4面 - 三原青年会議所

三原の魅力再発見フォーラム ∼築城450年に向けて∼ 開催!!
日 時:2015年5月13日(水)18:30∼20:40 ※受付 18:00∼
詳 細:第1部 基調講演 「築城と三原の歴史」
三原城築城450年を主体的に推進してゆく組織の一員として
必要な三原の歴史についての講演
講師 橋本 敬一 氏(60分)
第2部 パブリックミーティング(意見交換会)
築城450年に向けて、各団体の取り組みのPR 市内諸団体代表者によるパブリックミーティング
パ ネ ラー 三原商工会議所 会 頭 勝村 善博 氏
広島経済同友会三原支部 支部長 勝村 憲明 氏
(一社)三原青年会議所 理事長 大石 努
コーディネーター (一社)三原青年会議所 委員長 田中 亮介
会 場:三原市ゆめきゃりあセンター 多目的ホール 三原市館町二丁目5番2号
問合せ先:一般社団法人 三原青年会議所 三原ブランド確立委員会 田中 亮介
三原青年会議所事務局 TEL 0848-63-3515
参加費用は無料となっております
参加ご希望の方はお電話にてお問い合わせください。(平日10時∼15時まで)
一般社団法人 三原青年会議所 三原ブランド確立委員
会では、市民の皆様に三原の魅力を知ってもらうため、
私たちが主体となり三原の良さを学び伝える活動を行
なっています。
その活動の一環として、2017年に控えた築城450
年に向けて、三原についてより深く体系的な知識を得
るために、三原の魅力再発見フォーラム ∼築城450
年に向けて∼を実施することとなりました。
第1部では三原市文化財協会会長の橋本敬一氏を講師
に迎え、築城450年に関わる知識を学ぶための講演会
を行ないます。また第2部では三原の各種団体の代表者
によるパブリックミーティングを行ない、団体同士の
情報収集と有機的な連携を目指します。
講師:橋本 敬一 氏
現在は広島県文化財協会副会長、
三原市文化財協会会長等ご活躍さ
れています。三原市主催の講演会
にて多数講師を務められています。
三原城跡
けいいち
はしもと
いつくしま
ちくじょう
いつく しま
こ ばや かわ たか かげ こう
∼第三回 決戦・厳島∼
もう り ぐん
みや お じょう
おんみつ
さら
すえ はる かた
ひき
かん き
たかかげぐん
くさ つ じょう
ほんじん
もう り ぐん
たかかげ
すえぐん
たかかげぐん
すえ はる かた
みや お じょう
ほきゅうせん
おちい
たかかげ
ゆ そう せん
じ しん
ふしょう
すえ ぐん
たかかげ
もう り ぐん
すけ だ
ひゃくせんれん ま
ち
たかかげぐん
たかかげ
みや お じょう いつくしま
すえ はる かた
えんぐん
たかかげ
らく
かいめつ
け らい
一般社団法人 三原青年会議所
公式ホームページはこちらをクリック↓↓↓
HPでは皆様のご意見を募集しております。
三原城城主小早川隆景公の歴史
一五五五年
前回までのあらすじ
こ ばや かわ け
このお話は三原城を築城した小早川隆景公
の生涯を書いています。
にい たか やまじょう
時は戦国時代、沼田の小早川家︵本郷周辺︶を統
こ ばや かわ たか かげ こう
合 し 当 主 と な り、新 高 山 城︵本 郷 駅 北 西 の 沼 田
もう り もと なり
川 西 側︶へ 移 り 住 ん で い た 小 早 川 隆 景 公 は、父
いつくしま
くらやみ
もう り ぐん
すえ すいぐん
すえ はる かた
検索
三原JC
親である毛利元就と協力し陶晴賢を倒すため決
こ ばや かわ たか かげ
こ ばや かわ たか かげ こう
戦の地である厳島に水軍を率いて出発した。
こう じ がん ねん
こ ばや かわ け
弘治元年︵一五五五年︶小早川隆景公二十三歳
たか
小早川家から水軍を引継いだ小早川隆景にとっ
にい たか やまじょう
て、移り住んだ新高山城は標高が高く沼田川河口付
かげ
近まで見渡せるまさに理想の山城でありました。隆
もう り もと なり
景は村上水軍に協力を打診するため使を送り出した
じょうすんぜん
後、父親である毛利元就の待つ草津城︵広島市西区︶へ向け出発、翌日に合流しました。そのころ宮尾城︵厳島︶は落
いん とく たい へい き
城寸前で一刻の猶予もありません。しかし陶軍率いる船の数と兵の数は対する毛利軍の二倍以上と多く、勝敗の運
い ふう どう どう
命は村上水軍がどちらの味方に付くかで左右されます。
たかかげ
いつくしま
し き
次の日、村上水軍が威風堂々と姿を見せました。その数は二百隻とも三百隻とも言われています︵陰徳太平記︶
もう り
もう り もと なり
しめ
すえ ぐん
その村上水軍は陶軍には見向きもせず、毛利に味方をする態度を示し近づいてきます。その光景を見た毛利元就は
すえぐん
隆景を褒め称え、毛利軍は歓喜に沸き士気が上がりました。
ぐん
陶軍は厳島で宮尾城の後方に本陣を置いており、陶晴賢もそこで指揮を執っていました。その日は暴風雨が吹き
もう り もと なり
すえ ぐん
きしゅうさくせん
すえ ぐん
すき
もう り
荒れており毛利元就は陶軍が油断していると考え奇襲作戦の決行を指示します。考えは当たり陶軍の隙をつき毛利
すえ ぐん
軍は厳島への隠密上陸を果たします。同時に隆景軍は前方からの攻撃に備え正面から上陸を試みますが、正面には
すえ ぐん
陶軍の大船団が暗闇の中でひしめきあい上陸できません。そこで陶軍の船団に助太刀に来た水軍だと嘘をつきま
たい き
もう り
すえ ぐん ほん じん
す。陶軍は信じてしまい隆景軍のために船を移動させ道を作りました。正面から上陸した隆景軍、先に上陸し裏山
うす あ
で待機する毛利軍、更に海上では毛利軍の大船団が決戦開始の合図を待っています。
すえ すいぐん
早朝の薄明かりの中、毛利軍、隆景軍、また宮尾城で城を守っていた兵と3方向から一斉に陶軍本陣へ攻撃を仕
すえ ぐん ほん じん
すえ はる かた
すえ はる かた
たかかげ
掛けました。油断していた陶軍本陣は攻められ、陶晴賢は西へと逃げ隆景がそれを追います。逃げた陶晴賢は味方
じょうたい
の船団がいる港まで来ましたが、そこに味方の船は一隻もありません。同じときに海上でも攻撃して陶水軍は壊滅
すえ はる かた
状態でした。陶水軍は数が多かったのですが補給船や輸送船などが多く百戦錬磨の村上水軍の敵ではありませんで
きゅうち
した。それを知った陶晴賢は別の場所にある港を目指し、それを隆景が追います。しかし、隆景を陶晴賢の家来が
すえ はる かた
待ち伏せし決戦になります。二度の窮地に陥り隆景自 身も負傷してしまいますが、その際、味方の援軍が手助けを
こく
こ ばや かわ たか かげ こう
もう り もと なり
して敵を打ち破ります。港へと逃げた陶晴賢ですがそこにも味方の船は一隻いません。後方からは隆景が追いかけ
ひつじ
てきています。ついに陶晴賢は観念し自決しました。
へ
同日、未の刻︵午後2時頃︶約8時間だったと言われている決戦が終わりました。
いつくしま
次号予告
厳島の戦いを経て結びつきが強くなる小早川隆景公と村上水軍。更なる野望に燃える毛利元就が三兄弟の
けっそく
結束を強くするために送った言葉とは 次回﹁折れない・折れない﹂
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12:00
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20:00
21:15
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