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ファンクラブ通信 NO.60
2015.06.05 野蒜築港ファンクラブ発行
事務局
☎・fax 0225-88-3833 松川清子
〒981-0413 宮城県東松島市新東名 2-6-8
n[email protected] 携帯 090-6689-3863
5月30日(土)東日本大震災以降休止し
ていたJR仙石線高城町(松島町)と陸前小
野(東松島市)間 10.5kmでの運行が再開
され、4年2ヶ月ぶりに全線が結ばれました。
津波被害が甚大だった野蒜駅と東名駅は 500
m程内陸の高台に移転、線路は繋がり、陸前大塚、陸前小野を含めて旧鳴瀬町内の駅舎は
全て新しくなりました。野蒜駅と東名駅に隣接する住宅移転地の造成完了と引き渡しは来
年以降なので万全ではありませんが、東北線に乗り入れる仙石東北ラインを連れて仙石線
が戻ってきました!
さて、2014 年度も思った活動ができないまま、この季節を迎えて
しまいました。本当に申し訳ありませんが、下記により 2015 年度(第 13 回)定期総会を
開催しますので、よろしくご参集ください。
日
時: 平成27(2015)年6月20日
会
場: 野蒜市民センター(旧野蒜小学校校庭内仮設庁舎)
※
内
13:30~ (次頁に仙石線該当時刻紹介)
新野蒜駅から徒歩 20 分程度
容: 13:30~14:15
14:30~15:45
総
造成中の高台移転地が望めます。
会
講演会
堀込智之氏(元石巻工高・宮水高教頭)
―講演会演題―
『地形によって変化した大津波と水の動き-石巻地方の調査・証言・実験を元にして-』
※
堀込先生は 1947 年、北海道伊達市に生まれました。波が研究テーマの工学博士です。
宮城県内の高校に物理の教員として赴任され、平成 12~15 年には石巻工業高校で、その後
宮城水産高校で教頭を務められました。東日本大震災により石巻市長面のご自宅を流され、
同年 11 月、奥様との共著「海に沈んだ故郷‐避難者の心・科学者の目」を出版されました。
科学者であり被災者である立場から、実験装置等を用いて津波のメカニズムや怖さを伝承
する活動をされています。
※
できましたら 17 日(水)まで出欠をご連絡下さい。携帯ショートメール歓迎です。
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上段左:野蒜駅
右:東名駅
下段左:仙石線車両 右:仙石東北ライン車両
上り5:53、下り5:58の(東名駅の)始発には残念ながら乗れませんでしたが、
①(下り)東名6:24→野蒜6:26
②(上り)野蒜6:35→高城町6:50
③(下り)高城町6:57→野蒜7:05
④(上り)野蒜7:16→東名7:18
と
所要時間を確かめながら久しぶりの我が町の駅、新しいダイヤの感触を楽しんできました。
仙石東北ラインは、高城町・塩釜間で東北線に接続します。仙台⇔石巻の快速停車駅の所
要時間は短縮されますが、従来の仙石線には快速が無くなりました。しばらくは時刻表を
手に乗車を楽しみたいと思います。
(仙石線車両の色は従来通り様々で、東北ラインは新デザイン)
総会に JR をご利用の方は
仙石東北ライン(下り)仙台発12:17→野蒜着12:55
仙石線(上り)石巻発12:25→野蒜着12:55が便利です。
線路が通る高台の海抜は 25m前後だそうです。元地で修理した我が家から東名駅までの所
要時間は約 12 分、坂道を上ってから 65 段の階段を登ります。階段の途中には3ヶ所の踊
り場があり思ったより楽に歩けそうですが、高齢の方からは「きつかった!」という声も
聞かれました。駐輪場設置や無料バスの発着所見直しなどの工夫ができれば、より使い易
くなるでしょう。因みに野蒜駅の改札からホームまでは線路上の通路を渡る形ですが、こ
ちらの階段は上り下り 36 段で、エレベーターも設置されています。
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仙石線完全再開を待ち望んだ人々の喜びの声の傍らで、前日の5月 29 日、松島町と東松
島市の鉄路を4年間つないでくれた代行バスが静かに役目を終えました。私、松川は震災
直後から4月中は避難所、その後は県外でしたので、お世話になったバスの初期の記憶が
曖昧です。仙石線代行バスの始まりと終わりを河北新報社で調べてきました。
2011.03.11 東日本大震災発生
県内交通機関停止状態
2011.03.28 あおば通⇔小鶴新田運転開始
2011.04.05 代行バス
松島(東北線)⇔石巻の運行開始(路線不明)
2011.04.07 最大震度6の余震発生、仙石線再停止
2011.04.15 あおば通⇔小鶴新田運転再開
2011.04.19 あおば通⇔東塩釜運転開始
代行バス
松島⇔石巻を東塩釜⇔石巻に変更
2011.05.28 あおば通⇔高城町運転開始
代行バス
松島海岸⇔矢本の運行開始
2011.07.16 矢本⇔石巻運転再開
2012.03.17 石巻⇔陸前小野運転再開
2015.05.29 代行バス松島海岸⇔矢本
2015.05.30 仙石線あおば通⇔石巻
代行バス路線は松島海岸⇔矢本のまま
松島海岸着 22:07、矢本着 22:15 で運行終了
全線開通
震災年の4月中に運転された松島⇔石巻、東塩釜⇔石巻の代行バスの路線は不明です。
ご存知の方はご一報を。確実なのは5月 28 日に高城町まで仙石線が復旧したときに、松島
海岸⇔矢本の代行運転が開始されたことです。震災後初めて会う知人、避難所で一緒だっ
た人と乗り合わせ、無事だった人の情報に喜び、帰らない人の名前に涙しました。最近の
日中は、1台運行でも一人1シートのゆったり感でしたが、運行開始当時は複数台のバス
で補助席を倒して利用しました。周りには「結局一度も乗らなかった」という人もいます
が車を運転しない私は本当に助かりました。
2011.05.28~2015.05.29 の4年間
松島海岸‐高城町‐手樽‐陸前富山‐陸前大塚‐東名‐野蒜‐陸前小野‐鹿妻‐矢本には
結構おしゃれな代行バスが走り大勢の人を運んでくれました。有難うございました!
5月 29 日、
一人でサヨナ
ラ乗車をしま
した。
廃止を知ら
せる貼紙があ
りました。
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5月 30 日、新野蒜駅では村井知事初め、沿線自治体首長、
関係者が集まって記念式典が開かれたそうです。一般人は入
場できませんでしたが、仮設の式場が手際よく撤去される場面と翌日の新聞を見て、明治 15(1882)
年 10 月 30 日の野蒜港突堤落成式を伝える新聞記事を思い出しました。11 月 2・4・6・7の陸
羽日日新聞「野蒜突堤落成式実況」です。大雨のためなかなか野蒜にたどり着けない前日までの人々
の混乱ぶり、にもかかわらず僅かな戸数の野蒜に数百の来客を差し支えなく一泊させた土木局出張
所の行き届いた手配への賛辞で始まり、30 日の実況に移ります。
内務卿は、松平宮城県令・石井土木局長の先導で、福島・山形県令、岩手県大書記官と
午前8時に乗馬で石巻を出発、石井閘門を巡覧し、運河通りを進んで新鳴瀬川の第三橋前
で下馬、同所の土木局出張所へ午前 10 時 40 分到着した。石巻の豪商紳士等は北上・米澤
丸の二艘で北上川から運河を溯り同時刻に野蒜へ着船する。11 時 50 分内務卿一行と各県
令の随行官は、土木局長の先導で、新鳴瀬川東側の第一橋を渡って堰堤等を見分し、新市
街公園地近傍を巡視、桟橋を渡って翁崎、野蒜新町から不老山へ登り、潜ヶ浦や東名並び
に運河筋を遠見して、午後2時頃旅館尾形忠治方へ着いて休憩した。
落成式は午後3時頃からと聞き人々は2時半頃より式場前の人夫休息所へ詰掛けて内務
卿の臨場を待つが、4時近くになってもその様子はない。内務卿一行は3時半過ぎ海岸に
出て西突堤を見分、船で東突堤へ渡って式場に臨んだのは4時 15 分だった。式場は突堤根
に新たに建設された。東西3間南北8間余りで、南北に昇降口があり板梯子を掛けてある。
南板梯子を降りると捨石式の為に備えた捨石器械がある。昇降口は緑門(祝賀の際に用い
る杉や檜で飾り付けた弓形の門)で飾り付けて旭日旗を交差させ、柱と欄干は緑葉で包み、
天井と前後左右には紅白幕をまわしている。東側中央は内務卿の席で西側中央は祝詞席、
先ず内務卿が起って祝文を朗読、次に石井土木局長が答辞、松平県令の祝文朗読が終る。
内務卿は黒澤三等属の請求により石井土木局長の先導で捨石式場へ降りて捨石式を行なう。
元の席に就き、岩手県大書記官、黒澤三等属、商法会議所頭取遠藤敬止、第一國立銀行支
店永田氏、桃生郡長等が祝詞を読み上げて午後5時 10 分に終了した。
内務卿以下が新旧鳴瀬川間の船橋を渡ると各村の消防組は左右に整列した。各々が宴会
の席に就いたのは6時、料理は蒸牛肉半斤の皿盛りと鳥の丸煮、五目寿司、菓子等全部で
10 品、夕方に 300 名の人員なので雑踏は極まりなかった。宴が酣になろうという時、内務
卿の席前で「ヤッシヤッシ」の大騒ぎが始まる。見ると勅奏判任官が集って石井土木局長
を取囲み胴上げ式を行っていた。
(紙面の都合上、カットカットの要約でした)
へぇ~、野蒜駅に村井知事がいたんだ~と驚いたのですが、133 年前は内務卿が来てい
たのですね。さすがは野蒜築港!
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