀が
4 K 以下で超伝導状態になることが発見された(1911 年)。さらに液体ヘリウム自体 2.7 K で超流動
状態に転移することが発見されたのはそれから 26 年後であった(1937 年)。
4・2 膨張・圧縮サイクル
[考察Ⅱ] 理想気体の可逆及び不可逆等温膨張・圧縮過程によるサイクル を具体的に調
べることによって、可逆過程と不可逆過程、最大仕事と最小仕事の意味を理解する。考察
*1
Ⅰと同様の四つの等温膨張過程とそれに対応する等温圧縮過程を考える。
- w1 ↑
Pα
状態α
→→→
↓ q1
等温膨張 →→→
状態β
Vα
Tα
P β=(1/4)P α
←←←
等温圧縮 ←←←
w2 ↑
V β= 4V α
Tβ=Tα
↓- q2
- w1 は系が外界に対してする仕事、w2 は外界が系に対してする仕事である。
仕事と熱に注目してまとめると以下の表のようになる。この表を見ると、膨張過程で系が
する仕事- w1 は準静的過程で最大になり、圧縮過程で系になされる仕事 w2 は準静的過程
で最小になることが分かる。また、準静的過程の- w1 =準静的過程の w2 であることにも
気づく。
(ⅰ)
Pex(外圧)の変化
初期圧力
P α →(1/4)P
α
(ⅱ)
→(1/2)P α→(1/4)P α
等温
w1 = -(3/4)P α V α
膨張
q1 =
等温
w2 =
圧縮
q2 = - 3P α V α
(3/4)P α V α
3P α V α
(ⅲ)
→(3/4)P α→(2/4)P α→(1/4)P α
(ⅳ)
準静的過程
-PαVα
-(13/12)P α V α
- 1.39P α V α
PαVα
(13/12)P α V α
1.39P α V α
(11/6)P α V α
1.39P α V α
-(11/6)P α V α
- 1.39P α V α
2P α V α
- 2P α V α
初圧力(1/4)P α
→Pα
→(1/2)P α→ P α
→(1/2)P α→(3/4)P α→ P α
準静的過程
Pex(外圧)の変化
(Ⅰ)
(Ⅱ)
(Ⅲ)
(Ⅳ)
膨張過程(ⅰ)~(ⅳ)と圧縮過程(Ⅰ)~(Ⅳ)を組み合わせて一つのサイクルを形成させる
と、全部で 16 種類のサイクルができるが、(ⅳ)と(Ⅳ)(準静的膨張過程と準静的圧縮過程)
の組み合わせ以外はどの組み合わせのサイクル(これらは必ず不可逆過程を含んでいる)
*1 循環過程ともいう。系がある変化の道筋をたどった後、再び以前と全く同じ状態に戻る場合に、こ
れをサイクルという。
- 42 -
を考えても、
外界によって系になされた正味の仕事(w1 + w2)は正である。
= 元の状態に戻すとき、外から仕事をしなければならない。
外界の吸収した正味の熱量-(q1 + q2)も正である。
= 元の状態に戻すとき、外界は熱を受け取らなければならない。
↓
w1 + w2 =-(q1 + q2)なので、外界のエネルギーは保存されているが、外界のなした正味
の仕事が全て熱に変わってしまった(、熱として外界に戻っていった)。
↓
1 サイクルで系は正確に元の状態に戻ったが、外界は変化してしまった。しかし、(ⅳ)と
(Ⅳ)の組み合わせのときだけは、w1 + w2 =-(q1 + q2)= 0 なので、系も外界も正確に元
の状態に戻った。
ここで、可逆過程と不可逆過程の定義を与えておこう。
(広義の) 可逆過程:注目する系が、ある状態αから他の状態α'に変化する時、外界が状
態βからβ'へ変わるとする。何らかの方法により、系をα'からαに戻し、同時に外界を
β'からβへ戻す事が可能である時、(α、β)→(α'、β')の過程は可逆であるという。
(狭義の)可逆過程=準静的過程:熱平衡状態に十分近い状態をたどって変化するとき、外
部条件に無限小の変化を与える事によって、逆の道筋をたどらせることができる過程*1。
変化の途中の状態が全て平衡状態であれば(系内部の平衡と系と外界の間の平衡)、全く
逆の変化を行って*2 元に戻る事が可能である。熱力学では準静的過程=可逆過程と考えて
よい。従って、この講義では可逆過程として準静的過程のみを考える*3。
不可逆過程:上述の復元が不可能であるような過程。
考察Ⅱの結果、いかなる不可逆(、非平衡)膨張圧縮過程でも、系を始めの状態に戻し
たときには、必ずいくらかの仕事を熱に変えることになることが分かった。また、- w1
は準静的過程で最大で、w2 は準静的過程で最小であり、そのとき- w1 = w2 である。
↓(一般化)
任意のサイクルを考えたとき、途中に不可逆(、非平衡)過程を含むときは、仕事の熱へ
の変換を伴う。したがって、準静的過程において、系になされる仕事は最小(最小仕事)で
あり、系が外界に対してなす仕事は最大(最大仕事)である。つまり、系に仕事をしてその
状態を変化させるとき、準静的に行なえば系に対してなす仕事が熱として消費されないの
*1 これは変化を十分ゆっくり行わせることによって近似的に実現できる。しかし、系が無限にゆっく
り変化するだけでは準静的過程にはならない。変化の途中で常に平衡状態が実現していることが重要
である。自由膨張を無限にゆっくりを行わせても、平衡状態ではないので、不可逆過程である。
*2 系と外界が平衡状態にあるとき、外部条件を反対向きに無限小だけ変化させれば、系の状態が反対
向きに変化する。
*3 準静的過程は逆行可能であるが、広義の可逆過程は必ずしも逆行可能ではない。純粋の力学的、電
磁気的現象は広義の可逆であるが、必ずしも逆行可能ではない。普通問題になる可逆過程はそのよう
な力学的あるいは電磁気学的可逆過程と、熱的現象としての準静的過程の組み合わせである。
- 43 -
で、その仕事量は最小ですみ、系が外界に仕事をするときは、それを準静的に行なうと系
のなす仕事が熱として消費されないので、
最大の仕事量を取り出すことができるのである。
4・3 熱機関のエネルギー効率(アトキンス 3・2(b))
効率的にエネルギーを使うとはどういうことであろうか?エネルギーは形を変えるが量
は変わらない(保存される)。それではエネルギーを使うということはどういうことか?
エネルギーが保存される限りエネルギーが消えてなくなるということはない。エネルギー
とは仕事をする能力であるが、我々人類が実際に使うことのできるエネルギーとは、容易
に仕事に変換できる能力のことである。熱でも高温物体の熱エネルギーからは容易に仕事
がとれるが、環境と同じ温度の物体からはそのままでは仕事はとれない。つまり、熱を仕
事に変換できないことになる。熱力学第一法則では熱と仕事の等価性、すなわち、熱を与
えることと同じ効果を仕事によって生じさせることができる事が示された。本当に熱と仕
事は完全に等価なのだろうか。そこで、
(問)どうしたら熱を仕事に変換することができるか?
(問)熱を 100 %仕事に変えることができるのか?
(問)どうしたらエネルギー効率を良くすることができるか?
このような問題意識のもとに、熱機関 のエネルギー効率について考察してみよう。
*1
[考察Ⅲ] 熱を仕事に変換する可逆サイクル(Carnot(カルノー)サイクル)を考察する。
ここでは理想気体の可逆膨張による仕事を考える。理想気体を等温膨張させれば熱を 100
%仕事に変えることができるが、繰り返し気体の膨張仕事を行わせるためには、膨張した
気体を一旦収縮させなければならない(、元に戻さなければならない)。このとき同じ温
度で圧縮させたら、考察Ⅱで見たように膨張で得た仕事と等量の仕事をしなければならな
いので、正味の仕事はゼロになってしまう。これでは使いものにならない。ではどうした
らよいか?気体を冷やして低温で圧縮すればよい。低温の気体の方が粒子の運動エネルギ
ーが小さいので、外から加圧して縮小させるとき、より少ないエネルギーですむはずであ
る。ではどうやって気体を冷却させるか。断熱膨張によって気体が冷却することを考察Ⅰ
でみた。
Carnot サイクルは次の四つの準静的過程から成る(アトキンス図 3・6 参照)。
過程 1. A → B:等温膨張。熱をもらって(qh)、仕事をする(- w1)。第 2 章式(7)より
qh = - w1 =∫ PdV = nRThln(VB/VA) > 0
(21)
過程 2. B → C:断熱膨張による冷却。式(2)、(3)より
系のする仕事- w2 = -∫ CVdT = CV(Th - Tc) > 0
(22)
過程 3. C → D:等温圧縮。仕事をされて(w3)、熱を出す(- qc)
。
- qc = w3 =-∫ PdV = nRTcln(VC/VD) > 0
(23)
過程 4. D → A:断熱圧縮による温度上昇。
*1 熱機関(、熱エンジン)とは、熱エネルギーを仕事に変換する仕組みであり、発電プラント、自動
車のエンジン、蒸気機関等がその例である。
- 44 -
系になされる仕事 w4 =∫ CVdT = CV(Th - Tc)> 0
(24)
Caront サイクルの 1 サイクルで系がなした正味の仕事- wt は、
- wt = -(w1 + w2 + w3 + w4)
= -(w1 + w3)
(∵- w2 = w4)
= qh + qc
= nRThln(VB/VA)- nRTcln(VC/VD)
= nR(Th - Tc)ln(VB/VA) > 0 (∵ VB/VA = VC/VD )
(25)
*1
- wt > 0 なので、系はこのサイクルで外界に仕事をすることが分かる。PV 図上で四つの
曲線で囲まれた面積が仕事量- wt を表している。また、Carnot サイクルの 1 サイクルで
系が得た正味の熱量 qt は、
qt = qh + qc
= nR(Th - Tc)ln(VB/VA) > 0
(26)
qt > 0 なので、系はこのサイクルで熱を得ることが分かる。
高温熱源 Th
そして、qt + wt = 0 なので、Carnot サイクルは熱力学第一
↓ qh
法則を満足していることが分かる。このように Carnot サイク
C
- wt
ルは外界から熱 qt を得て、外界に仕事- wt をする事が分かっ
た。以上の様子を右図のように模式的に描く(アトキンス図 3・7
参照)
。
↓- qc
低温熱源 Tc
一般に、熱機関のエネルギー効率εは次式によって定義される。
ε≡- wt / qh =(系がなした正味の仕事)/(系に供給された熱量)
[3・8](27)
- wt = qh + qc なので、
ε = (qh + qc) / qh = 1 + qc /qh
(3・9)(28)
以上の式は任意の熱機関に関して成立する一般的な式である。ここで(21)、(26)式を使う
と、すなわち熱機関が常に準静的過程で作動するとき、次の Carnot 効率の式を得る。
Carnot 効率=(Th - Tc)/Th = 1 - Tc /Th
(準静的過程)
(3・10)(29)
この式は理想気体の条件を使って導いている。しかし、この式は任意の可逆サイクルにつ
いて成立することが示される(証明略*2)
。この式より、二つの熱源の温度差が大きいほど
エネルギー効率がよいことが分かる*3。
以上の考察を次のようにまとめることができる。まず、サイクルにおける熱の仕事への
変換については
c
c
*1 (14)式より、過程 2 では、(Th/Tc) = VC/VB となる。同様に過程 4 についても、(Th/Tc) = VD/VA と
なる。したがって、VB/VA = VC/VD となる。アトキンス根拠 3・1 参照。
*2 ホームページに証明が載っているので参照せよ。
*3 火力発電所ではボイラーの燃焼炉で、石油、石炭、天然ガスなどを燃焼させ、その熱で水蒸気を発
生させる。この水蒸気は高圧でかつ高温にする必要がある。それは(29)式より高温であるほど効率良
く仕事をする=発電をするからである。このときの低温熱源は海水である。つまり、同じ量の燃料を
燃焼させても、発生する水蒸気の温度によってその効率が違ってくるのである。
- 45 -
①サイクルで熱を仕事に変換するときは、熱源が二つ必要である*1。熱は二つの熱源の温
度差を利用することによってのみ仕事に変換できる。
②高温熱源から得たエネルギーは一部低温熱源に捨てられるため、どうしても効率は 100
%にならない。理想気体を等温的に膨張させれば、一つの熱源から取った熱を全部仕事に
変えることはできるが、サイクルで熱を 100 %仕事に変えることはできない。
次にエネルギー効率について
③二つの熱源の間で働く Carnot サイクルの効率は、その熱源の温度だけで定まり、作業
物質(、作業流体)のいかんなどによらない。そして、同じ熱源の間で働くどの可逆サイク
ルも同一の効率を示す。
④同じ熱源の間で働く不可逆サイクルの効率は可逆サイクルのそれよりも小さい(可逆サ
イクルが最高のエネルギー効率を与える)。不可逆性は熱効率を下げる。
このエネルギー効率に関する③と④を特に Carnot の定理と呼ぶ。この定理の証明は 4・4
で示す。
熱力学第一法則では、熱と仕事の等価性が示された。しかし、熱力学第二法則は熱と仕
事が完全に等価ではないことを教える。つまり、仕事は 100 %熱に変えられるが、任意の
サイクルにおいて熱は 100 %仕事に変えられない。実際、熱と仕事が等価といっても、
「仕
事を加えたときの温度効果が、それと一定比率の熱を加えたときの温度効果と同じ」事が
示されているにすぎない。これは、仕事が 100 %熱に変換できる事を意味するが、その逆
が成り立つかどうかは保証していない。熱と仕事は、1 cal = 4.184 J と量的には等価で
あるが、質的には等価でない。熱と仕事が完全に等価だったら、エネルギー効率という概
念は存在しない。
(問)どうしたら熱を仕事に変換することができるか?
(答)二つ以上の熱源を用意し、その温度差を利用する。
(問)熱を 100 %仕事に変えることができるのか?
(答)サイクルではできない。
(問)どうしたらエネルギー効率を良くすることができるか?
(答)二つの熱源の温度差を大きくし、できる限り準静的に変化させる 。
*2
しかし、準静的過程を実際に行なおうとすると、無限に時間がかかってしまうので、実
際には、例えば気体の膨張、圧縮の場合、外部圧力をある程度大きく(、あるいは小さく)
とり変化させる。つまり、エネルギー効率と時間効率のかねあいである。
[考察Ⅲ´]
冷凍機 (アトキンス I 3・1)
熱は高温の物体から低温の物体へ流れる。これが自然に起こる流れであり、これに逆ら
って低温の物体から高温の物体へ熱を輸送するためには、外から仕事をしてやらなければ
ならない。冷凍機(例:エアコン、冷蔵庫)とは逆向きに働く熱機関のことであり、そこ
*1 エンジン等では低温熱源は大気、環境であり、生命系で低温熱源として機能するのは水である。
*2 現実の過程はほとんど可逆ではないので、厳密には Carnot 効率の式は実際の系には適用できないが、
その傾向は Caront 効率の式から予測することができる。
- 46 -
で行われる一連の過程は、従って、熱機関のサイクルを逆転させたものである*1。これを
冷凍サイクルと呼ぶ。ここでは可逆的な冷凍サイクル(ここではこれを逆 Carnot サイク
ルと呼ぶことにする)を考えてみよう。
熱機関おける効率に相当するものが、効率係数 c である。
c ≡ qc / wt = (系に流れた熱量) / (系になされた仕事)
(30)
冷凍サイクルでも、- wt = qh + qc が成立するので、
c = qc / (qh + qc)
(31)
可逆サイクルである逆 Carnot サイクルの効率係数は
逆 Carnot サイクルの効率係数 = Tc / (Th - Tc)
(32)
で与えられる。効率係数は逆 Carnot サイクルにおける冷凍最小仕事 において最大になる。
*2
不可逆過程では最小仕事よりも多くの仕事を必要とするので効率係数は小さくなる。
4・4 熱力学第二法則
エネルギー効率等を考えることによって、ある状態から別の状態に移るとき、エネルギ
ーに関しての保存則(つまり熱力学第一法則)とは別に、その移行過程が可逆であるか、
あるいは不可逆であるかということが重要であることが分った。そこで、過程の可逆、不
可逆性に関連した自然法則があるのではないか?、と考えられる。
準静的過程では変化に無限に時間がかかる。したがって、全ての自然に起こる(、自発
的な、実際に有限時間内で起きる)変化は不可逆過程であろう。そこで、自発的変化の不
可逆性:すべての自発的変化は不可逆過程である、と言えるであろう。
どの様な変化が起こるか、つまり変化の方向に関する法則が熱力学第二法則である。ど
のような(方向に)変化が起きるか? → 不可逆変化が自発的に起きる。
熱力学第二法則は、
狭義には熱現象の不可逆性を表しているが、より広い意味では自然界の変化の方向、自発
変化の不可逆性に関する法則である。
熱力学第二法則には、現象論的にいろいろな表現の仕方がある。Clausius(クラウジウス)
の原理は熱の移動現象に注目して、Thomson の原理は熱の仕事への変換に注目して表現
している。
Clausius の原理
・熱が低温度の物体から高温度の物体へ自然に(、自発的に)、それ以外に何の変化も残さ
ずに、移ることはありえない。
・熱が高温度の物体から低温度の物体へ移動する過程(=自発過程)はそれ以外に何の変化も残って
いなければ不可逆である。
・仕事を熱に変えないで、低温熱だめから高温熱だめへ熱を移すことは不可能である。
*1 つまり、外から仕事 wt をする事によって低温熱源から熱 qc を吸収して、高温熱源に熱 qh を放出す
る。アトキンス図 3・10 参照。
*2 これは低温熱源と高温熱源の温度差に比例する。つまり、温度差が大きいほど仕事量が増える。Carnot
効率では、温度差が大きいほど効率よく熱を仕事に変換できた。
- 47 -
Thomson の原理*1(アトキンス p.77、図 3・1 参照)
・循環過程において、温度の一様な一つの物体から奪った熱を全部仕事に変え、それ以外
に何の変化も残さないことは不可能である。
・仕事が熱に変わる現象(=自発過程)は、それ以外に何の変化も残らないならば、不可逆である。
あるいは次のように言っても良いであろう;
・実際の変化(つまり有限の時間で起こる変化)はどんなものでも、正味いくらかの仕事を熱に変える
ことなしに、もとの状態に戻すことはできない。
・いかなる自発的過程の後でも、系を初めの状態に戻すには、仕事を熱に変換しなければならない。
Clausius の原理と Thomson の原理は等価であることが示される(証明略*2)。Clausius の原
理あるいは Thomson の原理を使って Carnot の定理を証明することができる。Thomson の
原理を使っての証明がアトキンス p.85、図 3・8 に載っているので見てみよう。
☆ 可逆過程について
厳密な意味での可逆過程というものは、現実には存在しない。しかし、この可逆過程という概念は、
熱力学という学問体系の発展に多大な貢献をした。また、実用的な意味でもこの概念は有用である。
すなわち、可逆過程を考えることによって、最大効率、最大仕事、最小仕事、といった限界を知るこ
とができるので、現実のシステムを評価するときの目安が得られる。
外部の圧力や温度を系のそれらより実際には大きくしなければならないのは、広い意味での摩擦抵
抗 があるからである。逆に言えば、広い意味での摩擦抵抗が不可逆性の原因である。準静的過程が、
限りなくゆっくり進行することは確かであるが、テクノロジーの発達した現代においては、可逆過程
は現実のシステムの具体的目標になるくらい、ある意味で現実的な概念でもある。不可逆性の減少が
省エネルギーを達成するのである。
☆ 絶対温度(アトキンス 1・1(c)、3・2(c))
Carnot 効率は温度によって定義されていた。これを利用して Kelvin(ケルビン)は個々の物質の特性
に依存しない温度目盛(これを 絶対温度目盛、熱力学温度目盛、Kelvin 目盛という)を定義した。こ
の温度を 絶対温度という( 熱力学温度あるいは Kelvin 温度ともいう)。これに対して、特定の物質の
熱的性質(液体の体膨張、定積気体の圧力変化など)に基づいた温度目盛を 経験温度目盛という。物
質による熱的性質の違いに帰因するこの経験温度目盛の持つ難点
*3
を克服するために、Kelvin が絶対
温度を定義した。
高温熱源から qh の熱量を吸収し、低温熱源へ qc の熱量を放出することによって作動する可逆熱機関
を考える。高温熱源の温度 Th と低温熱源の温度 Tc の比(Th/Tc)が熱量の比(qh/- qc)に等しくなるよ
*1 アトキンスでは Kelvin による表現と書いてあるが、Thomson と Kelvin は同一人物。
*2 ホームページに証明が載っているので参照せよ。
*3 例えば、摂氏温度は水の沸点と融点を定点として 100 段階に分けて作られている。このとき、この
温度範囲での液体の膨張によって温度を知ることができる。しかし、この温度目盛りは等間隔に目盛
りを付けて割り出したもので、膨張が均一でなければ意味をなさない。また、液体が異なれば膨張の
様相が違うので、物質によって温度目盛りが異なることになる。
- 48 -
*1
うに決めた温度が絶対温度である(証明略) 。
Th/Tc = qh/(- qc)
(3・7)(35)
従って、特定の一つの熱平衡状態の熱力学温度値(温度の定点)を定義すれば、任意の熱平衡状態の
熱力学温度の値が定まる。この定点として、水の三重点を 273.16 K と定義した。したがって、任意の
温度 T は、273.16 K の熱源と温度 T の熱源の間で働く熱エンジンを使って、qh、qc を測定すれば、式(35)
より知ることができる。
T = 273.16 ×(qh/- qc)(T が 273.16 K よりも高いとき)
(36)
T = 273.16 ×(- qc/qh)(T が 273.16 K よりも低いとき)
(37)
*2
絶対温度は気体温度計の温度と一致する 。気体温度計は Boyle の法則に基づき、理想気体の圧力と
体積から求められる。平衡状態にある気体のモル体積 Vm と圧力 P の積は、圧力が限りなく小さい極限
では、気体の種類によらずある値に収束する。それを RT とおいて、Ñ Vm → 0(PVm)= RT、熱力学温度 T
*3
を定義する 。実際には実在気体を使うので、適当な補正が必要になる(ヘリウムガスは補正が小さく
てすむのでよい)。実際に熱力学温度を測定するにはこの他に、抵抗温度計、雑音温度計、放射温度計
などを用いる。
*1 式(28)と式(29)から式(35)が得られる。しかし、式(29)は理想気体について成立する式なので、一
般の可逆 Carnot サイクルについても式(29)が成立することが示されなければ、この定義は有効ではな
い。
*2 式(29)は理想気体を作業流体とする Carnot サイクルで導かれた。従って、その際の温度は気体温度
目盛りということになる。この式は一般に成立することが証明されており(ホームページ参照)、この
一般的な Carnot サイクルの温度を絶対温度としたので、絶対温度と気体温度は一致する。
*3 このとき、絶対零度は理想気体の体積がゼロになる温度という意味を持つ。理想気体は分子間力が
ないので、絶対零度でも凝縮せず、粒子は大きさを持たないので、絶対零度で理想気体の体積は零に
なる。理想気体の示す体積はただその粒子の熱運動にのみよるので、絶対零度において熱運動が停止
すれば体積もなくなるのである。
- 49 -
5.エントロピー
エントロピーという概念は熱力学において初めて導入された。これをまず紹介する(5・1)。しかし、
エントロピーの意味を良く理解するためには、ミクロのレベルから(、統計力学的に)考察すること
が必要になる。5・2 では統計力学的なアプローチでエントロピーを理解する。5・3、5・4 では具体的な
例を考察することによって、エントロピーという概念をより深く理解する。
5・1 熱力学におけるエントロピー
5・1・1 エントロピーの導入と Clausius の不等式(アトキンス 3・2)
a Clausius の不等式
熱力学の第二法則は自然界の変化(=自発変化)の方向と不可逆性に関する法則である。
この不可逆性を定量的に表すために、エントロピー S という状態関数を導入する。Carnot
サイクル、つまり可逆サイクルのエネルギー効率に関して、次の関係が示された。
(qh + qc)/ qh = (Th - Tc)/ Th
(1)
ここで、Th、Tc は熱源の温度=系の温度(可逆過程なので)、qh、qc は系の得た熱量=熱
源の失った熱量である。上式を次のように書き直す。
qc / qh = - Tc / Th
(qh/Th) + (qc/Tc) = 0
(3・7)(2)
(可逆過程)
(3R)
これを Clausius の(等)式という。ここで現れた(熱量)/(温度)という量を、エントロピー
変化と定義する。一般的に、系のエントロピー変化Δ S は、
Δ S = Sf - Si = ∫ ifd'qrev/T
(3・2)(4a)
と定義される。ここで、d'qrev は可逆過程で系が得た無限小熱量、T は系の温度である。可
逆過程と限定されていることに注意する。熱源(、外界)のエントロピー変化Δ Stherm は、
Δ Stherm = ∫ if-d'q/Te
(5)
で与えられる。ここで、-d'q は熱源の得た無限小熱量(=系の失った無限小熱量)、Te は
熱源の温度である。ここで、d'q は可逆過程 d'qrev と限定されていないことに注意する。こ
の意味は後で説明する。
問題にしている過程が温度一定であれば、(4a)、(5)式はそれぞれ
Δ S = qrev/T 、 Δ Stherm =- q/Te
(温度一定)
(6)
となる。したがって、(3R)式は可逆過程であることを考慮して
(qh, rev/Th)+(qc, rev/Tc)=Δ S = 0
(3R')
と書き直すことができる。エントロピーは状態関数なので、1サイクルでΔ S = 0 になる。
また、無限小エントロピー変化 dS は
dS = d'qrev/T
[3・1](4b)
となる。
宇宙のエントロピー変化Δ Suniv は系と外界のエントロピー変化の和である。
Δ Suniv = Δ S + Δ Stherm
(7)
定義式から分かるように、熱の流れに伴ってエントロピーが移動し、系の(あるいは熱源
- 50 -
の)エントロピーが変化する。系から外界に熱が流れれば、系のエントロピーは減少し、
外界のエントロピーは増大する。ここで重要なことは、その過程が可逆か不可逆かで宇宙
のエントロピー変化が異なることである。なぜだろう?この点を以下で詳しく考察する。
可逆過程では系の得たエントロピーΔ S =-Δ Stherm = 熱源の失ったエントロピーであ
る。なぜなら、可逆過程では系の温度 T と熱源の温度 Te は等しいので、
Δ S = ∫ i d'qrev/T = -∫ i -d'q/Te = -Δ Stherm (可逆過程)
f
(8)
f
である。従って、可逆過程では、
Δ Suniv = 0、 Δ S =-Δ Stherm
(可逆過程)
(9R)
つまり、可逆過程では宇宙のエントロピーは不変である。
では、不可逆過程ではエントロピーはどうなるのであろうか? Carnot の定理より、同
じ熱源の間で働く可逆サイクルの効率は不可逆サイクルの効率より必ず良いので、
ε(不可逆過程)< Carnot 効率
1 + q/qh < 1 - Tc/Th
(qh/Th) + (qc/Tc) < 0
(不可逆過程)
(3 I)
と書くことができる。qh と qc は系の得た熱=熱源の失った熱であるので、上式の左辺は
不可逆過程で熱源の失ったエントロピー-Δ Stherm を表している。したがって、式(3 I) は
不可逆過程の場合は、1 サイクルで熱源の失ったエントロピー-Δ Stherm が負である(=熱
源のエントロピーが増大する)ことを表している。一方、エントロピーは状態関数であり、1
サイクルで元の状態に戻るので、系のエントロピー変化はゼロである。つまり、
-Δ Stherm < 0、
ΔS = 0
(10)
である。これより、不可逆過程では宇宙のエントロピーΔ Suniv が増大することが分かる。
Δ Suniv = Δ S + Δ Stherm > 0
(不可逆過程)
(9 I)
エネルギーは可逆、不可逆に関係なく保存されるが、エントロピーは不可逆過程では増大
する。つまり、不可逆過程では系と熱源の間に熱交換が無くても(例えば不可逆断熱過程
において)エントロピーが生成する、不可逆性によってエントロピーが生成する(エント
ロピー生成)のである。
↓
以上の考察を任意のサイクルに一般化する。任意のサイクルにおいて途中の過程全てが
可逆であれば*1、宇宙のエントロピーは不変である(式(3R)と(9R)の一般化)。
∮(d'qrev/T)=∮ dS =-∮(-d'qrev/T)=-∮ dStherm = 0 (可逆過程)
(11)
ここで、d'qrev は可逆過程で系が得た無限小熱量、T は系の温度(=熱源の温度)である。
サイクルの途中に少しでも不可逆過程があると、(系と熱源の間に熱交換が無くてもエ
ントロピーが生成し、)宇宙のエントロピーは増大する。これは式(3I)の一般化であり、
式で表すと、
∮(d'q/Te) < 0
(不可逆過程)
(13)
*1 任意の可逆サイクルは Carnot サイクルの集団として近似できることが分かる(アトキンス図 3・9 参
照)。また、式(11)の∮ dS = 0 はエントロピーが状態関数であることを示している(∮はサイクルで
の積分、一周積分を表している)。詳しくはアトキンス p.85 を参照せよ。
- 51 -
となる(証明略*1)。ここで、∮(d'q/Te)は熱源の失ったエントロピーである。この不等式
は次のように書き換えることができる。
∮(d'q/Te) = -∮(-d'q/Te) = -Δ Stherm < 0
(14)
これより、(サイクルなので)Δ S = 0 で、Δ Stherm > 0 なので、Δ Suniv > 0、つまり宇宙
のエントロピーが増大することが示される。
式(11)と式(13)を合わせて
∮(d'q/Te) ≦ 0
(17)
と書く。等号は可逆過程(d'q = d'qrev、T = Te )、不等号は不可逆過程(d'q = d'qirr)であ
る。この式は Clausius の不等式と呼ばれている。
b 熱力学第二法則とエントロピー
系が状態 A から B まで不可逆的に変化し、B から A に可逆的に戻ってくる場合を考え
る。このサイクルに式(13)を適用すると、
∮(d'q/Te)=∫ AB(d'qirr/Te)+∫ BA(d'qrev/Te)< 0
となる。Δ S = SB - SA =∫ AB(d'qrev/T)とすると、
Δ S >∫(d'qirr/Te)
(不可逆過程)
(18)
(19)
という関係を得る。これを微分形式で表すと、
dS > d'qirr/Te
(20)
この式は、任意の不可逆無限小過程における系のエントロピー変化 dS は、(不可逆性によ
るエントロピーの生成があるために)その過程における熱源の失ったエントロピー d'qirr/Te
より大きいことを表している、と解釈できる。(20)式は(4b)式を使って、
d'qrev/T > d'qirr/Te
(21)
と書ける。以上をまとめると、
dS = d'qrev/T ≧ d'q/Te
(3・12)(22)
等号は可逆過程(d'q = d'qrev、T = Te )
、不等号は不可逆過程(d'q = d'qirr)である*2。孤立
系では q = 0 なので、
dS ≧ 0
(孤立系、等号は可逆、不等号は不可逆)
(23)
であり、宇宙は孤立系なので、
dSuniv ≧ 0
(無条件、普遍的に成立する)
(24)
また、dStherm =- d'q/Te であり、dSuniv = dS + dStherm なので、式(22)より式(24)が得られる。
したがって、宇宙の(、あるいは孤立系の)エントロピーは増大し、減少することはない、
ことを式(22)は意味していることが分かる。以下に示すようにこれは熱力学第二法則の一
つの表現であり、したがってこの結論を導き出した式(22)は熱力学第二法則の数式的表現、
一般的表現であると考えることができる*3。
熱力学の第二法則は熱現象(より広義には自発変化)の不可逆性に関する基本法則であ
*1 ホームページに証明が載っているので参照せよ。
*2 アトキンスではこの式(22)を Clausius の不等式と呼んでいるので注意する。式(22)をサイクルで積
分すれば、∮ dS = 0 なので、式(17)と一致する。
*3 式(22)から出発して Thomson の原理を導くことができる(証明略)。
- 52 -
り、この不可逆性を定量的に表現するのがエントロピーという量である。第一法則(つま
りエネルギーに関して)はその過程が可逆であるか、不可逆であるかには依存しないが、
宇宙のエントロピー変化は、過程が可逆か、不可逆かで異なる(しかし、系のエントロピー
は状態関数なので、その変化量は過程に依存しない)
。準静的変化に限定するならば、エントロ
ピーとは熱の放出吸収に伴って系に出入りする量であり、(準静的変化は可逆的なので)
宇宙のエントロピーに増減はない。ところが、どこかで不可逆変化が起これば、エントロ
ピーはそこで発生し(エントロピー生成)、宇宙のエントロピーは増大する。
自発変化は不可逆過程である(熱力学の第二法則)。そして、不可逆変化が起これば、
必ず宇宙のエントロピーは増大することが分かった。そこで、熱力学の第二法則をエント
ロピーという言葉を使って表せば、自発的変化は不可逆過程であり宇宙のエントロピーが
増大する過程である(第二法則)。自然界で起こる変化は全て不可逆変化なので、宇宙の
エントロピーは増大し減少することはない(第二法則)。逆に言えば、宇宙のエントロピ
ーが増大するような変化は、自然に(、自発的に)起こり不可逆である(第二法則)。熱力
学第二法則をエントロピー増大則と呼ぶことがある。
序論で次の文章を示した。「熱力学の根本問題は、平衡状態にある系の内部束縛(エネル
ギー、体積、物質のやり取りを禁止する束縛)が除去された時、系が最終的に到達する新
しい平衡状態を決定する事である。」つまり、どの様な変化が起こるか知りたいのである。
我々はこの問題に対する解答を得たことになる。なぜなら、エントロピーは変化の方向を
教えてくれる指標である。自発過程は熱平衡状態に向かう。従って、系が最終的に到達す
る平衡状態、あるいは変化の向きは、エントロピーを計算することによって知ることがで
きる。すなわち、エントロピー最大の状態が熱平衡状態として実現される。言い換えれば、
平衡条件はエントロピー最大である。
熱力学の第一、第二法則は、それぞれエネルギー保存則、エントロピー増大則である。
第一法則:宇宙のエネルギーは一定である(、保存される)。
第二法則:宇宙のエントロピーは増大する。
自発的に(、自然に)起こる変化では、この二つの法則が満足されている。
c まとめ
① まず系の温度と熱源の温度が等しい場合(T = Te)をまとめる。
(a)可逆過程、不可逆過程に関わらず、
(熱交換に伴う系のエントロピー変化)=-(熱交換に伴う熱源のエントロピー変化)
Δ S =-Δ Stherm
q
(常に成立)
(25)
(26)
ここで、熱交換とは系と熱源の間で起こる熱移動を指す。
(b)可逆過程では、エントロピー変化は全て熱交換に伴って起こる。
Δ S = 熱交換に伴うエントロピー変化Δ S q = ∫(d'qrev/T)
(27)
Δ Stherm = 熱交換に伴うエントロピー変化 = ∫(-d'qrev/Te)
(28)
そして、可逆過程では T = Te で、Δ S =Δ S =-Δ Stherm なので、
q
Δ Suniv = 0
(可逆過程)
(29)
である。
(c)不可逆過程では、不可逆性に起因するエントロピー変化Δ S 不がある。
- 53 -
Δ S = 熱交換に伴うエントロピー変化 Δ S q(=∫(d'qirr/Te))
+不可逆性によるエントロピー生成Δ S 不
Δ Stherm =熱交換に伴うエントロピー変化=∫(-d'qirr /Te)=-Δ S
(30)
(31)
q
エントロピー生成は系でのみ起こり、熱源では起こらない((d)参照)。式(22)より不可逆
過程では、Δ S >-Δ Stherm なので、
Δ Suniv > 0
(不可逆過程)
(32)
である。つまり、不可逆過程では宇宙のエントロピーは増大する。また、Δ S =-Δ Stherm
q
なので、式(30)、(31)より
Δ Suniv =Δ S 不
(33)
である。つまり、不可逆過程における宇宙のエントロピーの増大(Δ Suniv > 0)は、不可
逆性によるエントロピーの生成Δ S 不に起因する。
(d)可逆過程、不可逆過程に関わらず常に、熱源のエントロピー変化は熱交換に伴うエン
トロピー変化のみが寄与する。
Δ Stherm = ∫ if-d'q/Te
(34)
熱源(、外界)は熱容量が無限大なので、熱交換によってもその温度は変わらず熱平衡状
態のままであるので、熱交換が可逆でも不可逆でも関係なく、熱だめのエントロピー変化
は移動した熱量にのみ依存する。つまり、不可逆性によるエントロピー変化は熱源には現
れない。系でどんな過程が起こっても、外界は一定温度のままで、一定体積であり、一定
圧力でもある。
② 次に熱源の温度 Te と系の温度 T に差がある場合をまとめる。系と熱源の間で熱交換が
ある場合のみを考えることにする。
(e)この場合、可逆過程は存在しない。熱移動が自発的に起こるので、全て不可逆過程で
ある。
(f)常に
(熱交換に伴う系のエントロピー変化)≠-(熱交換に伴う熱源のエントロピー変化)
(35)
であり、
Te > T のときは d'q > 0 なので、∫(d'q/T) > -∫(-d'q/Te)、
(36)
Te < T のときは d'q < 0 なので、∫(d'q/T) > -∫(-d'q/Te)
(37)
である。したがって、常に
dSuniv = dS + dStherm > 0
(38)
である。不可逆過程では宇宙のエントロピーは増大する。
5・1・2 不可逆過程におけるエントロピー生成
なぜ不可逆変化によってエントロピーが増大するのか?例として不可逆断熱変化を考え
てみよう。状態 A から状態 B に断熱的に移行する、つまり q = 0 なので、可逆過程なら
Δ S = 0 である。不可逆的に B に移行すると、B に到着直後は系はまだ非平衡状態であ
る。従って、このとき系の温度は不均一である。簡単のために高温部(温度 Th)と低温
部(温度 Tc)の二つの部分に分かれているとしよう。系は時間がたてば平衡状態に達す
る。つまり系の温度は均一になる。これは高温部から低温部に熱が流れることによって達
- 54 -
成される。高温部から低温部に流れる微分熱量を d'Q とすると、この熱の流れに伴う系の
エントロピー変化 dS は、
高温部:dSh = - d'Q/Th < 0
(45)
低温部:dSc = d'Q/Tc > 0
(46)
系全体:dS = dSh + dSc = (1/Tc - 1/Th)d'Q > 0
(47)
つまり、系内で温度に不均一があると(つまり非平衡状態であると)、系内での熱移動によ
り(つまり熱平衡状態への移行に伴い)系内でエントロピーが生成するのである。不可逆
変化では変化直後の系は非平衡状態であるため、系の平衡状態への移行に伴い系内でエン
トロピーが生成する。準静的過程では系は常に平衡状態を保ったまま変化していくので、
エントロピーは生成されない。
以上をまとめると、任意の過程における系のエントロピー変化は式(30)より、
Δ S =Δ S q +Δ S 不
(Δ S 不≧ 0。等号は可逆、不等号は不可逆過程)
(48)
であり、ここで、
Δ S q:系外との熱交換によるエントロピーの移動
Δ S 不:非平衡状態から平衡状態への移行に伴う系内での熱移動によるエントロピーの生成
である。任意の過程で宇宙のエントロピーがどれだけ増大するかは、その過程がどれだけ
不可逆かに依存する。不可逆であればあるほど不可逆性による系内でのエントロピーの生
成 Δ S 不は大きく、その分宇宙のエントロピーも大きく増大する。
5・1・3 考察Ⅰ、Ⅱをエントロピーの観点から見直す
ここで、5・1・1、5・1・2 の結論を確認するため、さらにはエントロピーに対する理解を深めるために、
第 4 章の考察Ⅰと考察Ⅱで採り上げた過程において、エントロピー変化がどの様になっているかを見
てみよう。
[考察Ⅰ] 等温膨張と断熱膨張のエントロピー変化
① 等温膨張:系のエントロピー変化の一般的な式はΔ S =∫ ifd'qrev/T で与えられるが、
等温過程の場合は特に、Δ S = qrev/T となる。理想気体の等温過程ではΔ U = 0 なので、q
=- w である。準静的過程での- w = 1.39 PV なので、理想気体の状態方程式を使って、
Δ S = 1.39 nR となる。これに対して外界のエントロピー変化Δ Stherm は、各過程で実際に
交換された熱量 q から、Δ Stherm =- q/T によって計算される。結果を以下に示す。
(ⅰ)
ΔS
(ⅱ)
1.39 nR
1.39 nR
Δ Stherm -(3/4)nR
- nR
Δ Suniv
0.64 nR
0.39 nR
(ⅲ)
(ⅳ)
1.39 nR
1.39 nR
-(13/12)nR
0.31 nR
- 1.39 nR
0
Δ S は S が状態関数なので経路に依存せず常に同じであるが、Δ Stherm は経路によって
(移動する熱量が異なるので)違った値をとる。準静的過程では可逆過程なのでΔ Suniv = 0
- 55 -
であるが、それ以外の過程は不可逆なのでΔ Suniv > 0 である。不可逆過程といってもΔ Suniv
の値は異なり、可逆過程に近づくに従って、Δ Suniv の値は小さくなっていく。(ⅰ)につい
てみると、Δ S =-Δ Stherm =(3/4)nR、Δ S 不=Δ Suniv = 0.64 nR である。
q
② 断熱膨張:断熱過程では系と外界の熱交換がないので、可逆不可逆に関係なく常に
Δ Stherm = 0
(断熱過程)
(49)
である。可逆過程ではΔ S = 0 であるが、不可逆過程ではΔ S > 0 である。4・1 の考察Ⅰ
の相違点①で指摘したように、断熱過程では最終状態は変化の道筋によって異なった。つ
まり、(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)の過程で到達する最終状態は異なっている。これらの過程
における系のエントロピー変化Δ S を計算するために、不可逆過程(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)によ
って到達する各状態に、可逆的に到達する道筋を考える必要がある。なぜなら、エントロ
ピーは状態関数であり、系のエントロピー変化は可逆過程における熱移動に伴うものとし
て式(4a)によって定義されているからである。言い換えれば、Δ S
不
を計算するすべがな
いからである。この様に任意の二つの状態間のエントロピー変化Δ S を式(4a)を使って計
算するときは、常にその状態間を可逆的に結ぶ過程を考えなければならないことに注意す
る(重要!)。
この可逆過程はもはや断熱過程ではないので、Δ S の式に次式を代入する、
dU = d'qrev - PdV
(PV 仕事のみ)
(50)
すると、Vi、Ti の状態から Vf、Tf の状態に可逆的に変化するときのエントロピー変化は一
般的に、
Δ S = ∫ dU/T + ∫ PdV/T
= ∫ CVdT/T + nR ∫ dV/V
(PV 仕事のみ)
(51)
(理想気体、PV 仕事のみ)
(52)
定積熱容量 CV が温度に依存しないと仮定すると、
Δ S = CVln(Tf/Ti)+ nRln(Vf/Vi)
(理想気体、PV 仕事のみ、Cv 一定)
(53)
が得られる(5・3・1 参照)。この式を使って系のエントロピー変化を計算する(アトキンス
例題 3・2 を参照せよ)
。結果を以下に示す。
(ⅰ)
(ⅱ)
(ⅲ)
(ⅳ)
0.49 nR
0.27 nR
0.21 nR
0
Δ Stherm 0
0
0
0
Δ Suniv 0.49 nR
0.27 nR
0.21 nR
0
ΔS
断熱過程であっても、つまり系と外界の間に熱の交換がなくても、不可逆過程では系の
エントロピーが変化することが確認できた(不可逆性によるエントロピーの生成)。等温
過程、断熱過程とも(ⅰ)から(ⅳ)の順に宇宙のエントロピーΔ Suniv が減少し、可逆過程で
ある準静的過程(ⅳ)ではΔ Suniv = 0 であることが分かる。断熱過程なので、Δ S =Δ S
不
=Δ Suniv である。
[考察Ⅱ] 等温膨張・圧縮サイクルのエントロピー変化
(ⅳ)-(Ⅳ)の組み合わせのサイクル(可逆サイクル)以外は、1 サイクル後に元の状態
- 56 -
に戻ったとき、宇宙のエントロピーが増大していることが分かる。例えば、(Ⅰ)に注目す
ると、Δ S q =-Δ Stherm =- 3nR、Δ S 不=Δ Suniv = 1.61 nR である。
等温膨張
(ⅰ)
(ⅱ)
1.39 nR
1.39 nR
Δ Stherm
-(3/4)nR
- nR
Δ Suniv
0.64 nR
0.39 nR
ΔS
等温圧縮
ΔS
(Ⅰ)
(ⅲ)
(Ⅱ)
(ⅳ)
1.39 nR
-(13/12)nR
1.39 nR
- 1.39 nR
0.31 nR
0
(Ⅲ)
(Ⅳ)
- 1.39 nR
- 1.39 nR
- 1.39 nR
- 1.39 nR
Δ Stherm
3 nR
2 nR
(11/6)nR
1.39 nR
Δ Suniv
1.61 nR
0.61 nR
0.44 nR
0
☆ P と V、T と S(アトキンス コメント 2・1 参照)
容量性(示量性)状態関数:体積、エネルギーなど系の熱平衡状態を変えずに系を分割した
り、倍加したりするとき全体の分量に比例する状態関数。エントロピーは示量性状態関数
である。
強度性(示強性)状態関数:温度、圧力など系の分量に関係のない状態関数。
一つの示量性の量にある示強性の量をかけたものがエネルギーの次元を持つような状態
関数の組を互いに共役な関係にあるという。S と V に共役な量はそれぞれ T と P である。
無限小エントロピー変化の式(4b)より、
d'qrev = TdS
(4c)
なので、これを積分すると、
qrev =∫ TdS
(4d)
が得られる。上式は、任意の可逆過程で移動した熱量は TS 図において温度曲線の下の面
積であることを示している。これは第 2 章の式(5)が、任意の可逆過程で系のなした仕事
量- wexp,
rev
=∫ PdV が PV 図において圧力曲線の下の面積であることに対応している。等
温過程では上式は
qrev = T Δ S
(4e)
となる。
5・2 エントロピーの微視的観点からの(=統計力学的)解釈
ここでは、熱力学における状態関数として導入されたエントロピーを、微視的観点( 統計力学的と
いっても良い)から理解することを目的とする。これによってエントロピーの持つ意味がよりよく理
解できるであろう。ここでは定性的な考察を中心に行うが、より定量的な議論は 3 年前期の「化学統
- 57 -
計熱力学」で取り扱う。
☆ 統計力学
物質を構成する原子や分子の構造およびその運動を支配する力学法則に基づき、これと確率論の理
論とを結合することにより、微視的世界から巨視的世界の現象を説明するのが 統計力学である。平衡
状態の統計力学では平衡状態の状態関数をミクロなレベルから計算する。例えば、気体の示す圧力 P
は気体分子運動論によると次式で与えられる(アトキンス分子論的解釈 1・1 参照)。
2
P = nM<v >/3V
(1・9)(1・10)(54)
2
ここで、n は分子の物質量、M は分子のモル質量、<v >は分子の速さの二乗平均値である。この例のよ
うに、平衡状態の統計力学では分子に関する物理量(例えば速さ)の 平均値を求めるのが一般的であ
る。この平均値をどの様に計算するかが、平衡状態の統計力学の基本的な問題である。例えば、速さ v
の平均値は一般に
N
<v>=∑ j =1 v j/N
で定義される。ここで v
j
(1・9)(1・10)(55)
は j 番目の分子の速さである。これを計算するためには N 個の分子の速さ全
てを知らなければならない。Avogadro 数個の分子に対してこれは事実上不可能である。ところで、サ
イコロの出す目の数の平均<N>は幾つかと問われればすぐに計算できる。それは
<N>=(1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6)/ 6 = 3.5
(56)
である。ここで、なぜ 6 で割っているかといえば、それぞれの目の出る確率が等しく 1/6 だからであ
る。もし各目の出る確率が異なっていれば、平均値は異なる。ここに Avogadro 数個のサイコロがある
として、それが出す目の数の平均は幾つになるかと問われても、答は簡単である。3.5。Avogadro 数個
の分子の<v>はすぐに計算できなかったのに、Avogadro 数個のサイコロの<N>はすぐに計算できたのは
なぜか?それは分子の運動は 力学過程であるが、サイコロの出す目は 確率過程であり、その確率が既
知だったからである。もし、分子の示す速さの分布が分かっていれば、平均値<v>は
+∞
<v>=∫-∞
vf(v)dv / N
(57)
で与えられる。ここで、f(v)dv / N は分子が速さ v ~ v + dv をとる確率である。この確率分布 f(v)の
ことを 分布関数という。式(55)ではなく、式(57)によって平均値を求めるということは、本質的には
力学過程である分子の運動を確率過程であると見なすことを意味している(p.5 の☆原子・分子の熱運
動の項を参照せよ)。統計力学では平衡状態でこのような確率分布が成立していると仮定する。このよ
うな考えに基づき、原子的なレベルでの力学法則と確率論に基づく平均操作の結合によって、統計的
または平均的法則としての物理法則を演繹する理論的方法が統計力学である。
5・2・1 エントロピーが増大する現象例(アトキンス 3・3)
気体が膨張すると(アトキンス p.88、(3・13)式)、液体が気体になると(アトキンス p.89、
(3・16)式)、系の温度が上昇すると(アトキンス p.91、(3・19)式)、系のエントロピーが増
大する。これらの現象に共通していることは何であろうか?
→系の占める空間が広くなる。→系を構成する粒子の配置、分布の自由度が増大する。→
系を構成する分子の配置、分布の乱雑さ、無秩序さが増大する。
この(ミクロなレベルでの)自由度とか分布・配置とか乱雑さ・無秩序さという言葉がここ
でのキーワードである。この他にもエントロピーが増大する現象として
- 58 -
1. 粒子を加える。2. エネルギーを加える。3. 分子を分解する。4. 線形高分子を曲げる。
などがある。
(確認)巨視的な物質は莫大な数のミクロな粒子から構成されており、それらは‘ランダ
ムな’熱運動(p.5 の☆原子・分子の熱運動の項参照)をしている。
5・2・2 Boltzmann の原理
微視的観点から(=統計力学的に)エントロピーを理解するときに基本となるのは次の
Boltzmann(ボルツマン)の原理である。
Boltzmann の原理 :エントロピーは次式によって与えられる。
S = kBlnW
(3・5)(58)
ここで、kB は Boltzmann 定数で、ln = loge(自然対数)である。W は微視的状態の数と呼
ばれ、状態関数が同じという条件の下で可能なその系を構成する粒子の配列・分配の仕方
の数である。この式は巨視的性質であるエントロピー S と、分子レベルの性質である微視
的状態数 W を結びつけるものである。
この Boltzmann の原理によれば、エントロピーは微視的に次のように解釈される。
微視的(統計力学的):エントロピーとは、ミクロなレベルにおける系の乱雑さ、無秩序
さを表す量である(=系を構成する粒子の空間分布および、粒子の持つエネルギーの分布
の乱雑さ、無秩序さを表す量である)
。
巨視的(熱力学的):エントロピーとは不可逆性を表す量である。
さらに、自発過程の不可逆性(=熱力学の第二法則)を Boltzmann の原理に基づいて微視
的には、(自発過程の)不可逆性は確率的に解釈されるのである。しかし、すぐに次のよう
な疑問が起こるであろう。
(問 1) 微視的状態の数とはなにか?
(問 2) エントロピーが乱雑さを表すとはどういう意味か?
(問 3) 不可逆性が確率的とはどういう意味か?
これらの意味を理解するために、理想気体の自由膨張と発熱反応を簡単なモデルを使って
考察してみよう。
[考察Ⅳ] 理想気体の拡散(自由膨張)
仕切りによって気体は領域 A に閉じこめられている(状態α)。仕切りをとると気体は
領域 B にも広がることができるようになる(状態β)
。領域 A の体積は領域 B の体積の 1/3
である、VA = (1/3)VB、とする。
←仕切り
A
領域 B
気体
真空
→→→→→→→
仕切りをとる
状態α
気体
状態β
- 59 -
これは自発的過程であるから、不可逆過程である。したがって、系のエントロピーは増大
しているはずである。
ΔS = Sβ - Sα > 0
(59)
(問) 仕切りをとるとなぜ気体は拡散したのか?
自由膨張では気体は仕事をしないので、エネルギー的には状態αとβで差はない。
ΔU = Uβ - Uα = 0
(60)
(答) 状態αより状態βの方がエントロピーが大きいから、自発的に状態βになった。
(問) なぜ状態βの方がエントロピーが大きいのだろう?
この問に答えるために簡単なモデルを考察する*1。理想気体の自由膨張を以下のような
二次元モデルで考えてみよう(これからの考察に必要な数学の知識(順列と組み合わせ)
を基礎数学 8・2 に簡単にまとめてあるので参照せよ)。計算を簡単にするために、分子の
数は 4 個とし、分子が存在できる場所は 16 しかないとする(領域 A は 4、領域 B は 12
とする)。そして、次の仮定をする。
仮定Ⅰ:分子がどの場所を占めるのも同等の可能性を持つ。
仮定Ⅱ:分子が識別できる。
この仮定に基づいて微視的状態の数 W を計算する。
A
B
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○は分子が存在できる場所を表す。
☆仕切りをとる前(状態α):配置は一つ*2。それは分子を全て領域 A に分配するもので
ある。領域 A には分子が存在できる場所が四つあるので、四つの分子をその場所にどの
ように分配するかを考えてみよう。仮定Ⅰ、Ⅱより、四つの場所に四つの分子を置く仕方
の数は 4P4 = 4!/(4 - 4)!= 24 である。これがこの場合の微視的状態の数である。微視的
状態の数とは巨視的には同じ状態でも微視的には異なった状態の数である(問 1 の答え)。
例えば、粒子に①、②、③、④の番号を付けると、仮定Ⅱより分子が識別できるので、
①
②
①
も
②
②
も
①
③
も
④
③
④
③
①
④
③
④
②
も微視的には異なった状態であり、
それぞれが一つの微視的状態である。
分子が領域 A の中でどのように配列しているかを考えることによって微視的には 24 の状
*1 量子論的な取り扱い、量子力学に基づいて各エネルギー準位への粒子の分布を考える、については
後で簡単に触れることとし、ここでは古典的に考察する。
*2 この節では複数の領域(あるいは複数のエネルギー準位)に粒子を分配することを考える。このと
き分配の仕方によっていろいろな粒子の分布が考えられるが、この分布一つ一つを配置と呼ぶ。
- 60 -
態が考えられるが、巨視的にはそれらの状態は区別ができず、どれも領域 A に分子が四
つ存在している同じ状態αとして認識される。
☆仕切りをとった後(状態β):配置は五つある。それは(領域 A にいる分子の数、領域 B
にいる分子の数)=(4、0)、(3、1)、(2、2)、(1、3)、(0、4)である。ここで、各配置に
属する微視状態の数(これを配置の重みと呼ぶ)Wj を計算すると次のようになる*1。
配置 1 (4、0) W1 = 4C4 × 4P4 × 12P0 =
24
P1 = 0.055 %
配置 2 (3、1) W2 = 4C3 × 4P3 × 12P1 = 1152
P2 = 2.6 %
配置 3 (2、2) W3 = 4C2 × 4P2 × 12P2 = 9504
P3 = 22 %
配置 4 (1、3) W4 = 4C1 × 4P1 × 12P3 = 21120
P4 = 48 %
配置 5 (0、4) W5 = 4C0 × 4P0 × 12P4 = 11880
P5 = 27 %
ここで、配置の重みの合計がこの状態βにおける微視的状態数である。
W =∑ jWj = 43680
仕切りをとることにより、微視的状態数が 24 から 43680 に増大したことが分かる。
ところで、仮定Ⅰより、ある微視状態が実現される確率*2 と別の微視状態が実現される
確率は等しいと仮定することができるであろう。すなわち
仮定Ⅰ':(系の粒子数および全エネルギーが一定という条件の下で許される)各微視的状
態が実現される確率は等しい 。
*3
この仮定に基づいて、配置の重み Wj を使って、配置 j が実現される確率 Pj が求められる。
Pj = Wj /∑ jWj
(65)
状態βでは、領域 A に分子を 1 個、領域 B に分子を 3 個分配する配置 4 が一番実現確率
の高い、一番起こりやすい配置であることが分かる*4。
次に分子の数が 8 個、場所の数が 32 個(A には 8 個、B には 24 個)の場合を考えてみ
よう。
①仕切りをとる前(状態α):配置は一つである。微視的状態数は 8P8 = 8!/(8 - 8)!=
40320 である。
②仕切りをとった後(状態β):配置は 9 ある。それらの重みを計算すると、
配置 1 (8、0) W1 = 8C8 × 8P8 × 24P0 = 40320
P1 ~ 10-5 %
配置 2 (7、1) W2 = 8C7 × 8P7 × 24P1 = 7.74 × 106
P2 ~ 10-3 %
配置 3 (6、2) W3 = 8C6 × 8P6 × 24P2 = 3.12 × 108
P3 ~ 10-1 %
配置 4 (5、3) W4 = 8C5 × 8P5 × 24P3 = 4.57 × 109
P4 = 1.1 %
配置 5 (4、4) W5 = 8C4 × 8P4 × 24P4 = 3.00 × 10
P5 = 7.1 %
10
*1 例えば、配置 3 では、4 個の分子から 2 個選び出す仕方の数は 4C2 で、A 領域の 4 個の席に 2 個の分
子を置く仕方の数は 4P2、B 領域で 12 個の席に 2 個の分子を置く仕方の数は 12P2 であるので、それらの
積が求める重みとなる。
*2 この言葉、実現確率、はこの節で多用される。この文章を言い換えると、系が各微視的状態に見出
される確率は等しい。
*3 これは等重率の原理と呼ばれ、統計力学における基本原理である。
*4 このとき統計力学では、配置 4 が最も確からしい配置である、あるいは最も確からしい分配の状
態である、と表現する。
- 61 -
配置 6 (3、5) W6 = 8C3 × 8P3 × 24P5 = 9.60 × 1010
P6 = 23 %
配置 7 (2、6) W7 = 8C2 × 8P2 × 24P6 = 1.52 × 10
P7 = 36 %
配置 8 (1、7) W8 = 8C1 × 8P1 × 24P7 = 1.12 × 10
P8 = 26 %
配置 9 (0、8) W9 = 8C0 × 8P0 × 24P8 = 2.97 × 10
P9 = 7.0 %
11
11
10
状態βの微視的状態数 W = 4.25 × 10 で、状態αにおける 40320 から大幅に増大してい
11
ることが分かる。また、分子が 8 個の場合、領域 A に分子を 2 個、領域 B に分子を 6 個
分配する配置 7 が一番実現確率の高い、最も確からしい配置である。
↓
分子の数や場所の数を Avogadro 数個程度の莫大な数まで増やしたときどうなるかを考
えてみよう。ここで特に注目したいのは配置の実現確率 Pj である。上記の二つの例では、
領域 A と B の分子数の比が 1:3 である配置の実現確率が一番高かった。上の二つの計算
例からだけでは推測しづらいかもしれないが、分子の数や場所の数をどんどん増やしてい
くと、領域 A と B の分子数の比が 1:3 である配置以外の配置の実現される確率がどんど
ん低くくなって、1:3 の配置の実現される確率 P1:3 がどんどん 100 %に近づいていくこと
が分かる。つまり、ある配置に属する微視的状態の数のみが相対的に増大する。従って、
仮定Ⅰ'(各微視的状態が実現される確率は等しい)より、この最も確からしい配置が実
現される確率が圧倒的に高いことが結論される。
P1:3 = W1:3 /∑ jWj ~ 1 (∵∑ jWj ~ W1:3)
(66)
領域 A の体積は B の 1/3 なので、分子数の比が 1:3 になるのは理にかなった結果である。
実際の熱平衡状態でも、分子数の比は 1:3 になっているはずである。
巨視的に起きていることと、微視的な解釈を比較すると、
(巨視的)→不可逆な拡散が起こる → エントロピー S が増大する
仕切りをとる
(微視的)→分子の自由度が増大する →微視的状態数 W が増大する
*1
したがって、S と W を結びつけて考えてよいのではないか、Boltzmann の原理は正しいの
ではないかと考えることができる。そうであれば、エントロピーの増大は Boltzmann の原
理からは W の増大として説明される。そして、W の大きい状態ほど、ミクロのレベルで
は系は乱雑、無秩序であると言える。なぜなら、例えば極端な例として W = 1 の場合を
考えると、系は常にある一つの決まった配列をとることになる(つまり秩序だっている)
が、W がたとえば 10 なら、系は 10 種類の配列をとることができるので、それだけ秩序
だった状態より無秩序化していると言える。この様に考えると、巨視的な量であるエント
ロピーは、ミクロなレベルにおいて系を構成する粒子の配列・分布の乱雑さを表している
ことが分かる(問 2 の答え)。
(参考)いま考察した自由膨張は、理想気体の場合は等温過程なので、気体の等温膨張によるエント
ロピー変化の式(3・13)を使って、
Δ S = nRln(Vf /Vi)= nRln4
(3・13)
と求められる。
次に Boltzmann の原理(58)を使ってΔ S を計算してみよう。領域 A を分子の大きさで分割したもの
*1 具体的には分子の存在できる場所が増える。
- 62 -
を分子の席の数(=自由度)ZA とする。粒子の数を N として、これらの粒子を ZA 個の座席に配置す
る方法の数=微視的状態の数は
W = ZAPN = ZA!/(ZA - N)!= ZA(ZA - 1)(ZA - 2)・・・(ZA - N + 1)
= ZAZA(1 - 1/ZA)ZA(1 - 2/ZA)・・・ZA(1 -[N + 1]/ZA)
N
となる。ZA ≫ N であれば(気体の場合はこれに該当する)、これは近似的に W = ZA となる。同様に、
N
領域全体の座席の数を Z とすると、N 個の粒子を Z 個の座席に配置する方法の数は W = Z である。座
席の数は領域の体積に比例するので、Z/ZA = Vf/Vi = 4 である。従って、式(58)より、
N
N
N
Δ S = S β- S α= kBlnZ - kBlnZA = kBln(Z/ZA) = nRln(Vf /Vi)= nRln4
(67)
となり、式(3・13)と一致する。
[考察Ⅴ] エネルギー散逸
次の様な気相反応を考えよう。
Δ H = - 234 kJ mol-
NH2 + NH2 → N2H4
1
(68)
これは発熱反応であり、この反応が自発的に起こる理由は、外界のエントロピーが増大し、
その結果宇宙のエントロピーが増大するからである。では、この反応を断熱条件で行うと
どうなるであろうか?やはり反応は自発的に起こる。しかし、外界と熱交換が起こらない
ので、外界のエントロピーは不変である。従って、宇宙のエントロピーが増大するために
は系のエントロピーが増大するしかない。ところで、この反応は反応の前後で系の占める
体積、分子の数は減少するので、考察Ⅳより、エントロピーも減少しているはずである。
このままでは、宇宙のエントロピーも減少してしまい、反応が自発的に進行しないことに
なってしまう。しかし、実際には自発的に進行する。エントロピーの増大はどうして起こ
るのだろうか?
ところで、考察Ⅳは実空間で考察したが、ここでは「物理化学Ⅰ」で紹介した位相空間
を使って考察することにする。位相空間は「物理化学Ⅰ」第 1 章で紹介したが、そこでは 6N
次元(N は粒子の数)の空間(これをΓ空間という)を考えたが、ここでは基本的に 6 次
元の位相空間(これをμ空間という)を考えることにする。さらに、μ空間を 3 次元の位
置空間(、配置空間、配意空間)*1 と 3 次元の運動量空間に分離して考える。ここではこ
の運動量空間に注目して考察する。
各位相点は分子
各位相点は系全体
1 個 1 個の状態
の微視的状態の
を表している。
一つ一つを表わ
している。
μ空間(6 次元)
Γ空間(6N 次元)
この反応は発熱反応であるから、断熱条件で実験を行えば系の温度が上昇する。つまり、
*1 μ空間の位置空間は実空間のことである。
- 63 -
系のポテンシャルエネルギーが減少し、その分系を構成する粒子の運動エネルギーが、従
って運動量が増大する。その結果、運動量空間でより多くの状態を占める(=より多くの
自由度を使う)ことができるようになり、エントロピーが増大したのである。つまり、運
動量空間で膨張がおこり、運動量空間のエントロピーが増大したのである 。これに対し
て、先ほどの気体の拡散では位置空間で膨張が起こり、位置空間のエントロピーが増大し
*1
た。位置空間のエントロピーの増大が位置空間の粒子の分布の乱雑さの増大を意味したよ
うに、運動量空間のエントロピーの増大は、運動量空間の粒子の分布の乱雑さの増大、す
なわち運動の乱雑さの増大 を意味している。
*2
分子の拡散=位置空間での膨張=位置空間の粒子の分布の乱雑さの増大
エネルギーの散逸=運動量空間での膨張=運動量空間の粒子の分布の乱雑さの増大
考察Ⅳの気体の拡散で用いたモデルを使って、発熱反応によって運動量空間で系の占める
体積が反応前より反応後で増大したときの微視的状態数の変化を計算することができる*3。
従って、そこから得られる結論はこの場合にも成立することが分かる。
py
py
px
反応前
→
px
運動量空間での膨張
反応後
実際に反応が進行するということは、運動量空間のエントロピーの増大が位置空間のエ
ントロピーの減少を補ってなおあまりあるということである。つまり、あらゆる種類の乱
雑度を考慮して、最も実現確率の高い、最も確からしい配置に落ち着くのである。
[考察Ⅵ] 最も確からしい配置(古典的)
考察Ⅳでは、領域を二つに分けて考えたが、一般にはμ空間を莫大な数の小さな領域(一
般にこの領域は‘細胞’と呼ばれる)に分けて、そこに(系の全粒子数 N と全エネルギー E
が一定という条件の下で)粒子を分配することを考える。細胞に 1、2、3、・・・と番号
を付けて、その細胞に N 個の粒子から n1 個、n2 個、n3 個、・・・の粒子を分配する。この
とき、任意の配置は{nk}=(n1, n2, n3,・・・)という数の組によって表される。このとき配置の
重み W({nk})はどの様に計算されるか考えてみよう。
n 個の同じ粒子の中から重複無く r 個選び出す組合せの数 nCr は、
n
Cr = n!/(n - r)!r!
(69)
*1 運動量と運動エネルギーは EK = p2/2m の関係があるので、運動量空間で分布が広がることを、エネ
ルギー散逸という。
*2 つまり、粒子のとる運動量の大きさと向きが一定ではなくよりいろいろな値をとり乱雑になる。
*3 ただし、運動量空間では位置空間と違って粒子が均一に分布しているわけではない(アトキンス 21
・1 参照)。
- 64 -
で与えられる。見分けのつく N 個の粒子を細胞= 1, 2,・・・へそれぞれ n1, n2,・・・個ずつ配る、
その配り方の数(=配置の重み)は上式を拡張して
W({nk})= N!/(n1!n2!・・・)
(16・1)(70)
で与えられる。なぜなら、N 個から n1 個選び出す数は N!/ n1!(N - n1)!で、残りの(N - n1)
個から n2 個選び出す数は{(N - n1)!/ n2!(N - n1 - n2)!}なので、これを続けていけば結
局、
{N!/ n1!(N - n1)!}{(N - n1)!/ n2!(N - n1 - n2)!}・・・= N!/(n1!n2!・・・)
(71)
となるからである(アトキンス根拠 16・1、数値例 16・1 参照)。
ここで、配置の重みが大きくなる配置とはどの様に粒子が分配された状態かを考えてみ
よう。それはある細胞にのみ多くの粒子を偏って分配するのではなく、できる限り多くの
細胞にできる限り均等に粒子を分配する方が W({nk})が大きくなることが、式(70)から分
かる。それは要するに式(70)の分母の(n1!n2!・・・)が小さくなる分配である。従って、最も
*1
確からしい配置は、最も多くの細胞に、最も均等に分子が分配された配置である 。最も
確からしい分配の状態は粒子が最も乱雑に分布している状態である。
以上の考察Ⅳ、Ⅴ、Ⅵから得られる結論は次のようにまとめることができる。
① 「状態関数が同じ値を持つという条件の下で許される種々の配置{nk}の中でその重み W
({nk})が他の配置と比較して圧倒的に大きい最も確からしい配置」、が存在する。そして、
最も確からしい配置は、最も多くの細胞に、最も均等に分子が分配された微視的状態であ
る。最も確からしい分配の状態は粒子が最も乱雑に分布している微視的状態である。
② 微視的状態数 W が多い系ほどエントロピー S も大きい。
③ W が大きいということは、ミクロなレベルで粒子がいろいろな微視的状態をとれると
いうことであり、W が大きい状態ほどミクロなレベルでより乱雑、無秩序であると言え
る。従って、②よりエントロピーはミクロなレベルでの系の無秩序さを表していると考え
て良いであろう。
ここでは、なぜ S = kBlnW という形になるかは示さないが、これまでの考察で S が W の
関数であるということは理解できたであろう。
そこで次に、「自発過程は不可逆であり、エントロピーは増大する」、「エントロピーが
増大する過程は、自発過程であり、不可逆である」という熱力学の第二法則を微視的観点
から解釈するとどうなるかを考えよう。
ここではΓ空間に基づいて考察しよう。(系の全エネルギーと全粒子数が一定という巨
視的条件の下で許される)μ空間における分子の分布のある一つが系の一つの微視状態で
あり、それはΓ空間における一つの点(代表点)で代表される。Γ空間のなかで、系のエ
ネルギーと粒子数が一定という巨視的条件の下で許される全微視的状態=代表点の集合
M を考える。系がこれらの代表点のどの点を占めるのも同等の可能性があるというのが、
*2
等重率の原理である 。
*1 正しくは均等に分配されるのは温度無限大の場合で、有限温度では均等にはならない。
*2 位相空間Γの部分空間 M の中を代表点が移動する様子は、箱の中に閉じこめられた気体の中にお
ける 1 個の分子が運動する様子とある意味似ているかもしれない(位相空間は 6N 次元ではあるが)。
- 65 -
まず、自発変化とは、熱平衡状態へ向かう過程であると考えられる。では、熱平衡状態
を微視的観点からはどのように定義できるであろうか。我々は経験的に最終的には熱平衡
状態にある系を常に見いだしているので、熱平衡状態とは最も実現確率の高い巨視的状態
であることが分かる。結論①は一般的期待できることで、このとき等重率の原理が成り立
っていれば、任意の配置に属する微視的状態が多ければ多いほど、その配置は出現しやす
くなる。従って、他の配置と比較して重み Wj が圧倒的に大きい配置(したがって、ミク
ロのレベルで最も粒子の分布が乱雑で最も確からしい粒子の分配状態)が熱平衡状態であ
ると考えて良いであろう。このように考えて良いのであれば、自発過程は確率的過程とし
て次のように理解される。
粒子は時々刻々移動しているので、系がとる微視的状態は時々刻々変化している。この
とき、巨視的条件が同じという条件下で許されるどのような配置から出発しても、最終的
には系は熱平衡状態になる確率が圧倒的に高い。すなわち、この熱平衡状態に向かう自発
過程は確率的に見て圧倒的に実現確率の高い過程であり、また一度熱平衡状態に達したら
その他の巨視的状態(例えば初期状態)に移る確率は圧倒的に低い。なぜなら、熱平衡状
態はそれ以外の巨視的状態と比べて圧倒的に Wj が大きく、また各微視的状態の実現確率
は等しいので、熱平衡状態以外の巨視的状態を系が取る確率が圧倒的に低いからである。
この意味において、「熱平衡状態に向かう過程(=自発過程)は確率的に見て圧倒的に
実現確率の高い過程で、これは実質的に不可逆であり、(熱平衡状態はそれに属する微視
的状態の数が最大の状態だから)必然的にエントロピーの増大が起きる」。「いろいろな巨
視的状態があるとき、熱平衡状態以外の状態ではそれらに属する微視的状態の数はどれも
相対的にはほとんど零と考えてよいので、必然的にエントロピーが増大する過程は熱平衡
状態(= Wj が圧倒的に多い配置)へ向かう過程(=自発過程)となり、このような過程は
上述のように実質的に不可逆である。」・・・ これが、第二法則の微視的観点からの(=統
計力学的)解釈、不可逆性の確率解釈である(問 3 の答)。この様に、統計力学は第二法
則を実現確率最大という原則に引き直し、これに確率論的な基礎を与えたわけである。
☆ ゆらぎ
このように平衡というものが確率的な意味を持っていることに注意すべきである。この
ような議論が可能なのは、粒子数が莫大だからである。実際、系に属する粒子が少数であ
ったりして系の自由度があまり大きくないと、普通の意味での平衡からの確率的なずれ(=
ゆらぎ)が目立ってくる。これは実験事実である。自由度が小さい系では十分時間が経過
しても(、熱平衡状態になっても)、巨視的な量は著しいゆらぎを見せる。この意味で自
由度の小さい系では温度のような巨視的な量がはっきりと定義されなくなってくる。ゆら
ぎとは系の各自由度の個性が系全体の性質に反映されることであり、系の自由度が大きい
とこの個性は互いに相殺して全体の中に埋没して平均しか観測されないが、自由度が小さ
くなると、系全体として個々の個性を取り込みきれなくなるのである。
☆ 確率論と決定論
ここで、‘圧倒的’とはどの程度のことを指しているのか考えてみよう。全粒子が領域 A
(考察Ⅳ)に閉じこめられている初期状態αと領域 A + B に広がった状態β、それぞれ
- 66 -
の微視的状態の数がどれ程違うかを、位相空間(Γ空間)に基づいて見積もってみよう。N
個の気体分子が領域 A に閉じこめられている状態αにおける微視状態の数 WA は、その状
態に対応する位相空間内の領域の体積 VA に比例する。
VA =∬・・・dq1dq2・・・dq3N ∬・・・dp1dp2・・・dp3N
(a)
領域全体の体積を V とすると、領域 A の体積は V/4 であるから、位置空間の体積は簡単
に計算できて、
VA =(V/4) ∬・・・dp1dp2・・・dp3N
(b)
N
である。一方、領域全体に広がった状態に対応する位相空間の領域の体積 V 全は
V 全= V N ∬・・・dp1dp2・・・dp3N
(c)
である。気体の拡散において、系のエネルギーは変化していないので、位相空間における
運動量空間の体積∬・・・dp1dp2・・・dp3N は拡散の前後で変わらない。この点を考慮して、領
域全体に気体が広がった状態βにおける微視的状態数 W 全と WA の比を求めると、
WA /W 全= VA /V 全=(1/4)N
(d)
となる。
次に実空間に基づいて考察してみよう。粒子の運動は Newton の運動法則に支配される
力学過程であるが、これを確率過程と見なし得るならば、熱平衡状態において粒子 1 個が
領域 A に見出される確率は 1/4 であろう。従って、熱平衡状態において N 個の粒子が領
域 A のみに見出される(初期状態の実現)確率は(1/4)N である。粒子数が Avogadro 数個
程度のとき、この確率は実質的にゼロであり、熱平衡状態から初期状態に移行することは
ないといえる。(1/4)N という値は WA /W 全との比と同じである。
ここで注意すべきことは、実空間に基づく考察は熱平衡状態のみを考慮し、位相空間に基づく考察
は熱平衡状態を含む全巨視的状態を考慮しているにも関わらず、結論は一致しているということであ
る。これは既に指摘したように、状態αにおける熱平衡状態に属する微視的状態の数はほとんど WA に
等しく、状態βにおける熱平衡状態に属する微視的状態の数はほとんど W 全に等しいためである。
(1/4)N という確率がどれ程のものかを見積もってみよう。宇宙の年齢はおよそ 1018 秒で
ある。アトキンス(p.810)によると、1 気圧、25 ℃の気体窒素において、1 個の分子はお
よそ 10-10 秒毎に運動状態を変えている(=衝突している)。そこで、今考えている箱の中
の気体分子の微視状態が 10-10 秒毎に変わると仮定しよう。このとき、この気体分子が宇
宙の誕生以来その微視的状態を変え続けたとして、それはせいぜい 1028 回程度である。も
し、宇宙の誕生以来気体分子を観測し続けていたら、1 回 A という領域に全分子が集まる
ことが観測できたとすると、それはおよそ 1/1028 の確率があったということである。これ
と等しい確率を与える N の値は 46.48 である。(1/4)46.48 = 1/1028。つまり、僅か 50 個程度
の分子の集合でも、全分子が全体の 1/4 の領域に集中する確率は宇宙のタイムスケールで 1
回程度である。粒子数が Avogadro 数個程度のとき、(1/4)N の値がどれ程小さくなるか分
かるであろう*1。圧倒的に大きい、圧倒的に小さい、という表現における圧倒的とはこの
様な値を指しているのである。確率的に取り扱うが、粒子の数が莫大なので、そこから得
られる結論はほとんど確定的である、ことに注意する。
23
*1 粒子の数が Avogadro 数個の場合は、Avogadro 数個程度(3.6 × 10 )の宇宙を用意して、138 億年
観測すると、A という領域に全粒子が集まることを 1 回観測する事ができる。
- 67 -
[考察Ⅶ] 最も確からしい配置(量子的)
これまでは古典的な位相空間(μ空間あるいはΓ空間)における粒子の配置に基づいて
考察してきた。これは「物理化学Ⅰ」で指摘したように、巨視的な体積を持つ気体を構成
する分子の並進運動に関しては、そのエネルギー量子化は実質的には無視できるほど僅か
(=エネルギー準位の間隔が極めて小さい)なので、気体分子の並進運動は古典的に取り
扱うことができるからである。しかし、この問題をエネルギー準位への粒子の分配の仕方
として考えてみよう。
気体分子の並進運動を考えるときのモデルは‘箱の中の粒子’である(
「物理化学Ⅰ」3・1
・1b 参照)。便宜上一次元系で考察すると、そのエネルギー固有値は次式で与えられる。
En = n h /(8mL )
2 2
2
(n = 1, 2,・・・)
このエネルギー準位は[考察Ⅵ]で導入した細胞に対応する。そして、(系の全エネルギー
・全粒子数一定という条件の下で)このエネルギー準位に各気体分子を分配するとき、い
ろいろな配置{nk}が可能である。その一つ一つの配置についてその重み W({nk})を計算す
る。演習問題 18 を参照せよ。
この系のエネルギー固有値は箱の大きさ L に反比例する。従って、エネルギー準位間
の間隔も箱の大きさに反比例し、箱が大きいほど状態密度(=単位エネルギー当たりのエ
ネルギー準位の数)は増大する。温度が同じなら、箱が大きい系の方が分子が占めること
のできる状態(=エネルギー準位)の数が多くなる。その結果、微視的状態数 W も増大
する。従って、量子力学的に考えた場合も、気体の膨張が微視的状態数の増大、エントロ
ピーの増大を導くことがわかる。
ここで、簡単な例で以上のことを確かめてみよう。全粒子数が 10 で、全エネルギーが 21
(h2/(8mL2)単位)であるとする。そして、箱の大きさが L の場合と、2L の場合を考えて
みよう。このときのエネルギー準位は以下のようになる。
L の場合
2L の場合
En = 49/4
En = 9
1
1
9
1
25/4
4
1
1
8
1
4
1
9/4
1
1
6
1/4
2
配置 0
8
2
2
1
2
4
1
1
7
4
1
4
6
1
4
2
2
1
1
3
配置 1 配置 2 配置 3 配置 4 配置 5 配置 6 配置 7
これより高いエネルギー準位ももちろん存在するが、それらを今の条件の下で粒子が占め
ることはできない。膨張(L → 2L)によって、粒子が占めることができるエネルギー準
位が 3 個から 7 個に増大する(=自由度が増大する)ことが分かる。このとき、全粒子数
が 10 で、全エネルギーが 21(h /(8mL )単位)という条件を満たして、これらのエネルギ
2
2
ー準位に粒子を分配すると幾つかの配置が得られる。L の場合は一つの配置しかないが、
- 68 -
粒子が存在できる領域が増大して 2L になると、七つの配置が可能になる。これは考察Ⅳ
の場合と同様である。このとき、粒子が識別できる(仮定Ⅱ)として微視的状態数 W(=
配置の重みの合計)を計算すると、W が増大していることが確かめられる(記述問題 47 参
照)
。
(参考:Boltzmann 分布)第 2 章で紹介した Boltzmann 分布は、系の全エネルギーと全粒
子数が一定という条件の下に、熱平衡状態において実現される、従って、W{nk}が極大を
とる配置=最も確からしい配置における、エネルギー準位への粒子の分布なのである(ア
。
トキンス 16・1 参照)
5・2・3 エントロピーに関するいくつかの考察
a エントロピーはなぜ増大するのか?
ここでは(ミクロなレベルの)系の自由度*1 という言葉を使って、エントロピーの増大則
(=熱力学第二法則)を表現してみよう。ミクロなレベルの系の自由度とはこの場合、μ
空間における粒子の分布の自由度のことであり*2、考察Ⅵでいえば細胞が自由度である。
仮定Ⅰを自由度という言葉で言い換えれば、「分子がどの自由度を占めるのも同等の可能
性を持つ」となる。
何らかの制限によって微視的状態数が小さくなっている状態とは、粒子の分布がある自
由度に偏っている状態である。この制限が取り除かれると、系を構成する粒子が以前と比
較して非常に多くの自由度を使えるようになる。その結果、各自由度への分布の仕方が変
化し、W が増大する。このような変化は自発的で不可逆であり、エントロピー増大が起
きている(例:気体の膨張)。つまり、微視的な自由度の増大 → 微視的状態数の増大 =
エントロピーの増大となる。結局、エントロピー増大則とは、マクロな系を構成する粒
子が系の持つミクロな自由度を万遍なく使ってできる限り無秩序に分布しようとする傾向
を持っている*3、ことを表現しているのである。そして、エントロピー増大則は物体の内
部が微視的にはその自由度を使ってできる限り無秩序になって、その結果巨視的に眺めた
ときにはできるかぎり均一で等方的*4 になろうとする傾向が自然界にあることを示してい
ると考えられる。
このエントロピーの増大は、具体的には粒子の‘ランダム’な運動があるために引き起
こされるのである。物質を構成するミクロな粒子は絶えず熱運動をしており、しかもそれ
が‘ランダム’であるために、エントロピーは増大する方向に向かうのである。これを考
*1 この場合の自由度とか乱雑さという言葉は、ミクロなレベルにおけるものであることに注意する
(巨視的な系にも自由度とか乱雑さは存在する)。一方、エントロピーという言葉はマクロなレベルで
系を記述するときの言葉である。
*2 一般にはミクロな自由度という場合、分子の数や分子自身の持っている内部自由度なども指す。分
子の数が多ければ多いほど、分子を構成する原子の数が多いほど、系の自由度は大きい。p.59 に示し
たエントロピーが増大する例では、分布の自由度以外の自由度が増大している。
*3 ミクロな自由度を万遍なく使っている状態とは、μ空間において最も多くの領域に分子が分配され
た、最も確からしい配置の状態である。
*4 気体の拡散の例なら、濃度勾配のない均一濃度の状態。
- 69 -
察Ⅳで使った簡単なモデルを使って考えて見よう(F1 ページの図を見よ)。分子の数は 4
で、座席の数は 16 であるとする。そして簡単のために次のような仮定をする。
仮定 A:分子は右か左へのみ移動可能。
仮定 B:右へ移動する確率も左へ移動する確率も 1/2、つまりランダムであるとする。
図中で黒丸は分子、白丸は座席を表し、矢印はその方向に分子が移動することを表してい
るとする。また、括弧の中の数値は領域 A と領域 B にある分子の数の比である。
ステップ(2)以降はしばらく分子数の比は 1:1 であったが、ステップ(7)以降は 1:3 に成
る。分子は右にも左にも等確率で動くが、左側に分子が多く存在するときは、実質的には
右へ動く分子の数が多くなる。その結果全体として分子は徐々に右側に移動するようにな
り、最後は均等に分布するようになる。分子が均等に分布した状態では、右へ動く分子と
左へ動く分子の数が等しくなるので、全体としての分子の均等な分布は変化しない。これ
が熱平衡状態である。原理的にこれと同じことをコンピューターシミュレーションで行っ
た様子を F2 ページの図 3-3 に示す。ただしこの場合、粒子の運動は運動方程式を解くこ
とによって求められている。粒子の運動はランダムに見えるが本来は運動方程式に従って
いることをこの講義の最初(p.5)で指摘した。図 3-3 はコンピューターで運動方程式を
解いて粒子の動きをシミュレートしたものであるが、我々の確率モデルと同じ結果が得ら
れている。
この例からも分かるように、分子の運動が‘ランダム’だから、分子はとりうる自由度
全体に分布するようになる(=最も乱雑無秩序に分布する)。分子の運動が‘ランダム’で
はなくても、エネルギーの保存則は成立する。つまり、熱力学第一法則は成立する。従っ
て、一度利用可能な全自由度に分布するようになってから、再びある一部の自由度のみを
使うようになっても(例えば膨張した気体が領域 A に収縮しても)第一法則には反しな
い。しかし、この様なことが起こることを見た人はいない。その理由を熱力学的に説明す
れば、この様なことは熱力学の第二法則に反しているから=自発的にエントロピーが減少
するはずがないから、となる。一方、統計力学的に考えれば、分子の運動は‘ランダム’
なので、その様なことが起こることは確率的にみて不可能であることが分かる。なぜなら、
気体が独りでに収縮するということは、気体分子が全部同じ方向に向かって運動するとい
うことであり、Avogadro 数個の粒子からなる系でこの様なことが起こる確率はゼロに等
しいであろう*1。そして、一度分子が利用可能な自由度全体に分布する状態(=最も乱雑
無秩序な状態)になったら、分子の運動が‘ランダム’であるから、分子が一部の自由度
のみに分布するような状態(=秩序のある状態)になることはない。粒子の熱運動は‘ラ
ンダム’だから、秩序のある状態から秩序のない状態へ自然に変化するが、その逆が自然
に起こることはない(=熱力学第二法則の微視的解釈)。不可逆性の原因が熱運動の‘ラ
ンダム性’にあるといってもよい。
まとめ:キーワードは(ミクロなレベルでの)自由度、分布、無秩序
①(限られた空間に存在する)ミクロな粒子は絶えず熱運動しており、しかもそれは‘ラン
*1 仮に分子が右と左の二方向にしか移動できない一次元系でも、Avogadro 数 NA 個の粒子が一斉に同
じ方向に動く確率は(1/2)
NA
である。この確率は実質上無いと言って良い。
- 70 -
ダム’である。
②その結果、μ空間内で利用可能な分布の自由度全てを万遍なく使う。ある自由度に偏る
ことはない。
③条件が変わって利用可能な自由度が増えると、粒子はその新しい自由度を含めた全自由
度を万遍なく使う。その結果、系の状態は微視的にはより乱雑で無秩序な分布になってお
り、巨視的にはエントロピーが増大している。
b 不可逆変化におけるエントロピー生成を分子論の立場から考え直してみる
不可逆過程におけるエントロピーの生成は、系内での熱移動によって起こることが 5・1
・2 で分かった。ここではそれをミクロなレベルで考え直してみよう。可逆過程では、終
状態に達したとき熱平衡状態なので気体分子はμ空間で最も乱雑に分布している(、エネ
ルギー準位に Boltzmann 分布している)。しかし、不可逆過程で終状態に達した直後の系
は非平衡状態であり、気体分子はμ空間であまり乱雑に分布していない(、Boltzmann 分
布が成立していない)。つまり、利用可能な全自由度を万遍なく使っていない。したがっ
て、分布の乱雑化(=熱平衡状態へ向かう過程)に伴って微視的状態数が増大する=エン
トロピーが生成するであろう。つまり、不可逆過程では変化直後の状態は非平衡状態なの
で、非平衡状態から熱平衡状態への移行に伴うμ空間での分布の乱雑化(=系のミクロな
自由度の利用)が起こるため、微視的状態数が増大する=エントロピーが生成するのであ
る。
c 仕事と熱を分子論の立場から考え直してみる(アトキンス分子論的解釈 2・1、3・1)
熱機関のエネルギー効率を考察することによって、可逆、不可逆過程の意味について重
要な知見を得ることができたが、同時に循環過程においては熱を 100 %仕事に変えること
ができないことも分かった。
これをエントロピーという概念を使って考えてみると、熱は粒子の熱運動を利用した無
秩序な、すなわちエントロピーの高い、効率の悪いエネルギーの移動形態であり、仕事は
組織的な粒子の運動を利用した秩序のある、すなわちエントロピーの低い、効率のよいエ
ネルギーの移動形態であるといえる。熱伝導とは、ミクロのレベルで見ると、粒子間の非
弾性衝突によるエネルギーの授受である。
これはエネルギー輸送としては大変効率が悪い。
秩序の高い(=エントロピーの低い)エネルギーとは、一部の自由度にのみエネルギー
が集中している状態であり、秩序の低い(=エントロピーの高い)エネルギーとは、より
多くの自由度にエネルギーが散逸している状態である。エネルギー変換プロセスで重要な
ことは、秩序の高いエネルギーを秩序の低いエネルギーに変えてしまわないことである。
第 4 章の考察Ⅲで見たように、不可逆過程では必ず仕事が熱に変わってしまい、エントロ
ピーが増大する。つまり、エントロピー生成は系の中でエントロピーの低いエネルギーが
エントロピーの高いエネルギーに変わることによって起こる、ということができる。この
変化に伴って、系の中である自由度に偏っていたエネルギーの配分を受け取るミクロな自
由度の数が増大する。
したがって、熱を仕事に変換することは基本的にはエントロピーの減少を意味し、その
結果、熱を 100 %仕事に変換することができないと考えることができる。熱が仕事に 100
- 71 -
%変換するとは、ミクロのレベルでいえば、(全ての自由度を使った)粒子の‘ランダム’
な熱運動が、あるときいっせいに(一部の自由度しか使わない)ある方向にそろった秩序正
しい運動になるということである。もしそのようなことができたら、空気中の熱エネルギ
ーを仕事に変えて(その分気温は下がる)、車でもクーラーでも動かすことができるであ
ろう。
問題とするエネルギーがどれだけ多くの運動の自由度にばらまかれているか(、散逸し
ているか)によってエネルギーの質が決まる。より低級なエネルギーとは同じ量のエネル
ギーであっても系の中のより多くの自由度に配分(、散逸)されたエネルギーということで
ある。
「エネルギーを消費する」ということは、エネルギーを使ってしまうことではなく、
「役に立つ(=質の高い=エントロピーの低い)エネルギーを役に立たない(=質の低い=
エントロピーの高い)エネルギーに変えてしまう」ことである。つまり、「エネルギーを消
費する」ということは、エントロピーを増大させることに他ならないので、熱力学的には
「エントロピーを増大させる」と言い換えた方が適切である。
d 熱力学第一法則と第二法則のまとめ
エネルギーは保存される(第一法則)が、変換される。どのように変換されるかという
と、よりエントロピーの高い(=質の低い)エネルギーに自発的に変換される(第二法則)
。
そして、一度エントロピーの高いエネルギーに変換されたら、自発的にエントロピーの低
いエネルギーに戻ることはない。つまり、エネルギーはその量は保存されるが、その形態
は変換され、その際その質は低下していき(、劣化していき)自発的に向上することはな
い。
以上の文章をエントロピーという言葉を使わないで表現してみよう。エネルギーは保存
される(第一法則)が、ミクロな自由度へのエネルギーの分布の仕方が変わる。どのよう
に変わるかというと、より多くの自由度にエネルギーが分布するようになる(第二法則)
。
そして、一度より多くの自由度にエネルギーが分布されたら、自発的にある一部の自由度
にのみエネルギーの分布が偏る(、集中する)ようなことは起きない。つまり、エネルギ
ーは量は保存されるが、質が低下する(より多くの自由度に散逸していく)傾向を持って
いる(そしてその原因は粒子の運動の無秩序さにある)
。
熱力学第二法則は、エネルギーのミクロな自由度への分布の仕方に関する法則である、
と言える。
5・3 物質のエントロピー
5・3・1 いろいろな過程のエントロピー変化(アトキンス 3・3)
一般的なエントロピー変化の式は
Δ S = ∫ d'qrev/T
(一般的)
(4a)
である。温度一定のときは、
Δ S = (1/T)∫ d'qrev = qrev/T
(等温)
(6)
体積一定のときは、d'q = CV dT より
Δ S =∫ TiTfCV dT/T =∫ TiTfCV dlnT
(定積、PV 仕事のみ)
- 72 -
(71)
= CV ln(Tf/Ti)
(定積、PV 仕事のみ、CV 一定)
(72)
圧力一定のときは、d'q = CP dT より
Δ S =∫ Ti CP dT/T =∫ Ti CP dlnT (定圧、PV 仕事のみ)
Tf
(73)
Tf
= CP ln(Tf/Ti)
(定圧、PV 仕事のみ、Cp 一定)
(3・19)(74)
である(ln = loge(自然対数))。
PV 仕事のみを考慮した場合の一般式は、(4a)式に(50)式 d'qrev = dU + PdV を代入して
Δ S = ∫ dU/T + ∫ PdV/T
(PV 仕事のみ)
(51)
となる。理想気体の場合は、
Δ S =∫ TiTfCV dT/T + nR ∫ ViVfdV/V
(52)
=∫ Ti CV dlnT + nR ∫ Vi dlnV (理想気体、PV 仕事のみ)
Tf
Vf
= CV ln(Tf/Ti)+ nRln(Vf/Vi)
*1
= CP ln(Tf/Ti)+ nRln(Pi/Pf)
(理想気体、PV 仕事のみ、CV 一定) (53)
(理想気体、PV 仕事のみ、CP 一定) (75)
となる。最後の式は(4a)式に d'qrev = dH - VdP を代入しても得られる。さらに温度一定
の条件を課すと、
Δ S = nR ∫ ViVfdV/V = nR ∫ ViVfdlnV
(76)
= nRln(Vf/Vi)= nRln(Pi/Pf) (理想気体、PV 仕事のみ、等温)
(3・13)(77)
エントロピーの等温下での圧力依存性は第 7 章で出てくる Maxwell の関係式の一つ
(∂ S/∂ P)T = -(∂ V/∂ T)P = -α V
(78)
を使って、
Δ S = Sf - Si = -∫α VdP
(等温)
(79)
と表される。ここで、αは第 2 章で出てきた膨張率である。理想気体の場合はα= 1/T な
ので、
Δ S =-∫(V/T)dP =- nR ∫ dP/P = nR ln(Pi /Pf)= nR ln(Vf/Vi)
(80)
となる。つまり、(77)式と同じになる。
融解や蒸発・沸騰のような相転移に伴うエントロピー変化Δ trsS は、一定圧力の下では、
Δ trsS = Δ trsH/Tt
(定圧)
(3・16)(81)
で与えられる。ここで、Δ trsH は転移エンタルピー、Tt は転移温度である。
以上の式を見て分かるように、熱量測定によって任意の温度での物質のエントロピーを
求めることができる。例えば温度 T で気体である物質のエントロピー S(T)は、
S(T)= S(0)+∫ 0TfCp(s)dT/T +Δ fusH/Tf +∫ TfTbCp(l)dT/T
+Δ vapH/Tb +∫ TbTCp(g)dT/T
(3・20)(82)
で与えられる(アトキンス数値例 3・4 を参照せよ)。
ここで物質のエントロピーがどの様に温度変化するかを、アトキンスの図 3・14 で見て
みよう。各相とも、温度が上がるにつれてエントロピーが増大している。これは運動の乱
雑さが増大し、熱膨張するので配置空間の乱雑さも増大するからである。また、相転移に
よってエントロピーが不連続に変化している。これは系の体積が不連続に変化するので、
配置の乱雑さが大きく変化するからである。さらに蒸発のエントロピー変化Δ
vap
S は融解
*1 右辺の第 1 項は運動量空間での、第 2 項は位置空間でのエントロピー変化を表す。温度が変化する
と、体積が変化すると、それぞれ、運動量空間、位置空間での自由度が変化する。
- 73 -
のそれΔ fusS よりはるかに大きいことに気づく(アトキンス表 3・1 参照)。これは対応するエ
ンタルピー変化の違い*1 と、系の体積変化の違い*2 による運動と配置の乱雑さの変化の違
いによる。
☆ エントロピー変化の計算例
最後に、物質のエントロピー変化の計算例を示しておこう。
(問)1 bar のもとで- 13 ℃に過冷却された 1 mol の水がある。これが同圧の下で同温度の
氷に凝固する場合のΔ H とΔ S を計算せよ。ただし、水と氷の定圧熱容量はそれぞれ 75.2
J K-1 mol-1、36.2 J K-1 mol-1、0 ℃における氷の融解エンタルピーは 6.03 kJ mol-1 とし、熱容
量は今問題にしている温度範囲で一定であるとする。
(答)ここで重要なことは、- 13 ℃の水が- 13 ℃の氷に凝固する過程は不可逆であるが、
このときの系のエンタルピー変化Δ H やエントロピー変化Δ S は、変化の過程が不可逆
であれ、可逆であれ同じということである。したがって、実際には不可逆的に起こる過程
のΔ H やΔ S は、仮想的な可逆過程を考えることによって計算出来る。
そこで次の様な過程を考える。
b
過程 a:- 13 ℃の水を 0 ℃の水に準静的に変える。
0℃ ・
過程 b:0 ℃において凝固させる。
・
a
(これは水と氷の転移を可逆的に起こせるので、可逆過程である。)
c
- 13 ℃ ・ 不可逆 ・
過程 c:0 ℃の氷を- 13 ℃の氷に準静的に変える。
水
氷
各過程におけるエンタルピー変化とエントロピー変化は次のように計算される。
過程 a: Δ Ha =∫ CPdT = Cp Δ T = 75.2 × 13 J mol-1 = 978 J mol-1
(83)
Δ Sa =∫ CPdT/T = Cpln(Tf/Ti)= 75.2 × ln(273/260)= 3.67 J K mol
-1
過程 b: Δ Hb =- Δ fus H =- 6.03 kJ mol
-1
(84)
-1
(凝固は発熱過程)
-1
Δ Sb =-Δ fus H/Tf =- 6030/273.15 =- 22.0 J K mol
(85)
-1
(86)
過程 c: Δ Hc =∫ CPdT = Cp Δ T = 36.2 ×(- 13) J mol =- 470 J mol
-1
-1
Δ Sc =∫ CPdT/T = Cpln(Tf/Ti)= 36.2 × ln(260/273)=- 1.76 J K mol
-1
(87)
-1
(88)
従って、全体のΔ H ○とΔ S ○はこれらの合計である。
Δ H ○(260 K) = Δ Ha + Δ Hb + Δ Hc = - 5.52 kJ mol-1
(89)
Δ S ○(260 K) = Δ Sa + Δ Sb + Δ Sc = - 20.1 J K-1 mol-1
(90)
エンタルピーやエントロピーは状態関数なので、変化の道筋が可逆であれ、不可逆であれ
同じ値である。従って、これらが 1 bar の下で- 13 ℃の水が- 13 ℃の氷に凝固するとき
の転移エンタルピーΔ fus H ○(260 K)と転移エントロピーΔ fus S ○(260 K)である。これに対
して、1 bar の下で 0 ℃の水が 0 ℃の氷に凝固するときは、転移エンタルピーΔ fus H ○(273
K)=Δ Hb、転移エントロピー Δ fus S ○(273 K)=Δ Sb である。
宇宙のエントロピーは(7)式Δ Suniv =Δ S +Δ Stherm で与えられる。外界のエントロピー
は系との熱交換によってのみ起こる。この熱交換は過冷却水が氷になるときに行われたの
*1 3・1・4 転移エンタルピーを参照せよ。固体をゆるめて液体にするよりも、液体の分子を気相に脱出
させる方がずっと多くのエネルギーを消費しなくてはならない。
*2 固体が液体になるときより、液体が気体になるときの方がずっと体積変化が大きい。
- 74 -
で、定温過程である。従って、Δ Stherm =-Δ H/T である。Δ H =Δ H ○(260 K)、
T = 260.15 K
なので、
Δ Suniv =- 20.1 J K- mol- +(+ 5.52 kJ mol- )/260.15 K = 1.12 J K- mol1
1
1
1
1
(91)
となる。宇宙のエントロピー変化が正なので、この過程が自発過程であることが分かる。
5・3・2 エントロピーの特性
a 融解エントロピー
幾つかの単原子から成る金属と有機化合物の融点 Tm、融解エンタルピーΔ fus H、融解エ
ントロピーΔ fus S の値を以下の表に示す。
Tm / K
Δ fus H / kJ mol-
Δ fus S / J K-1 mol-
水銀
234.3
2.33
10.0
亜鉛
692.8
6.57
9.5
銅
1357.7
13.3
9.8
属
白金
2045
21.7
10.6
有
メタン
90.7
0.937
10.33
機
エタン
89.9
2.86
31.8
化
プロパン
85.5
3.53
41.3
合
シクロプロパン
145.8
5.30
36.4
物
ベンゼン
278.7
9.95
35.7
物
金
質
1
1
この表からも分かることであるが、一般的に融解エントロピーに関して次のようなこと
がいえる。
・単原子金属:それぞれの原子間の結合の強さが異なっているため、その融点、融解エン
タルピーの値にはばらつきがあるが、融解エンタルピーを融点で割った値(すなわち融解
エントロピー)は物質に依らずほぼ一定の値(R = 8.314 J K-1 mol-1 程度の値 )になる*1。
これは結晶状態のときと、融解によって生じた系(これを液体金属という)の乱雑さの度
合いの差が、どの金属でも類似していることを示している。これらの系はどれも球形の原
子からできているので、結晶状態と液体状態の秩序度が物質の種類によらず似ていると予
想される。
・有機化合物:固体状態において分子間は van der Waals 力と呼ばれる弱い相互作用で結
ばれているので、金属に比べて融点も低く、融解エンタルピーも小さい。エントロピー変
化は、原子と比較して複雑な形状の分子(分子は内部自由度を持っている)が乱雑な状態
*1 Richards(リチャーズ)の規則によると、融解のエントロピーは
Δ fusS ~ 8n J K
-1
-1
mol
になる。ここで、n は分子を構成する原子の数である。例示した金属はすべて n = 1 である。この規則
は一般にはあまりよく成立しない。単原子金属などで例外的に成立する。
- 75 -
(つまり中性液体あるいは分子性液体)になるので、自由度が大きい分 Δ fus S の値は金
属の場合よりも大きく、かつ物質によってばらつきがある。これらの系は内部自由度が物
質によって異なるため、融解に伴うエントロピー変化(=自由度の獲得)も物質によって
かなり異なると予想される。
b 蒸発エントロピー
蒸発エントロピーに関しては次の Trouton(トルートン)の規則が知られている。
Trouton の規則:標準沸点(標準状態での沸点)Tb ○における蒸発エンタルピーΔ vapH ○(Tb ○)
と標準沸点との比*1 は、経験的に多くの液体でほぼ等しい値(約 85 J K-1mol-1)になる(ア
トキンスデータ部表 3・2 参照)
。
Δ Svap ○(Tb ○) = Δ Hvap ○(Tb ○)/Tb ○ ~ 85 J K- mol1
1
(92)
しかし、これには以下のような例外がある(アトキンス分子論的解釈 3・2 参照)。括弧内の数
値の単位は J K- mol- 。
1
1
例外 1:ヘリウム(20.0)、水素(44.3)
、エタン(79.8)など標準沸点の低い物質は負のず
れを示す。これらの物質は沸点が低い(ヘリウム(4.2 K)、水素(14 K)
、エタン(184 K))
ので、その温度での気体状態のエントロピーが小さいため負のずれを示す。逆に水銀の沸
点(630 K)は高いので、正のずれ(94.2)を示す。
例外 2:酢酸(62.4)、ぎ酸(64.5)なども負のずれを示す。これらは気相で水素結合によ
り二量体を作っているため、気体状態での分子配置に秩序性が残っているので、気体状態
のエントロピーが小さい。従って蒸発によるエントロピー変化も小さくなるのである。
例外 3:水(109.1)、メタノール(104.1)、エタノール(110.0)では正のずれを示す。こ
れらの物質は液相で水素結合によりクラスター、あるいは分子会合構造を形成しているた
め、液体状態における分子配置に秩序が存在する。気相ではこのようなクラスターは形成
されないので、蒸発のエントロピーは大きくなる。
では、なぜ Trouton の規則が成立するのであろうか?気相と液相のエントロピーの差は、
ほとんどそれらの占める体積の差に起因する配置の乱雑さの差によると考えられる。そこ
で Boltzmann の原理に基づいて、簡単な計算をしてみよう。1 mol の液体の占める体積を Vl、
その液体が気体になって占める体積を Vg とする。体積が Vg の空間にある 1 個の粒子が、
その空間の一部である体積が Vl の空間に存在する確率は(Vl/Vg)である。したがって、NA
個の粒子が全て Vl という空間に存在する確率は Wl =(Vl/Vg)NA に比例する。一方、NA 個の
粒子が全て Vg という空間に存在する確率は Wg =(Vg/Vg)NA = 1 である。液体状態と気体状
態における熱平衡状態の微視的状態数が上記の確率に比例すると仮定すると、Boltzmann
の原理から、液体状態と気体状態のエントロピーの差は、
Δ S = S(g)- S(l)= kBln(Wg/Wl)= kBln(Vg/Vl)NA = Rln(Vg/Vl)
(93)
1 mol の気体の体積を 24.790 L(298.15 K、1 bar)とすると、RlnVg(ml)= 84 J K-1 mol-1
となる。このようにエントロピーの差は体積比の対数で表され、かつこの比は系によらず
*1 つまり標準沸点における蒸発エントロピーΔ vapS ○(Tb ○)で、これは標準沸騰エントロピーでもある。
液体は沸点以下の温度でも蒸発するので、蒸発エントロピーはそのような温度領域でも定義できるこ
とに注意する。
- 76 -
ほぼ一定なので、蒸発エントロピーは一定の値を示すことが分かる。
5・3・3 熱力学第三法則(アトキンス 3・4)
a 絶対零度
ほとんどの化学反応は可逆過程ではない。実際に熱量測定を行うときは、急速にかつ完
全に進行する反応を用いる。しかし、ある種の反応は、可逆的あるいはそれに近い状態で
進行すると見なすことができる。その場合、反応のエントロピー変化を実験的に求めるこ
とができる。ところで、ある温度 T における反応のエントロピー変化Δ S(T)は、0 K に
おけるエントロピー変化Δ S(0)に生成物と反応物の温度を 0 K から T まで上げたときの
それぞれのエントロピーの増加分[S(T)- S(0)]の差を加え合わせたものである。
Δ S(T) = Δ S(0)+∑ J ν J [S(T)- S(0)]J
(94)
したがって、式(82)から分かるように熱容量測定等をすることによって、Δ S(0)を計算
することができる。その結果はΔ S(0)= 0 であった*1。つまり、絶対零度では生成物と反
応物のエントロピー差はゼロである。いくつかの反応についてΔ S(0)を求めることによ
って、絶対零度においては、すべての化学反応に関わる生成物と反応物のエントロピーは
等しいと結論できることが示された。これは、絶対零度においてはすべての(熱力学的に
最も安定な状態にある)物質が同じエントロピーを持っていることを示唆している。
b 熱力学第三法則(Nernst-Planck の定理)
Nernst の熱定理
「固相のみが関与する化学反応に伴われるエントロピー変化Δ S は、0 K の極限で零となる。」
「液相及び固相での等温・等圧的な物理的、化学的変化において、エントロピーの変化Δ S は絶対温
度とともに零に近づく。」
「同一物質の異なる相の間での転移が等温変化で起こるとき、そのエントロピー変化Δ S は絶対温度
が零の極限で零になる。」
「内部平衡にある相だけが関与するすべての等温過程に対して、そのエントロピー変化Δ S は絶対温
度が零の極限で零になる。」
M.Planck
◎「すべての純物質の完全結晶のエントロピーは絶対零度で零である。
」
S(0)= 0
(95)
「単一成分を持つ均質な物質のエントロピーは、絶対零度に近づくに従い、物質の種類、相、圧力に
無関係な一定の値に近づく。」
「熱平衡状態にある物質や場からなる系のエントロピーの絶対零度における値は常に零となる。」
「絶対零度において完全な結晶状態にあるすべての元素のエントロピーは零である。」
絶対零度において最も安定な状態にある物質の持つエントロピーはどれも同じなので、
全ての純物質の完全結晶のエントロピーを便宜上零とすれば、全ての物質は任意の温度で
正のエントロピーを持つようにすることができる。第三法則に基づいて、すなわち絶対零
度におけるエントロピーを零として熱力学測定((82)式)により求められたエントロピー
*1 アトキンス数値例 3・5 に斜方硫黄と単斜硫黄の間の転移エントロピーが例として紹介されている。
- 77 -
を第三法則エントロピーということがある。
絶対零度では物質を構成する粒子はすべて可能な限りエネルギー最低の状態
(基底状態)
を取るようになるであろう。そして、基底状態の粒子配置はただ一通りに決まるはずであ
る。すなわち微視的状態数 W = 1、したがって Boltzmann の原理より S = 0 が導かれる。
この様に Boltzmann の原理に基づいて考えれば、熱力学第三法則の理解は容易であるし、
絶対零度で S = 0 としたことに根拠を与えていると考えることができる。これに対して、
微視的状態数を古典的な位相空間に基づいて考えたとき、W = 1 は得られない。この意
味で第三法則は量子力学的な法則である。固体の熱容量が絶対零度に近づくと零になるこ
とは古典的には理解できない現象であるが、以下に示すように、熱力学第三法則から熱容
量が絶対零度に近づくと零になることが導かれる。温度 T で固体である物質のエントロ
ピーは式(82)より、
S(T)= S(0)+∫ 0TCp(s)dT/T
で与えられる。しかし、第三法則により上式右辺第 1 項は消えるから、
S(T)=∫ 0TCp(s)dT/T
となる。T = 0 におけるこの積分の値は第三法則より、零のはずであるから、次式が成立
しなければならない。
limT=0Cp(s)= 0
第三法則から、「絶対零度には有限回の操作では到達することができない(絶対零度到達
不可能の原理)」ことが導かれる。これについは後学期の「化学統計熱力学」で扱う。
☆ 第三法則と零点運動
「物理化学Ⅰ」で、有限の領域に閉じこめられた量子力学的粒子は不確定性原理のため、
絶対零度でも静止することができない=運動している、ことを考察した。具体的には、結
晶格子の零点振動や金属内の伝導電子の零点運動が挙げられる。これらは、有限温度にお
ける熱運動とは違い、つまりランダムではなく、完全に秩序のある運動である。従って、
第三法則は成立していると考えられる。
c 残余エントロピー(アトキンス分子論的解釈 3・3、17・7)
第三法則に見かけ上従わない、つまり絶対零度で有限のエントロピーを持つ物質が存在
する。それは内部平衡が成立せず、絶対零度にいたるまで非平衡のまま乱れが凍り付いた
(=固定された)系である。そのような系は微視的状態を幾つも持っているので、絶対零
度でも有限のエントロピーを持っている。これを残余エントロピーと呼ぶ。
例:CO
測定値
193.3 J K-1 mol-1 (298.15 K、第三法則エントロピー)
計算値
197.6 J K-1 mol-1
差
4.3 J K-1 mol-1
計算値
水
5.76 J K-1 mol-1
測定値
185.27 ± 0.20 J K-1 mol-1(298.15 K、第三法則エントロピー)
計算値
188.66 J K-1 mol-1
差
3.39 J K-1 mol-1
- 78 -
計算値
3.37 J K-1 mol-1
(L.Pauling、アトキンス数値例 17・2 参照)
この状態は従って熱平衡状態ではないが、それに匹敵するほど安定な状態である。この
ような非平衡安定状態を準安定状態という。熱力学的には準安定状態は熱平衡状態へ移行
する状態であると考えられるが、その移行のタイムスケールが非常に長くなれば(、天文
学的数字であれば)、人間のタイムスケールからは熱平衡状態にあるように見える。言い
換えれば、速度論的に安定化されているのである。ガラスはそのような状態である。
例えば CO の場合、この分子が結晶中である方向を向いて並んでいるとき、CO という
向きか OC という向きで並んでいるかが完全に一つの向きに決まっている状態が基底状態
である。つまり、どちらかの向きに揃って向いた方がエネルギー的に安定なはずである。
しかし、この場合どちらの向きを向いてもエネルギー的にほとんど差がないので、二つの
向きが混ざった状態(つまり乱れた状態)のまま絶対零度になってしまう(これを乱れが
凍結すると表現する)のである。Boltzmann の原理に基づいてこのときの系のエントロピー
を計算すると、一つの分子は二つの向きをとることができるので、自由度 W = 2 である。
Avogadro 数の分子が存在するとき系全体の微視的状態数は W = 2NA である。従って、S =
kBlnW = kBln2NA = Rln2 = 5.76(J K-1 mol-1)と計算される。これは実測値 4.3 J K-1 mol-1
に近い値であり、この単純なモデルが基本的に正しいことを示している。
5・3・4 標準エントロピー(アトキンス 3・4(b))
a 標準エントロピー
任意の物質の持つエンタルピーとして、3・2 で標準生成エンタルピーΔ fH ○を導入した。
標準生成エンタルピーを決めるためには基準が必要であったが、物質のエントロピーは基
本的に熱力学第三法則を満たすとすれば、絶対零度のエントロピーをゼロとして基準とす
ることができる。標準エントロピー S 〇(T)は、与えられた温度 T における圧力 1 bar のも
とでの物質 1 mol 当たりのエントロピーで、単位は J K-1 mol-1 である(アトキンス表 3・3
参照)
。
化学反応に伴うエントロピー変化、すなわち、任意の温度と圧力の下で熱平衡状態にあ
る反応物が別々に存在している状態から、任意の温度と圧力(通常は同温同圧)の下で熱
平衡状態にある生成物が別々に存在している状態までのエントロピーの変化を、反応エン
トロピーΔ r S という。特に圧力が 1 bar の場合のモル反応エントロピーは標準反応エント
ロピー Δ r S 〇と呼ばれ、標準エントロピー S ○(J)と、化学量論係数ν J を使って、
Δ r S 〇=∑ J ν J S ○(J)=∑生成系ν S ○-∑反応系ν S
○
(3・21)(96)
と表される。つまり、標準反応エンタルピーの場合と同様に、標準反応エントロピーΔ r S
〇
も個々の物質の標準エントロピーが分かっていれば上式を使って計算することができる
(アトキンス数値例 3・6 を参照せよ)。
b 水溶液中の物質の標準エントロピー
3・2 で水溶液中の物質の標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq)を定義したように、水溶液中
の標準エントロピー S 〇(aq)を導入する。これは任意の温度 T において圧力 1 bar のもと
にある水溶液中の物質 1 mol 当たりのエントロピーである。さらに、水溶液中のイオンの
- 79 -
標準生成エンタルピーを定義したように、イオン標準エントロピーは、水溶液中の H+イ
オンのエントロピーをゼロとすることによって、定義される。
S 〇(H , aq) = 0
[3・22](97)
+
これは、あるイオンの持つエントロピーが、対イオンが何であろうとも変わりがないと仮
定することを意味している。S 〇(H+, aq)を基準にしているので、イオン標準エントロピー
は正にも負にもなることに注意する。例えば、Cl-(aq)のエントロピーは 56.5 J K- mol- で、
1
1
Mg (aq)のエントロピーは- 138 J K- mol- である。
2+
1
(1/2)Cl2(g) → Cl-(aq)
1
1
1
S 〇(Cl-, aq)= 56.5 J K- mol-
(98)
イオン標準エントロピーの値の違いは具体的にはどのような秩序の違いに依るのであろ
うか?それは水溶液中のこれらのイオンの周りの秩序の違いなのである。つまり、Cl-、H+、
Mg の順にエントロピーが低下するということは、その順にそれらのイオンの周りに水が
2+
引き寄せられて水和構造(一般的には溶媒和構造)という局所的な構造がより秩序高く作
られることを意味している。これは静電的な相互作用に依るので、電荷量が大きいほど、
電荷が同じならば大きさが小さいほど、秩序が発達することになる。これは物質の溶解度
とか溶液の物性を理解するとき非常に重要であるが、より詳しくは 6・1・4c で考察する。
c 水和エントロピー
3・3・3 で気体状イオンの標準水和エンタルピーΔ hyd H ○ を定義したように、標準気圧下
の気体状イオン対を水で無限に希釈した際に生じたエントロピー変化を気体状イオンの標
準水和エントロピー Δ hyd S ○という。さらに、水溶液中の各イオンについてイオン標準水
和エンタルピーを定義したように、標準大気圧の気体状イオンが溶質である場合はイオン
1
1
2+
標準水和エントロピーが定義される。例えば、Cl-のΔ hyd S ○(Cl-)は- 89.8 J K- mol- で、Mg
のΔ hyd S ○(Mg2+)は- 260 J K-1 mol-1 である
Cl-(g) → Cl-(aq)
Δ hyd S 〇(Cl-)=- 89.8 J K- mol-
Mg (g) → Mg (aq)
Δ hyd S 〇(Mg )=- 260 J K mol
2+
1
2+
〇
2+
-1
1
-1
(99)
(100)
イオン標準エントロピーは S (H , aq) を基準にしているので、正にも負にもなるが、イ
+
オン標準水和エントロピーの値は常に負になる。これは気体状イオンが溶液に移り、並進
エントロピーを失うためである。その上、水分子にイオンによる電場効果が加わるので、
小さく、電荷数の多い中心イオンのまわりの水の構造(水和構造)はより秩序化する(=
エントロピー減少)*1。従って、イオン標準エントロピーと同様に Cl-、Mg2+の順にエント
ロピーが低下している。
有機化合物の水和エントロピーもやはり負の値をとる。例えば、
メタン(- 130.5 J K-1 mol-1 )
、エタン(- 140.6)、ホルムアルデヒド(- 128)
これらはいずれも気体の水和であるが、例えば液体のアセトアルデヒドの水和エントロピ
ーは- 68 J K-1 mol-1 で、やはり負の値である。このときなぜ、エントロピーが減少するか
については次章 6・1・4e で説明する。
-
*1 式(99)のエントロピー変化とは、Cl (g)と水が別々にある状態と水にイオンが溶けた状態のエント
ロピーの差である(3・1・2 参照)。
- 80 -
d 物質の化学構造とエントロピーの関係(F3 ページの図参照)
図 2.2: 気体、固体に関わらず、周期表で同じ族に属する単体物質では、標準エントロピ
ーは原子量の増加とともに単調に増加する。特に 0 族(18 族)は質量の対数に比例して
いる。これは次のように説明される。量子力学によると、(箱の中の粒子)並進運動のエ
ネルギー準位およびそれらの間隔はアトキンスの p.289 式(9・4a)および p.290 式(9・7)から
分かるように、質量に反比例する。したがって、同じエネルギーを持つ原子を比較したと
き、質量が重い原子ほどより多くの(並進)量子状態を持つ(=状態密度が大きくなる、つ
まり並進運動の自由度が大きくなる) 。その結果、気体分子の各エネルギー準位への分
*1
配の仕方(=配置)に基づく分子の組み合わせである微視的状態の数が増大する。そのた
め質量が大きくなるにしたがってエントロピーが増大するのである 。
*2
図 6・7: 原子数、分子構造が同じで、質量の異なる分子を比較すると、分子量の対数と
標準エントロピーはほぼ比例している。同族の原子、あるいは原子数、構造が同じ分子で
は、質量が大きいものほどその標準エントロピーも大きくなる 。
*3
図 2.3: 炭素数(原子数)の増加とともにエントロピーは急速に増加する。これは分子の内
部自由度の増加と質量の増加のためである。脂肪族化合物に比べて芳香族化合物のエント
ロピーが小さいのは、芳香族化合物は環構造をとり、内部自由度の束縛があるからである。
図 6・8: 分子量をほぼ一定としたときエントロピーが分子の複雑さによってどう変化す
るか。原子数が増えるとエントロピーも増える。これは原子数の多い分子ほど内部自由度
が大きいためである。
5・3・5 混合エントロピー(アトキンス 5・2)
2 種類以上の異なる気体、液体または固体物質(粉粒体)どうしを混ぜ合わせて、均質
な気体、液体、固体の混合物(したがって、多成分系である)にする操作を混合という 。
*4
そして、この均一な相を作っている混合物を溶体と言い*5、相が気相、液相、固相の場合、
それぞれを混合気体、溶液、固溶体と呼ぶ。また、混合によって溶体が生じる現象を溶解
という。溶体の主たる成分を溶媒、それ以外の成分を溶質と呼ぶ。溶体では溶媒中に溶質
成分が均質に分布し全体として均一の相を作っている。溶体はあくまでも混合物であり化
合物ではない。溶媒と溶質の間に弱い相互作用はあるが、化学反応を起こして別の化合物
ができているわけではない。化学反応を伴わない物理的操作や機械的な方法(蒸留、濾過、
*1 分子の並進運動の量子化は無視できる、古典的な運動方程式で記述可能であることを「物理化学
Ⅰ」で指摘したが、このエントロピーの考察から、並進運動も振動運動や回転運動と同様に確かに量
子化されていることが確認できる。
*2 単原子分子理想気体のエントロピーは S = A + Blnm(m は原子量、ln = loge(自然対数))で与え
られることが示される。アトキンス 16・7 参照。
*3 多原子分子理想気体のエントロピーも、振動の寄与が無視できるとき、近似的に S = C + Dlnm(m
は分子量)で与えられることが示される。詳しくは 3 年前学期の「化学統計熱力学」で取り扱う。
*4 混合物という意味では、純物質に別の物質が吸着あるいは吸蔵したものも混合物といえる。
*5 混合物という言葉は不均一に(二相以上に)混ざり合っているものも含めて使われるので、混合物
=溶体ではない。均一な(一相だけの)混合物=溶体である。
- 81 -
分別沈殿、遠心分離、吸着など)により、単一な純物質(単体または化合物)に分離する
ことができる物質集合体が混合物、溶体である。
物質を混合するとエントロピーが増大する。これは分子論的に考えれば次のように説明
される。例えば、A という分子と B という分子があったとする。簡単のために一次元の
座席があるとする。それぞれの分子が分離しているときは、
AAAAAAAAAAAA
BBBBBBBBBBBB
という並び(=微視状態)しかないが、これを混合すると、
ABABABABABAB
とか
AABBAABBAABB とか
いろいろな組み合わせ(=微視状態)が生まれる。従って、Boltzmann の原理よりエント
ロピーが増大することが分かる。
理想気体を混合したときのエントロピー変化がどれ程になるかを考えてみよう。混合前
の気体 A 及び気体 B の圧力はともに P であるとする。そして、混合後の気体の圧力も P
になるようにする。このとき気体 A の分圧を PA、気体 B の分圧を PB とする。エネルギ
ーに変化はないので、この混合は等温過程である(アトキンス図 5・6 参照)。従って、この
ときのエントロピー変化は(77)式より、
Δ mixS = nARln(P/PA)+ nBRln(P/PB)
(等温等圧*1)
(101)
となる。ここで、nJ は分子の物質量。モル分率を使ってこの式を書き直すと、xJ = PJ/P
= nJ/n より混合エントロピーは、
Δ mixS =- nR(xAlnxA + xBlnxB)
(等温等圧、理想気体)
(5・19)(102)
となる。このとき、混合エントロピーは系の温度と圧力には無関係で、物質量とモル分率
(つまり分子の数)にのみ依存することが分かる。Δ
S のモル分率に対する依存性がア
mix
トキンスの図 5・9 に載っている。A と B を等量混ぜたとき最もエントロピーが増大する
ことが分かる。同じ温度と圧力のもとにある J 種類の単独成分から、同じ温度と圧力の混
合気体を作るときのエントロピー変化は
Δ mixS =- nR ∑ J xJ lnxJ
(等温等圧、理想気体)
(102')
で与えられる。ここで、n は混合気体の物質量である。モル分率は 1 以下なので、Δ
mix
S
は必ず正になることが分かる。混合前の各成分の圧力と混合気体の圧力が異なるときのΔ
mix
S は(77)式から求められる。
(参考)式(102)を Boltzmann の原理を使って導いてみよう。気体 A が NA 個、気体 B が NB 個、合計 N
個の粒子が存在するとき、この N 個の粒子を入れ替える仕方は N!である。同じ粒子は区別がつかない
ので、任意の微視的状態を考えたとき、その中で同じ粒子どおしを入れ替えて得られる微視的状態は
元の微視的状態と同一である。したがって、微視的状態の数 W は
W = N!/NA!NB!
(103)
となる。Boltzmann の原理より
S = kBlnW = kB(lnN!- lnNA!- lnNB!)
=- kB(NlnN - N - NAlnNA + NA - NBlnNB + NB)
=- kBN(xAlnxA + xBlnxB)
(104)
が得られる。ここで Stirling(スターリング)の公式を使った。
*1(注意)等圧の意味をきちんと認識するように。
- 82 -
lnN! ≒ NlnN - N
(105)
これは N が非常に大きいとき良い近似となり、統計力学の計算でよく使われる。混合する前の各気体
の微視的状態を考えると、W = NA!/NA!、W = NB!/NB!となるので、S = 0 である。従って、混合エント
ロピーは式(102)となる。
5・4 エントロピー効果の実例
a 気体の圧力
理想気体が圧力を示すのは、体積を増大させてそのエントロピーを増大させたいためで
ある。粒子は広い領域に存在するほど、自由度が大きくなるので(、その結果粒子の配置
はより乱雑になるので)、系のエントロピーは増大する。ある容器に入れておくと気体は
圧力を示すが、それはこの容器がなければ拡散して系のエントロピーを増大させようとい
う傾向があるからである。これをミクロのレベルで考えると、気体粒子の運動は全く‘ラ
ンダム’なので、この領域の内側に向かう運動もあるが、外に向かう運動が存在するので、
圧力を示す(、容器がなかった拡散する=エントロピーが増大する)のである。
7・2 で示すように、理想気体では
P = T(∂ S/∂ V)T
という関係が成立する。これは理想気体が示す圧力はエネルギーに起因するのではなく、
エントロピーに起因していることを示している。
b ゴム弾性
ゴムの示す弾性は、金属で作ったバネ(スプリング)の示す弾性と、ある面では似てい
るが、その延びは桁違いに大きい。このことからもゴムが示す弾性の原因が金属等とは全
く異なっていることが推測できる。金属の場合、弾性変形すると、原子間の距離が変わっ
て、原子間のポテンシャルエネルギーを増大させる。バネが元に戻ろうとする傾向は、こ
のエネルギーを減少させようとする傾向に他ならない。これに対して、ゴムの場合はエン
トロピー効果によって弾性が生じるのである。これを分子論的に考察してみよう。
ゴムはイソプレンの重合体が基本になっている。この重合体では、C と CH2 との間の
結合の周りで回転することができ、そのためいろいろな構造をとることができる。実際の
ゴムは、このような高分子鎖が架橋点で固定された三次元の網目構造をしている。架橋点
で固定されているが、高分子鎖の間の相互作用は非常に弱いので、架橋点間で分子鎖はや
はりいろいろな配置をとることができる。有限温度では、熱運動によってこの C-CH2 結
合軸まわりの回転が‘ランダム’に起こるため*1、鎖が伸びた状態ではなく、縮んだ状態を
とる*2。従って、ゴムを引っ張っても元の状態に戻ろうとするのである。これをエントロ
ピーで表現すると、エントロピーを増大させようとしてゴムは縮む(=張力を示す)ので
*1 気体分子の‘ランダム’な熱運動は分子全体の並進運動であり、ゴムの場合は分子内の回転運動で
ある。
*2(簡単な計算)回転運動の自由度が 2 であるとする。鎖状分子 1 分子当たり回転のできる箇所が 100
あるとすると、鎖状分子が直線状になる確率は(1/2)
100
- 83 -
-31
= 7.9 × 10 である。
ある。なぜなら、鎖の伸びた状態は微視的状態数が少ないが、縮んだ状態はいろいろな配
置が考えられるので微視的状態が多くなり、エントロピーの高い状態だからである。
ゴム弾性の温度変化もこれがエントロピー効果によるものであることを示している:金
属や塩類の結晶の弾性率は温度上昇とともに低下するが、ゴム弾性は温度が高いほど強く
なる。これは加熱されるとゴムの張力が増すからである。ゴムの張力は絶対温度に比例す
ることが知られている。温度が高いほど鎖の各部分の運動は激しく、したがって引き伸ば
したときの抵抗力(弾力、張力)も大きいはずである。
☆ 気体の圧力とゴムの張力
温度を上げると増すという点で、ゴムの張力は気体の圧力に似ている。考えてみれば圧
力というのも一種の弾性である(体積弾性という)。圧縮しようとすれば抵抗力を示し、
手を離せば元に戻る。
ゴムの弾性=張力=分子のまるまろうとする傾向=分子の収縮運動=回転の熱運動
気体の弾性=圧力=分子の広がろうとする傾向=直進の熱運動
気体では膨張するとエントロピーが増大するので、膨張しようとする傾向が圧力となっ
て現れることを見たが、鎖状高分子からなるゴムでは、縮むとエントロピーが増大するの
で、縮もうとする傾向が張力となって現れるのである。気体に圧力をかけるとエントロピ
ーが減少するので、エントロピーを増大させようとして気体はその圧力を高くする。ゴム
を引っ張るとエントロピーが減少するので、エントロピーを増大させようとしてゴムの張
力は高くなる。
気体を熱すると膨張する。これは、気体を熱するとそのエントロピーが増大する(熱に
伴ってエントロピーが変化するから)ので、体積を大きくする事によってそのエントロピ
ー増大を行うためである。これに対して、ゴムは熱すると収縮する。これも、熱すること
によってゴムのエントロピーが増えるので、分子鎖が縮むことによってこのエントロピー
増大を行うためである。
気体を断熱圧縮すると温度が上昇する*1。断熱過程ではあるが、不可逆過程ではエント
ロピーが生成する。しかし、体積が小さくなると配置空間でのエントロピーは減少してし
まう。従って、配置空間のエントロピー減少を補って全体として系のエントロピーを増大
させるだけのエントロピー増大が運動量空間で起こっており、系の温度が上昇したのであ
る。ゴムの場合は、ゴムに張力をかけて断熱的に引き延ばすと、配置のエントロピーは減
少するが、系のエントロピーを増大させるために、運動のエントロピーを増大させる。そ
の結果、ゴムを引き延ばすとゴムは熱くなる。
c 固体の融解
温度を上げて固体を液体にするためには、熱エネルギーを供給しなければいけないので、
液体状態の方が固体状態よりエネルギーが高いはずである。それなのになぜ融解が起こる
のだろう?液体になるということは、エネルギー的により不安定な状態をわざと選ぶこと
になるが、なぜ固体や液体の状態に踏みとどまることはできないのかという疑問がわいて
*1 例えば、自転車のタイヤにポンプで空気を入れるとき、ポンプの筒が熱くなる。
- 84 -
くる。温度が上昇しても融けず、非常に熱い固体(例えば 100 ℃の氷)になってもいいの
ではないかと思われる。エネルギー的に考えれば、任意の温度において結晶状態が一番エ
ネルギーが低いはずである(結晶状態がポテンシャルエネルギーの一番低い状態であり、
全粒子のエネルギー U =全粒子の運動エネルギー+全粒子のポテンシャルエネルギーな
ので、任意の温度において U の一番低い状態は結晶状態である)。それにも係わらず、ポ
テンシャルエネルギーより運動エネルギーが大きくなったら、結晶構造がバラバラになる
のは、粒子が‘ランダムな’熱運動をするからである。規則的な運動をしていたら、バラバ
ラにはならない(かもしれない)。言い換えれば、エントロピーが増大するので融解が起
こるのである。
d エントロピーとは何か
マクロな物質は莫大な数(1023 個程度)のミクロな粒子から構成されており、有限温度
においてそのミクロな粒子は‘不規則な’熱運動をしている。系の束縛条件が変化すると、
ミクロな粒子はより自由に動き回る → ミクロな粒子はより無秩序になる*1。これは全く
一般的な現象である。ミクロなレベルでより無秩序な状態に変化する過程は、自然な過程、
自発的な過程である。このことによって引き起こされる様々な巨視的現象を、熱力学では
エントロピー(これは状態関数であり、従って巨視的な量である)という概念を使って記
述し、法則化する。
*1 系だけに注目すれば、より束縛され秩序化されることもあるが、宇宙全体ではミクロなレベルで無
秩序化する。
- 85 -
6. 自由エネルギー
6・1 自由エネルギーと平衡条件(アトキンス 3・5)
「熱力学の根本問題は、平衡状態にある系の内部束縛(エネルギー、体積、物質のやり取りを禁止す
る束縛)が除去された時、系が最終的に到達する新しい平衡状態を決定する事である。」我々は今やこ
の最終状態がエントロピー最大の状態であることを知っている。自発変化がエントロピーの増大する
方向であることを知っている。しかし、これは孤立系の話であり、一般の実験条件では閉じた系、あ
るいは開放系であることが普通である。では、閉じた系ではどのような状態が実現するのであろうか?
どのような変化が起こるのであろうか?
6・1・1 Gibbs の自由エネルギー
ここで、Gibbs(ギブス)の自由エネルギー(Gibbs エネルギー、Gibbs 関数ともいう)*1G
という状態関数を導入する。その定義式は、
G ≡ H - TS
[3・30](1)
である。ここで、いつものように定温・定圧過程、PV 仕事のみの場合を考える。
Δ Suniv = Δ Stherm +Δ S
(一般的)
= -Δ H/T +Δ S
*2
(2)
(定温・定圧、PV 仕事のみ)
(3)
- T Δ Suniv = Δ H - T Δ S
(3')
この- T Δ Suniv をΔ G とおく 。
*3
Δ G =- T Δ Suniv
(定温・定圧、PV 仕事のみ)
(4)
式(3')と(4)から、あるいは定義式(1)において、定温条件から
Δ G =Δ H - T Δ S
(定温)
(5)
という関係が得られる。あるいはこれを微分形式で表して、
dG = dH - TdS
(定温)
(3・31(b))(6)
となる。上式より、Δ G が負のとき宇宙のエントロピーは増大することが分る。したが
って、自由エネルギーをエントロピーの代わりに、変化の方向を知る判断基準とすること
ができる。すなわち、Δ G < 0 の方向に自発変化が起きる。
自由エネルギーを使う利点は、系の性質だけ(Δ H とΔ S)を見ればよいことである。
それで十分宇宙の残りの部分も考慮に入れたことになっている。G、H、T、S は全て系の
状態関数である。Δ Suniv の代わりにこれらを使うのである。化学者にとって、この自由エ
ネルギーは熱力学状態関数の中でも最も重要なものである。
*1 アトキンスでは Gibbs エネルギーと表記して、自由という語は使用していない。これは IUPAC が
そうするように推奨しているからである。しかし、この講義では自由エネルギーという用語を用いる
ことにする。それは、後にでてくる Helmholtz の自由エネルギーを合わせて、総称として自由エネルギ
ーという言葉を使うことができるからである。
*2 この T は熱源の温度であるが、系と熱源が平衡状態にあるので、系の温度に等しい。
*3 - T Δ Suniv =Δ G とおけるのは、定温、定圧、膨張仕事のみという条件のときのみであることに注
意する。Δ G < 0 なる変化を可逆的に行わせた場合は、Δ Suniv = 0 であり、Δ G ≠- T Δ Suniv である。
- 86 -
ここで 5・3・1 で計算した過冷却水の凝固について考えてみよう。1 bar の定圧下で- 13
℃まで過冷却した水が氷に転移するとき、そのエンタルピー変化Δ H ○ ( 260 K)は- 5.52
kJ mol-1、エントロピー変化Δ S ○(260 K)は- 20.1 J K-1 mol-1 であった。したがってこの転
移の自由エネルギー変化は、
Δ G ○(260 K) = Δ H ○(260 K) - T Δ S ○(260 K)
= - 5520 + 260.15 × 20.1 = - 291 J mol-
(7)
1
Δ G < 0 なのでこの転移が自発的に起こることが分かる。以前の計算では宇宙のエント
ロピー変化Δ Suniv は 1.12 J K-1 mol-1 と計算された。Δ Suniv が自由エネルギー変化Δ G と
Δ G = - T Δ Suniv = - 260.15 × 1.12 = - 291 J mol-1
(8)
という関係にあることが分かる。
6・1・2 Helmholtz の自由エネルギー
ここで、Helmholtz(ヘルムホルツ)の自由エネルギー(Helmholtz エネルギー、Helmholtz
*1
関数ともいう)A という状態関数を導入する 。その定義式は、
A ≡ U - TS = G - PV
[3・29](9)
である。ここで、定温・定積過程、PV 仕事のみの場合を考える。
Δ Suniv = Δ Stherm +Δ S
= -Δ U/T +Δ S
(一般的)
(10)
(定温・定積、PV 仕事のみ)
(11)
- T Δ Suniv = Δ U - T Δ S
(11')
この- T Δ Suniv を Δ A とおく。
Δ A =- T Δ Suniv
(定温・定積、PV 仕事のみ)
(12)
式(11')と(12)から、あるいは定義式(9)において、定温条件から
Δ A =Δ U - T Δ S
(定温)
(13)
という関係が得られる。あるいはこれを微分形式で表して、
dA = dU - TdS
(定温)
(3・31(a))(14)
また、定義式(9)より、Δ A =Δ G -Δ(PV)なので、理想気体の等温過程では
Δ A =Δ G
(理想気体、等温)
(15)
となることが分かる。定圧過程では G と H を、定容過程では A と U を使う。
6・1・3 変化の向きと平衡条件-熱力学の不等式-(アトキンス 3・5(a))
系がある束縛条件のもとにおかれたとき、その一つの状態から実際に起こり得る変化は
第二法則を満足しなければならない。もし想定しうるすべての変化が第二法則を満足しな
ければ、その状態は平衡状態である。束縛条件によって変化の向きを決定する基準は異な
る。これは第二法則(第 5 章式(22))を使うことによって、容易に求めることができる。
TedS ≧ d'q
(一般的)
(16)
孤立系あるいは断熱系では q = 0 なので、
dS ≧ 0
(孤立系、断熱系)
となる。定圧、膨張仕事のみの条件では d'q = dH なので、
*1 Helmholtz の自由エネルギーに対する記号として A の変わりに、F を使うこともある。
- 87 -
(17)
TedS ≧ dH
(18)
である。エントロピーが一定の場合、
dH ≦ 0
(閉じた系、定圧、膨張仕事のみ、定エントロピー)
(3・26)(19)
となる。閉じた系、定積、膨張仕事のみの条件では d'q = dU なので、
TedS ≧ dU
(20)
である。エントロピーが一定の場合、
dU ≦ 0
(閉じた系、定積、膨張仕事のみ、定エントロピー)
(3・26)(21)
となる。閉じた系、定温、定圧、膨張仕事のみの条件では d'q = dH なので、
0 ≧ dH - TedS = dG (閉じた系、定温定圧、膨張仕事のみ)
(3・32)(22)
である。閉じた系、定温、定積、膨張仕事のみの条件では d'q = dU なので、
0 ≧ dU - TedS = dA (閉じた系、定温定積、膨張仕事のみ)
(3・32)(23)
である。このように熱力学第二法則を出発点として、任意の条件にある系に対する熱力学
的安定性条件(=平衡条件)の不等式が導かれた。これを熱力学の不等式という。
以上をまとめると、
束縛条件
変化の向き
平衡条件
孤立系
dS > 0
S = max.
断熱系(閉鎖系、開放系)
dS > 0
S = max.
閉じた系
定エントロピー定圧膨張仕事のみ
dH < 0
H = min
定エントロピー定積膨張仕事のみ
dU < 0
U = min.
定温定圧膨張仕事のみ
dG < 0
G = min.
定温定積膨張仕事のみ
dA < 0
A = min.
U、H,G,A を 熱力学ポテンシャル(あるいは熱力学関数、熱力学特性関数)と呼ぶ。
広義にはさらにエントロピーを含めることもある。系の平衡条件はこの熱力学ポテンシャ
ルが極値を取ることである。
ポテンシャルエネルギー V の場にある粒子は、微小変位 dx に伴って場から、
F = - dV/dx
なる力を受ける。力がゼロのとき、粒子は V が極小の状態にある。熱力学において、こ
の力学的ポテンシャル V に対応するものが熱力学ポテンシャルである。そして、この力
学的力に対応する熱力学的力(、状態変化を起こす力)f というものを次式によって定義
することができる(熱力学ポテンシャルが Gibbs 自由エネルギーの場合、アトキンス 21・9
参照)
。
f = -(∂ G/∂ξ)T, P
[21・56]
ここで、ξは変化の進行度(化学反応の場合は反応の進行度と呼ばれる。6・5・2 参照)で、
状態変化がどの程度起こったかその度合いを表す量である。熱力学ポテンシャルが極小(∂
G/∂ξ)= 0 のとき、状態変化を起こす力はゼロとなり、平衡状態となる:(∂ G/∂ξ)< 0
とき、変化は自発的に起こる。Δ G < 0 である変化が、変化の進行度によっては(∂ G/∂
ξ)> 0 となり、変化が自発的には進まなくなる場合があるので、その場合は自発変化の
向きをΔ G ではなく、(∂ G/∂ξ)によって判断する必要がある。例えば化学反応の場合、反
- 88 -
応自由エネルギー変化 Δ r G =生成系の G -反応系の G であり、これは条件が指定されれば定数であ
る。これに対して、任意の時点で反応が進行するかどうかはその時点での(∂ G/∂ξ)によって決まる。
ここで、G は任意の時点での系の全自由エネルギーであり、これは反応の進行に伴って変化するので、
(∂ G/∂ξ)も反応の進行に伴って変化する(化学平衡の状態は(∂ G/∂ξ)= 0 の状態である)。実は
Δ r G > 0 の反応であっても、ごく僅かであれ反応は少しは起こるのである。これはΔ r G がξの単調
増加関数になっていないからである。これについては 6・5 で詳しく説明する。
(注意)状態変化を起こす力 f について誤解しないように少し補足しておく。拡散現象を例にとると、
濃度勾配による力 f というものが粒子とは無関係に存在して、その力が粒子に働いて拡散が起こる、
という間違った考え方をする可能性があるので注意する。拡散が起こるのは、5・2 で考察したように、
粒子が‘不規則な’熱運動をしているからである。気体中あるいは溶液中の分子は濃度勾配があろうが
なかろうが、常に ‘不規則な’熱運動をしている。濃度勾配の解消は単にその熱運動の結果である。た
またま左から右に濃度勾配があれば、それは左方には分子が多く、右方には分子が少ないということ
であるから、各々の分子が‘不規則に’運動すれば、左から右へ移動する分子の方が右から左へ移動す
る分子よりも多く、その結果全体として左から右への粒子の移動が拡散として巨視的に観測されるの
である。このとき、何らかの力 f が働いて巨視的な(、まとまった数の)粒子の移動(すなわち拡散)
が起こったと考えることも熱力学的には可能である。しかし、実際にこの様な力 f が働いて拡散が起
こったわけではない。拡散して濃度勾配が解消されたのも、何か力 f が働いているように見えたのも、
粒子が‘不規則な’熱運動をしている結果なのである。ゴムの張力も同様である。炭素原子間の結合周
りで‘不規則な’回転を行うので、引き延ばされた状態では縮もうとする回転が有効に働いて、全体と
して縮もうとして張力が生まれる。伸びていたゴムが力を取り除くと元に戻るのも、伸びていたゴム
に張力 f が働くのも、‘不規則な’回転熱運動の結果である。張力という巨視的な力が存在して、それが
粒子に働いて元に戻るのではない。この熱力学的力 f は力学的力とは異なり、言わばエントロピー的
力である。
6・1・4 相転移、化学反応、溶解、混合における自由エネルギー変化
実際に観測される自発変化の方向が、どのような因子によって支配されているかを相転移、化学反
応、溶解、混合を例に考察してみよう。
a 相転移(アトキンス 4 章)
なぜ相転移が起こるかを熱力学的に説明すると次のようになる。相の安定度は Gibbs の
自由エネルギー G によって記述される。一般に任意の温度と圧力の下では、物質は自由
エネルギーが一番低い状態(相)にある*1。これを安定相と呼ぶ。系の温度や圧力を変え
*1 これには、例外も多い。本来ならば、熱力学的に不安定な(=自由エネルギーが高い)相が速度論
的な理由から安定に存在する例は多い。このような相を 準安定相という。代表例としてはダイヤモン
ドとグラファイト、あるいは 5・3・3c でも取り上げたガラスがある。常温、常圧下では熱力学的にはグ
ラファイトが安定相で、ダイヤモンドは準安定相であるが、どちらも安定に存在している。これは速
度論的に安定化されている、つまり、準安定相から安定相への転移速度が極めて遅いので安定に存在
するのである。これはグラファイトとダイヤモンドでは化学結合様式が異なるので、相転移では結合
の変化に伴って莫大なエネルギー障壁が存在するからである。
- 89 -
たとき、ある温度あるいは圧力以上(あるいは以下)で別の相の自由エネルギーの方が低
くなれば、その相が実現される。つまり相転移が起こるわけである。ここでは、温度変化
に伴う相転移について考えてみよう。任意の物質の固相、液相、気相のエンタルピーとエ
ントロピーの大きさを比較すると、両者とも一般に固相<液相<気相の順になる。H も S
もあまり温度変化しないが、自由エネルギーは- TS の項があるので、大きく温度依存す
る(=温度の上昇とともに減少する)。このとき、自由エネルギーの温度変化も固相<液
相<気相の順に大きくなる*1。その結果アトキンス図 4・9 のような温度変化が現れる。
(a) 融解
1 気圧、0 ℃ における氷の融解エンタルピー Δ fusH と融解エントロピーΔ fusS は、それ
ぞれ 6.008 kJ mol-1、21.995 J K-1 mol-1である。融解に伴う自由エネルギー変化は、 Δ fusG
=Δ fusH - T Δ fusS = 6008 - 273.15 × 21.995 = 0 であるから、0 ℃の氷は 0 ℃の水と平
衡にある。つまり、融点では固相と液相が相平衡にあるので、この二つの相の自由エネル
ギーの差(=融解に伴う自由エネルギー変化)は零になる。
Δ fusG = G(l)- G(s)= 0
(定圧、融点)
(24)
従って、定圧下の融点においては、Δ H - T Δ S = 0 が成立するので、5・3・1 で既出の
Δ trsS = Δ trsH/Tt (定圧)
(3・16)(25)
という関係が得られる。Δ fusG と同様に、Δ fusH とΔ fusS はそれぞれ、融点で相平衡にあ
る固相と液相のエンタルピー差、エントロピー差である。これに対して、25 ℃における
氷の融解のΔ fusH とΔ fusS は、それぞれ 6.983 kJ mol-1、25.42 J K-1 mol-1である。このと
きΔ fusG =- 594 J mol-1であるから、変化は自発的に起きる。つまり 25 ℃では氷は自然
に融ける。これは我々の常識と一致する*2。
25 ℃における氷の融解に伴うΔ H の値は正であり、吸熱である(つまりエネルギー的
には不利である)。したがって、外界は熱を放出しなければならないから、外界のエント
ロピーは減少する。それにも関わらず氷が融けるのは、系のエントロピーがそれ以上に増
大し、結果として宇宙のエントロピーが増大するからである。Δ Suniv =-Δ G/T =
594/298.15 ~ 2 J K-1 mol-1。これは融解について一般的に言えることである。規則的な結
晶格子は低いポテンシャルエネルギーを持つので、融解のΔ H は正(吸熱)となり(=
エネルギーの高い状態となり)、その結果外界のエントロピーは減少する。しかし、液体
の乱雑な構造は結晶の規則正しい構造よりもエントロピーが大きいので、融解のΔ S は正
となる。このときΔ Suniv が増大するのであれば、融解が自発的に起こる。
T = 0 K ではエネルギー効果だけで自由エネルギーは決まってしまうので、ポテンシャ
ルエネルギーが低くなるように規則的な結晶格子を形成する。有限温度になり、特に高温
*1 7・2 で示すように、(∂ G/∂ T)P =- S という関係が一般に成立する。その結果、アトキンス図 3・19
に示すような温度変化となる。
*2 25 ℃で水が自然に溶けることは誰でも知っているので、この計算をバカらしく感じるかもしれない。
確かにこの計算に限っていいえばそうかもしれないが、一般的にこの様な計算によって任意の過程が
自発的に起こるかどうかを知ることができるのである。
- 90 -
になると、エントロピーの効果が重要になってくる*1。つまり、融解のΔ H は吸熱なので、
エネルギー的には不利であるが、エントロピー効果によって融解は起こる(5・4c 参照)の
である(というように、系の自由エネルギー変化に基づいて考察するときには表現する。
しかし、Δ H =- T Δ Stherm より、系のエンタルピー増大は、外界のエントロピー減少を
意味するので、正確には、外界のエントロピーの減少よりも、系のエントロピーの増大の
方が大きいので、宇宙のエントロピーが増大して融解が起きるのである)。このように自
由エネルギーによる判定基準は化学者が一番よく使うもので、しばしば自由エネルギーは
エネルギー効果(Δ H)と乱雑さの効果(Δ S)との競合を計る尺度と解釈される。確かに系
の性質のみに注目している限りそう考えて差し支えないが、熱力学第二法則はエネルギー
効果には全く言及していないことを忘れてはならない。あくまでも変化の自発性はただ乱
雑さに向かう(Δ Suniv が増大する)傾向だけで決まるのである。アトキンス 3・5(b)も参
照せよ。
孤立系Δ S
univ
閉じた系に注目:エネルギー的には不利(有利)でも、エントロピー
外
効果によってΔ G < 0(> 0)になる。
系Δ G, Δ S Δ Stherm
界
孤立系に注目:Δ Stherm は減少する(増大する)が、Δ S がそれ以上
に増大する(減少する)ので、Δ S
univ
> 0(< 0)となる。
(b) 蒸発
1 気圧の水蒸気の存在下で、298 K の水の蒸発エンタルピーΔ vapH と蒸発エントロピー
Δ vapS は、それぞれ 43.885 kJ mol-1、118.2 J K-1 mol-1で、蒸発に伴う自由エネルギー変化
Δ vapG = G(g)- G(l) は 8.632 kJ mol-1である。従って、蒸発の逆の過程、すなわち凝縮
が自発的に起こる。つまり、蒸発に伴う系のエントロピーの増大よりも、吸熱に伴う外界
のエントロピーの減少の方が効果が大きいため、蒸発が起きないのである。
0.0313 気圧(298 K での水蒸気の飽和蒸気圧)の水蒸気の存在下で、1 気圧、298 K の
条件の下で水の蒸発に伴うΔ vapH とΔ vapS は、それぞれ 43.885 kJ mol-1、147.2 J K-1 mol-1
で、このときΔ vapG = 0 である。つまり、凝縮と蒸発*2 が釣り合った状態である。
Δ vapG = 0
(定圧、蒸発・沸騰)
(26)
1 気圧の水蒸気が存在するときよりも、0.0313 気圧の水蒸気が存在するときの方が、蒸
発のΔ vapS が大きいことに気づく。これは、気相中の分子数が少ない状態の方が蒸発のエ
ントロピー効果が大きいことを意味している。従って、気相中の水蒸気の分圧が飽和蒸気
圧よりもさらに下がれば、蒸発に伴うΔ vapS もより大きくなり、その結果Δ vapG は負にな
り蒸発が自発的に起こる。つまり、融解と同様蒸発の Δ H も吸熱なので、エネルギー的
には不利であるが、エントロピー効果によって蒸発は起こるのである。
*1 Δ H 、Δ S はあまり温度変化しないが、エントロピー項はΔ S に T が掛けられているため、Δ G は
温度依存性が顕著である。
*2 蒸発は沸点よりも低い任意の温度でも起きている。水蒸気が 1 気圧で、かつ液相と相平衡にあると
きの温度が水の沸点 100 ℃であり、沸点における気化現象は沸騰と呼ばれる。任意の液体の標準沸点
とは、その液体の蒸気圧が 1 bar であるときの温度である。
- 91 -
☆ Δ H-Δ S の補償関係
このように閉じた系(定温・定圧条件)では、エネルギー効果(Δ H)とエントロピー効果
(Δ S)の両方が効いてくる(ように見える)。一般にこの二つの効果は両立せず、安定度が
増せば(=Δ H が負になれば)、拘束が強くなる(=自由度も減少してしまう=Δ S も負
になる);粒子の熱運動が激しくなる(=エンタルピーが増す)と乱雑さが増大する(=
エントロピーも増加する)。この一般的な関係はΔ H-Δ S の補償関係と呼ばれる。したが
って、Δ H とΔ S の両者の大きさの兼ね合いで自由エネルギーが最小になるような状態
を系はとる。大雑把な言い方をすると、低温ではエンタルピー項が高温ではエントロピー
項が支配的になる。もちろんΔ H とΔ S が異なる符号をとる場合もある(注意参照)。
エネルギー効果・・・安定度
エントロピー効果・・自由度
(注意)たとえば、前述の結晶の融解や吸熱反応ではΔ H は正、その結果系のエントロピーも増大
するのでΔ S も正。発熱反応ではΔ H は負で、Δ S も負であることが多い。しかし、もちろん両者の
符号が異なる場合もある。例えば、次の過酸化水素の分解反応ではΔ H < 0、Δ S > 0 である。
2H2O2(l) → 2H2O(l)+ O2(g)
また、次の反応ではΔ H > 0、Δ S < 0 である。
6CO2(g)+ 6H2O(l) → C6H12O6(s)+ 6O2(g)
植物の行っている 光合成は自発的には起こらない反応なのである。太陽からの光エネルギーがあって
はじめて反応が進むのである。この逆反応は呼吸であり、このときΔ H < 0(発熱)なので、そのエ
ネルギーが生命活動に使われる。
b 気相反応(F4 ページ図 5.20)
(a) 結合反応(反応によって分子数が減少する):Δ S < 0、Δ H < 0
それまで独立に運動していた分子が、結合することによって一緒に行動しなければなら
なくなるので、並進の自由度が減少する。しかし、その分振動の自由度は増大する。反応
の前後で原子の数は変わらないので、全自由度の数は変わらない。しかし、箱の中の粒子
のモデルから分かるように、並進運動のエネルギー準位の間隔は非常に小さいので、利用
可能な量子状態は非常に多いが、振動運動のエネルギー間隔は非常に大きいので、振動状
態はほとんど基底状態しか利用できない。その結果、反応が進行すると、微視的状態の数
は大きく減少し、エントロピーも減少する。
図から分かるように、Δ S が負で、Δ H も負になっている。従って、反応を駆動する
のはエンタルピー効果である。低温ほどエントロピー項の寄与が小さいので、低温ほど反
応が進みやすい。
:Δ S ~ 0、Δ H < 0
(b) 再結合反応、置換反応(反応によって分子数が変化しない)
エントロピー変化Δ S は僅かである。この場合、Δ H が負(=発熱反応)であれば、反
応が進む。
:Δ S > 0、Δ H > 0
(c) 分解反応(反応によって分子数が増加する)
分子数が増加するのでΔ S は正で、Δ H も正になっている。従って、Δ S の寄与によ
り反応が進行する。高温ほどエントロピー効果は大きいので、高温ほど反応が起こりやす
い。
- 92 -
c 液相反応(F4 ページ表 6・4)
溶媒和効果は溶液中の化学反応の収率に重大な影響を及ぼす。反応を行わせるのに重要
な決め手となるものの一つは適切な溶媒の選択である。例えば、水は反応にイオンが関与
するときに溶媒として適しているが、決して万能ではない。溶液中で反応が進むかどうか
を決定するのにイオンの溶媒和エントロピーが重要であることが多く、時には支配的な効
果を持つこともある。ここでは水溶液中のイオンが関与する化学反応を見てみよう。
(ⅰ)Δ H が正(吸熱反応)。反応に伴ってフッ化物イオン F-が HF2-イオンに変わった。小
さな F-は、大きな HF2-より水を強く引きつけて(=水和して)安定化しているので、反
応の進行に伴って HF2-が増えると、エネルギーが高くなりΔ H は正になる。反応に伴っ
て粒子数が減少するけれど、Δ S は正である。小さなフッ化物イオン F-の周りの水和構
造は、大きなイオン HF2-のそれよりも整然としている;つまりエントロピーが小さい;
従って、反応が進行して F-が減少するにつれて系はより乱雑になるのでΔ S は正になる。
この様に水和に伴うエンタルピー変化、エントロピー変化はともにイオンの電荷が大き
いほど、同じ電荷を持つイオンではイオン半径が小さいほど、一般に大きな負の値となる
(3・3・3 水和エンタルピー、5・3・4c 水和エントロピーを参照せよ)。主として静電相互作用のため
にイオンに水分子が一定の配向をとって結合し(第一)水和層を作る。水和層にある水分子
はバルクの水に比べ秩序性が高いので、エントロピーは減少する。水和が強いほど、エン
タルピー変化、エントロピー変化とも負の値は大きくなると考えられる(Δ H-Δ S の補
償関係)。
(ⅱ) Δ H が負(発熱反応)。反応によってイオンが増えるので、水和によってエネルギー
的に安定化する。反応に伴って粒子数が増大するが、Δ S は負である。反応によって生成
する各イオンはそれぞれの周りに整然とした水和環境を作り出すためΔ S は負になる。
(ⅲ) Δ H が負(発熱反応)。反応によってイオンが生じるので、水和によってエネルギー
的に安定化する。反応に伴って粒子数に変化はないが、中性分子からイオンが生じるので、
Δ S が大きく負になる。
(ⅳ) Δ H とΔ S の符号が反対である。Δ H が負(発熱反応)。水は中性分子の方がエネル
ギー的に安定である*1。反応に伴って粒子数に変化はないが、イオンが中性分子に変化す
るので、Δ S が大きく正になる。
d 溶解
溶解現象においても溶媒和(水和)が重要な働きをしている。溶質を溶媒和することに
より、溶質の再結合を防いでいる。一般に水和(溶媒和)はエネルギー的には(Δ H < 0)
溶解を促進する働きを、エントロピー的には(Δ S < 0)抑制する働きをする(表 6・3 参
照)。しかし、実際には、Δ H > 0、Δ S > 0 になる場合もある(表 6・2 参照)。これにつ
いては後ほど詳しく考察する。
これからしばらくは基本的に溶液中で溶質がイオンに解離する場合について考えること
+
-
-7
*1 中性の水の中には H イオンと OH イオンは H2O の 10 しか存在しない。
- 93 -
にする。例えば、塩はイオン性結晶であり、水に溶けるときはほとんど完全にイオンに解
離した状態で存在する。しかし、塩の水に対する溶解度は塩の種類によってずいぶん違う。
Δ solH < 0、Δ solS < 0*1 の場合:
①水に対する気体の溶解度(F4 ページ表 6・3)
塩化水素ガスとフッ化水素ガスのΔ H はほぼ同じ負の値である(=水和によって安定
化する)が、前者の水への溶解度は、後者のおよそ 10 倍である。HF は HCl よりも水に
6
溶けにくいばかりでなく、あまりイオンに解離しないことが分る。エントロピー効果とし
ては、ともに乱雑さが減少するためにマイナスの符号がついているが、フッ化物イオンと
塩化物イオンの大きさの違いによる水和構造の秩序の差が、エントロピー変化の絶対値の
大きさの違いを生んでいる。これはエントロピー効果によって溶解度に差が生じる例であ
る。
②水に対する塩の溶解度
298 K
Δ solH(kJ mol- )
1
- T Δ solS(kJ mol- )
1
CaSO4
- 26.86
42.18
CuSO4
- 73.14
56
Δ solG(kJ mol- )
1
15.32
- 17
298 K における CaSO4 と CuSO4 の水への溶解に伴うエントロピー変化Δ solS はほぼ同じ
値をとる(エントロピーは減少している)。これに対して、溶解のエンタルピー変化Δ solH
は大きく異なっている。その結果、CaSO4 と CuSO4 の水への溶解に伴う自由エネルギー
変化Δ solG は、前者が正で溶けにくいのに対して、後者は負で溶けやすい。これはエンタ
ルピー効果によって溶解度に差が生じる例である。
Δ solH > 0、Δ solS > 0 の場合:
(F4 ページ表 6・2)
塩化ナトリウムとフッ化カルシウムのΔ solH はほぼ同じ正の値であるが、前者は 5 mol
dm-3 以上水に溶けるのに、後者の平衡溶解度は 0.001 mol dm-3 以下である。これはなぜか?
小さなフッ化物イオン F-と高い電荷を持つカルシウムイオン Ca2+は周りのいくつかの水分
子と固く結びついて、秩序の高い配列(水和殻)を作り出す。一方、塩化物イオン Cl-の
大きな寸法とナトリウムイオン Na+の低い電荷のために NaCl ではこのエントロピー効果
がずっと弱いものになる。そのため、NaCl ではΔ solS が正になる。これもエントロピー効
果によって溶解度に差が生じていることが分かる。
上記の例のように、熱力学的データに基づいてミクロな観点から定性的に考察できる。
しかし、溶解現象は一般に定性的なミクロな考察をしても、全体としてのエンタルピーや
エントロピーの大きさはもちろんその符号さえも推測する事はかなり難しい。
エントロピーに関していえば、CuSO4 のようにΔ
のようにΔ
sol
sol
S が負になる場合もあるし、NaCl
S が正になる場合もある。また、電解質を水に溶かすと水の温度が下がる
*1 これは溶質が固体の時、固体の方が水溶液の状態よりも乱雑さが大きいことを意味しているように
思えるが、この溶解エントロピーΔ
sol
S とは、正確には、固体と水とが別々にあるときと、水溶液と
を比較したときのエントロピー変化なのである(3・1・2 参照)。
- 94 -
ことがある。これは溶解に伴って吸熱(Δ
sol
H > 0)が起こるからである。上記の NaCl
-1
(Δ solH = 3.89 kJ mol )の他にも、ショ糖なども吸熱溶解する。これに対して、無水の
炭酸ナトリウムやエタノールなどは発熱溶解する。この様に、Δ solH やΔ solS が正にも負
にもなる理由は次のように考えることができる。
溶解という現象は一般に、
溶解=水和+格子
(27)
という関係にある。この関係はエンタルピーに関しては既に第 3 章の式(41)に示してある。
エントロピー変化に対して、この関係を NaCl を例に考えてみると、
Na+(g) + Cl-(g) → Na+(aq) + Cl-(aq)
水和
NaCl(s) → Na (g) + Cl-(g)
格子
+
-
NaCl(s) → Na (aq) + Cl (aq)
+
溶解
となる。水和によりエントロピーは大きく減少するが、格子エントロピーは大きく増大す
る。直接溶解現象を考えてみても、溶解に伴う溶質の配置の乱雑さの増大および水の水素
結合ネットワークが溶質の侵入によって壊されることによる乱雑さの増大が起こることが
分かる。これらの相反する寄与の違いを見積もることは難しいのである。
同様に、格子エンタルピーが大きくても、水和エンタルピー(の絶対値)が大きければ、
Δ sol H は小さくなる 。言い換えれば、真空中でイオンを引き離すために要するエネルギ
*1
ーΔ LH と水和による安定化エネルギーΔ hydH のかねあいでΔ sol H の値は負になることも
あるし、正になることもある。なぜなら、結晶として凝集するのと水に溶けて水和するの
ではほぼ同程度のエネルギー変化(安定化)を伴うからである。
Na+(g) + Cl-(g) → NaCl(s)
Δ H ○=- 787.2 kJmol-1 =-Δ LH (28)
Na (g) + Cl-(g) → Na (aq) + Cl-(aq)
Δ H ○=- 783.31 kJmol- =Δ hydH (29)
+
+
1
結晶中でのイオンの配置の様子と、水溶液中でのイオンのまわりの水和の様子はよく似て
いる。水分子は分極していても 100%正電荷と負電荷に分かれていないので、似ているけ
れども同じではない。しかし、水分子の分極の極限がイオン結晶の正負のイオンという点
で似ている。また、塩自体も水分子を伴った水和物であることが多く、その溶解ではそれ
らの水素結合の切断または生成を含むので、事情はさらに複雑になる。
これまでの考察で分かるように、溶解におけるエントロピー効果は大変重要であるが、
ここではエンタルピー効果だけに注目して、もう少し溶解について考察を深めてみよう。
塩酸は塩化水素ガスを水に溶かしたものであるが、塩化水素ガスは水に容易に溶ける。
この時水溶液中では水素イオン H+と塩化物イオン Cl-が分離して存在している。一方塩化
水素ガスを気相中でイオンに解離するには大量のエネルギーが必要である。
HCl(g) → H+(g)
+ Cl-(g)
Δ H = 1385 kJ mol-1
-
HCl(g) → H (aq) + Cl (aq)
+
Δ solH = - 75.14 kJ mol
(30)
-1
(31)
同様にイオン性結晶の塩化ナトリウムは水に溶かすことによって容易に陽イオンと陰イオ
*1 格子エンタルピーΔ
L
H はイオン結晶を気相中で構成イオンに分解するのに要するエネルギー、水
+
-
和エンタルピーΔ hyd H は気相中のイオン(例えば HCl の場合は分子の HCl ではなく、H と Cl に分離
した HCl である)を水に溶解させたときに放出される安定化エネルギーである。
- 95 -
ンを引き離すことができるが、塩化ナトリウム結晶を構成要素の気体状のイオンに解離す
るには莫大なエネルギーが必要である。
NaCl(s) → Na+(g)
+ Cl-(g)
Δ LH = 787 kJ mol-1
-
NaCl(s) → Na (aq) + Cl (aq)
+
Δ solH = 3.89 kJ mol
(32)
-1
(33)
これはなぜだろう?
溶媒和した状態では、誘電率(基礎物理学 3・1a 参照)が大きい溶媒(=極性溶媒)ほど、
溶質であるイオン間の Coulomb 相互作用を弱めることができる(=溶媒中でイオンに電離
した状態を安定化できる)*1。塩化水素や塩化ナトリウムが水中で容易に孤立したイオンに
解離できたのは、真空中と比較して、有極性の水分子中では陽イオンと陰イオンの Coulomb
相互作用が弱められるためである。その結果、①極性分子は極性溶媒によく溶けることに
なる。固体の溶解の場合、固体表面から離れたイオンは水分子によって水和され、その結
果、固体表面とそのイオンの相互作用が弱くなるので、そのままイオンは水中を拡散して
いく。これが固体の溶解である。これに対して、誘電率の小さい溶媒(=無極性溶媒)、
例えばベンゼン(比誘電率 2.274)、トルエン(2.379)、四塩化炭素(2.228)等の有機溶媒に塩
はほとんど溶けない(=②極性分子は無極性溶媒に溶けにくい)。
では、③無極性分子は無極性溶媒によく溶けるのだろうか?その通りである。無極性分
子どうしは分子間力(分散力)によって引き合うからである。最後に④無極性分子は極性
溶媒に溶けない理由を考えてみよう。実は無極性分子と極性溶媒分子の間にもかなり強い
引力的相互作用が働いている。それでも溶け合うことがないのは、極性溶媒分子どうしの
相互作用の方が極性分子と無極性分子間の相互作用よりも強いためである。無極性分子と
極性分子を混ぜると、極性分子は極性分子どうし集まってしまい、無極性分子が入り込め
ないのである。溶媒が溶質を溶かすためには、溶媒分子どうしの引き合う力と、溶媒-溶
質分子間の引き合う力が同程度でなければならないということになる。
e 疎水性効果(アトキンス 18・4(g))
よく知られているように、油、例えばメタン CH4、エタン C2H6 などのアルカン(脂肪
族炭化水素)は水と混ざり合わない。油は水に溶けず、逆に油どうしで集まる。この様な
物質を疎水性物質という。疎水性物質は一般に無極性の物質なので、無極性の物質は極性
の溶媒に溶けないと言うこともできる。これを熱力学的に説明すれば、疎水性物質が水に
溶けないのはエントロピー効果のためであり、疎水性物質を水に溶かすとエントロピー減
少が顕著に起こり、エンタルピー減少を凌駕してしまう(その結果、Δ G > 0 になって
しまう)からである。
それではなぜ疎水性物質が水に入ったとき、エントロピーが顕著に減少するのであろう
か。エントロピー減少は構造形成による秩序化を意味する。疎水性分子の周りの水分子は
それどうしで集まり構造形成が促進され、疎水性分子の周りに氷のような秩序性の高い構
造を持った水層(、水のクラスター、包接かご)を形成するのである(F4 ページ図 18・9 参
照 ) 。この構造形成によってエネルギー的には幾分安定化されるが、エントロピーが大
*2
*1 水の 25 ℃における比誘電率は 78.30 である。
*2 液体の有機化合物の水和エントロピーが負の値をとるのは、これが原因である。5・3・4c 参照。
- 96 -
きく減少する。すなわち、
T Δ S < Δ H < 0、 Δ G > 0
(34)
である。例えば、メタンとエタンの水和エンタルピー、水和エントロピーはそれぞれ、
(-
12.76 kJ mol-1、- 130.5 J K-1 mol-1)
(- 16.665 kJ mol-1、- 140.6 J K-1 mol-1)であるから、
その水和自由エネルギーは(室温のデータなので)それぞれ、およそ 26.4 kJ mol-1、25.5 kJ
mol- となることが分かる。このような疎水性分子と水との相互作用を疎水性水和という。
1
疎水性水和はいわば逆の水和で、イオンの周りに水素結合の発達した層が形成されるが、
この層は通常の水和層のようにイオンに伴われて動くことはない。
疎水性物質が水や極性溶媒に溶けないで、水中で集合して安定化することを、一種の結
合形成と見なして 疎水結合(あるいは疎水性相互作用)という*1。これは油どうしが引き
合うからではなくて、油が水中で分散することによって、油と接する水層での水分子の構
造形成(疎水性水和)によるエントロピー減少が起こらないように、水が油を排斥するた
めで、結果として油どうしが集まる(様に見える)と解釈することができる。つまり、疎水
性分子間に直接働く引力によって集まるわけではなく、エントロピー減少を少なくするた
めに水相(一般的には極性溶媒相)から排除されるため、結果として疎水性分子どうしが
集まる様に見えるだけなのである。
疎水結合をエネルギーの観点から見ると、前項 d ④で示したように、水分子間の引力に
比べて、水分子と疎水性物質の間の引き合う力が非常に弱いので、疎水性分子が水分子間
に割り込むことができず、水相から排除され、結果として弱く相互作用し合う疎水性分子
どうしが集合すると考えられる。
疎水性相互作用は温度の上昇とともに強くなるので、これがエントロピー効果によって
引き起こされていることが分かる。疎水性相互作用が高温ほど強くなるという性質は、エ
ネルギー項が支配的となる水素結合や静電力による水和の場合と逆であり、これは疎水性
相互作用ではエントロピー項が支配的となるためである。
f 混合(アトキンス 5・2)
5・3・5 で理想気体の混合エントロピーを考察したが、ここでは混合自由エネルギーを考
えてみよう。混合自由エネルギーΔ
mix
mix
G は混合エンタルピーΔ
H、混合エントロピーΔ
mix
S と次の関係にある。
Δ mixG =Δ mixH - T Δ mixS
(定温・定圧、PV 仕事のみ)
(35)
理想気体は粒子間の相互作用が無視できるので、
Δ mixH = 0
(理想気体)
(5・20)(36)
であることが分かる。同じ温度と圧力のもとにある気体 A と気体 B を、同じ温度と圧力
を持つ混合気体にするとき(アトキンス図 5・6 参照)の自由エネルギー変化は、Δ
mix
S の式
(102)を使って、
Δ mixG = nRT(xAlnxA + xBlnxB)
(等温・等圧、理想気体)
(5・18)(37)
*1 疎水性分子どうしの引き合う力は van der Waals 力という弱い相互作用によるので、例えば油を含ん
だ水を振って力学的エネルギーを加えれば、容易に油は小さな油滴となって水の中に分散する。しか
し、時間がたつと油滴どうしが引き合っているかのように集まってしまう。
- 97 -
となる。ここで、n は混合気体の物質量、x はモル分率である。モル分率は 1 以下なので、
Δ mixG < 0 であること、すなわち、任意の割合で理想気体は混合することが分かる。Δ mixG
の組成依存性がアトキンス図 5・7 に示されている。同様に、同じ温度と圧力のもとにある J
種類の単独成分から、同じ温度と圧力の混合気体を作るときの自由エネルギー変化は
Δ mixG = nRT ∑ J xJlnxJ =- T Δ mixS
(等温・等圧、理想気体)
(38)
で与えられる。つまり、理想気体の混合はエントロピー効果のみによって起こる、といえ
る。混合前の各成分の圧力あるいは混合前後の気体の圧力が異なっているときは、6・2 の
(59)式を使って計算する(アトキンス例題 5・2 参照)
。
g 部分モル量と Gibbs-Duhem の式(アトキンス 5・1)
この講義は基本的に閉じた系の純物質、特に理想気体の系を考察しているが、混合の話がでたので、
多成分系、開いた系を考えるときに重要な 部分モル量という考え方と Gibbs-Duhem(ギブス-デューエ
ム)の式という関係式を紹介しておこう。詳しくは後学期の「物理化学Ⅳ」で扱う。
溶体(混合気体、溶液、固溶体)の示す熱力学的性質 X(体積、エンタルピー等の容量
性状態関数)を、溶体を構成する各成分に帰属することを考えてみよう。つまり、各成分
の持つ熱力学的性質の寄与によって溶体全体の示す熱力学的性質 X(T, P, nJ)が現れると考
えよう。これを数式で表現すると、次式のようになる。
X =Σ J nJ X J (T、P 一定)
(39)
ここで、nJ は成分 J の物質量である。ここで問題は、X J とは何か?、各成分の持つ体積 V
J
、エンタルピー H J とは何であろうか?既に気体の分圧は知っているが、その他の状態関
数ではどうであろうか?また溶液の場合はどうであろうか?
f で理想気体の混合を考えたが、このとき混合気体 A + B で例えば系全体のエンタルピ
ーは次式で表される。
H(理想)= nAHA, m + nBHB, m
ここで、HJ,
m
(40)
は純粋な物質 J のモルエンタルピーである。しかし、一般にはΔ mixH ≠ 0 な
ので、系全体のエンタルピーは
H(実在)= nAHA, m + nBHB, m +Δ mixH
となる。ここで、Δ
mix
(41)
H は A と B の相互作用によるエンタルピー変化=混合エンタルピ
ーである。このとき、式(39)のように書けるということは
H(実在)= nAHA + nBHB
(42)
このとき、
HJ ≠ HJ, m
(43)
である。溶体中で各成分が持つ(各成分に帰属された、割り振られた)熱力学量 X
J
を部
分モル量という。正確には、温度と圧力そして他の成分が一定のとき、溶体に今注目して
いる成分 J を 1 mol 加えたときの溶体の熱力学的性質 X の変化量を部分モル量 X J という。
X J =(∂ X/∂ nJ)T, P, nK
(K ≠ J、K は J 以外の成分)
(44)
式(39)を nJ で偏微分すれば式(44)が得られる。部分モル量は一般に成分のモル分率に依
存して変化する(アトキンス図 5・1 参照、もちろん温度と圧力にも依存する)。部分モル量
を理解するとき、体積を例に考えるとよいであろう。
- 98 -
水のモル体積は 18 cm3 であるが、アトキンス図 5・1 から分かるように、大量のアルコ
ールに 1 mol の水を加えても体積は 14 cm しか増加しない。これは、純水では水素結合
3
によって隙間の多い構造をしているが、アルコール中に水が分散しているときは、水分子
の周りをアルコール分子が比較的密に取り囲むことができるからである。従って、極端な
場合には負の部分モル体積というものが存在する(アトキンス図 5・2 参照)。大量の水に例
えば MgSO4 の様な塩を溶かすと、水溶液の体積は純水のときと比較して減少する(アト
キンス p.142 参照)
。これは、イオンの周りの水和構造が純水の構造よりも密になっている
ためである。
より定量的に混合による体積変化を考えてみよう。エタノール(分子量 46.07)400 g
と水(分子量 18.02)600 g を混合する。25 ℃でエタノールの密度は 0.785 g ml- 、水のそ
1
れは 0.997 g ml-1 なので、400 g のエタノールは 509.55 ml、600 g の水は 601.8 ml である。
理想溶液なら溶液の体積は 1111 ml になるはずであるが、実際には 1000 g/0.945 g ml-1 =
1058 ml になる。このエタノールと水の混合を部分モル体積
V J =(∂ V/∂ nJ)T, P, nK
(K ≠ J )
[5・1](39V)
を使って記述してみよう。部分モル量はモル分率の関数であることに注意する。
エタノール:400 g = 8.68 mol、水:600 g = 33.30 mol
なので、全モル数は 8.68 + 33.30 = 41.98 mol である。したがって、
モル分率(エタノール)= 0.207、モル分率(水)= 0.793
である。純エタノールのモル体積は
46.07/0.785 = 58.7 ml mol-1
であるが、25 ℃でモル分率 0.207 のときのエタノールの部分モル体積は、アトキンス数値
例 5・1 より 54.735 ml mol-1 と見積もられる。一方、純水のモル体積は
18.02/0.997 = 18.07 ml mol-
1
であり、25 ℃でモル分率 0.793 のときの水の部分モル体積は、アトキンス図 5・1 より 17.5
ml mol-1 である。溶液の全体積は各成分の部分モル体積 V J によって与えられる。
V =Σ J nJ V J (T、P 一定)
(5・3)(40V)
この場合は
V = 8.68 × 54.735 + 33.30 × 17.5 = 1058 ml
(45)
となり、実測値 1058 ml を再現している。
☆ Gibbs-Duhem の式(アトキンス 5・1(d))
部分モル量 X J に関して次の式が成立する。
dX =Σ J X J dnJ (T、P 一定)*1
(5・2)(46)
*1 状態関数 X = X(T, P, nJ)の全微分
dX =(∂ X/∂ T)P, nJdT +(∂ X/∂ P)T, nJdP +Σ J(∂ X/∂ nJ)T, P, nKdnJ
について、T、P =一定の条件を課すと
dX =Σ J(∂ X/∂ nJ)T, P, nKdnJ =Σ J X J dnJ
が得られる。
- 99 -
(5・2)
上式は、組成の変化によって起こる溶体の熱力学的性質の微小変化 dX を、部分モル量を
用いて計算できることを表している。また、X =Σ J nJ X J の微小変化は
dX =∑ J(X J dnJ + nJ dX J)
(47)
であるが、(46)式より、
∑ J nJ dX J = 0 (T、P =一定)
(5・12b)(48a)
という関係が得られる。これは次の Gibbs-Duhem(ギブス-デューエム)の式の特別な形(T、P
=一定のとき)である。
SdT - VdP +∑ J nJ dX J = 0
(48b)
これは溶体を構成する各成分の部分モル量の間の関係を与えるので、多成分系そして開い
た系の熱力学において大変重要な式である(6・5・2 を参照せよ)。この式によって、ある成
分の部分モル量が分かれば別の成分のそれが分かる。これは従って部分モル量を独立に変
化させることはできないことを意味する。例えば、2 元混合物では一つの部分モル量が増
加したら、他方は減少しなければならない(アトキンス図 5・1 参照)。アトキンス例題 5・1
も参照せよ。
6・2 自由エネルギーの温度・圧力依存性(アトキンス 3・9)
Gibbs 関数の温度依存性は次式によって与えられる。
(∂ G/∂ T)P = - S
(非膨張仕事なし)
(3・50)(49)
この式の導出は次章で行う。上式より、
Δ G = G(Tf) - G(Ti) = -∫ TiTfSdT
(定圧)
(50a)
となる。つまり、エントロピーの温度依存性が分かれば、自由エネルギーの温度変化Δ G
が計算できる。アトキンス図 3・19 を参照せよ。
(49)式に G = H - TS の関係を代入すると、
(∂ G/∂ T)P = (G - H)/T
(3・51)(51a)
となる。この式から次の Gibbs-Helmholtz 式が導かれる(式の導出はアトキンス根拠 3・5 を参
照せよ)
。
(∂(G/T)/∂ T)P = - H/T
(3・52)(52a)
2
この式を積分すると、
∫ d(G/T) = -∫(H/T 2)dT
(Gf/Tf) = (Gi/Ti) -∫ TiTf(H/T 2)dT
Δ(G/T) = (Gf/Tf)- (Gi/Ti) = -∫
Tf
Ti
(H/T )dT
2
(定圧)
(53a)
(定圧)
(54a)
(定圧)
(55a)
となる。つまり、 H(の温度依存性)が分かればΔ( G/T)が計算できることが分かる。
Gibbs-Helmholtz の式は次のように書かれることもある。
(∂(G/T)/∂(1/T))P = H
(52a2)
これら一連の式は、相転移や化学反応等に伴う自由エネルギー変化Δ G の温度変化に
対しても、同じ形で成立する。すなわち
Δ G(Tf) = Δ G(Ti) -∫ TiTf Δ SdT
(定圧)
(50b)
(∂Δ G/∂ T)P = (Δ G -Δ H)/T
(定圧)
(51b)
- 100 -
(∂(Δ G/T)/∂ T)P = -Δ H/T
2
(定圧)
(3・53)(52b)
この式を積分すると、
∫ d(Δ G/T) = -∫(Δ H/T 2)dT
(Δ Gf/Tf) = (Δ Gi/Ti) -∫ TiTf(Δ H/T 2)dT
(定圧)
(53b)
(定圧)
(54b)
(∂(Δ G/T)/∂(1/T))P = Δ H
(定圧)
(55b)
Helmholtz の自由エネルギーに対しても同様の式(G を A に、H を U に置き換えた式)が
導かれる。
次章で詳しく解説するが、Gibbs 関数に対して次式が成立する。
dG = VdP - SdT
(非膨張仕事なし)
(3・49)(56)
温度が一定の条件でこの式を積分すると、G の圧力依存性は次式によって与えられる。
Δ G = G(Pf)- G(Pi)=∫ PiPfVdP
(温度一定)
(3・54)(57a)
固体や液体の体積変化は小さいので、
ΔG = VΔP
(温度一定、液体と固体)
(3・55)(58)
と近似することができる(アトキンス図 3・21 参照)。さらに、普通の実験条件では圧力変化
は小さいので、この G の圧力変化は無視できる程小さい。しかし、気体の場合は(57a)式
によって圧力効果を補正する必要がある(アトキンス図 3・22 参照)。アトキンス図 3・20、自
習問題 3・12、3・13 を参照せよ。
(57a)式に対応して、自由エネルギー変化Δ G の圧力依存性は
Δ G(Pf)-Δ G(Pi)=∫ PiPf Δ VdP
(温度一定)
(57b)
で与えられる。アトキンス数値例 3・10 を参照せよ。
理想気体の Gibbs 自由エネルギーの圧力変化Δ G は(57a)式より、
Δ G = nRTln(Pf/Pi)= nRTln(Vi/Vf)
(理想気体、温度一定)
(59)
○
で与えられる(ln = loge(自然対数)
)。Pi = P のときは、
G(P,T)= G 〇(T)+ nRTln(P/P 〇)
(理想気体、温度一定)
(3・57)(60a)
〇
となる。これが標準状態の自由エネルギー G を基準にして、任意の圧力における自由エ
ネルギーを与える式である*1。これらは G 〇の測定温度 T において圧力を変化させたとき、
自由エネルギーがいくらになるかを与える。G 〇は温度依存する。アトキンス図 3・23 も参
照せよ。
理想気体の等温膨張、等温圧縮ではΔ H = 0*2 である。理想気体のエントロピーについ
て、定温下での圧力依存性は第 5 章の(77)式Δ S = nRln(Pi/Pf)で与えられるので、
Δ G(膨張、圧縮)=Δ H - T Δ S =- T Δ S = nRT ln(Pf/Pi)
(理想気体、温度一定)
(61)
である。これは(59)式と同じである。つまり、温度一定の下での圧力変化に伴う理想気体
*1 この式から定性的に次のことがすぐに分かる。圧力を標準圧力よりも小さくするとき(例えば等温
膨張させたとき)、G は G
〇
よりも小さくなり、系は安定化する。圧力を標準圧力よりも大きくすると
き(例えば等温圧縮させたとき)、G は G
〇
よりも大きくなり、系は不安定になる。これらは常識的な
考えと一致する。
*2 ∵Δ H =Δ U +Δ(PV)で、理想気体で等温なのでΔ U = 0、PV =一定。
- 101 -
の自由エネルギーの変化はエントロピー効果のみによる。理想気体では分子間力は無視で
きるので、体積変化に伴うエネルギー変化が無視できることは容易に理解できる。
6・3 標準生成(Gibbs)自由エネルギー*1(アトキンス 3・6)
a 標準生成自由エネルギー
標準生成自由エネルギーΔ fG 〇は、標準生成エンタルピーの体系に合わせて定義される。
すなわち、「任意の元素の基準状態(指定された温度と 1 bar の圧力の下で最も安定な状
態)における自由エネルギーを零にとり(=基準とし)、任意の物質を(基準状態にある)構
成元素から生成するときの(=標準生成反応における)自由エネルギー変化をその物質の
標準生成自由エネルギーΔ fG ○と定義する。」これは 1 mol 当たりの量なので、標準生成
エンタルピーΔ fH 〇と同じくその単位は J mol-1 である(アトキンス表 3・4 参照)。Δ fG 〇 は
Δ fH 〇 と次のような関係にある。
Δ fG 〇 = Δ fH 〇 - T Δ fS 〇
(62)
ここで、Δ fS 〇 は今考えている物質の標準生成反応における標準反応エントロピーで、標
準生成エントロピーという。標準生成エントロピーΔ f S 〇 と標準エントロピー S 〇 は異な
ることに注意する。ただし、Δ fS 〇 の単位は J K-1 mol-1 であるとする。
Δ fS 〇=∑ J ν J S ○(J)
(標準生成反応)
(63)
化学反応に伴う自由エネルギー変化、すなわち、任意の温度と圧力の下で熱平衡状態に
ある反応物が別々に存在している状態から、任意の温度と圧力(通常は同温同圧)の下で
熱平衡状態にある生成物が別々に存在している状態までの自由エネルギーの変化を、反応
自由エネルギー Δ r G という。特に圧力が 1 bar の場合のモル反応自由エネルギーは標準
反応自由エネルギー Δ r G 〇と呼ばれ、標準生成自由エネルギーΔ f G ○(J)と化学量論係数
ν J を使って、
Δ r G ○ =∑ J ν J Δ fG ○(J)=∑生成系ν J Δ fG ○-∑反応系ν J Δ fG ○
(3・40)(64)
と表される。つまり、Δ rG ○は標準状態における生成系と反応系の自由エネルギーの差で
ある。標準反応エンタルピー同様、標準反応自由エネルギーも個々の物質の標準生成自由
エネルギーが分かっていれば上式を使って計算することができる(アトキンス数値例 3・7 を
参照せよ)
。標準反応自由エネルギー、標準反応エンタルピー、標準反応エントロピーの間
には次の関係がある。
Δ rG 〇 = Δ rH 〇 - T Δ rS 〇
[3・39](65)
b 水溶液中の物質の標準生成自由エネルギー
水溶液中の物質の標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq)(3・2)や標準エントロピー S ○(aq)
(5・3・4b)を定義したように、水溶液中の物質の標準生成自由エネルギー Δ fG ○(aq)は、
「任意の温度 T において 1bar の定圧下で最も安定な状態にある構成元素から、水溶液中
に存在する任意の化合物を作るときの標準反応自由エネルギー」と定義される。さらに、
水溶液中のイオンの標準生成エンタルピーや標準エントロピーを定義したように、水溶液
*1 3・2 標準生成エンタルピーと 5・3・4 標準エントロピーを参照せよ。
- 102 -
中のイオン標準生成自由エネルギー Δ fG ○(aq)は、水溶液中の H+イオンの標準生成自由
エネルギーをゼロとすることによって定義される。
(1/2)H2(g) →
H (aq)
+
Δ fG ○(H , aq) = 0
[3・41](66)
+
これは、あるイオンの持つ自由エネルギーが、対イオンが何であろうとも変わりがないと
仮定することを意味している。例えば、
(1/2)H2(g) + (1/2)Cl2(g) → H (aq) + Cl-(aq)
(67)
+
○
-1
○
という反応の標準反応自由エネルギーはΔ rG =- 131.23 kJ mol である。Δ fG (H , aq)
+
= 0 なので、
(1/2)Cl2(g)→ Cl-(aq)
Δ fG ○(Cl-, aq)=- 131.23 kJ mol-1
(68)
となる。アトキンス数値例 3・8 を参照せよ。
c 水和自由エネルギー
3・3・3 で標準水和エンタルピーΔ hyd H ○、5・3・4c で標準水和エントロピーΔ hyd S ○を定義
したように、標準気圧下にある溶質(分子、原子またはイオン対)を溶媒である水で無限
に希釈した際に生じた自由エネルギー変化を標準水和自由エネルギーΔ hyd G ○ という。さ
らに、水溶液中の各イオンについてイオン標準水和エンタルピーやイオン標準水和エント
ロピーを定義したように、標準大気圧の気体状イオンが溶質である場合はイオン標準水和
自由エネルギーが定義される。
d まとめ
標準生成エンタルピーΔ fH ○
標準エントロピー S ○
標準生成自由エネルギーΔ fG ○
標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq)
標準水和エンタルピーΔ hydH ○
標準エントロピー S ○(aq)
標準水和エントロピーΔ hydS ○
標準生成自由エネルギーΔ fG ○(aq)
標準水和自由エネルギーΔ hydG ○
イオン標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq)
イオン標準水和エンタルピーΔ hydH ○
イオン標準エントロピー S ○(aq)
イオン標準水和エントロピーΔ hydS ○
イオン標準生成自由エネルギーΔ fG ○(aq)
イオン標準水和自由エネルギーΔ hydG ○
6・4 自由エネルギーと最大仕事・最小仕事(アトキンス 3・5)
ここで、任意の同温・同圧の熱平衡状態間の変化(化学反応を含む)を考えてみよう。
熱平衡状態 1
熱平衡状態 2
H1
ΔH
H2
S1
ΔS
S2
G1
ΔG
G2
- 103 -
同温・同圧
Δ G、Δ H、Δ S の関係の分類:
Δ G < 0 のとき、
条件
Δ H < 0、Δ S < 0
|Δ H|>|T Δ S|(エンタルピー型)
Δ H < 0、Δ S > 0
なし
Δ H > 0、Δ S > 0
ΔH<TΔS
Δ G > 0 のとき、
(エントロピー型)
条件
Δ H < 0、Δ S < 0
|Δ H|<|T Δ S|
Δ H > 0、Δ S > 0
ΔH>TΔS
Δ H > 0、Δ S < 0
なし
ここで、この状態変化に伴って系から PV 仕事以外の仕事(=非膨張仕事)we を得るこ
とを考える。このとき、
ΔH = ΔU + PΔV
(定温・定圧)
= w + q + PΔV
= we + q
(∵ w = we - P Δ V )
(69a)
なので、
q =Δ H - we
(定温・定圧、非膨張仕事あり)
(69b)
である。したがって、
Δ Suniv = -(q/T) + Δ S
(定温)
(70)
- T Δ Suniv = q - T Δ S
(定温・定圧、非膨張仕事あり)
(71)
定温・定圧、非膨張仕事あり、の場合はΔ G ではなく、q - T Δ S(=Δ G - we)をその
変化の不可逆性の尺度とする。
[考察Ⅶ] Δ G < 0、Δ H < 0(発熱)、Δ S < 0、|Δ H|>|T Δ S|(エンタルピー型)
である過程から、非膨張仕事を得ることを考える。
(確認)G、H 、 S は状態関数なので、変化の道筋に依らずΔ G、Δ H 、Δ S は常に同じ値であるが、q、we
は変化の道筋によって異なる値を取る。
- we
(系のする非膨張仕事)
q =Δ H - we
q - TΔS
(系の得た熱量)
(不可逆性の尺度)
0
ΔH <0
- we > 0
Δ H - we < 0
(少し仕事を得る)
↓ 仕事量増大
ΔH - TΔS< 0
(絶対値は減少)
Δ H - we - T Δ S < 0
不可逆
〃
(絶対値は減少している)
↓不可逆性の減少
↓系の得る
熱量減少
- we,max > 0
TΔS<0
Δ H - we,max - T Δ S = 0
可逆
q - T Δ S = 0 のとき、すなわち、可逆過程のとき系の得る熱量 q は、Δ S < 0 なので、
q = TΔS <0
(可逆過程)
である(q < 0 なので発熱)。このとき系のする非膨張仕事は最大で、
- 104 -
(72)
- we,max =-(Δ H - T Δ S )=-Δ G > 0
(可逆過程)
(73)
であることが分かる。つまり、可逆過程のときその変化から最大の仕事を得ることができ
る。そして、その最大仕事量はその過程の自由エネルギー変化-Δ G に等しい。
[考察Ⅷ] Δ G > 0、Δ H < 0(発熱)、Δ S < 0、|Δ H|<|T Δ S|(エントロピー型)
である過程を(仕事を加えることにより)進行させることを考える。(注意)以前に指摘
したように、化学反応の場合Δ r G > 0 であっても、反応は少しは進む。ここでは外部か
ら仕事をすることによって、反応を最大に進めることを考える。
we
(系に対してする仕事)
q =Δ H - we
q - TΔS
(系の得た熱量)
(不可逆性の尺度)
0
ΔH <0
we > 0
Δ H - we < 0
(少し仕事をする)
ΔH - TΔS> 0
(絶対値は増大)
↓ 仕事量増大
Δ H - we - T Δ S > 0
(絶対値は減少している)
↓反応が進む
↓系の失う
熱量減少
we,min
TΔS
↓
↓
we > we,min
Δ H - we,min - T Δ S = 0
可逆
↓
Δ H-we < T Δ S
Δ H - we - T Δ S < 0
不可逆
q - T Δ S がゼロになったとき反応を最大に進行させることができる。これより大きな
仕事を系に対して行っても、反応の進行度に変わりはない。つまり、可逆過程のとき最小
の仕事で反応を最大に進行させることができる。その最小仕事量は
we,min =(Δ H - T Δ S )=Δ G > 0
(可逆過程)
(74)
である。つまり、最小仕事量はその過程の自由エネルギー変化Δ G に等しい。
これらの考察から次のことが分かる。
(1)Δ G < 0 なる変化*1 については、その変化から仕事を取り出すことができる。この時
その変化から取り出しうる仕事の最大値=最大(非膨張)仕事- we, max =-Δ G である。
(2)Δ G > 0 なる変化については、その変化を起こさせるためには系に対して仕事をする
必要がある。その時系に対して行うべき仕事の最小値=最小(非膨張)仕事 we,
min
=Δ G で
ある。
熱平衡状態は G =極小であるが、この時この系から仕事を取り出すことはできない。
つまり、熱平衡状態とはそこから仕事を取り出すことのできない状態であると言える。
(参考)-Δ G が最大(非膨張)仕事であることを熱力学第二法則を使って一般的に証明する。熱力
学第二法則の数式的表現である第 5 章の式(22)
dS ≧ d'q/Te
(等号:可逆過程;Te = T、不等号:不可逆過程)
(75)
*1 ある熱平衡状態(例えば反応系)から他の熱平衡状態(例えば生成系)への変化という意味である。
- 105 -
に、dH = d'q + d'w - d(PV)を代入すると、
TedS ≧ dH - d'w - d(PV)
(76)
となる。ここに、d'w = d'we - PdV を使うと、
TedS ≧ dH - d'we - VdP
(77)
となる。ここで、定温・定圧の条件を課すと、
d'we ≧ dH - TedS = dG
(定温・定圧)
(78)
したがって、
- d'we ≦ - dG
- we ≦ -Δ G = 最大(非膨張)仕事
(定温・定圧)
(3・37)(79)
(定温・定圧)
(3・38)(80)
同様に、熱力学第二法則 dS ≧ d'q/Te に、dU = d'q + d'w を代入すると、
TedS ≧ dU - d'w
(81)
となる。これを書き直すと、
d'w ≧ dU - TedS = dA
(定温・定積)
(82)
したがって、
- d'w ≦ - dA
(定温・定圧)
(3・34)(83)
- w ≦ -Δ A = 最大仕事
(定温・定圧)
(3・35)(84)
となる(アトキンス根拠 3・2 参照)。
ここで、具多的な例を考察して理解を深めよう。硝酸銀水溶液 AgNO3 に金属亜鉛を浸
したとき、金属亜鉛は溶け出し、銀色に輝く針状の金属銀が金属亜鉛の表面に生える。こ
の反応は次のように書くことができる。
Zn (s) + 2Ag (aq) → Zn (aq) + 2Ag (s)
+
○
Δ fH /kJ mol
○
-1
S /J K mol
-1
-1
Δ fG ○/kJ mol
-1
(85)
2+
0
105.58
- 153.89
41.72
72.68
- 112.1
0
77.11
- 147.06
0
42.55
0
○
-1
Δ rH =- 153.89 - 2 × 105.58 =- 365.05 kJ mol
(86)
-1
Δ rS ○=- 112.1 + 2 × 42.55 - 41.72 - 2 × 72.68 =- 214.08 J K mol
○
Δ rG =- 147.06 - 2 × 77.11 =- 301.28 kJ mol
-1
-1
(87)
(88)
つまり、この反応は考察Ⅶで考えたΔ G < 0、Δ H < 0、Δ S < 0 なる反応である。反応
自由エネルギーが負なので、ビーカー内でこの反応を行えば、反応は何ら仕事をすること
もなく自発的に起こる。発熱反応なので、反応の結果溶液と外界を暖めるだけである。
この反応から仕事を取り出すことを考えよう。それには化学電池を組み立てればよい。
1.0 mol の硫酸亜鉛水溶液 ZnSO4(aq)に金属亜鉛を、1.0 mol の硝酸銀水溶液 AgNO3(aq)
に金属銀を差し込んで、両溶液は多孔性の隔壁によって電気的に接触させ、二種類の金属
をスイッチと電流計を並列に通してつなぐ。このとき各電極で、
Zn(s) → Zn2+(aq) + 2e-
(89)
-
Ag (aq) + e → Ag(s)
+
(90)
という反応が起こっているので、電池全体としては、
Zn (s) + 2Ag (aq) → Zn (aq) + 2Ag (s)
+
2+
- 106 -
(91)
という、先ほどの化学反応(85)と全く同じ反応が起きている*1。
この電池の平衡起電力は Eeq = 1.56 V で、電池の内部抵抗が R = 2.0 Ωであるとすると、
この回路に流れる電流は
I = Eeq/R = 1.56/2.0 = 0.78 [A]
(92)
-1
である。スイッチを入れて 5 分間電流を流すと、A = C s であるから
0.78 × 300 = 234 [C]
(93)
の電荷が Zn から Ag に移動する。このとき発生したエネルギーは
W・t = I2Rt = (0.78)2 × 2.0 × 300 = 365 [J]
(W = IV)
(94)
次にこの電池にモーターをつないで外部に仕事を取り出すことにしよう。このモーター
の抵抗を 8.0 Ωとする。このとき回路に流れる電流は、
I = 1.56/(8.0 + 2.0) = 0.156 [A]
(95)
である。この状態で 234 C の電荷を移動させるためには、
234/0.156 = 1500 [s]
(96)
1500 秒= 25 分間回路に電流を流す必要がある。このとき、モーターには
(0.156)2 × 8.0 × 1500 = 292 [J]
(97)
のエネルギーを取り出すことができ、電池では
(0.156) × 2.0 × 1500 = 73 [J]
(98)
2
のエネルギーが無駄に消費された。
モーターの抵抗を無限大に大きくし、電流を流す時間を無限大にすれば、(原理的には)
365 J を全て仕事として取り出すことができる*2。ところで、この反応では
234/96485*3 = 2.42 × 10-3 [mol]
(99)
-3
の電子が発生するので、式(89)より 1.21 × 10 mol の亜鉛が溶解したことになる。したが
って、(86)、(88)より
-Δ rH ○(= 365.05 kJ mol- )× 1.21 × 10- mol = 443 J
1
3
-1
-3
(100)
-Δ rG ○(= 301.28 kJ mol )× 1.21 × 10 mol = 365 J
(101)
-3
-3
1.21 × 10 mol の亜鉛を溶液中で反応させると、443 J の熱が発生し、1.21 × 10 mol の亜
鉛を化学電池として反応させると、365 J の仕事を最大取り出すことができる(最大仕事)。
この差が T Δ S である。
298.15 K × 214.08 J K-1 mol-1 × 1.21 × 10-3 mol = 77 J
(102)
次に充電することを考えてみよう。これは先ほどの逆反応
2Ag(s) + Zn2+(aq) → Zn(s) + 2Ag+(aq)
○
(103)
-1
○
を行わせることを意味する。この反応のΔ H = 365.05 kJ mol 、Δ G = 301.22 kJ mol-1
である。充電を行わせるには、電池より高い電圧の電源を用いればよい。例えば、内部抵
抗 6.0 Ωで電圧が 6.0 V のバッテリーを使うとしよう。そのとき、
*1 この例のように金属 M1 とその塩(M1X1)、および別の金属 M2 とその塩(M2X2)とを組み合わせた
電池をダニエル型電池ということがある。
*2 例えば、モーターの抵抗を 1000 Ωにすれば、364.3J のエネルギーを取り出すことができる。しかし、
このとき電流を流す時間は 150300 s(= 41.75 h)もかかる。
-1
*3 電子 1 mol 当たりの電荷量 eNA = 96485 C mol を Faraday 定数という。
- 107 -
I = (6.0 - 1.56)/(2.0 + 6.0) = 0.555 [A]
(104)
の電流が流れる。充電するには、
234/0.555 = 422 [s]
(105)
約 7 分回路を接続すればよい。このとき、
(0.555)2 × 8.0 × 422 = 1040 [J]
(106)
の熱が発生する。つまり、1040 + 365 = 1405 [J]の仕事をして、365 J のエネルギーを電
池に貯えたことになる。バッテリーの電圧を電池の起電力 1.56 V に限りなく近づけ、電
流を流す時間を限りなく長くしてやると、無駄に発生する熱はゼロになり、充電に要する
仕事は 365 J のみになる(最小仕事)*1。
もう一度 Δ G <0、Δ H <0(発熱)、Δ S <0である任意の反応を考えてみよう 。
*2
ΔG = ΔH - TΔSを
-Δ H =-Δ G - T Δ S
(107)
と置き換えてみる。Δ H は、定圧変化において系自身の体積変化に伴うエネルギー変化
を除く系の全エネルギー変化であり、定圧定温下での自発変化における(全く仕事をしな
い時の)反応熱である。つまり、この時系はエネルギーを全て熱として放出する。この定
圧定温変化における放出エネルギー=-Δ H のうちから仕事を取り出す場合、この変化
を可逆的に進行させるときに最大の仕事量が得られるが、それは-Δ H ではなく-Δ G
である。つまり、-Δ H を全部仕事として取り出すことはできない(熱として-Δ H を全
部放出することはできるが)。残りの- T Δ S(=-Δ H - (-Δ G))はどうしても熱と
して出てしまう。なぜなら、最大仕事は可逆過程において可能なので、そのとき系のエン
トロピーが増大しているなら、宇宙のエントロピー変化が零になるように、熱だめに- T
Δ S だけ熱がどうしても移動しなければならないからである(Δ S =-Δ S
therm
)
。Δ H は
全く不可逆な過程における熱量変化、T Δ S は可逆過程における熱量変化で、その差Δ G
が仕事として取り出せる最大量(=最大仕事)となる。これが G が自由エネルギーという
名前の付いている所以である。
Δ G < 0、Δ H < 0(発熱)、Δ S > 0 の場合は面白いことが起こる。可逆過程では、q
= T Δ S > 0 なので、吸熱することが分かる。つまり、この反応は自発的に行えば、発
熱反応であるが、可逆的に行えば、吸熱反応になるのである。これは、Δ S > 0 なので、
ΔS
univ
= 0(可逆過程)であるためには、Δ S
therm
< 0 でなければならない。つまり、熱
だめから系へ熱が流れるので吸熱となる。したがって、-Δ G(=-Δ H + T Δ S)>-
Δ H、つまり-Δ H 以上の仕事を得ることができるのである。
☆ 電池の平衡起電力
電荷 q を無限遠から位置 r まで移動させたときに行う仕事 w は、無限遠における電位
*1 例えば、バッテリーの内部抵抗が 6 Ωで電圧が 1.6 Vのとき、無駄に発生する熱量は 9.36 J である
が、電流は 46800 s(= 13 h)も流さなければならない。
*2 アトキンス 3・5(c)最大仕事を参照せよ。同様の内容を Helmholtz の自由エネルギーに基づいて考察
している。
- 108 -
をφ(∞)= 0、r における電位をφ(r)とすると、w = q φ(r)である*1。したがって、電池反
応でν mol の電子が電位差 E(> 0)の電極間を移動したときになされる仕事は、
w =-ν FE
(108)
である(この負号は電子の電荷が負であるから)。ここで、F はファラデー定数で、電池
の起電力 E は電極間の電位差なのでその単位は V(ボルト)である。電池反応を可逆的
に行わせたときに得られる(=系のする)最大仕事はその反応の自由エネルギー変化Δ rG
に等しい。したがって、
- wmax =ν FEeq =-Δ r G
(7・27)(109)
ここで Eeq は電池の平衡起電力である 。この式を使って上述した電池の Eeq を求めると、
*2
ν= 2 なので、
Eeq =-Δ r G /ν F = 301.28 kJ mol- /(2 × 96485 C mol- )= 1.56 V
1
1
(110)
となる。
6・5 自由エネルギーと化学平衡(アトキンス 7・1、7・2)
6・5・1 化学ポテンシャル
化学反応系は多成分系なので、6・1・4g で紹介した部分モル量という概念を導入する。
部分モル Gibbs 自由エネルギーは化学ポテンシャルμ J と呼ばれている。
μ J ≡ (∂ G/∂ nJ)T, P, nK
(K ≠ J)
[5・4](111)
これは式(44)に対応する。純物質の場合は化学ポテンシャルはモル Gibbs 自由エネルギー
Gm である。
μ= Gm
(112)
化学ポテンシャルの大小は、その系から粒子が飛び出していこうとする傾向の強弱を表し
ている。化学ポテンシャルが高いほど不安定なので、化学ポテンシャルの高い系から低い
系に粒子が流れる( 濃度勾配ではなく、化学ポテンシャル勾配)。これは、熱力学ポテン
シャルと同様の意味で、熱力学的なポテンシャルである。化学ポテンシャルは物質の交換
が許されている二つの系の間の平衡問題(相平衡や化学平衡など)を扱うときに重要にな
る。相平衡の平衡条件は二つの系の化学ポテンシャルが等しいことである。6・5 ~ 6・7 で
化学ポテンシャルを導入するが、詳しくは後学期の「物理化学Ⅳ」で取り扱う。
6・5・2 化学平衡定数
定温・定圧下での理想気体の反応として、便宜上次のような反応を考えることにする。
*1(参考)電流の向きと電子の流れる方向は逆である。電流は電位の高い所から低い所へ自発的に流
れるものと約束すると、電子は電位の低い所から高い所へ向かって自発的に流れる。電子は q =- e
< 0 なので、φ> 0 のとき w = q φ< 0 となり、電子は仕事をする=電位の高い所へ移動する、こと
が分かる。
*2 この平衡とは電極と電解質溶液が化学平衡にあるときの起電力という意味で、電池反応が平衡状態
にあるわけではない。そのときは電池の起電力は零になる。
- 109 -
aA + bB = cC + dD
(113)
a、b、c、d に対して 3・1・3 で導入した(化学)量論数ν J を使う。
ν A =- a、ν B =- b、ν C = c、ν D = d、
(114)
反応物の係数に対しては負号を付けることに注意する。次に反応の進行度ξを次式で定義
する。
ξ≡(nJ - nJ )/ν J
(115)
init
ここで、nJ は任意の時刻における成分 J のモル数(あるいは濃度)、n
init
J
は J の初期モル数
(初濃度)である。A を a mol、B を b mol 反応させたとすると、反応前は
(nA - nAinit)/ν A =(a - a)/- a = 0
(nB - nBinit)/ν B =(b - b)/- b = 0
(116)
(nC - n )/ν C =(0 - 0)/ c = 0
init
C
(nD - nDinit)/ν D =(0 - 0)/ d = 0
完全に反応が進行して C が c mol、D が d mol できると、
(nA - nAinit)/ν A =(0 - a)/- a = 1
(nB - nBinit)/ν B =(0 - b)/- b = 1
(117)
(nC - n )/ν C =(c - 0)/ c = 1
init
C
(nD - nD )/ν D =(d - 0)/ d = 1
init
となる。つまり、反応の進行に伴ってξは 0 ~ 1 の間の値をとる。nJinit は定数なので、無
限小変化 d ξは、
d ξ= dnJ/ν J
あるいは
dnJ/d ξ=ν J
(118)
という関係になる。つまり、反応の進行に伴う物質量の変化 dnJ/d ξは化学量論数に等し
い。反応系の量論数は負号を付けるので、反応の進行に伴って反応物の物質量が減少する
こととこの関係式は一致している。反応の進行に伴う物質量の変化速度が量論数の大きさ
に比例することも容易に理解できる。
反応系と生成系を合わせた系全体の自由エネルギー G は各成分の化学ポテンシャルμ
J
を使って次式で表される(式(39)に対応する)。
G(ξ)=∑ J nJ(ξ)μ J(ξ)
(119)
反応の進行に伴って G、 nJ、μ J は変化するので、それを示すために(ξ)を付けた。反応
の進行に伴って G がどの様に変化するかは次式で与えられる。
dG(ξ)/d ξ=∑ J {dnJ(ξ)/d ξ}μ J(ξ)+∑ J nJ(ξ){d μ J(ξ)/d ξ}
(120)
定温・定圧下での Gibbs-Duhem の式 を使って、上式は
*1
(∂ G/∂ξ)T, P =∑ J μ J(dnJ/d ξ)=∑ J ν J μ J(ξ)
(7・15)(121a)
と書くことができる 。ここで、(∂ G/∂ξ)T, P は任意の反応進行度ξにおける反応の推進
*2
力を表しており(アトキンス図 7・1 参照)、上式はそれがその進行度における生成系と反応
系の自由エネルギー変化の差であることを示している。
(∂ G/∂ξ)T, P =∑生成系ν J μ J(ξ)-(-∑反応系ν J μ J(ξ))
(121b)
*1 この場合には∑ J nJ d μ J = 0 となる。
*2 アトキンスでは(∂ G/∂ξ)T, P をΔ rG と表記しているが(式[7・1])、反応自由エネルギーと混同し
やすいので、ここでは用いないことにする。
- 110 -
なぜなら、dnJ/d ξ=ν J なので、ν J μ J(ξ)は進行度ξにおける化学種 J の化学ポテンシ
ャル変化(自由エネルギー変化)を表しているからである。化学平衡状態では G は極値
となっているので、
(∂ G/∂ξ)T, P =∑ J ν J μ Jeq = 0
ここで、μ
eq
J
(化学平衡、定温・定圧)
(122)
は化学平衡時の J 種成分の化学ポテンシャルである。つまり、化学平衡状
態では、反応が微小進行 d ξしたとき、生成系と反応系の自由エネルギー変化が同じなの
である。
(121a)式は定温・定圧下での一般的な式である。次にもう少し具体的に気相反応につい
て考えてみよう(アトキンス根拠 7・1 参照)
。気相中の成分 J の化学ポテンシャルは自由エネ
ルギーの圧力依存の式(60a)と同じように、
μ J(g)=μ J ○(g)+ RT ln(PJ/P ○)
(5・14a)(123)
で与えられる。ここで、μ J ○(g)は 1 bar のときの純粋気体 J の化学ポテンシャル、PJ は J
成分の分圧である。この式を(121a)式に代入すると、
(∂ G/∂ξ)T, P =∑ J {μ J ○(g)+ RT ln(PJ/P ○)}ν J
=∑ J ν J μ J ○(g)+ RT ∑ J ν J ln(PJ/P ○)
=Δ rG ○+ RT lnQ
○
○
(7・5)(7・11)(124)
○
となる。ここで、μ J =Δ fG (J)であるから、∑ J ν J μ J (g)は 6・3 で与えた標準反応
自由エネルギーΔ rG ○に等しい。
∑ J ν J μ J ○(g)=Δ rG ○=∑ J ν J Δ fG ○(J)
(理想気体)
(7・12)(125)
また
Q =Π J(PJ/P ○)ν J
(126)
は反応比である(アトキンス数値例 7・2 参照)
。ここでΠは積を意味する。例えば、(113)式
の反応については
RT ∑ J ν J ln(PJ/P ○)
= RT{ln(PA/P ○)ν A + ln(PB/P ○)ν B + ln(PC/P ○)ν C + ln(PD/P ○)ν D}
= RT ln{(PA/P ○)ν A(PB/P ○)ν B(PC/P ○)ν C(PD/P ○)ν D}
= RT ln Π J(PJ/P ○)ν J
(127)
である。Q を(113)式の反応について書けば、
Q =(PC/P ○)c(PD/P ○)d /(PA/P ○)a(PB/P ○)b
(128)
となる。平衡状態では PJ は一定の値 P をとる。そのときの Q を特に K と書き、これを
eq
J
化学平衡定数と呼ぶ。
K =Π J(PJeq/P ○)ν J = Qeq
(理想気体)
(129)
○
Δ rG は温度 T が指定されれば一定の値をとる。平衡状態では(∂ G/∂ξ)T, P = 0 なので、
(124)式から
Δ rG ○=- RT lnK
(定温・定圧、化学平衡)
(7・8)(7・17)(130)
という関係が求められる(ln = loge(自然対数)
)。これは化学熱力学において最も重要な
関係の一つである。この式は理想気体あるいは気相反応に限らず一般的な形であるが、
Δ r G ○ および K は反応の種類によって異なる。(125)、(129)式は理想気体の場合のみ適
用可能である。
- 111 -
6・5・3 反応の進行に伴う系の自由エネルギーの変化
定温・定圧下で起こる反応の進行に伴って系の自由エネルギーがどのように変化するか
を、次の気相反応を例に考察してみよう。気体は理想的であると仮定する。
NO(g) + (1/2)O2(g) → NO2(g)
(131)
○
86.55
0
51.31
Δ rG =- 35.24 kJ mol
Δ fH ○
90.25
0
33.18
Δ rH ○=- 57.07 kJ mol-1
Δ fG
○
-1
反応前は nNO = 1 mol、nO2 = 0.5 mol とする。NO が x mol 消費され、NO2 が x mol 生成し
たとき、
nNO =(1 - x) mol、nO2 = 0.5(1 - x) mol、nNO2 = x mol
(132)
nNO + nO2 + nNO2 = 0.5(3 - x) mol
である 。圧力一定のもとで反応を行わせているが、それを 1 bar とする。つまり、反応
*1
前の NO と O2 の圧力はそれぞれ 1 bar で、反応が起こっているときの系全体の圧力も 1 bar
に保つ。このとき各成分の分圧は
PNO = 2(1 - x)/(3 - x) bar、PO2 =(1 - x)/(3 - x) bar、PNO2 = 2x/(3 - x) bar
(133)
である。また、このときの系の自由エネルギー Gx は(119)式より、
Gx = nNO ×μ(NO)+ nO2 ×μ(O2)+ nNO2 ×μ(NO2)
(134)
○
○
である。化学ポテンシャルは(123)式で与えられる。また、μ J =Δ fG (J)であるから、
(134)式は
Gx =(1 - x)Δ fG ○(NO)+ x Δ fG ○(NO2)
○
(135)
○
○
+ RT{(1 - x)ln(PNO/P )+ 0.5(1 - x)ln(PO2/P )+ xln(PNO2/P )}
となる(Δ fG ○(O2)= 0 である)。
ここで、(135)式を使って系の自由エネルギーが反応の進行に伴ってどの様に変化する
かを概観してみよう。
ⅰ)298 K、1 bar の NO 1 mol と 298 K、1 bar の O2 0.5 mol が別々に存在している。その
ときの系全体の自由エネルギーは、
G = G(NO)+ G(O2)= nNO Δ fG ○(NO)+ nO2 Δ fG ○(O2)
○
=Δ fG (NO)= 86.55 kJ mol
(136)
-1
ⅱ)298 K、1 bar のもとで NO 1 mol と O2 0.5 mol を混ぜた直後。反応はまだ起こっていな
いとする。(136)式について x = 0 を代入し、分圧は(133)式から求めると、
Gx =Δ fG ○(NO)+ RT{ln(2/3)+ 0.5ln(1/3)}
= 86.55 - 2.343 = 84.21 kJ mol
(137)
-1
反応が起こっていないのに系の自由エネルギーが減少しているのは、混合自由エネルギー
による。
ⅲ)298 K、1 bar のもとで反応が完全に進行したとき(x = 1 のとき)。
Gx =Δ fG ○(NO2)= 51.31 kJ mol-1
(138)
ⅰ)の状態とⅲ)の状態の自由エネルギーの差- 35.24 kJ mol-1 が反応自由エネルギーであ
る。ⅱ)とⅲ)の差ではない。反応エントロピー、反応エンタルピーも同様である。
次に、(135)式を使って反応の進行に伴って自由エネルギーがどの様に変化するかを詳
*1 この場合この x は反応の進行度ξに等しい。
- 112 -
しく考察してみよう。この反応の自由エネルギー変化Δ rG ○は 51.31 - 86.55 =- 35.24 kJ
mol-1 であるが、考察するときの便宜を考えて、仮にΔ rG ○=- 5 kJ mol-1 およびΔ rG ○=
+ 1 kJ mol- であるとして計算することにする。
1
①Δ rG ○=- 5 kJ mol-1 のとき:Δ fG ○(NO2)= 81.55 kJ mol-1 と仮定する。
x=0
Gx = 84.21 kJ mol-1
x = 0.2 Gx = 0.8 × 86.55 + 0.2 × 81.55 + RT(0.8ln0.571 + 0.4ln0.286 + 0.2ln0.143)= 82.23 kJ mol-
1
x = 0.4 Gx = 0.6 × 86.55 + 0.4 × 81.55 + RT(0.6ln0.462 + 0.3ln0.231 + 0.4ln0.308)= 81.14 kJ mol-
1
x = 0.6 Gx = 0.4 × 86.55 + 0.6 × 81.55 + RT(0.4ln0.333 + 0.2ln0.167 + 0.6ln0.5) = 80.54 kJ mol-
1
x = 0.8 Gx = 0.2 × 86.55 + 0.8 × 81.55 + RT(0.2ln0.182 + 0.1ln0.091 + 0.8ln0.727)= 80.48 kJ mol-1
x = 1.0 Gx = 81.55 kJ mol-1
Δ rG ○=- 5 kJ mol- のとき、(130)式より K = 7.52 である。各成分の分圧は(133)式で与
1
えられているので、(129)式より
eq
eq
eq
1/2
K =(PNO2 /P ○)/(PNO /P ○)(PO2 /P ○)
={x/(1 - x)}{(3 - x)/(1 - x)}
(139)
1/2
であるから、平衡状態の反応の進行度 xeq は 0.724 と求められる。つまり、化学平衡状態
では NO2 が 0.724 mol できるが、NO は 0.276 mol、O2 は 0.138 mol 残っている*1。このと
きの Gx は
Gx = 0.276 × 86.55 + 0.724 × 81.55 + RT(0.276ln0.243 + 0.138ln0.121 + 0.724ln0.636)= 80.43 kJ mol-1
と求められる。結果を図にして F2 ページに示す。
②Δ rG ○=+ 1 kJ mol-1 のとき:Δ fG ○(NO2)= 87.55 kJ mol-1 と仮定する。
x=0
Gx = 84.21 kJ mol-1
x = 0.1 Gx = 83.62 kJ mol-
1
x = 0.2 Gx = 83.43 kJ mol-1
x = 0.3 Gx = 83.42 kJ mol-
1
x = 0.4 Gx = 83.54 kJ mol-1
Δ rG ○=+ 1 kJ mol-1 のとき、K = 0.668 で、xeq は 0.258 である。つまり、化学平衡状態
では NO2 が 0.258 mol できる。このときの Gx は
Gx = 83.408 kJ mol-1
と求められる。結果を図にして F2 ページに示す。
これまで、任意の過程における自由エネルギー変化が正ならその過程は自発的に進行せ
ず、負なら自発的に起こるとした。しかし、化学反応では化学平衡状態において(130)式
が成立するので、Δ rG ○< 0 なら K > 1、Δ rG ○> 0 なら 0 < K < 1 であることがわかる。
つまり、Δ rG ○が負の値でも K は有限の値なので、反応が完全に 100 %進行することは
ないし、Δ rG ○が正の値でも、反応物より生成物の方が少ないけれども、ある程度反応し
て生成物ができることが分かる。
Δ rG ○< 0 なのになぜ反応が最後まで完結しないのか?Δ rG ○> 0 なのになぜ反応が少
しは進行するのであろうか? Gx の式(135)を見ると、(1 - x)Δ Gf ○(NO)+ x Δ Gf ○(NO2)
○
-1
6
eq
*1 実際はΔ rG =- 35.24 kJ mol なので、K = 1.5 × 10 で、x = 0.9999 である。NO は平衡状態で
-4
も 10 mol 程度は残ることが分かる。
- 113 -
の部分は x の増大とともに単調に変化していく。これは反応物が生成物に置き換わること
による Gx の変化への寄与である。もしこれだけが Gx の変化の原因なら、x = 1 の状態、
つまり反応が 100 %進行した状態が実現されるはずである。このとき、Gx は単調に減少
するだけである。Gx に F2 ページの図のような極小が現れるのは、(135)式の第 3 項 RT{(1
- x)ln(PNO/P ○)+・・・}の項があるからである。理想気体では、
Δ mixG = nRT ∑ J xJ lnxJ = - T Δ S
mix
(140)
○
であり、(135)式の第 3 項(1 - x)RTln(PNO/P )・・・はこの混合関数 nRT ∑ J xJ ln xJ から
できていることが分かる。つまり、反応物と生成物が混ざり合うことによる混合自由エネ
ルギーが Gx の変化に寄与するのである(アトキンス図 7・3、分子論的解釈 7・1 参照)。つまり、
反応が完全に進行してしまって、全く反応物がない状態よりも、あるいは、反応が全く進
行せず生成物が無い状態よりも、少しでも反応物あるいは生成物が存在し混ざっている状
態の方がエントロピー効果によって安定化するのである。つまり、Δ rG ○が負である反応
でも、反応が完結せずに多少とも反応物が残っている状態で化学平衡に達するのは、ある
いはΔ rG ○が正でも僅かであっても反応が進行するのは、二種類以上の物質(反応物と生
成物)が互いに混ざり合おうとする傾向(=エントロピーを増大させようとする傾向)が
あるためである。
6・5・4 外部条件の化学平衡への影響
a Le Chatelier の原理
平衡状態にある物質系で温度や圧力等の外部条件を変えた場合、平衡状態がどのように
移動するかを示す法則を、Le Chatelier(ル-シャトリエ)の原理という。これは一般的には次
のように表すことができる。「ある熱力学的平衡状態にある系が外部からの作用によって
平衡が乱された場合、この作用に基づく効果を弱める方向にその系の状態が変化する。」
この原理に基づいて化学平衡への圧力と温度の影響を見てみよう。
b 圧力の影響(アトキンス 7・3)
任意の気相反応の標準反応自由エネルギーΔ rG ○は、標準圧力 1 bar で定義された量な
ので、その反応がどの様な圧力のもとで行われるかには関係しない。したがって、平衡定
数 K は圧力に依存しない。しかし、外部圧力を変えたとき、平衡定数は同じでも各成分
の平衡分圧あるいは平衡モル分率が同じとは限らない。たとえば、先ほどの気相反応の例
では、反応が 1 bar のもとで行われたときの平衡定数 K は反応進行度ξを用いて、
K =[ξ/(1 -ξ)][(3 -ξ)/(1 -ξ)]1/2
(141)
と表される(式(139))が、反応が 2 bar のもとで行われたときは、
K =[ξ/(1 -ξ)][(3 -ξ)/(1 -ξ)]1/2 × 1/√ 2
(142)
となる(なぜなら、K ∝(PO2 ) だから)。したがって、1 bar のときの平衡反応進行度は 0.724
eq
-1/2
であったが、2 bar のときの平衡反応進行度は 0.773 である。つまり、圧力を上げると反
応がより右側に進行するのである(しかし平衡定数の値は変わらない)。これは Le Chatelier
の原理より次のように解釈できる。今考えている反応では、反応系は 1.5 mol で生成系は 1
mol である。つまり反応が進行するほど系の体積は減少する。いま系の圧力を増加させる
- 114 -
とその効果を弱める(、系の圧力を下げる)方向に平衡がずれるのであるから、体積が小
さくなる方向つまり生成物の増える方向に平衡がずれる。一般に、気相反応では∑
J
ν
J
≠ 0 のとき、平衡組成(平衡反応進行度といってもよい)は測定圧力に依存して変化する
(∑ J ν J = 0 のときは平衡定数も平衡組成も圧力に依存しない)。今の例では∑ J ν J =
- 0.5 であった。測定圧力を上げた場合、∑ J ν J > 0 なら平衡は左にずれ、∑ J ν J < 0
なら右にずれる。アトキンス数値例 7・5 参照
(参考)アンモニアは化学肥料の原料や硝酸などの工業原料として重要であるが、それを窒素と水素
から直接大量に合成するときには大きな問題があった。この反応は発熱反応なので、次の節で説明す
るように低温にするほど反応が促進する。しかし、低温では反応速度が遅いので工業的には低温で合
成するのは問題があった。そこで F.Haber は鉄を主触媒として使い反応速度を速くし、さらに高圧で
反応を行わせることによって平衡を右にずらし(アトキンス数値例 7・5 参照)高温にしても十分生成
物ができるようにして合成する方法(Habar-Bosh 法という)を考案し、1918 年にこの功績でノーベル
化学賞を受賞した。
c 温度の影響(アトキンス 7・4)
反応エンタルピーΔ rH と反応エントロピーΔ rS が温度に無関係であるとするのは有用
な近似になる。これは、反応系でも、生成系でも、各系のエンタルピーやエントロピーが
温度変化に伴って同じ程度変化するためである。Δ rH とΔ rS は生成系と反応系の差なの
で、温度にあまり依存しないことが分かる。これに対して、反応自由エネルギーΔ rG は
温度依存する。それはエントロピー項 T Δ rS が温度に比例するからである。したがって、
Δ rG の温度に対するプロットはよい直線性を示すし、Δ rS が小さい反応ではΔ rG はあま
り温度変化しない。したがって、化学平衡は一般に温度の影響を受けやすい。平衡の諸条
件が温度と伴に急速に変化する。これは温度が化学反応を制御する強力な手段となること
を意味する。
発熱反応(Δ rH < 0)はその名のとおり発熱して系の温度を上昇させるので、反応温
度を上昇させれば反応が抑制される、つまり平衡が左にずれることが Le Chatelier の原理
から結論できる。吸熱反応(Δ rH > 0)の場合は反応温度を上げれば逆に反応が促進す
ることが結論できる。これは次の一般則(Δ H-Δ S 補償関係)、一般にΔ rH < 0 の反応
は反応エントロピーもΔ rS < 0 で、Δ rH > 0 の反応は反応エントロピーもΔ rS > 0 であ
る、からも説明できる。定温・定圧のもとではΔ rG =Δ rH - T Δ rS なので、Δ rH < 0、
Δ rS < 0 の反応はエンタルピー効果によって起こる。そして、エントロピー効果は反応
を阻害する働きをし、これは温度とともに増大していくので、この反応は温度を上げるに
つれて起こりづらくなる。Δ rH > 0、Δ rS > 0 の場合は、反応はエントロピー効果によ
って起こるので、温度の上昇とともに反応が促進される。Boltzmann 分布による化学反応
の考察がアトキンス分子論的解釈 7・3 に載っているので参照せよ。
化学平衡がどのように温度に依存するかを定量的に考察してみよう。反応自由エネルギ
ーの温度依存性は Gibbs-Helmholtz の式(52b)によって与えられる。 Δ r G ○ 、K は圧力に
依存しないので、
d(Δ rG ○/T)/dT =-Δ rH ○/T
(143)
2
- 115 -
と書ける。これから平衡定数の温度依存の式として次の van't Hoff(ファントホッフ)の式が
得られる(アトキンス根拠 7・2 参照)。
dlnK/dT =Δ rH ○/RT
(7・23)(144a)
2
あるいは dT/T =- d(1/T)なので、
2
dlnK/d(1/T)=-Δ rH ○/R
(7・23)(144b)
○
標準状態においてΔ rH < 0 の反応(発熱反応)は dlnK/dT < 0 なので、平衡定数が温度
の上昇と伴に小さくなることが分かる。これは Le Chatelier の原理による定性的な考察と
一致する。
さらに、標準反応エンタルピーΔ rH ○が温度に無関係であると仮定すると、van't Hoff
の式を積分して次の関係を得る。
lnK =-Δ rH ○/RT +定数
(145)
これは lnK を 1/T に対してプロットすれば、直線性を示し、その勾配からΔ rH ○が求めら
れることを示している。平衡定数の温度変化を測定するだけで、測定温度の全範囲にわた
る熱力学諸関数の全て、Δ rG ○(=- RT lnK)
、Δ rH ○、Δ rS ○(={Δ rH ○-Δ rG ○}/T)
を求めることができる。アトキンスの例題 7・3 を参照せよ。
ある温度 T1 における平衡定数の値 K1 が既知のとき、別の温度 T2 における平衡定数の値
を見積もりたいときは、やはり標準反応エンタルピーΔ rH ○が温度変化しないと仮定して、
van't Hoff の式を積分した式
lnK2 - lnK1 =(-Δ rH ○/R)(1/T2 - 1/T1)
(7・25)(146)
を使って求めることができる。アトキンス数値例 7・6 を参照せよ。
6・6 実在気体の熱力学的取り扱い-フガシティー-(アトキンス補遺 3・2)
実在の系では何らかの原因で理想性からのずれがあるために、理想系についての諸法則(例:理想
気体の状態方程式)がそのままの形では成立しなくなる。それらをいかにして 実在系(正確には 非理
想系)に拡張するかという方法論を実在気体を例に取り上げて考えてみよう。
実在の系に適用できる法則を求める方法としてまず考えられるのは、理想性からのずれの原因を想
定した上で、ずれの大きさを理論的に計算して補正することである(例:実在気体に対する van
der
Waals の式)。このような方法で実在系の法則を導くためには、少なくとも次の二つの条件が満足され
なければならない:①理想性からのずれの原因が既知であるかまたは推定できること; ②ずれの原因に
ついて適当なモデルを考え、それに基づいてずれの大きさを表す理論式を組み立てられること。この
条件を満足することは必ずしも容易なことではなく、また一般的には導かれる式の形が系によって異
なるであろう。
そこで、理想系の式をある状態関数のべき級数で展開することを考える(例:実在気体に対する virial
状態方程式)。つまり、理想系の法則はこのべき級数の第一項であるとして取り扱う。数学的には高次
の項までとればとる程パラメータの数が増えるので一致は良くなる。正確な計算をする場合はこの方
法が優れているかもしれないが、問題点としては展開項の物理的意味が必ずしも明確ではないことで
ある。展開項の意味付けは理論的な考察(=統計力学)に基づいて行われなければならない。
もう一つの方法は、適当な 補正係数を導入することによって、理想系についての単純な法則を、そ
- 116 -
のままの形で実在の系へ拡張する方法が考えられる。理想性からのずれの原因が何かはこの時点では
考える必要がなく、ずれの全てが数値的に補正係数に押し付けることができる。この補正係数の値が
系の理想性からのずれを表しているので、系の詳細に立ち入ることなく(これが熱力学の特徴であっ
た)それなりの知見を与えてくれる。しかし、この補正項の理論的解析(なぜそのようなずれが生じ
るか)は統計力学によらなければならない。ここではこの第 3 の方法について考察してみよう。
フガシティー f とは、圧力 P の代わりにそれを用いることによって、理想気体について
導かれた法則がそのままの形で実在気体にも適用できるように定義された量である。つま
り、圧力 P を示す実在気体ではなく、フガシティー f を示す理想気体が存在すると仮想す
るのである。仮想的に f という圧力を示す理想気体が存在すると考えるのである。この意
味で、フガシティーは実在気体を理想系に換算した場合の実効(、有効)圧力と見なすこ
とができる。言い換えれば、分子間力が全部消滅した仮想的な状態を考えたときの圧力が
フガシティーである*1。これが理想系に換算したという意味である。自由エネルギーと化
学ポテンシャルの圧力依存性はそれぞれ、式(60a)、(123)で与えられる。
G = G 〇+ nRT ln(P/P 〇)
〇
〇
μ= μ + RT ln(P/P )
(理想気体)
(3・57)(147 理)
(理想気体)
↓
〇
G = G + nRT ln(f /P 〇)
〇
〇
μ= μ + RT ln(f /P )
式(147 理)と(147 実)の G
〇
(実在気体)
(3・58)[147 実]
(実在気体)
〇
とμ は同じものである。ここで、
〇
Δ G = G - G = nRT ln(P /P 〇)=- T Δ S
(理想気体)
(148)
であるが、
Δ G = G - G 〇= nRT ln(f /P 〇)=Δ H - T Δ S (実在気体)
(149)
である。理想気体の自由エネルギーの圧力変化はエントロピー効果のみによったが、実在
気体の場合は粒子間相互作用に起因するエンタルピー効果Δ H も寄与する。
ここでフガシティーを理解するために次のような系を考察してみよう。H2(g)と N2(g)
の混合気体と純粋な H2(g)がパラジウム膜を仕切として接触している系を考える。水素は
パラジウム膜を自由に通過できるが、窒素は通過できない。純粋な H2(g)は理想気体と仮
定する。例えば、混合気体の全圧が 30 bar で、H2(g)の分圧 PH2 が 10 bar であるとする*2。
このとき純粋な H2(g)の圧力 P が 8 bar で
平衡状態になったとしたら、混合気体中の
全圧= 30 bar
H2(g)
H2(g)
H2(g)のフガシティーは 8 bar である。こ
分圧 PH2 =10 bar
圧力 P = 8 bar
れは混合気体中で H2(g)と N2(g)の間とに
N2(g)
引力が働き、H2(g)が系から飛び出してい
くのを妨げたからである(これらの数値は
パラジウム膜
正確な値ではない)
。
*1「物理化学Ⅰ」で導入した遮蔽効果、有効核電荷と比較せよ。有効核電荷は‘遮蔽された核電荷のも
とでの電子相関のない電子’という仮想的な状態の見かけ上の核電荷である。
*2 分圧は全圧×モル分率から求められる。
- 117 -
これを化学ポテンシャルを使って考えてみよう。混合気体中の H2(g)の化学ポテンシャ
ルμ
H2
が純粋な H2(g)のモル自由エネルギー Gm(単)=μ(H2)に等しいことが平衡条件で
ある。なぜなら、もしこれらの化学ポテンシャルが等しくなければ、化学ポテンシャルの
高い方から低い方に H2(g)分子が移動したとき、系全体の自由エネルギーは減少するので、
移動が自発的に起こる。これは平衡状態ではない。純粋な H2(g)は理想気体であるとして、
μ(H2)は(147 理)式で計算される。
μ(H2) = μ〇 + RT ln(P/P 〇) = μ〇+ RT ln8
(150)
μ H2 も(147 理)式で計算すると、
μ H2 = μ〇+ RT ln(PH2/P 〇) = μ〇+ RT ln10
(151)
になってしまい、μ(H2)≠μ H2 である。しかし、(147 実)式を使うと、
μ H2 = μ〇+ RT ln(f H2/P 〇) = μ〇+ RT ln8
(152)
となり、μ(H2)=μ H2 となる。混合気体中の H2(g)の示す分圧はあくまで 10 bar である。
しかし、例えば理想気体の自由エネルギー、化学ポテンシャルの式(147 理)を実在気体に
使うとき、仮想的な圧力=フガシティーを使うと式(147 理)とよく似た式(147 実)を使う
ことができるのである。混合気体中に(10 bar の実在気体 H2 が存在するのではなく)仮想
的に 8 bar の理想気体 H2 が存在すると考えるのである。そして、この理想気体 H2 には分
子間相互作用はないのである。理想気体では温度一定の条件下では、P ∝ n/V なので、圧
力は粒子数(厳密には粒子数密度)に比例する。従って、実効圧力フガシティーが本当の
圧力より低いということは、実効分子数(見かけ上の分子数が)が実在する分子数より少
ないと考えるということである。つまり、分子間引力の効果を分子数の減少という形で取
り入れているのである。
ここでフガシティーを
f ≡ φP
[3・59](153)
と書く。P は実在気体が示す圧力で、φはフガシティー係数である。フガシティーは圧力
の次元を持つので、係数は無次元である。一般に、φは気体の種類、温度、圧力に依存す
る。ここで、(153)式を(147 実)に代入すると、
G = G ○ + nRT ln(P/P ○) + nRT ln φ
となる。右辺の第 1 項と第 2 項は理想気体の式である。なぜなら、G
(147 実 2)
○
は(147 理)と(147
実)で同じである、つまり G ○は圧力 P 〇(= 1 bar)の理想気体が示す自由エネルギーだか
らである。言い換えれば、理想的に振る舞う(、つまりφ= 1 の) f = 1 bar(= P ○)の仮
想的な状態を実在気体の標準状態としている。G ○は実在気体のフガシティーが 1 bar の
ときの自由エネルギーではないので注意する。従って、第 3 項(のみ)が理想性からのずれ
を表している。φ=1のとき、その系は理想系と見なせる。
補正係数であるφがフガシティー自体より重要である。なぜならその値から今考えてい
る系の特徴が分かるからである。たとえば、φ< 1 のとき、分子間の引力が強く、φ> 1
のとき、分子間の斥力が優勢になっていることがわかる。φが1に近いほど理想的である
と考えることができる。要するに、f ではなく、φの値の中に(理想性からのずれの原因
となる)分子間力の効果(に関する情報)を全て含んでいるので、フガシティー係数が重
要なのである。
φと同様に、圧縮因子 Z の 1 からのずれも非理想性の目安になることを第 1 章でみた。
- 118 -
この場合も Z < 1 のとき引力効果、Z > 1 のとき斥力効果が分子間力において優勢である
ことを示していた。つまり、φと Z が 1 以下のとき引力、φと Z が 1 以上のとき反発力
が分子間に有効に働く。このφと Z の 1 に対する大小関係と引力、反発力との結びつき
の一致は偶然ではない。φと Z は次のような関係にある。
ln φ(P) = ∫ 0P[(Z(P)- 1)/P]dP
(3・60)(154)
(この式の導出はアトキンスの補遺 3・2 に載っている。)Z も圧力の関数である。アトキンスの
図 1・14 をみればたいていの気体は、ある圧力までは Z < 1 で、それより高圧で Z > 1 で
ある。Z < 1 である圧力領域における任意の圧力 P において、上式の右辺の積分は負にな
ることが分かる。従って、φ< 1 である。高圧領域において Z < 1 の積分領域よりも、Z
> 1 の積分領域の方が大きくなれば、φ> 1 となるであろう(アトキンス図 3・24 参照)。ア
トキンスの表 3・6 に窒素の例が載っているので参照せよ。
6・7 実在溶液の熱力学的取り扱い-活量-
a 理想溶液(アトキンス 5・3)
理想溶液とは分子論的にいえば、同じ成分間の相互作用と異なる成分間の相互作用が同
じで(=各成分の感じるポテンシャルが同じで)、各成分分子の大きさや形が同じ系であ
る 。理想溶液中の成分 A の化学ポテンシャルμ A のモル分率 xA への依存性は次式で与え
*1
られる。
μ A = μ A* + RT ln xA
(理想溶液)
(5・25)(155 理)
ここで、*を液相や気相が一成分のみから成る、つまり純粋状態であることを表す記号と
する。全組成範囲にわたって上式が成立する溶液を理想溶液という(熱力学的定義)
。
xA は 1 以下なので、上式より、純溶媒に溶質を加えると、その化学ポテンシャは純溶
媒のときよりも下がる(=安定化する)ことが分かる。理想溶液では、同じ成分間および
異なる成分間の相互作用が同じなので、エネルギー効果によってこの安定化が起こるので
はないことが分かる。従って、この化学ポテンシャルの減少(=系の安定化)はエントロ
ピー効果のみによる。つまり、RT ln xA の項はエントロピー効果を現している。これは次
の考察からも分かる。
便宜上、液体どうしの混合を考える。理想溶液を作るときの混合の自由エネルギー変化
は次のように求められる。
G(混合前)= nA μ A*+ nB μ B*
(156)
G(混合後)= nA μ A + nB μ B
(157)
= nA μ A* + nA RT ln xA + nB μ B* + nB RT ln xB
Δ mixG = G(混合後)- G(混合前)= nART ln xA + nBRT ln xB
(5・27)(158)
これは理想気体の式(37)と同じである。同様に、液体の混合エントロピーは気体の式第 5
章の(102)と同じになる。
Δ mixS =- nAR ln xA - nBR ln xB =-Δ mixG/T
(5・28)(159)
したがって、溶液の場合も理想系では混合はエントロピー効果のみによって起こることが
*1 実例としては、ベンゼンとメチルベンゼンが理想溶液を作る。
- 119 -
分かる。理想気体同様、理想溶液でもΔ mixH =Δ mixV = 0 である(アトキンス 5・4(a)参照)。
希薄溶液は一般に理想的に振る舞う。そこでは次の関係が成立する。
PA = xA(sln)PA* あるいは xA(sln)= PA /PA*
(5・24)(160 理)
すなわち、成分 A の蒸気圧(分圧)PA がその成分の溶液中のモル分率 xA(sln)に比例する。
このとき、液体 A は Raoult の法則に従うという(アトキンス図 5・11、5・12 参照)
。これは溶
質を加えたとき、溶媒の蒸気圧降下がモル分率(つまり分子の数)に比例することを示し
ている。したがって、Raoult の法則もエントロピー効果のみによって成り立つ関係である。
理想溶液ではこの法則は全組成範囲で成立する。言い換えれば、全組成範囲にわたり混合
がエントロピー効果のみによって起こるものが理想溶液である。
☆ 溶液の束一的性質(アトキンス 5・5)
溶液には気体の状態方程式のように、溶液の性質をその種類によらず一つの式で表せる
ような状態式はない。気体は分子間の相互作用が弱いので、気体分子の違いによる影響が
気体の性質にほとんど反映しない。しかし、溶液では成分粒子間の相互作用が強いので、
それが溶液の性質に強く反映される。したがって、溶液の種類によってその性質が大きく
異なるので、状態式は成立しない。しかし、希薄溶液では束一的性質といって、任意の溶
媒に対して溶質成分が何であれ、溶質の質量モル濃度(すなわち溶質の粒子数)が同じで
あれば、溶媒に溶質を加えたことによる蒸気圧降下、沸点上昇、凝固点降下、浸透圧がそ
れぞれ同一の値をとる性質がある。
束一的性質が成立する条件は二つある。一つは希薄溶液であること、もう一つは溶質成
分は液相にのみ存在することである。前者の条件は溶液が理想的であると見なせる(=理
想気体の混合 6・1・4f の結論が溶液でも使える)こと、したがって溶質を混合したときエ
ンタルピーは変化せず、エントロピー効果のみが起こる(=エントロピー効果のみによっ
て混合が起こる)と見なせることを意味している。二番目の条件により溶質成分が存在す
ることによるエントロピーの増大が液相にのみ起こるため(気相、固相には溶質成分が存在
しないので、そこでは混合によるエントロピーの増大が起きない)
、液相(希薄溶液)が気相や固
相よりも安定化し、純溶媒の時よりも広い温度・圧力範囲で液相として存在することがで
きるようになる(アトキンス図 5・21 参照)
。つまり、束一的性質は本質的にエントロピー効
果によるものである。エントロピー効果なので、溶液の種類に依存せず共通して成立し、
粒子の数に比例するのである。これはエントロピーの特性である。
一般的に言って、任意の物理量が濃度に比例するということは、粒子の数に比例すると
いうことで、粒子間の相互作用が物質によって異なるとき、物質によらず常にこのような
ことが成立することはあり得ない。“蒸気圧降下が起こるのは、液体の表面にも溶質分子
が存在し、水分子が蒸発する液面の面積が減少し、液体の表面から蒸発する水分子の数が
減少するからである”、という記述がある(アトキンス分子論的解釈 5・1 参照)。これは水と
溶質分子の相互作用(=エンタルピー効果)についてはいっさいの考慮がなく、単に数の
問題(エントロピー効果のみ)と見なしていることが分かる。(仮にエンタルピー効果に
よって蒸気圧降下が起こるとしたなら、溶液の種類によらず必ず、溶媒-溶質相互作用 I1
>溶媒-溶媒相互作用 I2、であることを意味している。なぜなら、I1 < I2 ならば、蒸気圧
上昇が起こってしまうからである。実際には、I1 > I2 と I1 < I2 の両方の系があるはずで、
- 120 -
溶液の種類に係わらず常に蒸気圧降下が起こることをエンタルピー効果では説明できな
い。)
希薄溶液であるということは、ミクロのレベルで考えれば溶質粒子の周りには溶媒粒子
のみが存在し、その結果どの溶質粒子の周りの環境もほとんど同じであることを意味して
いる。この状態では、溶質分子が加わることによるエントロピー効果は粒子の数に比例す
ることになる。溶質分子の数が多くなりすぎると溶媒分子と溶質分子の相互作用の溶液に
よる違いが出てくるので束一的性質が失われる。アトキンス分子論的解釈 5・2 も参照せよ。
b 実在溶液と活量(アトキンス 5・6)
ここでは便宜上、非電解質溶液を考えることにする。
非理想溶液では(155 理)式を使うことができない。なぜなら理想溶液ではμ A*からのず
れはエントロピー効果のみに依ったが、
実際にはエンタルピー効果も寄与するからである。
このとき、非理想溶液中の成分の化学ポテンシャルのモル分率依存性を与える式を考えた
とすると、それは系によって異なる形になるであろう。そこで、フガシティーのときと同
様に、非理想溶液でも(155 理)式と形式的に同じ式を使うことを考える。そのためには、
モル分率の代わりにモル分率と次の関係にある活量 aA
γ A = aA / xA
xA → 1 につれて aA → xA、γ A → 1
[5・45](161)
を導入して、
μ A(sln) = μ A*(ç) + RT ln aA
(実在溶液*1)
[5・42](155 実)
とすればよい。活量は無次元の量である。また、γ A は活量係数と呼ばれる。これはつま
り Raoult の法則を
PA = aA PA*
あるいは
aA = PA /PA*
(5・43)(160 実)
と置き換えたことに相当する。aA = 1 のとき、(155 実)、(160 実)式より PA = PA*でμ
A
=μ A*なので、aA = 1 の状態は純粋液体状体である。
実在溶液に対して、式(155 理)と同形の式(155 実)を使うということの意味を考えてみ
よう。式(155 理)はエントロピー効果の式なので、式(155 実)も見かけ上エントロピー効
果のみの式である。ではエンタルピー効果はどこに行ったのか。それは活量係数に含まれ
ている。
ところで、Raoult の法則によると、モル分率が半減すると飽和蒸気圧も半減する。これ
は単に分子の数(=エントロピー効果)のみに依存していること意味している。すなわち、
表面(付近)にいる分子 A の数が半減するから、蒸発する分子 A の数も半減する:理想溶
液は溶液を構成する粒子間の相互作用がどれも同じなので、このように考えることができ
る。もし Raoult の法則から予想されるよりさらに低い蒸気圧になったとすれば、それは
A-A 相互作用より A-B 相互作用が強いので、気化する分子 A の数が減少するが、気相の A
が液相に戻ることは溶質 B には関係しないためである、と分子論的に解釈できる。この
とき、活量はモル分率よりも小さい値をとり、活量係数は 1 より小さい。活量係数が 1 か
らどれだけずれるかが、理想系からのずれの程度を表している。アトキンス図 5・14、5・17
*1 実在の溶液の中にもベンゼン-トルエン系のように理想溶液と見なせるものもあるが、それも含め
て実在溶液と表記することにする。
- 121 -
を参照せよ。
これがエンタルピー効果が活量係数に含まれているという意味である。式(155 実)に
(160 実)を代入すると、
μ A(sln)=μ A*(ç)+ RT ln xA(sln)+ RT ln γ A
(実在溶液)
(5・46)(155 実 2)
となる。これを式(155 理)と比較すると、右辺の第 3 項が理想性からのずれ(=Δ
mix
Hの
大きさ)を表していることが分かる。つまり、活量係数は現実の溶液が理想系からどの程
度ずれているか(=Δ mixH がどの程度μに寄与するか)を示す量である。理想性からのず
れ(=エンタルピー効果)を全て活量係数に負わせることによって、非理想系の化学ポテ
ンシャルの組成変数依存性を(155 実)という共通したエントロピーの式で表すことができ
る。活量とは実在溶液を理想溶液に換算したときの溶液の組成変数(モル分率、重量モル
濃度、(容量)モル濃度)という意味を持つ。ここで、実在溶液を理想溶液に換算したとは、
実在溶液が、粒子間の相互作用がどれも同じでそれらの形や大きさも同じである仮想的な
粒子からできている理想溶液と見なす、ということである。活量とはこの仮想的な粒子の
組成変数である。
活量係数は濃度(モル分率)に依存する。濃度によって理想性からのずれの程度が異な
るからである。また、例えば、水溶液中の水の活量係数を考えたとき、溶質の違いによっ
て水の活量係数は異なる値をとる。
☆ フガシティーと活量
理想系とは粒子間の相互作用による影響(エンタルピー効果)が無視できる系である。
理想系の状態関数の式はエントロピー効果のみに依存している。実在系ではエンタルピー
効果があるので、実在系の状態関数の式として理想系と同じ式を適用するということは、
大雑把に言えば、エンタルピー効果をエントロピー効果すなわち数の効果で考慮するとい
うことである。エンタルピー効果により理想系より安定化すれば、見かけ上の分子数(厳
密には粒子数密度・濃度)が減ったと見なし、不安定化すれば、見かけ上の分子数が増え
たと見なすのである。この見かけ上の分子数に対応するのがフガシティーであり、活量で
ある。
c 活量の具体例(アトキンス 5・9)
活量で考える例として、電解質溶液を考える。電解質溶液ではアニオンとカチオンがあ
るが、 平均活量係数γ ±( アトキンス式[5・63]参照)というものを考える。活量係数は濃度
に依存すると予想されるが、電解質溶液の場合この平均活量係数に及ぼす濃度の寄与は、
単純な濃度ではなくイオン強度と呼ばれるもので表されること、そして希薄強電解質溶液
において強電解質の平均活量係数は同じイオン強度を持つすべての溶液で同じであること
が数多くの実験から分かった。ここでイオン強度 I とは次式によって定義される
(I の単位は mol l-1)
I = (1/2)∑ J cJ zJ2
あるいは I = (1/2)∑ J mJ zJ
2
-1
(I の単位は mol kg )
(152)
[5・70]
ここで、和は溶液中に存在する全てのイオン種についてとり、cJ(mJ)は電荷が zJ 価の J イ
オンの容量モル濃度(重量モル濃度)である。例えば、1 価-1 価電解質溶液のイオン強度
はモル濃度と同じであるが、2 価-2 価電解質溶液のイオン強度はモル濃度の 4 倍になる。
- 122 -
したがって、2 価-2 価電解溶液のモル濃度の 4 倍の濃度の 1 価-1 価電解質溶液と 2 価-2
価電解質溶液のイオン強度が等しい。つまり、同じモル濃度の溶液でもイオンの電荷が異
なればイオン強度は異なる。イオンの電荷 zJ が大きいほどイオン間の静電相互作用は強
くなるので、イオン間の静電相互作用が大きい溶液ほどイオン強度は強くなる。また、イ
オン強度は溶液全体の持つ性質であり、溶液中のある特定のイオンの性質ではないことに
注意する。注目するイオンの他に溶液中に共存するイオンがあれば、そのイオンの影響を
受ける。注目しているイオンが低濃度であっても、共存するイオンの濃度が高ければその
溶液のイオン強度は高くなる。溶液のイオン強度が高くなれば、イオンの平均活量係数γ
±
は 1 より小さくなっていく。アトキンス図 5・34 を参照せよ。
(1) 溶解度積
金属イオン Mq+と陰イオン Ap-とから成る難溶性塩 MpAq を純水に溶かすと、ごく僅かの
塩は水に溶け、溶けた塩はほぼ 100 %イオンに電離している。このとき水に溶けたイオン
Mq+、Ap-と固体の MpAq が混ざった飽和混合液では次の平衡が成立する。
pMq+(aq) + qAp-(aq)
MpAq(s)
(153)
このとき、右向きの反応を沈澱(生成)平衡、左向きの反応を溶解平衡(電離平衡でもある)
と呼ぶことがある。溶解平衡の平衡定数 K は次式で定義される。
K = a(Mq+)pa(Ap-)q/a(MpAq)
(154)
濃度でなく、活量で定義される。難溶性の固体物質の濃度変化は殆ど無いと考えられるの
で、便宜上この活量を 1 とする。この様に考えれば、固体物質の活量は平衡定数の式から
見かけ上除外することができる。
Ksp = a(M ) a(A -)
q+ p
p
(155)
q
=γ(M ) γ(A ) [M ] [A ] /c
q+
p- q
p
=γ± [M ] [A -] /c ○
s
q+ p
p
q
q+ p
p- q
○ p+q
p+q
このときの平衡定数を溶解度積 Ksp という。ここで、[ ]は容量モル濃度を表す。c ○= 1 mol
dm-3。また、平均活量係数は次式で定義される。
γ±=[γ p γ q]1/s
s=p+q
[5・63](156)
この平衡定数は水溶液中に他のイオンが共存しても温度によって決まる一定の値を取る。
つまり、他のイオンの影響がない。これは理想溶液の性質である。活量だから他のイオン
の影響を無視することができる。相互作用の理想性からのずれ(=異なる成分間の相互作
用が異なる)が全て活量係数の変化に閉じ込められている。活量係数は変化するので、濃
度も変化する。正確には、濃度が変化するから、活量係数も変化する。溶解度積を濃度で
表したら、他のイオンの共存によって、その値が異なることになる。しかし、活量(=活
量係数×濃度)は変化しない。
(2) 共存イオンの影響
難溶性塩の構成イオンと異なるイオンが溶液中に共存すると、その難溶性塩の溶解度積
は一定であるが、溶解度は増加する。この異種イオン効果を塩溶効果という。異種イオン
が存在することによって溶液のイオン強度が高くなれば、イオンの平均活量係数γ±は 1
より小さくなっていく。つまり、定温下では溶解度積(イオン活量の積)は一定の値を取
- 123 -
るので、活量係数が 1 より小さくなるほどイオンのモル濃度は増大する(=溶解度は増大
する)こととなる。モル濃度が増大しても、つまりイオンの数が増大しても、イオン間相
互作用によって安定化するので見かけ上のイオンの数(=活量)は変化しない(、だから
化学ポテンシャルも変化しない)のである。
時間平均すると、溶液中の任意のイオンの近傍には対イオン(反対電荷を持つイオン)
が見いだされる確率が高い。つまり、中心イオンの周りのイオンの運動に注目すると、対
イオンは接近するように、同じ電荷を持ったイオンは避けるように運動するであろう。注
目する任意の中心イオンの周りのある範囲内(目安になる大きさを Debye 長さという)
におけるこのようなイオン分布(電荷分布)全体を指して、イオン雰囲気という(アトキ
ンス図 5・33 参照)
。任意の中心イオンのエネルギーと、したがって化学ポテンシャルとは、
そのイオン雰囲気との静電相互作用の結果として低下する。いま注目するカチオン/アニ
オンの数が増大すれば、理想系の場合(エントロピー効果により)、それらのイオンの化
学ポテンシャルは増大するが、実際は、イオン-イオン雰囲気間の相互作用(エンタルピ
ー効果)によって安定化が起こるので、見かけの粒子数(活量)は実際の粒子数(濃度)
より小さく、活量したがって溶解度積は一定のままである。もし、このときいま注目する
カチオン /アニオン以外の異種イオンが存在すると、それが無いときと比較してイオン雰
囲気における対イオンの濃度が高くなるので、それだけ上記の安定化効果が大きくなる。
その結果、異種イオンが存在すると、それがないときと比べて注目するカチオン/アニオ
ンはより多く溶けることができる=溶解度が上がる。
上記のエンタルピー効果を別の角度から説明すると次のようになる。注目するイオン間
の静電相互作用を考えると、イオン雰囲気による遮蔽効果により力の到達距離が短くなる
(アトキンス補遺 5・1、図 5・36 参照)ので、平均としてその反発相互作用は弱くなる。異種
イオンが共存するほど、イオン強度が高いほど、この遮蔽効果による安定化の効果は大き
くなる。この考え方は、金属中の伝導電子と陽イオン格子の系にも当てはまる。もともと
の電子の間に働いていた長距離力である Coulomb 力が、他の電子の動きによって遮蔽さ
れてしまい、実質上近距離だけで働く斥力になってしまう。
d 液体の混合(アトキンス 5・3、6・5)
溶解現象については 6・1・4d で考察したが、ここでは液体の液体への混合、つまり液体
どうしの混合について考えてみよう*1。クロロホルム-アセトン系(アトキンス図 5・17 参照)
では Raoult の法則から負のずれを示している。つまり、理想系よりも蒸気圧が低くなっ
ている。これは、異なる液体成分間の相互作用が強いため理想系より液相が安定であり、
混合しやすいことを意味している(Δ mix H < 0)。従って、F5 ページ図 6・6(b)から分かる
ように、混合自由エネルギーが理想系よりさらに大きな負の値になっている。これは混合
エンタルピーが大きく負の値になっていることが直接の原因である。つまり混合によって
大きな発熱が起きて安定化する。これはクロロホルムとアセトンが水素結合により次のよ
うな錯体を作るからである。
Cl3C-H・・・O=C(CH3)2
*1(確認)混合、溶解、混合物、溶体の意味を確認しよう。5・3・5 参照。
- 124 -
従って、混合エントロピーΔ mix S の値は小さくなると予想される(なぜなら溶液中のこの
様な弱い錯体は分子の動き、自由度を制限するから)が、図 6・6(b)を見ると確かにその
とおりである。しかし、少なくともΔ mix S > 0 ではある。
これに対して二硫化炭素-アセトン系(アトキンス図 5・14 参照)は正のずれを示してい
る。つまり液相は比較的不安定であり、混合しにくい。この様な挙動をとる系は、水とア
ルコールのようなそれ自身で会合している成分(この場合は水)とそうでない成分(アル
コール)からなる系に見られることが多い。言い換えれば、異なる液体成分間の相互作用
が弱いため液相は理想系より不安定である。この場合混合により会合が壊れると、それに
要するエネルギーのために混合エンタルピーが正になる(Δ mix H > 0)ことが予想される
(F5 ページ図 6・7(b)参照)。それでも混合が起こるのはエントロピー効果により(Δ mix S > 0)
混合自由エネルギーが負になるからである。会合が壊れ、溶媒と溶質が混ざりあうエント
ロピー効果が効いてくるのである。
ところで、二種類の液体の混合の仕方としては、任意の割合で完全に混合する(完全可
溶)、ある範囲内の割合では混合するがそれ以外の割合では混合しない(部分可溶)、どの
様な割合でも(ほとんど)混合しない( 不溶)、がある。ここでは部分可溶液体の相図、特
に温度-組成図を考察しよう。部分可溶液体の相図は相互溶解して一つの相になっている
領域と、溶解せず分離して二相(組成の異なる二種類の液相)になっている領域から成っ
ている。また、部分可溶である温度領域と完全可溶である温度領域とがある。このとき、
ある温度(これを上部臨界完溶温度という、アトキンス コメント 6・4 参照)以上では二成分
が完全に混合する系(アトキンス図 6・19、ニトロベンゼン-ヘキサン系)、ある温度(こ
れを下部臨界完溶温度という)以下では二成分が完全に混合する系(アトキンス図 6・24、
水-トリエチルアミン系)、上部臨界完溶温度と下部臨界完溶温度を持つ、つまりある温度
範囲で部分可溶になる系(アトキンス図 6・25、水-ニコチン系)が知られている。
上述したように、液体-蒸気系において理想性から正のずれを示す系では、エントロピ
ー効果により混合が起こる。しかし、エントロピー効果は温度の低下と共に減少するので、
ある温度以下では混合自由エネルギーが正になり、混合が起こらなくなると予想される。
つまり、ある温度では完全可溶(Δ mix H > 0、Δ mix S > 0、Δ mix H < T Δ mix S)であった
ものが、上部臨界完溶温度以下では部分可溶(Δ mix H > 0、Δ mix S > 0、Δ mix H > T Δ mix S
の領域で不溶)になる。これに対して、下部臨界完溶温度を示す理由はエンタルピー効果
である。一般にエンタルピー変化はあまり温度変化しないが、高温では溶媒分子と溶質分
子の錯体が壊れて混合エンタルピーが増大し(=Δ mix H の負の値の絶対値が小さくなる
=混合に伴う安定化エネルギーが小さくなる)、両成分が互いに溶けにくくなる(=Δ mix G
が正の値になる)。上部と下部臨界完溶温度を持つ系では、低温においては弱い錯体がで
きるので混合するが、温度が上昇すると弱い錯体が壊れて部分可溶になり、さらに温度が
高くなると、エントロピー効果により再び完全可溶になる。
- 125 -
7. まとめ
2・3 内部エネルギーとエンタルピーにおいて、数学的な取り扱いをすることにより熱力学に対する
理解を深めることができることが分かった。その後も 5・3・1(エントロピー)、6・2(自由エネルギー)
で少し先取りする形でこの章で得られる結果を使った。ここではエントロピーや自由エネルギーを含
めてより一般的な状態関数間の関係を求めてみよう(熱力学の解析化)。熱平衡状態にある系を熱力学
的に特徴づけるものは 熱力学ポテンシャル( 6・1・3 参照)である。この系に関する熱力学的諸量は、
全てこれらの関数の種々の偏微分係数として導かれ、それら相互の関係として、いわゆる熱力学的関
係が導かれる。最後にまとめとしてこれまでの考察に基づいて、熱力学の有効性と限界について考え
てみよう。
7・1 Maxwell の関係式(アトキンス 3・8)
閉じた系の熱力学第一法則は微分形式で次のように表される。
dU = d'q + d'w
(閉じた系)
(1)
非膨張仕事がない場合、可逆的に仕事がなされ熱が輸送されれば、
d'qrev = TdS
d'wexp, rev = - PdV
(可逆過程)
(2)
である。したがって、
dU = TdS - PdV
(閉じた系)
(3・43)(3a)
である。今、式(2)では可逆過程の場合を考えていたが、内部エネルギーは状態関数なの
で、式(3a)は可逆過程、不可逆過程に関わりなく成立する。これは一見不思議に思えるか
もしれないが、これは、d'q と d'w の和が常に TdS と- PdV の和に等しいからである。変
化の道筋によって q と w の値は異なるが、それらの和(すなわちΔ U)は変化の道筋に
よらず一定なのである(内部エネルギーは状態関数だから)。可逆過程であれば常に(2)式
が成立するが、不可逆過程の場合は
d'qirr < TdS
d'wexp, irr > - PdV
(不可逆過程)
(4)
である。しかし、常に
d'q irr + d'wexp, irr = d'q rev + d'wexp, rev
(5)
d'q + d'w = TdS - PdV
(6)
なので、
なのである。簡単な例として、理想気体の等温過程を考えてみよう。このとき dU = 0 な
ので、d'q = - d'w である。変化の道筋によって、熱量、仕事量は異なる(4・2 の考察Ⅱの
等温過程の表を参照せよ)が、常に d'q = - d'w である。つまり、変化の道筋によらず d'q
と d'w の和は常にゼロである。この熱力学の第一法則と第二法則を組み合わせた式(3a)を、
(熱力学の)基本式と呼ぶ。
内部エネルギーを S と V の関数と見なすと、他の熱力学ポテンシャルは Legendre(ルジ
ャンドル)変換(基礎数学 5・2・1f 参照)H(S, P)= U(S, V)+ PV、G(T, P)= H(S, P)- TS、A
(T, V)= U(S, V)- TS によって次のような状態関数と見なすことができる。
U(S, V) H(S, P)
G(T, P)
A(T, V)
- 126 -
熱力学ポテンシャルが上記のような組の状態関数の関数であると見なすとき、これらの状
態関数を自然な変数と呼ぶ。例えば U の自然な変数は S と V である、というように使う。
各熱力学ポテンシャルの定義式に基づいて、熱力学の基本式から次の関係が得られる 。
*1
dH = TdS + VdP
(閉じた系)
(7a)
dG = - SdT + VdP
(閉じた系)
(3・49)(8a)
dA = - SdT - PdV
(閉じた系)
(9a)
熱力学の基本式と合わせたこれら 4 式全体を熱力学の基本式と呼ぶ場合もある。これら式
の右辺はいずれも、P と V、S と T の組み合わせになっている(PdV あるいは VdP、TdS
あるいは SdT)。これは以前に 5・1・1 で説明したように、示量性状態関数と示強性状態関
数の組み合わせである。熱力学ポテンシャルはいずれも示量性状態関数である。
各熱力学ポテンシャルが自然な変数の関数であると見なしたときの全微分の式と、上記
の基本式を比較することによって*2、直ちに次のような関係式が得られる。
(∂ U/∂ S)V = T、 (∂ U/∂ V)S = - P
(3・45)(10a)
(∂ H/∂ S)P = T、 (∂ H/∂ P)S = V
(∂ G/∂ T)P = - S、 (∂ G/∂ P)T = V
(11a)
(3・50)(12a)
(∂ A/∂ T)V = - S、 (∂ A/∂ V)T = - P
(13a)
さらに状態関数の微分が完全微分であるという性質から、次の Maxwell(マクスウェル)の
。
関係式(アトキンス表 3・5 参照)が得られる(アトキンス A2・6、関係式 4 を参照せよ)
(∂ T/∂ V)S = -(∂ P/∂ S)V
(3・47)(14)
(∂ T/∂ P)S = (∂ V/∂ S)P
(15)
-(∂ S/∂ P)T = (∂ V/∂ T)P
(16)
(∂ S/∂ V)T = (∂ P/∂ T)V
(17)
これらの関係式のいくつかは、既に利用している。
7・2 熱力学的状態方程式(アトキンス 3・8)
熱力学の基本式 dU = TdS - PdV を dV で割り温度一定という条件を課すと、
(∂ U/∂ V)T = T(∂ S/∂ V)T - P
(18a)
が得られる(アトキンス根拠 3・4 参照) 。ここに Maxwell の関係式(17)を用いると、
*3
(∂ U/∂ V)T = π T = T(∂ P/∂ T)V - P
(3・48)(19a)
という関係が得られる。左辺の(∂ U/∂ V)T は 2・3・2 で出てきた内圧である。
同様に dH = TdS + VdP を dP で割り温度一定という条件を課すと、
(∂ H/∂ P)T = T(∂ S/∂ P)T + V
(18b)
が得られる。ここに Maxwell の関係式(16)を用いると、
*1 例えば、定義式 H = U + PV より、dH = dU + PdV + VdP なので、式(3a)を使って、dH = TdS + VdP
という関係が得られる。
*2 例えば、dU =(∂ U/∂ S)VdS +(∂ U/∂ V)SdV と dU = TdS - PdV を比較することにより、(10a)の
関係が得られる。
*3 理想気体では(∂ U/∂ V)T = 0 なので、式(18)より P = T(∂ S/∂ V)T である。
- 127 -
(∂ H/∂ P)T =-μ CP =μ T =- T(∂ V/∂ T)P + V
(19b)
という関係が得られる。左辺の(∂ H/∂ P)T は等温 Joule-Thomson 係数である。
この 2 式(19a)、(19b)を熱力学的状態方程式と呼ぶ。これらはそれぞれ定温下での内部
エネルギーの体積依存性、エンタルピーの圧力依存性を表す式で、任意の相にある任意の
物質に普遍的に適用できる式である。これらを使って重要で有用な関係を導くことができ
る。2・3 で証明無しで与えたいくつかの関係を、この状態方程式を使って導いてみよう。
① (19a)式に理想気体の状態方程式 PV = nRT を代入すると、
(∂ U/∂ V)T = T(nR/V)- P = 0
(20)
理想気体の内部圧が零であることが導かれる。同様に(19b)式に状態方程式を代入すると、
(∂ H/∂ P)T = - T(nR/P)+ V = 0
(21)
となる。van der Waals の方程式
P = RT/(Vm - b)- a/Vm2
(1・21b)(22)
を(19a)式に代入すると
(∂ U/∂ V)T = T(∂ P/∂ T)V - P = RT/(Vm - b)- P = a/Vm2
(23)
となる(アトキンス例題 3・6 参照)。ここで、a は分子間引力の効果を見積もるためのパラメ
ータである。理想気体では a = 0 である。(23)式より
dU =(a/Vm )dV
2
(等温、van der Waals 気体)
(24)
が得られる。
② 定圧熱容量と定積熱容量の差を与える一般式を導こう(アトキンス補遺 2・2 参照)
。
CP - CV = (∂ H/∂ T)P - (∂ U/∂ T)V
= (∂ U/∂ T)P + P(∂ V/∂ T)P - (∂ U/∂ T)V
(25)
U = U(T, V)とおいたときの全微分の式
dU = (∂ U/∂ V)TdV +(∂ U/∂ T)VdT
(26)
を dT で割って圧力一定の条件を課すと、
(∂ U/∂ T)P = (∂ U/∂ V)T(∂ V/∂ T)P + (∂ U/∂ T)V
(27)
が得られる。上式を式(25)に代入すると、
CP - CV =[P +(∂ U/∂ V)T ](∂ V/∂ T)P
(28)
ここで、(∂ U/∂ V)T =π T、膨張率α=(1/V)(∂ V/∂ T)P を使って
CP - CV = α PV + απ TV
(2・56)(29)
と書き直す。定圧熱容量と定積熱容量の差は、定圧過程で膨張仕事をするのに必要な熱量であるが*1、
これは同時に、系の圧力を一定に保つために系の体積を変えるための仕事であるとも解釈できる。そ
の場合、上式の右辺第一項は、外圧に逆らって膨張する仕事を、第二項は内圧に逆らって膨張する仕
事(つまり、粒子間の引力に逆らって膨張するときの仕事)をそれぞれ表していると解釈できる。
理想気体の場合は(28)式の[ ]の中は P で、(∂ V/∂ T)P = nR/P なので、
CP - CV = nR
(30)
となるが、この特殊な場合については 2・4 で既に導出した。(28)式に熱力学的状態方程式
(19a)を代入すると
*1(29)式を見ると、αが大きいほど CP - CV の差が大きくなることが分かる。これはαが大きいほど
よく膨張するので、膨張仕事をするのに必要な熱量が多くなるからである。
- 128 -
CP - CV = T(∂ P/∂ T)V(∂ V/∂ T)P
(31)
となる。さらに、アトキンス A2・6 の関係式 3 と 2 を使って(∂ P/∂ T)V を変形し、膨張
率αと等温圧縮率κ T =-(1/V)(∂ V/∂ P)T を用いて、
(∂ P/∂ T)V = -(∂ V/∂ T)P /(∂ V/∂ P)T = α/κ T
(32)
という関係が得られるので、
CP - CV = α VT/κ T
(2・57)(33)
2
と書くことができる。つまり、任意の物質の定圧熱容量と定積熱容量の差を、その物質の
膨張率α、等温圧縮率κ T とに結びつけられることが分かる。
③ 2・3・3 で考察した Joule-Thomson 係数μについて考えてみよう。
μ = (∂ T/∂ P)H = -(1/CP)(∂ H/∂ P)T
(34)
ここに、(19b)式を代入すると、
μ = [T(∂ V/∂ T)P - V]/CP
= V(α T - 1)/CP
(35)
という関係が得られる。この関係からα T - 1 = 0 のときμがゼロになることが分かる
が、α= 1/T は理想気体が満たす関係である(理想気体はμがゼロであることを 2・3・4 で
見た)。
α = (1/V)(∂ V/∂ T)P = nR/PV = 1/T
(理想気体)
(36)
以上少しの例ではあるが、状態関数間の関係式を導くことによって、注目する状態関数
に対する理解が深まることが分かるであろう。これは熱力学の重要な性質の一つである(7
・4 参照)。
7・3 開いた系の熱力学関係式
この講義は、最初に指摘したように孤立系と閉じた系(、閉鎖系)を考察の対象としてきた。開いた
系(、開放系)の熱力学は後学期の「化学熱力学」で取り扱われる。開いた系では成分が変化するので、
開放系の式は成分 J の粒子数(あるいはモル数)NJ の変化による寄与の項を全成分について和を取り、
閉鎖系の式に付け加える必要がある。ここでは先に示した熱力学ポテンシャルを自然な変数の関数と
見なしたときの基本式を、開放系について書き直した式を与える。
熱力学ポテンシャル(定義式)
自然な変数
基本式
(非膨張仕事なし)
内部エネルギー
S 、 V 、 NJ
dU = TdS - PdV +Σ J μ J dNJ
(3b)
エンタルピー
S 、 P 、 NJ
dH = TdS + VdP +Σ J μ J dNJ
(7b)
T 、 P 、 NJ
dG =- SdT + VdP +Σ J μ J dN
T 、 V 、 NJ
dA =- SdT - PdV +Σ J μ J dNJ
(9b)
U 、 V 、 NJ
TdS = dU + PdV -Σ J μ J dNJ
(37)
(H = U + PV)
Gibbs の自由エネルギー
J
(8b)
(G = H - TS)
Helmholtz の自由エネルギー
(A = U - TS = G - PV)
エントロピー
- 129 -
同様に、
(∂ U/∂ S)V, NJ = T、
(∂ U/∂ V)S, NJ = - P
(10b)
(∂ H/∂ S)P, NJ = T、
(∂ H/∂ P)S, NJ = V
(11b)
(∂ G/∂ T)P, NJ = - S、 (∂ G/∂ P)T, NJ = V
(12b)
(∂ A/∂ T)V, NJ = - S、 (∂ A/∂ V)T, NJ = - P
(13b)
これまでの閉じた系では、熱平衡条件は外界との間に力学的、熱的に平衡が成立するこ
と、つまり、圧力と温度が等しいことであった。開いた系ではこれに加えて外界との間に
質量的平衡、つまり系と外界との間の粒子の移動が見かけ上無い(、実際には出ていく粒
子と入ってくる粒子の数が等しい)状態が成立する必要がある。これは系と外界の化学ポ
テンシャルが等しくなることによって成立する。以上をまとめると、二つの系 A と B が
熱力学的に接触しているとき、
力学的平衡条件*1
圧力 PA = PB
熱的平衡条件
温度 TA = TB
質量的平衡条件
化学ポテンシャルμ A =μ B
である。
化学ポテンシャルμ
J
は熱力学の化学への応用(すなわち化学熱力学)において最も基
本的な状態関数であり、2 年後学期の「化学熱力学」で中心的な役割を演じる。化学にお
いて重要な平衡問題として、「化学熱力学」で採りあげる相平衡と化学平衡があるが、こ
れらは化学ポテンシャルに基づいて議論される。従って、
孤立系ではエントロピー
閉じた系では自由エネルギー
開いた系では化学ポテンシャル
が系の変化を考えるときの基本となる状態関数である。そして、その根本は熱力学の第二
法則にあることを忘れてはいけない。閉じた系で自由エネルギーが最小のときは、宇宙の
エントロピーは最大なのである。
7・4 熱力学の有効性と限界
これで熱力学の基礎もおおよそ学び終えたことになる。内部エネルギー、エンタルピー、熱容量、
エントロピー、自由エネルギーなどの状態関数の性質と、熱や仕事とそれら熱力学ポテンシャルとの
関係を見てきたが、ここではこれまでのまとめとして、熱力学の有効性と限界について考えてみよう。
熱力学の有効性を列挙すれば次のようになる。
①熱力学は系の詳細に立ち入らないので、すべての自然現象に適用できる強力な理論体系
である。
②系の状態あるいは化学反応や相転移などの性質を状態関数を用いて記述することによ
り、いま考えている系がどのような状態であるか、系に何が起こっているのかを明らかに
することができる。現象を熱力学的に分析・解析できる。
*1 境界が平面でなく、表面張力が作用している場合には圧力は等しくない。ここでは力学的平衡のみ
を考えたが、この他に電磁気的な力の平衡も考慮する必要がある。
- 130 -
③エントロピーあるいは自由エネルギーの符号により、任意の変化が自発的に起こるかど
うかが分かる。何が可能で、何が不可能かが分かる。任意の温度における任意の変化のエンタ
ルピー、エントロピー、自由エネルギー等の変化量は、標準生成エンタルピー、標準エントロピー、
標準生成自由エネルギー及び熱容量が既知であれば、計算によってそれらを見積もることが出来る。
④エネルギー効率等の限界が分かる。それにより改良の余地があるかどうかが分かる。
⑤数学的取り扱いをすることにより、(一見関係の無いような)いろいろな現象、物理量、
状態関数を結びつける関係式を導くことができる。その結果直接測定できないような物理
量を間接的に決定することができるし、自然現象全体の認識、理解を深めることができる。
しかし、熱力学は必要なことをすべて教えてくれるわけではない。反応がどのような速
さで起こるかは全く分からないし、反応の経済的側面についてもそうである。しかしなが
ら、熱力学は可能なことを決定するので、理論の出発点となるのである。次のような反応
を考えてみよう。
NH3(g) + (7/4)O2(g) → NO2(g) + (3/2)H2O(g)
NH3(g) + (5/4)O2(g) → NO(g)
+ (3/2)H2O(g)
NH3(g) + O2(g) → (1/2)N2O(g) + (3/2)H2O(g)
この反応のΔ rH とΔ rG は標準生成エンタルピーと標準生成自由エネルギーの値から計算
することができる(記述問題 30、72 参照)
。その結果、もし反応が起こればどれだけの熱エ
ネルギーが吸収あるいは放出されるか、反応が起こる可能性があるかないかが分かる。し
かし反応の速さのことは熱力学では分からない。実際にどの反応が起こるか特定できない
のである。一般的に言って、ある孤立系でエントロピーが増大する方向はいくつもあるし、
ある閉じた系で自由エネルギーが減少する方向もいくつもあるのである。
系の詳細に立ち入らないことは利点でもあり、欠点でもある。理論的予想をする体系と
しては弱いし、問題解決をする具体的な方法論としても弱い。例えば、熱容量は熱力学に
おいて大変重要な状態関数である(例えば、他の状態関数の温度変化を知るときに必要で
ある)が、希ガス元素気体のモル定圧熱容量がなぜ 2.5 R になるのかは熱力学では説明で
きない。あるいは、5・3 や 6・1 で考察した気相反応、液相反応、溶解度における自由エネ
ルギーやエントロピーの値は熱力学のみでは理解でない。分子論的に(、統計力学的に)
見ることによって初めて理解できた。つまり、なぜそうなるかを理解するためには、系の
詳細に立ち入り、分子のレベルで考える必要があったのである。現象を熱力学的に解析す
ることはできるが、つまり、何が起こっているかは分かる(これは重要なことである)が、
なぜそうなるかは熱力学では分からない。熱測定をすることによって、例えばエントロピ
ーがどれだけ変化しているかは分かるので、これこれはエントロピー的に有利だから起こ
る、というように熱力学的に説明はできる。しかし、さらに一歩踏み込んで、なぜそうな
るか(なぜ、エントロピーが増大するのか)は分子論的に(=統計力学的に)考えなけれ
ば説明できないのである。
- 131 -
8. 記述問題
注 1. 締め切り後に提出されたレポートは受け付けない。
注 2. 講義ノートの文章を単に写すのではなく、自分なりにまとめて書くように。
注 3. 問題と関係ないことまで書かないように。要点のみに絞って書く。
1. 序論
1. 熱力学では系を次の 3 種類に大別する。
孤立系
閉じた系
開いた系
それぞれどの様な系であるかを説明し、具体例を一つ挙げなさい。
2. (a) 非平衡状態にある孤立系は時間がたてば必ず最終的には熱平衡状態に到達すると
考えられる。熱力学ではこの熱平衡状態の存在を前提としている。この講義では熱平衡状
態にある系を考察の対象としている(平衡系の熱力学)。熱平衡状態とはどのような状態
か。具体例をあげて説明しなさい。(b) 定常状態とはどのような状態かを、具体例を挙げ
て説明しなさい。(c) 非平衡状態から熱平衡状態へ移行する過程を何と呼ぶか。
3. (a) 温度 T, 圧力 P, 体積 V のように巨視的な状態を記述する物理量を熱力学では何と呼
ぶか。(b) 系の熱平衡状態を変えずに系を分割したり、倍加したりするとき全体の分量に
比例する状態関数を容量性(示量性)状態関数、系の分量に関係のない状態関数を強度性(示
強性)状態関数という(アトキンス コメント 2・1 参照)。温度 T, 圧力 P, 体積 V はそれぞれど
ちらの状態関数か。
4. (a) この講義では具体的な考察の対象を主に理想気体としている。理想気体とは何か
を、マクロなレベルとミクロなレベルから説明しなさい。(b) 298.15 K、1 bar における
理想気体 1 mol の体積はいくらか?理想気体の状態方程式を使って求めなさい。(c) 熱力
学第零法則を説明しなさい。
5. (a) 標準状態とはどの様な状態か?(b) 1 気圧は Pa 単位ではいくらか?(c) 1 L を mm3
と dm3 に換算するといくらになるか?
6. (a) 0 ℃は絶対温度では何 K か?(b) エネルギー等分配則とは何か、説明しなさい。(c)
エネルギー等分配則に基づいて、298 K における水素分子、窒素分子、酸素分子の平均
の速さ√<v2>を求めなさい。
7. 圧縮因子 Z が、(a)= 1 のとき、(b)> 1 のとき、(c)< 1 のとき、分子間相互作用につ
いてどの様なことがいえるか。第 2virial 係数 B が、(d)= 0 のとき、(e)> 0 のとき、(f)
< 0 のとき、分子間相互作用についてどの様なことがいえるか。(g) 以下の Boyle 温度(単
- 132 -
位は K)の表から、どのようなことがいえるか。
He
Ne
N2
O2
Ar
Kr
Xe
22.64 122.1 327.2 405.9 411.5 575.0 768.0
8. (a) van der Waals の式を書きなさい。使用した記号の意味も付記するように。(b) van
der Waals の状態方程式における理想気体の状態方程式に対する補正項について説明しな
さい。(c) 実在気体の分子間ポテンシャルの概略図を書きなさい。
2. エネルギー
次の語句の意味を説明しなさい。(a) 仕事、(b) エネルギー。力学的エネルギーは運
動エネルギー EK とポテンシャルエネルギー V の和である。運動している物質の質量 m と
9.
(c) その速さ v、(d) その運動量 p を用いて運動エネルギーを与える式を書きなさい。(e)
理想気体分子と実在気体分子の力学的エネルギーについて説明しなさい。
10. ポテンシャルエネルギーの式は系によって異なる。(a) 重力、(b) 電気力、(c) 弾性
力によるポテンシャルエネルギーの式を書きなさい。使用した記号の意味も付記するよう
に。(d) 電気力、 (e) 弾性力のポテンシャルエネルギーの概略図を書きなさい。電気力
については、二つの電荷が同符号、異符号の場合それぞれについて書きなさい。
11. (a) 重力場や電磁場のような保存系において、場のポテンシャルエネルギー V(r)が与
えられているとき、その場内にある物体に働く力 F を与える式を書きなさい。( b)
Coulomb の法則を書きなさい。使用した記号の意味も付記するように。(c) 電荷が存在
する空間の誘電率とその電荷間に働く力の関係について説明しなさい。(d) イオン結晶が
水中ではイオンに電離して溶ける理由を説明しなさい。(e) NaF、NaCl、NaBr、NaI の順
に融点が低くなる理由を説明しなさい。
12. (a) 内部エネルギー U とは何かを、マクロなレベルとミクロなレベルから説明しなさ
い。(b) 理想気体の内部エネルギーの特徴をミクロのレベルとマクロのレベルから説明し
なさい。(c) 100 ℃の水と 100 ℃の水蒸気ではどちらの内部エネルギーが高いか?物質量
は同じとする。
13. エネルギーの重要な性質はそれが保存される(エネルギー保存則)ということである。
総量は保存されるが、ある系から別の系に移動したり、変換(例えば電気エネルギーが熱
エネルギーに変わる)したりする。(a) 系 A と B の圧力が PA < PB のとき、力学的エネ
ルギーはどちらからどちらへ移動するか。(b) A と B の力学的平衡条件を示しなさい。(c)
系 A と B の温度が TA < TB のとき、熱エネルギーはどちらからどちらへ移動するか。(d)
A と B の熱的平衡条件を示しなさい。
- 133 -
14. 体積や圧力のように、系の状態だけで決まる、従って系の性質を記述する量を状態関
数という。これに対して、仕事と熱はエネルギーの移動形態を表し状態関数ではないので、
同じ状態間の変化であっても、移動するエネルギー量は変化の道筋によって異なる。状態
関数と熱・仕事の違いを良く理解することが重要である。気体の膨張を例に、仕事量が変
化の道筋に依存することを説明しなさい。
15. (a) (閉じた系の)熱力学第一法則:Δ U = q + w のΔ U、q、w は何を意味してい
るかを説明しなさい。(注:単に、例えば、熱量と書いただけでは不十分である。)(b) 発
熱過程では q は正の値かそれとも負の値か。(c) 熱と温度の違いを説明しなさい。
16. (a) エンタルピー H の定義式を書きなさい。使用した記号の意味も付記するように。
(b) Δ H = Δ U + P Δ V という式は、どのような条件の下で成立するかを書きなさい。
(c) 内部エネルギーもエンタルピーも、多数の粒子から成る系の持つ巨視的なエネルギー
を表しているが、それぞれどのような条件の時に用いられているか。
17. (a) 独立変数 B、C、D の関数である A = f(B, C, D)の全微分 dA の式を書きなさい。
(b) 不完全微分と完全微分の違いを説明しなさい。(c) ∂ f /∂ x ∂ y =∂ f /∂ y ∂ x を
満たす df は完全微分かそれとも不完全微分か。(d) 状態関数の微分は完全微分かそれと
2
2
も不完全微分か。
18. (a) 理想気体では常に dU = CVdT、dH = CPdT という関係が成立するがそれはなぜか。
(b) 実在気体に対して dU = CVdT という関係が成立するのはどの様な条件のもとでか。
(c) 実在気体に対して dH = CPdT という関係が成立するのはどの様な条件のもとでか。
(d) 熱容量が与えられれば、温度 T1 における内部エネルギー U(T1)あるいはエンタルピ
ー H(T1)が既知のとき、別の温度 T2 における U(T2)あるいは H(T2)を見積もることができ
る。(さらには、反応エンタルピー Δ r H(T2)(3・1・3 参照、Kirchhoff の式)や、エントロピ
ー S(T2)(5・3・1 参照)の値を見積もることもできる。
)U(T2)と H(T2)を与える式を書きな
さい。
19. (a) 内圧π T、等温 Joule-Thomson 係数μ T、Joule-Thomson 係数μの式を書きなさい。
(b) これらは共通して気体のどのような性質の目安となるか。(c) 理想気体ではこれらは
どの様な値をとるか。(d) π
T
> 0、μ
T
< 0、μ> 0 のとき、気体の性質についてどの
様なことがいえるか。(e) μ> 0 である気体の圧力を高くすると、μ< 0 になった。この
理由を説明しなさい。
20. (a) 定圧熱容量 CP と定容熱容量 CV の定義式を書きなさい。(b) 理想気体について Cp
と CV の関係式を書きなさい。(c) Cp が CV より大きくなるのはなぜか。(d) 単原子分子
気体のモル熱容量より二原子分子気体のモル熱容量の方が、二原子分子気体のモル熱容量
より三原子分子気体のモル熱容量の方が大きな値となる。これはなぜか。(e) 二原子分子
気体のモル定圧熱容量は古典論(エネルギーの等分配則)に基づいてその大きさを見積も
- 134 -
るとどれだけになるか。R(気体定数)単位で答えなさい。(f) 二原子分子気体のモル定圧
熱容量の室温における実測値は、古典論による計算値より 0.5 R 程小さい値となる。これ
はなぜか。
21. (a) 熱の仕事当量は 1 cal = 4.184 J である。このとき、水 H2O(l)のモル定圧熱容量を
求めなさい。(b) 298 K における H2O(g) のモル標準定圧熱容量の値を調べ、H2O(l)のモ
ル定圧熱容量と比較しなさい。(c) Joule が熱の仕事当量を測定したのと同じ実験で、水
100 g の温度を 1 ℃上昇させたとする。このとき、重りの重さが 100 g だとすると、重り
の高さは基準点からどれ程の位置になければならないか。
22. (a) エネルギー等分配則によると、温度 T のヘリウム気体中の 1 個のヘリウム原子の
平均運動エネルギーは(3/2)kBT である。これは、原子 1 個の自由度が 3 だからである。し
かし、原子は電子と原子核から成るので、ヘリウム原子 1 個は電子 2 個と核 1 個から成る 3
粒子系である(あるいは電子、中性子、陽子各 2 個、計 6 個の粒子からなる複合粒子とも
考えられる)。そう考えれば、平均エネルギーは(9/2)kBT(あるいは(18/2) kBT)になって
もよさそうであるが、実際には(3/2)kBT である。この理由を説明しなさい。(b) 海岸地帯
ではいわゆる海陸風が吹く。すなわち、昼間は海から陸へ、夜間は逆に陸から海へ風が吹
く。海水と陸地の熱容量(水の熱容量については 20.(b)参照)に基づいて、海陸風が吹く
理由を説明しなさい。
23. (a) Boltzmann 分布の式を書きなさい。使用した記号の意味も付記するように。(b)
回転運動のエネルギーは大きくて 10 cm-1 程度である(1 cm-1 = 1.438775 K)。Ej - Ek =
- 10 cm-1 のとき、298 K における<Nj>/<Nk>の値を求めなさい。ただし、1 cm-1 = 1.98610
× 10-
23
J である。 (c) 二酸化炭素分子の熱容量は水分子のそれと比較して振動運動の寄
与が大きいが、その理由を書きなさい。
24.(アトキンス 8・1(c)参照) (a) Dulong-Petit(デュロン-プティ)の法則について説明し
なさい。(b) 多くの結晶が室温程度では Dulong-Petit の法則を概ね満足している理由を説
明しなさい。(c) 結晶内における原子の振動エネルギーが量子化されていると仮定すると、
低温で固体の熱容量が減少し、T → 0 で C → 0 になることが説明できるのはなぜか。
25.(アトキンス 8・1(c)参照)(a) Einstein モデルと Debye モデルの違いは何か。(b) 低
温における固体の熱容量の温度依存性はどの様に表されるか。(c) アトキンス図 8・9 を見
ると、低温で Einstein モデルは実測値よりも小さくなるが、その理由を説明しなさい。
26.(アトキンス 8・1(a)(b)参照)(a) Rayleigh-Jeans の法則と Planck 分布を書きなさい。
使用した記号の意味も付記するように。(b) Rayleigh-Jeans の式はどの様に実測と一致し
ないのか説明しなさい。(c) 光子のエネルギーが量子化されていると仮定すると、任意の
温度における黒体放射のエネルギー分布が正しく求められるのはなぜか。
- 135 -
3. 熱化学
27. (a) 標準反応エンタルピーΔ r H ○とはどの様な状態間のエンタルピー変化なのか説明
しなさい。(b) 式(1)の反応は吸熱反応か、発熱反応か。(c) ある反応の Δ r H が直接測
定できないときでも、エンタルピーの状態関数としての性質を使ってこのΔ r H を求める
ことができる。どのようにしたらよいか。(d) 下記の反応において化学量論数 ν H2 の値
はいくらか。
N2(g)+ 3H2(g) = 2NH3(g)
28. (a) Kirchhoff の式(積分形)を書きなさい。(b) この式を第 2 章の式(35h)を使って
導きなさい。計算過程をきちんと書くように。(c) この式は何を計算するときに使われる
か。(d) この式を使うためには予めどのような情報・データが必要か。
29. (a) 一般に、同一の物質の蒸発エンタルピーΔ vapH は融解エンタルピーΔ fusH よりか
なり大きい値をとる。この理由を書きなさい。(b) イオン化エネルギーとイオン化エンタ
ルピーの違いを説明しなさい。(c) 結合解離エンタルピー
HF(g) → H(g)+ F(g)
が分かっているとき、
HF(g) → H +(g)+ F -(g)
のエンタルピー変化を計算するためには、どの様なエンタルピー変化が分かっていればよ
いか。
30.
(a) 標準生成エンタルピー Δ fH
○
○
とは何か説明しなさい。(b) 以下の反応のエンタ
○
ルピー変化Δ rH を、Δ fH を使って計算しなさい。
(ⅰ) NH3(g) + (7/4)O2(g) → NO2(g) + (3/2)H2O(g)
(ⅱ) NH3(g) + (5/4)O2(g) → NO(g)
+ (3/2)H2O(g)
(ⅲ) NH3(g) + O2(g) → (1/2)N2O(g) + (3/2)H2O(g)
(c) NH3(g)の標準生成反応式を書きなさい。
31. (a) 水溶液中の物質の標準生成エンタルピーΔ f H ○(aq) はどの様にして求めればよい
か。(b) 水溶液中のイオン標準生成エンタルピーというものはどの様な仮定の下に定義さ
れているか。(c) イオン標準生成エンタルピーは何を基準に定義されているか。(d) なぜ、
C-C 結合解離エンタルピーがダイヤモンドの昇華エンタルピーの半分であると考えてよい
のか説明しなさい。
32. (a) 水溶液中の塩化ナトリウム、すなわち Na+(aq)+ Cl-(aq)について、その標準生成
反応式と水和反応式を書きなさい。(b) イオン標準水和エンタルピーは一般に負の値を示
すが、これはなぜか。 (c) アルカリ金属イオンのイオン標準水和エンタルピーは Li+、Na+、
K+の順にその絶対値が小さくなっていくが、これはなぜか。(d) 以下の式の?の部分をそ
- 136 -
れぞれ書きなさい。
(溶解)?→ Na+(aq)+ Cl-(aq)
(水和)?→ Na (aq)+ Cl-(aq)
+
4. 過程とエネルギー効率
33. (a) 式(5)から式(6)を導きなさい。(b) 式(6)から式(7)を導きなさい。(c) 式(7)から
式(8)を導きなさい。(d) 式(14)から式(16)を導きなさい。計算過程をきちんと書くよう
に。
等温過程と断熱過程の違いを良く理解するように。(a) 系の圧力を Pi から Pf に変化
させ、膨張させたとする。この過程を等温的と断熱的に行ったとき、外界になす仕事量は
34.
等温過程の方が大きい。これはなぜか。(b) 断熱膨張を行なうことによって、系を冷却す
ることができるがこれはなぜか。(c) 断熱膨張による冷却と Joule-Thomson 効果による
冷却の原理の違いを説明しなさい。(d) 常温ではどんなに加圧しても、酸素と窒素は液化
しない理由を説明しなさい。
35. 理想気体を等温的に膨張させ、その後圧縮するサイクルを考える。いろいろな過程で
このサイクルを行わせることができるが、常に系は最終的に正確に元の状態に戻る。しか
し、外界の方はある過程(a)では変化してしまい、別のある過程(b)では完全に元の状態に
戻る。これらはそれぞれ何過程と呼ばれているか。後者の過程で系が膨張する(=系が仕
事をする)ときになす仕事(c)と、系を圧縮させる(=外から系に仕事をする)ときになされ
る仕事(d)は等量であるが、それぞれ何仕事と呼ばれているか。(e) 準静的過程について
説明しなさい。
36. (a) Carnot サイクルは四つの過程から成っているがそれは何か。(b) Carnot エンジン
の効率、および一般的なエネルギー効率の式はそれぞれどの様に定義されるか。使用した
記号の意味もそれぞれ付記しなさい。Carnot サイクルについて考察した結果、(c) サイク
ルにおける熱の仕事への変換に関して、(d) エネルギー効率について、それぞれどのよう
な結論が得られたか。
37. (a) エネルギー効率と可逆過程・不可逆過程に関する考察から、自然界における自発
変化の方向についての一般則、すなわち熱力学の第二法則が発見された。自発的変化はど
のような過程であるといっているのか。(b) 熱力学は経験則である。熱力学第二法則の例
となる身近な自然現象を一つあげなさい。(c) 絶対温度目盛りの基準点について説明しな
さい。
5. エントロピー
- 137 -
38. 不可逆性を定量的に表現したのがエントロピーである。(a) 系のエントロピー変化Δ
S、(b) 熱源のエントロピー変化Δ Stherm、を与える式を書きなさい。使用した記号の意味
も付記しなさい。宇宙のエントロピー変化Δ Suniv は系と外界のエントロピー変化の和であ
る。(c) 可逆過程におけるΔ Suniv と(d) 不可逆過程におけるΔ Suniv はそれぞれどうなるか
(増えるか、減るか、変わらないか)
。
39. 次式は Clausius の不等式と呼ばれている。
∮ d'q/Te ≦ 0
(a) 上式において、q と Te は何を表しているか(注:単に熱量とか温度とかでは不十分で
ある)。(b) この不等式の左辺はどのような物理量を表しているか。(c) これはどのよう
な場合に適応される式か。(d) 結論として Clausius の不等式はどのような意味であるか。
40. (a) 熱力学第二法則は自然に起こる変化(=自発的変化)の不可逆性を表しているが、
これをエントロピーという言葉を用いて表現するとどのように表されるか。
次式は熱力学第二法則の数式的表現と考えられる。
dS ≧ d'q/Te
(b) 不等号はどのような場合か。(c) 左辺と(d) 右辺はそれぞれどのような物理量を表し
ているか。(e) 上式の内容が熱力学第二法則と一致することを示しなさい。
41. (a) 可逆過程において系のエントロピー変化はなぜ起こるのか。(b) 不可逆過程にお
ける系のエントロピー変化の原因を二つ挙げなさい。(c) なぜ不可逆変化によってエント
ロピーは生成するのか、説明しなさい。(d) なぜエントロピー生成は系でのみ起こり、熱
源では起こらないのか、説明しなさい。
42.
状態 i から状態 f に不可逆的に移行したとする。このようなとき、(a) 系のエントロ
ピー変化Δ S と(b) 外界のエントロピー変化Δ Stherm は一般的にどの様にして求めればよ
いか説明しなさい。(c) 断熱過程において外界のエントロピー変化Δ Stherm はどうなるか。
43. (a) 気体の膨張、(b) 液体から気体への相転移、(c) 系の温度上昇、に伴うエントロ
ピー変化を計算する式を示しなさい。使用した記号の意味も付記するように。(d) これら
の現象に共通していることは何か?(e) 上記以外にエントロピーが増大する現象を一つ挙
げ、それがなぜエントロピーを増大させるのかを簡潔に説明しなさい。
44. (a) Boltzmann の原理の式を書きなさい。使用した記号の意味も付記するように。(b)
エントロピーは不可逆性を定量的に表すために導入された巨視的量、状態関数である。
一方、微視的立場からはエントロピーはどのような物理量であるといえるか。( c)
Boltzmann の原理では、微視的状態の数というものが現れる。そして、この微視的状態数
の多い配置ほど実現確率が高いと統計力学では考える。この考え方の基本には、等重率の
原理がある。この原理を説明しなさい。
- 138 -
45. (a) 二つのエネルギー準位のみから成る系(二準位系)があるとする。これを二つの
電子が占めるとき、その占め方が異なる一つ一つの状態が微視的状態である。可能な微視
的状態を全て書きなさい。ただし、二つの電子は区別がつかないものとする。(b) シスと
トランスの配座を自由にとることができる分子二つ(A と B)から成る系があるとする。
この系の微視的状態を全て書きなさい。
A(シス)- B(シス)
○
二準位系
○
微視的状態の例(a)
微視的状態の例(b)
46. (a) 熱平衡状態を微視的観点から定義しなさい。(b) 熱力学第二法則は微視的観点か
ら、「熱平衡状態へ向かう過程は、確率的に見て圧倒的に実現確率の高い過程で、実質的
には不可逆であり、この時必然的にエントロピーの増大が起きる。」と解釈することがで
きる。これはなぜか。(c) 我々は熱力学第二法則を確率的、統計的に解釈するが、実際に
観測される現象は確定的である。なぜ、確率的事象が確定的に起こり得るのか説明しなさ
い。
47.(a) 5・2・2 の最後で示した、エネルギー準位への粒子の配置について、配置 0 から 7 ま
でその重み W({nk})を計算しなさい。(b) 計算結果について気づいたことを書きなさい。
48. (a) エントロピーをミクロのレベルから理解するときのキーワードの一つは自由度で
ある。(ミクロなレベルの)系の自由度という言葉を使って、エントロピーの増大則を説明
しなさい。(b) 仕切りにより小さい領域に閉じ込められていた気体は、仕切りを取ること
により拡散して、より広い領域に均一に分布するようになり、その後はその状態(=熱平
衡状態)を保つ。このとき、巨視的には系のエントロピーは増大しており、ミクロなレベ
ルでは気体分子が利用可能な自由度を万遍なく利用する状態(=自由度全体に分布してい
る状態)が実現している。この現象が起こる原因は微視的にはどの様に説明されるか。
49. (a) なぜ不可逆変化によってエントロピーが生成するのか、ミクロな観点から説明し
なさい。(b) 仕事と熱をエントロピーの見地から定義するとどのように表されるか。(c)
エネルギーを消費する、という意味を熱力学的に定義しなさい。(d) 高級なエネルギーと
低級なエネルギーとはどのな様エネルギーか、例を付して説明しなさい。
50. (a) 式(53)から式(75)を導きなさい。(b) 式(4a)に d'qrev = dH - VdP を代入して、式
(75)を導きなさい。(c) 等温過程のエントロピー変化の式(6)から、式(77)を導きなさい。
(d) Boltzmann の原理に基づいて、式(77)を導きなさい。計算過程をきちんと書くように。
51. 25 ℃、1 atm におけるベンゼン(l)の第三法則エントロピーは 173.59 J K-1 mol-1 である。
このとき、25 ℃、1
atm におけるベンゼン(g)のエントロピーを計算したい。以下の条件
が与えられているとき、どの様な可逆過程を考えればよいか説明しなさい。この温度では
ベンゼンは 0.1235 atm で沸騰し、蒸発エンタルピーは 33.744 kJ mol- である。ベンゼン(l)
1
- 139 -
の密度と膨張率はそれぞれ 0.879 g cm-3、12.4 × 10-4 K-1 である。なお、圧力による体積お
よび膨張率の変化は無視できるものとする。
52. (a) Trouton の規則を説明しなさい。(b) ヘリウム、(c) 酢酸、(d) 水が Trouton の規
則を満たさない理由を説明しなさい。
53. (a) 熱力学の第三法則を説明しなさい。(b) 熱力学の第三法則を実証する具体例を一
つ挙げなさい。(c) Boltzmann の原理に基づいて熱力学第三法則を説明しなさい。(d) 温
度 T において気体である物質の第三法則エントロピー S(T)を与える式を書きなさい。記
号の意味も付記するように。
54. 熱力学の第三法則によると、完全結晶は絶対零度でそのエントロピーがゼロになるは
ずである。しかし、ある物質は絶対零度でも有限のエントロピーを持つ。(a) これを何と
呼ぶか。また、(b) その具体例(物質名あるいは物質群の名前)を一つ挙げなさい。(c)
急速に冷却することによって 0 K 近傍まで p 通りの配向が凍結された物質がある。この
物質 1 mol の残余エントロピーを Boltzmann の原理より求めなさい。
55. (a) 反応エントロピーΔ r S とはどの様な状態間のエントロピー変化なのか説明しなさ
い。熱力学第三法則より、エントロピーは必ず正の値をとるはずなのに、(b) イオン標準
エントロピーが負の値になることもあるし、(c) イオン標準水和エントロピーの値は常に
負である。これはなぜか。(d) Cl- 、H+、Mg2+の順にそれらのイオン標準エントロピーは
小さくなっていくが、それはなぜか。
56. (a) 周期表で同じ族に属する単体物質を比較したとき、あるいは原子数、分子構造が
同じ分子同士を比較したとき、原子量あるいは分子量が軽いものと、重いものではそのエ
ントロピーはどちらが大きいか。また、それはなぜか。(b) 分子量がほぼ等しい分子どう
しを比較したとき、その分子を構成する原子数が多いものと、少ないものとではどちらが
エントロピーが大きいか。また、それはなぜか。
57. (a) 理想気体の混合によって系のエントロピーは増えるか、減少するか、それとも変
わらないか?(b) 等温、等圧の下での混合エントロピーΔ mixS を与える式を書きなさい。
記号の意味も付記するように。(c) 混合と溶解、混合物と溶体の違いを説明しなさい。
58. (a) 気体が圧力を示したり、ゴムが弾性を示したり、固体が融解したりするのはエン
トロピー効果による。なぜこのような現象が起こるのか、ミクロのレベルから説明しなさ
い。個別に説明するのではなく、共通していることを記述しなさい。断熱圧縮により系の
温度が上昇する理由を、(b) エネルギー、(c) エントロピー、の観点から説明しなさい。
- 140 -
6. 自由エネルギー
59. 閉じた系の定温・定圧過程では、エントロピーではなく Gibbs の自由エネルギー G を
自発変化の方向を知る判断基準とする。(a) G および Helmholtz の自由エネルギー A の定
義式を書きなさい。使用した記号の意味も付記しなさい。(b) (宇宙の)エントロピーの代
わりに自由エネルギーを使う利点は何か。(c) 閉じた系の定温・定圧過程ではどのような
方向に自発変化は起きるか。(d) 閉じた系の自由エネルギーが減少しているとき、宇宙の
エントロピーはどの様に変化しているか。
60. (a) 熱力学ポテンシャルと呼ばれる状態関数を列挙しなさい。(b) 平衡系の熱力学に
おいて熱力学ポテンシャルは中心的な役割を果たしている。系の平衡条件は熱力学ポテン
シャルが極値をとることである。このとき宇宙のエントロピーはどうなっているか。(c)
熱力学の不等式を導くとき、出発点となった式を書きなさい。
61. (a) 安定相と準安定相について説明しなさい。(b) 温度変化に伴って相転移が起こる
理由を説明しなさい。(c) 閉じた系で融解が起こるのは、エネルギー的には不利であるが、
それ以上にエントロピー効果の利得が大きいからである。融解が自発的に起こる理由を閉
じた系と外界から成る孤立系全体のエントロピー変化に基づいて説明しなさい。
62. (a) 相転移に伴うエントロピー変化はΔ trsS =Δ trsH /Ttrs で与えられる。Δ trsH と Ttrs の
意味を説明し、この式がどのようにして導かれたかを示しなさい。(b) 1 atm における氷
のモル融解エンタルピーは 6.01 kJ mol-1、モル蒸発エンタルピーは 40.66 kJ mol-1 である。1
mol の水が 0 ℃で凍結するとき、および 100 ℃で蒸発するときのエントロピー変化Δ trsS
を計算しなさい。(c) この二つの転移エントロピーを比較し、その違いの意味を論じなさ
い。
63. (a) 反応の進行に伴って分子数が減少する気相反応では、系のエントロピーも減少す
るので、反応は起こらないと予想される。しかし、実際には(定温・定圧で)そのような反
応が自発的に起こることもある。それはなぜか。(b) 反応によって分子数が増加する気相
反応では、温度を上げたときと下げたときで、反応がより起こりやすくなるのはどちらの
場合か。また、それはなぜか。(c) 室温で生石灰は二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウム
になる。この反応のエントロピー変化は正、負、どちらと推測されるか。その理由ととも
に書きなさい。
CaO(s)+ CO2(g) → CaCO3(s)
64. (a) 水和とは何か説明しなさい。(b) 水和に伴うエンタルピー変化Δ hyd H、エントロ
ピー変化Δ hyd S はともにイオンの電荷が大きいほど、同じ電荷を持つイオンではイオン半
径が小さいほど、一般に大きな負の値となる。その理由を説明しなさい。(c) 水和におい
てもΔ H-Δ S の補償関係は一般に成立するが、液相において H2O 分子がイオンに電離し
づらいのは、その過程がエネルギー的(Δ hyd H > 0)にもエントロピー的(Δ hyd S < 0)
- 141 -
にも不利だからである。なぜイオンに電離するとエントロピーが減少するのか。(d) Δ HΔ S の補償関係が一般に成立する理由を説明しなさい。
65. (a) CuSO4 結晶を水に溶かしたときのエントロピー変化Δ sol S は負の値をとる。液体
に固体を溶かしたときの溶解エントロピーΔ sol S が負になるということは、固体状態より
も溶液状態の方がエントロピーが低い=秩序があるということを示しているように思える
が、一般に固体状態より溶液状態の方がエントロピーが高いように思える。どうしてΔ sol S
が負になり得るのか説明しなさい。(b) 溶解エントロピーΔ sol S は正にも負にもなりえる。
その理由を説明しなさい。(c) 溶解エンタルピーΔ sol H は正にも負にもなりえる。その理
由を説明しなさい。
66. (a) イオン結晶がなぜ水に良く溶けるのか(、なぜ水中でイオンに解離するのか)を
エネルギー効果に基づいて説明しなさい。(b) イオン結晶の NaCl と CaF2 を水に溶かした
とき、その溶解エンタルピーはともにわずかに吸熱で同程度の大きさであるが、それらの
溶解度には大きな差がある。この違いはエントロピー効果によるものであるが、なぜエン
トロピーにこのような違いが生じるのか?(c) 一般に、気体の水に対する溶解度は温度が
高くなるほど小さくなる。この理由を説明しなさい。
67. エンタルピー効果にのみ注目したとき、次の組み合わせは溶ける、あるいは溶けない、
どちらと予想されるか。その理由も説明しなさい。
(a) 極性分子を極性溶媒に溶かす。
(b) 極性分子を無極性溶媒に溶かす。
(c) 無極性分子を無極性溶媒に溶かす。
(d) 無極性分子を極性溶媒に溶かす。
68. (a) 疎水性物質はそれらが互いに相互作用を及ぼしあって結合しているというより、
むしろ水から排除される結果集合していると考えられる。なぜ、疎水性物質は水から排除
されるのか、エネルギー的、及びエントロピー的に説明しなさい。(b) 5・4 で紹介したゴ
ム弾性や疎水性相互作用はエントロピー効果に起因している。任意の現象がエントロピー
効果に起因することを証明するためには、一般にどの様な実験を行い、どの様な結果が得
られればよいか。その理由とともに書きなさい。
69. (a) 理想気体の混合エンタルピーΔ mixH、混合エントロピーΔ mixS、混合自由エネルギ
ーΔ mixG は増えるか、減少するか、それとも変わらないか。その理由も説明しなさい。(b)
式(56)は混合についてはdΔ mixG =Δ mixVdP -Δ mixSdT となる。この関係と、Δ mixG =
nRT ∑ J xJ ln xJ から、混合体積Δ mixV = 0 となること示しなさい。
70. 部分モル量は多成分系(溶液、化学反応など)を考えるときの重要な概念の一つであ
る。任意の状態関数 X の部分モル量は次式で定義される。
X J =(∂ X/∂ nJ)T, P, nK
(K ≠ J、K は J 以外の成分)
- 142 -
(a) この定義式の意味を言葉で説明しなさい。(b) 部分モル量 X
J
を使って系全体の状態
関数 X を与える式を書きなさい。(c) 水-アルコール系の水の部分モル体積と純水のモル
体積の違いを説明しなさい。(d) 溶体を構成する各成分の部分モル量の間の関係を与える
Gibbs-Duhem の式を書きなさい。使用した記号の意味も付記するように。
71. (a) Gibbs-Helmholtz の式(52b)を使って、理想気体の混合エンタルピーΔ mixH が零に
なることを示しなさい。ただし、Δ mixG = nRT ∑ J xJ ln xJ とする。(b) 温度
が一定であれば、理想気体の Gibbs 自由エネルギーの圧力変化Δ G はエントロピー効果
にのみよることを示しなさい。
72. (a) 標準生成自由エネルギー Δ f G ○ とは何か、説明しなさい。(b) 問 30 の三つの反
応の自由エネルギー変化Δ r G ○ を計算しなさい。(c) 反応自由エネルギーΔ r G とはどの
様な状態間の自由エネルギー変化であるか説明しなさい。(d) イオン標準生成自由エネル
ギーとは何か説明しなさい。
73. 任意の反応から膨張仕事以外の仕事 we を取り出すとき、この反応が定温・定圧のもと
で行われても;(a) q =Δ H ではない。このときの q を与える式を書きなさい;(b) - T
Δ Suniv =Δ G ではない。このときの- T Δ Suniv を与える式を書きなさい。
Δ G < 0、Δ H < 0、Δ S < 0 である自発変化から、膨張仕事以外の仕事を取り出すと
き、(c) 系のなす最大の非膨張仕事- we,max を得るのはどの様な過程か。(d) - we,max はど
れだけになるか。(e) 熱平衡状態の定義については、巨視的観点(問 2)と微視的観点(問 46)
から行ったが、仕事という観点から定義しなさい。(f) Δ G < 0、Δ H < 0、Δ S < 0 で
ある任意の二つの状態間の変化において、系の非膨張エネルギー変化-Δ H を全て仕事
として取り出すことはできない。どうしても T Δ S だけは熱として消費されてしまう。
これはなぜか?
74. 開いた系を考えるとき、化学ポテンシャルが重要な役割を果たす。(a) 化学ポテンシ
ャルの定義式を書きなさい。記号の意味も付記するように。(b) この定義式の意味を言葉
で書きなさい。(c) 二つの相 A と B が接触していて、両相に含まれるある成分について
μ A >μBであるとき、どのようなことが起こるか。(d) μ A =μBの場合はどうか。
75. (a) 任意の反応において、その反応の標準反応自由エネルギーΔ r G ○と平衡定数 K を
結びつける式を書きなさい。(b) 反応の平衡定数 K の値が分かるというということはど
ういう意味を持つか説明しなさい。(c) Δ G < 0 である反応でも、その反応は完全には
進行しない。逆にΔ G > 0 である反応であっても、実際には僅かであっても反応が進行
する。これはなぜか。
76. (a) Le Chatelier の原理を説明しなさい。
ある温度と圧力のもとでアンモニアの合成反応
N2(g)+ 3H2(g) = 2NH3(g)
- 143 -
が化学平衡に達しているとする。(b)この反応のエンタルピー変化Δ rH
○
と自由エネルギ
○
ー変化Δ rG の値をそれぞれ標準生成エンタルピー、標準生成自由エネルギーから計算し
なさい。(c)温度を上げると、(d)圧力を上げると平衡はどちらにずれるか。Le Chatlier の
原理に基づいてその理由もそれぞれ付記しなさい。
77.
(a)Δ H-Δ S 補償関係を説明しなさい。(b) この関係の例外を一つ示しなさい。(c)
Δ H-Δ S 補償関係が Le Chatlier の原理(温度の影響)と同じ結論を導くことを示しなさ
い。(d) 任意の化学反応において、温度、圧力、濃度を変えたとき、それぞれ場合におい
て平衡定数は変化するか、それとも変わらないか。
78. (a) van't Hoff の式を書きなさい。使用した記号の意味も付記しなさい。(b) van't Hoff
の式が Le Chatelier の原理(温度の影響)を満足することを示しなさい。(c) 平衡定数の
温度変化測定から、Δ r G、Δ r H、Δ r S を求める方法を説明しなさい。
79. (a) 圧力とフガシティーを結びつける式を書きなさい。(b) 気体 A と B の混合気体で、
A の分圧は 10 bar であるが、そのフガシティーは 8 bar であるとする。このことから、A
と B の分子間相互作用についてどの様なことがいえるか。フガシティー係数φと圧縮因
子 Z は、理想気体ではともに 1 である。これらの値が(c) 1 より大きいとき、(d) 1 より
小さいとき、分子間にどの様な相互作用が働いていると推測できるか。
80. 理想溶液を、(a) 微視的に、(b) 熱力学的に、定義しなさい。(c) 理想溶液の混合エ
ンタルピーΔ
mix
H、混合エントロピーΔ
S、混合自由エネルギーΔ
mix
mix
G は増えるか、減
少するか、それとも変わらないか。その理由も説明しなさい。
81. (a) 溶液の束一的性質とは何か説明しなさい。(b) 束一的性質が成立する条件を二つ
挙げなさい。(c) その二つの条件が意味することを、それぞれについて説明しなさい。
82. (a) 活量 a とモル分率 x を結びつける式を書きなさい。(b) 活量係数γの物理的意味を
説明しなさい。(c) 電解質溶液の場合、 イオン強度が高くなると 平均活量係数γ±はどう
なるか。
83. 物質 A と B から成る理想系がある。それぞれの化学ポテンシャルは次式で与えられる。
μ A = μ A* + RT ln xA
μ B = μ B* + RT ln xB
このとき、Gibbs-Duhem の式
∑ J nJ d μ J = 0 (T、P =一定)
が満足されることを示しなさい。
84. (a) 難溶性塩の溶解度積は水溶液中に他のイオンが共存してもしなくても、温度によ
って決まる一定の値をとる。ところで、この塩の構成イオンと同種のイオンが共存すると
- 144 -
( 共通イオン効果)、この塩の溶解度は減少する。溶解度積が一定なのに、溶解度が減少
するということは矛盾しないのか、説明しなさい。(b) 異種イオン効果によって塩の溶解
度が上昇する理由を説明しなさい。
85. (a) Raoult の法則を説明しなさい。(b) Raoult の法則から予想されるより低い蒸気圧
を示す系がある。その具体例を一つ示して、低い値を示す理由を説明しなさい。(c) Raoult
の法則から予想されるより高い蒸気圧を示す系がある。その具体例を一つ示して、高い値
を示す理由を説明しなさい。
86. (a) 気体どうしの混合と液体どうしの混合で大きく異なる点は何か?(b) その理由を
説明しなさい。(c) 部分可溶の意味を説明しなさい。ある温度では完全に混ざり合ってい
た A と B が、温度を上げていったら、ある温度以上で部分可溶になってしまったとする。
(d) その理由を説明しなさい。(e) この温度を何と呼ぶか。
7. まとめ
87. (a) 式(9a)を導きなさい。(b) 式(11a)を導きなさい。(c) 式(17)を導きなさい。(d)
式(32)(∂ P/∂ T)V =α/κ T を導きなさい。
88. (a) 二つの系 A、B が熱力学的に接触しているとき、その力学的平衡条件、熱的平衡
条件、質量的平衡条件は何か。(b) 熱力学の優れている点を二つ挙げなさい。(c) 熱力学
の欠点を二つ挙げなさい。
- 145 -
9. 演習問題
注 1. 締め切り後に提出されたレポートは受け付けない。
注 2. 計算過程もきちんと書く。
注 3. 単位についてもきちんと計算する。
注 4. 必要な物理定数等はアトキンスを参照しなさい。
1. 序論
1. (a) ある理想気体が 100 ℃で 8.93 L の体積を占めている。圧力が一定に保たれるとき、0
℃では体積はいくらになるか。(アトキンス例題 1・2 参照)
実験室での実験において、ある反応で気体の生成物ができ、200 mL の集気瓶にちょう
どいっぱいになった。この集気瓶には水銀の液面計が付いていて、大気に解放された端の
液面は 22.6 mm だけ気体の側の面より高かった。その日の大気圧は 752.6 mmHg で、室温
は 22 ℃であった。気体は理想的に振る舞うとする。
(b) 25 ℃、1 bar でのその気体の体積はいくらか。
(c) 気体分子は何 mol 集められたか。
2. 閉じた 1 L の容器中にある 20 g の窒素が 25 ℃において示す圧力を、理想気体の状態
方程式、van der Waals 方程式を用いて計算し、比較検討しなさい。ただし、圧力は bar
単位で示しなさい。(アトキンス例題 1・2、1・4 参照)
3. PCl5 は 250 ℃、1 atm のもとで 80 %解離し
PCl5(g) = PCl3(g)+ Cl2(g)
の平衡に達する。このとき反応容器中の PCl5、PCl3 および Cl2 の分圧を求めなさい。ただ
し、気体は理想的に振る舞うとする。(アトキンス例題 1・3 参照)
2. エネルギー
4.
ピストンを備えたシリンダー中に 25 ℃の理想気体 1 mol が 107 N m-2 の圧に保たれて
いる。ピストンに加わる圧力を 3 段階、すなわち最初に 5 × 106 N m-2、ついで 106 N m-2、
最後に 105 N m-2 にゆるめていく。この不可逆等温膨張に伴って気体のなす仕事を計算し、
25 ℃において 107 から 105 N m-2 まで可逆等温膨張する気体のなす仕事と比較しなさい。
(アトキンス例題 2・1 参照)
5. 次の計算をしなさい。(アトキンス例題 2・2 参照)
(a) 0 ℃における氷と水の密度はそれぞれ 0.9168 と 0.9998 g mL-1 である。1 atm における
氷 1 mol の融解のΔ H とΔ U の差はどれだけか。
(b) 100 ℃において液体の水の密度は 0.95484 g mL-1 であり、同温度において水蒸気は 1
- 146 -
atm で 0.000596 g mL-1 である。大気圧下での 1 mol の水の気化に伴うΔ H とΔ U の差は
どれだけか。
6. (a) van der Waals の状態方程式に従う気体を等温度 T で体積を Vi から Vf に可逆的に変
化させるとき、この気体の内部エネルギー変化の式を求めなさい。ただし、
(∂ U/∂ V)T = T(∂ P/∂ T)V - P
という関係を使う。(b) CO2 気体が van der Waals 方程式に従うとして、25 ℃で 1 mol の
CO2 気体を体積 10 dm から 50 dm まで膨張させたときの内部エネルギー変化Δ U を求め
3
3
なさい。
7. (a) 0 ℃、1 atm の気体アルゴンが 1 dm の容器に入っている。外部から加える熱は全
3
て気体分子の運動エネルギーを高めるために使われるとすれば、この容器中のアルゴンの
温度を 100 ℃にするにはどれだけの熱を必要とするか。(b) また 1 mol の気体アルゴンを
体積一定で温度 1
K 上げるにはどれだけの熱が必要か。ただし気体アルゴンは理想気体
とする。(アトキンス数値例 2・3 参照)
8.
ⅰ)キセノン、ⅱ)窒素分子、ⅲ)水分子、ⅳ)エチレンの各分子について、その並進、
回転、振動の自由度がどれだけあるか。これらの気体が理想的にふるまうとき、それらの
振動モードが熱容量に寄与しない温度における、各気体のモル定容熱容量 CV,
m
とモル定
圧熱容量 CP, m を R 単位で求めなさい。
9. 27 ℃、1 atm の理想気体が 41 cm s- の流速で装置に入り、抵抗 100 Ωの電熱線上を流
3
1
れるとする。加熱電流が 0.050 A であるとき装置を出る気体の温度が 31.09 ℃であったと
する。この理想気体の CP, m と CV, m を求めなさい。ただし、CP, m と CV, m の温度変化は無視
できるとする。(アトキンス数値例 2・2 参照)
10. 空気のモル質量を 28.2 g、CV, m =(5/2)R、CP, m =(7/2)R とする。25 ℃、1 bar の空気 1
L に 40 J のエネルギーを加えて加熱した。空気は理想的に振る舞うとする。
(a) もし圧力が 1 bar のまま一定であれば、終状態の体積はいくらか。
(b) もし体積が 1 L のままであれば終状態の圧力はいくらか。
11. 二つの異性体 A、B があり、A の基底状態は B のそれより 5.00 kJ mol-1 だけエネルギ
ーが高い。この二つの異性体が 27 ℃で熱平衡状態にあるとき、その存在比<nA>/<nB>を求
めなさい。
3. 熱化学
12. 1 mol の炭素 C(s)、硫黄 S(s)、および二硫化炭素 CS2(l)を 1 bar、25 ℃において燃焼
させ、CO2(g)及び SO2(g)としたときの燃焼エンタルピーは、それぞれ -393.5、-296.8、- 147 -
1076.9 kJ mol-1 である。25 ℃における CS2(l)の標準生成エンタルピーを計算しなさい。
(ア
トキンス例題 2・5 参照)
13. 100 ℃、1 atm における水の蒸発エンタルピーは 40.668 kJ mol-1 である。27 ℃、1 atm
における水の蒸発エンタルピーを計算しなさい。ただし、モル定圧熱容量は次で与えられ
る。(アトキンス例題 2・4、2・6 参照)
CP, m(水) = 75.48 J K- mol1
1
CP, m(水蒸気) = 30.54 + 10.29 × 10- (T/K) J K- mol3
1
1
4. 過程とエネルギー効率
14. 理想気体 1 mol が Pi = 20 bar、Vi = 2 dm3 の状態から Pf = 5 bar、Vf = 8 dm3 の状態
へ断熱的に変化したとする。このときこの膨張はどの様な条件の下に行われなければなら
ないか。また、それはなぜか。
15. CH4 のγは 1.31 であり、室温付近で 1 bar 以下では理想的に振る舞う。100 ℃、3 L、1
bar の CH4 を可逆断熱的に 0.1 bar まで膨張させた。(アトキンス数値例 2・5、2・6 参照)
(a) 終状態の温度と体積はいくらか。
(b) 気体のした仕事はどれほどか。
(c) この過程のΔ U とΔ H の差はいくらか。
16. CV, m = 25 J K-1 mol-1 の 1mol の理想気体を用いた Carnot サイクルを 10 bar、600 K の
もっとも圧縮された状態から働かせる。まず等温的に 1 bar まで膨張し、その後断熱的に
最も膨張した状態へ移り温度は 300 K となる。(講義ノート 4・3[考察Ⅲ]参照)
(a) 各行程における q と w を求めなさい。
(b) このときのエネルギー効率を一般的なエネルギー効率の式、η=- wt / qh、を使って
求めなさい。
(c) (a)と同様な計算を初期圧 100 bar、600 K から、1 bar、300 K へ膨張する場合につい
て行いなさい。
(d) このときのエネルギー効率を一般的なエネルギー効率の式、η=- wt / qh、を使って
求めなさい。
(e) 二つの場合のエネルギー効率を比較してどのようなことが言えるか。
5. エントロピー
17. (a) 系の温度が 25 ℃、外界の温度が 30 ℃のとき、外界から 1 kJ の熱量が系に流れた
とする。このときの系、外界、宇宙のエントロピー変化を計算しなさい。ただし、熱の移
動に伴って、系の温度は変化しないものとする。(b) 外界の温度が 26 ℃のときはどうな
るか計算しなさい。(アトキンス数値例 3・1 参照)
- 148 -
18. 六つのエネルギー準位から成る系があるとする。そのエネルギー値は 0、1、2、3、4、5
で、任意のエネルギー準位を占めることができる粒子の数に制限はないとする。粒子の数
が N 個、その全エネルギーが 5 のとき、
(a) この条件の下で、各エネルギー準位に粒子がどの様に分布できるかを考えて、異なる
分布の仕方(=配置)を全て列挙し、それぞれの配置 j の重み Wj を求めなさい。ただし、
粒子の区別はつくものとする。
配置の例:1 個の粒子のみがエネルギー値 5 の準位を占め、それ以外の N - 1 個の粒子は
エネルギー値 0 の準位を占める。
(b) N = 5、20、100 に対して、それぞれの配置 j に対する重み Wj とその総数(微視的状
態数)∑ jWj を計算し、最も確からしい配置が持つ重み Wmax 及び Wmax/∑ jWj を求めなさい。
(c) N →∞のとき、Wmax/∑ jWj はいくらになるか。
19. 理想気体 1 mol について、温度 T2、圧力 P2 のときと、温度 T1、圧力 P1 のときのそれ
ぞれのエントロピー S2 および S1 の差が次式で与えられることを示しなさい。
S2 - S1 = Cpln(T2/T1)- Rln(P2/P1)
20. (a) 298 K にある理想気体 1 mol を 10 dm3 から 100 dm3 まで等温膨張させるときの内
部エネルギー変化Δ U、エンタルピー変化Δ H、エントロピー変化Δ S を計算せよ。(b)
単原子理想気体 1mol を定圧のもとで 273K から 373K まで熱するときのエントロピー変
化はいくらか。(アトキンス例題 3・1、3・2 参照)
21. 1 mol の理想気体が、ピストン付きのシリンダーに閉じこめられている。ピストンに
は摩擦があり、その摩擦力は、ピストンの圧力 0.1 bar に相当する。つまり、摩擦力= P
Δ V で与えられる。(a) 25 ℃で、10 bar から 1 bar まで膨張したとき、気体がなす最大仕
事はいくらか。(b) 次に気体を 25 ℃のもとで、もとの体積まで圧縮されたとき、気体に
なされる最小の仕事はいくらか。(c) この膨張と圧縮を合わせた仕事 w はいくらか。(d)
このときのΔ U はいくらか。(e) このときの熱量 q はいくらか。(f) 系と外界の各ステ
ップおよび全過程におけるエントロピー変化を計算しなさい。
22.
0 ℃の氷 1 mol を 1 atm の下で 100 ℃の水蒸気にするときの水のエントロピー変化を
求めなさい。ただし、0 ℃における氷の融解エンタルピーは 6.01 × 103 J mol-1、100 ℃に
おける水の蒸発エンタルピーは 4.07 × 104 J mol-1 である。また、0 ℃~ 100 ℃における水
の熱容量はほぼ一定で、75.3 J K-1 mol-1 である。
23. (a) 融点のすぐ下の温度における結晶ベンゼンのモル定圧熱容量は 123.4 J K-1 mol-1、
融点のすぐ上の温度における液体ベンゼンのモル定圧熱容量は 134 J K-1 mol-1 である。ま
た、ベンゼンの融点は 278.5 K、融解エンタルピーは 9.82 kJ mol-1 である。1 mol の結晶ベ
ンゼンの温度を 275 K から 295 K まで上昇させたときのエントロピー変化はいくらか。
(b) 鉛の同位体組成は原子%で、204, 1.5 %;206, 23.6 %;207, 22.6 %;208, 52.3 %であ
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る。0 K における Pb の 1 mol あたりの混合エントロピーを計算しなさい。
6. 自由エネルギー
24. 次の各過程においてΔ U、Δ H、Δ S、Δ G およびΔ A の内どれが零になるか理由を
付けて述べなさい。
(a) 理想気体および非理想気体を Carnot サイクルに 1 サイクルのみかけたとき。
(b) 理想気体および非理想気体が断熱的に自由膨張するとき。
(c) 液体の水が 1 atm、100 ℃で蒸発するとき。
(d) 定温、定圧下で、水溶液中で化学反応を起こすとき。
25.
HCl(g)→ H(g)+ Cl(g)および NaCl(s)→ Na(g)+ Cl(g)の結合解離エンタルピーは、
それぞれ 422 kJ mol-1、640 kJ mol-1 である。また H、Na のイオン化エネルギーはそれぞ
れ 1312 kJ mol-1、496 kJ mol-1、Cl の電子親和力は 349 kJ mol-1 である。
(a) 以上のデータから、HCl(g)→ H+(g)+ Cl-(g)および NaCl(s)→ Na+(g)+ Cl- (g)のイオ
ン解離エンタルピーを求めよ。
(b) HCl(g)、NaCl(s) の水への溶解エンタルピーはそれぞれ - 75.14 kJ mol-1、3.89 kJ mol
-1
である。 H と Na の水和エンタルピーの差を求めよ。
+
+
(c) 298 K における HCl の水和の自由エネルギー変化Δ hydG は- 1393 kJ mol-1 である。こ
れと上の結果を用いて、298 K における HCl の水和エントロピーを求めよ。またエントロ
ピー変化の符号を水和の性質から説明せよ。
26.(a) CaCO3(アラゴナイト)→ CaCO3(カルサイト)の転移では、転移に伴う自由エネルギ
ー変化及び体積変化はΔ G 〇=- 800 J mol-1、Δ V = 2.75 cm3 mol-1 である。298 K でアラ
ゴナイトが安定形になる圧力はいくらか。(b) 理想気体 0.8 mol を 298.15 K において 1.5
m3 から 0.03 m3 まで圧縮したときの Gibbs 自由エネルギーの変化を求めよ。
27.
- 5 ℃で氷の蒸気圧は 3.012 mmHg、過冷却状態の液体の水の蒸気圧は 3.163 mmHg
である。氷の融解のエンタルピー変化は- 5 ℃で 5.85 kJ mol-1 である。- 5 ℃における水
→氷の転移に対する 1 mol 当たりのΔ G 及びΔ S を計算せよ。(講義ノート 5・3・1 の過冷
却水の凝固の例参照)
28. PCl5 の蒸気は
PCl5 → PCl3 + Cl2
に従って分離する。1 atm、403 K において一部解離した PCl5 蒸気試料の密度は 4.800 g dm
-3
であった。
(a) この反応の 403 K における解離度αと反応自由エネルギーΔ rG ○を計算しなさい。
(b) 全圧はやはり 1 atm であるが、0.5 atm がアルゴンの分圧である場合の 403 K におけ
るαを計算しなさい。
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29. 気相反応
I2 +シクロペンテン→ 2HI +シクロペンタジエン
の平衡定数を 448 K と 688 K の間で測定したところ次の結果が得られた。
log10K(atm)= 7.55 - 22160/(4.575T)
この反応の 573 K におけるΔ rG ○、Δ rH ○、Δ rS ○、K を計算せよ。
30. (a) 質量モル濃度 m2 = 5.0 mol kg-1 のショ糖水溶液が 0 ℃で示す水の蒸気圧は 3.99
Torr、同じ温度で純水の蒸気圧は 4.58 Torr である。この溶液での水の活量および活量係
数を求めなさい。
(b) 0.10 M Na2SO4 と 0.20 M NaCl を含む溶液のイオン強度を計算しなさい。
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