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Topics:技師ができる安全対策
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患者接遇の視点からの安全対策
金沢大学 医薬保健研究域保健学系
松原 孝祐
この 5 原則を念頭において患者接遇を行っていく必要
はじめに
がある.
医療機関が患者の命や身体を預かる場所である以
筆者は診療放射線技師免許を有する大学教員であ
上,他の業種以上の
「安心」
と
「安全」を提供するのは当
り,医療機関で学生の臨床実習の指導を行う機会があ
然であるが,
「安心」と
「安全」は患者の目には見えず,
るが,その際に本学の臨床実習生を見ていると,患者
そもそも全ての患者に同じように見える
「安心」
も,こう
接遇力のある学生と,残念ながら患者接遇力に欠ける
すれば絶対
「安全」だというマニュアルも存在しない.
学生がいることに気づく.接客業のアルバイト経験が
そんな中で,患者に
「安心」
と
「安全」を伝える方法の一
ある学生が必ずしも患者接遇力が高いわけではないこ
つに
「接遇」がある.患者接遇が医療従事者にとって重
とからも,やはり
「接遇」と
「接客」は似て非なる言葉な
要であることはもはや言うまでもないが,場合によって
のであろう.そして診療放射線技師の中にも,患者接
は患者接遇の良し悪しが医療安全にまで関係すること
遇力が高い技師とそうではない技師がいるように感じ
もある.そこで本稿では,診療放射線技師ができる安
ている.接遇力が高い人は,一緒にいると居心地がよ
全対策の一つとして,患者接遇の視点からの安全対策
いため,患者からも信頼されていたり,スタッフや周り
について述べてみたい.
の学生からも信頼されている.そういう人の周りには人
が多く集まってきて,相乗効果でますます良い関係が
「接遇」
とは?
形成されているように感じる.よい関係が構築できれ
読者の皆さんは
「接遇」という言葉の意味をしっかり
ば,日常業務や日常生活においてもさまざまな好影響
と考えたことがあるだろうか.
がもたらされるのは言うまでもない.
たとえば,似た言葉に
「接客」というものがあるが,
患者接遇の目的
「接客」
と
「接遇」
の違いは何だろうか.
「医療機関は客商
売ではないのだから
『接客』
ではなく
『接遇』
というべき」
ところで,そもそもなぜ医療現場において患者接遇
というご意見はまさにその通りであるが,逆に
「接遇」
と
が重要視されるのであろうか.今更ではあるが,改め
いう言葉が客商売で使われる場合もあるので,
「接遇」
て患者接遇の目的について考えてみたい.
と
「接客」
の持つ意味は,やはりイコールではない.
まず真っ先に思い浮かぶのが,患者やその家族から
「接遇」の
「遇」とは
「もてなす」という意味である.つ
のクレーム発生の予防である.クレームを受けて嬉し
まり,
「接遇」
とはもてなしの気持ちを持って接すること
い人はおらず,それは筆者も然りである.もちろん,ク
を指す言葉であり,
「接客」
とは
(もてなしの気持ちがあ
レームが生じることで,業務における問題点や課題に
るか無いかは別として)
客と接することを指す言葉なの
気づくことができ,それが医療安全対策の改善につな
だと筆者は考えている.図 1 に患者接遇の 5 原則を示
がる場合もあるため,クレームが生じた場合には真摯
す.患者と接する機会の多い診療放射線技師は,常に
に対応すべきであるが,そもそもクレームをつける患者
やその家族にとっても気分の良いものではなく,やはり
可能な限りクレームが生じないようにすべきであるのは
言うまでもない.
挨拶
言葉遣い
もちろん,患者接遇の目的はクレーム発生の予防だ
身だしなみ
接遇
けではなく,医療安全対策のためにも重要である.たと
えば患者接遇が不十分なために,患者との対人関係に
問題が生じてしまうと,コミュニケーションを円滑に行
うことができず,その結果,必要な情報が伝わらない,
態度
表情
(笑顔)
もしくは正確に情報が伝わらないといった問題が起き,
患者満足度の低下のみならず,このコミュニケーション
図 1 患者接遇の 5 原則
エラーが医療事故を誘発してしまう場合もある .逆
1)
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に,患者接遇を十分に行い,患者との対人関係が良好
とはできないが)
.うまくいけば,検査内容に関する説
であれば,コミュニケーションも円滑に行うことがで
明の途中で,
「私の検査は腹部ではなく胸部では?」と
き,患者満足度が高まるばかりでなく,場合によっては
撮影部位間違いを患者自身に
「指摘」
していただくこと
患者から自分のエラーを
「指摘」
してもらえる
(クレーム
により,エラーが未然に防げるかもしれない.
ではなく)
ことにより,医療事故を回避できる可能性も
あってはならないことであるが,万が一大きな医療
ある
(図 2)
.エラーを回避するためには
「指摘」
が有効で
事故が生じてしまった場合にも,日頃からの患者や地
あることが明らかにされていることからも ,人から誤
域社会とのつながりが役立つ場合がある.つまり患者
2)
りを
「指摘」
してもらうのは極めて重要なことである.
接遇とは,いざという時のためにも役立つ,医療安全
具体例を挙げてみたい.筆者は臨床現場では主にX
対策のために必要な技術であるといえる.
線CT検査に従事しているが,たとえば患者がX線CT検
査の予約時間にちゃんと検査室前に来たにもかかわら
患者参加型の医療安全対策
ず,当方の不手際で長く待たせてしまったとする.やっ
1999年,アメリカのInstitute of Medicineが
『To Err is
とその患者の順番となり,検査室に招き入れたものの,
Human − Building a Safer Health System』 において,
担当技師からの
「お待たせして申し訳ありませんでした」
医療安全に患者の力を反映させる可能性を指摘し,安
という言葉が無かったら,その患者はどう思うだろう
全設計と医療プロセスへの患者の参加参画の必要性を
か.しかも,その後の対応も事務的で,検査内容に関
示した.患者の力を医療安全に反映させるためには,
3)
する説明も不十分だったとすれば,その患者はおそらく
患者が積極的に協力しようという気持ちにならなけれ
気分を害したままで,もはやその技師の説明など頭に
ばならず,そのためには患者に対する一方的な働きか
入ってこないであろう.このような出来事がいくつか積
けのみを行うのではなく,患者を医療チームの一員とし
み重なった後で,本来は胸部を撮影するところ腹部を
て受け入れるための体制作りや,そのための取り組み
撮影してしまい,検査室から退室した後でその間違い
が必要である.
に気づいたとする.慌ててその患者を呼び戻し,その
診療放射線技師の業務においても,患者の協力が必
段階でいくら謝ったとしても,その患者は
「こんな技師
要な場合が多い.その例として図 3,4 に,検査室前に
だから間違えても当然だ」
と考え,場合によってはその
掲示された患者の協力を要請する掲示物の例を挙げ
撮影部位間違いに腹を立てるのみならず,
「技師の対応
る.このような形で患者に協力を要請することによっ
が悪い」
「病院の教育がなっていない」といった二次ク
て,医療事故や患者・家族とのトラブルを未然に防げ
レームを招いてしまう場合もある.
る可能性が高まる.したがって,やはり日頃から患者
ところが,もし同じ患者に対して,検査室に招きい
接遇を十分に行い,患者に積極的に医療プロセスに協
れた際に
「お待たせして申し訳ありませんでした」と心
力しようという気持ちになっていただくことが重要であ
からお詫びの言葉を述べ,その後の対応も懇切丁寧で
る.前述のように自分のエラーを
「指摘」
してもらうだけ
あったとすればどうだろうか.最初は怒っていて,いろ
でも,十分に患者参加型の医療は実現できており,そ
いろと不満を述べていたとしても,担当技師が適切な
れが医療安全に大きく貢献するものと考える.
接遇を行えば,検査終了時には笑顔で帰っていくとい
うケースに,著者はこれまで数多く遭遇している.もし
前者と同じように撮影部位間違いをしてしまったとして
も,笑って許してくれるかもしれない
(もちろん,検査
部位の取り違えは決して軽微な問題として取り扱うこ
医療事故の発生
患者満足度の低下
不十分な接遇
患者
技師
十分な接遇
医療事故の防止
患者満足度の向上
図 2 患者接遇がもたらす影響
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図 3 患者の協力を要請する検査室前の掲示物の例
(その 1 :金
沢大学附属病院のX線CT室前)
Topics:技師ができる安全対策
バーバルペーシング
(Verbal pacing)
図 4 患者の協力を要請する検査室前の掲示物の例
(その 2 :米
国の某医療機関の一般撮影室前)
.米国でも日本と同様に,患者
の協力は重要であると考えられている
患者接遇力の向上のために
ノンバーバルペーシング
(Non-verbal pacing)
言葉
抑揚
雰囲気
態度
話し方
スピード
身振り
表情
図 5 ペーシング:バーバル
(言語的)ペーシングとノンバーバ
ル
(非言語的)
ペーシング
るかもしれない.
また,カウンセリング技法の一つに,ペーシングと呼
ばれる,相手にあらゆるペースを合わせるという手法
がある
(図 5)
.これも類似した他者を好むという傾向を
それでは,患者接遇力を向上させるにはどうすれば
生かしたものであり,患者との信頼関係を構築するた
よいのだろうか.全ての患者に有効な接遇マニュアル
めの有効な手法であろう.
のようなものは存在せず,患者接遇力の向上は医療従
3.好意の返報性
事者にとって永遠のテーマなのかもしれないが,やは
「告白されたから,それまでは全然気にならなかった
り患者接遇の重要性を自身が認識し,日々の努力を積
のに好きになった」
という話を耳にすることがあるが,
み重ねることが最も重要であろう.それに加えて,患
これはまさに好意の返報性によるものである.人は自
者接遇力向上のための知識を増やし,効果的なテク
分に好意を持つ他者に好意を抱き,自分を嫌う他者を
ニックを身につけていくことが有効であると考える.
嫌う傾向にある.そこで,患者に対して肯定的な態度
ここでは他者との対人関係の構築における要因をい
を示す
(発言に同意するなど)
ことが,患者との良好な
くつか紹介したい.これらの要因を理解しておくこと
関係を構築するための一助となる可能性がある.
は,患者接遇力の向上に多少なりとも役に立つであろ
たとえば
「さっきA先生に自分の病気について相談し
う.なお,以下の内容は
「看護心理学 看護に大切な心
たんですけど,何を言っているかわからなかったんで
理学
(鋤柄増根 編)
」 を参考にした.
す」
と言われた時に,
「そうなんですよ,A先生って頭が
1.近接性・熟知性
良すぎるのか,私も何を言ってるのかわからない時があ
近くにいる人の方が親しくなりやすく,繰り返し会う
るんですよね」
と同意することによって,さらに会話が
機会の多い人の方が親しくなりやすい.これは対人関
続き,結果的に良好な関係が構築できるかもしれない.
4)
係の初期段階において特に重要である.
診療放射線技師の業務では,放射線治療部門等を除
医療をめぐるコミュニケーション
き,患者との関わりは広く浅くなる傾向がある.した
診療放射線技師にとって,コミュニケーション技術
がって,この近接性・熟知性を生かせる機会はあまり
が必須であることは言うまでもない.患者は,担当して
無いかもしれないが,たとえば以前に担当した患者に
もらう目の前の診療放射線技師に対して,
「期待」
と
「不
対して,
「手 術を 受 けられ て から調 子 は い か が で す
安」の双方の気持ちを持っている.あまり
「期待」
を大き
か?」
とか
「以前よりも顔色がいいですね」などと声をか
くしすぎると,後でトラブルになる恐れがあり,だから
けることによって,自身をより身近に感じていただくこ
といって
「不安」
を大きくしすぎると,その場でトラブル
とが,良好な関係の構築のためには有効であろう.
になる恐れがある.そのような中で,いかにコミュニ
2.態度の類似性
ケーションを適切に行い,患者に
「納得」していただい
「類は友を呼ぶ」
という表現があるが,人は類似した
た上で検査・治療を完結できるかが,診療放射線技師
他者を好む傾向がある.これは,類似した他者とは話
のコミュニケーション技術の見せどころである.
が通じやすく,一緒にいて快適だと感じるからである.
患者と診療放射線技師のみならず,患者と医療ス
患者との対人関係構築が難しい場合,何か共通点を見
タッフの基本は
「信頼関係」
にあるといっても過言ではな
出すことが関係構築のきっかけになる可能性がある.
い.そして,その信頼関係の基盤は相互のコミュニケー
たとえば,同じ型のスマートフォンを持って検査室に
ションにある.100%の
「信頼」
は存在せず,
「信頼」
と
「不
入ってきた患者に
「私も最近,同じ機種に変えたのです
信」
の間で気持ちが揺らぎつつ,患者の気持ちは次第に
けど,使い勝手はいかがですか?」
などと問いかけてみ
「納得」
に近づいていく .医療機関内で患者とのコミュ
ると,もしかすれば自らと類似していると感じてもらえ
ニケーションの窓口となっているのは,関与するスタッ
5)
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Topics:技師ができる安全対策
フ全員であり,診察案内の事務員から始まり,医師,看
護師,診療放射線技師,その他の医療従事者,そして
最後の会計窓口の事務員まで,関与する人が次々と入
れ替わりつつ患者と向き合っている.そして,一人ひと
表 1 ヒューマンエラーの背後原因
要因
内的要因
体調がすぐれない.
気分がすぐれない.
心配事がある.
環境要因
職場の雰囲気が悪く,居心地が悪い.
職場内の人間関係が悪い.
上司からのパワハラを受けている.
時間要因
超過勤務が多い.
当直明けに帰れない.
検査件数が多く,仕事を急かされている.
りのスタッフがそれぞれの立場に応じて
「気を利かせる」
ことの集積が患者の
「納得」
を生み出しており,どこかで
一人でもこのコミュニケーションに失敗した場合,その
患者の
「納得」
は遠のいてしまうことになる.
関与するスタッフ全員が
「気の利いた」対応を行うた
具体例
めには,スタッフ間のコミュニケーションが重要となる
が,概して医療機関の中でのスタッフ間のコミュニケー
ニックに関しては本稿では割愛させていただくが,筆
ションは,その規模が大きくなればなるほど困難な場
者は,受けた相談は苦情ではなく,相談者からのアド
合が多い.職種の違い,さらには診療科の違いの壁を
バイスであると考えるようにしている.なぜなら,相談
乗り越えるのは決して容易ではないことを,筆者も例
の中には自分がこれまで考えもしなかったような内容が
に漏れず痛感している.しかし,コミュニケーションエ
含まれていることが往々にしてあるからである.たとえ
ラーは対人関係の悪化にもつながり,対人関係の悪化
ば,以前,20歳台前半くらいの若い女性に
「将来もし出
は情報伝達の妨げとなるだけでなく,医療安全の面に
産した時に,この放射線検査で放射線が当たったこと
おいても障害となる場合がある.先にも述べたように,
による影響はないのですか?」と訊ねられたことがあ
医療事故のきっかけの多くは小さなコミュニケーション
る.検査の際には,当然妊娠しているかどうかについ
エラーであり ,実際に対人関係の悪化を懸念するため
ては気にかけるが,このように現在は妊娠していない
に,ミスが生じてもそれを指摘できないというケースが
が,将来産まれてくる子どもへの影響
(つまり遺伝的影
1)
発生しているとの報告もある .
響)
を心配している人がいるということについては,恥
医療従事者も人間であるため,ヒューマンエラーを
ずかしながら十分に意識できていなかった.そこでこ
2)
完全に無くすことは不可能である.ヒューマンエラーの
の相談を受けてからは,より
「安全」かつ
「安心」な検査
背後原因を表 1 に挙げる.これらの原因は,職場環境
を実施すべく,特に若い患者に対する線量の最適化を
の改善によって解消できる可能性があるため,コミュ
しっかり行わなければならないという意識がより一層強
ニケーションが医療安全にとって極めて重要であるこ
くなった.このように,患者からの相談が自らの意識の
とをよく認識し,コミュニケーションを密にするために
改善,ひいては施設の医療安全対策の改善につながる
も接遇意識を高め,スタッフ全員が気持ちよく協働で
こともあるため,相談 者に対しては感謝の気持ちを
きる職場環境を作ることが大切である.
持って誠意ある対応を行うとともに,必要に応じてス
医療被ばくの観点から
最後に医療被ばく相談の視点からの医療安全対策に
ついても少しだけ触れてみたい.福島第一原子力発電
タッフ間での情報の共有や,医療安全対策の改善の必
要性に関する検討を行っていくことが重要であろう.
まとめ
所の事故に端を発し,多くの国民が放射線・放射能に
患者に
「安心」
と
「安全」を伝える方法の一つが
「接遇」
関心を寄せている.その影響は医療にも波及してお
であり,患者接遇の良し悪しが医療安全に大きく関係
り,日常業務の中で診療放射線技師が,患者やその家
し,場合によっては患者接遇が自らを助けてくれる場
族,他の医療従事者からのさまざまな医療被ばく相談
合もあるということを具体例を挙げながら述べてきた.
の対応を行うというケースが事故発生以前よりも増加
われわれは,診療放射線技師ができる医療安全対策と
している.
しての患者接遇の重要性を十分に認識し,良質な医療
筆者もこれまでに医療被ばく相談を
(公私それぞれの
を提供するとともに,患者に
「安心」と
「安全」を伝えて
立場で)
いくつも経験してきた.医療被ばく相談のテク
いかなければならない.
参考文献
1)山内佳子.医療事故とコミュニケーション.看護 2004;
56: 40-42.
2)嶋森好子,佐相邦英,福留はるみ,他.コミュニケーシ
ョンエラーによる事故事例の収集分析−看護現場におけ
るエラー事例の分析からエラー発生要因を探る−.2001
年度厚生労働科学研究報告書
(主任研究者 松尾太加
志)2003: 13-28.
20
3)Institute of Medicine. TO ERR IS HUMAN – Building a
Safer Health System. Natl Academy Press: Washington
D.C., 1999.
4)鋤柄増根
(編)
.看護心理学 看護に大切な心理学.ナ
カニシヤ出版: 京都, 2013.
5)中島和江,児玉安司
(編)
.医療安全ことはじめ.医学書
院: 東京, 2010.