66 発行所 茨城県立下妻第一高等学校 新聞部 発行人 羽 田 陽 一 編集人 杉 山 吏 作 監 修 大 平 賢 二 に対して、明日は是が 憶している。奇しくも 非でも勝利し通算成績 私は、昨年まで2年間 を一つ差にしてタイま 水海道一高の定時制の が、そんな心配は全く 皆 さ ん の 声 援 が 響 く だった。勝ち越しを達 の勝ち越しの立役者で る。第一応援歌は、昭 勝ち越すことができる で 射 程 圏 内 に し よ う 教頭として赴任してい 下 妻 一 高 の 皆 さ ん、 今思うと、 中、下妻一高の選手が 成した後、みんなで肩 あることもまた、言う 和 年の第1回定期戦 日 が 来 る の だ ろ う か、 と、毎回鼓舞したので たのだが、下高のもく 第 回 定 期 戦 の 勝 利、 無駄だった。 からコメント。 進練習後、全運動部員 とても難しかったと記 定期戦最終結果 下高 海高 女子バスケ ○ × 陸上 ○ × 女子弓道 △ △ 男子弓道 ○ × 女子バレー ○ × 男子剣道 ○ × 女子剣道 ○ × 柔道 ○ × 男子バスケ ○ × 男子テニス ○ × 女子バド ○ × 男子バド ○ × 野球 × ○ 悔しい思いをしている 勝、また1勝と、勝ち とをお約束し、どうか ﹁ 夕 日 が 西 に 映 ゆ る なった﹁為櫻の丘﹂は、 年ぶりの勝ち越しを果たした下妻一高。 だけに、私も心から勝 越しに近づいているこ お許しいただきたい︶ ころ 共に叫ばん勝ど まさに格別であった。 そこで、生徒会長の福元崇人さんと教頭先生 利を願って応援してい とが実感でき、本当に 応援していた生徒の きを∼﹂これは、第一 実のところ私は、本 た。校庭には、生徒の 嬉しい思いでいっぱい 皆さん一人一人も下高 応援歌3番の一節であ 定期戦において海高に 為櫻の丘に歓喜の勝どきが響く ! 定期戦遂に勝ち越し ! 22 だった。これは、下妻 一高の誰もが勝ち越し を 願 っ て い た と い う、 確かな証拠ではないだ 振り払えるほどの素晴 れは、皆さん一人一人 べき定期戦に参加でき 期戦の勝利を思い描く きないのではないかな 違いだ。勝てばあと1 れは、海高スピリッツ ことだろう。 とう。 も脳裏に浮かぶのであ 選手の皆さん。熱い 生徒会役員、定期戦 る。 戦いを繰り広げてくれ スタッフの皆さん。準 昨年 年ぶりにタイ てありがとう。 そして、 備などいろいろと大変 に な り、 雲 一 つ な い 年5 下高に勝利を、そして だったが、皆さんがい この上ない定期戦日よ 勝ち越しという栄誉を なければ定期戦は成功 りとなった平成 ちこしをかけた大一番 さんの戦いを勇ましく 第 回定期戦。これ が行われた。よくぞプ 思ったことだろう。本 は在校生や卒業生、先 レッシャーを跳ね除け りがとう。誰もが、皆 りがとう。 も た ら し て く れ て あ しなかった。本当にあ 月2日、 年ぶりの勝 27 ろうか。 さて、まずは定期戦 の前日に行われた結団 61 66 生方、たくさんの人の 勝 利 し て く れ た 選 手、 さんも下高の勝利を信 歴史が始まった時でも 團、チアリーダー、吹 應援團の皆さん、吹 想いが一つになった時 勝利を信じ応援のリー 奏 楽 部 の 皆 さ ん。 皆 であり、下高の新たな ド を し て く れ た 應 援 当にありがとう。 78 式。私の話は長いと感 じた方もいらっしゃっ た だ ろ う。 私 は そ の 話の中で、何度も﹁絶 対に勝利し、勝ち越そ う﹂ 、 そ う 言 っ た。 要 約すれば、たったの約 参加する福元会長 に﹁負けじ心を振り起 せ!﹂という一節があ る。 あ の 時 の 海 高 は、 その﹁負けじ心﹂全面 に出して挑んできたの であった。タイにする のでさえ難しかった定 期戦で勝ち越しができ るとは、思いもよらな かったわけである。 ち越しを成し遂げてく いなかったが、正直に ら始まろうとしている ことができず、本当に ない。本当にありがと そ、 勝 ち 越 し を し た でとう。閉会式後、勝 成 年の間、通算成績 しかし、海高にはそ れた後輩たちを本当に ︵ 為 櫻 の 丘 で の 台 我々の使命なのだと思 どきならぬ、ともに歌 を最高二つ差まで迫っ う さ せ て は も ら え な 誇りに思う。 言うと、ほんの少しだ 定期戦での勝利を願う 申し訳なかったが、本 う。 利することしか考えて の皆さんから、これか の競技へは応援に行く んいた事は言うまでも らしいものにする事こ の皆さん、本当におめ ていた平成7年から平 ないかと激励した。 應援團、 利のために奮闘されて う。皆さんの応援に励 を 誇 り に 思 い、 ま た、 役員、熱い応援を繰り 生の思いや地域の思い も長くなってしまった だいたのだが、 私が保健体育科の教 しまう。最後まで勝利 のか。もちろん私も勝 そして両側にいた生徒 いたことだろう。全て まされた選手もたくさ この新たな歴史を素晴 広げてくれた全校生徒 員として本校に赴任し を信じ戦い抜こうでは も詰まった定期戦の勝 負ければ3年かかって いっぱいである。卒業 できたことは、幸せで 歴史的瞬間を皆と共有 定期戦勝ち越しという 時は流れ、また、母 校に戻ることができ 為桜シャツを着る教頭先生 11 文字。それにもかか 魁道中で、私は校旗を もちろん、その他の じ、選手に熱い思いを ある。私は、生徒会長 奏楽部員、大会運営に わらす、なぜあんなに 持って参加させていた 競技の選手も下高の勝 届 け て い た こ と だ ろ として、この勝ち越し 尽力してくれた生徒会 ある。 校旗を持って花魁道中に 競 技 中 勝 と い う、 そして迎えた定期戦 らしい快勝。本当によ が今までないほどの喜 たことを誇りに思って ときに、第一応援歌の どと思っていたほどで 年 で タ イ に で き る し、 と も い え る﹁ 負 け じ びを持って回っていた ほしい。本当にありが この一説がなぜかいつ 心﹂である。海高校歌 大 変 素 晴 ら し い も の 当 日。 朝 行 わ れ た 花 かった。 しかも、今回の成績は 本当にありがとう。 願 の 勝 ち 越 し で あ る。 を 手 に 入 れ て く れ て、 結果も、前回の屈辱を も特別だが、今回のそ となっていた。記念す とされている。私が定 は、勝ち越しなどはで になるのでは、大きな じることができた。そ 。 ど の 為 櫻 の 丘 応援もまた、選手の力 上げるために生まれた が自分が生きている間 するのと負けて三つ差 返した強さについて感 におめでとう。下高念 の皆さん、下高の勝利 があがった。もちろん の 丘 ﹂ そして勝ち越し、本当 本当に情けない。選手 ゴールする度に、歓声 を組んで回った﹁為櫻 までもない。皆さんの を契機に定期戦を盛り 大 げ さ か も し れ な い ある。勝って一つ差に ろみを幾度となく跳ね 78 13 10 16 部テントから心の中で 詞、団長さんに言って う。 わん﹁為櫻の丘﹂の大 た こ と が 四 度 あ っ た。 かった。全てことごと 下高﹃為桜魂﹄対海 け不安や心配をしてい 熱い思いを感じた。 その後、定期戦の開 精一杯応援させていた ほしかっただろう。申 為櫻学園、勝ち越し 合唱と相成ったわけで 当時、定期戦担当教員 く跳ね返されたのであ 高﹃ 負 け じ 心 ﹄ の 熱 た。 生 徒 会 長 で あ る この責任は、 おめでとう。 為櫻魂よ、 あるが、 年間目指し でもあったので、定期 る。︵ 3 回 負 け て 1 回 き戦いは、これからも 私が勝ち越しというプ 会式が終わって、校庭 だいた。また、本部テ し訳ない。 レッシャーに怯えてい で 行 わ れ た 陸 上 競 技。 ントに各競技の結果が 今後の私の生徒会長と 永遠なれ。 たのかもしれない。だ 前回の定期戦では特に 届くたびに、下高が1 しての行動で果たすこ を達成し、全校一丸と に行われる開会式の行 ウェーで勝利するのは れ! 。 特 に ア 続く。定期戦よ永遠な てきた悲願の勝ち越し 戦前日の結団式のあと は 引 き 分 け ︶ 66 平成 27 年5月8日 為 櫻 の 風 (1) 号外 5月2日、傾きかけた西日に照らされて生 徒たちの笑顔が弾ける。全校生徒で作られた 大きな円陣。勝利の歓喜に満ちたグラウンド に為桜の丘が高らかに響き渡った。 ﹁集える若人よ伝統の園に高き誇りもて掲げ 年ぶりの勝ち越しおめでとう。 ん理想の旗を﹂ 66 (2) 号外 為 櫻 の 風 平成 27 年5月8日
© Copyright 2024 ExpyDoc