この10年間の栄光の選手

この10年間の栄光の選手
高校時代の将棋活動
古河第三高等学校
(高校在学
熊倉
紫野
平成16~18年度)
早いもので高校を卒業してから9年が経とうとしています。高校を卒業したと同時に将
棋の女流棋士となり、今はその道一本で活動しています。ここで高校時代の将棋活動につ
いて振り返ってみたいと思います。
幼いときから将棋を指し、女流棋士を目指していた私は古河三高に入学したとき、将棋
部に入るのは自然なことでした。当時将棋部には部員がいなかったので、それを見て中学
時代の友達やクラスメイトが何人も入部してくれました。部活動が始まった頃は駒の動か
し方を教えるところからでしたが、動かせるようになってからは県大会にも参加しました。
県大会の個人戦は女子の部には出られなかったため(女流棋士になるための養成機関であ
る育成会に入っていたため)、男子と混合の高校竜王戦に出ました。子供の頃から強くて
有名で、お互いに顔見知りだった方に負けて、肩を落とした記憶があります。一緒に大会
に参加した部員に励ましてもらったり、懐かしい思い出です。将棋は一人で戦うゲームな
ので、仲間がいる感覚は高校時代での特別なものだったと思っています。また先生方にも
「将棋の調子どう?」など気にかけていただきありがたかったです。
中学二年で育成会に入り、高卒と同時にプロ入りを決めました。早いと1年で女流棋士
になれるところを、5年かかり、高校時代に重なる3年間は今振り返っても苦しい時期だ
ったと思います。そこを乗り越えられたのも部員や先生方の励まし、応援のおかげです。
今はまだ女流棋士として思うような結果を残せていないので、その気持ちを励みに、ま
た苦労したときの思いを糧に今後も精進していきます。
高等学校将棋部活動の思い出
水城高等学校
(高校在学
田地
規朗
平成16~18年度)
幼稚園生のときに将棋に初めて接し、一時はプロを目指し研修会に所属していた。学生の
大会や日立支部の例会を中心に大会に出場し腕をみがいた。
高校生になり、初めて囲碁将棋部の門をたたいた。中学校までは学校の同級生と将棋を指
す機会はほとんどなく、新鮮な気持ちでのぞんだ。高校将棋では個人戦の他、3 人制の団
体戦もある。個人の競技である将棋で団体戦は初めての経験で、囲碁の強い先輩から指導
を受ける傍ら、将棋の団体戦で全国大会出場を目指す日々が始まった。水城高校の将棋部
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は有段者の先輩の引退後、級位者中心の部活であったが、意欲的な部員が多く切磋琢磨し
上達に励んだ。私自身も囲碁で初心者から始めて有段者まで上達することができた。
県大会では現在女流棋士の熊倉さんや、泉對姉妹の妹の泉對貴子さんといった女流強豪た
ちとの勝負、勝又君他強豪たちと勝負を繰り広げた。特に勝又君はリードを奪われてから
も離されないように差を保つ指し方がうまく、最後まで勝ち切るのが大変だった(終盤で
の逆転負けも何度も経験した)。団体戦では江戸川取手や茨城高校といった層の厚い高校
に阻まれ、残念ながら県大会を突破することはできなかった。
全国大会には個人で何度か参加することができ、徳島・青森・京都・福岡と各地を旅した。
印象深かったことは水城高校の同級生が応援のため青森まで一緒に来てくれたことだ。新
幹線車内から将棋を指し、一緒に十和田湖温泉に朝から 1 日 5 回入るといった具合に満喫
した。将棋の結果の方は竜王戦で予選突破できた他は目立った成績は残せなかった。当時
は居飛車党だが相居飛車の将棋の定跡形に疎く、対抗系にすべく慣れない振り飛車を指す
こともあった。そのため序中盤でリードを奪われる展開が多かった。ミスを的確にとがめ
られてしまい、改めて全国大会の層の厚さを実感した。全国大会は将棋好きの高校生が一
同に会する場でもあり、時間を忘れて他県のライバル達と将棋を指した。今思えば、夜遅
くまでお酒も飲まずによくもあれだけ将棋を延々と指し続けてたものだ、と思う。
高校卒業後は棋譜並べを中心に将棋の勉強を続け、相居飛車に対する苦手意識もなくなっ
た。日々の生活の合間に細々と将棋と触れ合っている。将棋および将棋を通じて出会った
人たちは大切な宝物であり、今後も大切にしていきたい。最後に顧問の先生、茨城県高校
将棋連盟の皆様に感謝の想いを残し高校時代の想起を終える。
高校将棋と私
茨城キリスト教学園高等学校
(高校在学
幡宮
慎太郎
平成19~21年度)
今回「この 10 年間の栄光の選手」として私を取り上げていただいたことに、光栄に思
うとともに、少し恐縮な感じもする。それは当時の自分の棋力が周りと比べて決して抜き
ん出ていたものではなく、周りに自分と同等のレベルの選手は他にも多くいたからだ。そ
んな中で県予選突破という結果を何度か残せたことは運が良かったためで、そのことを初
めに述べておく。
自分の高校将棋生活を振り返ってみて他の人たちと異なることに、入学当初自分の通う
高校に将棋部がなかったことがある。趣味の将棋を高校でもやりたかったこと、高文連主
催の大会には個人でではなく部としての参加が必要であったことから、担任の先生や、高
文連将棋部の藤崎さんと相談し、部をつくることにした。部員は自分一人だけ。対戦相手
は学内にいない。将棋が指せる場所は学校の近くにある道場で、対戦相手の年齢は一回り
も二回りも上。自分は周りと比べて浮いているのではないか。将棋は周りからあまりよく
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思われていないのではないか。このような考えが自分の中に引っかかり、当時の自分にと
って将棋は一番の趣味であると同時にあまりさらけ出したくないコンプレックスのような
ものでもあった。そんな自分にとって高校の将棋大会はとても新鮮な場所だった。同い年
の相手と将棋を指し、気になる局面をみんなで検討する。そこで指す将棋は普段指すもの
以上に楽しく、そこはかとなく幸せだった。それは普段は周りの目を気にしてさらけ出せ
ない自分を自由に表現することできたからなのだと思う。自分が高校を卒業して 5 年以上
経過した今でも何局か思い出せるものがあり、記憶に残るほどいい経験だったのだと今こ
の文章を書いて感じさせられる。全国大会でもまた、多くの同世代の対戦相手と触れ合う
ことができ、県予選同様楽しかった。そこで知り合った人とは今でも連絡を取る人もいて、
中には同じ大学に入りともに団体戦を戦っている者もいる。こうした経験を通し、いつし
か自分が将棋に対して持っていたコンプレックスは解消されていった。
こうして改めて文章にまとめてみると、自分にとって高校将棋は間違いなくかけがいの
ないものであった。今こうして将棋が好きでいられること。そして将棋に前向きに取り組
めることは、ひとえに高校将棋で経験した賜物なのだと思う。
最後に、当時は気に留めることができなかったが、これらの経験は舞台を整えて下さった
茨城県高等学校文化将棋部に携わる多くの方のご協力あってのことである。これからもこ
の素晴らしい大会を続けていただけることを望みつつ、感謝申し上げます。ありがとうご
ざいました。
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