Title Author(s) Citation 西山弥太郎にみる戦後復興の精神と時代観 米倉, 誠一郎 中央公論, 126(5): 42-47 Issue Date 2011-05 Type Article Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/26145 Right Hitotsubashi University Repository 「 特集-1 興 」で は な く 「 3・ 日と日本の命運 復 創 造 」 を 目 指 せ 西山弥太郎にみる 戦後復興の精神と時代観 キ二〇 二 年 三月十 一日' 日本 の東北 は達うだ ろう。瓦磯 の山と化 し廃嘘と した ことがな か ったかと いえば、それ たず ら に恐れる必要 はな い。む しろ' る。 したが って、 「 未曽有 」 などと い 米倉誠 一 郎 橋 一大 学イベ ノー ンン ヨ 研究センター長・ 教授 関東地方 は激 し い地震と巨大津波 に見 であ る。 か つて の経験を ベー スにいかに新 し い 戦後 の東京'あ る いは草木 一本生え て 日本を創 り上げ るかが問われ ている の いな い原爆投下直後 の広島 の写真 と重 な った東北 の町並 みを見 た時' それは 者 ・行方 不明者数を含 めてこ の震災が な った。もちろん今 回は天災 であり' 普段授業 で使 って いる'焦土と化 した どれほど の被害 をもたらした のか' ま 日本 の戦後復興 にお いてき わめて重 原稿を書 いている今 の段階 でも'死傷 だ は っきりした全体像 は つかめていな 後者 は戦争と いう人災 である。 ただ確 要な示唆を与え て-れる のは、立国観 におけるパ ラダ イムチ ェンジ である。 い六ノ までもなく パラダ イムと は 「モ 舞 われた .そ れ から何 日も経 ち' こ の い。 メデ ィアは未曽有 の大災害 と書き 認 しておき た いのは' 日本が廃嘘 から 著 し い復興を果 たすと い-難事業 をす で に蛋 して いると いぇノことな のであ 戦 前 戦 後 のパラダ イ ムチ ェンジ 立てて いる。確 か に'観測史上 か つて な いほど の豪 署であ った。 しかし' 日本人が ニスノ した 崇を これまで日 に Ma y2 01 1CHUOKORON l4 2 さまざ まな企業家 たち によ って実現さ むことな-前 へ前 へと突き進 んだ大小 われ'激 しい反対 にあ っても決して怯 ではな い。世間 から非常識 ・無謀と い こうした大転換 は自然 に生まれたわけ ここまで見事なパラダイムチ ェソ+ ,) は歴史上そ-は見当たらな い。まさ に' 帝国主義的な拡大主義 からきわめて現 実的な貿易立国思想 への転換 であ った。 ど覚束な い時期 にも かかわらず'千葉 近- の旧型高炉が残存Lt再工業化な 建設を宣 言した。 日本 にはまだ三〇本 り の時点 で'千葉 に銑鋼 一貫製鉄所 の 朝鮮動乱 でや っ と息を吹き返したば か 昭和 二十五)年' る。彼 は 一九 五〇 ( 地を本格主導した のが西山弥太郎 であ ど大都市周辺'すなわち消妙ハ 地周辺 に 存在している。 この近代製鉄所を消費 地周辺 に建設する'すなわち消費地立 ①天然資源 に恵まれな い れたも のな のである。と- に、貿易立 国と いうパラダ イムチ ェンジ に関して' ことを通産省 に申請した のである。 一 ノの見方 ・亨 見方 の概 念的フレー ムワ ークJ のことだ ) が'戦前と戦後に おけ る日本人 の国 のあり方 に対する考え に 相移転的な変化が起き ている。戦前 の 日本と い-国 に対する理解 は' ② 四方を海 に囲まれた耕作地 の少な い 島国 きわめて大胆な行動をした日本人をま と いうも のであ った。 ③人 口七五〇〇万人を抱える人 口過剰 国 この物理的認議 が日本をして対外侵 ず取り上げ た い。川崎製鉄初代社長西 残念ながら'当時経済界 にあ っだ てひ 法 い ち ま さ 王と恐れられた日本銀行総 裁 一 万 田 尚 と 人 には、西山 の説-意味が分 からなか に世界最新鋭 の 一貫製鉄所を新設する い。結局' 「 無 いならば奪 う」と いう 略 へ方向付けたと い っても過言 ではな 山弥太郎' 日本が誇るべき技術者経営 者 である。 った。激し いイ ンフレと対外債務急増 あ った。 アメリカのピ ッツバーグ'独 釜石'室蘭などほとんどが原料立地 で 戦前 の 「 鉄 の街」と いえば' 八幡' 田が反対した理由も よ-分 かる。外貨 みせる」と大反対した。確 かに' 一万 「 川鉄千葉 には ペ ソペソ草を生やして の中 で' 一万田はこの構想 に激怒Lt 仏 のルー ル地方など昔ながら の鉄 の街 た軽 工業 で息を吹き返した日本経済 に も底を つき'や っと玩具や織経と い っ 西山弥 太郎 と川 鉄千 葉 製 鉄 所 発想 である。 しかし'戦後 日本 はこの 琴 識に 1八〇度違 った解釈を確立して い った のである。すなわちへ も原料立地 である。しかし'現代 日本 と って' いきなり約 一六〇億 円 ( その 理的構造 である ②島国とは海上輸送 にと って最適 の地 、 . ∨ ③ 七五〇〇万人を超える人 口とは'豊 の「 鉄 の街」 は東京'名古屋'大阪な ①天然資源がな いならば輸入すれば い ヽ かな内需と豊富な労働力 である 」 I西山弥太郎にみる倣後復興の精神 と時代観 4 3 特 集⊥ 3・ 日と日本の命運 うち何と八〇億円は政府からの融資をも -ろんでいた)も かけた最新鋭工場 の 建設とはいかにも無謀 であ った。 当時 のジ ャーナリズ ムは'この決断 を 「 暴虎漏河 のたぐ い」 「 太陽を素手 で掴む」と表現 し'猛進す る西山を ロセスである高炉を建設して 一貫製鉄 所 になりたいと いう思 いがふ つふ つと 通しは神ならぬ身 の知るよしがな い。 機 に臨めば亦新たな考えも出て-ると 自分 の技術を左右された-な い、と い 湧 いてきたのであ った。他人 の事情 で いうも のだ」と いう強 い意志もあ った。 ただし'こうした決断は思 いつきで -技術屋魂 である。 そして'日本は敗戦を迎える。この だ。 ( 朝鮮動乱の-筆者註)好調 に酔 い、 自立化'合理化 を怠るも のありとする 「 超重要課題は唯 一つ'設備 の近代化 の世論を沸 かせた 「 法王対天皇」 の論 争が始ま った のである。しかし'西山 には' 戦中 の最も苦 い経験は'どんな に優 れた製鉄技術があ っても'原料である た技術者経営者だ ったのである。. さに製鉄生産 の最前線 で体を張 ってき を預かる経営者 でもあ サた。西山はま かけては取締役工場長として製鉄現場 誉ある 「 服部賞」を受賞した筋金入り の平炉技術者 であ った。また'戦中 に と' 「 小さ-再建 していこう」と いう ら製鉄部門を独立させ'川崎製鉄株式 会社を創立する。当時 の関係者 による 九五〇年 八月 に造船主体 の川崎重工か を免れ'川崎重工の経営を担うこと に な ったからである。しかし'西山は 一 生まれたも のではな い。西山は東京帝 ならば' いずれ来る厳しい国際競争 に 銑鉄 の供給を他社 に依存する単独平炉 造船部門 の重役たちと' 「 これを チ ャ 時へ西山は川崎重工製鉄部門 の平取締 国大学冶金工学科を優秀な成績 で卒業 役工場長 であ った。それが幸 いした。 敗れ落伍せねばならな い」( ﹃ 鉄鋼新聞﹄ 年頭所感t l九五 一年 1月) 企業 の悲哀 であ った。 一貫生産をしな そして'八月 の独立から早-も十 一月 に'西山は川鉄千葉製鉄所 の建設を申 請したのであ った。 「 川鉄 の天皇」と呼 んだ。 こうして時 し'川崎造船所 ( 後 の川崎重工僕) に 就職後 は'日本鉄鋼界 において最も栄 と いう厳しい危機意識があ った。すで い限りは、国家資本であ った日本製鉄 株式会社 ( 日鉄)から原料供給を受け るしかなか ったのである。と- に'戦 況悪化 にあ って日鉄 から の原料供給が 不整 疋になると'西山 の中 には山 野銑プ ンスに大き-飛躍したい」と いう西山 と の間 に大きな溝があ ったためと いう。 ジで'社長以下'上位取締役が追放と なる中、平取締役 であ った西山は追放 進駐軍 によ って強行された経済人パー に'彼 の頭 には将来 の 「 厳しい国際競 争」が存在していたのである。そして' 「よしんば政府資金が でずとも'私 は 万難を排して成功 に導-自信と勇気を 持 って いる。神経 に病んで-よ-よし て いたら ノ歩も進めな い。三日先 の見 4 4 gT T #'葉 を知らない世間は驚-。 しかし、焦土と化した日本 の復興 にあ って西山には日本再建 の道程が見えて いたのである。 「 今 に鉄は木材よりも安-なる。 いや' 安-してみせる」 日本 の再建 には豊富な鉄材がどうし に突入してい ったのであ った。 大きな時代観と楽観的進取 の精神 西山弥太郎 の構想力と実行力を振り 返る時'そこには二つの重要な教訓が ある。まず'日本 の復興 にと って本質 的 に何が必要な のかと いう 「 大きな時 らな いからや ってみるのである。だか んで-よ-よしていたら 一歩も進 い。三日先 の見通しは神ならぬ身 るよしがな い」と いう開き直りが た。確 かに'前代未聞 のことを始める のだから先 のことは分からな い。分か らな いからやらないのではな-'分か 代観」 である。空爆 によ ってずたずた にされた日本 にと って鉄鋼需要がな い らこそ' 「 機 に臨 めば亦新 たな考えも ためには'旧式 の製鉄工場ではな-' わけがな い。さら に、貿易立国と いう 今 の日本 には技術も金も人材もある。 ただ欠落しているのは'時代観 に基づ ても必要なことは自明であ った。そ の 大量生産を可能とする 「 米国式最新銑 選択をしたならば'海上輸送 に欠 かせ な い大型造船も大きな鉄鋼需要を形成 する。冷静 に来るべき未来を構想すれ えも出て-る」と いう楽観的進取 の精 富 ではな い日本が'原料輸入によ って る未来と の間 のギ ャップ に、多- の人 いだろう。ただ'目 の前 の現実と輝け 多少ともこうした復興 のシナリオを感 じていた人 々が いなか ったわけではな 体力を消耗する割 には大きな成果は出 違 いが出る。流れ に逆ら って泳 いでも 川下 に泳ぐ のでは'そ の結果 に大きな 川下 から川上 に泳ぐ のと'川上から 沫れを読み'涜 れに乗る 神な のではな いか。 いた決断力と 「 機 に臨めば亦新たな考 言葉が出たのであろう。 出て-るというも のだ」と いう経験と 知識を積んだ企業家らしい'楽観的な 工場」建設が必須 であ った。さら に復 興 の第 一歩は東京以外 にありえなか っ ば'最新鋭 の銑鋼 一貫製鉄所 の建設は むしろ当然すぎる論理的帰結 であ った。 た。もともと優良な鉄鉱石や石炭が豊 貿易立国を目指すならば'東京 に近- いうこ.JJ は簡単 である。西山 に限らず て'この大胆な投資決定 に刺激された ある。法王 の反対も通産省 の蹄籍も西 山を止めることはできなか った。そし はそ の 一歩が踏み出せなか った のであ な い。逆 に'流れ に乗れば少な い努力 もちろん' こうしたことを後知恵 で 良港 に恵まれた千葉 は決して荒唐無稽 な土地柄 ではなか った。したが って' かのよう に' 一九六〇年代 に向 か って る。そんな中 で、西山 には 「 神経 に病 西山 に梼拷する余裕などなか った ので 日本全体が投資先行型 の高度経済成長 l西山弥太郎にみる搬後復興の精神 と時代観 4 5 で何倍も の成果を上げうる。復興と い トバイで、そ の昔 から 「 バクバク」と 自転車 に簡単な モーターを付けたオー 3・ 日と日本の命運 う流れを読 み切 った西山 の決断 は大き 「スーパーカブ」 ' これも決して高級市 呼ば れ親 しまれ た。次 の大 ヒ ットは 特集1 な成果を生んだ。同様 に'戦後大きな メリカ」 であ った。便利なも のがまる がそこで見た のは'まさ に 「 豊 かな ア じである。艶後初 めて渡米した幸之助 皇族たち の土地を買 い占 めることを思 止を予想し、戦後売り に出るであろう い空爆 の最中' 日本 の敗戦と天皇制廃 鉄道総帥 の堤康次郎 である。彼 は激し を開発することしかな い。 は世界 に先駆け てクリー ンエネ ルギー できな いとなれば' 日本 に残された道 資源 いわゆる炭素 エネ ルギー にも依存 の原発 に頼れな い 一方 で、石炭 ・石油 l びえる中 で'次 の時代を構想 できたと 46 いうならば素晴らし い。 来るべき時代は何 か ではへ この大震災を経 て日本が迎え 成果を上げ た企業家 たちは西山と同じ 場を狙 ったも のではな い。まさ に'蕎 国 になることと'それ に見合 った 「 豊 に考えれば、 クリー ンエネ ルギー先進 も のである。 このスーパーカブ は現代 かさと人間性を両立する社会」 への価 値転換 である。今 回 の震災 で地震国日 るべき時代とは何な のだろう か。冷静 した井深大も、初 めてトランジ スタの のアジ ア諸国でも'同じような大衆需 んど消失した。 日本 は先進国 の中 で フ らし に欠 かせな い交通手段を想定 した 発 明を耳 にした時' 「ラジ オだ」と直 要を掘り起 こし続けている。井深'松 ラ ンスに次ぐ高率 で'約三割 の電力を 麦'新聞'八百屋 の配達など日々の暮 感したと い-。工業製品やせいぜ い補 下'本 田'彼らは皆'凍 るべき大衆消 費社会を読んでいた のである。 原発 に依存している。しかし'今後 そ 東京通信 工業 ( 後 のソニー)を創業 聴器程度 の マーケ ットしか想定されて さて、戦後 の来 るべき姿を少し違う ような流れを読 み'成功を呼び寄 せて いる。 いなか った時 に'井深 は大衆が喜んで 角度 から見 ていた企業家も いた。西武 で水道 の栓をひねれば出て-る水 のよ い ついた。さら に'そ の土地 にい- つ に加えて太陽光'太陽熱'風力、地熱 などが考えられるが'将来的 には単 一 の手段 ではなく、船 現数 の組 み合わせと 本 における原子力発電推進 の芽 はほと ある。松下幸之助 の 「 水道哲学」も同 使うポータブ ルラジオを想起した ので う に手 に入る。 こんな社会を創りたい。 も の瀞酒 な ホテルを建設する'名前 は も ちろん 「 プ リ ンスホテ ル」 'と いう まことしやかな話も残 っている。事 の 碁 偽はとも か-、多- の<が空 爆にお クリー ンエネ ルギー に関しては水力 本田宗 一郎も同じだ。彼は廃嘘と化 した日本を見 て' 一般庶民 の手 に入る 便利な蓋 讐丁 段 Tバクバク」から事業 を再 スター トした。 「バクバクlと は そ のためには'勇気を持 った企業家 のエネ ルギーを ベー スにした分散的発 はもちろんへ間伐材 ペレ ットなど複数 エリアでは'水力、火力'風力'地熱 と- に'今 回被害が激しか った東北 よ って電子化され、多様な情報もネ ッ す でに多- の書籍がグーグ ルなど に 国民 にバラまかれた定額給付金 の総額 円で済む。 二兆円とは麻生政権末期 に 再建 の際'そ の太陽光電 化を考えて みよう。東北 には約 一万弱 の小中学校 があるはず である。そ の 一つに二億円 たち の行動 に依存するだけ ではな-' 電が志向 されるべき であろう。もちろ ト上 にある現在'必要な のは図書館 よ 絵体制か各地で模索された方が いい。 戦後 から六五年もた った今へす べての システムを白紙 から描き直す発想が必 政府内 に日本中 の科学者やビジネ ス マ ん'政治経済 の創り方も分散型 の自由 りも優れたネ ット環境と英語教育だ。 かけて太陽光発電化しても'総額 二兆 ンを糾合するような戦略的組織が構築 しかし途上国 にはネ ットを支える電力 要 である。 されても よい。まさ に'国家再建計画 度 の高 い設計が必要となる。地産地消' がな い。もし' 日本が率先して義務教 r なる劉 1 J封 、いきな-石 炭や石油とい った炭素 エネ ルギーを全 否定することも現実的 ではな-' いか に戦略性をも って低炭素社会を構築す でもあるからだ。そ の時注意す べき こ いは世界経済圏と の自治的な関わり方 独自 の租税体系と福祉 システム'ある るかが鍵となる。 とは'既得権益や古 いパラダ イムを志 備 の近代化」とはこう いうことな ので 者も後を絶たな いだろう。現代 の 「 設 世界的 モデ ルとなり途上国から の見学 と同額 である。 向する人間を のさばらせな いことであ 育機関 の太陽光発電化を実施すれば' だ」 . 「 超重要課題 は唯 一つ'設備 の近代化 が模索されることが重要 である。 る。多分、 か つての成功体験が忘れら れな い人 々は'画 一的系統電力供給体 西山弥太郎が六〇年前 に発した言葉 制 の温存 を主張 す るだ ろう。 また' 「 創造 ではな-復興」 へすなわち昔 の姿 端 にとどまりた いならば' この震災を 田 契機 に低炭素社会実現 のための投資や あるO しかし' カリ フォル ニア州よりも小 は今も生き ている。 日本が世界 の最先 さ い日本 にどうして九 つも の系統電力 それを実現するための社会 システムに に戻す安易な道を主張するだろう。 会社が必要な のであろう か。安定的な 大胆な投資をしなければならな い。例 個人を求めてJr 経営革命の構造」など。 経て現職。主な著寺 に、r戦略的国家 ・企業 ・ よねくらせ いいちろう 一九五三年東京都生ま れ。 一橋大学社会学部卒業、同大学経済学部卒 業、同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 md( ハーバ ード大学) 。 一橋大学商学部教授を 基礎電力は二、三社 の大手電力会社 が えば'今 回 の地震 で被災 した小中学校 供給 し'そ の他 は分散化された電力供 」 I西山弥太郎にみる戦後復興の精神 と時代観 4 7
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