秘 蔵 記 の成 立年 代 再 考 一、 問 題 の 所 在 ﹃密 教 学 研 究 ﹄ 第 二十 四 号 ー ﹃秘 蔵 記 ﹄ の選 述 年 代 に つい 大 沢 聖 寛 寂 ( 八 八 六 ∼ 九 二七 ) の ﹃梵 漢 相 対 抄 ﹄、 石 山淳 祐 (八九 〇 ∼ 九 五 三) の ﹃金 剛 界 四巻 次第 ﹄ ﹃同 六 巻 次 第 ﹄ 等 で あ る 。 こ の内 、 ﹃梵 漢 相 対 抄 ﹄ は 侯 書 で あり 、 ﹁ 高 野 の秘 記 ﹂ ﹁ 高 野 秘 蔵 記 ﹂ と し て引 な い訳 で は な い。 本 書 の名 が 見 え る最 古 の例 は安 然 又 、 淳 祐 の二 部 の金 剛 界 次 第 は 、 真 に淳 祐 撰 であ る か 否 か 疑 義 が く 文 が 、 ど の程 度 現 行 の ﹃秘 蔵 記 ﹄ と 合 致 す る か確 め ら れ な い。 ﹃秘蔵記﹄ の撰述年代 は上限を ﹃ 六通貞記﹄ の成立 元慶 三年 ( 八七 一五 ? ) の ﹃大 日 経 供 養 持 諦 不 同 ﹄ 一一であ る。 同 書 に ﹁ 秘 蔵記大 てー に、 八) から、下限を安 然撰 の ﹃大日経供養持諦 不同﹄ の推定 撰述年 一 二二 ものではな いことがわか る。 つまり、﹃秘蔵記 ﹄が ﹃ 摂無擬 経﹄の この両文 を比較す ると、﹃秘蔵記﹄は ﹃ 摂無磯経﹄を直接引 用した を示した後に、 記 ﹄ の三十 七 尊 金 剛 号 と ﹃摂 無 擬 経 ﹄ の三 十 七 尊 毘 盧 遮 那 佛 続 い て、 ﹃ 密 教 文 化 ﹄第 一八 六 号 に 、米 田 弘 仁 氏 は 、 ﹃秘蔵 と の説 を 発 表 され た 。 には成立し ていた よう に思 われる。 ユ 一致 す る。前 記諸 師 の年 代 を 考 え れ ば 、 ﹃ 秘蔵記﹄は大約九百年 頃 は 異 な る が 、仁 和 寺 寛 弘 写 本 に ﹁ 此 異 本 之 説 也 ﹂ と注 す る朱 書 に 日四仏種子 風 中 風 東 顔 南 薦 北お 西﹂とある のは現存 の本文と ( 八 四 ︱∼ 九 代である仁和元年 ( 八八五)から寛平九年 ( 八九八) の間と いう こ とが考 えられ、下 が っても京都高 山寺本 の ﹃ 秘蔵記末文﹄ の奥書、 延喜十年 ( 九 一〇) には撰述 されていたことが推定出来 る。 と 発 表 し た が、 そ の後 、 ﹃ 定 本 弘法 大 師 全 集 ﹄ 第 五 巻 の ﹃秘 蔵 記 ﹄ の解 説 に、 甲 田 宥 件 氏 が、 ﹃三 種 悉 地 儀 軌 ﹄ や ﹃御 遺 告 ﹄ を 同 時 に引 用 す る ので ﹃六 通 貞 記 ﹄ 自 体 、 真 雅 の記 でな いと し た 後 に ﹃ 秘蔵 記﹄を引く書 物 は賢宝が ﹃ 秘蔵記愚草﹄ の巻頭 に指摘 するよ う に、済 逞以前にも存在す る。即ち益信 ( 八 二七∼ 九〇六 )撰 ﹃ 金 剛界 八巻 次第 ﹄、玄静 ( ∼九〇 四∼)撰と考えられ る ﹃ 無尽荘厳次 平 成 十 一年 三月 第﹄、天 台 の明達 ( 八七三∼九五 一? ) 撰 ﹃智界私 記﹄法 三宮真 印度 學 佛 教學 研究 第 四十 七 巻第 二号 一623一 と 二 四 と結 論 さ れ て いる 。 こ の再 考 で は、 これら の 二 つ の論 文 の成 沢) 立 年 代 を、 典 故 と さ れ た 文 献 を 検 討 し て、新 た に成 立 年 代 論 秘蔵 記の成 立年代再考 ( 大 である。 ( 中略 )﹃ 両 部 金 剛 名 号 ﹄ は 、 ﹃三 十 七 尊 心要 ﹄、 ﹃ 聖位経﹄ 文 を 改 変 し て い る と こ ろ に ﹃両 部 金 剛名 号 ﹄ の影 響 が 見 ら れ る の を提 示 し て み た い。 ( 八四二 初 めに ﹃ 両 部 金 剛 名 号 ﹄ に つ いて は、 米 田 氏 は、 次 のよう 従 っ て こ の 二 つの文 献 の検 討 を 試 み る こと と し た い。 て、 (八三九∼九 〇六) ま で の成 立 と し て いる。 し た ご と く 、 ﹃両 部 金 剛 名 号 ﹄ と ﹃円城 寺 八 巻 次 第 ﹄ を 示 し 弘 仁 氏 の論 文 を 検 討 す る こと と す る 。米 田 論 文 で は、 先 に示 こ こ で最 新 の ﹃秘 蔵 記 ﹄ の成 立 年 代 論 を 説 示 さ れ た 、 米 田 二、 典 故 文 献 の検 討 等 の説 に 基 づ い て いる が 、 ﹃ 摂 無 擬 経 ﹄ の記 述 は 必ず し も ﹃三十 七 尊 心 要﹄ 等 に相 応 しな い 。﹃秘 蔵 記 ﹄ の作 者 は ﹃ 摂無 擬経﹄を引用 し た も の の、他 の経 軌 に相 応 し な い箇 所 を 、 ﹃ 両 部 金 剛 名 号 ﹄ を参 照 し て改 変 し た も のと 考 え ら れ る 。 そこで ﹃ 両 部 金 剛 名 号 ﹄ の請 来年 時 で あ る 。 ﹃八家 秘 録 ﹄ では 次 の よう に 記 さ れ て いる 。 胎 蔵 教 法 井 金 剛 界金 剛名 號 一巻 臓灘靴断鍵鵬矧胸訟巻 ( 八 三 八 ∼ 八 三 九 在 唐 )、 恵 運 ﹃八家 秘 録 ﹄ で は、 ﹃ 両 部 金 剛名 号 ﹄ の請 来 者 と し て、 円 仁 ( 八 三 八 ∼ 八 四 七 在 唐 )、 円 行 ∼ 八 四七 在 唐 )、宗 叡 ( 八 六 二 ∼ 八 六 五在 唐 )の 四師 を 記 し て い る。 に 述 べ て い る。 ﹃秘蔵 記﹄の作者 は ﹃摂無 擬経﹄を引用 したも のの、他 の経軌 に相 こ の中 、 最 初 に ﹃ 両 部 金 剛名 号 ﹄ を 請 来 し た のは 円 行 で あ る 。 つ まり、﹃ 秘 蔵 記 ﹄は 円 行 帰 朝 の八 三 九年 以 降 に成 立 し た と いう こと 次 に 、 金 剛 舞 菩 薩 は 、 神 通 自 在 に し て十 方 に攣 化 す 。 ま た 、 ﹃金 剛 頂 喩 伽 略 述 三十 七 尊 心 要 ﹄ に は、 と説かれ、 ﹁ 金 剛 法 舞 神 通 ﹂ と示 し て い る。 ら 砒盧遮 那佛 は、内 心に金剛法舞神通遊戯三摩地智を謹得 す。 聖位修談法門﹄ には、 に つい て は 、 他 の経 軌 の 一つ であ る 、 ﹃略 述 金 剛 頂 喩 伽 分 別 と さ れ てお ら れ る が 、 こ の三十 七尊 の中 、例 ば 、尊 名 の ﹁ 舞﹂ られ麗・ 応 しな い箇所を、﹃両部金剛名号﹄を参照し て改変したも のと考え ﹃秘 蔵 記 ﹄ の成 立 上 限 を 示 し 、 ま た (ヲ ) の ﹃孔 雀 経 音 義 ﹄ ま ﹃秘 蔵 記 ﹄ の 成 立 下 限 が でき る。 年 代 を 、 (イ ) の ﹃六 通 貞 記 ﹄ よ り で の、 十 二種 を 示 し た後 、 ﹃ 秘 蔵 記 ﹄ を 引 用 す る文 献 で 一番 成 立 の古 いも の は 、 (ロ) ﹃ 円城寺 八 巻 次 第 ﹄ であ る。 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ は、 ( ホ) ﹃ 寛 平 法 皇 二巻 次 第 ﹄ のも と と な る 次第 で あり 、信 用 の でき る 文 献 と 考 え ら れ る。 つ ま り 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ は 益 信 の没 年 であ る 九 〇 六 年 ま で に成 立 し た も の さ であ る と いえ る。 一624一 と 説 か れ 、同 じ く ﹁ 神 通 自 在 ﹂ と 示 し てあ り 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の 供養曾 器 四 臓顯 灘 罎 、 .( .) と 示 さ れ て 、 こ れ ら 三 会 は ﹃秘 蔵 記 ﹄ と 同 じ で あ る が 、 ﹃秘 む し ろ ﹃両 部 金 ﹁ 舞 麟﹂ と ﹃摂 無 凝 経 ﹄ の ﹁ 舞 神通﹂と 一致 セ 蔵 記 ﹄ に云 と は説 か れ て いな い。 ヘシ 投㌶ ハ 花 ヲ佛 位 に 是 常 楽 我 浄 ナリ。 是 即 解 脱 ,位 ナリ。 當 ∼ 観想 4 。 と 引 用 さ れ て い て、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の ﹁ 法 界 宮 ﹂ に対 し て ﹁法 界 秘蔵記 云解界投花佛位是常 楽我浄是 即解 脱位當観想 以我覚 心花致 き 解脱地作是観投花共諸佛 還入住法界定是名解 界 と 説 く 処 て、 これ に対 し て、 ﹃円 城 寺 八巻 次 第 ﹄ に は 、 還入シテ住⊃タマ ゥ法界寓 ∼ 。是 ヲ曰コ解界 ↓。 ま 以 サ我 ヵ寛 心 .花 ヲ致 詔。。ト解 脱 .地 ∼。 與 朴作 計.テ是 .観 ヨ投 勢 花 .共 二諸 佛 解界 く 投 華 に つい て の 口訣 を 説 いた も の であ る が、 次 に ﹃秘 蔵 記 ﹄ の第 五 十 章 の ﹁ 解 界 時 投 華 ﹂ は 、 解 界 に続 剛名 号﹄ の ﹁ 舞 菩 薩 妙通金剛 ﹂と は 異 って いる こと に より 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の作 者 が ﹃両 部 金 剛 名 号 ﹄を 参 照 し て改 変 し た こと に は 当 た らず 、 従 っ て ﹃秘 蔵 記 ﹄ の成 立 上 限 を 八 三 九 年 以 降 と す る 説 に は同 意 しか ね る。 次 に、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の下 限 年 代 の典 拠 であ る ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ であ る が、 論 文 中 に、 ( 50 )本覚大師 顕彰 会編 ﹃金剛頂蓮華部心念誦次第法 ﹄ ( 第四十 七章、第五十章、第六十七章 を引用)。 と 註 を示 され て いる の み で あ る 。そ こ で順 次 こ の章 に従 っ て 検 討 を 加 え る こと と す る。 る こと に は違 いは な い。 し か し ﹁ 解 界 ﹂ は、拙 稿 に 説 く ご と (15 ) 定 ﹂、 ﹁ 日﹂に対して ﹁ 名 ﹂ と あ るも ﹃秘 蔵 記 ﹄ を 引 用 し て い 儀軌 二所謂ユ. 成身會 ハ 錐 翠 掲磨會 ハ 徽ノ 辮瓢磯行訊 三昧耶會 . 瀦穐辮等. 供養 ま ず 初 めに 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の第 四 十 七 章 は 、 會. 魏 軽 ) 二 五 文 で は、 ﹁ 法 界 定 に 入 住 し た も う こ れ を 解 界 と名 つ く ﹂ に 対 と 説 か れ 、 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ に 引 用 さ れ て い る ﹃秘 蔵 記 ﹄ の 來 也 。然 .ハ 解 コト結 界 ヨ者 。 是 .蹄 読 於 解 脱 . ∼ 也 。言 ⊃解 界 還 宮 等 ↓者 。 ヨ 蹄 二本 魯聖也 云會印 淺 略 之 意也 。今 就 劫ハ 深 秘 ノ意 .∼ 者 。本 覧 波遍 二満 .テ法 界 ∼ 無 去無 一 坐 二於 地 方 ∼ 佛 ヲ奉 ユ請 至 ↓ 等 云云乃 至 奉 励還 ル等 ト者 。 皆 是 . 就 げ事 二 ホ マシ マス 解 結 等 義 に、 (八○○∼八六〇) の著 作 で あ る ﹃高 雄 口決 ﹄ の十 八 奉 請 奉 還 く、弘 法大師空海 ( 七 七 四∼八 三五) の直 弟 子 であ る、 真 済 の文 で、 ﹃蓮 華 部 心 儀 軌 ﹄ に 四会 で あ る 、 成 ・掲 ・三 ・供 を ( ﹃円城寺 八巻次第﹄) に は 、 ﹁ 成 身 会 ﹂ に つい て は ﹃秘 蔵 記 ﹄ の 立 てる 口 決 を 明 か し た も の で、 ﹃金 剛 頂 経 蓮 花 部 心 念 誦 次 第 ﹄ 文 は発 見 出来 ず 、 ﹁ 掲磨 会 ﹂ ﹁ 三 摩 耶会 ﹂ ﹁ 供 養 会﹂ に つい ては 、 ロ あ 或説伝掲磨會為成恥作智 即成佛以後修如来事業 也 掲磨會品第 二 沢) 三摩耶會謂為平等性智 即通於自他三平等之 理 金剛頂経三昧耶會品第 三 秘蔵記 の成 立年 代再考 ( 大 一625一 沢) ﹁ 解 界 還 宮 等 と 言 う は、 本 覚 に蹄 す 秘蔵記 の成立年代再考 ( 大 し て 、 ﹃高 雄 口 決 ﹄ で は るな り ﹂ と 述 べ て い て、 相 違 が 認 めら れ る 。 次 に ﹃秘 蔵 記 ﹄ の第 六 十 七 章 五 種 念 諦 は 、 念 諦 法 に 五 種 類 あ る こ と を 説 く 、 極 め て重 要 な 口 決 、 口 伝 の類 で あ る が 、 二 六 さ て ﹃円 城 寺 八巻 次 第 ﹄は弘 法 大 師 空 海 の弟 子 であ る。 ﹁ 実 に各 念 諦 を 解 説 し て いる 。 慧﹂ ( 七 八六∼八 四七) の流 れ を く む 広 沢 流 の元 祖 ﹁ 益信﹂ の 著 作 と いわ れ て い るが 、 大師 の直弟 子 であ る ﹁ 真 済 ﹂ の ﹃高 ニ 雄 口 決 ﹄ に十 三 、 四 種 念 諦 義 を説 き 、 これ を示 す と 、 一約 読 二念 諦 法 . ∼ 有 コ四 種 一 。 一ニハ 三 摩 地 念 諦 。 二 ニハ 蓮 華 念 諦 。 三 ニハ 所 謂 ル蓮 華 念 諦 。 金 剛 念 諦 。 三 摩 地 念 講 。 生 念 諦 。 光 金 剛 念 諦 。 四 ニハ 音 聲 念 諦 ナリ。 言 ζ 一 摩 地 念 諦 ↓者 。 置 ﹂ 月 輪 ヲ於自 心 五 種 ノ念 調 念 諦 也 。 蓮 華 ト者 諦 .ル音 聞 誹.ユ於自 .耳 ∼ 。 金 剛 ト者 謂 ク唇 歯 ,合 .. ア 小シ 中 ∼ 。自 相 自 義 ヲ順 逆 二 観 .ル 也 。言⊃ 蓮 華 念 諦 ↓者 。 動 陣ロヲ起 け音 , 但. 動 功.舌 , 端 岬。三摩 地ト者 都 ア 不 レ動 匝 舌 .於 け心 二 念 諦 .。皆 是 心 蓮 花 .上 二 敷 身ア 月 輪 り輪 ノ上 二明 了 二観 馳. 阿 字 づ。 観 與 自 ,耳 爾聞 天他 二 不 陀ア 令囲 聞 力念 論 .ル 會。金 剛 念 諦 ト者 。不 レ動コ唇 口づ亦不 レ 諦 相 慮 ., ア 不 二差違 一 。生ト 者 心 蓮 花 ノ上 二安 コ商 怯鱗ヤ..。貼 怯 出 コ妙 音 聲 弓。 讐 ヘ ハ如 け振 励力鈴 ヲ。 光 レ出 コ音 聲 り。 動 ⊃テ舌 ノ端 づ而 念 諦 .ル也 。 音 聲 念 諦 ト者 。 學 け音 ヲ長短 分 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の 五 種 念 諦 を ﹃高 雄 口 決 ﹄ で は ﹁音 聲 念 諦 ﹂ に 比 較 す る と 、 ﹁光 明 念 諦 ﹂ は ﹃ 高 雄 口 決 ﹄ に は 無 く 、 ま た ﹃秘 と 説 き 、 ﹃高 雄 口 決 ﹄ の 四 種 念 諦 と 明二 .テ自 他 倶 二 聞 ク也 。於 け中 二 蓮 華 金 剛 ,二念 諦 ,好 ト.了 ヨ 然始念調 時 ト者 想 . アロ 。 リ出 コト光 明 づ持 諦 セ.而 己 。其 ノ出 竪 モ聲 ヲ不 励ニ モ出 サ常 二作 -是 ノ 念 ・耶 ・ と 説 い て あ り 、 こ れ に 対 し て 、 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ に は 、 初 め に ﹃念 諦 経 ﹄ に 云 く と し て 、 四 種 念 諦 を 示 し 、 そ の後 、 ﹃秘 蔵記 ﹄ では 蔵 記 ﹄ に 云 く と し て 五 種 念 諦 を 示 し て い る 。そ の文 を 示 す と 、 な っ て い る の であ る。 ﹁ 生 念諦﹂ が 念 諦 経 云 四 種 念 諦 者恥 謂 音 聲 念 諦 二金 剛 念 諦 合 口動 舌 黙 諦 是 也 三 さ ら に 、 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ の 四 種 念 諦 は 、 ﹁ 音 聲 念 諦 、金 三 摩 地 念 諦 心 念 是 也 四 真 實 念 諦 如 字 義 脩 行 是 也 由 此 四種 念 諦 力 故 剛 念 諦 、 三 摩 地 念 諦 、 真 實 念 諦 ﹂ で あ り 、 ﹃高 雄 口 決 ﹄ の 四 能 滅 一切 罪 障 苦 厄 成 就 一切 功 徳 秘 蔵 記 云 五 種 念 諦 者恥 謂 蓮 花 念 諦 種念 諦 は ﹃高 雄 口 決 ﹄ の ﹁ 蓮 華 念 諦 ﹂ と の 違 い が あ り 、 そ の 上 、 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ で ﹁ 真実念諦 ﹂と ﹁ 三 摩 地 念 諦 、 蓮 華 念 調 、 金 剛 念 諦 、 音 声 念 諦﹂ で 疏趾鞍舗難購舶撫馳踊光念諦縦卸蝋慨闘鮪踊 師曰四種念諦之中爲凡夫者 礪 自金剛念諦甜鵜三摩地念諦鱗 最 翫聡 翻論 灘 鞍鶴 月生念魏 あ り 、・ ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ の は も 金剛 語爲最 上 と 説 い て、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の文 は そ のま ま の引 用 で な い こと が わ ﹁ 蓮 華・ 金剛﹂ の二 ( 金 剛念諦 ? ) を最 か る 。 つま り ﹃秘 蔵 記 ﹄ で は 、 五種 念 諦 を 示 し た後 、 一つ 一 上 と し て い る の に 対 し て 、 ﹃高 雄 口 決 ﹄ は ﹁ 師 曰 ﹂ と し て 四種 念 諦 の中 、 金 剛 語 つ の念 諦 を 説 明 し て いる が 、 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ では 、 直 ち 一626一 念 諦 を 好 と し て い る相 違 が見 ら れ る。 さ ら に ﹃定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 第 五 巻 の 解 説 に も 引 か れ て い 3 2 7 密 教 文 化 第 一八 胎 蔵 金 剛 教 法名 大 正 蔵 一八 ・二 九 〇頁 密 教 文 化 第 一八 六 号 九 〇 頁 、 定本弘法大師全集第五巻三七五頁、 り 、 八八 五 ∼九 一〇年 頃 の成 立 と 考 え た い。 1 六 号 八 ○ 、 八 七︱ 八 八頁 、 聲 念 諦 ト者 自 ,耳 二 僅 二聞 念諦 二 有 訓四種 一 ∵謡 播聡嫡創尊 者噂 綱賄踊創諦 る 、 ﹃無 尽 荘 厳 次 第 ﹄ の 四 種 念 諦 に つ い て も 示 し て み る と 、 5 10 12 14 13 11 定 本 弘 法 大 師 全 集第 密 教 研 究 第 十 二号 、弘 法 大 師 の 弘 法 大 師 諸 弟 子 全 集 巻 中 二 四 八︱ 二 四 九 頁 、 15 本 覚 大 師 顕 彰 会 編 、金 剛 頂 経 蓮 華 部 心念 同 七 ノ 一右 、 本覚 大 密 教 文 化 第 一八 六 号 九 三 定 本 弘 法 大 師 全 集 第 五 巻 一四五 頁 、 8 大 正 蔵 一八 ・二 九 六 頁 上 、 密 教 文 化 第 一八 六 号 八 七 頁 、 4 6 9 16 20 弘 法 大師 全 集 第 四 輯 五 17 定 本 弘 法 大 師 全 集 第 五 巻 一五 一頁 、 18 本 覚 大 師 顕 彰会 編 、金 剛頂 経蓮 華 部 心 念 誦 次 第 法 下 八 ノ十 二右︱ 左 、 19 弘 事相 、 誦 次 第 法 下 八 ノ 一九 左 、 五巻 一四 六頁 、 同 六 ノ 一右 、 師 顕 彰 会 編 、金剛 頂 経 蓮 華 部 心 念 誦 次 第 法 下 五 ノ 一右 、 頁、 號 、 大 正 蔵 一八 .二 〇 五 頁 下 、 上、 ,. 不 噂リ聞 コ佗 ノ耳 ∼ 。金 剛 念 諦 ト者 唇 ト歯ト共 二合 セ以 了舌 ,端 嗣支 い膠 二 至心 二 念諦 . 稽 ≧動 コナリ其 ノ舌 り三 摩 地 念 諦 ト者 心 満 月 輪 ,上 二観 潔 置 キ種 子 ,字 門 9以了定 眼 ワ見 "此 ヲ也 。 真 實 念 諦 ト者観 読 ナリ念 眞 言 .字 義 弓。 此 .名 コ 四 種 念 諦 法 ↓。 ﹁ 音 聲念調 ﹂ ﹁ 生念諦﹂とも相 と 説 か れ 、 ﹃高 雄 口 決 ﹄、 ﹃円 城 寺 八 巻 次 第 ﹄ の に 対 し て 、 ﹁聲 念 諦 ﹂ と あ り 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の 違 を 示 し て い る。 ﹁ 真 済 ﹂ と 大 師 の直 弟 以 上 の 結 果 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ に 云 と し て 引 用 し て い る 、 ﹁ 解 界﹂ ﹁ 念 諦 法 ﹂ に関 し て、 大 師 の直 弟 子 の 大 正 蔵 七 五 、 三 〇 八 上 ・日 本 大 蔵 経 八 一 ・一 精 神 科 学 十 三 号 三 三 頁 ・安 然 和 尚 の研 究 第 二 密 教 学 研 究 第 二 四号 ﹃ 秘 蔵 記 ﹄ の撰 述 年 代 23 22 に つい て、 仏 書 解 説 大 辞 典 第 七 巻 三 九 〇 頁 c田 島 徳 音 、 24 25 大 正 蔵 図 像 第 一巻 一五 頁 中 二 七 ( 大正大学講 師) ︿キ ー ワ ード ﹀ 秘 蔵 記 、 円 城 寺 八 巻 次 第 、 大 日 経 供 養 持 誦 不 同 26 六 四頁 篇 三 〇頁 、 證 とある。 剋 奉 書 了 、明 和 七 年 (一七 七 〇 ) 十 月 甘 日未 剋 令 書 写 了〓〓 禅 第 四 の奥 書 に永 萬 二年 (二 六 六 ) 二 月 九 日申 一七 頁 、 法 大 師 諸 弟 子 全 集 巻 中 二 四五 頁 、 (2 5) 21 子 の ﹁ 実 慧 ﹂ の 、 曾 孫 弟 子 に あ た り 、 広 沢 流 の 流 祖 の ﹁益 信 ﹂ (21 ) の伝 え が 異 る 部 分 が あ る こ と に より 、 ﹃円城 寺 八 巻 次 第 ﹄ は 文 献 と し て 一考 を 要 す るも のと考 え ざ るを え な い。 三、結論 (22 ) (23 ) 以 上 の結 果 、 ﹃秘 蔵 記 ﹄ の成 立 年 代 は、 拙 稿 で発 表 し た と (24 ) う り 、﹃秘 蔵 記 ﹄と明 示 し 、そ の文 を 引 用 し て い る、安 然 撰 の 二函 ) 十 三 ﹃秘 蔵 記 ﹃大 日 経 供 養 持 諦 不 同 ﹄の推定 撰 述 年 代 で あ る 、仁 和 元 年 ( 八 (26 ) 八五) か ら 、 高 山 寺 聖 教 類 第 四部 (二 沢) 末 ﹄ の奥 書 に ﹁延 喜 十 年 ﹂ (九 一〇) と 記 さ れ て い る こと よ 秘蔵記 の成 立年代再考 ( 大 一627一
© Copyright 2024 ExpyDoc