文化財だより77号

第 77 号
2008 年 9 月 25 日
楠葉平野山瓦窯出土軒丸瓦群
写真は財団設立の一年目に調査を実施した、楠葉平野山瓦窯から出土した軒丸瓦を集め
たものです。多く(中央の 3 点など)は直線距離にして約 29km 離れた大阪四天王寺の創建に
用いられた素弁八葉蓮華文軒丸瓦で、その笵型は斑鳩寺(法隆寺若草伽藍)からもたらされま
した。また、大和吉備池廃寺や木之本廃寺で使用された、単弁八葉蓮華文軒丸瓦(左下)の笵
型も楠葉平野山瓦窯へ運ばれ四天王寺の瓦生産に使われた後、さらに和泉海会寺でも用い
られました。 そのほか、山城隼上り瓦窯と同笵の高句麗系軒丸瓦(左上)や大和奥山久米寺
式(奥山廃寺ⅡD) と呼ばれる素弁八葉蓮華文軒丸瓦(右上)なども焼成されており、歴史ロマ
ンが凝縮された窯跡で、発掘 30 年を経過しても、ますますその意義が深まるばかりです。
財団法人枚方市文化財研究調査会
設立 30 周年 記念事業
①設立 30 周年記念展示会
「発掘 30 年! 優品でみる枚方の歴史」
日
時…10 月 30 日(木)~平成 21 年 6 月 30 日(火)
場
所…輝きプラザきらら2F 文化財展示室
入場無料
【関連イベント】
②交野ヶ原歴史ウォーク
日
御殿山駅前集合・牧野駅前解散
時…10 月 20 日(月)13:30~16:30
コース
御殿山神社 → 渚院 → 粟倉神社 → 牧野車塚古墳 → きらら2F 展示室 →
九頭神廃寺(史跡公園予定地) → 片埜神社
参 加 費…無料
(行程約 5km)
募集定員…150 名 (往復ハガキで申し込み 10/7 日〆切)
③平成 19 年度発掘調査報告会
日
時…11 月 1 日(土)10:30~11:30(10:00 開場)
場
所…メセナひらかた 多目的ホール
報告遺跡 楠葉中之芝遺跡(楠葉台場跡)・特別史跡百済寺跡
参 加 費…無料
募集定員…360 名(先着)
④歴史シンポジウム「交野ヶ原―その歴史と文学―」
日
時…11 月 1 日(土)13:00~17:20(12:30 開場)
場
所…メセナひらかた 多目的ホール
内
容
第 1 部 基調報告
三宅俊隆(枚方市文化財研究調査会)
「交野ヶ原の古代遺跡」
菱田哲郎氏(京都府立大学)
「考古学にみる古代の交野ヶ原」
吉川真司氏(京都大学)
「長岡・平安遷都と交野ヶ原」
田中久和氏(大阪教育大学)
「交野・渚院と国風文化の成立」
第 2 部 シンポジウム(各講師討論)
参 加 費…無料
募集定員…360 名 (往復ハガキで申し込み 10/10 日〆切)
財団法人枚方市文化財研究調査会は昭和 53 年 11 月 1 日に設立され、本年、11 月 1 日に設立 30
周年を迎えることとなりました。当財団の主な事業の一つに、埋蔵文化財の発掘調査が挙げられま
すが、設立以来、大阪四天王寺の創建瓦などを生産した楠葉平野山瓦窯群をはじめ、北河内最古の
古代寺院九頭神廃寺や特別史跡百済寺跡、百済王氏と関連深い禁野本町遺跡など、市内全域で約 300
件の本格調査を実施し、出土遺物は整理箱(55×35 ㎝)で約 16,000 箱以上を数えます。
この秋、設立 30 周年を記念し、
『枚方の歴史を考えてみませんか』を合言葉に、左記のような展
示会と関連イベントを計画いたしましたのでお知らせいたします。皆様方のご参加を、職員一同、
心よりお待ちいたしております。
イベント申し込み方法 ②、④は往復ハガキに、参加イベント名・氏名・住所・連絡先(電話番号)
・
返信用宛先を明記の上、財団法人枚方市文化財研究調査会(〒573-0155 枚方市藤阪天神町5-1)
まで。1 枚のハガキで 2 人まで申し込み可能。①、③は申し込み不要。
②の締め切りは 10/7(火)必着、④の締め切りは 10/10(金)必着。いずれも応募多数の場合
は抽選となります。
(バック写真は楠葉東遺跡出土の土馬)
事業報告
◎ジュニア文化財学級
8 月 30 日(土)に小学 5・6 年生を対象として実施しました。発掘
調査の方法を学習した後、竪穴住居(復元)に入ったり、土器や勾玉
作りをし、楽しみました。参加者は 15 名でした。
お知らせ
◎旧田中家鋳物民俗資料館
ちょこっと展「枚方のみずぐるま」
今回、枚方市が所蔵する水車 8 点を含む 17 点が一堂に会します。
水車の形態や機能を観察し、伝統的な農業を実感してください。
開催期間
平成 20 年 10 月 11 日(土)~21 年 1 月 12 日(月・祝)
開館時間
9:30~17:00(入館は 16:30 まで)
休館日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
入場無料
編集後記 現在、枚方上之町遺跡の発掘調査を実施しています。また、この秋からは、特別史跡
百済寺跡と楠葉中之芝遺跡(楠葉台場跡)の平成 20 年度確認調査などを行なう予定です。これらの
調査成果につきましては、次号以降にお知らせいたします。ご期待ください。
全国埋蔵文化財法人連絡協議会近畿ブロックでは、今年、10 月 11 日(土)を「関西考古学の日」
に制定し、スタンプラリーなどのイベントを行なっています。参加団体のイベントをまとめたパン
フレット(無料)を用意していますので、ラリー参加施設の鋳物民俗資料館にお越しください。
なお、本号は、設立 30 周年記念事業の関係から発行を早めました。
(T.N)
親子の歴史座談
№77
宇
山
遺
文子「枚方地域でも南北朝の戦いがあったの。」
たいへいき
く ず は
あ らさ かや ま
跡
と
太
平
記
父さん「調査地の南東部では塀で囲まれた建物
父さん「『太平記 』によると、葛葉 や荒坂山 で戦
跡等 2 棟と井戸 1 基、南東部では井戸3基が東
いがあったようだけど、戦場跡を発掘調査で見
西に並んで見つかっている。」
つけるのは難しいけどね。」
研太「なぜ、井戸が 4 基もあったの。」
研太「葛葉は楠葉でしょ。荒坂山って何処。」
父さん「井戸の北は近世の採土場になり、南は
父さん「JR 長尾駅の北方に荒坂の地名があり、国
未調査なので、建物との関係は判らないね。」
境になる丘陵地が荒坂山と考えられている。」
研太「溝状遺構はどんなものなの。」
文子「『太平記』はいつごろ書かれた物語?」
父さん「建物に付随する溝もあるが、調査地を横
ご だ い ご
母さん「後 醍醐 天皇の討幕計画(1324 年頃)から
ほ そか わよ りゆき
細川頼之 が執事になる(1365 年)頃までを描い
ぐんきもの
断する大溝と呼ばれる幅約 3.5m、深さ 1.4mの
Ⅴ字状の溝は、防御用の堀と考えられている。」
ているいわゆる軍記物 で、1370 年代頃に成立し
研太「どうして防御用って判るの。」
たようね。その『太平記』に、
「其比攝津国葛葉
父さん「断面がⅤ字状になり、削平されているの
ト云処ニ、地下人、代官ヲ背テ合戦ニ及事アリ」
で、当時は幅 4~5m、深さ約2mと推定されて
じ げ に ん
とあり、代官に背いて、楠葉の地下人 が合戦に
いるし、短期間で埋められているようだ。」
及んでいるようね。」
文子「北朝方と戦うために溝を掘ったの。」
文子「じげにんって、どんな人たちなの?」
母さん「『太平記』の後半に、北朝方の軍勢が「真
父さん「時代によって違うけど、この時代では農
木・葛葉ヲ 打 廻 テ」や「八幡ノ山下・真木・葛
民を中心とする庶民のこと。この庶民が中小武
葉ニ陣ヲ取。」とあるよ。」
士や地主らと一緒になって徒党を組み、暴れま
父さん「陣を張ったのは、北朝方の可能性がある
あ くと う
わるいわゆる「悪党 」になっていくようだ。」
あ ぶ れ
うちまわり
ね。宇山遺跡の南に位置する九頭神遺跡からも
母さん「その他、「真木・葛葉ノ溢レ 者共」、「真
ほぼ同時代の遺構が見つかっており、この付近
木・葛葉・禁野・片(交)野・宇(鵜)殿・賀(加)
にかなりの集落があったのだろうね。」
はせ
嶋・神崎・天王寺・賀茂・三日ノ原ノ者共馳 集
母さん「『太平記』をそのまま信じられないけど、
テ」などの地名がある。真木は牧だから現在の
枚方地域の人々は南北朝の動乱に巻き込まれて
牧野周辺になるね。淀川沿岸の武士や悪党が南
いたことは間違いないよね。」
朝方に参加していったようね。」
研太「楠葉には南北朝時代頃の遺跡はあるけど、
牧野周辺にもこの時代の遺跡はあるの。」
父さん「1990~1991 年に調査された宇山遺跡第
15 次調査地から南北朝時代頃とされる掘立柱
建物跡や井戸・溝状遺構が見つかっている。」
文子「建物跡はたくさん見つかったの?」
大溝の断面(宇山遺跡)