第31号 - 安曇野市教育会

第31号
「こ の 会 は 、 会 員 が 互 い に 心
謝申し上げます。
と思います。あらためて感
状況には大変厳しいものが
たち教職員の置かれている
しかしながら、今わたし
を合わせて教育精神を高め、
員全体の職能向上に寄与し、
いくことが私たちの務めであると
に集い学び合う。そのような場と
が、また職場を越えた同志がとも
いと 思 いま す 。「つ ど う、 あつま
る」教育会をめざして一歩一歩と
しての教育会をめざしてまいりた
もに歩んでいきましょう。
る教師として自信と自負を持って
子どもたちの前に立つために、さ
合いたいと思います。職場の仲間
を高めていくために、ともに学び
あるべき姿を求め、心を磨き感性
らに教職員として、人間としての
思います。子どもたちに信頼され
どもたちに 「確かな力」をつけて
平成24
平成24年度
24年度 安曇野市教育会役員・
安曇野市教育会役員・会務の
会務の分担
会員の職能向上に努め、教職
教育の刷新と充実をはかり、
力・ 体力 の向
題、いじめ・
上に関する問
あります 。学
設 に 貢献 す るこ と
わる問題等々
不登校等に関
多くの課題が
新し い公益 法人 制
度の 下 で 私た ち 安
す。 一人 ひと
山積していま
職員の生き
りの 会員 、教
問われている
方、あり様が
とも思いま
す。そのよう
あるからこ
な状況の中で
そ、 様々 な課
け、 私たち 教
題の 解決 に向
職員一人ひとりが
自主的自発的に職能の向上を目指
の た め に 私 た ち が 果た す べ き 役
定申請に向けての諸手続きや
の前の子どもたちの健やかな
割はやはり 「授業」にあると思い
ます。子どもたちの健やかな成長
成長のために、私たち教職員
ます。日々子どもたちと向き合う
し、研修を進めていく必要があり
が自主的自発的に研修に取り
諸事業・活動についてご理解
組むことが公益そのものであ
中で授業を通して、授業の中で子
ご協力をいただきました。目
決 を 始め 、 公益 認
け る 新 定款 等 の議
度 、 臨 時総 会 にお
の皆様には昨年
発し ま した 。 会 員
団 法人 と して 再 出
市 教育 会 は 公益 社
日 と して 、 安曇 野
月 一 日を 登 記の 期
平 成 二十 四 年四
です 。
定 款 に 掲げ た 目的
益 社 団 法人 と して
曇野 市 教育 会 が公
を 目 的と す る」 ―
本 と 世界 文 化の 建
し 、 もっ て 平 和日
会 長
郷 土 の 教育 を 進展
つどう、
つどう、あつまる教育会
あつまる教育会
ると認められたということだ
宮下
正
堀金中
会務統括
内川 丈夫男
会務全般
三澤 晴男
事務局
財務・会務
鶴田 富男
明北小
金子 増生
伊藤 可主也 穂高西小 庶務
唐木 博夫
三郷中
会務全般
宮澤 純子
穂高南小 調査研究
降旗 良治
豊科北小 調査研究
丸山
強
豊科北中 講習行事
清水 祥二
明南小
講習行事
橋渡 勝也
穂高西中 広報・郷土文化財センター
大島 春彦
明北小
庶務
曽根原 弘
豊科南小 調査研究
青木 泰治
穂高西中 調査研究
平沢 重人
三郷中
講習行事
細萱
稔
三郷小
広報・郷土文化財センター
三澤 晴男
事務局
川上
修
〃
遠藤 正志
豊科北中
平井 晶子
穂高南小
宮下
正
堀金中
唐木 博夫
三郷中
伊藤 可主也 穂高西小
会長(代表理事)
理
事
理
事
監
事
監
事
常任委員長
常任副委員長
常任委員
常任委員
常任委員
常任委員
常任委員
幹
事
幹
事
幹
事
幹
事
幹
事
事務局長
事務職員
議
長
議
長
信濃教育会常任委員
信濃教育会代議員
信濃教育会代議員
会 務 分 担
所 属
氏 名
職
役
正
下
宮
平成24年7月6日
川 田
殖
発行日
題 字
安曇野市教育会
宮 下
正
会 報 委 員 会
発行所
発行人
編 集
第 31号
育
教
野
曇
安
報
会
( 1 )平成24年7月6 日
第 31号
平 成 二 十 四 年 度
~~~~会員発表~~~~
える寺島良安の『和漢三才図会』
にまと め
られている広範囲の工芸の領域
わか んさ んさい ずえ
)
公 益 社 団 法 人 と し て 新新新新 た な 第 一 歩
が、明治政府の美術保護政策によ
り、西洋美術の枠組みに当てはめ
「あれ?こんなオブジェあったっ
「「「「会 員 発 表 をををを 聴聴聴聴 い て 」」」」
の中学校美術教育の問題点は、明
て し まっ た とい う こと だ 。「現在
け?」
「「「「美術教育における
工 芸 教 育 のののの 一考 察 」」」」
み入れた途端、真っ先に私の目に
で『わか葉』を斉唱した。
~~~~ 安 曇 野 市 教 育 会 総 集 会 開 か れ る ~~~~
平成二十四年度安曇野市教育会
態になっていることだ。日本の伝
治以降の美術至上主義的な教育形
知識をためなければならないと思
けで、何とも格調高い、文化の薫
が、作品がそこに置かれているだ
訪れたことのあるホールでした
うな気がしました。
り漂うホールに生まれ変わったよ
う。そして、日本の文化として残
い と切 実 に感 じ て いる 。」 と話さ
会員発表者であったのですが、壇
驚いたことに、
その作者こそが、
自らを 「工芸オタク」と語る先
期に 「ガンダムを作りたかった」
き生きと輝いて見えました。幼少
ことがきっかけで、今も作品作り
上で話される先生は、とにかく生
るものを続けて
大事にして子どもたちに熱く語れ
に 夢 中な っ て いる 先 生 。「日本 の
人ひとりの先生が専門的な分野を
いくことが大切
な けれ ば 」「伝え る 立場 にい る自
んあることを、教育の現場で伝え
分が有難い」と語る先生から、
「熱
文化として残すべきものがたくさ
なお、先生の
めくくられた。
作品は会場入り
のすばらしさと、それがパワーの
源となって学級経営にも生かされ
くなれるものをもっている」こと
ていくのだな、と改めて学ばせて
多くの参加者の
目を楽しませて
いただきました。
くれた。
口に展示され、
だ と 思 う 。」 と 締
生は 、「様 々 な教 科 があ るが 、一
れた 。
教育の現場で話さなければならな
すべきものがたくさんあることを
ホ ー ル に一 歩 足を 踏
冒頭、新たな定款に基づいて組
えば、終わったとい
うよりも、江戸時代
まで培われてきた芸
術が失われてしまっ
た と い う 感 じ だ 。」 と
いう言葉を引用しな
がら、明治以降の工
芸・美術教育につい
て話された。江戸時
代の百科事典ともい
ー
織された役員 (一面)が紹介され
時三十分から豊科公民館ホールで
の顔でした。今まで、何度となく
飛び込んできたものは、大きな牛
総集会が五月十九日 (土)午前八
も、教師が芸術の伝統に関しての
芸術は幕末の開国とともに終わっ
続いて、樋田豊次郎の 「日本の
けです 。
」と話された。
いて何回もしぼり制作していくわ
いになります。その後、木槌で叩
入れて洗います。そうするときれ
「まず銅版をあぶります。硫酸に
・牛といった作品を見せながら、
えて説明された。そして、壺・鯉
専門である鍛金について実演を交
経験をもとに発表された。まず、
内地留学で工芸について学んだ
統を大事にした教育を行うために
宮下正会長は、挨拶の中で 「会
た。
育会が公益社団法人としてスター
開催された。今回は、安曇野市教
トして初めての「総集会」であり、 員一人ひとりが力をつけて資質を
向上していくことが教職員全体の
職能向上につながる。そのことが
大事な会員の研修の日とするた
め、会員発表や講演を中心に位置
五面に掲載した。
決算書と本年度の予算書を四面と
時総会で承認された昨年度の収支
※五月八日 (火)に開催された定
発表と講演が行われた。
閉会行事に続いて、会員の意見
をいただいた。
古幡開太郎先生からお祝いの言葉
倉嘉郎先生、安曇野市教育委員長
信濃教育会長代理研究調査部長大
新治先生からお礼のご挨拶をいた て し ま っ た と 思 う こ
だいた。また、ご来賓を代表して、 と が あ る 。 正 確 に 言
記念品が贈呈され、代表して百瀬
職された五名の先生方へ感謝状と
続いて、平成二十三年度末で退
人化した経緯も説明した。
義を話し、引き続いて公益社団法
して新たに出発した本教育会の意
公 益 にな る 。」 と公 益 社団 法人と
五月晴れの素晴らしい天候の
づけた 。
下、音楽同好会と有志の先生方に
よる『大地讃頌』の素晴らしい混
声合唱で幕を開け、引き続き全員
(
育
教
野
曇
安
報
会
( 2 )平成24年7月6 日
第 31号
育
教
野
曇
安
報
会
( 3 )平成24年7月6 日
~~~~講演~~~~
【理不尽な言動と対処法】
発達障害のある子は無理な要求
をしたり、暴言をはいたりするこ
とがある。そのような子に反論し
け入れてもだめである。逃げ場所
との関わりについて戸惑ってしま
教師の仕事をしていると、生徒
不器用さをかかえる生徒にににに
寄寄寄寄りりりり添添添添うこと
を 残す よ うに 、「また 心に もな い
てもうまくいかない。まともに受
特別支 援教育 士スー パーバ イザ ー
がそのまま生徒に伝わればよいの
うことが多々ある。こちらの思い
「「「「学 校 生 活 にににに 不 器 用 さ を
か か え る 児 童 ・・・・ 生 徒 へへへへ
のののの支援のののの実際」」」」
宇部フロンティア大学臨床教授
ィードバックを含む指導として
小栗 正幸先生
まして学校生活に不器用さを抱え
だが、なかなかそうはいかない。
ている生徒にはなおさらのことで
は 、「あな た もよ く 分か って いる
【性を含めた犯罪的な逸脱行動へ
ったところで、思った結果とは違
ある。こちらがいくら感情的にな
犯罪的な行動をとってしまう子
い、肩を落とした経験をどの先生
を書きながら説明したりすること
六法全書が根拠になったり、メモ
の関わりかたを考えるきっかけと
小栗正幸先生の講演は私の生徒と
質を高めていく必要がある。
また、 方もしているだろう。そんな折、
への対応としては、まず、生活の
の対応】
ように」と言ってあげるといい。
ことを」と返したり、肯定的なフ
((((概 要))))
【コミュニケーションの不調】
指導がしにくい生徒において
は、先生と生徒の関係性がうまく
いっていない傾向がある。ほめて
あげる先生としかる先生の役割分 て 、「あり が とう 」 と 言っ てあげ
担をすることが大切である。
また、 る機会を作る。ほめられる機会を
意図的に作っていく。みんなの前
どういう場所でどういう時に相手
ては、振り返えらせることによっ
も効果がある。反省のさせ方とし
て、視点を未来へ向けさせたい。
感情的になってしまう。逆に生徒
て真に受けがちになってしまい、
の言動を無視することによって生
問題行動をしてしまった場合とや
らなかった場合を考えさせる。視
徒との関係を一層悪くしてしま
ど工夫したい。
【肯定的なフィードバック】
発達障害の子はこだわりが強
か。そんな時の魔法の言葉が 「ま
点を過去に向けないようにするこ
約束事をつくっておいてほめるな
生徒たちの理不尽な言動に対し
なった。
には、ブロックサインでほめる、
でほめられることが好きでない子
考えたい。発達障害のある子はな
を思う力を身につけたらいいのか
対して、社会性を身につけるため
かなか遊べない。そのような子に
の練習 (SST)が必要である。
【コミュニケーションの練習】
今まで話したことは全て、発達
た心にもないことを」というたっ
う。ではどうしたらよいのだろう
障害のあるなしに関わらず、どの
の思いをあしらうことをせず、な
たの一言である。この言葉は生徒
とが大事である。
子へもヒットしていくものであ
おかつ生徒と一瞬で友好的な関係
る。
を築ける返し方である。それまで
の重苦しい雰囲気が一気に解消さ
子に 対 して は 、「何 も考 えて いな
慎重さも大切だよ」と言う。肯定
れてしまうのではないだろうか。
るとよい 。
的にフィードバックしてあげられ
いのですね」ではなく 「そういう
将来のことを何も考えていない
未来に目を向けさせる。
コミュニケーションの練習とし い。いろいろな物事を決めつけて
て、
指示に従うような練習がある。 しまう傾向にある。そのような子
に対しては、過去にこだわらずに
自己完結型の課題としては、対人
ゲームや自己中心的な達成感を求
関係を前提にしていないパソコン
型の課題として、かんたんな指示
めるようなものがある。相互完結
を多めに与えることである。えん
ぴつを後ろの子にわざと拾わせ
映 画 監督 の 新 藤兼
人 さん がお 亡 くな り
にな っ た。 その 生 涯
は 映 画制 作 への 煮え
た ぎ る 情 熱 に 突 き 動 か さ れて い
た も の で ある と い う 。 九 十 八 歳
ま で映画を撮っていたという。
「一枚のハガキ」が、遺作とな
っ た 。 命 尽 き る ま で 、 映 画を な
念 は ど こ から き てい る ん だ ろ う
ん と し て で も 作 り たい とい う 執
出会った一本の映画が出発点だ
と興味が湧いた。二十歳の時に
ん でも何年も下積みの日々。映
そ うだ。映画制作の道に飛び込
め て知った撮影所の便所の中。
画 作りには、脚本が必要だと初
そ し て 戦 争 で の 辛 い 体 験 。敗 戦
と い う 総 合 作品 をみ ん な で つ く
後 か ら 創 造 へ の 新 たな 道。 映 画
ないと思う。関わる人々がみん
り出す仕事は生半可なことでは
来ないからだと思う。
ないっしょになっていかねば出
過 日 、 初 任の 先 生方 と歓 迎 会
で お行き会う機会を得た。安曇
で 自 分 の 可 能 性 と 子ど もへ の 情
野 へ 身 ひ と つ 、 新 し い 学 校の 中
熱 を 燃 や そ うと 飛び 込 ん で き て
に力を頂いた。それは、新藤監
い た だ い た方 々 か ら 感 動 と と も
る限 り
富男 )
生き抜きたい」と。
督 の 言 葉 と 重 な る 。「生 き て い
(
明北小学校長 鶴田
初任 者歓 迎研修 会
安曇野市で新たに教職員として
の道を歩き始められた皆さんを対
象にして、初任者歓迎研修会が開
かれた 。
会に先立って、南安曇教育文化
会館内にある郷土文化財センター
と視聴覚教育協会を見学し、それ
ぞれ説明を受けた。研修会では、
信濃教育会を代表して大倉嘉郎研
究調査部長から 「人にものを教え
るということは、自分が学び続け
ること。積極的に同好会等に参加
し 、学 ん でほ し い 。」 と挨 拶をい
会を代表して望月正勝教育委員が
ただいた。次に安曇野市教育委員
「職場を大事にして先輩、同僚か
ら学んでほしい。可能性は空の極
について話された。堀金小の先生
ぱいです。
かりなので、なんとか長所を伸ば
更に精進していきたいです。
また、夏に行われる安曇野を
していきたいという気持ちでいっ
知る会では、地元安曇野の文化や
今年度最初の会報をお届けしま
し、読み聞かせをした後、初任の
時の反省をもとに読み聞かせを中
す。公益社団法人安曇野市教育会
は、持参した何冊かの絵本を紹介
心にして学級づくりをしてきた経
日を楽しみにしております。安曇
郷土を学べる機会とあって、その
て、子どもたちや保護者、地域の
野という土地を知ることによっ
ていきたいと思います。
の広報の役割をしっかりと果たし
編集後記
初任の年から四年間に学んだこと
験を話された。穂高西中先生は、
ことや、年々責任が重くなるがや
を振り返り、授業づくりで学んだ
思います。
方たちのことをより理解できると
わからないことや失敗も多いで
た。
最後に初任者を代表して豊科南
すが、先輩の先生方に教わりなが
りがいもある校務の経験を話され
小の先生から挨拶があり、歓迎懇
私は今年初めて学校現
昆虫標本 ・オオルリシジミ
親茶話会を行った。
川 田 殖 先生 の 言葉 を 贈りた い 。」
場に入ったので四月、五
※ このコ ーナー の 内容 に資料を 追加 した
もの を 教育 会 ホー ムペ ージ に掲載 しま す
ので、ご覧ください。
郷土文化財 センター 運営委員会
野市で、子ども
( 鱗 翅 目 シ ジ ミチ ョ ウ 科 )
郷土文化財 センター 所蔵 の昆虫標本 の中 に昭和七 、
たちの前に立て
る こ と 、 子 ど も 八年に 先輩方 により 採集されたオオルリシジミの 標本
があります 。
たちと共に学べ
当時 、オオルリシジミは 、本州 では 中部 ~東北地方
る こ と の 喜 び を に普通 に生息 していましたが 、 今では 九州阿蘇地方 と
噛みしめながら、 長野県内では安曇野市や東御市、飯山市でしか見られ
ない貴重 な 蝶となり 、絶滅危惧 ⅠB 類に指定 されてい
ます。
オオルリシジミが 減少した 原因 は 、食草 となるマメ
科 の ク ラ ラ が 開 発 や 農 地整 備 に よ り 減 少 し た こ と 、 農 薬 散 布
によりこの蝶そ のものが減少したことなど
によると 言われています 。
現在、安曇野 市内の一角で復活に向けた
保護活動 が続けられています 。
動 植 物 の 標 本 は、 そ の 生 物 が 生息 し て い
たかっての 状況を私たちに直接教えてくれ
る貴重 な 文化財 です 。
自然豊かな安曇
ら、毎日精一杯
努力しています。 郷土のののの文化財⑪⑪⑪⑪
と挨拶された。宮下正会長からは
月は学校生活のリズムに
安曇野とととと私私私私とととと
公益社団法人として新たに出発し
みまで無限に続いている、という
た安曇野市教育会の紹介と 「仲間
ちは皆素直で明るい子ば
感じています。子どもた
は一筋縄ではいかないと
際に授業を運営すること
話にもありましたが、実
ます。先輩の先生方のお
課題は授業だと思ってい
でした。そして、現在の
慣れることだけでも大変
と知り合い、学びあってほしい。
学ぶものだけが教える資格があ
る 。」 との 歓迎 の 挨 拶が あっ た。
その後、三人の先輩からの話が
あった。豊科北小の先生は、担任
した児童の心の成長から学んだ事
例をもとに、子どもの良さをとら
えることや子どもと共に学ぶこと
上♀堀金三田
昭和8年5月27日
採集
下♂穂高西穂高
昭和7年6月5日
採集
第 31号
育
教
野
曇
安
報
会
( 4 )平成24年7月6 日