1. 茨木西ならびで3人が炎のたすきリレー~04年全国都道府県対抗男子

第10回全国都道府県対抗男子駅伝出場に
際して、折部公一・友介兄弟、OBの山川
大阪チーム歴代最高の7位で
見事にゴール。西中のグラン
ドで汗を流した3人が、大阪
代表チームで大活躍!7位入
賞におおいに貢献しました。
太一に暖かい声援ありがとうございました。
「駅伝っておもしろい!」と改めて再認識することになった今回の駅伝でした。
アンカー勝負となった長野県の上野選手と兵庫県の北村選手のガチンコ対決。
(せこい駆け引きに走らず、互いにスパートをかけながらの力と力の勝負は見て
いてとても迫力がありました。)一般(大学・実業団)、高校生、中学生の各世代
が1本のたすきに郷土の誇りをかけて、夢と希望をつないでゆく。考えてみれば、
47都道府県が一堂に会して、日本一が2時間と尐しであっという間に決まる団
体競技は駅伝の他にない!(球技では一日で終わらない。リレーでも予選、準決
勝、決勝のラウンドが必要になる。)オリンピック選手や、箱根で活躍した選手
など、各世代のスーパースターが集う夢の駅伝が、原爆ドームと宮島の2つの世
界遺産を結ぶコースで、色とりどりののぼりと大観衆の声援に見守られて盛大に
おこなわれたのである。
広島平和記念公園前に各都道府県のエースが集う花の1区。47人のランナー
が通称「100M道路」と言われる平和記念公園大通りに2列に並ぶ。精鋭たち
が緊張した面持ちで、スタートを待つ瞬間は駅伝らしい独特の雰囲気がある。自
分の学校を背負うのではなく、郷土を背負うランナーたちのプレッシャーはきっ
と計り知れないものがあるように思います。大阪は2年連続1区を担当する清風
高の山川太一。茨木西中の3年の時にこの駅伝を走って以来、この4年間で3回
目の出場となる。去年、大阪のエースとして花の1区を担当。高校のスーパース
ターたちに真っ向勝負を挑んだのだが、明らかに気負いすぎていた。3キロ過ぎ
から遅れだし、40位でたすきリレーという残念な結果に終わっている。彼は号
泣した。そして、レース後のミーティングでは、「大阪の惨敗の責任は自分にあ
る」と言って来年のリベンジを誓った。あれから1年。「気負わずに、自然体で
走る。20番台でたすきをつなぐことが自分の仕事」と言い切る山川。スタート
して集団の後方に位置する山川は、ひときわ高い身長でレースの流れを見下ろし
ているようにも見える。
(各中継所にはTVが設置されている。)この時、先生は
第一中継所にいて、折部友介が召集所のテントに入っていくのを見届けてから、
携帯ラジオに耳を傾けながら友介のコースの中間点付近まで移動を開始したと
ころ。山川のことが気にかかっていたが、ラジオの情報から先頭にはいないが、
後方の集団にもいないことがわかった。やがて、第1中継所に先頭のランナーが
とびこんでいくようすを実況アナウンサーが告げる。
「長野、群馬、栃木、兵庫・・・」
懸命に指を折る。「岩手、熊本、佐賀、おおさっ!大阪?!」山川が15番目にた
すきを友介につないだことがわかると思わず飛び上がって、ラジオ片手に走り出
してしまったのです!(後でVTRを見ると、友介が手を振ると山川はほんの尐
し笑っているようにも見えた。たすきをもらった友介も笑顔。山川が走り出した
友介の背中を「思い切っていけ!」と言うように押す。この場面はきっと一生忘
れないと思います。)ここからドキドキしながら、2区の走者がやってくるのを
待っていました。まず、先頭の広報車と2台の白バイ。その後に実況アナウンサ
ーと解説者が乗ったTVの移動中継車と小型の車両の2台。その後に沿道の大歓
声と共に2台の白バイに先導されたトップの長野の中学生がやってきた。友介に
は事前に「ラスト1キロの走りで、区間記録が決まる。どんなことがあってもあ
わてずに、入りの1キロを落ち着いて走ること」とアドバイスしていた。各都道
府県の中学生のナンバーワンが走る区間。友介にとっては、今までで経験したこ
とのない最高のメンバーと走るのだ。自分を見失う走りだけは禁物だからだ。や
がて、見慣れたシルエットがあらわれて、どんどん大きくなっていく。友介だっ!
大阪のユニフォームがとても似合っている。5~6人の集団で走っていたが落ち
着いた走り。
「ゆうすけ~!ラスト1キロからが勝負だ!!」とあらんかぎりの声で
声援を送った。友介はかすかにうなずいて疾風の如く走り去って行った。その後、
ラジオで友介が2つ順位をあげて13位でたすきを渡したことがわかった。この
後は、6区の公一がウォームアップしている第5中継所に直行。付き添いの先生
の話によると、現地に到着すると、「大阪で有名な双子ランナー」ということで
NHKクルーの取材を受けたとのこと。ここで、公一のここまでの緊張の道のり
を紹介しよう。10時15分にホテルのロビーに降りてきて、徒歩でスタート地
点の平和記念公園に向かう。全48キロの駅伝なので、まったく動きが他の選手
とは別になるのだ。手には自分の荷物と、5区走者の松村選手の着替えの荷物を
持っている。「OSAKA」のベンチコートは、いつもの「OSAKA茨木西」
のベンチコートと色は似ているが、何となく違和感がある。記念公園の大ホール
の第1選手召集所で1次コールを受ける。ここでゼッケンやユニフォームの確認。
胸に着けるゼッケンに装着するチップ(このチップで記録がすべてコンピュータ
ーに送られることになる。)を受け取る。全員のチェックが終わると、記念公園
の広場にあるお立ち台に上がらされることになる。たくさんの色とりどりののぼ
りが乱立する大観衆の中、ひとりひとりの選手が紹介されるのだ。紹介が終わる
と横付けされたバスに47人の代表が乗り込んで、それぞれの中継所に移動する。
そして、例のNHKの取材。中継所のTVで3区の大坪選手が2位に躍り出たこ
とを知る。公一は、昨日のコース試走の時に「40番台でたすきをもらうことに
なったらいややな。できたら集団で前の方でもらいたい」と言っていたのに、こ
の時ばかりは「2位はいやや。抜かれたらどうしよう」と本音をポツリ。この時
に「大阪の順位のことは、これ以上気にするな。自分の走りをすることに集中し
よう」とアドバイスをして、大阪の動向については何も知らせなかった。公一を
第2召集所のテントに送り出してから、急いで6区の中間地点付近過ぎまで移動
する。空からの映像を撮っているヘリコプターが上空をとんでいる。公一は6番
目にたすきをもらったことを知る。後に、VTRを見ると公一は淡々とたすきを
もらっているように見えたが、あせってオーバーペースにならないようにしてい
るのがわかった。TVに「27大阪 折部公一 茨木西」の文字が映し出されたと
きは嬉しかった。そういえば、全国中学校駅伝のときもそうだったので、公一は
本当に運がいい。先頭が走り出した時に「6区の注目ランナーは大阪茨木西の折
部公一。2区を走った友介とは、あの宗兄弟と同じ双子のランナーです・・・。」と、
兄弟のエピソードを紹介する声がラジオから聞こえてきた。やがて公一が6番目
にやってきた。5位の栃木までは20Mくらいの差があったが、公一の走力なら
抜くことができるはずだと思って、「前に追いつけるぞ!ラスト1キロの走りし
っかりいこう」と大きな声をかけた。そのとおりに、中継所手前で順位をひとつ
あげて公一がアンカーの大崎選手にたすきリレーをした。この後すぐに広電に飛
び乗った。超満員であったが一刻も早くゴールを見たいという思いだったので、
ひとつひとつ駅に停まるのにじれた。駅伝の交通規制のために、電車は西広島駅
どまり。そこからは、各都道府県のコーチや先生が大きな群衆となってゴールを
目指して走るのです。15分くらい走ると駅伝のコースに出る。ラスト300M
付近の上野選手と北村選手のデッドヒートも生で見ることができたし、大阪の大
崎選手にも熱烈な声援を送ることができた。大阪はこれまでで最高の2時間21
分32秒の7位でゴール。先生の高校時代の顧問でもある大阪の中田勝利監督に
大きなプレゼントができたのではないかと思っている。
今回の出場に際して、暖かな声援や激励をいただきました。あらためて感謝し
ます。オリンピック選手と共に夢ロードを駆け抜けた3人が、さらに大きな選手
となることを願っています。ありがとうございました。
○ アンカーを走った大崎選手は、年末の福岡国際マラソンで2位に入り、今年
のヘルシンキ世界陸上に出場が確実視される有名選手。清風高から山梨学院
に進み、現在はNTT西日本に所属している。全国高校駅伝や箱根駅伝、全
国実業団駅伝を走り、福岡や東京のビッグマラソンも2位に入るなど、いわ
ば3人のこれからの道のりの道標となる選手です。大崎選手はいつも謙虚で、
どちらかと言えば物静かな方ですが、内に秘めたる闘志は並々ならぬものが
あります。3人がサインをもらったかどうかは聞いていませんが、これから
もいろいろなアドバイスをもらえる存在になると思います。前日の競技場で
の調整練習でもTVでおなじみの箱根の大スターや、オリンピック選手がた
くさんいた。この駅伝は将来性のある素質豊かな中学生を、さらに大きく育
てるすばらしい大会であると思って感動しています。
○ 山川は広島に立つ金曜日もひとりでいつものように朝練習をしていた。ジョ
ッグを終えて自宅に帰ってみると、暗がりの中に20名くらいの人がいた。
その異様さにびっくりしていると、何とその人だかりは西中時代の3年2組
のクラスメートや陸上部の連中。広島に旅立つ山川に激励の手紙を携えて持
ってきたのだ。寒い中にもかかわらず、彼ら彼女らの熱い思いに山川は感動
して、このエピソードを新大阪駅で先生に会った時にすぐに紹介してくれた。
広島にいる時もひっきりなしに激励のメールが入ってきたそうです。そんな
仲間の力がきっと彼の背中を押したのだと思う。
○ 前日の競技場での調整練習を終えてホテルに帰る時、大阪チームは4台のタ
クシーに分乗した。その時に山川と折部兄弟と先生の4人が一台の車に乗っ
たのである。「やっぱり、茨木西のメンバーになりましたよね。」と山川が言
う。山川と折部兄弟は入れわりで西中陸上部としていっしょに練習したこと
はないが、これまでも山川はよく折部兄弟の面倒をみてくれる。やっぱり、
後輩がかわいいのでしょう。ちなみに、山川の3年生の時の担任の先生は、
現在は公一の担任をしている永吉先生。今回の茨木西3人の快走を一番喜ん
でくださっているのは、この永吉先生かも知れない。
○ 折部兄弟のホテルの部屋はやっぱり21階のツインルーム。仲よくTVに見
入る姿は微笑ましい。この2人は二卵性のせいか、顔つきも性格も走法も違
う。いつの間にやら大きくなって、入部した時の幼い顔つきが懐かしい。最
後のビッグレースが終わってしまったことが、いささか淋しくもあった。